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【流氷ロック異聞】

 ドニー・ドニーの東。ホルンフィフィス港に寒波が戻ってきた。
 白い流氷が揉み合いをやめ、灰色の空の下で静かに港を覆いつくしてしまった。
 シテの船団は運悪く、流氷が溶け出した頃に到着して荷降ろしの最中、戻ってきた寒波によって足止めをされてしまった。
 こうした天候不順は、船団の会計士を悩ませる。シテとて困ってはいるが、実務を調整する会計士の苦労と比べたら微々たる負担しかない。
 なのでせめてもの負担とばかりに、シテはポケットマネーで会計士や家へ帰るのが遅くなった船員たちに振舞い酒を配った。
 今は寒々しいが、夏には木洩れ日を道に落とす木立を抜けた先に、ホルンフィフィスでもっとも大きな酒場「オンブラ・マイ・フ」がある。
 ここでは今となっては珍しい、モルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドしウッディとバニラが香るパーニッカ・スーとして飲めると船員たちには評判である。
 シテはあまりブレンデッドウイスキーを好まないが、不満を溜める船員たちを喜ばすためには多少の趣味趣向を引っ込める。
 しかし船長の思いをよそに、オークの甲板部員クラントオルクと、ゴブリンの事務長ルトフワスが口論を始めた。
 普段は役職が違えど仲が良いのに、お互い腕に自信があるせいで衝突することもままある。
 見かけに反して気弱なトロールの店主セルセなど、カウンターの向こうでオロオロし始めている。なまじガタイがデカイせいで、その仕草が滑稽に目立つ。
 シテは無理に口論を止めはしない。聞く限り、寝れば忘れるような下らない理由から始まった口論だ。歳若いシテは、そう思って手を打たない。
 これは彼女の過ちであった。

 どちらともなくクラントオルクとルトフワスが立ち上がり、お互いの胸倉を掴んで殴りあおうとした。
 ここに至り慌ててシテは止めようとするが、席が離れていて声も届くか分からない。
 クラントオルクの手が近くの酒瓶に伸びたその時!

ジャワンッ!


 と、ギターの掻き鳴らす音が酒場に響いた。
 突然の音に驚いたクラントオルクは酒瓶に手を伸ばしたまま硬直し、ルトフワスは周囲に頭をめぐらせた。
 酒場の片隅には、酔いつぶれていた旅人。
 彼の手に、ギターがあった。
 以前、シテが出合った黒い男ではない。
 白く脱色して荒れた髪、痩せ型だが異様な手足の長さ。オーガやトロルから比べれば小柄だが、それでもゴブリンを遥かに越える長身。
 眼光は鋭く、無精ひげも生えていない異世界の若者だ。
 しばし、その若者にクラントオルクとルトフワスは気を取られたが、再びお互いの胸倉を掴もうと構えた。

ジャン!

 再び、そこで若者がギターを一掻き!

 クラントオルクとルトフワスの胸倉を掴もうとする手が宙で止まり、お互い顔見合わせながら視線を異世界の若者へと向ける。
「おい、にーちゃん! なんか文句あるのか?」
「なんのつもりだ! その騒音は」
 クラントオルクとルトフワスは、肩を並べて異世界の若者に難癖を付け始めた。
 シテは事態の成り行き次第で、二人を叩きのめさなくてはならないと辟易した。
 また船員の不満が溜まると……。

「よかった……」
 異世界の若者の口から出た言葉は、不可解だった。
 酒場にいた誰もが、首を捻る。
「ケンカかと思ったけど、二人で俺に文句いいにくるなんて、本当は仲がいいんだな。すまなかった、邪魔をした」
 素直に謝りながら、二人がムズ痒くなるようなセリフをいうと、若者は深く頭を下げた。
 ミズハミシマや日本とかいう異世界の国で行われる仕草だ。
「ち、なんか興が冷めたぜ」
「てか、俺ら何してたんだっけ?」
「酒呑んでたんだよ、さ、け」
「ああ、そうだった」
 毒気がすっかり抜けたクラントオルクとルトフワスは、寝たら忘れるような口論のネタを数分ですっかり忘れ、いつものように酒を酌み交わし始めた。
 シテは感謝の意を込め、異世界の若者に酒を奢る事にした。

 彼は沢村 太助と名乗った。

「実は、またスランプなんだよねぇ……俺。ああ、スランプってのは、得意な事が何故か上手くいかなくなっちゃう時の事。わかる?」
 沢村という異世界の若者は、険のある外見と違い陽気でおしゃべりだった。
「大地も俺の歌を聴いてくれるようになった。たまに演奏に参加してくれるし。海とか風はいつも一緒に歌ってくれるけどさ……。ダメなんだよ、あいつだけは」
 シテには彼が何を言ってるかいまいち理解できない。
 仕方ないので、あまり好きじゃないパーニッカ・スーをちびちびやりながら、聞き役に徹することにした。
「あいつは固いわー。ていうか、冷たい? なんていうのクール? どうやっても音を聞いてくれないし、俺に音を返してもくれないんだわぁ」
 あいつとは誰なのだろうか? ドニー・ドニーでそこまで音楽を嫌う者がいただろうか?
「それは、誰のことであろう?」
 シテの問い掛けに、沢村は海を指した。
「流氷」
 驚いた。
 この男は、大地や風などと言っていたが、本気で流氷などの自然に歌を聴かせるつもりらしい。
 傲慢で酔狂な男だと興味を失ったシテは、「がんばれよ」と適当な言葉をかけて彼と別れた。

 二日後。
 人影まばらな埠頭に、沢村の姿があった。
 流氷がギュキューと鳴く音だけが響き、沢村はギターも掻き鳴らさず立ち尽くしていた。
「何か見えようか?」
 シテは気まぐれで、沢村の背に声をかけた。
 振り返った彼は泣いていた。
「ど、どのようなことがありました?」
 つい駆け寄り、シテは沢村に懐紙を差し出した。
 しかし、それを受け取らず、沢村は凍てつく海に振り返り……
「氷が泣いてやがる。溶けて消えてしまう事を嘆いてる」
 などといい始めた。
「いや、あれは流氷鳴きであろう……」
「胸が痛い。あいつら、自分達が死んでしまうと勘違いしてやがる」
 沢村は背負っていたギターを構え、優しい旋律を奏で始めた。

 下降旋律と上昇旋律が、伸びやかに明るく行きかうメロディ。
 沢村の太い喉のどこから、こんなソプラノが出るのか。

            美しく嘆く氷たちよ
    海の上でお前たちほど 愛しく静かに春を待つものはいない
            美しく嘆く氷たちよ
    海の下をお前たちほど 愛しく静かに守りぬくものはいない

    海はもう目覚める 海はお前たちが帰ってくるのを待っている
     明日から海がお前たちを愛し 海がお前たちを守るだろう

       もう眠るんだ お前たちは消えるんじゃない
      お前たちは海に帰るんだ 海はお前たちの家だ……

 シテは、海を愛する者たちを見てきた。風を愛する者も見たことがある。
 落雷を喜ぶ農夫も見たし、土砂降りを待ちわびるサバンナの人々も見た。
 だが、極寒の地で氷に愛を歌った者がいただろうか。
 シテの心が熱くなる。
 この沢村という男は、まず先に世界の歌を聴くのだ。
 聴いたからには歌い返す。
 これが沢村なのだ。

 翌日、曇天は南の空へと消え去った。
 流氷は消えはじめ、僅かだが海の顔覗かせ始めた。
 シテは船長室で、夢でも見ているのかと自分を疑い、扇子で敏感な角を叩いた。
「痛い……。これは、現実だと申すか?」
 先の見えなかった寒波が、たった一晩で消えうせた。
 あの沢村の歌の……せい?
 シテは身震いを覚える。

 航海士のショックハンマーが、珍しく晴れやかな笑顔で船長室へ報告にきた。
「ワシムが帰りやした。どうやら、この港から流氷が溶け出したようですぜ」
 見張りに雇っている鳥人のワシムによると、まるでここだけ春のような姿らしい。
「この分なら、明後日にも出航できますぜ。野郎どもに出航の準備をさせときます」
「……頼みもうしたぞ。……あ、待つがよい」
 船長室を去ろうとするショックハンマーを呼び止めた。
「オンブラ・マイ・フにいた、あの異世界の若者がどうしたか知らぬか?」
 ショックハンマーはなぜそんなことを聞くのかと、問いただそうとしたがやめた。
 知っている事を正直に答える。
「ルトフワスが、宿を出て内陸に行く姿を見たそうですぜ」
「そうか……。では、よい」
「へい」
 扇子で赤い顔隠すシテを見なかったことにして、ショックハンマーは身を竦めて船長室を後にした。

「剣呑! 剣呑ぞ! わらわの顔と胸が変ぞ~」
 船長は職務を忘れて、ベッドの上を転がった。
 ドニー・ドニーと、どっかの鬼娘に春が来た。



追記

 沢村爆発です
 多分、ボンバー系です
 でも、「聴けー!」だけではありません。「まず聴こう」のスタンスです

 今回もいろいろ小ネタ入れてます
 作中、沢村が歌った歌は、「オンブラ・マイ・フ」の替え歌って設定です。
http://www.youtube.com/watch?v=MugXdU-h6UU&feature=related
 ギターじゃないけど、これをBGMにして沢村の歌の歌詞を読んでください。
 ボーイソプラノの方でもいいんだけど、そんなの沢村が歌ったら化け物です

 いや、ただのロッカーがテノールだせたら十分、化け物だが

 旧スーパーニッカうめぇ


  • 面白い組み合わせの二人の邂逅でした。どんどん異世界というか大自然の歌手に成長(?)していく沢村の目指す次のステージに期待します -- (名無しさん) 2013-03-14 18:20:13
  • ドニーはいつも寒くて氷が見えるくらいなんだろうか。豪放磊落で大雑把そうな海賊だけど歌にはこだわりがありそう -- (名無しさん) 2014-11-26 18:20:32
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最終更新:2011年12月01日 20:31