【異世界冒険譚-蒼穹のソラリア- ③ 前篇】

 ファルコ配下の武闘派神官、四元魔将を相手に戦った激闘から1ヶ月、街はまだ多くの人を失った悲しみから覚めないまま居た。
 しかしここ新天地の暮らしは楽ではない。生きている者はこれからも生きて行かなければならないのだ。
 嘆き悲しんでいる暇も無く、街は復興の為忙しい毎日を過ごしているのだった。
 そんな中、街の人々はソラリア達を英雄として温かく迎えてくれ、闘いの傷と疲れを癒すまで、この街でゆっくり休んで行く事を許してくれた。
 前の街ではすぐに追われたソラリア達にとって、この街の対応は温かく、とても心救われる思いだった。
「ソラリン、もう体の方はすっかり良くなったみたいだね」
「はい、皆さんのおかげです」
 会話の主はソラリアとシエラ。二人はバイト帰り市場で食材を調達して来た所だった。
 ソラリアの怪我はあの時の言葉通り、ほぼ一週間で完治してしまった。だがエルの怪我はそう簡単に直らない。
 あの後医者に診て貰ったら、スワン蹴られた鼻の骨が曲がってしまっていたらしい。
 他にも顔の腫れが引き、瓦礫で挫いた足の治療の為、この街で暫し休養を取っていたのだった。
 その間タクトの仕送りだけでまかなえない分は、シエラやタクトが手分けして働きながらどうにかしていたのだ。
「でもソラリンって意外と不器用だったんだね。割ったお皿の弁償でバイト代がパァだよ」
「ほ、本当にすみません……力仕事なら得意なのですが……」
「最初は仕方ないよ。私だって慣れてるから出来るだけだし。大丈夫! 何とかなるなる!」
「シエラさん……はいっ! 私、頑張ります!」
 そう言ってソラリアは可愛らしく小さなガッツポーズをとった。
 今日も街の食堂でバイトをしてきた帰り道二人話しながら宿に帰っている途中だ。
 二人は調理は出来ないので皿洗いやウェイターの仕事なのだが、何でもそつなくこなすシエラと違い、ソラリアは毎日失敗の連続だった。
 唯一得意なのが力仕事。その為こうして、早朝の買出しから始まる早番のシフトに入って居たと言う訳だが……
(え?)
 その時、いつもの路地を歩いていて、ふと視界を遮った影にソラリアは目を奪われた。
 影の人物の頭に、自分と同じような大きなバイザーが見えたからだ。服装もこの辺りでは浮いた格好をしていたように思う。
「あっ、あの」
 ソラリアは急に胸騒ぎがして、その人物を探したくなった。
 もしかしたら自分と同じ仲間かもしれない。そんな希望があったからだ。
「私、急用が出来ましたので、その……ちょっと行ってきます!」
「あ、ソラリア?」
 ソラリアは事情説明も碌にしないまま、買い物袋をシエラに渡し先程の影が消えていった路地裏に走り出した。
「……どうしたんだろう」
 その光景を、シエラは渡された買い物袋を支えるのに必死になりながら、不思議そうに見送ったと言う。


【異世界冒険譚-蒼穹のソラリア-】


「やっぱり私、ソラリンの事探してくるね」
 そう言ってシエラが腰掛けていたベッドから立ち上がった。
 ソラリアが単独行動をするなんて珍しい事だが、たまにはそう言う事もあるかと思い軽い気持ちで分かれた事を、今は後悔している。
 時刻は丁度午後5時を回った所。シエラが宿について1時間が経過していた。
「そうだな……うん、頼むよシエラ」
 エルはまだ取れない顔の包帯を擦りながら言った。
 エルがあの戦いで怪我をして以来、シエラは本当によくエルの世話をしていた。
 少し遠慮がちに恥ずかしがるエルに、シエラは良いから良いからと手厚く世話を焼きたがるのだ。
 それは何だか世話をすると言うより、妹が大人ぶって姉にじゃれ付く様な、そんな雰囲気の光景。その姿に、タクトとソラリアは癒されていた。
(ソラリンどこ行ったんだろう)
 シエラが市中に出た頃、空は徐々に夕暮れに向け空が朱色にわ染まり始めていた。
 もうすぐ訪れる夕焼けの空、人々は心穏やかに空が美しく変わり行く時を待つのだ。
「あ、おじさん。ちょっと聞いていい?」
「おう、何だい嬢ちゃん?」
 昼間訪れた市場からシエラは捜索を始めた。まずは手近な店に居た店主に声をかけてみる。
 こう言った時に物怖じしないのがシエラの良い所だ。ソラリアは人見知りだからそう言った事が苦手だ。その点、時々シエラの方がお姉さんのように見える事もあった。
「長い黒髪に青い瞳の……えっと、人間の女の子見なかった?」
「人間? さぁ、見なかったねぇ」 
「ありがとーおじさん」
 最初の聞き込みは収穫なし。
 シエラは少しガッカリしながら、まだ最初だから仕方ないと割り切りすぐ次の捜索に移ろうとした、その時――
「シエラ?」
「え?」
 突然背後から声がかかった。
 シエラを呼ぶその声は、彼女にとってとても懐かしい声。3年前に離れ離れになって以来、一度も聞けなかった待ち焦がれた人の声。
「やっぱりシエラだ。久しぶりね」
「カイラ……お姉ちゃん……」
 振り向いたその先に居たのは、シエラとそっくりな鳥人の女性。
 カイラ=ウィンザード。シエラ=ウィンザードの実の姉だった。



 シエラは思い出していた。3年前、カイラが家を出る前にした最後の会話を。
 それは雲一つ無い、蒼穹の空を見上げながら、浮遊島の芝で話した事だった。
『ねぇシエラ。神様は何で私達に空を飛ぶ翼を与えてくれたのかって……考えた事ある?』
 カイラは優しい顔でシエラに問いかけた。
 唐突な質問だったが、当時から活発で、どこに行ってもすぐ友達を作って帰ってくる明るい子供だったシエラは、さして疑問を持たずにこう答えた。
『どこにでも自由に行けるように?』
 カイラはそれを聞いて、妹の頭を撫でながら嬉しそうに、でも少し悲しそうに笑った。
『ふふ、シエラらしい答えね』
 カイラは立ち上がると翼を広げて風に晒した。
 浮遊大陸であるオルニト本土では風が止む事はない。上空に浮かぶ奇跡の島は、風神と風精に愛されているのだ。
 そんな場所で、その時不意に風が止んだ。
『でもね、私はこう思うんだ』
 風の音が消え、静寂に包まれた二人だけの会話。カイラの表情は太陽と逆光になって見る事が出来ない。
『世界中にいるめ色んな種族の中で、私達が一番高く空を飛べるのはきっと――』
 シエラはこの時、言い知れぬ不安感に襲われていた。
 カイラが、自分の姉が、手の届かない所に行ってしまうような気がして……
『きっとこの空が、私達だけの物だからなんだ、って』
 逆光で見えない筈のカイラの顔。なのに瞳だけは爛々と輝いていたのが、シエラには恐かった。



「シエラ?」
「え? あ、ごめんなさい。ボーっとしてた」
 シエラはカイラと一緒に市内を歩いていた。
 目的地など無い。ソラリアを探して行く当ても無く歩き回っているだけだ。
「もお、大丈夫? 一人で暮らすようになったからしっかりしたと思ってたのに。お姉ちゃん心配だわ。あ、すいません長い黒髪の人間の女の子見ませんでしたか?」
「人間の? あ、そう言えばさっき見かけたなぁ。確かあっちに行ったような……」
「ありがとうございます、おじ様」
 カイラはシエラの事情を聞くと、自分も一緒に探してあげると言い出した。
 シエラからソラリアの特徴を聞き出すと、カイラが率先して聞き込みを始めたのだ。そしてその成果はすぐに現れた。
「う~~~、大丈夫だよ。私一人でもしっかり暮らせてるもん」
 シエラは、久しぶりに会った姉だったが昔と変わらない様子で安心していた。妹の事を可愛がるカイラは少し過保護なくらいシエラの世話を焼くのだ。
 それがシエラにとってくすぐったくもあり、こっ恥ずかしくもあり、そして嬉しかった。
「……ごめんね。あの時勝手に出て行ったりして」
「お姉ちゃん?」
 黄昏時の路地裏で、二人並んで歩く姉妹。
 シエラは姉の言葉に顔を見返したが、夕暮れの暗さからその表情を読み取る事は出来ない。
 しかしカイラの口調はとても穏やかで、シエラは優しい姉の言葉にすっかり心を許していた。
 一時は姉を恨んだ事もあった。自分一人残して出て行った姉に、幼いシエラは憎悪を向ける事でしか、心の痛みを誤魔化す術を持ち合わせていなかったからだ。
「あの時、私ちょっとおかしくなってたのよ……だけど、これからはちゃんと守ってあげるから。ね? 許してシエラ……」
「お姉ちゃ――っ!?」
 だがそれも過去の事。こうして再び出逢えた事の方が何倍も大切だと思った矢先、シエラはいきなりカイラに体を引っ張られ、背中に隠されるような形となった。
「危ないなぁ、そんな物を人に向けたら」
 若い女性の声だった。
 声の主は夜の帳に溶け込むように黒い格好をしている。まるでこれから葬式にでも行くような格好だ。
 カイラその人物を鋭く睨み、自慢の美しい翼腕に握った短刀を向けていた。
「血生臭い奴に近づいて来られたら誰だってそうする」
「獣臭いとか埃臭いとはよく言われるが、血生臭いとは初めて言われたよ」
 その黒尽くめの人物は、短刀を向けられながら余裕の表情を見せている。
 精気の感じられない顔に奈落のように深く暗い瞳。シエラにも一目でその人物が尋常でない事がんかった。
「お姉ちゃん、この人……」
「シエラは下がって」
 不安気に姉の肩に隠れるシエラを庇うように、姉のカイラは雄々しくその翼を広げた。
 すると途端に路地裏に風が吹き込み始める。風精の仕業だ。
 演唱も舞も捧げ物も無しに精霊が力を貸すなど、信じ難い光景だ。
 だが世界には居るのだ。精霊に愛され、精霊と心通わせる者が。
「少し話を聞きたかっただけなんだが、こりゃ飛んだ大物に出くわしちまったね。今日はついてない」
 そんな『風に選ばれし者』を前にしても、黒衣の女は困ったなと肩をすぼめるジェスチャーをするだけだ。
 その様は、よほど自分の実力に自信が有るか、死なない保証でも有るかのようだったが、恐るべき事にこの女にはその両方が備わっていた。
「カイラ=ウィンザード。『テンペスター』の称号を持つ最上級風使い。そっちの妹さんに用があったんだが……まぁ、君でも同じ事か」
 黒衣の女がずいと一歩踏み出した。
 カイラの構えた短刀の先が胸先に食い込む。
「一体何の用なの? カタギの人には見えないけれど」
「正体を言ったらきっと仲良く出来ないから言わないよ。ただ害意は無いとだけ言っておく」
 黒衣の女性は両手を広げて見せた。武器を持っていない事のアピールだ。
 だがそんなものがここ異世界で如何程の意味を持とうか。この世界には武器無しで、猛獣を殺せる猛者が山と居るのだから。
「あなた……まさか元老院の聖騎士!!」
 カイラが何かを察してそう叫んだのと、路地裏に小規模の竜巻が発生したのはほぼ同時だった。



「キャーー!」
「お前達何やってるんだ!? こんな所で!」
 街は突然路地裏に発生した竜巻に騒然となっていた。
 幾千のシルフの光がカイラとシエラを包み暴風から守っている。
 そして、それ以外の全てを竜巻は砕き、飲み込み、天高く舞いあげて行った。
「これはシルフ!? お姉ちゃん何するの!?」
「シエラはもっと下がって隠れてて!」
 カイラはシエラにそう指示すると、また真っ直ぐに黒尽くめの女の方を睨んだ。
 相手は建物の間に渡された洗濯用のヒモに掴まって風に抗っている。
 体が浮く程の強風に、何故あんな細腕で耐える事が出来るのか?カイラには疑問だったがじっくり考えている余裕もない。
 これ以上風を強くすれば黒衣の女を吹き飛ばせるかもしれない。だがそれは同時に周囲の建物まで一緒に破壊してしまう事を意味した。それは出来ない。
「詠唱も無しに精霊魔法とは恐れ入る。では私も――」
 その時、黒衣の女の体がうねった。
 まるで、やがて訪れる解放の時を、服の下で何かが待っているように。
「アルトメリア=リゾルバの名において命ず! 出でよワイバーン!!」
 そして唱えた。
 聖騎士アルトメリアが、獣魔術の演唱を。
「キャーーーー!!」
「うわーーー! ドラゴンだー!」
「何でこんな所にぃ!?」
 次の瞬間、ヒモに掴まり絶体絶命の体だったアルトメリアは、竜巻をも切り裂いて飛ぶ、翼竜ワイバーンの背に跨り空を駆けていた。
「お前、“獣魔術師”アルトメリア!?」
「この術はいちいち名乗らなきゃならないのが欠点だな。正体がバレてしまう」
 肉体ごと魂を己が体に封印する事で隷属 させる忌まわしの術。
 「人を食べたくない」ただその思い一点から生じたこの術は、欠損した身体を補う為の行為から、いつしかより強い力を身につける為の行為へと変わっていた。
 時刻は丁度夕刻を回った頃、鳥目のカイラには不利な時間帯。そしてスラヴィアンの宴の時間でもあった。



(どこ? どこに行ったの?)
 ソラリアは昼間見た影を追って街外れの方まで来ていた。
 そこは穀物や香辛料などの食料を多く備蓄してある倉庫が立ち並ぶ所で、人影が殆ど無い寂しい場所だった。
 それまで道の曲がり角を曲がる度、進む先が分かる程度に一瞬だけ見えていた影。その影をここに来て全く見失ってしまったのだ。
(見失った……)
 ソラリアが追跡を諦めかけた時、その影は現れた。
「あなたを探していた」
 突然ソラリアは背後から声をかけられ、反射的に飛び退った。
 そこで見たものは、ソラリアと同じようなバイザーを頭に付け、この辺りでは見た事の無いタイプの服を着た、ソラリアと同い年くらいの少女だった。
「あ、あの……私」
「自分と同じだと思った」
(っ!?)
 ソラリアは自分の考えを言い当てられドキッとする。
 心を読まれているのだろうか?いや、そんな筈がないと頭を切り替え、屹然と目の前の少女に向き直った。
「私はミィレス=アストレス。あなたと同じ魔神(マシン)の一体」
「マ……シン……?」
 そう言えばスワンと言う人にもマシンと呼ばれた事をソラリアは思い出した。
 『マシン』それが自分の種族なのだろうか。ソラリアが疑問を感じ、難しい顔をしていると、ミィレスがそれを聞いてきた。
「あなたもしかして記憶を?」
 ソラリアは黙って頷いた。
 今にして思えば、つい衝動的に追いかけてきてしまったが、この追跡は始めからおかしい物だったと気付いたからだ。
 まるでこのミィレスと名乗った少女は、ソラリアが追いつけず、また、見失わない距離を保ちながら歩いていたように思える。
 そして人気の無い街外れまで誘導して、姿を表したようだった。
 ソラリアは身構えた。
 自分の事は知りたい。仲間にも会いたい。しかし今の状況は危険すぎる。
 ソラリアがそう思っていた時、ミィレスは意外な事を打ち明けたのだった。
「私は感情を失っています。あなたは記憶、私は感情、似ています」
「似……てる……」
 この少女も自分と同様に大切な物を失っているのか。そんな思いがソラリアの心を駆け巡った。
 自分と同じ種族、大切なものを失った者同士、その事がソラリアの中で親近感となり、急速に信用を増して行った。
「取り戻したいですか?」
 ミィレスが語る。ソラリアの望みを知っているかのように。
 タクトの事が好き。絶対に守る。その想いと同じように、ソラリアは自分が何者か知りたかった。
 だからソラリアはミィレスの言葉が、最早真実でも嘘でも、それにすがるしか無かったのだ
「取り戻す方法があるんですか!?」
「黒い月まで行く事が出来れば取り戻せます。私の感情も、あなたの記憶も」
 とうとうミィレスは黒い月の名を口に出した。
 ミィレスの今のマスターはファルコだ。そのマスターが黒い月に行きたがっている。
 だが黒い月の門を開くには『鍵』が二つ必要だった。
 そう、ミィレスの任務はもう一つの鍵を持つ、ソラリアを黒い月に連れて来る事だったのだ。
「一緒に行きませんか?」
 ミィレスは抑揚の無い声で語りかける。
 ただ命令に従うだけのロボットのように。
「黒い月まで……」
 二つの鍵が揃った。
 数千年誰も辿り着けなかった黒い月の確信への道が、今、開かれようとしていた。



「切り刻めシルフ! そのデカブツを片付けろ!!」
「お~恐いね~」
 あの後、カイラとアルトメリアは交戦状態に突入していた。
 ワイバーンのブレスをカイラはシルフの風で防御する。
 竜巻を切り裂いて飛翔し、狭い路地に建物を砕きながら突撃してくるワイバーンを、負けじとカイラも華麗な飛行テクニックでかわす。
 やがて戦いは空中戦となり、月明かり照らす街の夜空に、巨大な翼竜と風の妖精が舞い踊った。
「お姉ちゃん!」
「シエラは下がって!」
 カイラはワイバーンとのすれ違いざま、手にした短刀をアルトメリアに振った。
「ファルコの軍は倒す。だがそれより百倍魔神はヤバイ存在でね」
「……」
 それをアルトメリアはいつの間にか召喚していた大亀の甲羅で弾き返す。
「君は分かっているのか? 魔神がどれほど危険な存在かを」
 アルトメリアが次々に大きな鳥を召喚し始める。
 戦場はいつしか竜巻から離れ始めており、体の大きな鳥なら飛行出来る位の風速になっていたのだ。
「そんな事……言われなくても痛い程……!!」
 大きな鳥が獰猛にカイラに襲いかかる。そのクチバシと爪で獲物の肉を引き裂き、殺してしまう大鳥だ。
 カイラはそれらの突撃を紙一重で交わしながら、手にした短刀で次々と大鳥を無力化していった。
「シルフッ!」
 一見互角のやり取りが続いているかに見えるこの戦いだが、実際はカイラが不利だった。
 今は夜、スラヴィアンの時間帯だ。しかもカイラは鳥目の為、今まで風の流れを読んで戦っていたのだ。
 それもシエラが戦いに巻き込まれないよう計算しながら。
 アルトメリアの召喚獣も有限だが、それよりカイラが神経をすり減らせてミスを犯す方が先だろう。
 現に、既にカイラは防戦に回る事が多くなり始めていたのだ。
「むっ!?」
 だがそんな状況を理解していないカイラではない。
 その時、突然一陣の風が三人を襲った。
「……逃げられたか」
 するとどうだろう。
 先程までアルトメリアと激闘を繰り広げていた筈のカイラとシエラの姿は、風が吹き抜けた後の空にはもうなかったのだ。
 実に鮮やかな逃げっぷりだ。カイラは冷静に戦況を判断した上で、撤退の街を選んだのだ。
「さて、どうやって魔神を探そうかねぇ」
 戦いが激しくなる程、撤退の決断は難しくなる。
 それをあっさり行ったカイラの柔軟さに、アルトメリアは逃げられれば追跡は無理と判断し、残りの獣魔を体に戻した。
 空を見上げる人々の喧騒に、アルトメリアは頭を抱えるのだった。



「な、何!?」
「あれは……翼竜」
 一方、ソラリアとミィレスの方も、二人の戦いに気付いていた。
「シエラさん!? 襲われてる!」
 ソラリアは目を凝らし、暗い中、遥か遠くのシエラの姿を発見する。
 仲間の危険にもう黙っているソラリアではない。即座に自分も飛んで助けに行こうとするが、それを制したのはミィレスだった。
「今行ったら駄目」
「どうして!?」
「とにかく駄目。私を信じて」
「でも……」
 ソラリアはミィレスの言葉の意味する所が分からず困惑する。
 何故今はダメなのか?ミィレスは自分の知らない何を知っているのか?そうしている内にも戦いは激しさを増し、破壊音と街の喧騒は一層大きくこだましてくる。
「私達魔神はこの世界の敵。居ればみんなを不幸にする」
「どう言う事? 何でそんな事分かるの?」
 ミィレスの言葉を聞き、ソラリアはスワンに言われた事を思い出していた。
 『悪魔』たしかにそう呼ばれていた。マシンとは何なのか?何故悪魔などと呼ばれるのか?それをこのミィレスは知っている。
 そしてソラリアの記憶を戻す方法も。
「何故なら私達は――」
 ミィレスが何か言おうとした時、大鳥の死骸が落ちてきて、倉庫の天上を破った。
「きゃあ!」
「っ!?」
 辺りに響く大音響に驚いたのも束の間、いつの間にかカイラとアルトメリアの戦いは、二人の方に移動してきていたのだ。
 カイラとアルトメリアは戦いの被害を抑える為、意識的に人気の少ない方に移動してきたのだろう。
 だがそこには丁度二人が居た。
 このまま此処に居れば戦いに巻き込まれる事は必至だった。
「明日の夜明け、町の西の外れで待ってる」
「待ってミィレス! 待ってー!」
 ミィレスはそう見るや、スッと建物の影に消えてしまった。ソラリアも追うが、ミィレスの姿はもう遥か先。
 低空飛行で飛ぶミィレスをソラリアがまた追ったとしても、今度は追いつけまい。
「……」
 そう思いつつ、少しの望みにかけて倉庫地帯を進んだソラリアだったが、ミィレスは完全に姿を消してしまった。
「居ない……」
 ミィレスの残した言葉。「明日の夜明け、町の西の外れで待ってる」。
 ソラリアが彼女に会うには、もうこれを信じて行くしかなかった。
(私の記憶……タクトさん、私……)
 罠かも知れない。でも少しでも可能性があるなら行ってみたい。
 ソラリアは未だ揺れる心の中で、タクトの事だけを思い出した。



「遅いぞタクト! こっちだ!」
「ま、待って……ちょ、速すぎ……!」
 その頃、カイラとアルトメリアの騒ぎを聞きつけ、タクトとエルは夜の街を疾走していた。
 エルは街を進む内耳に入ってくる断片的な情報から、何と無くシエルの身に何かが起こっているような、嫌な予感がしていた。
「シエラ!」
「あ、エル」
 そして傷の癒え切らぬ身体でタクトがへばる程ダッシュを続け、ようやくシエルを見つける事が出来たのだが……
「大丈夫だったか? さっきこっちの方で騒ぎがあったようだが」
「うん、もう平気。お姉ちゃんが守ってくれたから」
「お姉ちゃん?」
 その言葉にエルは我が耳を疑った。
 話には聞いていたのだ。生き別れの姉が居ると言う事は。ただ、シエルがもう会えないかもしれないと言っていたのを、エルは間に受けていた。
 いや、そう思いたかったのだ。
 何故なら、本当の姉がいない間は、自分がシエラの姉で居られるから。
「私はカイラ=ウィンザード、シエラの姉です。妹がお世話になっています」
「あなたが……」
 だがエルは、自分がそんなショックを受けている事など悟られたくなかった。
 シエラに変に思われたくなかったからだ。
 そうしてエルが必死で感情を隠している間にも、話は続いていた。
「私はエル=カレナ。ダークエルフで、今はこの男の用心棒をやっている」
「久我タクトです。人間です。はじめまして」
 タクトはそんなエルの微妙な気持ちに全く気づかなかった。
「さっき偶然お姉ちゃんと出会ったの。それで怪しい人から守ってくれたんだよ」
「つまり先程の戦闘はあなたの……」
「獣使い(ビーストテイマー)に襲われて。理由はよく分からなかったけれど」
「……そうか」
 エルはまたしてもショックを受けた。遠目に見えた戦闘は、自分などでは到底太刀打ち出来の化け物同士の戦いだった。自分がもしあの場にいても、シエラは守れなかった、それがハッキリ分かったからだ。
 今度は感情を隠し切る事が出来なかった。
「立ち話もなんだし、みんないったん宿に戻ろうよっ。お姉ちゃんにお礼もしなきゃいけないし、ね?」
「そうだな。そうしよう」
「ありがとうシエラ。同行させてもらうわ」
 暗い顔で何も言わないエルにタクトは気付いたが、姉との再開にはしゃぐシエラは気付かなかった。



「へぇ、あなたも傭兵を」
「傭兵と言っても、町の自警団とかそう言うのだけどね」
 宿に帰ってからタクトとエルは、カイラにパンとバターとエール酒を出して歓迎した。
「お姉ちゃんすっごかったんだよー! 詠唱も無しにシルフ使ったり!」
「へぇ、そりゃ凄い。私も見てみたかったよ」
「別にそれ程の事では……」
 謙遜するカイラだったが、シエラは宿に帰ってから姉は凄いと言うばかりだ。
 それを聞いてエルは笑いながら、握った拳を震わしていた。
(ソラリアどこに行ったんだろう)
 そんな和やかなムードの中、タクトはソラリアの事を考えていた。
 元々シエラはソラリアを探しに行った筈だったが、生き別れの姉と再開し、敵に襲われ、怪獣大決戦のような戦闘に巻き込まれて、色々な事が起こりすぎてすっかり当初の目的を忘れているようだ。
 ソラリアは強い。それはタクトのみならず今や皆の知る所であった。
 だからソラリアに限って大丈夫と言う気持ちはあったが、それでも記憶喪失の女の子にも違いは無い。
 タクトがソラリアの身が心配だから探しに出たいと言おうとした時、宿の部屋のドアが開いた。
「あの、ただいま……」
「あ、ソラリン!」
 そこでようやっとシエラは自分がソラリアを探していた事を思い出したようだった。
 バツが悪そうに頭を掻くシエラとやれやれと安心して嬉しそうな顔のエル。
 そしてタクトは扉の前まで来るとソラリアの肩をポンと叩いた。
「ごめんなさい、勝手に一人になってしまって」
「無事帰ってきたから別に良いさ。気を付けてくれれば」
「はい」
 これで全員が揃い再び部屋に安心が戻ってきた、その時ーー
「……」
「どうしたのお姉ちゃん?」
 カイラがソラリアを見た途端、一瞬目を見開いて驚愕の表情を浮かべた。
「シエラ、その人は?」
「彼女はソラリア=ソーサリー。前の町で仲間になったんだ」
「ソラリアです。宜しくお願いします」
「……カイラです。宜しく」
 カイラはすぐに表情を作り直すと、ソラリアに対して至って普通に挨拶をした。
 だがその時、カイラは思い出していたのだ。忘れもしない、幼い頃魔神と出会った日の忌まわしい記憶を……
(人間の様な外見。あの頭の飾り。間違いない、こいつが……)
 それはカイラだけではない、シエラにとっても辛過ぎる過去であった。



「あ~~~ん! あぁ~~ん!!」
 幼い鳥人の子供が泣きじゃくっていた。
 場所は空中にある巨大な建造物の表面、入り口と思しき門がある所だった。
「カイラ……シエラを連れて逃げろ……」
「やだよぉ! パパも一緒じゃなきゃやだぁ!!」
「お願いカイラ……妹を連れて逃げて」
「ママァ~! あーーーーん!」
 今、子供ーーカイラの目の前には彼女の両親が横たわっている。
 その大きな両翼はズタズタに裂かれ、身体も血塗れで、最早子供の目にも、この二人が助からぬ事は明白だった。
 それでも、幼い子供にどうして親を捨てて逃げる事が出来よう。
 カイラはただただ、何も出来ず、死を待つばかりの両親を前に絶望するしかなかったのだ。
「駄目だ……もう奴らが来た……あの悪魔が」
 やがて、巨大建造物の輪郭に三人の人影が降り立った。その人影に翼は無い。翼無しでここまで飛んできたのだろうか?
 だが幼いカイラにとって今そんな事はどうでも良かった。
 ただただ奇跡が起きるのを願っていたのだ。
 貧しいながらも家族四人幸せな日々が戻ってきますようにと。
 こんな酷い夢早く覚めますようにと。
 だが現実は残酷にも、そんな現実逃避する暇は与えてはくれない。
 三人の悪魔は建造物の絶壁を重力を無視した角度で歩いてくる。
 カイラとしエラにも死が迫っていた。
「ママとパパはもう助からないわ。だからお願い、お姉ちゃんとしてシエラを連れて逃げて」
「嫌だ~~~~~! いやぁ~~~!」
「あ~~~ん! あぁ~~ん!!」
 やがて気絶から目を覚ましたシエラも、カイラと一緒になって泣き始める。
 その光景を見て思うのだ。
 二人の両親はこんな地獄に幼い我が子を巻き込んでしまった事を、己が死ぬ事より遥かに強く悔いていた。
「やっぱり言い伝え通り黒い月には触れてはいけなかったんだ。これは禁忌を犯した罰か」
「でも子供達だけは、せめて子供達だけでも……」
 カイラの両親は最後の力を振り絞って叫ぶ。
 もう悪魔はそこまで来ているのだ。子供など一溜まりもなく殺されてしまう。
 一刻の猶予も無い、一秒でも早くこの場から逃げて欲しかった。
「カイラ行くんだ! 行きなさい!」
「行ってカイラ! お願い!!」
 悪魔達が迫る。
 三人の美しき、清廉なる悪魔が今……
「ママー! パパー!」
 三人の一人が囁いた。両親の息の根が止まる、その時にーー
「ッ!?」
 カイラはそこで目を覚ました。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
 夢はいつもそこで終わる。その後、自分がどうやって助かったのか、何故殺されなかったのか、両親の遺体はどうなったのか、何も覚えていない。
(アクシズ……三姉妹……)
 ただ一つ覚えている事、それは頭に大きなバイザーを乗せた女達の一人が言った言葉。
(そうだ、私が魔神からシエラを守らなきゃ。あの、パパとママを殺した悪魔から)
 カイラは流れ落ちる汗も気に留めず、上着を引っつかんでベットから立ち上がった。
 もうあの頃の無力な自分とは違う。
 カイラは翼に力を込めた。



「本当の姉……か」
 エルは珍しく酒をあおっていた。
 昼間の事が忘れられず、飲まずにはいられなかったのだ。
(何をバカな事を……シエラは本当の妹じゃない)
 エルには妹がいた。血を分けた実の妹だ。
 歳の離れた人懐こい妹をエルは溺愛した。身体を壊していた母に代わって、愛情を注いだ。
 今はもういない。
「身勝手な代償行為だ……我ながら情けない」
 自然の厳しさ、或いは抗い様の無い運命。そんな物に妹も母も奪われ、エルは怒りや悲しみのぶつけ場所もわからぬまま、一人生きるしかなかった。
「罪滅ぼしをしているつもりで……結局、私はただ逃げているだけなのかもな……」
 声が似ていた。性格も似ていた。初めてシエラに会った時、エルは運命を感じたのだ。
 まるで妹が帰ってきたような。楽しかった時を取り戻したような。
「自分の力で守る事も出来ず、自分の力で得た訳でもなく、そしてまた……私は……」
 エルは再び自らに訪れる運命を受け入れようとしていた。抗う事なく、ただ流されるままに。



  • 元は一つであった?と思わせるようなソラリアとミィレスですね。安息は短く計画は次の段階へ進むだけでなく様々な思惑も絡み合って複雑な状況になってきました -- (名無しさん) 2015-11-23 22:38:51
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最終更新:2013年01月18日 06:23