「貴殿の徳と業を認め、白王の冠を授ける。 永世の誉、拝して受け給え」
「謹んで、お断り申し上げます。 此度の御用向がその件のみであれば、私は御暇させて頂きますれば」
彼の者は、雪豹の身なれど武より文に優れ、詩吟を殊の外愛していた。
暇さえあればその口は高らかに世界を声に顕し、聞く者全ての心を掴んだ。
彼の傍らには、常に寄り添う風精が居た。 その名はリィ。
大嵐神の風より生まれたとも言われる、「風」が持つ暴威の限りを尽くし得る風精は、彼の者の詩吟に出会うべくして出会った。
リィの風は彼の者の唄を遥か先にまで届けた。 彼の者の行脚の妨げとなるものを全て排した。
彼の者の詩吟は、時の大延国全土に広まり、彼の者の名は知らずとも詩吟は聞いたことがあるという程であった。
ある時は、長閑な村落の光景を、穏やかな風に乗せて都に出稼ぎに出た者にまで届ける。
ある時は、山野の厳しい自然を、吹き付ける突風の如き激しさで歌い上げ、自然に挑む者を時に鼓舞し、時に思いとどまらせる。
ある時は、人知れず野に咲く一輪の花となった者の悔恨と望郷を、縦横無尽の風流に乗せ何処かで待つ者の耳に送る。
彼の者の声は、リィの生む風に乗り、時には大延国の果てを越えた先にまで届いたという。
しかしてその歌は皇都にも届き、彼の者は皇城に召されるに至る。
時の帝は彼の者を世に6人という最大級の誉の座と共に迎えたが、彼の者はただ辞退の旨だけ告げ、風のように去って行ったという。
後にも先にも、霊王の誉を自らの意志のみで、かつ即答で辞退したという事例は、この一件限りだと言われている。
大延国内の行脚にいよいよ窮屈さを覚えた彼の者は、リィを連れて海を渡った、と伝えられている。
彼の者の足取りは、そこで途絶えている。
歌が聞こえる。
この地に私が「在る」ことを始めた時には、その歌はもう聞こえていた。
私をここに在らしめる根源にして、我が現身に似たカタチを得た神は、次は歌のする方へ行こうと言った。
歌が聞こえる。
声の主のところに辿り着いた。 声の主より先に、傍らの精霊が動いた。
私と神に、有らん限りの霊力を尽くした暴風が吹き荒ぶ。 そんなものは微風にも等しいのだが。
歌が聞こえる。
何を歌うの、と私は尋ねた。
新たなヒトの在り方への永くも儚き讃歌、と彼は言った。
歌が聞こえる。
私は手を伸ばす。
彼の魂、ヒトたらしめるモノを、見えざる手に掴む。
歌は聞こえない。
風精は咽び泣く。
永久など無くとも共に在り続けたいと、暴嵐と共に咽び泣く。
歌は聞こえない。
そうしたきゃそうしてあげるよ♪
神はそう言うと、風精の頭を鷲掴みにして潰し、首から下を丸めだした。
歌は聞こえない。
魂が砕け殻になった器に、私は「力」を満たす。
私の「力」で満ちた器に、神は丸めた風精を押し込む。
歌が聞こえる。
毛並は黒く染まり、血肉は引き絞られ、眼光は千里先すら見通さんばかりに鋭く輝く。
失われていた牙を再び備えた口から、遥かな調が紡ぎ出される。
歌が聞こえる。
彼の者の旋律は、私に世界を見せた。
意図したものかそうでないかは知らないが、それで私は世界を理解した。
歌が聞こえる。
彼の者の功に報いよう。
新たなカタチのヒトとなった彼に、此処に居ながら世界を見通す者、裁定者の名を授けよう。
「ねーキエムー、頼んでたレベリング、しといてくれたー?」
「そんなことはしなくていいです、と私が止めました。 まったく、
モルテ様はキエムを何だと思ってるんですか」
死都に程近い、審議候キエム・デュエトの屋敷に、死神モルテと屍姫サミュラが来訪していた。
〈こちら側〉の全土から見てもハイソサエティな御持て成しスキルでは屈指と目される、キエムの侍従マリアージも、緊張の色を隠し切れていない様子である。
「固いなぁサミュラはー。 これでまたラーのヤツとレベル開いちゃうよー。 あの廃神《はいじん》いったい何時間レベリングしてんだか知んないけど、上げ過ぎだろアイツ!」
「あちこち出歩かないで、お城で、えと、れべり・・・でしたっけ?なさっていてはどうですか?」
「レベリング。 異界における遊戯の専門用語でして、単純作業を只管繰り返すことで、遊戯の駒となる存在を鍛え上げると同時に、金銭や物資の現地調達を行う手法に御座います」
やや遅れて応接室に立ち入った、館の主キエムがサミュラに助け舟を出す。
「ありがとうキエム。 聞く限りでは、れべりんぐという行為においては、キエムはもちろん、モルテ様でも流石にラー様には叶わないでしょうね。 いかにも試練っぽいですから」
「ちぇー、何さ二人してー。 んじゃキエム、預けてたVetaちゃん返してよ」
「私が没収しました」
「サミュラ様にモルテ様からの御用向についてお尋ね致しました折に、お預かりになられると仰られたので」
サミュラからモルテに投げかけられる目線は、多分に「異界の遊具で遊んでばかりいないで、少しは仕事をしてください」という批難が込められている。
「ちょっとキエムー、そこは空気読んでよー。 サミュラが没収したら返ってこないじゃんかよー!」
「浅慮の程、御容赦頂ければ幸いに御座います」
「絶対分かっててサミュラに預けたよね、キエム・・・もるる」
モルテが露骨に拗ねだすが、どうせ数刻持たないだろうということは、
スラヴィアの数ある死徒の中でも付き合いが最も古く長い部類に入る二人には良く分かっていることであった。
さらに、マリアージがミズ・ローチャイルドの許へ訪問した際に土産として買ってきた、異界に曰く「シュークリーム」なる甘味を用意するや否や、
「これ全部ボクの! ふっふっふ・・・サミュラ! このいかにも甘くておいしそうなシュークリームの命が惜しかったら、ボクのVetaちゃんを一刻も早く解放しろぉ!」
などと言い出す始末であるからして、結局は平常運転である。
「サミュラ様、ここは異界の流儀に倣い、『郷里の兄上殿が啼いておられますぞ』と声を掛けてモルテ様を制止するべきでしょうか」
「キエムも、あまり悪乗りしてモルテ様を調子づかせないでくださいね。 まったくもう・・・しょうがないですね。 モルテ様、コレはお返ししますから、ちゃんとお仕事してくださいね?」
サミュラが懐から『Vetaちゃん』を取り出すと、光の速さで歩み寄ったモルテはそれを掻っ攫い、シュークリームを頬張りながら電源を入れ・・・
「あれ、電池・・・切れ、て、る・・・?」
モルテは絶句と共に膝から崩れ落ちる。 詮方なし。〈こちら側〉には異界の遊具を動かすための「電気」というものが基本的に存在しないので、再度使えるようにするには多大な手間を要するのだ。
「おろろ~ん、おろろ~ん・・・くっそぉ・・・今度ドクロに頼んで、延々手回し充電器回すためだけの被造物《クリエイション》作らせるかなぁ・・・」
「でしたら、美死姫《フロイライン》が近々御帰省されますので、その際にご依頼されるのが肝要かと」
「そっかわかった!・・・でも今は自分でやんなきゃなんだよねぇ・・・ねぇマリアージ、これやっといて」
「畏まりました」
自分でやんなきゃと言った1秒後に振られたにも関わらず、マリアージは黙して恭しく、モルテから『Vetaちゃん』とコードで繋がった手回し式充電器を受け取る。
一切の余念を挟まず、凄まじい超速度でハンドルを回し始めれば、室内にジャコジャコと電磁石が回転する音が鳴り響く。
「はやいねーマリアージ。 ねぇキエム、彼女ボクに頂戴よ」
「大変申し訳ございませんが、マリアージは私の大切な侍従故、手回し充電器の為には差し出せませぬ」
「あまりキエムを困らせるようなら、モルテ様にも書類作りとかしてもらいますからね?」
「やだもー、サミュラってば、そんなガン見しないでよー、ちょっとしたジョークじゃんかー」
下手糞にも程がある口笛を吹きながら、どこ吹く風の様子のモルテはやがて『Vetaちゃん』の虜になる。
「なら良いのですけれど。 さてキエム、ミズ・ヴェルルギュリウスが帰省されるということは、やはり?」
「御慧眼の通り、壱発逆転王より御会談の御要請を頂いております。 準備についても進めておりますが、あとは日取りを取り決めて頂くのみとなります」
「手配が早くて助かります。 では、此度も良しなに」
「御意のままに」
遥かに数百年前、スラフ島戦役の開戦直前より「美しき死」と共にある、黒き風を纏い裁定を司る黒豹は、今日も職分を全うするのみである。
「キエム、つまらないことを聞きますが・・・貴方の記憶に『もう一度会いたい人』はいますか?」
「記憶の中には確かなカタチは御座いませんが、ソレと今一度出会う時は、きっと私が私で無くなる瞬間。 そう認識しております」
- あぁ・・・ここでマリアージさんのモルテの手駒化フラグが立ったのか・・・ -- (名無しさん) 2013-08-06 11:08:16
- やべ・・・別の人と勘違いしてた!でもマリアージさんがモルテに狙われるフラグは立ったと思う! -- (名無しさん) 2013-08-06 11:52:16
- 色々とつながりが想像できるキエムの過去と今だった。自由な詩人の強い魂だったからこそ審議候の力があるんだろうか -- (名無しさん) 2014-08-10 14:58:13
- 芸能にのめり込んでいくと人としての器や一線を越えてしまうこともあるのは地球も異世界も似たようなもの? -- (名無しさん) 2014-12-06 16:42:56
- 傑物も愚者も英雄も凡人もスラヴィアンとして等しく生まれ変わる国スラヴィア。その力や人柄から在りし日を思い起こさせてもスラヴィアンとしての今が彼らの全てであるというのは何か救いのように思いました -- (名無しさん) 2016-12-11 18:49:13
最終更新:2013年08月06日 02:48