【山を飛び出した想い】



 ── 朝

 洞穴の入り口から吹き付けてくる寒風は緩く、暖かい陽射しが薄っすらと見える。
 握る拳の血流と胸の鼓動から、生きて朝を迎えたという実感を噛み締めた。
 「凍える夜を越せたのは、君のおかげかも知れないな」
 自分とコルトパの間で伸び寝ている子狼の毛並みを撫でた。


 ── 昨晩

「うっわっ!?」
「和耶ッ!」
喉元に跳び掛かった黒い塊に押され倒れる。
 マウントを獲られたっ?! 喉をやられる!
 体が満足に動かないことも合わせ、覚悟を決めた。
 せめてこのもふもふに喉を食い千切られようとも、コルトパが逃げる時間をもふもふ ──
「あ、あたたかい?」
「わふーん」
胸の上で転げる黒い毛並みに少し混ざる白い毛筋。
丸みの抜けない身線が、まだその狼が子供であると示している。
「はっはっはっ」
和耶を覗き込む双眸は爛々と輝き、テンポ早く吐く息は生温かい。
「これハ…間違イない。大狼族の子ダ。 何故こんナ場所に?」
「どっ、どうやら敵意はなさそうですが… わっぷ!妙に人懐っこいですね」
とりあえず子狼をあやし、シートの中、和耶とコルトパの間に招き入れる。
「大狼族は自身達以外ノ種を全て敵ト捉えテ決して人に懐クことなドないはずナのだが…」
「でもこの温かさは助かりますよ。 これなら夜も越せそうですし」
「わふぅ~」
三者は互いの熱を分け合うように抱き合う。
「こうしていると…まるで家族みたいですね」
「…家族? 私にハよく分かラないな」


「明けてみると意外と登れそうな崖ですね」
「…そノ狼、どうシても連れてイくのか?」
和耶の背に括り付けられた子狼は意外と大人しく、相変わらず目を輝かせて息を吐いている。
「この子の体では降りる事はできても登る事はできないでしょうし、
命の恩人をこのままにしておくのも忍びないですので、せめて落ちてきた崖上には帰しておきたいかなと」
切り立つ崖を登る。
残った数少ない登山具とコルトパの持っていた全ての武器を駆使して。
昨日までの吹雪が嘘だったかの様に空はなりを潜め、冷たい風と空気が冬山であると主張している。
一晩で回復した体力もあってか、難無く崖は登りきれた。
だが ──
「やはリ待ち構えテいたカ…」
「何とも根気のある方々だ…」

 まって いたぞ
 ひさし ぶりの えものだ
 のがさん ぞ

晴れているため、間合いを十数メトル開けていても巨躯が視認できる。五体一組(ファイブマンセル)。
「これでは隊長達と合流できるかどうか…」
「弱音を吐クな。折角助かっタ命だ、生き延びテ見セるさ」
 どこからそんな力強さが沸いてくるんだろうか、コルトパの横顔の笑みが眩しい。
 そうだ、生き延びて皆と一緒に、コルトパも一緒に ──

 強烈な圧倒感 続いて地響き
 姿の見えぬうちから場に緊張が疾(はし)る
 大狼五頭の他に更に何かやって来る
 戦場や災害地でも感じる事は無かった“終わった”という覚悟

「やっと見つけたぞ。 世話を焼かせる…」
「わっふー」
和耶の背から勢い良く飛び降りた子狼が圧倒の方へと走っていく。
そんな状況でも動けずにいる和耶とコルトパ。
 他の大狼はあくまで狼同士の会話止まりの言葉だったが、
 明らかにその圧倒の元から聞こえる声は人の言葉そのものであり、体の芯を震わせる。
コルトパも初めての遭遇なのか、最大の警戒態勢を維持して視線を固定している。
「わふーん はっはっ ──
 どすんっ!
嬉々として駆け寄る子狼を雪原に叩き伏せる巨大な前脚。
「はぐれるまでなら良いが、人に助けてもらうとは何事か! 我が子なら意地でも崖を登ってこぬか!」
現れた全身は凡そ5か6メトル。 片目から額にかけて円弧の傷が走る顔と、灰と黒と白の織り成す体毛。
取り囲む五頭の中には一回り大きな大狼もいるが、“彼”の威圧感はその様な体格差を軽く凌駕する。
「へっへっへっ」
持上げられた前脚の下から顔を出した子狼は嬉しそうな表情で見上げている。
そして、和耶とコルトパを睨みつける彼が一歩二歩と雪原を揺らし進む。
「我は“人間”がとても嫌いなのだがな、息子を助けてもらった礼はせねばなるまい」
気が付けば傷持つ大狼は二人の眼前に迫っていた。
「リューセを助けてくれてありがとうナ! っと、よく見るとリチャとベルと同じ人とダークエルフだナ!」
いきなりの明るい声が頭上から響く。
声の元を見上げると、大狼の頭上の毛並みの中からボリュームのある髪を広げたダークエルフが二人を見下ろしていた。
獣の瞳孔は金と輝き、八重歯が無邪気に光る。 そして背に戴く巨大な戦斧。
「…そこな同族達よ!この場、この機は大人しく引くがよい! 我の不躾な頼みであるが、聞き入れよ!」
 なにを いきなり
 みがって にも ほどが あるぞ
「皆仲良くするんだナ! 仲良くしないと冬山で生きていくなんて無理なんだナ!」
「「「わおーん わおーん」」」
周囲を気圧す進言と、それに呼応する言葉に大狼の足元で吠えあげる複数の子狼。
「大人しく従った方が良いぞ… 我が嫁は…我と同じくらい強いからな…」
急にしおらしく呟いた言葉が、妙な説得力を漂わせる。
すぐに周りを囲む大狼の気配が離れていく。 強大な力を持つ者が二人とあれば、獣の本能から引くのは必然か。
「久し振りに故郷へ戻って来たが、まだ争っているのか」
「うーん、仲良くすれば喧嘩せずに済むのにナ! 今度帰って来る時は冬山でも育つ肉珠樹と青菜草を持ってくるんだナ」
「あの、どうもありがとうございます。助かりました」
足元で子狼達が走り回る大狼とダークエルフを見上げ、深々とお辞儀をする和耶。
隣のコルトパは、まだ状況が飲み込めていない様で固まったままである。
「「「わふっ」」」
一斉にお辞儀をする子狼達。
「人間は好かぬが、想いに殉じる者は嫌いではない… お前達の仲間らしき者達は麓に向かって進んでいるのを見かけた。
そう急がずとも追いつけるであろう」
そう言うと、狼達は身を翻し山頂へと歩み始める。
「聞いタ事がある! 以前、別の氏族の戦士ガ闘いの末ニ大狼と共に旅立ッたと! まさカ、貴女がその ──
「ロタルカ!ロタルカはロタルカ!狼夫はダナン! 子供達はディセトの娼館にでも来てくれたら全員紹介するナ!」

 駆け出す後ろに雪煙が昇る
 奔放な空気を纏って遠くに消える彼らの姿が
 とても眩しく見えた


 ── その後
軽度の凍傷や怪我を負う者も出たが、隊の全員が下山し合流する結果となった。
装備も失い道程も散々ではあったが、無事で終わった事もあって皆の表情は明るかった。
 そして ──
「そうか… そちラの生き残りはお前一人だかラな、外に出て行くのは止めるべくもナい。
ただし、もう氏族へ戻る事はできナいぞ?」
「それは、ロタルカという人と同じ事ですか?」
「…私達とは別の氏族だが、最強と言われた戦士が山で争い続ける大狼族と共に和睦の道を求め旅に出たというのは伝わっている。
只それは山に生きるダークエルフと大狼双方に混乱を引き起こすと流布はされていない」
 結ぶコルトパの手を、握る力を強める。
「私も、新シい世界に旅立トうと思いマす」
はっきりと言い切ったコルトパの表情に迷いは無く、力強い。
「私が責任持って守らせてもらいます」
「ふふっ。ソういう事ハ私に体術で勝ッてから言うといイぞ」


「「「ようこそ!我らが隊へ!!」」」
冬季領境界の近くの宿で、隊を挙げてコルトパ歓迎会が催される。
「遂に隊にも亜人が…本格的異世界交流の始まりであるな」
「YoYoh!和耶!コルトパちゃんはこれからどうするんだ?」
「どうするも何も、一緒に暮らしますよ。守りますと氏族長と約束もしましたし」
一同、只者でない男を見る目で豆料理を頬張る和耶に注目する。
「後、“ちゃん”付けは失礼かも知れませんよ。 本人、三十歳越えてると言っていますし」
一同、どよめきながらデザートを頬張るコルトパに視線を集める。
「む、なんダ?私の話カ?」
「ところで隊長」
「む、何であるか?」
「今度の休暇は長めに貰ってもいいですか? ちょっと行ってみたい場所ができたので」
「ほぅ?休日下手な和耶にしては珍しいな。 で、何処へ行ってみたいのであるか?」
ラ・ムール国にあるディセト・カリマという街へ」

冬山訓練、かなりgdgdになりましたがやっと終わりました、ありがとうございます
ロタルカを登場させたいという第二の目的がここまで間延びしてしまったのは予想外でした
旦那の大狼の名前は勢いで出したので、他に決まれば変更します

  • ロタルカと狼一家かわかわ。和耶とコルトパは実質結婚みたいなもの? -- (としあき) 2013-09-06 00:37:23
  • 意外な平和主義っぷりをロタルカ夫婦に見た。共存する前例が増えれば争っている種族の関係も変わっていきそう -- (とっしー) 2013-09-14 21:23:22
  • 野生の本能と戦術で狩りを行う巨大な肉食獣は脅威ですね。意志を交わす心があれば種族を越えてつながることができると実感したシリーズでした -- (名無しさん) 2017-04-02 17:45:27
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最終更新:2013年09月03日 23:23
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