夢を見た。
夢の中で、私は形を失っていた。意志をもった霧の様に曖昧な状態で、暗闇の中をふらふらと漂っていた。
ぼんやりとめぐらした意識の向こうで、遠く大気が振動したように思えた。振動はいつしか衝撃へと姿を変え、私の体を根底から揺さぶり始めた。
そうして、はるか遠くからそれがやってきた。
巨大なオベリスクが、飛来する大陸のような存在感で迫ってきた。オベリスクは私のそばをゆっくりと通過していった。いや、速度自体は銃の弾丸すら止まって見えるほどに速いのだ。だが、オベリスクは視界を埋め尽くしていた。比較の対象が存在しない故に、そしてあまりに巨大すぎるが故に、速度という概念が思考から押しのけられてしまうのだ。そして速度が消えたとき、時間も消えうせた。
停止した時間の中で、私はオベリスクと向き合った。いや、と私は思いなおした。今の私はその名を知っている。《メモリス》だ。どことも知れぬ空間で、神の力を撒き散らしながら進み続ける巨大構造体。あの絵に描かれ、私の元に届けられた存在の名前だ。
――未完成だ。
厳かな声が、私の周りから湧き出した。
いつの間にか、私の隣に彼が立っていた。
彼は巨大だった。彼を構成する知性が、その全身から余すところなく流れ出していた。彼自身が一つの社会、歴史を、文明を構成しうるほど多彩な精神活動を内包し、その輝き一つ一つが目を焼くほどに強かった。そんな精神活動の一つが、私に振り向けられていた。
――だがもう少しで完成する。あなたの協力あってのことだ。感謝する。
彼は喜びをあらわにしていた。彼にとって、絵を描くことはライフワークに当たる活動なのだろうと、私は解釈した。私は彼の絵について、思いつく限りの賛辞を述べた。それこそ、私がこの世界を訪れた理由だったからだ。
だが、彼はあまり感銘を受けた様子はなかった。まるで手ごたえが感じられなかった。しばらく黙り込んだ末、彼はぽつりとこう洩らした。
――上手くいっているようで、何よりだ。
まるですこし、面白がっているようだった。
目が醒めてからしばらくは、自分がどこにいるのか把握するのに手間取った。
寝台から身体を起こし、布団代わりにしていた茂みのようなものを床に払い落とした。茂みはかさかさと音を立てて全体を震わせ、私はその時初めて、布団代わりにしていたのがある種のゲジゲジのような蟲だったことに気がついた。体節から伸びだした毛が枝分かれして絡み合い、灰色のシダのような外見を作っていたのだ。灰色のゲジゲジはか細い鳴き声を立てながら部屋の出口を探して動き回り、私はぼんやりとそれを見ていた。
ようやくゲジゲジが出口を見つけて這い出していくその上を、誰かがひょいとまたぎこえた。
「おはよう、眠れたかしら?」
シーヴだった。少なくとも、外見はシーヴのそれだった。だが何かが違っていた。これまでの騒がしい雰囲気は鳴りを潜め、代わりに現れた笑顔は余裕に満ちて大人びている。寝ぼけ眼でタグを確認したところ、確かにシーヴではなかった。同じ姿をした別人なのだ。個人シグネチャに記された簡易アドレスはアムとだけ読み取れた。
「今日はバスに乗るんですって? 乗り物の方かしら、それとも路のほうかしら。地球のバスは乗り物のほうしかないって聞いてるけど本当なの? サイトや氏族アーキテクチャを輸送するときはどうしてるのかしら。乗り込ませるだけでも一苦労よね?」
アムと名乗る女性は楽しげに喋りながら、持っていたたらいのようなものを私に差し出した。
「ところで目覚めのシャワーはいかが? 着替えも用意してきたかも知れないけど、これを使えば洗濯も着たままで出来るのよ。ほら」
たらいは黒光りする小さな虫で一杯になっていた。私はアムとたらいを交互に見比べて、これは一体なんなのかと聞いた。
「直接聞いたら?」
アムはたらいをひっくり返して中身を床にあけた。ざらざらと言う音を立てて床に雪崩落ちた虫たちが、キャーキャーと甲高い声で鳴いた。ぷくぷくと泡のように膨れ上がるタグ雲は「おなかすきました」「それはごはんがないからです」「悲しいです……」「地面だ」「地面ですね」「おはようございます!」といった取りとめもない内容であふれている。私は思わず手を伸ばして、虫たちを少しすくい取った。
虫たちはまるで磁石に吸い寄せられた砂鉄のように私の指先に取り付き、自我殻に「食べてもいいですか?」というメッセージを共同で送ってきた。私はアムを見返してその意味を問うたが、アムは微笑むばかりで何も応えてはくれなかった。
特に根拠はなかったが、虫たちの鳴き声はなんとものんきで無害そうに思えた。危険はないだろうと思うことにして、私は虫たちに許可のタグを送った。
虫たちが黄色い声を上げて、私の全身にまとわり付いた。
おもわず寝台にしりもちをついてしまった。床に盛り上がっていた虫たちは雲のように舞い上がり、振り払う手を難なく避けて私の体を覆い尽くした。昨晩のグレッグをまねて個人用ファイアウォールを展開しようとしたが、返ってきたのは許可済みのプロセスだというそっけない言葉ばかり。悲鳴をあげた口の中にまで侵入されて呼吸困難に陥りながら、私は体を丸めて頭を抱えた。
そうして固く目を閉じたところで、ふと、たかられている感触が一切ないことに気が付いた。
私は目を開け、ゆっくりと立ち上がった。足の裏に取り付いていた虫たちが離れ、床の上の埃に注意をひきつけられて群がっていく。虫たちは波紋のように床に広がり、通り過ぎた後はまるで掃除機をかけたように綺麗になっている。
私の体に取り付いていた虫たちが、だんだんとはがれ始めた。体にまとわり付いていた旅の汚れや垢はすっかり払われ、着たまま寝た服もまた洗濯したかのように綺麗になって汗染みまで取り除かれていた。私は口を開けて、歯を磨いてくれていた虫たちが出て行くのに任せた。飛び出した虫たちはキャーキャーと鳴き声をあげて着地すると、部屋を掃除し始めていた仲間達に合流した。
「《ガベージコレクタ》の一種よ。名前はクリーナバグ。老廃物を食べるのが役目ね。生体の皮膚を食べるときには簡単な麻痺毒を噴射して不快感がないようにしてくれるの。地球人にもテスト済みだから安心よ」
別にシャワーをつかってもらってもよかったんだけど、とアムは肩をすくめた。
「この先行くところには水がいくらでも使えるとは限らないから、こういうやり方にも馴れておいてもらった方がいいとおもったの。気分はどう? 食事の用意が出来てるそうよ」
そのままアムは部屋の入り口に陣取っている。いかにも親しげな様子であり、外見もシーヴそのものだが、立ち振る舞いは完全な別人のそれだ。シーヴの姉妹なのか、あるいはもっと別の何かなのか。不躾かもしれないがと前置きした上で、グレッグの部下の一人かと聞いてみた。
アムは片方の触覚を揺らしただけだった。
「部下ね。いいえ。もしそうだったらとても面白いと思うけど」
私はどちらかと言うと彼のスポンサーよね、とつぶやきながら、アムは腕を組んで挑発的な笑みを浮かべた。
「まあでも、そういう推論はとても自然よね。この子の同類かと思ったんでしょ? 同じ体だから。まあそこは半分正解なんだけど。これはシーヴの体よ。借りてるだけ。中身に入ってる私はアムね。本当はもっと長い名前なんだけど今は名乗ってもしょうがないし、称号の方がはるかに通りがいいんだけど」
私は《アーマイトの女王》よ、とアムは言った。
「シーヴの母親でもあるわ。まあアーマイト氏族の現行世代はほとんど私の子供なんだけど。昨晩は娘がお食事のときにお世話になったみたいね。ごめんなさいね、あの子ったら自分のわがままであなたに迷惑かけたみたいで。それに見苦しいところも見せたんでしょ。なんだか訴えられてたんですってね。全くわが子ながら脇が甘いのよねー」
アーマイト。『ノード配置の最適化』をスローガンに掲げ、地球との情報交流にも興味を示す有力な氏族。そんな理解が這い登ってくる。たしかこの《真理鉱山》を支配しているのもアーマイトではなかったか。
「いいえ。ここの政治学はもうちょっと複雑なの。そこまで強固に支配してるわけじゃないのよ。有力なのはその通りだけど」
心の中でのつぶやきにアムは当たり前のように反応する。私は思わず自分のファイアウォールが破れていないかチェックし、それをみてアムはころころと笑った。アムが防御を引きおろしてちらりと見せてくれた拡張自我は、私やグレッグやシーヴのそれをはるかに上回る密度であたり一面に充満している。強大な能力を秘めていることは火を見るより明らかだった。
そんな女王が、はたしてこんな一回の観光客のもとに何をしに来たと言うのか。
「さっきも言ったけど、娘に食事を奢ってもらったお礼よ」
あの子は《変わり子》だから。そうアムはいう。
「グレッグに任せて色々教育してもらってるの。精神の健全な発達にはいろんな目にあってもらうのが一番でしょ? だから旅に出てもらうことにしてるのよ。それも、異世界の人と一緒に。と言っても、これまでは私の目の届かないところにいくことはほとんどなかったの。
ゲートのそばのサイトを団体客と一緒にうろうろするのが関の山。でも、今度は違うわ。かなり遠くに行く事になるはず。だから、月並みな言い方をすると心配になったのよ。ほら、あの子トラブル目指して突っ込んで行くようなところあるから。それも無自覚に」
バカだからかしらね、と笑うアムは中々手厳しい。
「まあ、だから面白いんだけどね。そういうわけだから、これからもあの子のお世話をしてもらえると嬉しいわ。ほんとは立場が逆だけど、持ちつ持たれつっていうでしょ」
否やはなかった。確かに私の旅は明確な目的を持っている。それでも、道中が楽しいに越したことはない。その点で言えば、シーヴに出会えたことは思っても見なかった喜びだった。彼女を見ていると飽きないのだ。
「そう、ありがと。じゃあお願いね。お礼はきっとするから、期待しておいてね」
微笑んだアムの表情は、シーヴにそっくりだった。もちろん同じ顔だし、親子なのだから中身も似ているのだろう。だがそれにしても、はっとするほどに二人の笑顔は重なって見えた。私は昨晩の食事を思い出して、これからの旅のことを思った。
楽しみだ。そんな思いが素直に湧いてきて、私の心に位置を占めた。
「あ、そうそう、もう一個用があったのよね」
やおらアムがぽんと手を打った。そのまま私に顔を近づけ、私の首に手を回す。わけもわからず目を白黒させている間に、アムは私にキスした。私の唇をアムの舌が押し広げ、舌はそのまま中に侵入してきた。
そうして、アムの口腔内に潜んでいた条虫が活性化した。
条虫はそのまま飲み込まれて胃の中に入り込み、そこで行方が分からなくなった。息をついて抗議する私に、アムはからからと笑って構わなかった。
「ルートワームよ。使い道はそのうち分かるわ。とりあえずの用途は私とのホットラインだと思ってちょうだい。もちろんあなたの状況は実況聞けば分かるんだけど、予備の専用回線をもっとくに越したことはないから。秘密にしておいてちょうだいね」
私はようやくショックから立ち直り、何とか威厳を取り戻して喉をさすった。文句を言おうとすると、舌の感触を思い出してはぐらかされそうになる。私はやむなく黙り込み、アムは嬉しそうに笑った。
「そうそう、その調子よ。これからショックな事がたくさんあるかもしれないけど、その調子で受け流した方が身のためよ。じゃあ、そろそろ私はさよならするわ。女王ってのもそれなりに忙しいもんなのよ」
私は立ち上がって見送ろうとしたが、アムは私を制した。そして、そのまま意味ありげに寝台に押さえ込んだ。
「目覚めてすぐはちょっとびっくりするだろうと思って、実況はブロックしてあげてたの。私がシーヴに身体を戻してあげたらまたすぐ始まると思うわ。だから、慣れるまでは寝転んでおいた方がいいわよ。首の骨折りたくないでしょ?」
いいながら、アムは私のそばに体を横たえた。
「じゃあね。バイバイ、地球人さん」
アムの瞳から光が消えうせ、シーヴの色が戻り始めた。要領を得ない様子のシーヴが、目を擦りながら体を起こした。下から見上げる寝ぼけた様子のシーヴの顔は、とても愛らしいものだった。
だが私は他の事に注意を奪われていて、とてもそれをはっきり鑑賞するどころではなかった。視界がタグで埋め尽くされつつあったからだ。
但し書き
文中における誤り等は全て筆者に責任があります。
- 凄いねこのシリーズ。完成したら縦書きにして頭から終わりまで一気に読み通したい -- (名無しさん) 2013-10-15 22:42:57
- 冒頭でバキュラ思い起こした俺の脳は8bit。しかし強烈な虫風呂ですね! -- (とっしー) 2013-10-15 22:44:04
- きゃーきゃー言ってる蟲さん可愛い -- (名無しさん) 2013-10-15 22:53:38
- お掃除蟲のイメージはトトロのまっくろくろすけ、あれは汚す妖怪だけどさ -- (名無しさん) 2013-10-16 00:30:28
- しかし、冷静に考えるとマセバは虫嫌いにとってはこの世の地獄そのものだなぁ -- (名無しさん) 2013-10-16 00:48:17
- このシリーズに登場するどの蟲人や蟲も人間味あって楽しい -- (名無しさん) 2013-10-18 21:56:33
- 哲学っぽいけど知りたい欲求というだけなのかもなー。 うぞぞ虫リフレッシュはあとに残った感触がたまらんだろうな! -- (としあき) 2013-10-21 22:54:20
- 肉体から離れるのか溶けていくのかは分からないが意識が中心になる世界で個と個が知らないうちに混ざり合っているということはあるんだろうか -- (名無しさん) 2014-12-06 16:37:33
- スケールの描写が壮大で正に神。毎回新しい蟲キャラが登場してはマセバズークの生活が見えてくるのが楽しいですね -- (名無しさん) 2017-09-17 18:53:33
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最終更新:2013年10月15日 10:37