『明日の夜明け、町の西の外れで待ってる』
ミィレスのその言葉に、ソラリアの心は揺れていた。
ミィレスの誘いは考えるまでもなく「一人で来い」と言う誘いだ。
「ミィレスさん……私と同じ魔神……」
同種族の同胞とは言え、出会ったばかりの相手を簡単に信用して良いのだろうか。
だがこれは千載一遇のチャンスかもしれない。そう思うと、ミィレスを信じたくなってくるのだ。
「黒い月と言う所に行けば……本当に私、記憶を取り戻せるのでしょうか」
ソラリアは可能性を示されたのだ。記憶を取り戻し、タクトととの大切な何かを思い出す可能性を。
ミィレスは感情を取り戻したいと言った。それが本当なら、彼女もソラリアと同じ、可能性に縋っているのでは無いのか?ソラリアはそう思った。
もし黒い月に行くのに一人では無理な理由があるなら、ミィレスが自分を誘う事の説明も付く。
ソラリアが自分に都合の良い理論展開を考えていた時、宿のドアを叩く音が聞こえた。
「はい、どなたでしょう?」
「カイラです。少し良いですか?」
「はい……?」
夜、ソラリアの部屋のドアを叩いたのはカイラだった。
カイラが会ったばかりのソラリアに一体何の用があるというのか?
カイラは理由を告げぬまま、ソラリアと共に宿を出て行った。
(ん?)
しかしその光景を目撃した者があった。一人部屋で酒を飲んでいたエルだ。
(あれはソラリアとカイラ。こんな時間に一体?)
時刻はとっくに深夜と呼べる時間帯だった。
シエラとカイラの出来すぎた出会い。そしてカイラがソラリアを見た時に見せたあの表情。エルの背筋に嫌な汗が溢れ出た。
「あの、魔神について知っている事って」
「……」
カイラがこんな深夜に初対面のソラリアを呼び出せたのは、魔神について教えると誘い出したからだった。
ソラリアは今ミィレスの誘いに乗るか否か迷っていた。
それを判断する為の情報を少しでも欲しかった矢先、カイラの申し出は渡りに船だったろう。
勿論、カイラはミィレスの誘いの事など知らない。魔神の情報をダシに使ったのは、単に事前にソラリアが記憶喪失と言う情報を得ていたからに他ならない。
だが運命の悪戯か魔神とカイラの宿命か、二つの歯車は全くの偶然に、完全に噛み合ってしまったのだ。
「魔神……黒い月に居る悪魔」
「悪……魔?」
カイラは俯いたままゆっくりと語り出す。
それはあたかも、ソラリアに向けられた呪言のように、ソラリアの心に深く深く浸透して行く。
「精霊無しで魔法を使う、この世界の住人ではない存在。神と精霊に嫌われた世界の異分子。我々の天敵」
カイラの言葉にソラリアの中で昼間の光景がフラッシュバックする。
『私達魔神はこの世界の敵。居ればみんなを不幸にする』
ソラリアの中にミィレスの言葉が蘇る。
実感のなかった大げさなセリフが、今確かな真実味を持ってソラリアの中で再生された。
「あ……あぁ……」
ソラリアは後退りペタリと尻餅をついた。
信じたくなかった言葉が今、現実の物となったのだ。
それまで平和に暮らしていたタクト達が、何故急にこれ程過酷な運命に巻き込まれてしまったのか。
ソラリアにはその理由が今こそ分かったような気がした。
『もしかしてぜんぶ、わたしとであったせい?』
天地がひっくり返りそうな衝撃に、最早ソラリアは正気を保つ事は不可能であった。
焦点の定まらぬ瞳は虚空を彷徨い、すがるべき何かを探している。
だがカイラはそんなソラリアに、追い打ちをかける一言をかけるのだった。
「そして、私とシエラの両親の仇」
「ッ!!??」
ソラリアは目を見開きカイラを見返した。
カイラも真っ直ぐにその瞳を見返す。
カイラの瞳に嘘は無い。全て偽りなき真実だからだ。
古き言い伝えにこうある。「魔神の征く所、必ず戦乱の嵐が吹き荒れると言う」
その伝承の通り、魔神は、ソラリアは、周囲に戦乱と死を振りまく存在だったのだ。
己の意思とは不関係に、それが魔神に科せられた宿命、いや、呪いであるかのように……
「あなたに直接怨みは無いけれど……シエラから離れてもらうわ。永遠に」
カイラは放心状態となったソラリアを見て、彼女がもう抵抗する力も気力も失った事を確認した。
「死んで」
そして翼腕を構え、心で風の精霊にカマイタチを願ったその時、何かが二人の間の闇を切り裂いた。
「っ!? 誰っ!?」
カイラが振り向いた先、宿の方向を見た時、そこに居たのは悲しそうな顔をしたエルその人だった。
「カイラ……」
「ダークエルフの!? くっ、着けられていたとは!」
カイラが目撃者を消すべく、起ったカマイタチをエルに向けて放とうとした時、エルの影から一番巻き込みたくなかった人物が姿を見せた。
「お姉ちゃん!」
「シ……シエラ……」
それはシエラだった。
エルはカイラがソラリアを連れだしたのを見た時、怪しいと思いシエラを連れて二人を追っていたのだ。
そして間一髪、ソラリアがやられる前に間に合った。
「どうして!? どうしてこんな事するの? 教えてよ、お姉ちゃん!」
「シエラ、私は――」
カイラがシエラに手を伸ばす。だがその翼腕が可愛い妹の肩を掴む事はなかった。
「シエラ下がれ! そいつは傭兵なんかじゃない、ファルコの手下だ!」
そう、エルがシエラを下がらせたのだ。
エルは思い出したのだ。ファルコの四元魔将はまだ一人残っていた事を。
そしてその者の名は、災厄を齎す者(テンペスター)と言った事を。
昼間見た翼竜と竜巻を起こす程の風の精霊術師との戦い。そんな使い手など、大陸にもそう居なかったからだ。
「シルフ!」
「くっ、風で矢の軌道を……!」
次に放った矢はカイラを狙って射った矢だったが、これはいともアッサリと風で防御される。
エルは唇を噛んだ。やはり正面から挑んでは実力が違いすぎるのか!?
「いかにも私はファルコ軍四元魔将が一人、風の魔将テンペスター・カイラ」
「四元魔将!?」
シエラが驚きの声を上げる。それもその筈、四元魔将とはファルコ軍で最強の称号を持つ軍団長だからだ。
その軍団長に何故、優しい自分の姉がなっているのだろうか。シエラには理解出来なかった。
「何故妹の友達に手を出そうとした! 何故妹を騙した!」
「こうするしかなかったのよ!」
エルは続け様に弓を射るが、その悉くが風に煽られて決して当たる事が無い。
エルは自分が手加減されて居ると感じ、またしても己の無力さに唇を噛んだ。
「シエラ、聞きなさい! 私達の両親はね、本当は殺されたの」
一方、カイラは防戦一方に見え、その実全く本気を出していなかった。エルと戦う事が目的ではなかったからだ。
カイラの思いはシエラを守りたい事、エルの思いもシエラを守りたい事。
何故同じ思いを持つ者同士戦わなければならないのか?
それはきっと、エルの思いがカイラよりも純粋でないから……
「遺跡探索者(ルーインエクスプローラー)だった私達の両親は黒い月に近づき、そして魔神に殺されてしまった」
「そ、そんなの……そんなの聞いてないよ! 殺されたって何!? どう言う事なの?」
エルはその話を聞き、弓を引く手を止めた。
シエラが本当の事を知りたがっている。この場にもう自分の役割は無い。
シエラに必要とされていないと思った時、エルの手から
世界樹の枝で作った弓がスルリと地面に落ちた。
「魔神は世界の敵、遥か古代の負の遺産! 絶対に倒さなければならない!」
それを見てカイラはシエラに近づいた。
この場にはもうそれを止める者はいない。カイラはシエラの両肩を掴み、未だ地面にへたり込むソラリアに向けて叫んだ。
「そしてそのソラリアと言う娘が、現代に甦った魔神なのよー!」
ソラリアとシエラの視線が交錯する。だがソラリアはシエラの目を真っ直ぐに見る事が出来ない。
それは先程のカイラとの会話によって、ソラリアの心に後ろめたさが植え付けられていたから。
「ソラリンが、私のお父さんとお母さんを殺した種族の……仲間……?」
「わ、私……私は……」
ショックを受けるシエラに何か言ってあげたい。だがソラリアには何も返す言葉が浮かばなかった。
自分の事も分からない者の言う事など、一体どうして信じる事が出来ようか。
再びグラリと視界が回り、ソラリアはその場に倒れそうになる。そこにやっと異常を察知してやって来たタクトが、倒れるソラリアの肩を支えた。
「ソラリア! 一体どうしたんだ!? 大丈夫か!?」
「タクト……さん……」
タクトはソラリアを後ろから抱きしめた。
あんなに強いソラリアが、今は力を入れたら砕けてしまいそうな程儚く、か細い。
それ程までにソラリアの心は今、ダメージを受けていたのだ。
「確かに私はファルコの手先となった。けどそれは魔神に復讐する為。そしてシエラ、あなたをファルコと魔神から守る為よ」
それでもカイラは構わず続ける。シエラの瞳を真っ直ぐ見つめて、伝えるべき真実を全て、心まで伝える為に。
「私達は空の
オルニトも地のオルニトも追われた。そのせいであなたには辛い思いをさせてしまったけれど……全てはファルコの仕組んだ事だったのよ」
ファルコの企み、魔神の恐ろしさ、全て妹に伝えて、そして共に手をとって戦う為に。妹を守り抜く為に。カイラはーー
「風神
ハピカトルに見えない”空の死角”の軌道を進む、黒い月へ行った事があるのは私達だけ。だからあの男は――」
あぁ、しかし何と言う事か。
カイラはシエラに想いを、真実を全てを伝え切る事が出来なかった。
「えっ!?」
「あぁ!」
シエラの脇を抜け地面を焦がした一筋の光。
続いて漂ってくる肉の焼けた匂い。
「お――お姉ちゃーーーん!!」
シエラに崩れかかるように倒れたカイラの胸には、ハッキリと金貨大の風穴が空いていたのだった。
「くそ!」
これにはそれまで力なく立ち尽くしていたエルも反応する。
猛禽類の目を除けば、最も目が良い部類に属するエルの目でも、暗闇の中カイラを狙撃した相手の姿は、影も形も見つける事が出来なかった。
(い、一体何をされたんだ? 光……光の精霊魔法なのか?)
「お姉ちゃん! お姉ちゃーん!」
「動かしちゃ駄目だ! 早く医者のところへ――」
突然の事に慌てふためく一同。
シエラはカイラの胸の穴から溢れ始めた、どす黒い液体を止めようと手で押さえながら泣き叫び、タクトがそれを止めようとする。
エルは周囲を警戒しながらシエラに覆いかぶさり次なる攻撃から守ろうとしている。
一瞬にして混乱の坩堝と化したその場で、ただ一人冷静なのは以外にもカイラだけであった。
「私は……もう助からないわ……」
「そんな事無いよ! きっと助かるよ! 助かってくれなきゃやだよ!」
シエラの顔を撫で、落ち着かせようとするカイラ。
その一方で考えていた事は、誰が自分を攻撃したのかと言う事。
光――それはファルコとミィレスが得意とする魔法の属性。だがこの攻撃の瞬間、精霊の息吹は全く感じられなかった。
だとすると犯人は……
(これは……ファルコの精霊魔法じゃない……そうか、結局私も両親と同じように……)
カイラは両親が死んだ日の事を思い出した。
――あの時、お母さんお父さんはこんな気持ちだったのかな――
不思議と犯人への怒りや憎しみは無い。いや無いと言うより、そんなものどうでも良くなってしまうのだ。
犯人や自分の事よりも、もっと遥かに大切な事が他にあるから。
「シエラ……逃げて……」
「嫌だー! 絶対やだーーー!!」
「シエラ……」
シエラの姿に昔の自分を思い出すカイラ。
もう自分の事は良いから早く逃げてよ。あなたさえ助かってくれるならそれで良いのに。そんな思いに反し、シエラは固くカイラを抱きしめて放さない。
そんなシエラが愛おしくて、大切で、涙が出るほど嬉しいのが悲しい。
カイラはシエラに何も言えなくなって、もうどうして良いか分からなくなって、そんな時、シエラのもう一人のお姉ちゃんがシエラをカイラから引き離した。
「何か……言い残す事は?」
「シエラを……頼みます……」
「分かった」
カイラはそれを聞いて、安心して目を閉じる。まるで、もう思い残す事は無いと言うように。
「お姉ちゃーーーん!!」
冷静になったタクトとエルの手によってカイラは医者の所へと運ばれていった。
その場に残ったのは、子供のように泣きじゃくるシエラと、呆然とただ虚空を眺め続けるソラリアだけだった。
「……」
カイラを担ぎ込んだのは、地球式医学を学んだと言う触れ込みの、怪しい街病院だった。
そこの廊下で、一同は暗い空気に包まれていた。
カイラは面会謝絶で、地球で医学を学んだと言う怪しい若い医者から手術を受けている。
ハッキリ言って生死不明の重体だ。
廊下の椅子で一言も喋らないシエラに対し、皆何と声をかけたら良いか分からずに居た。
「シエラさん、あの……」
そこで初めて口を開いたのは、以外にもソラリアだった。
もし万が一カイラが死ねば、シエラは天涯孤独となる。
その最悪の事態を考えた場合、根拠も無く下手に希望的観測を述べて励ますのは、返って悲しみを増大させる結果となる。
希望を持ちたい。だが希望が潰えた時、人はより深く絶望する。
きっと、シエラも姉に助かって貰いたい反面、心の何処かで覚悟を決めなければならないと思っているのだ。
だがその覚悟を持つ事自体、姉が助かる事を信じない事になるのではないか?
そして非科学的な考えだが、姉が助かると信じ切れなかった為に、祈りが足りずに助からないかもしれないと言う思いもあるのだ。
ソラリアは自分が魔神で、人々に不幸を撒き散らす存在だと知ってしまった。
事の責任の一端は自分にあると思っているのだ。
だからシエラを少しでも励まそうと声をかけたものの、やはり何と言っていいかわからず、こうして再び黙ってしまったのだった。
だがこの事が、シエラに珍しい怒りと言う感情を呼び起こす結果となってしまった。
「……何で何も言わないの?」
「えっ」
シエラが椅子からゆらりと立ち上がった。
そしてそのままゆっくりとソラリアの前まで来ると、翼腕をだらりと垂らしたまま虚ろな瞳で話し出したのだ。
「あの時、精霊力を感じなかった……前にソラリンが魔法を使った時と同じだったよ」
「っ!?」
感情の籠らない声でそう言うシエラ。
いつもの明るく元気な声からは想像もつかない、ゾッとする程冷たく静かな声に、ソラリアは身動き一つ取る事が出来なかった。
(まさかミィレスさん? そんな、どうしてなの?)
幽鬼の如くソラリアの前に立つシエラを見て、エルは嫌な予感しかしなかった。
これから最悪の事態になる。戦闘種族であるダークエルフの感がそう告げて居た。
(やっぱりカイラは魔神に……ソラリア以外にも魔神がこの街に来て居たのか)
魔神には気配が無い。気配を消して居るとか気配が薄いとかではなく、初めからそんな物魔神は持ち合わせないのだ。
あの時、エルの視界の外からミィレスはカイラを正確に撃ち抜いた。
それはカイラが潜在的にマスターであるファルコの敵であった為か?いや、或いはもしかしたら、カイラと戦闘になりそうだったソラリアを守る為に……
エルはもう一人の魔神よ目的が分からず考え込もうとしたが、それを止めたのだ突然の怒声だった。
「お姉ちゃんはソラリンと同じ魔神にやられたんだよ! 私の両親だって!!」
「私は……私はその……」
その大声はシエラの声だった。
誰も見た事が無いシエラの怒り。もうこの先何が起こるのか、一番付き合いの長いエルにも分からない。
ただ一つ言える事は、今のシエラは何をするか分からないと言う事。
「ソラリンも魔神なんでしょ!? 何とか言ってよ! 何か言ってよぉ!!」
「もうよせシエラ!」
エルはシエラを後ろから羽交い締めにした。今やシエラの顔はソラリアに噛みつかんばかりに近づいていた。
エルがあと一瞬、動くのが遅ければシエラはソラリアに掴みかかっていたろう。
シエラの怒気はそれ程の物だった。
「お前が悲しいのはみんな分かってる! でも、これ以上は……ただの八つ当たりだ」
「う……」
そう、エルの言う通りだった。
シエラのソラリアへの怒りは完全な八つ当たり。そんな事誰もが、シエラだって分かって居た事だったのに……
「うわぁぁぁぁぁん! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
シエラはエルに抱きついて泣いた。
エルはシエラの頭を撫でながら、もう何も言わなかった。
エルがシエラを守り始めたのは、彼女のセンチメンタルだった。
そのセンチメンタルはシエラの実の姉が現れた事で崩れ去った。
今は違う。これからは、エルはシエラを大切な仲間として守るのだ。大事な友達だから守るのだ。
エルの中で何かが変わり始めた。
「ソラリア、行こう」
「タクトさん、私……」
どうして良いのか分からず、ただ下を向いていたソラリアを助けたのは、やはりタクトだった。
「今はそっとしておこう。時が経てば……シエラも分かってくれるさ」
「はい……」
ソラリアはタクトの優しさに素直に甘えた。
しがみ付いた腕は思っていたよりもずっと太くて硬く、それだけでソラリアは不安を忘れる事が出来るようだった。
「わあぁぁぁぁぁぁぁ……」
廊下に響くシエラの泣き声は、深夜まで続いた。
『あの時、精霊力を感じなかった……前にソラリンが魔法を使った時と同じだったよ』
宿に戻ったソラリアはベッドで今日起った事を思い返していた。
カイラ、シエラ、二人の姉妹を襲った悲劇は今も続いている。
(カイラさんを攻撃したのはミィレス……あなたなの?)
そしてその悲劇をもたらしたのは、ソラリアと同じ魔神のミィレスだ。
ミィレスは何故そんな事をしたのだろうか?誰かに命令された?一体誰に。
そう考えてまず頭に浮かんだのはファルコと言うオルニトの神官だった。
だがその考えは矛盾している事にソラリアはすぐ気付く。
ファルコ軍の精鋭である四元魔将のカイラを、何故ファルコが殺そうとするのか。
『私達魔神はこの世界の敵。居ればみんなを不幸にする』
再び頭の中でミィレスの言葉がリフレインする。
あの時カイラはソラリアを殺そうとしていた。もしミィレスがカイラを攻撃した理由が、ソラリアをカイラから守るためだったら?
(だとしたら、カイラさんがあぁなった原因の一つは、紛れもなく……)
ソラリアは思う。自分が目覚めてからの戦いの連続を。
きっとこんな事普通じゃないんだ、と。
「世界の……敵」
スワンもミィレスもカイラも魔神の事をそう言っていた。魔神とは一体何なのか?
何故こんなに憎まれ、そして戦いを呼んでしまうのか。
考えても考えても答えは見えてこない。ただ一つ確かな事、それはソラリアが紛れもなく魔神であると言う事。
「シエラさんごめんなさい……カイラさん……エルさん……タクトさん」
その答えを見つけるには一つしか方法はない。だがそれは今まで共に戦って来た仲間への裏切りになる。
「みんな、ごめんなさい……」
それでもソラリアは答えを求めずにいられない。
自分が何なのか分からなければ、これ以上一歩も進めない気がするから。
(こんなに悲しいのに、シエラさんのように涙が出ない)
ソラリアは自分の選択が自分勝手な選択だと分かっていた。罪悪感も孤独感もあった。
それでも、ソラリア黒い瞳からは、一滴の涙も流れ落ちないのだ。
「私は……悪魔なんだ……」
ソラリアは、そのまま静かに目を閉じた……
「シエラ落ち着いたか?」
「うん……」
翌日の朝、シエラが落ち着きを取り戻したのは、カイラの手術が成功したとの報せを受けてからの事だった。
それまでエルはずっと、付きっ切りでシエラを落ち着かせようと頑張っていた。
シエラにとって今が一番辛い筈だ。誰かが支えてあげなければならない。それが今出切るのは自分しかいないとエルは思った。
「私、ソラリンに酷い事言っちゃった……」
一方、平静を取り戻したシエラは、自分が仲間に言ってしまった事を後悔していた。
「ソラリン、許してくれるかなぁ」
あの状況で、ソラリアがシエラに何か言える筈がない。
にも関わらず、ソラリアは何とかシエラを励まそうと思ってくれていたのに、その思いを完全に踏みにじる行為をしてしまったのだ。
こんな事をしたら嫌われて当然だとシエラは俯いた。
「きっと分かってくれるよ」
「エル」
そんなシエラをエルがまた励ます。ソラリアは心の優しい娘だ。それが分かっていたから、エルは二人は仲直りできる筈だと信じていたのだ。
だが事態は、エルが想像していたよりも遥かに悪い方向に進み始めていた。
「あれ? 居ない」
朝方宿に戻ったエルとシエラは、ソラリアに謝ろうと真っ先に泊まっている部屋に向かった。
しかしノックをしても反応がない。仕方なくドアを開けてみると、そこにソラリアの姿はなかった。
「もう起きてたのかな?」
「……そのようだ」
シエラがキョロキョロと部屋を見回す中、エルの目はもぬけの殻となったクローゼットを見ていた。
「そんな……ソラリン、私のせいで……私があんな事言ったから」
ソラリアはどこを探しても居なかった。
宿にも、宿の近くにも、三人で街中探し回ったが全く姿が見えない。
昨夜の事を考えれば、それは誰の目にも「出て行った」としか思えなかった。
「シエラは悪くない。誰も悪くない。悪いのは――」
再び宿に戻って結果を報告しあい、芳しくない結果に責任と罪悪感を感じて泣くシエラ。
それをエルが慰め、タクトがソラリアの行きそうな所はまだ無いかと必死で考えていると、窓の外から誰かが話しかけてきた。
「あ~まんまとしてやられちゃったね」
三人が一斉に声のした方を振り向く。
そこにはこれから葬式に出るのかと思うほど、全身黒尽くめで顔も見えない喪服の女性が立って、こちらを見ていたのだった。
「朝からデバガメみたいな真似して申し訳ない。私は元老院の聖騎士アルトメリア」
「聖騎士だと!?」
「嘘、本物? 本物の聖騎士!?」
素早く弓を構え臨戦態勢を取るエル。一方、噂でだけ聞いた事がある都市伝説めいた存在に、妙に浮き足立つタクト。
そんなタクトを殴って静かにし、エルはシエラを庇うように立ちアルトメリアに向き直った。
「で、
スラヴィアの戦闘貴族にも匹敵すると言われる聖騎士様が、私らに一体何の用だい?」
「魔神を退治しに来た」
と、アルトメリアは事も無げに話した。
しかし実際ソラリアの戦いを間近で見た事のあるエルは、昨日の怪獣大戦争めいた戦いを見ても、聖騎士が魔神をすんなり倒せるとは思えなかったのだ。
いや、今はそんな事が重要なのではない。この聖騎士が、何を目的に昨日からちょっかいを出して来ているのかと言う事が大切なのだ。
その目的、何を知り、何をしたいのか。それを聞き出す必要がある。
エルは駄目元で顔の見えないアルトメリアに話を聞いてみる事にした。
「魔神の――ソラリアの事を知っているのか?」
「多少はね」
案外簡単に、エルの呼びかけにアルトメリアは答えた。
まるで待っていたかのような気軽さだ。これがこの聖騎士の性格なのだろうか?
とにかく、アルトメリアは聞かれてもいないのに、エル達に情報を与え始めた。
「かつて魔神は聖剣を持つ聖騎士によって倒された。だが今はその聖剣も殆ど残っていないからね」
かつて魔神を倒す為、神が人に与えた兵器――それが聖なる剣『聖剣』だった。
そして現代に残る数少ない聖剣の所持者の一人が、アルトメリアが所属する
聖騎士団の団長、スパイク=エンフィールドだった。
だがその彼とて、魔神と戦った事がある訳ではない。遥か古代から甦った魔神と、現代でも戦える者がいるのか?
それは正直な所、やってみなければ誰にも分からない。
ただ、これまでのソラリアの戦績、そして発掘されて即ファルコの右腕となったミィレスの実力から考えて、人の身で太刀打ちできる者は殆ど居ないだろう。
「だから代わりに腕の立つ者達が聖騎士の役割をやっているって訳さ」
「ソラリンを殺すの?」
シエラは核心を突く質問をする。
そう、タクト達にとって重要なのはそこだ。ソラリアはタクト達の仲間だ。その仲間を殺すと言うのであれば、アルトメリアはタクト達の敵と言う事になる。
聖騎士と戦って勝てる見込みは殆どないが、それでも我が身可愛さに仲間を見捨てるような薄情者は、ここには一人もいない。
三人に緊張が走る。次のアルトメリアの返答いかんで、聖騎士と戦うか否かが決定されるのだ。
「そのつもりだったが……どうやら、ソラリアと言うその魔神は悪い奴じゃなさそうだね」
アルトメリアはそう言うと、表情が読めない三人に気遣ってかオーバーなジェスチャーでやれやれとやって見せた。
一安心した三人だが、アルトメリアの話はまだ終わらない。
「だがファルコとその右腕、魔神ミィレス……そして黒い月は許さない」
アルトメリアはやれやれのジェスチャーを止めて、片手の拳を握り締める動作をした。
聖騎士にしてもファルコは、そして魔神はそれ程忌むべき相手と言う事らしい。
ここに来てだんだんと、朧気ながらエルとタクトにはアルトメリアの目的が見え始めた気がした。
そこでタクトは更に突っ込んでみる事にした。
ソラリアと出会い、四元魔将と戦い、度々登場する『黒い月』と言う単語。
それが一体何なのか?タクト達はまるで知らないままだったからだ。
「カイラも言っていたがその黒い月ってのは一体何なんだ? それが重要なものなのか?」
「行けば分かるよ」
「何?」
アルトメリアはそう言うと、顔を覆っていた黒いレースをめくって見せた。
「その為に私はここに来た」
レースの下から出てきた顔は、まだ歳若い女の顔。それも地球人女性の顔だった。
日光が顔に当たり、アルトメリアは顔に火傷を負い始める。太陽光に弱い、それはスラヴィアン独特の特徴だった。
もともと与えられた神力が少なく、スラヴィアンとして最低ランクの力だった為、こうして太陽光への拒絶反応も比較的弱くて済んでいるのだ。
これがもし強力な神力を持った古い貴族だったなら、一瞬で石のように固まり、ものの数分で風化して自然に還る事だろう。
「シエラ=ウィンザード。黒い月へ至る道を教えてほしい」
「なっ――」
だがそんなアルトメリアとて太陽光に長く当たっていられる訳ではない。
シエラを見詰めるアルトメリアの顔は、その僅か数秒間で火傷を負い、女の顔がどんどん傷付いていった。
その光景を前にしてシエラは戸惑った。何故なら黒い月の事など、小さい時の事すぎてほとんど覚えていないからだ。
この聖騎士が自らの弱点を曝け出してまで、願い乞うような情報をシエラは持ち合わせていないのだ。
「アルトメリア=リゾルバの名において命ず。出でよワイバーン!!」
シエラがそうこう考えて居る内に、アルトメリアが昨日カイラと激戦を繰り広げた時に使役した翼竜を召喚した。
この翼竜に乗って飛んで行こうと言う事か。
「ソラリアも、もう一人の魔神とファルコと共にそこにいる筈だ。再び神魔戦争を起こさない為に……頼む」
辺りは早朝だと言うのに、昨夜に続き現れた翼竜に驚いた住民達が集まりざわめき始めている。
アルトメリアはそのざわめきの中、翼竜の上でシエラを誘うように手を伸ばしている。
「シエラ……」
「……」
ソラリアがどこに行ったかわからない。だがもし本当にソラリアが、ファルコやもう一人の魔神に連れられて行ったのだとしたら?
その可能性は高いとエルとシエラは直感した。
このアルトメリアと行く事が、ソラリアを探す一番の近道かもしれないと。
『行こう! 黒い月へ!!』
シエラとエルの声が重なった。
「ミィレス……本当に黒い月まで行けば、私もあなたも失った物を取り戻す事が出来るの?」
「行ければ取り戻せる。絶対に」
ソラリアとミィレスは街の外に出た広野を飛んでいた。
目指すはファルコ軍の野営地、ファルコの下である。
「ミィレス……あなたも……」
ソラリアはミィレスの表情を窺った。しかしミィレスは相変わらず無表情のまま前を向いて飛行するばかりである。
ミィレスは心を失っていると言った。心を取り戻したいと。
心が無ければ悲しみや苦しみや罪悪感に苦しめられる事も無いのだろう。
しかしそれは同時に喜びや楽しみや感動もないと言う事になる。
何も感じない、それは死んでいる事と何が違うと言うのだろうか。
ソラリアはミィレスを可哀想だと思った。
「よく来てくれた、もう一体の魔神よ」
そしてとうとう着いたファルコ軍陣営で、ソラリアはファルコに出会った。
立派な体格に手入れの行き届いた翼。服は一目で良い物を着ていると分かる物で、首や足首や体の至る所に金銀宝石の飾りが輝いている。
これこそ、今までこの男がどれ程の村を襲い、奪ってきたかを証明する姿に他ならない。
ソラリアは目覚めてからの短い生の経験の中で、初めて嫌悪感と言う物を感じた。
「私はオルニトの神官ファルコ。私が君達を黒い月へ招待しよう」
「イエス、マイマスター」
「お願い……します」
ソラリアはその嫌悪感を抑えてファルコと握手を交わした。
この場で感情のまま握手を拒めば、ソラリアを連れて来たミィレスの立場を悪くする。
それに何より、ソラリアはみんなの事を裏切ってここまで来たのだ。今更立ち止まるわけにはいかなかったのだ。
「ふふふ……コマは全て揃った。後は行くだけだ」
ファルコが今までの失敗の繰り返しを思い出す。
カイラから聞き出した黒い月の軌跡から辿り着いた『門』には二つの鍵穴があった。
一つはミィレスの持つ鍵の剣で開く。だが鍵の剣はもう一本必要なのだ。
二本の鍵の剣を同時に回さなければ門は開かない構造らしく、また、鍵の剣の複製は
ドワーフ達の技術力を持ってしても不可能だった。
開門に失敗し、現れた門番三人に部隊を壊滅させられる事数回、ファルコが半ば諦めていた時、ソラリアの噂が耳に入った。
(私が魔神達の王となりオルニトを、いや、世界を手に入れる日も近い)
学者達の見解によれば、黒い月には魔神達が眠っていると言う。そして目覚める時を待っている。そこに最初に到達して、ミィレス同様自分がマスターだと言ってしまえば……
「ふふふ……はーーーっはっはっはっはっ....」
ファルコは込み上げる気持ちを堪える事なく、高らかに勝利の笑い声をあげた。
異世界の空を漂う黒い球体型の建造物。その軌道はカオス理論によって算出した空の死角を縫って航行するように設計されている。
嵐神の力で浮遊している浮遊大陸オルニトとは違う原理で飛行するこの物体は、悠久の時をこうして過ごしてきたのだ。
「そうですか。ここに向かってくる者がいると」
その巨大球状物体の中、色取り取りで大きさも様々な灯りが灯る暗い部屋の中で、一人の女の声が響いた。
「本当ですか? もしそうなら我々が待ち望んだ時がついに……」
微かな灯りに照らし出される一人の女。その視線の先には光る窓のような四角い灯りがあり、その中で別の女が何かを話している。
「あの悲劇の日から幾星霜……早く、早く来て下さい。我らが主様……早く……早く……」
明るい窓が消え、部屋にはまた元の静寂が戻った。
まるで時が止まったかのような闇と静寂が支配する場所で、女は男の到着が待ちきれないように、その手を下腹部に伸ばすのだった。
- 独自色の強いシリーズだけど迷わず走り抜けるのは清々しい。このシリーズが世界観に合っているか?というよりもどうやればしっくり世界観に馴染むかを考えてしまうくらいの気持ちよさがあった -- (名無しさん) 2013-01-18 17:27:24
- 物語として最後はどういうゴールをきりたいのか一区切り終わって気になったんやな -- (名無しさん) 2013-01-18 21:52:45
- 最初は違和感があったがここまで通しで読むと作者の気合みたいなものを感じて清々しい -- (名無しさん) 2013-02-08 00:32:29
- 本来いるはずのない自分への懐疑と他者の運命を狂わせるという思いは今のソラリアには厳しい仕打ちでしょうね。状況も悪化し周囲の人が傷ついていくというのも読んでいて辛さが重いですね。ファルコの目論見と魔神の心が剥離していっているようにも感じましたがやはり結末は黒い月でとなるのでしょうか -- (名無しさん) 2015-12-20 19:41:07
最終更新:2013年07月07日 00:38