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【さよならを言わないで 1】

 瀬戸内海に面する小さな漁村。そこは子供も少なく一学年数名程度の所謂『限界集落』と言うところだった。
 周りは皆都会に憧れ村を出ようとばかり考えている。当然だ。こんな所に至って夢も希望もない。何も楽しいものはない。俺も御多分に洩れずそう考える若者の一人だった。
「春ちゃん」
「あ、秋姉」
 下駄箱に靴をしまっていると廊下から優しい声が聞こえてきた。春ちゃん、そう俺を読んだのは一学年上の幼馴染、隣の家の秋子姉ちゃんだった。
「どうしたの? 今日は早いね」
「春ちゃんと一緒に帰りたかったから」
 そう言って秋姉は杖をつきながらヒョコヒョコと一生懸命俺の元へと歩いて来た。
「……」
 杖と体で上手くバランスを取りながら、上手く動かない足を引きずるようにしてゆっくり進むのだ。
 俺はそんな秋姉の姿を見る度に胸が苦しくなる。
「お待たせっ、春ちゃん。ごめんね歩くの遅くて」
「い、良いんだよ。別に暇だし」
 秋姉は足が不自由だった。だが生まれつきそうだった訳じゃない。
 俺のせいでそうなったのだ。
 ガキの頃漁師の親父に憧れて海で遊んでいた時、綺麗なクラゲを触ろうとして秋姉に止められたのが事の発端だった。
 俺は何も知らないガキのくせに親父の手前知ったかぶりをしたくて、女の秋姉に止められたのが悔しかったのか暴れて、そして……。
「良いのかよ? いつもみたいに図書室で本読んでかなくて」
「今日は春ちゃん部活無いって聞いてたから、これで良いの」
「ふーん」
 クラゲの毒で一週間生死の境を彷徨った秋姉は何とか命は助かった。
 だけどその時の後遺症で下半身に麻痺が残ってしてしまって、それ以来ずっと足は不自由なままだ。
「……」
「春ちゃん、今度の大会どう? 今度は勝てそう?」
「ま、一回戦くらいはね」
「二回戦は?」
「それ以上勝った事無いからわかんないよ」
 秋姉はリハビリを頑張ったが医者はこれ以上良くなる可能性は低いと言った。
 秋姉は一生このままだ。
「じゃあ私、春ちゃんが勝てるように応援に行ってあげるわ。お弁当はカツが良いかしら」
「でも会場遠いよ。いいよ、無理して応援に来てくれなくてもさ。どうせ負けるだろうし」
「そんな事ないよ。春ちゃんいつも頑張ってるもの、きっと勝てるわ」
「頑張ったって……」
 そう言いかけて俺は続く言葉を飲み込んだ。
 どのツラ下げて秋姉にそんな事が言える?『どうせ頑張ったって無理なものは無理』だなんて。
「……っ」
 秋姉は優しすぎる。普通だったら自分をそんな体にした俺を憎むもんじゃないのか?
「頑張ってればいつか願いは叶うわ。いつか、必ず……」
 秋姉は俺を励ますように言った。
 だが俺にはそれが呪いの言葉にしか聞こえないのだ。
 決して叶わない願いなんか願うだけ苦しむだけじゃないか。それなのにどうして秋姉はそんなに笑顔でいられるんだよ。そう思わずには居られなかった。
「あ、春にぃー、秋姉ー」
 その時、背後から元気な声が聞こえてきた。
 地をかける音と俺たち二人を呼ぶ声は明るく軽やかだ。
「夏実ぃ、お前今日ゴミ出し当番じゃなかったのかよ?」
「へへへ、ダッシュで済ませてきちゃったよーん」
 そう言うと夏実は秋葉の横に並び、その肩にかかった鞄を指差して秋姉に声を掛けた。
「秋姉、これ私が持ってあげる」
「え? い、いいわ悪いし」
「遠慮しないでっ。さぁ」
「じゃあ……」
 秋姉が申し訳なさそうに夏実に鞄を渡すと、夏実はまた急いで俺の横に来てこう言うのだ。
「もー、どーして春にぃこーゆーの持ってあげないかなぁ? そんなんじゃ女の子にモテないよー」
「勝手に言って――痛って」
 すると突然、夏実が俺の太ももに自分の鞄をぶつけて来た。
「へへー」
「やったなー、こらっ待てこのイタズラボウズー!」
「ボウズじゃないもーん!」
 逃げる夏実の後を追って捕まえる俺。そんなじゃれ合う二人を見て、秋姉はその場に立ち尽くしたままポツリと呟く。
「他の子になんて……モテなくたって良いわ……」
 秋姉の杖を握る手が震えていた。


 ある日、この狭い村に珍しい客が二つも訪ねてきた。
「異世界の幽霊船だってよ」
「本物の幽霊船なんでしょ? 怖いわー」
「テレビが来てるって! テレビっ!」
「漁ができゃしねぇ。ったく」
 この村唯一の浜辺である唯ヶ浜に異世界ゲートから幽霊船がやってきたのだ。
 異世界と繋がって二十余年、ポートアイランドは賑わっていたが、その波に乗り遅れた市町村は昔と何ら変わらぬ生活を送っている。
 いや、過疎化と高齢化が進み状況が悪くなっている所もあるくらいだ。この村もそんな村の一つだった。
「ねぇねぇ、秋姉春兄。幽霊船見に行ってみようよ」
「別に良いけど……」
 そんな淋しい村に訪れたイベントに、まだ高校に入ったばかりの夏実は興味津々だった。
 ただでさえ娯楽の少ない村だ。珍しい物が来たのなら嫌でも話題になると言うもの。正直俺も少し見てみたい。みたいが……。
「私のことなら気にしないで。後で教えてくれればそれで十分だわ」
 秋姉は俺達を気遣ってそう言った。
 足場の悪い砂浜、まして人ごみの中に行くなんて秋姉にとって危険すぎる事だ。
 もちろん夏実も悪気があってそう言って訳じゃない事くらい分かっているが、俺が夏実に少し注意しようした時、夏実が先に口を開いた。
「遠くから見れば平気だよ。それに秋姉には春兄がついてるじゃん」
 夏実が秋姉に向かってウインクする。
 その事によく分からなかったが秋姉が顔を赤くして珍しく「もー!」と怒って見せた。
 夏実が「早く早く」と俺と秋姉を急かすように先に行ってしまったので、俺達二人も仕方なく夏実の提案に載る事にする。
 秋姉が頑張って杖と体重移動で急ごうとしたので、俺は秋姉が転ばないように手を取って横を支えてあげた。
 こんな時いつも秋姉は「ありがとう春ちゃん」と言ってくれるのだが、俺にとってこれはして当然の事なのだ。
 こうする事で俺のせいでこうなってしまった秋姉への、せめてもの罪滅ぼしが出来るのなら。


 俺達三人が向かったのは件の幽霊船が漂着した砂浜を、少し遠目に見る事ができる小高い丘のような場所だった。
 遠くには大きな木造の、いかにも幽霊が出そうなボロボロの舟が砂浜に乗り上げ留まっている。
「おっきい船だね~。海賊船みたい」
「まるで大航海時代の木造艦みたいね」
「でもこんな昼間にあんな人だかりの中じゃ、幽霊船ってよりただのボロ舟って感じだな」
 俺達がそれぞれ感想を言い合って船と周りに出来たテレビ局のクルーと思われる人々や、それを見物に来た野次馬の群れを見ていると妙な声が聞こえてきた。
『もし』
「え? 春兄なんか言った?」
「いや、夏実こそ何か言ったか?」
「二人ともどうしたの? 何か聞こえるの?」
『もし』
 その声は男のような女のような、どこから聞こえるのか方角も距離も分からない不思議な声だった。
 ともすれば簡単に聞き流してしまいそうな声だったが、俺達はその声をハッキリ聞いたのだ。
『異世界のお方、どうか私の願いを聞いて下さい。私を助けて下さい』
 願いを聞けとは、助けてくれとはどう言う意味か。
 声の主も分からないのに迂闊に返事など出来る筈がない。ただ気になったのは俺達を「異世界のお方」と呼んだ事だ。地球を異世界と呼ぶと言う事はつまり……。
「ひょっとしてあんた、異世界の人か?」
 俺はいきなり確信を付いた。
『そうです。私はあなた方が異世界と呼ぶ所から来た者です』
 声の主はあっさり答えた。だがこれだけ会話しているにも拘らず、未だに姿も場所も分からない。俺は何となく胡散臭さを感じていた。
 夏実と秋姉も不安そうに俺の顔を見ている。姿の見えない相手に恐怖しているのだろう。当然の反応か。
「お願いをしたいならまず姿を見せて名乗ったらどうなんだ?」
『それが、そうできないのが辛い所なのです。私はスラヴィアと言う国からあの船に乗ってやって来ました。いえ、やって来させられたと言った方が正確かもしれません』
「つまりどう言う事だ? いまいち話が分からないな」
『えぇ、では順を追ってご説明すると……』
 声の主はそう言うといきなり静かになった。
 どこに消えたのか?いったい何をしているのか?俺達が緊張して周囲を警戒していると、突然一匹の小鳥が秋姉の肩に留まったのだ。
「ワタシハユーレイノスラヴィアンナノデス。ダカラアナタガタニハミエナカッタノデス」
「うわ! 小鳥が喋った!?」
「綺麗な鳥ー! 可愛くない?」
「セキセイインコね。はじめまして、私は遠藤秋葉」
「私はねー、近野夏実って言うんだよー。よろしくね」
「狭間千春だ。あんたは?」
「ワタシハ『ヴィンター』。アノフネデボトムズヲヤラサレテイル」
「ボトムズ?」
 聞き慣れない単語に俺と夏実は顔を見合わせた。ボトムとは英語で底の事だが、ボトムズとは一体?
 こんな時頼りになるのは沢山本を読んでいて物知りな秋姉だ。俺と夏実は秋姉にSOSの視線を送った。
「ボトムズって言うのは船底でオールを漕ぐ、一種の奴隷みたいな人達の事よ」
「ソウ、ワタシハアノフネノドレイナノダ」
「奴隷!? そんなのが許されてるってのか?」
「酷い……もしかしてヴィンターさん、逃げ出して来たの?」
「……」
 そう言った夏実の質問に、ヴィンターと名乗ったこのスラヴィアンは項垂れるように無言の返答をした。
 そう言えば映画か何かで見た事がある。船底で鞭打たれながらオールを漕がされる奴隷達の映像を。
 もしそれが本当の事なら同情を禁じえないのは確かだ。だが今の話を鵜呑みにしてしまって良いものか。俺は少し悩んだ。
「なぁ、やっぱりこれ向こうに知らせた方が良いんじゃ」
「ヤ! ヤメテクレ!」
 俺がそう言うとヴィンターは秋姉の肩から飛び上がり、頭上をあわてて旋回しながら叫んだ。
「ミツカレバワタシハマタ、シヌコトノナイキョウセイロウドウニモドサレテシマウ! タノム! タスケテクレ! タノム!」
「な、何か可哀想だよ春兄……助けてあげられないの?」
「けどそれで国際問題? とかになったら俺達責任取れないし」
 必死の訴えに心が揺らぎかけるが、もしかしたら俺達を騙す為の演技かもしれない。目的は何か他にあって、俺達を利用しようとしているだけなのかも。
 そう考える俺の耳に、信じられない言葉が飛び込んできたのは、ヴィンターが再び秋姉の肩に留まった時の事だった。
「ソウダ! ワタシヲカクマッテクレタラキミノアシヲナオシテアゲヨウ」
「え?」
 君、秋姉の足を治す。
 余りに突然舞い込んだヴィンターの一言に俺たち3人はピタリと止まった。
 医者もサジを投げた秋姉の足を治すなんて、苦し紛れについた嘘か?でもそんな嘘すぐにバレる。それでは取引材料にならない。じゃあもしかして本当に?
 俺達の逡巡する様子を見て、ヴィンターが更に言葉を続けた。
「イマキミタチガミテイルトオリ、ワタシハトリツイタモノヲアヤツルコトガデキル。ソレヲオウヨウスレバカンタンナコトダ」
 確かにヴィンターは今インコに乗り移って操っている。だが……。
「モチロンアキハヲアヤツルヨウナコトハシナイ。ニンゲンホドハッキリシタイシキノモノハ、アヤツレナイカラダ。ダガオノレノイシキノオヨバナイアシナラアヤツレル」
 ヴィンターの説明に納得してしまう俺。
 匿うお礼に足を操って歩かせてあげようと言う事か。秋姉が元気に歩く姿を想像して俺の心は嫌が応にも高まってしまう。
 俺のせいで一生足が不自由になってしまった秋姉。取り返しのつかない罪を犯してしまったとずっと自分が許せなかった。
 その贖罪が今……そう考えた俺の横から、ずっと黙っていた秋姉の声が聞こえた。
「それは、貴方が私に取り憑いている間だけの話でしょうか?」
 そうだ、あまりに上手い話だった為に気づかなかった。
 ヴィンターが取り憑いている間だけしか治らないのでは治すとは言えないじゃないか。
 やはり騙す気だったのかと思い俺がインコに手を伸ばすと、インコのヴィンターは空に逃げて上を旋回しながら言った。
「ワタシノチカラデシンケイヤキンニクガカッセイカサレレバ、アトハヒトリデモクンレンデカイフクスルハズダ」
「足が……足が治る」
 秋姉は表情にこそ出さなかったが、足が治るかもしれない可能性にたまらなく惹かれているようだった。
 医者に治らないと告げられた足が再び自由に動くようになるのなら、奇跡だって何だって信じてみたくなると言うものだ。
「分かった、匿おう」
「春ちゃん!?」
「春兄、良いの?」
 俺の突然変わった態度に驚く二人。その反応は当然のものだろう。
 だが、俺達は今可能性を示されたのだ。そして少なくとも秋姉はその可能性を信じたがっている。
 なら俺はその願いを全力で応援して上げるしかない。それがせめてもの俺の罪滅ぼしの気持ちだった。
「アリガトウ。ケンメイナハンダンニカンシャスル」
 再び秋姉の肩に戻ったヴィンターが謝辞を述べる。
 だが俺も流石に無保険で初対面の相手を信じる程お人好しじゃあない。喜ぶヴィンターに向かって俺はこう付け加えた。
「けど、もしあんたが俺達を騙しているとわかった時は、俺はすぐにでも入国管理官に通報する」
「ダイジョウブダ、シンヨウシテクレ。キミタチニハケッシテメイワクヲカケナイツモリダ」
「よし、なら期間を知りたい。俺達はいつまであんたを匿ってれば良い?」
「ソレハモチロンユウレイセンガアチラニカエルマデダ」
「分かった」
 するとヴィンターの入ったセキセイインコが秋姉の肩の上でブルブルと震え始めた。
「サッソクアキハニテンイスルトシヨウ。ワルイガスコシササエテイテクレナイカ」
「う、うん」
 夏実が秋姉の肩のセキセイインコを優しく手で包み込んだ。そして数瞬の後、夏実の手からインコが飛び立って行ったかと思った時、奇跡が起きた。
「秋姉、何か変わった所ある?」
「よく分からないけど、何だか足がポカポカと温かい気がするわ」
「それってヴィンターが足に宿ったのかな? ねぇ秋姉、もう歩ける?」
「わ、分からないわ……私……」
 急に歩けると言われても恐くて試せないのも当然だ。困った顔で杖を手放せない秋姉に、俺は正面から手を伸ばした。
「大丈夫、もし倒れそうになっても絶対俺が支えるから」
「春ちゃん……うん、分かったわ。お姉ちゃん頑張る」
 もう今の俺は昔のように守られるだけの弱いガキじゃない。今こそ秋姉を助けて秋姉の役に立つ時だ。
 夏実が見守る中、秋姉は恐る恐る杖を離して俺の手を求めるように両手を伸ばして一歩、二歩と前進した。
「歩いてるっ。私歩いてるわ!」
「やったー! 良かったね秋姉!」
「秋姉おめでとう。本当に良かった……本当に」
 秋姉を体ごと受け止めた俺は、思わずそのまま秋姉を抱きしめてしまった。だって秋姉が歩いた姿を見て、俺は涙を我慢する事が出来なかったからだ。
 そんな俺の背中を、秋姉はポンポンと優しく叩いてこう言うのだ。
「泣きたいのお姉ちゃんの方だわ。だってこれで私……私……」
 秋姉も涙を浮かべて自分の身に起きた奇跡を喜んでいる。夏実も同じだ。
 こうして幽霊船をキッカケに訪れた小さな奇跡。その意味をまだ俺達は知らないでいた……。


 いつしか日も暮れて真っ赤な地面に長い影が伸びる頃、俺たち三人は並んで歩いていた。
 やがて最初に夏実の家が近づき、手を振りながら元気な少女は家へと入ってゆく。
 俺と秋姉の家まであと百数十m。まっすぐ帰ろうとする俺の手を、柔らかくて細い指が呼び止めた。
「待って」
「ん?」
  秋姉はそう言うと道の真ん中で止まってしまった。疲れたのだろうか?秋姉の後ろから射す夕陽に照らされて表情は読めない。
「春ちゃん、少しゆっくり歩こ?」
「いいよ、分かった」
 そう言って秋姉は何と俺の手を握って横に並び歩いてきた。
 夕陽に照らされた顔は紅く、無言で下を向いて歩いている。俺も無言だ。お互い何も言わない。
 肌寒い空気の中手に感じた体温がやけに暖かくて、僅か百mあまりの時間が永遠に思えた。


  • 今まで語られてきた世界観をスラヴィアを上手く使い王道を見せた素晴らしい導入だった。世の中そんなにご都合とはいかない秋姉をめぐる環境と最後にすこし匂わせた伏線のような一片など次回への期待が高まる -- (とっしー) 2013-12-20 23:16:40
  • 作中に漂う空気切ないが切ない。とくに悲しい出来事がくると予感させる秋姉が -- (名無しさん) 2013-12-21 23:40:37
  • 重い過去から続いた関係と感情を思うとぐっと胸に突き刺さるものがありました。ファンタジーだけでなく医学にも通じるスラヴィアンの能力に種族関係の発展にプラスになりそうと思いました。情緒ある語りもぐっときます -- (名無しさん) 2019-03-24 17:52:17
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最終更新:2013年12月18日 22:09