「はぁ・・・春咲先輩・・・」
「何黄昏てんのよ。そんな暇があるなら、さっさと手を動かしなさいよ」
「うるせぇ。ぶっちゃけリンリンに俺の気持ちが・・・春咲先輩への思いがわかってたまるかよ!」
ここは
風輪学園159支部。今日も今日とて、所属する風紀委員達は何時もの如く己の仕事に励んで・・・はいなかった。
「はぁ・・・。鉄枷なんかと一緒に仕事するなら、私も破輩先輩と一緒に下見に行けばよかったかしら?」
「・・・お腹を壊し気味なリンちゃんにはぶっちゃけ荷が重くね?」
「う、うるさいわね!鉄枷みたいに体だけが取り得のバカには、繊細な私の体なんか理解できないでしょうね!」
「バ、バカとは何だー!!」
「言葉の通りよ」
今日は、焼肉屋『根焼』へ下見に行く日であった。本来であれば女性陣だけで下見に行く予定だったのだが、
春咲は今日も風紀委員活動を早退、更に一厘がお腹の調子が悪いということで、破輩、厳原、佐野、湖后腹の4人で下見に出掛けたのだ。
故に、支部に残って事務作業をしているのは鉄枷と一厘の2人だけであった。
「チッ!それより・・・春咲先輩はまだ体の調子が良くならねぇのか」
「昨日の今日なんだし、すぐにってのはキツいんじゃない?」
「何だよ、その反応は?リンリンって冷てぇな。支部の仲間が調子崩してんのに心配じゃ無ぇのかよ?」
「何ですって!?わ、私だって春咲先輩のことを心配しているに決まってるじゃない!!」
「うおっ!?な、何だよ、大声を出して・・・」
鉄枷の言葉に一厘は思わず頭に血が上がる。
「そうよ・・・私がどれだけ先輩を心配しているか・・・どれだけ先輩のことを!!・・・あんな男より(ボソッ)」
「ん?何だ、リンリン。お前、ぶっちゃけ春咲先輩があんな状態になった理由を知ってんのかよ?」
「!!」
最後の方は聞き取れなかったが、一厘の反応から疑問を発する鉄枷。一厘は慌てて取り繕う。
「い、いえ。知らないわ。全く鉄枷が変なことを言うからこっちまでおかしくなって来たじゃない!!」
「はぁ!?人のせいにしてんじゃ無ぇよ!!ったく、何なんだよ・・・ブツブツ」
一厘の言葉に逆に腹を立てた鉄枷は、愚痴を零しながら自分の仕事に戻って行く。実際、無駄口を叩いている余裕は余り無い。
破輩達は下見が終わったら支部に帰ってくる予定になっている。それまでに、課された仕事を終わらさなければ破輩の雷が落ちる。
そのために、一厘とのこれ以上の会話は時間の無駄と鉄枷は判断し、仕事に戻って行ったのだ。
「(何よ!鉄枷のバカに言われなくても!!この支部の中で一番春咲先輩を心配しているのは私なんだから!!)」
対する一厘も、自分の仕事場に戻って行く。だが、鉄枷とは違って内心でははらわたが煮えくり返っていた。
「(やっぱり、体の調子が悪いのかな。先輩は何も言ってくれないし。あの人からも連絡ないし・・・。どうなってるんだろう)」
一厘はイラついていた。春咲を全く把握できない状況に自分が身を置いていることに。置かされていることに。
「(もし、先輩の身に何かあったら・・・その時はすぐに助けに行く!きっとあの人もそうする!春咲先輩は・・・私が守る!!私自身の手で!!風紀委員の信念に懸けて!!)」
気弱だけど人一倍の努力家で、それでいて他人に優しい先輩の姿を一厘は思い浮かべる。そして、心に誓う。春咲をこの手で守る・・・と。
「(すっかり忘れてた・・・)」
春咲は現在ここ第7学区を歩いていた。風輪学園の制服を着ている彼女の手には、通学鞄の他に紙袋がぶら下がっていた。
「(バタバタしていたから、クリーニングに出すのを忘れてた・・・)」
紙袋な中身は、界刺から借りていたスーツ。春咲が使っていたライダースが汚れてしまったために(無理矢理)貸し付けられた衣服である。
ライダース自体はあの後にすぐクリーニングに出して綺麗にして着用していたのだが、忙しかったこともあり、
界刺のスーツをクリーニングに出すのをすっかり忘れてしまっていた。
「(待ち合わせは午後3時。十分に余裕がある・・・)」
その忘却の彼方にあったスーツについて、当の界刺本人から指摘されたのだ。
待ち合わせ場所はいつかの公園。今日は救済委員活動も休みということだったので、タイミングが良かった。
「(色々話したいこともある・・・。界刺さんに聞いてもらいたいこともある・・・)」
昨日の救済委員活動に、界刺は参加していなかった。不参加理由を聞いた花多狩曰く、『火を噴いた』だそうだ。春咲には意味不明であったが。
そのためか、春咲は少しでも早く界刺に会いたいと思っていた。待ち合わせ時刻の1時間以上前から公園のすぐ近くにまで足を運んでいるのが何よりの証拠。
風紀委員活動を早急に早退し、昼食も程々に、足早で公園に向かっていた春咲は意識的に、無意識的に界刺を求めていた。
その理由に春咲は・・・目を逸らしながら。
「(!!・・・公園だ)」
春咲の前方30m先に、公園が見えてきた。とりあえず、公園についたら缶ジュースでも買って休憩しようと思った・・・その時!!
「あら、桜じゃない?風紀委員のお仕事中じゃないの?」
春咲の心臓がビクっと反応する。その声は、春咲が良く知る声。忘れられるわけがない声。
「躯園お姉ちゃん・・・?どうしてここに・・・?」
公園の前に立っていたのは・・・右腕全体をゴムバンドで覆う長身の女性―
春咲躯園―であった。彼女も春咲と同様に手さげ袋を持っていた。
「ん?私?私は・・・待ち合わせと言った所かしら」
「え、お姉ちゃんも?」
「『お姉ちゃんも』ってことは・・・あなたも誰かと?」
「う・・・うん」
躯園の登場に困惑の色を隠せない春咲であったが、とりあえず会話を続ける。
「もしかして・・・コレ?」
「!!ち、違うよ!!界刺さんとはそんな関係じゃあ・・・。ハッ!!」
「ふ~ん。界刺って言うんだ・・・。あなたとそんな関係じゃない人の名前」
「え、えと、んと、その・・・」
躯園の質問を受けて思わず界刺の名前を出してしまった春咲は、混乱の渦中に自ら入ってしまった。
「プッ!!全くあなたって娘は・・・。大丈夫よ。深くは追求しないから。そうか・・・桜にねぇ~」
「だ、だから違うって///」
躯園のからかいに、春咲は赤面しながらも抗議の声を挙げる。そして、気付く。
自分の姉とこうやって普通に会話するのは何時以来かと。
「ねぇ、桜。まだ、待ち合わせの時刻まで時間ある?」
「えっ?う、うん。大丈夫だけど・・・?」
「どうやら、私の方はすっぽかされたみたい。全く、人を何だと思っているのかしら。・・・ということで、ちょっと歩かない?こうやって桜と喋るなんてしばらくなかったし」
「・・・・・・」
躯園の突然の提案に、少し躊躇する春咲。まだ、1時間程の余裕があるとはいえ、今回は自分がすっかり忘れていた衣服の返却のために界刺と待ち合わせをしているのだ。
本来であれば、優先するべきは界刺との約束。だが・・・
「・・・うん、いいよ」
「そう。よかった。これで1人淋しく街を歩かなくて済むわ」
「・・・お姉ちゃんとの約束を破るなんて・・・酷いよね」
「桜もそう思う?ホント頭に来るわ~」
春咲は躯園の提案を受け入れた。それは、躯園の春咲に対する態度が以前と変わっていたから。具体的には、優しくなったから。
こうやって普通の家族として会話をするなんて、本当に久し振りのことだった。それが・・・嬉しかった。心の底から。
「それじゃあ、行くわよ」
「うん」
躯園が促し、春咲は己が姉と並び歩く。それもまた、随分久し振りのこと。春咲の心には・・・暖かい『何か』が広がりつつあった。
『どうやら接触に成功したようだ。林檎!念話回線の維持を抜かるなよ?』
『大丈夫ですって!この林檎ちゃんに失敗の2文字は無い!!イェーイ!!』
春咲と躯園は第7学区を抜け、第6学区に来ていた。その間話していた内容と言えば普通の会話、普通の世間話である。
「へぇ~、その鉄枷って男の子、支部の人気者なのねぇ」
「人気者というか・・・イジられ系かな?」
「いいじゃない、イジられ系でも。それだけ皆に可愛がられているってことじゃない」
「うん、そうだね」
春咲は笑みを浮かべている。それは、こうやって躯園と普通に会話できていることと無関係では無いだろう。春咲は渇望していた。こうやって家族と過ごすこの空間を。
「それにしても、暑いわねぇ。さすがは、夏休み前と言った所かしら?」
「確かに・・・。あっ、お姉ちゃん。あそこ見て!」
「うん?おっ、あれはアイスの出店じゃない!桜、でかした!!」
「!!・・・うん!!」
春咲と躯園は小走りに出店に向かう。2人共ソーダ味のアイスを選択する。
「あっ、桜。ここは私が支払うわ」
「えっ?でも・・・」
「いいって。たまには、お姉ちゃんらしい所を見せないとね。あっ、お幾らですか?」
「お姉ちゃん・・・ありがとう」
躯園の気配りに春咲は思わず感動する。普通ならこんなことで感動するまでには行かないであろう躯園の気配りに、春咲は比喩無しに感動した。
こんな現実を望んでいた。どこにでもあるこんな光景を願っていた。
春咲桜という少女が欲して欲してたまらなかったもの。それが今目の前にある。
「お~い、桜。何をボーっとしているの。アイスが溶けちゃってるわよ?」
「えっ!?あっ!!」
そんな感動の渦の中にいた春咲を現実に引き戻す躯園。彼女の言う通り、春咲が持っていたアイスが暑さのせいで溶け始めていた。
「しょうがない妹ねぇ、ホント」
「ご、ごめんなさい」
躯園に謝る春咲。だが、そこに険悪な空気は存在しない。むしろ、微笑ましいと言っていい穏やかな空気が流れていた。
『指定場所までもうちょっとだな。林檎!支部への連絡の手筈は整っているな』
「“あそこ”以外は適当でいいんでしょ?だったら、問題な~し」
『羽香奈!他の連中へ送る文章はできたのか?』
『うん、ちゃんとできてるよ、雅艶兄ちゃん』
「あ、あの、お姉ちゃん」
「うん?な~に?」
「あの、あのね。そろそろ時間が・・・」
「あ~、待ち合わせの時間か・・・。そういえば、もうこんな時間か」
春咲と躯園は第6学区のある倉庫街の近辺を歩いていた。辺りは物静かで人の気配も無い。
「全然気付かなかったわ。ごめんね、桜。私の我儘に付き合わせちゃって」
「う、ううん!そんなこと無いよ。私も・・・お姉ちゃんと話せて楽しかった」
躯園の謝罪の言葉に反応する春咲。
「そう言ってくれると助かるわ」
「そ、そんな。・・・お姉ちゃん」
「ん?」
「お姉ちゃんって・・・変わった?」
「変わった?そうかしら?」
どうやら躯園は春咲の質問の意図を図りかねているようだった。その様子を見て、春咲は言葉を続ける。
「何だか・・・柔らかくなったっていうか、優しくなったっていうか・・・」
「あら?それじゃあ、以前の私はまるで優しくなかったって聞こえるんだけど?」
「えっ!?あの、その、そういう意味じゃ無くて・・・」
躯園の切り返しに春咲は足を止めてしまう。一方躯園はその歩みを止めない。
「フフッ。冗談よ。気にしていないから」
「ご、ごめんなさい」
「全く。そうやって私に対して口ごもる癖・・・まだ直っていなかったのね」
「ううう・・・」
「フフッ。あのね、桜」
「うん?何、お姉ちゃん?」
少し離れて躯園は歩みを止める。春咲からは、躯園の後姿しか見えない。
「実は、私が待ち合わせをしていたっていうのは・・・嘘なの」
「えっ!?」
「昨日ね、久し振りに家に帰ったら・・・林檎に言われたの。桜が私と話をしたがっているって」
「林檎ちゃんが・・・」
躯園の言葉に春咲は先日の出来事を思い出す。林檎に体を切り刻まれたあの出来事を。
「(林檎ちゃんがお姉ちゃんに・・・?そ、そういえば、林檎ちゃんからイジめられていた時に、そんなことを言ったような・・・)」
林檎からの度重なる仕打ちを喰らっていた春咲にははっきりとした記憶は無い。
だが、今の姉の言葉が真実ならば、「躯園と話したい」と確かに口に出していたのかもしれない。
「私も最近は忙しくてね・・・ほとんど家に帰らなかったから桜や林檎にも迷惑を掛けてしまっていた。
そんな当たり前のことに気が付けなかった、私の手落ちね。ごめんなさい、桜」
「そ、そんなことない!!わ、私だって・・・最近は家に全然帰ってなかったし!」
「でも、それは風紀委員の仕事が忙しかったからでしょ?それに引き換え、私は・・・」
「ううん!私は・・・私は今すっごく嬉しいよ。こうやって・・・躯園お姉ちゃんと話すことができて!!」
それは、春咲桜の嘘偽りの無い言葉。心の底からの真意。彼女が願って止まなかった光景の実現。彼女は今・・・幸せだった。
「そう?そう言ってくれると嬉しいわ」
「お姉ちゃん」
「だって・・・・・・」
春咲に背を向けたまま、躯園は持っていた手さげ袋から“何か”を取り出した。それは、躯園の長身に隠れているため春咲からは見ることができない。
「だって・・・・・・」
「・・・お姉ちゃん?」
春咲の疑問の声は・・・届かない。否、聞いていない。“何か”を持った手が、躯園の顔に近付く。そして・・・振り向いた。
「だって・・・私が家に帰らなかったのは・・・アンタみたいな出来損ないをいたぶって、いたぶって、いたぶって!!それに明け暮れていたからよぉ、桜!!!」
その手にあった“何か”・・・それは、彼女が救済委員として活動する際に、自身の能力による被害を免れるために装着しているガスマスクであった。
「えっ!?ッッッ!!!ガアアアアアアアァァァァッッッ!!!」
その瞬間、春咲の頭の中に響き渡るソレは・・・音。以前に味わった、彼女がよく知っている少女の能力。大音量で響き渡る音に、我慢できずにその場に倒れ込む春咲。
「さっすが躯園お姉ちゃん!!演技派女優も真っ青な演技っぷりだったよ!」
「そう。なら、よかった。演技じゃ無かったら、こんなチンケな人間と一緒に行動なんて共にしないわよ。今思い出しても虫唾が走る」
躯園と言葉を交わすのは
春咲林檎。これは、春咲桜という『裏切り者』に制裁を加えるために仕組まれた周到な罠。
「り・・・林檎ちゃん?どうして・・・・・・ガハァッ!!」
林檎の『音響砲弾』に苦しみながらも、何とか顔を上げようとする春咲の腹に、白杖が突き刺さる。その持ち主は・・・雅艶。
雅艶は春咲の腹のみならず、顔や腕、脚等にも白杖を叩き込む。
「ガハッ!!グハッ!!ゴホッ!!」
「まずは、上々といった所か。ご苦労だったな、春咲」
「ホント、苦労したわよ。慣れないことはするもんじゃないわ」
「そう言うな。お前のおかげで、容易く『裏切り者』を確保することができたんだ」
「う・・・『裏切り者』?ゲホッ!?」
雅艶と躯園の会話に反応する春咲。そんな彼女に喉を躯園の足が踏み付ける。
「ギャアアアアアッッッ!!!」
「そうよ、桜ぁ。安田って偽名まで使って入り込むだなんて・・・。よくも私に恥をかかせてくれたわね。その罪、半殺しじゃ済まないわよ!!」
「ガアアアッッ!!!グハアアアアァァァッッ!!!」
躯園は春咲の喉に踏み付けた足に体重を掛けて行く。それに従って、春咲の喉が潰れて行く。春咲は今、まともに呼吸することもできない状態だ。
「躯園。今はその辺りで止めておけ。せっかくの“モデル”が台無しになる」
「ハァ、ハァ。だったら、さっさと済ませなさい!こっちははらわたが煮えくり返っているんだから!!」
「わかった、わかった。羽香奈!」
「あいよ、雅艶兄ちゃん!」
躯園を止めた雅艶は、後方にいる少女―
羽香奈琉魅―に声を掛ける。
「さて、“モデル”の顔が見えないんじゃ、撮影の意味が無い。フンッ!!」
「ガハッ!!い、痛い・・・」
「んじゃ、いくよ!!ハイ、チーズ!!」
雅艶に髪を引っ張られ、無理矢理顔を上げさせられる春咲。その姿を羽香奈が携帯電話のカメラ機能を使って撮影する。
その後すぐに羽香奈は携帯を操作し・・・所定の作業を終える。
「雅艶兄ちゃん!送ったよ!」
「わかった。林檎!そっちはどうだ!?」
「今さっき終わりました!!フフッ、これで桜の顔が更に絶望に染まるねぇ・・・。クスクス」
「踏み絵・・・と言った所かしら?私が言うのも何だけど・・・あなたも相当イカれてるわ」
「お前と一緒にしてくれるな。俺はただ・・・秩序を乱す奴が気に入らないだけだ。そんなことを言うなら、お前の方こそ・・・」
「おい。無駄口を叩く暇があるなら、さっさとその『裏切り者』を倉庫の中へ運べ!制裁は・・・まだ終わっていないのだろう?」
「・・・お前に言われなくてもわかっている、麻鬼」
「まさか、あの馬鹿鴉以上の大馬鹿がいたなんてね。ちょっとショックだな」
「現役の風紀委員のくせに、何が目的で救済委員に入ったのか・・・どんな手を使っても吐かしてやるわ」
「証拠隠滅は私にお任せを、峠さん。全て“断裁”してみせますよ」
「その目的如何で・・・私は私の制裁を与えなければなりません。『風紀狩り<ジャッジハンター>』の名にかけて!!」
この5名に共通するのは・・・風紀委員を嫌った、あるいは失望した者達。故に、風紀委員でありながら救済委員になった春咲桜を・・・許すことはできないのだ。
「もちろんよ、麻鬼。こんなもの序の口もいいトコよ。まだ、地獄の制裁は始まったばかり。これからもっと・・・もっと!!完膚無きまでに叩き潰してあげるわ!!」
「ヒュ~!躯園お姉ちゃん、かっくいいぃぃ!!」
「(グ、グウウゥゥゥッッ!!!)」
躯園の宣言に色めき立つ林檎。『音響砲弾』と雅艶達の攻撃で動けない春咲は、雅艶達によって倉庫の中に運ばれて行く。
それは、春咲桜にとって地獄(せいさい)の開始(はじまり)であった。
ピロロロロロロ~
「ん、何だ。このクソ忙しい時に」
「ほらっ、早く出なさいよ~。私は今冷たいお茶をコップに注いでいるでしょう?」
「クソッ!!厄介なゴタゴタは勘弁してくれよ~。ハイ、もしもし!!」
鉄枷と一厘が事務処理に明け暮れている159支部に電話が鳴り響く。
事務処理で忙殺されている鉄枷は、本音では電話には出たくない。目の前にある仕事の処理に悪影響が出る可能性が高いからだ。
それは一厘も同様だったが、『幸か不幸か』、彼女は自分と鉄枷が飲むためのお茶をコップに注いでいる最中であった。
「あ~、やっと繋がった!あの!風紀委員159支部さんで間違いないですか!?」
「は、はい。ウチは159支部で間違いありませんよ。どうしましたか?」
電話の主は女性の声であった。無駄にテンションの高い声に鉄枷は疑問を抱くが、そんな疑問は続く言葉で吹っ飛ぶ。
「私、見ちゃったんです!!おたくの支部員の春咲桜って娘があの救済委員なのを!!
風紀委員でも何でもない人達が勝手にスキルアウトや無能力者狩りを叩き潰す・・・場合によっては、そいつらをぶち殺しちゃう救済委員のメンバーに所属している姿を!!」
「へっ・・・?は、春咲先輩が・・・?」
「ん?どうしたの、鉄枷。春咲先輩がどうしたって?」
春咲の名前を口に出した鉄枷に怪訝な視線を向ける一厘であったが、今の鉄枷に一厘の言葉は届いていない。
彼の聴力の全てが電話の向こうにいる少女の声に集中していたのだ。
「ついさっき目撃しちゃったんです!!確か・・・第6学区の・・・詳しい場所は忘れちゃいました。でも、確かに彼女、春咲桜って娘の姿を・・・」
ガチャン!!!
「どうしたのよ、鉄枷?電話を思いっきり叩き付けて切っちゃうなんて・・・。鉄枷?あなた、顔が真っ青よ。一体・・・」
一厘は鉄枷の顔をみて驚愕する。何故ならば・・・鉄枷の顔が蒼白に染まっていたからである。
ガタンッ!!
「!?て、鉄枷!!?」
鉄枷は自分を心配する一厘に目もくれずに椅子から、支部から、学園内から飛び出した。
向かう先は・・・第6学区。電話の主が春咲を目撃したという場所。
「(は、春咲先輩!!ぶっちゃけ・・・嘘っすよね!?嘘っすよね!!?俺は信じませんよ!!春咲先輩が救済委員だったってことなんか!!!)」
救済委員という名が何を意味するのか、風紀委員である鉄枷はもちろん知っていた。だからこそ・・・信じたく無かった。
己が敬愛して止まない先輩が、救済委員のメンバーであるということを。
そんな鉄枷の反応や行動を目にした一厘は一時呆然としていたが、鉄枷が呟いた言葉を思い出し、考え・・・すぐに携帯電話を手に取った。
一厘の頭には最悪の可能性が過ぎっていた。それを払拭するために、あるいは確認するために、あの碧髪の男に電話を掛ける。そして・・・
雅艶が仕掛けた罠は3つ。1つ目は躯園を使った『裏切り者』である春咲桜の確保。
2つ目は、現役の風紀委員である春咲桜が救済委員であることを、風紀委員達に伝えること。これが林檎に指示した内容である。
もちろん、伝える支部は1つ限りでは無い。159支部には必ず連絡するようにはしたが、それ以外にも。つまり、
「えっ・・・。そ、そんな・・・!!」
「159支部の・・・春咲さんが!?」
春咲林檎の通報を耳にしていた。ここまで広まれば、内部で揉み消すのは難しい。
ちなみに、
国鳥ヶ原学園風紀委員支部を避けたのは雅艶の都合である。
逆に3つに留めたのは、第6学区に急行してくるであろう風紀委員と万が一戦闘になった場合の、自分達との人数差や実力差を天秤にかけた上での判断である。
そして、3つ目は・・・穏健派と過激派双方のアドレスを知っている羽香奈に指示したメール作成と送信。
目的は・・・二度と『裏切り者』を出さないため。羽香奈が作成したメールの文面は以下の通り。
『今から裏切り者の安田改め春咲桜を“制裁”しま~す!何と、彼女は風紀委員だったのです!
この裏切りも同然な彼女に私達過激派は断固たる“制裁”を加えようと思います。もし、参加したければ、第6学区の○○まで。』
送信先は・・・この場にいない救済委員(正確には先日の会合に参加した救済委員)達。意味するのは・・・踏み絵。
これから過酷な制裁を加える『裏切り者』を擁護する者の選別。もし、助けに来る者がいれば、そいつも『裏切り者』と見なす。そういう手筈であった。
そして、これは・・・春咲と共に救済委員に加入した『
シンボル』の界刺を罠に嵌めるという意味もあった。
春咲のために救済委員となったあの男なら・・・必ず助けに現れる。そう、雅艶は踏んでいた。そして、助けに現れた所を叩き潰す。
悪魔のようなこれらの策は・・・全て雅艶発案のものであることをここに記しておこう。
一方、メールが送られた救済委員達は・・・各々の覚悟が試される。つまり、
「なっ!?」
「安田ちゃん・・・!!」
―啄鴉が―
「何だと!?」
「何ということを・・・!!」
「安田が・・・風紀委員!?」
「ふ、ふざけんじゃねえぇぇ!!!」
「チッ・・・」
それぞれ、羽香奈から送信されて来たメールに目を通す。
もちろん、それは、1人公園で待ち合わせのためにベンチに座っている男―
界刺得世―にも届いた。
春咲との待ち合わせのために設定していた午後3時は・・・もうとっくに過ぎていた。
メールの内容から、春咲桜の身元がバレたこと、これから過激派救済委員に制裁を加えられること、それ等を確認した界刺は天を仰ぐ。
「フゥ・・・・・・」
そして・・・それでも・・・界刺が座っているベンチから立ち上がることは無かった。
continue!!
最終更新:2012年07月06日 19:42