そうして、私は未来を思い出す。視界を埋め尽くす輝きの中に、ありとあらゆるパターンを見出していく。
自我が溶け去り、新たな形を取っていく様子を楽しみながら、まだ見ぬ世界のことを次々と思い出していく。
新たな私が生み出されるのを、ほかの私たちが見守っている。
私はシーヴに支えてもらいながら、夕食を食べたホールまでどうにかたどり着いた。
グレッグは一人でコーヒーをすすっていた。朝食が乗っていたらしい皿は山をなしていて、ウエイターが片付け始めている。グレッグは私に目を留めると苦笑いした。
「おはよう。その様子じゃだいぶ参ってるみたいだな。聞こえてるかな?」
「音声で喋っても無駄ですよ! 直接言わないとどうしようもないです! なんなんですか本当にもう」
シーヴが私の気持ちを代弁してくれた。音も聞こえないわけではない。ただ、集中することが出来ないのだ。
タグが群れを成して、私の感覚器官に押し寄せてきていた。
『困難?』『右へ歩け』『これが例の地球人?』『理解しない』『未加工出力をフィードしている?』『真』『困難』『日本の人かい? 一度ホッカイドーへスキーに行ったことがあるよ。ホッカイドーいいとこだよね』『ホッカイドー=地球の地名』『既知情報にチェック済み』『俺の話聞こえてるかな? ねえ何とか言ってよ。なんかバイタル下がってない?』『長文邪魔』『なんだい感じ悪いな』『貴君の英雄的架橋行為に誰もが敬意を払うだろう』『長文邪魔』『長文邪魔邪魔』『長文邪魔邪魔邪魔』『(別スレッドへ移行)』『目的地は右ですか?』
聞こえてくる音声や視界にオーバーレイするメッセージだけでもこの有様で、加えて感覚器官や表層思考への接続、簡易シグネチャの交換要求で自我殻が悲鳴を上げていた。
「いきなり双方向のライブ配信だなんて無茶がありますよ! 慈悲とか配慮の持ち合わせを期待できないのは知ってましたけど少しは考えたらどうなんですか! 誰もがあなたぐらい無神経だったら文明なんていらないんですよ!」
「いやー悪い悪い、ここまで人気になるとは思わなくてな」
グレッグは立ち上がると、私に肩を貸してくれた。座らせてくれながら、グレッグは私の表層感覚に難なく接続し、見えたものに口笛を吹いた。
「おーこりゃひどいな。一部はこっちで引き受けよう。それと、感覚フィードを流すならバイタルからにするといい。流石にたかってる連中も負担をかけてるって理解してくれるはずだ」
私はグレッグの指示に従い、リクエストの大半をグレッグに振り向け、生体信号だけを出力するように自我殻に命令した。朦朧としていた感覚が晴れ上がり、ようやく一息つくことが出来た。
気遣わしげに見つめるシーヴに、私は安堵の笑顔を向けた。シーヴは心配そうに
「まずはプロキシを通すのが普通でしょうに。いきなり直接リクエスト許してどうするんですか! 頼れるガイドのとんでもない手抜きで被害者は治療不能な精神的損害を被っています! 代理人として賠償を要求します!」
「全くシーヴの言うとおりだ。シーヴに変わってお詫びする」
「そうそう出来ればもっと土下座っぽく――は? 何で僕が悪い事に?」
「こちらで代理自我を用意する間、お前にプロキシをつとめてもらう予定だったからだ。お前が裁判沙汰に巻き込まれていなければ昨日の寝ている間に作業が終わっていたはずでな。いやほんとうに済まなかった。不手際にもほどがあったよ」
「なんですかそれ。聞いた事ない計画に従事させられている事実が明るみに出てきてすごくスリラーな気分です。だいたい、代理自我ですか? プロキシじゃなくて?」
「確かに異例だが許可はもらってるし、核の当てもある。女王にはもう会ったかな? 例のアムとかいうすっとぼけた名前使ってたと思うんだが」
「え、お母さん来てたんですか。ここに?」
シーヴが素っ頓狂な声を上げた。
「自分のライフログでも見ろ。さっき俺のところに来たときはお前の体に入るとか言ってたぞ」
「あ、ホントだ……でも何しにきたんです? また分別もなく放浪の旅に出たいとかですか。あれで女王が務まるんだからうちの氏族もびっくりですよね」
「恩人になんて言い草だ。誰が裁判手打ちにしてくれたと思ってるんだ」
「えーと、僕が日ごろから積み上げてきた善行が遂に形を取ったりした感じのすごいヒーロー辺りがやってくれたんだと思います。きっと後光とか噴射しててものすごく強いんですよ。正義の味方って本当にいるんですねー僕感動しちゃう」
「女王が言うにはな、示談の金は立て替えといてやるからお前が働いて返せだとさ」
「不正と抑圧のダブルパンチ! こんな気持ちのいい朝があっというまにアポカリプスなう! 天国を地獄に変えてみせるその手腕には感動すら覚えますね! 外道雇用者の鑑として歴史に名が残ってもいいんですか! いいんですね! 登録OKでーす!」
「俺は別に外道じゃないから仕事で稼ぐチャンスをやろう。バスを通るのに乗り物が必要なんだ。今から押さえに行ってくれ」
「あっはい分かりました……バス? どこ行くんでしたっけ」
「《パイプライン》だ。道中はお前に運転してもらうから準備急げよ。昼前には出発したいからな」
しばらく虚空をにらんで情報を検索していたシーヴが、不満げに頬を膨らませた。
「水中サイトじゃないですか」
「だからバスも当然水の中だ。不慣れなのは分かってるがその分ボーナスつけてやる。俺達が乗るってことも忘れるなよ。くれぐれも乗り心地のいい奴を選んでくれ」
「水中って苦手なんですよねー。濡れるし冷たいし息も出来ないし。あとこれって地下水脈ですよね? 闇精霊って僕苦手なんですけど」
「文句はいいから早く行け」
「はーい」
シーヴはグレッグをにらみつけると、足音も荒くホールから出て行ってしまった。乗り物を用意するということだから、きっと以前に乗っていた大きな飛行甲虫のようにまた別の体をまとうのだろう。そう思うと少し寂しい気がした。
それにしても、今日はどうやら水中を移動することになるらしい。
グレッグが注文してくれていたらしいオムレツとポークソテーに手を付けながら、私はそれとなくグレッグにそのことを問うた。
「ああ、ここじゃバスってのは大体『路』とか『その上を走ってるいろんなもの』ぐらいの意味だよ」
グレッグの目は焦点を結んでいない。私から引き受けた無数のトランザクションがぼんやりと周囲に浮かび、蛍のように群がっているのが分かる。と、グレッグがそのうちの一つに手を伸ばして私に返した。これから向かうバスの住人の一人が、私の視聴者に対して得意げに説明をしているところだった。私は自我殻を開き、イメージを受け入れた。
《放浪者の軌道》はそれ自体が可塑性と行動能力をもつ巨大な地下水脈だ。必要に応じて地盤を切り開いては浸透し、マセ=バズークの地下を移動し続けている。もし地面を透かして《軌道》の姿だけを目にしたなら、それは大河で編み上げられた巨大な蜘蛛がゆっくりと這い回っているように見えるだろう。《軌道》には複数の水中生活に特化した氏族が依拠し、いくつものサイトをその中に含んでいる。加えて、《軌道》自体が一つの巨大なサイトでもある。土、水、闇の三精霊たちと高度に連携した《放浪者》の氏族は《軌道》をいわば『操縦』することが出来ると主張している。《放浪者の軌道》はマセ=バズーク全土を巡っては交易や通行路の提供などを行い、蟹や海老、蝦蛄、水棲昆虫たちを受け入れて固有の勢力を形成している。
一説では、《軌道》そのものもまた、
ディルカカに捧げられた計算システムの一つだという。《放浪者》たちの偉大な先祖が大地と水流で組み立てた巨大なコンピュータだというのだ。《軌道》の中心部に表出している《レジスタ》がその根拠となっている。《軌道》それ自体が高位の思考体だという主張は、あまりに先鋭的過ぎて人々の同意を得るには至っていないが、一方で根強く浸透した御伽噺でもある。
暗闇の中に流れる生きた大河のネットワーク、それが《放浪者の軌道》なのだ。
得意げに歴史や伝承を語る《放浪者》氏族の若い海老人の話から意識をもぎ離して、私は息をついた。グレッグがニヤニヤ笑いながらコーヒーをすすった。
「まあそんな感じで、今日は水中旅行をお楽しみいただくことになりそうだ。ああ、景色のことなら心配しなくていい。確かに真っ暗だが、その分音響定位や闇精霊の接触知覚が使えるから。実のところ、結構な体験になることは保障するよ」
『そうだそうだ』『ここは素晴らしい眺めだ』『眺め?』『理解しない』『景色=光学的な感覚入力』『理解しない』『しろよ』
グレッグが返してきた実況フィードには、そんなタグがいくつも踊っている。グレッグがフィルターしてくれているおかげで、私もだんだんとこの姿の見えないざわめきに慣れてきたようだった。そんな私の反応を、見守っているコメント者たちも面白がっているようだった。
『旅を楽しめ』
そんな一つのメッセージタグを目にして、私は心から同意を覚えた。
「困難の解決に対し喜びを表明する」
ふと、ボビーの声が聞こえた。姿は見えない。ホールに充満するほかの蟲人たちのタグにまぎれているのかと思い、目を凝らして探していると、次の声が声がテーブルの上から聞こえた。
「我々はここにいる」
そんな言葉と共に、小さなアリが這い出してきた。テーブルにグレッグが積み上げた皿の山の間から顔を出したアリは個体シグネチャを発信し、私の自我殻は受け取ってボビーだと認めた。覗き込むグレッグはニヤニヤ笑っている。
「しばらく見ないうちに小さくなったな」
「これは我々の一部を切り離したもので、架橋における標準的な措置の一つだ。我々の下位個体の一つとは言え、必要な機能および権能は全て保持している」
「いいね。あとはせいぜい潰されないようにしてくれよ。その大きさだとひょっとしたらひょっとするかもしれないからな」
「その点については考えてある」
ボビーは私に顔を向けた。小さな触覚をうごめかせて、ボビーがメッセージタグを送ってきた。ボビーのタグは私の耳と鼻を目指して進み、張り付くとその動きを止めた。
「すまないが、耳か鼻腔内の空間を居所としてとして使わせてほしい。可能なら耳の方が望ましい」
意味が分からず、私は思わず聞き返した。ボビーは小さい体を一杯にそらして、再び同じ内容のタグを発信した。グレッグがタグの一つを途中で掴んで読み取り、こらえかねたように苦笑を漏らした。
「ボビー、どういう思いつきか知らないが、そりゃいくらなんでも無理だろ」
「麻痺液を分泌するので不快感は与えない。それに、将来的に代理自我を務めるのなら、出来るだけ頭部に近い方が望ましい」
「限度があるって。なあ? せいぜい首筋に取り付くぐらいにしておいてくれよ」
「我々の安全確保に問題が生じる恐れがある」
「鼻だの耳だのに入ってるほうがよっぽど危ないっての。お客さんどうする? イヤホンにしちゃちょっとカサカサするぜ」
「我々はカサカサしない。麻痺液を分泌する」
私はしばらくボビーを眺めて首を振った。グレッグがうなずいた。
「まあ無理だよな。俺でも願い下げだ。何か俺のほうで入れ物を用意しとくよ。首から下げられる――そうだ、あんたがいま首から下げている奴でいいじゃないか」
その言葉で、私は首から下げていた接続粘菌の存在を思い出した。完全に忘れていた。色々な事がありすぎて注意をそらされていたのだ。改めて見る接続粘菌は私の自我殻と結びつき、見えない光を放って活発に通信を行っていた。私は蓋を開けて粘菌を脇に寄せると、テーブルの上にケースを置いてボビーを招き入れた。無言でケースに収まったボビーは何のタグも発していなかったが、どことなく不満げに見えておかしかった。グレッグは満足げにうなずいた。
「よしよし、それでいいだろう。どうせそのうち、代理自我を作ってもらうときにお近づきになってもらうことになるからな」
代理自我。耳慣れない言葉だった。おそらくは私の代わりとなって、何か仕事を任せることの出来る相手を作るということなのだろうか。
そう伝えると、グレッグはなんとも言えない顔になった。
「ああ、まあそんなところだ。だが代理自我はもうちょっと複雑――」
『もしもーし。聞こえてますかー』
グレッグの言葉は途中でさえぎられた。シーヴからのメッセージだった。グレッグやボビーも同じメッセージを受け取ったようで、メッセージは手早く会議通話モードに切り替わった。
付随する映像タグには両手を振るシーヴの姿が映っていた。薄暗い洞窟のような場所には水が満々と湛えられている。あちこちから張り出した足場の間からは、さまざまな大きさの虫や袋のようなものが水面から顔を出している。ぼんやりとした灯りが周囲を照らし出し、大きな腕を持った巨大な虫が繭のようなものを掴みあげて水中に下ろし、あるいは何かを引き上げている。アドレスを確認するとこの《真理鉱山》の基部に当たる場所のようで、というからにはこれがおそらく《軌道》との接触面なのだろう。
『やっと見つけましたよ。いいのが中々なくて。でもこれは我ながら掘り出し物だと思いますよー』
「思ったより早かったじゃないか。よし、見せてみろ」
『ハイハイ。それでは、目ん玉ひん剥いてとくとご覧あれ!』
そんないシーヴの言葉に合わせて、何かが水中から姿を現しはじめた。
但し書き
文中における誤り等は全て筆者に責任があります。
- 冒頭の展開も続いているけどどうなるのが最後なのかが読めない面白い。虫に慣れさえすれば住みよい国なのかひょっとしてマセバズーク -- (とっしー) 2013-10-24 22:34:16
- 話の進め方と広げ方が上手いね -- (名無しさん) 2013-10-27 13:46:59
- 相変わらずテンション高いわシーヴちゃん。新しいマセバノロジーが出てくるので読むのが楽しい。なんかカワイイに溢れている -- (としあき) 2013-10-29 22:04:54
- 掲示板の中を泳ぐような雰囲気は相変わらずです。マセバズークの住民が自然に現実と仮想の中で生活しているのとするっと出てくる現実の異世界描写に仮想の土台はやはりそれなのだと思いました。堂々巡りのようでしっかり前に進んでいる旅路の行き先は果たして -- (名無しさん) 2017-10-01 17:45:06
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最終更新:2013年10月27日 23:15