ゴブリンがでっぷりと太った醜い指で金の指輪をなで回すと、蠱惑的な身体に薄衣のみを纏った半裸の美女が現れた。
「はぁーい、はろはろー。あたしを読んだのはダレカナー。……うーん、見た目はイマイチ」
そう言って美女は不躾にゴブリンを眺め回すと、ぴっと3本指を立てて見せた。
「でも、欲望の臭いはムンムンするわねー。いいわ、特別に3つの願いを叶えてあげる。何でも言ってみなさい」
ゴブリンはロック鳥の羽毛を使った贅沢な椅子に身体を埋め、荒野でも珍しい大邸宅と2つの蔵を持ってはいたが、彼にとって今の境遇ははなはだ不満だった。
そのゴブリンは生まれついての悪事の才にて財を為したが、ドニードニーのある大船団との『行き違い』によって新天地に逃げ渡ることを余儀無くされた。
業腹な仕打ちだった。そんなわけで、彼の中には再起の念が燻っている。
まずは金だ。かつて自分が所有していた莫大な財産よりもさらに多額の金を、美女に要求した。
「りょーかい、ほいっと。ま、とりあえずこんなもんでいいでしょ」
美女が指をひとふりすると、瞬きする間に部屋を金塊が埋め尽くした。
それだけではなく、屋敷の調度品から柱の一本に至るまで全て金に変わってしまったようだ。すっかり硬くなった椅子の上で尻をずらしながら、ゴブリンは聞いた。
「そんなせこいことするわけないでしょー、きっちり芯まで純金製よ。で、次の願いはなーに?」
ゴブリンは考える。金は山ほど受け取った。残りの願いは金では手に入らないものを手に入れる。
しばらく考えた末、何よりも武力が必要だという結論に至った。故国から追われたのも武力が足りなかったゆえだ。絶対の忠誠を誓う最高の戦士が欲しい。
「はいはい。じゃーこれこれこーんな感じで、それっ」
すると20の影が出現した。黒いからだは輪郭が滲んで背景との境目がわからず、不気味な威圧をもってその場に直立していた。
「俊敏で強靭でとんでもない怪力で傷がすぐ治って闇に溶けることもできる。暗殺はもちろんまともに戦ったって軍隊だろうが怪物だろうが大抵は倒せるわよ。それが20体」
おまけにどんな命令でも聞いて即座にこなす。数の少なさこそ不満に思ったものの、兵士としてこれ以上のものはなさそうだった。
ゴブリンの最後の願いは既に決めてあった。金では買えず、世界中を巡ってもおそらく手に入らないであろうそれを、美女に要求する。
「ふんふん、へー。そんなんでいーの? これ最後の願いだってわかってる?」
ゴブリンは頷いた。心外な反応だった。本物の神を目の前にしたなら、誰だって望むことではないか?
「うんうん、そーよねぇ。あんたらならこれを欲しがるよねぇ。あたしは別にいーけど。うりゃっ」
美女はにやにやと笑ってゴブリンの頭に手をかざした。身体が少し暖まった以外は、特に実感がない。
「お望みどーりの不老不死一丁、確かに授けましたぁ。これで叶えた願いは3つ。もういいわよね?」
うなるほどの金、最高の私兵、そして永遠の命。これ以上を一度に揃えた者などそうはいまい。ゴブリンは満足して頷いた。
「いーのいーの、あたしにとっては大したことじゃないしぃ? それに、あたしも楽しいわよ」
これからはあたしの時間だから。
美女は最後の願いを聞いてからずっとにやにや笑いのままだった。何か不穏なものを感じて、ゴブリンは出来たての部隊を身に寄せた。
「あらー、いっちょまえに警戒しちゃって。あたしが何をすると思ってるのかしらねー? 例えば、……こんなこととか?」
美女はこれまでのように指をひとふりした。するとゴブリンに一番近い兵隊の身体がどろどろと溶け出し、ねじくれ、蒸気を上げながら融解した。
ゴブリンは悲鳴を上げた。それだけで残った19体の兵隊全てが美女に殺到したが、美女がまたひとふりすると、一様に見るも無残な自壊を遂げる。
「ばかねぇ、あたしの作ったものであたしに勝てるわけ無いでしょ」
次の瞬間にはゴブリンは床に這いつくばり、うつぶせに美女を見上げていた。自らそうしたのではない。身体は微動だにしなかった。
美女は肥えた身体を指先でつつき、けらけらと笑った。
「あんたさーあ、自分がとんでもないものと喋ってるって自覚が足りなかったんじゃないのぉ? 少なくとも、願いのうち一つは自分の安全のために使うべきだったわねー」
じたばたと暴れようとしたが、ゴブリンの脱出は叶わない。そしてゴブリンの背中をなで上げると、ゴブリンの衣服は全て消えて丸裸になる。もう一度背中をなで上げると、ゴブリンが咲いた。
それは皮膚の反転だった。背中にぱっくりと開いた亀裂から身体の内側がめくれ上がると、血しぶきをまき散らしながらまるごと裏返っていく。
やがてゴブリンは内蔵をすずなりにぶら下げたピンク色の肉の塊となると、上げ続けていた絶叫も、自分の身体にくるまれてくぐもってしまった。
「あっはっはっは、豚の鳴き声みたーい! 生きたまま死に続けるなんて、なかなかできない体験よー。あたしに感謝しなさいね?」
よく見ると、肉の塊は元の姿に戻ろうとしていた。だがそれ以上の力で皮膚を反転させられ続けた結果、不死の肉体はその持ち主に苦痛を与えることしかできていない。
美女は露出した内蔵をひとしきりつつき回しては笑い続け、飽きたように唐突にやめた。
「その不老不死でもって勉強したほうがいいわね、自分がどんなお願いをすればよかったかってさ。特別サービスしてあげるわよ」
ひとふり。それだけで部屋を埋めていた金塊の一部が液体のように波打つと、肉塊に向かって殺到した。
出来上がったのは元の肉塊を二回りほど大きくした悪趣味なオブジェだ。苦痛の姿のままに固定され続けることになったゴブリンは、オブジェの芯となっても生き続けることだろう。
「あーほんと、おっかしー。なんでヒトってのはつまんないものばかり欲しがるのかしらねー。弱っちいのに不老不死なんか求めたところで、痛くてつらいのが長続きするだけなのにねぇ」
美女は最後にじゃあねーと言い残すと、空中にふわりと溶けて消えた。そして大量の金塊、大量の血痕、そしてさらけ出した人体の内側を模した金の像が残った。
金に埋まったゴブリンはその後好事家に買われ、歴史の中でその持ち主を変えながら、向こう千年以上の時を激痛にまみれつつも精神を破壊されることなく過ごした。
彼の残した財産と金塊は彼の使用人らに等分され、降って湧いた幸運は神に感謝された。その感謝を表して、彼の屋敷のあった土地は後に公園となっている。
新天地東端に広がるその大峡谷は、鳥竜谷という別名がある。呼ばれる理由は至極明朗、退化した羽根と強靭な足、大きな体躯に羽毛を生やした見上げるほどのでかいトリ、鳥竜族が見られるからだ。彼らは古代よりその場所で産卵を行ってきたが、大峡谷に一族すべてが押し込められたのはごく最近のことだ。
鳥竜族は西から上ってきた鳥人族に追い立てられた先住民の一部であり、優先的な討伐対象だった。彼らは温厚ではないし、力だって一般的な馬車をぺしゃんこにできるくらいあったが、いかんせん狩られる側のケモノだった。特に刺敷罠が効いた。
そうした生存競争の末に流れついたのが鳥竜谷だった。彼らの楽園とも鳥籠とも言える。
そして卵を温めていた鳥竜族の若き母が、巣穴にあったそれを広いあげた。鳥の習性がそうさせて、嘴の先のきらきらをしばし見つめた。
すると、どこから現れたのか、巣穴の殆どを占有するほど巨大なドラゴン(鳥でも蜥蜴でもない、純然とした竜だ)が目前に座っているではないか。
若き母にとって卵を一呑みにできそうなドラゴンというのは威嚇するべき対象だったが、闖入者のドラゴン的『高貴な』仕草は、母の本能をねじ伏せるような圧倒的な畏敬の念を覚えさせた。野生の生き物そのものであった彼女を始めて撃ち貫いた感情は、電撃的な一目惚れに似ていたかもしれない。
深い真紅の瞳が彼女を見据える。
「誰が呼んだかと思えばオイ、なかなか俺と似た麗しい造形じゃあないか。いやそこまで似てないか? しかし、フワフワが魅力的だな」
若き母を検分する彼の視線はドラゴン的に尊大で無遠慮で威圧的だったが、母は自分の感情と戦うのに忙しくて反応をする暇がなかった。心の思わぬ部分を不意に撫で上げられたことで、羽毛が逆立って収まらない。
ドラゴンは若き母の深層を覗き込み、血の情報を読み取った。当時は地続きだった北の群島から大陸に渡り進化を続けて、最後をこの谷で締めくくる鳥竜族の一大スペクトルを見終えたドラゴンは、自ずから憤慨した。
「おいおい朋友よ! 大陸の覇権を一度も得ることなく小さきモノにしてやられるとは、鱗ある血統の誇りはないのか! 精霊を恐怖で操る咆哮は? 鋼鉄をも引き裂くツメは? 天空を駆ける翼は? 血に治癒と蘇生の力を与える心臓は? 灼熱の息吹は? 何もないのか?」
若き母は深く恥じ入った。これまで当たり前のように暮らしてきたが、自分にできることといえば走ることと噛み付くことくらいだ。誰よりも柔らかな羽毛を誇りにしていたが、今猛烈に全身を鱗で覆いたかった。
なんと嘆かわしい! ドラゴンはそう頭を振り、彼女をさらに検分した。
「フーム、顎にはきちんと竜の証があるが、随分と俺の血が薄れているな。これは今一度の交配が必要か……」
それは紛れも無く好色の視線だった。さっきまで血の歴史を見ていた目が、今度は肉体の奥を覗いているのだ。鳥竜族より遥かに高次の存在であるくせに、羽毛に包まれた原始的な肉体にしっかりと欲情している。
彼女はもう母ではなく、一匹の女であり、メスであり、花嫁だった。もはや確認の必要もなく、心は既に陥落し支配されているのだった。
「これは俺との契約だ。そなたが俺に仕える限り、俺がそなたに力を与え、そなたの血族を祝福する。血と血を交わらせるのだ。そら、共に咆えるぞ!」
ドラゴンの深く遠く響くような咆哮に合わせて、彼女は甲高い鳴き声を上げる。その声が、だんだんと歌うような、透き通った笛のような音に変わっていく。
声だけではない。翼は風を抱ける十分な大きさに広がり、体躯は幾回りも成長し、脚だけで巨木ほどもありそうだった。
巣穴が狭くなっていく。ドラゴンに導かれて空へと飛び上がると、生まれてから飛ぶことなど考えもしなかった自分の体が、軽々と浮かび上がっている。くすんでいた羽毛の色は純白になり、手触りはあたりの風精がこぞって触りに寄ってくるほどに滑らかだった。
空を舞う間にも変化を続けた鳥竜族の体は、とうとうドラゴンの花嫁としてふさわしいものになった。そしてドラゴンに捧げた心が脱皮を遂げると、大空のごとく澄み広がった精神と知性があらわれる。聡明さの開花した表情を最後に、彼女は産声を歌い終えた。
「いいぞ。俺がそなたの中に見た気高さはまぼろしではなかったようだな。さあ、踊ろう。その美しい姿を堂々と晒すのだ」
二匹は谷を飛び回った。風をはらんで、飛び上がり、旋回して、くるくると回りながら空を遊んだ。飛ぶことが楽しい。泳ぐことが楽しい。その姿を見た鳥竜族には、一様に彼女の変化が伝播した。萌芽した形質はささやかだったが、彼女の一族全てが変わりつつある。
そしていよいよ谷を飛び去ろうとする時に、彼女は巣穴に残した卵が気にかかった。もうすっかりと雰囲気の違った横顔に、ドラゴンが優しく囁く。
「そなたは俺の妻になるとともに、そなたから連なる血統の大いなる母となるのだ。沢山の子を成し、大地に子孫を繁栄させようではないか」
それは完璧なドラゴニックスマイルだった。彼女はもはや振り返ることなく、高く高く飛翔した。
古代竜《エンシェント・ドラゴン》アレックスと始祖竜《マザー・ドラゴン》フェイブルの、出会いの物語であった。
「やはりこのフワフワが心地良いな。はむはむ」
ぐぉーん。