その子は赤い。
冬は赤いスタンドカラーコートで小さな顎と口元を隠し、夏は透けるような薄い絹のシャツと短いフレアスカートで小さな体を少しだけ隠す。
その子は黒い。
艶やかに流れる髪は少女の背を覆い隠し、強さと弱さを見せる眉を隠す。
その子は白い。
白い顔。赤い袖口から伸びる華奢な手。裾から零れる足の白い肌が、赤いブーツの中へと流れ込む。
その子は小さい。
大人の視界に入りにくい。そして子供の前には現れない。
その子は幼い。
少女が手を伸ばしても、誰の背にも届かない。その足で歩むとも誰の元にも辿り着けない。
その子は何処にでもいる。
何処へも辿り着けないからこそ、何処にでも最初からいる。
そして、そこで誰かの背を押す。
届かない手で、そっと優しく。
「お前のかーちゃん、
スラヴィアにいるんじゃねーの?」
これは魔法の言葉だ。
そして呪いの言葉だった。
小学生の時、男子生徒が何気なく言った言葉が、未だにロロア タンの耳に残る。
ロロアの母は、彼女が幼い時に死んだ。
一言で済ませられるほど、ロロアには記憶にない。それほど幼い時だった。
ロロアは今、南極で入管審査官を努めている。
暖かい入管審査棟。凍てつく風が叩きつけられる窓。たとえ夏とはいえ、外の乾いた風は人間には冷たい。
窓の外に見えるスラヴィアへと続く
ゲート。その向こうには、母がいるかもしれない。
いつかあのゲートを越え、私を訪ねに着てくれるかもしれない。
そんな思いで、四年もこうして入管審査の雑務を続けている。
「死者が必ずスラヴィアに行くわけじゃない。そもそもそんな話しは聞いたことはないし、君の母はしっかりと洗礼を受けたキリスト教徒だ。どこにも彷徨わず、神の身元で暮らしている」
大学時代、ロロアが入国審査官になることを、その時の恋人は引きとめようとした。
当然だろう。
恋人としても、キリスト教徒としても。
しかし、華僑の血が流れるロロアにとって、それは絶対的な言葉ではない。
アジアにおいて、死者とは還ってくるものだ。
だから、待つ。せめて任期が終える四年間は。
「待つ? アジアでは迎え、奉り、そして還すのではないか?」
日中、いつも寂しい入国審査棟に、小さな少女の声が響いた。
外からの防音と防寒に配慮した室内は、声がとてもよく響く。
少女は赤かった。とても赤かった。
白い入管管理棟と、窓の外に見える白い白い南極。その寒々しさに、一つの温かい火が燈ったようだった。
「ここまできたから迎えにきたと? 地の果てまで迎えに来たと? ゲートはそこだぞ。 そこに答えがあるのだぞ」
ロロアは答えない。
いつもそうだった。母が何処にいる。何処へいった。そんな話しは決して自らしない。
言えば、それが答えになるかもしれないからだ。
「安心しろ。スラヴィアにいないのならば……。きっと、お前の思うところにいる。皆が思うところにいる」
「天国?」
ロロアは言葉にした。禁忌にしていた言葉を。
「ゲートでいけぬところならば諦めもつくだろう。いや、違う。本来、誰もが諦めるものだ。なまじこのゲートがあるからこそ、お前は母を求める」
赤い少女は室内にも関わらず、赤い傘を開いてその身をロロアから隠した。
「この傘を持っていけ。そしてこの後くる三人の死霊とともに行け。私の知り合いだ、良くしてくれる」
少女は開いた傘を床に置く。
「母に会えることを祈ろう」
ロロアが傘を取りに近づくと、少女はすでに姿を消していた。
傘を拾い上げたころ、管理棟入り口を三つの影が潜った。
ロロアは祈り、三人の死霊と共に旅立つことを決意する。
赤い少女の祝福には悪いが、スラヴィアに母をいない事を願いつつ。
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- 宗教観と異世界を上手く混ぜ合わせていると思った。 スラヴィアはあの世でも何でもなく生ける屍の国 -- (名無しさん) 2012-10-30 18:31:17
- 死んだ人はスラヴィアにいるというのは異世界ならではの上手い言い回しだと思いました。ではスラヴィアは異世界の人にとってのあの世か何かでそこにいる人は亡者なのかな?と思いましたがあの世という概念がスラヴィアのある異世界にはないのかも?とも思いました -- (ROM) 2013-03-01 22:04:59
- 不思議な読後感。このころの赤い少女は超越者的な存在感があるな -- (名無しさん) 2013-03-09 19:15:17
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最終更新:2011年10月17日 12:32