迷った。
もう少し早く気が付いているべきだった。今自分がどこにいるのかも、どこに行けばいいのかも分からないままうろうろしてしまうのはバカのすることだ。観光なんだから気ままなぐらいでちょうどいいなんて言っていた自分を殴りたいと、私はあたりの町並みを眺めながら思った。ボロ家が立ち並ぶこのあたりには迷い込んで途方にくれろと言わんばかりの雰囲気が立ち込めていて、
ゲート周りのにぎやかな通りと同じ街だなんてとても信じられなかった。
殴りたいといえば、そもそもここに来ることを決めた自分の事を殴るのが先だと、私はぼんやり考えた。
異世界につながるゲートの行く先はいつも決まっている。一つのゲートから一つのゲートへ。日本にあるゲートなら、行ける先は
ミズハミシマと決まっている。他の国に行きたければ、地球側で海外旅行でもするか、異世界でえっちらおっちら移動するかしかない。予算的にも、時間的にも、私には難しい話だった。
だけど、ゲートは時々制限を緩める。年に一度だけ、一つのゲートからどこの国にでもいけるときがやってくる。お祭りのための特別な措置があると、何かの拍子に聞いたのがきっかけになった。その日を楽しみに旅費を貯めた。一人で旅行するのなんてめったにない体験で、準備しているだけで大いに気持ちが盛り上がった。ああでもないこうでもないと計画を立てて、結局日帰りの旅行という線に落ち着いた。
そうやって満を持して門をくぐり、この大延国にたどり着いて、私は今、迷っている。
自分がどうしようもないバカに思われてきて、私は手に持った饅頭をぼんやりと眺めた。
思えば、この饅頭からしてケチのつけ初めだった。
金色に燃えあがるゲートをくぐってから最初に目に入った屋台で、私はこの饅頭を買った。豚の頭を持ったチョウというおじさんは、私に饅頭を売りつけながら揉み手をしていた。数メートルも行かないうちに、周りの人からチョウの屋台で饅頭を買うのはバカのすることだと教えられた。なんでも、何の肉を使ってるか分からない肉饅頭で、見た目こそまともだがお味の方は湿った紙と腐った皮のあいのこ、営業停止にならないのが不思議なぐらいなんだとか。
同情してくれる延の人たちを前にして、私はとんでもなく恥ずかしくなった。慰めてくれる人たちを振り切り、かといって饅頭を投げ捨てるのもためらわれて、気分を切り替えて観光気分を味わいなおそうとした。
その挙句に、私は迷っている。観光気分で浮かれた自分のバカさ加減に水をかけられたような気がして、ちょっとした事がすごくショックな事のように思えて仕方がない。いやな気分が、ますますいやな気分を呼んでくる。見えない影に馬鹿にされたような気がして、私は思わず壁によりかかった。ひどく疲れてしまっていた。
そうやってしばらく路地の壁によりかかっているうちに、何かが足元に現れていた。
びっくりして顔を上げると、そこには見た事もない生き物がいた。羊みたいに白くてもこもこしていて、子牛みたいに大きくて、犬みたいな顔つきをした犬がいた。後ずさる私に、大きな白い犬はぱあああと顔を輝かせた。幸せで幸せで仕方がないという顔つきに、私は思わず気をそがれた。
すると、今度は雲みたいな犬の背中から、小さい顔が飛び出してきた。
狐のような顔をしていた。大きな眼をまん丸にして、私の事を見返している。見るからに子供だった。小学校に上がる前くらいの、ほんの小さな子供。体は犬の毛の中にすっぽりと隠れてしまっていて、まるで歩く綿毛にしがみついているみたいに見える。
そうして、私達はしばらくの間、にらめっこをしていた。大きな犬がふわあああとあくびをして、小さくニャーと鳴いた。大きな体つきに似合わない、猫みたいな鳴き声だった。
ふと、犬の背中の子供が頭を下げた。するすると犬の背中にもぐりこみ、横っ腹の辺りから出てきて地面に脚を下ろした。とことこと私の前にやってきて、小さくお辞儀をする。鈴の音が、ちりんと小さく鳴った。狐人の子供は首や耳に鈴をいくつも下げていた。よくよく見ると、足首や手首にも鈴が付いていた。私を見上げるその動きはころころと落ち着きのないものなのに、鈴はほとんど音を立てない。なんだか不思議だった。
子供がもう一度お辞儀をした。それで、挨拶していなかったことに気が付いた。恐る恐る頭を下げると、子供はこくんとうなずきを返した。大きな犬がまたあくびをした。
「それ」
子供の指が上がって、私の手に持っている饅頭を指した。
「おいしくないです」
大きな犬が深々とうなずき、満面の笑顔になった。漫画みたいに簡単なつくりの顔で、饅頭に鼻を寄せてくる。思わず手を引くと、大きな犬は嬉しそうにニャーと鳴いた。子供がまたうなずいた。
「おいしくないのに、買っちゃった」
子供がむむむ、と眉根を寄せる。真剣な目つきでこちらを観察している。そうして不意に手を打って、子供が顔を輝かせた。
「おいしくないのがすきなんですね?」
いかにも事情は全て分かったといわんばかりに、子供はうんうんうなずいている。大きな犬と顔を見合わせて、おいしくないおいしくないニャーニャーと嬉しそうに言い交わしている。傷口に指を突っ込まれるようなものだったのに、不思議と不快感はなかった。子供は別に私を馬鹿にしているわけではないとすぐに分かったからだ。
「ふにゃー」
大きな犬が、不意に私の持っている饅頭を奪って食べた。ちっとも噛まないまま、飲み込んで口を大きく開いて舌を出す。いかにもおいしそうに食べるものだから、実はそんなに不味い饅頭でもないのかもしれないと思ったその瞬間、犬の頭がぐるりと回った。捻った首が一周してもとの位置に戻り、また反対方向に回転する。子供が嬉しそうに飛び跳ねた。
「テンコウおいしくない? おいしくない?」
「ぷひゃー!」
「そうなんだ! おいしくないんですね!」
テンコウと呼ばれた犬の頭をぐしゃぐしゃとかき回して、子供がそこから毛をいくらかむしった。毛をむしられても、テンコウは怒るどころか喜ぶ一方だった。むしった綿毛をそのあたりに捨てながら、子供は私を見上げてまたさっきの訳知り顔を作った。
「よかったですね、まずかったんですって。あ、食べちゃってごめんなさい」
なんともいえなかった。目の前の出来事に理解が追いつかない。別においしくないのが好きなわけじゃないと、だまされただけだと言いかけて、私はふと、自分が迷っていたということのほうを思い出した。
何の気なしに首をめぐらすと、回り込まれた。
ものすごい早業だった。顔を向けた先にはもう子供と白い犬がいて、驚いてさっきまでいた場所に眼を戻すとまた二人がいる。とりすました様子の子供は、混乱しきりの私に頭を下げて、次の瞬間には腕を大きく広げてぶんぶんと振って見せた。
「めにもとまらぬ、けいしんふうじゅつです!」
言いながら、格好良さげなポーズを取ってみせる。どうやら決め台詞らしかった。
いよいよわけが分からなくなった私は、子供に手を取られてひっぱられても抵抗しなかった。
「お饅頭たべちゃったから、かわりのものをあげます」
そう言いながらずいずいと進んでいく子供の後をついていく途中で、私はなんとか名前を名乗った。子供は私の名前を聞くと足を止めてお辞儀をした。全身の鈴が、こんどはシャラシャラと小さな音を立てた。
「メイリンです」と言いながら付いてきている白犬を指し「こっちはテンコウです」というと犬が幸せそのもののように笑ってあくびする。そうしてまた私の手を取って、一目散に進んでいく。一体どこに連れて行くつもりなのか聞こうとするより先に、子供が足を止めた。
串焼き屋だった。見た目こそとんでもないボロ屋だけれど、タレの焦げるにおいは確かに鼻をくすぐってくる。こっちの世界に来てから最初に買った饅頭はテンコウに取られ、結局何も食べていない。思わずなりそうになるおなかを押さえた。
と、店主と思しき狸人が、私とメイリンに眼を留めた。
「お」
眉一つだけ動かして、店主は焼いている肉串を何本か取り上げると包んだ。
「ん」
そのまま当たり前のように差し出してくる。しり込みしていると、横から伸びてきたメイリンの手がこれまた当たり前のように受け取っていた。包みをはがして肉串をほおばり、テンコウにも一本渡す。私に残りを差し出しながら、メイリンは狸人の店主にぶんぶん腕をうち振った。
「おいしいです!」
「ん」
店主はそのまま興味を失ったかのように、焼き串の前に戻っていく。なんとなく肉串を口に運ぼうとして、お代を払っていないのを思い出す。いかにもお金を持っていなさそうなメイリンに代わって払おうとして、両替しておいた紙幣を取り出そうとしていると、無邪気に笑うメイリンに袖をつかまれた。
「次いくです」
でもお代は、と聞くと、メイリンは胸を張って店主に呼びかけた。
「おやじ! つけといてくれです!」
「ん」
店主も手を挙げて応じる。メイリンは満足げにうなずくと、私の手を取ってぐいぐいと引っ張った。どうやらまだ行くところがあるらしかった。
そうして、私とメイリンとテンコウはいくつものお店を巡った。
高級そうな構えのお店もあり、立っているのがやっとというボロ屋もあった。世間話に花を咲かせる店主も、無愛想な店の親父もいた。売り物も間食用の点心から本格的な食事、みやげ物や凝ったつくりの装身具までさまざまだった。次々と町中のお店を巡りながら、メイリンはどこのお店でも何かしら貰っていた。どこの店でも「つけにしてくれです!」の一言でみな納得していた。私もおこぼれに与り、おなかを満たした上にしゃれたみやげまでいくつも手に入れていた。輝宇堂という名の銀細工の店に入り、輝く細工物をメイリンと一緒に貰いながら、私はなぜタダで色々もらえるのかとメイリンに聞いた。メイリンは胸を張った。
「タダじゃないです。つけといてくれです」
結構な値の付いているようにみえる髪飾りを取りながら、メイリンはなんでもない事のように言う。良いのかと店主に視線を振ると、店主も涼しい顔である。
「ツケでございますので」
虎人の店主はそう言って牙を閃かせると、こちらもいかがですかと小さな鈴を取り上げてメイリンに勧めている。銀線で編まれたいくつもの籠が入れ子細工になった、とても凝ったつくりの鈴だ。一旦は嬉しそうに受け取りつつ、メイリンは鈴を押し返した。
「いいです。これは高いです」
高いものをツケるのはまずいという意識はあるらしかった。
そこで、私は何かお返しがしたくなった。何しろメイリンのおかげでいろいろなものを貰ってしまっているのだ。一つぐらいはお返しを――と思いながら、私はその鈴を買うと店主に宣言した。店主の愛想笑いの向こうで、一瞬何かが揺らめくのが見えた。
「よろしいので?」
値札を見ると、用意してきた予算が吹っ飛ぶ金額だった。私は思わずたじろいだが、しかしここに来て引くことも出来なかった。綺麗に包んでもらうようにお願いすると、メイリンが驚いた様子で私を見ていた。
「いいですか?」
一杯貰ったからお返しだというと、メイリンは得心がいかなそうな顔になった。
「だって、これはおしごとです」
どういうことかと聞く前に、店主が鈴を包んで持ってきた。メイリンは眼を輝かせて包みをびりびりと破くと、付いていた紐を使って首元に鈴を器用に結びつけた。見せびらかすように胸を張って、メイリンは得意そうに鼻を突き出した。鈴がちりんと小さく鳴った。テンコウが嬉しそうによだれをたらした。
「ありがとうです」
面映そうなメイリンの言葉に、私は微笑を隠せなかった。
日が傾いてきた。日帰りで済ませるつもりならば、そろそろ帰らなくてはならない時間になってきた。その事を告げるとメイリンは一瞬寂しそうな顔を浮かべたが、すぐに笑顔が取って代わった。
「じゃあ、門まで案内してあげるです」
否やはなかった。メイリンとテンコウに先導されて、私は町の中心にある門を目指した。赤くなり始めた空に映える金色の炎を目印に、だんだんごった返してくる人たちを掻き分けながら歩いた。一度はぐれそうになると、メイリンは手を伸ばしてきた。そうして仲良く手をつないで歩きながら、ポケットに入れたみやげ物の感触を確かめているときに、それはやってきた。
「こらっ! こんなところにいましたか!」
一陣の風が吹き抜け、私の髪の毛を巻き上げた。人ごみを断ち割るようにして現れた若い狐人の女性が、あっというまに間合いをつめると、メイリンの頭に拳骨を振り下ろした。あまりの早業に、私どころか、頭を打たれたメイリンすら、しばらくあっけに取られていたほどだった。
「もう、また抜け出したんですか。今日は家でおとなしくしてなさいって、お母様言いましたよね?」
狐人の女性は腰に手を当てて憤然とメイリンを見下ろした。恐る恐る頭に手をやったメイリンは、次の瞬間泣き出した。爆発するような泣き声だった。
「わあああああああああああおかああああさまがぶったあああああああああ!」
「あなたが言いつけを破るからです。分かってると思いますけど、大声出してもダメですよ。全くもう、お母様のほうは今日も朝からずーっとお仕事をしてたというのに、あなたときたら気楽に出かけて迷惑をかけてくれますね!」
母親だという女性はにべもなかった。上等そうな衣を翻して、私のほうに向き直って苦笑する。あっという間に泣き止んだメイリンを引き寄せると、女の人は私に小さく頭を下げた。
「ごめんなさい、異界からいらした方ですよね。うちの娘がご迷惑をおかけしたようで申し訳ありません」と今度はテンコウに向き直り、再び眉を逆立てる。
「テンコウ! ちゃんと見張っててって言ったでしょう? 忘れたなんていわせませんよ」
テンコウはぷいと横を向いて寝転んだ。いかにも忘れたといわんばかりのしぐさに、私は思わず笑いを漏らしてしまった。あきれ果てたように首を振った狐人の女性が、きっとメイリンとテンコウをにらみつけた。
「さあ、二人とも帰りますよ。テンコウとメイリンは今日のごはん抜きです。反省してもらいますからね」
始めのうち、二人は何を言われているのかわからない様子でぽかんと女の人を見つめていた。意味が頭に染みとおると、変化は劇的だった。
「やだああああああああああ!」
「にゃああああああああああ!」
「ダメです! どうせ今日も散々飲み食いしたんでしょ?」
「だってみんながくれるんだもん」
「くれてるんじゃありません。ツケです。それも、親の地位を嵩にきてツケる最低のやり方です。はずかしいったらありません」
「だって……」
「だってじゃありません。ごはん抜きだけじゃありませんよ。今後しばらく外出禁止です!」
「ぎゃああああああああああ!」
「ひゃああああああああああ!」
メイリンとテンコウは母親にしがみつきながらものすごい勢いで泣き叫び始めた。道行く人が足を止めるも、母親の顔に眼をやると何事か心得たようにうなずいて立ち去っていく。どうやら、このあたりの人には慣れっこの光景のようだった。普段からツケで買い食いしているのだろうから、無理もないと思った。
とはいえ、見過ごすのはためらわれた。ともすれば灰色の時間になりかけていた観光を、楽しいものに変えてくれたのはメイリンなのだ。それに、この子がツケたものの半分は私も受け取っているのだ。共犯のようなものだった。
私は母親とメイリンの間に割って入ると、胡乱げに眉を潜める母親に事情を説明した。しばらくのうち、母親は私の話を黙って聞いていた。迷っていたことを話すと片眉を上げ、店めぐりの辺りでは眉間に皺がよった。銀細工を買ってあげたくだりで母親はちらりとメイリンの首元に眼をやった。
「事情は分かりました。今日は輝宇堂の親父にしては奮発したなと思ったんですが、道理で。心からお礼を申し上げます」
母親は私に向き直ると礼をした。さっきまで娘を怒鳴りつけていたとはとても思えない上品なしぐさだった。優雅に礼をして、すぐさまイタズラっぽい笑みを閃かせる。まさしく、メイリンの母親だと思わせる微笑だった。
「ずいぶん高かったでしょうに。不肖の娘にはもったいない贈り物です。ほら、メイリン、きちんとお礼は言ったんでしょうね」
「ありがとうございます」
メイリンの全身の鈴がしゃらりと鳴った。ぴょこんと頭を下げて私を見上げ、母親に押さえられてまた頭を下げる。テンコウも横で地面に頭をこすり付けていた。苦笑した母親が、メイリンの頭を優しくなでた。
「さて、観光にいらしたんですよね。このところの祭りがお目当てですか? いかがでしたか、大延国は?」
とてもすばらしかった。そう伝えると、母親は満足げな笑みを浮かべた。
「そう言っていただけると、こちらも嬉しいです。私はセイランと言います。大延国通関司の長を努めております。異人の皆さんをお世話するのが仕事です」
そういうわけですから、と言いながらセイランはしゃがみこみ、テンコウが吐き出し、鼻先でつついていた何かを拾い上げた。饅頭だった。ちょっとよだれが張り付いているものの、間違いなくもとのままの饅頭だった。懐紙でよだれをふき取り、しばらく眺めると、セイランは深く息をついて、饅頭をふって私に示した。
「ですから、道に迷ったり、この手の悪徳屋台に引っかかったときは、遠慮なく通関司までお越しください。すぐ解決してあげます。場所が分からなければ、衛視に聞くといいですよ。異人さんがこの手の質の悪い店に引っかからないようにするのも私の仕事なんです。祭りの時期は特に大忙しなんですよ。今朝からずっと、屋台の営業許可証を確かめてばっかりでもう」
「――だからおてつだいです」
愚痴をこぼしながらも胸を張る母親のそばで、メイリンが声を上げた。私の服の裾を掴み、懸命にセイランに訴えかけようとしていた。セイランが怪訝そうに眉をひそめた。
「お手伝いってどういう事ですか?」
「おかあさまのおしごとのおてつだいです。異人さんをたすけてあげるんです」
『これもおしごとです』と銀細工屋で言っていたのが思い出された。ふとつながった気がした。メイリンは母親の仕事を手伝うつもりで、迷っていた私を案内してくれたのだ。そのことを説明すると、セイランは眉をひそめた。
「んー、それはそうだったかもしれませんが」
「だから、つけはけいひでおちるんです」
「落ちないですよ。どこでそんな言葉覚えてきたんですか、もう」
とはいえ――とセイランはメイリンの頭をぐしゃぐしゃとなでた。メイリンがくすぐったそうに身を縮めた。
「確かに異人さんをおもてなしするのは通関司の仕事です。ですから、手伝おうとしてくれたことは評価してあげましょう。やり方は最低でしたけど」
メイリンの顔がぱあっと輝いた。
「じゃあ、じゃあおめこぼししてください!」
「いいですよ。晩御飯も、明日からの外出も許してあげましょう」
「やったー!」
「ただし!」
鈴を鳴らして飛び跳ねるメイリンが、ぱっと固まった。固唾を呑んで母親を見守るメイリンに、セイランは厳かに宣言した。
「今後ツケは一切禁止です。お小遣いならちゃんとあげてるはずですから、そっちから使いなさい。もし違反したら書き取り教室にやりますからね」
書き取り教室という言葉に、メイリンは体を震わせた。がくがくとうなずくメイリンに、テンコウが鼻を寄せてムヒャーと一声鳴いた。
そうして、セイランがぽんと手を叩いた。
「そうだ、娘に過分の贈り物をいただいた御礼をしないといけませんね」
少々お待ちくださいね、と言い置いて、セイランはテンコウの背をぽんぽんと叩いた。意外に素早い動きで頭を上げたテンコウが鋭く一声鳴くと、あっという間にテンコウとセイランの二人は風を巻き起こして空に消えた。どこに行ったかと眼で追っていると、後ろから肩をたたかれる。振り返れば、そこにはセイランが微笑んでいた。娘をはるかに越える早業に、私は目を丸くした。
「これを差し上げます。受け取ってくださいな」
そういうと、セイランは私に銀色の鈴を差し出した。メイリンに買ってあげたものと同じ鈴だった。メイリンが口をぽかんと開けた。
「おそろいだ!」
「おそろいです。同じものがもう一個あってよかったです。大延国と、私の娘の思い出にどうぞ」
値が張るものであることは自分のみにしみてよく知っていた。受け取りかねていると、セイランは私の手の中に鈴を押し込んだ。
「お代ならいいんです。きちんと娘に払わせますから」
「えええええええ!?」
「文句は言わせませんよ。あなたのつくった借金はまだまだありますからね」
「うううう」
「とはいえ、あなたのお小遣いから返していたんではいつまでかかるか分かりませんから、少し割り引いてあげましょう」
セイランは懐から懐紙に包んだ饅頭を取り出した。私が買って、テンコウにあげた饅頭だ。
「コレを代わりに頂いて、その分割り引いて上げます。それだけの価値はあるんですよ、これ」
そんな不思議なことを言う。首をかしげていると、セイランは腕を組んで重々しくうなずいた。
「通関司では、異人むけの屋台に免許を発行してるんです。悪質なお店を規制するためにやってる事なんです。それで、そういう悪いお店は異人さんをだまそうとして、許可なく営業する事があるんです。特にこんなお祭りのときはドサクサにまぎれやすいから、たくさんそういうのが出るんですよ」
饅頭を投げ上げ、受ける。
「なかでも、この饅頭を作ってる豚人のチョウは前から頭痛の種でした。あんまりひどいんで、何べんも止めさせてるんですけど、なあなあになっちゃうんです。逃げ足も早いし言い訳も上手だし、おまけに付け届けと反省の演技だけは神業級で。今日も、営業してるところを押さえようとしたら、営業なんてしてない、その証拠に売り物が何にもないなんていってのらくら逃げられたんです。でも」
饅頭を受け止め、私に示す。
「これがあれば、確かに営業してたという証拠になります。こんな見るからに不味そうな饅頭を作れる人なんて、ここらじゃチョウぐらいのもんですからね。それだけでも今日は報われたというものです。これは引っかかってくださったあなたのおかげです。ですから、その鈴は我々の業務に協力していただいたお礼に差し上げるという次第です。どうですか? 受け取っていただけませんか?」
私は手の中の鈴を見下ろした。細い銀線で編まれた籠を何重にも組み合わせた、手の込んだ鈴だ。振るとしゃらしゃらと涼しげな音がした。ふと、もう一つの音が重なった。メイリンが首もとの鈴を鳴らしているのだった。
「おそろいです」
おそろいだった。今日一日にみたものの中でも、一番綺麗な思い出だ。私はメイリンを抱きかかえると、その場でぐるぐると回った。歓声をあげるメイリンが腕や脚を振り回すたびに、涼やかな鈴の音が当たり一面に広がった。夕暮れ時の喧騒の中で、その音はいつまでもわたしの耳に残るような気がした。
そうして、私は大延国から帰ってきた。
ゲートが再び元のようにしかつながらなくなってしまったので、大延国にはあれから一度も行けていない。崑崙を経由する海外旅行となると、どうしても気楽に出発するとは行かないものだ。
だから、私は次の年がくるのを待っている。再び日本のゲートが大延国につながる日がくるのを心待ちにしている。ゲートをくぐれば、またメイリンに会えるだろう。あの鈴も大事にとってある。しばらく見ないうちに大きくなっているだろうメイリンに会うその日が、楽しみで仕方がない。
次に出会うときには、きっと鈴の代金も返済し終わっているだろうか。
終わり
但し書き
文中における誤りは全て筆者に責任があります。
独自設定については
こちらからご覧ください。
- おもしろかった!結婚して子供が生まれてってなると・・・セイランシリーズの十数年は先のお話だなぁ -- (名無しさん) 2013-06-13 21:30:07
- 現行シリーズが開門から十年なので、その十数年後ならつまり「現在の」セイラン様の近況ってことになるね。成長した事、変わってない事、そして受け継がれた事が微笑ましく見てとれて素敵 -- (名無しさん) 2013-06-14 13:12:28
- かなり大胆というか思い切ったなーと決断をひしひしと感じた。これで一つの時系列の整理がつく? -- (としあき) 2013-06-14 14:16:57
- テンコウ可愛い -- (名無しさん) 2013-06-14 22:56:45
- 普段だと起こらないような出会いや旅もゲート移動が自由になった祭ならできちゃう? -- (名無しさん) 2014-05-30 23:37:55
- こどもとこどもと分からない何かを一緒にしたらまずいんだと。何も知らずに出会ったならおもしろおかしいひと時が楽しめそうな面々 -- (名無しさん) 2014-12-06 16:50:56
最終更新:2013年06月13日 23:00