ある日、この狭い村に珍しい客が二つも訪ねてきた。
「異世界の幽霊船だってよ」
「本物の幽霊船なんでしょ? 怖いわー」
「テレビが来てるって! テレビっ!」
「漁ができゃしねぇ。ったく」
この村唯一の浜辺である唯ヶ浜に異世界
ゲートから幽霊船がやってきたのだ。
異世界と繋がって二十余年、ポートアイランドは賑わっていたが、その波に乗り遅れた市町村は昔と何ら変わらぬ生活を送っている。
いや、過疎化と高齢化が進み状況が悪くなっている所もあるくらいだ。この村もそんな村の一つだった。
「ねぇねぇ、秋姉春兄。幽霊船見に行ってみようよ」
「別に良いけど……」
そんな淋しい村に訪れたイベントに、まだ高校に入ったばかりの夏実は興味津々だった。
ただでさえ娯楽の少ない村だ。珍しい物が来たのなら嫌でも話題になると言うもの。正直俺も少し見てみたい。みたいが……。
「私のことなら気にしないで。後で教えてくれればそれで十分だわ」
秋姉は俺達を気遣ってそう言った。
足場の悪い砂浜、まして人ごみの中に行くなんて秋姉にとって危険すぎる事だ。
もちろん夏実も悪気があってそう言って訳じゃない事くらい分かっているが、俺が夏実に少し注意しようした時、夏実が先に口を開いた。
「遠くから見れば平気だよ。それに秋姉には春兄がついてるじゃん」
夏実が秋姉に向かってウインクする。
その事によく分からなかったが秋姉が顔を赤くして珍しく「もー!」と怒って見せた。
夏実が「早く早く」と俺と秋姉を急かすように先に行ってしまったので、俺達二人も仕方なく夏実の提案に載る事にする。
秋姉が頑張って杖と体重移動で急ごうとしたので、俺は秋姉が転ばないように手を取って横を支えてあげた。
こんな時いつも秋姉は「ありがとう春ちゃん」と言ってくれるのだが、俺にとってこれはして当然の事なのだ。
こうする事で俺のせいでこうなってしまった秋姉への、せめてもの罪滅ぼしが出来るのなら。
俺達三人が向かったのは件の幽霊船が漂着した砂浜を、少し遠目に見る事ができる小高い丘のような場所だった。
遠くには大きな木造の、いかにも幽霊が出そうなボロボロの舟が砂浜に乗り上げ留まっている。
「おっきい船だね~。海賊船みたい」
「まるで大航海時代の木造艦みたいね」
「でもこんな昼間にあんな人だかりの中じゃ、幽霊船ってよりただのボロ舟って感じだな」
俺達がそれぞれ感想を言い合って船と周りに出来たテレビ局のクルーと思われる人々や、それを見物に来た野次馬の群れを見ていると妙な声が聞こえてきた。
『もし』
「え? 春兄なんか言った?」
「いや、夏実こそ何か言ったか?」
「二人ともどうしたの? 何か聞こえるの?」
『もし』
その声は男のような女のような、どこから聞こえるのか方角も距離も分からない不思議な声だった。
ともすれば簡単に聞き流してしまいそうな声だったが、俺達はその声をハッキリ聞いたのだ。
『異世界のお方、どうか私の願いを聞いて下さい。私を助けて下さい』
願いを聞けとは、助けてくれとはどう言う意味か。
声の主も分からないのに迂闊に返事など出来る筈がない。ただ気になったのは俺達を「異世界のお方」と呼んだ事だ。地球を異世界と呼ぶと言う事はつまり……。
「ひょっとしてあんた、異世界の人か?」
俺はいきなり確信を付いた。
『そうです。私はあなた方が異世界と呼ぶ所から来た者です』
声の主はあっさり答えた。だがこれだけ会話しているにも拘らず、未だに姿も場所も分からない。俺は何となく胡散臭さを感じていた。
夏実と秋姉も不安そうに俺の顔を見ている。姿の見えない相手に恐怖しているのだろう。当然の反応か。
「お願いをしたいならまず姿を見せて名乗ったらどうなんだ?」
『それが、そうできないのが辛い所なのです。私は
スラヴィアと言う国からあの船に乗ってやって来ました。いえ、やって来させられたと言った方が正確かもしれません』
「つまりどう言う事だ? いまいち話が分からないな」
『えぇ、では順を追ってご説明すると……』
声の主はそう言うといきなり静かになった。
どこに消えたのか?いったい何をしているのか?俺達が緊張して周囲を警戒していると、突然一匹の小鳥が秋姉の肩に留まったのだ。
「ワタシハユーレイノスラヴィアンナノデス。ダカラアナタガタニハミエナカッタノデス」
「うわ! 小鳥が喋った!?」
「綺麗な鳥ー! 可愛くない?」
「セキセイインコね。はじめまして、私は遠藤秋葉」
「私はねー、近野夏実って言うんだよー。よろしくね」
「狭間千春だ。あんたは?」
「ワタシハ『ヴィンター』。アノフネデボトムズヲヤラサレテイル」
「ボトムズ?」
聞き慣れない単語に俺と夏実は顔を見合わせた。ボトムとは英語で底の事だが、ボトムズとは一体?
こんな時頼りになるのは沢山本を読んでいて物知りな秋姉だ。俺と夏実は秋姉にSOSの視線を送った。
「ボトムズって言うのは船底でオールを漕ぐ、一種の奴隷みたいな人達の事よ」
「ソウ、ワタシハアノフネノドレイナノダ」
「奴隷!? そんなのが許されてるってのか?」
「酷い……もしかしてヴィンターさん、逃げ出して来たの?」
「……」
そう言った夏実の質問に、ヴィンターと名乗ったこのスラヴィアンは項垂れるように無言の返答をした。
そう言えば映画か何かで見た事がある。船底で鞭打たれながらオールを漕がされる奴隷達の映像を。
もしそれが本当の事なら同情を禁じえないのは確かだ。だが今の話を鵜呑みにしてしまって良いものか。俺は少し悩んだ。
「なぁ、やっぱりこれ向こうに知らせた方が良いんじゃ」
「ヤ! ヤメテクレ!」
俺がそう言うとヴィンターは秋姉の肩から飛び上がり、頭上をあわてて旋回しながら叫んだ。
「ミツカレバワタシハマタ、シヌコトノナイキョウセイロウドウニモドサレテシマウ! タノム! タスケテクレ! タノム!」
「な、何か可哀想だよ春兄……助けてあげられないの?」
「けどそれで国際問題? とかになったら俺達責任取れないし」
必死の訴えに心が揺らぎかけるが、もしかしたら俺達を騙す為の演技かもしれない。目的は何か他にあって、俺達を利用しようとしているだけなのかも。
そう考える俺の耳に、信じられない言葉が飛び込んできたのは、ヴィンターが再び秋姉の肩に留まった時の事だった。
「ソウダ! ワタシヲカクマッテクレタラキミノアシヲナオシテアゲヨウ」
「え?」
君、秋姉の足を治す。
余りに突然舞い込んだヴィンターの一言に俺たち3人はピタリと止まった。
医者もサジを投げた秋姉の足を治すなんて、苦し紛れについた嘘か?でもそんな嘘すぐにバレる。それでは取引材料にならない。じゃあもしかして本当に?
俺達の逡巡する様子を見て、ヴィンターが更に言葉を続けた。
「イマキミタチガミテイルトオリ、ワタシハトリツイタモノヲアヤツルコトガデキル。ソレヲオウヨウスレバカンタンナコトダ」
確かにヴィンターは今インコに乗り移って操っている。だが……。
「モチロンアキハヲアヤツルヨウナコトハシナイ。ニンゲンホドハッキリシタイシキノモノハ、アヤツレナイカラダ。ダガオノレノイシキノオヨバナイアシナラアヤツレル」
ヴィンターの説明に納得してしまう俺。
匿うお礼に足を操って歩かせてあげようと言う事か。秋姉が元気に歩く姿を想像して俺の心は嫌が応にも高まってしまう。
俺のせいで一生足が不自由になってしまった秋姉。取り返しのつかない罪を犯してしまったとずっと自分が許せなかった。
その贖罪が今……そう考えた俺の横から、ずっと黙っていた秋姉の声が聞こえた。
「それは、貴方が私に取り憑いている間だけの話でしょうか?」
そうだ、あまりに上手い話だった為に気づかなかった。
ヴィンターが取り憑いている間だけしか治らないのでは治すとは言えないじゃないか。
やはり騙す気だったのかと思い俺がインコに手を伸ばすと、インコのヴィンターは空に逃げて上を旋回しながら言った。
「ワタシノチカラデシンケイヤキンニクガカッセイカサレレバ、アトハヒトリデモクンレンデカイフクスルハズダ」
「足が……足が治る」
秋姉は表情にこそ出さなかったが、足が治るかもしれない可能性にたまらなく惹かれているようだった。
医者に治らないと告げられた足が再び自由に動くようになるのなら、奇跡だって何だって信じてみたくなると言うものだ。
「分かった、匿おう」
「春ちゃん!?」
「春兄、良いの?」
俺の突然変わった態度に驚く二人。その反応は当然のものだろう。
だが、俺達は今可能性を示されたのだ。そして少なくとも秋姉はその可能性を信じたがっている。
なら俺はその願いを全力で応援して上げるしかない。それがせめてもの俺の罪滅ぼしの気持ちだった。
「アリガトウ。ケンメイナハンダンニカンシャスル」
再び秋姉の肩に戻ったヴィンターが謝辞を述べる。
だが俺も流石に無保険で初対面の相手を信じる程お人好しじゃあない。喜ぶヴィンターに向かって俺はこう付け加えた。
「けど、もしあんたが俺達を騙しているとわかった時は、俺はすぐにでも入国管理官に通報する」
「ダイジョウブダ、シンヨウシテクレ。キミタチニハケッシテメイワクヲカケナイツモリダ」
「よし、なら期間を知りたい。俺達はいつまであんたを匿ってれば良い?」
「ソレハモチロンユウレイセンガアチラニカエルマデダ」
「分かった」
するとヴィンターの入ったセキセイインコが秋姉の肩の上でブルブルと震え始めた。
「サッソクアキハニテンイスルトシヨウ。ワルイガスコシササエテイテクレナイカ」
「う、うん」
夏実が秋姉の肩のセキセイインコを優しく手で包み込んだ。そして数瞬の後、夏実の手からインコが飛び立って行ったかと思った時、奇跡が起きた。
「秋姉、何か変わった所ある?」
「よく分からないけど、何だか足がポカポカと温かい気がするわ」
「それってヴィンターが足に宿ったのかな? ねぇ秋姉、もう歩ける?」
「わ、分からないわ……私……」
急に歩けると言われても恐くて試せないのも当然だ。困った顔で杖を手放せない秋姉に、俺は正面から手を伸ばした。
「大丈夫、もし倒れそうになっても絶対俺が支えるから」
「春ちゃん……うん、分かったわ。お姉ちゃん頑張る」
もう今の俺は昔のように守られるだけの弱いガキじゃない。今こそ秋姉を助けて秋姉の役に立つ時だ。
夏実が見守る中、秋姉は恐る恐る杖を離して俺の手を求めるように両手を伸ばして一歩、二歩と前進した。
「歩いてるっ。私歩いてるわ!」
「やったー! 良かったね秋姉!」
「秋姉おめでとう。本当に良かった……本当に」
秋姉を体ごと受け止めた俺は、思わずそのまま秋姉を抱きしめてしまった。だって秋姉が歩いた姿を見て、俺は涙を我慢する事が出来なかったからだ。
そんな俺の背中を、秋姉はポンポンと優しく叩いてこう言うのだ。
「泣きたいのお姉ちゃんの方だわ。だってこれで私……私……」
秋姉も涙を浮かべて自分の身に起きた奇跡を喜んでいる。夏実も同じだ。
こうして幽霊船をキッカケに訪れた小さな奇跡。その意味をまだ俺達は知らないでいた……。