男は人生に疲れていた。
夜の山道を歩きながら何も無い闇の先をじっと見つめながら考える。
自分の人生もこの山道と同じだと。
険しく暗く先など見えない。そして誰も通らぬ誰にも必要とされていない道。
懐中電灯の灯りと月の明りは僅かに周りを照らしてくれているが、夜の闇はそれでも尚深い。
男が居るのは兵庫県某山中。詳しい場所は男も知らない。
車を降りて徒歩数時間、自分のいる場所など当に分からなくなっている。
「こんな事ならもっと楽に死ねば良かったな」
そんな言葉が男の口をついて出る。
誰に言った訳でもない。人気など車を降りた時から全くないのだから。
男は電車に飛び込んだり高いビルから飛び降りたりも考えたが、人に迷惑がかかると思い留まった。
いや、これから死のうと言うのに迷惑もクソもない。
本当の理由はまだ男の中にほんの少しの恐れと迷いがあったからだ。
電車も飛び降りも一瞬で終わる。その一瞬で終わる道を男は選びきれなかっただけなのだ。
生きるも死ぬも辛いばかり。人は最後の瞬間まで楽になる事を許されないのだろうか。
いっそ何も感じない考えないまま、唐突に一瞬で楽に死ねたら良いのに。男がそんな事を思った時――
ズルッ
「っ!?」
男は足を滑らせて山の斜面へと体を躍らせた。
それは唐突な出来事だった。だが一瞬でも楽でもない。
転げ落ちる痛みが十秒程続き、止まった頃には全身が痛くて身動き取れない状態だ。
特に左手に激痛を感じ、目を動かして見てみると自分の腕があらぬ方向に曲がっているように見える。
あぁそうか、俺は咄嗟に受身を取ってしまったのか。
男は薄れ逝く意識の中そんな事を思った。死ぬ決心をして来た筈なのに、いざ死ぬ時は本能がそれを邪魔する。
だがこれで良かったのだ。自分では選びきれなかった道だから。
このままここで意識を失って、そして死ねれば目的達成だ。男は頭の後ろに感じる生暖かい液体を己の血だと悟った。
痛みはあるがこのまま眠るように死ねれば良いな。
もしこれで死に切れなかったら苦しみながら死ぬ事になるんだろうな。
そんな事を思いながら瞳を閉じる男。
この哀れな人生の落伍者を、山中に立つ朱色の大きな鳥居は静かに見下ろしていた。
男が落ちた地点に数百年前から立つその鳥居は、誰も知らない秘密の鳥居。
異世界とこの世界とを繋ぐ境界の門だった。
【ま ほ ろ ば】
「ぅ……ここは……」
次に男が目を覚ました時、彼は暖かな布団の中だった。
まだボヤっとする視界が次第に鮮明になり始め、彼は我が身に起こった事を思い返そうとする。
(俺は死のうと山に入って……それで確か足を……)
男はまだハッキリとしない意識と記憶の糸を手繰ろうと、今身の回りの状況を確認しようと首を傾け体を動かした。すると。
「痛っ! い、痛い……そうか、俺は」
その途端左腕に走った激痛によって、男の意識は強引に覚醒させられたのだ。それと共に記憶も蘇ってくる。
足を滑らせ山の斜面を転げ落ちた男は腕を折ったのだ。そして頭も強く打ち意識を失った。
男はてっきりそのまま自分は死ぬと思っていたが、今はどうだ。どこか古い日本家屋のような屋敷の中で布団を被せられ寝かされている。
あんな山奥の、それもルートから外れた崖下の様な所で、奇跡的に誰かに発見されて助けられたのだろうか。
「運が良いのか悪いのか……」
己の身に起こった不運な運命に皮肉を感じつつ、男は左手を庇いながらゆっくりと体を起こした。
見渡すとそこは本当に昔ながらと言った感じの、広い畳張りの和室だった。いかにも田舎の家と言った感じだ。
次に自分の腕を見てみる。
当て木が添えられて包帯がしてある。頭を触るとここも包帯が巻かれていた。どう見ても医者が処置したような手当ての仕方ではない。
そして気付いたがいつの間にか服も着替えさせられていた。旅館などで見る和服の寝間着姿だ。
男は病院ではなく民家の一室に手当して寝かされていたのだった。物凄くど田舎の村なのか?そんな事を考えていると、不意に正面の障子戸が開いたのだった。
「あっ」
眩しい朝日の逆光で相手は良く見えなかったが、一瞬聞こえた声から女性である事が分かった。
「お目覚めになられたのですか? 良かった、本当に良かったです」
次に聞こえてきた声、鈴のように澄んだ美しい声だった。女はそう言って部屋に入り静かに戸を閉めると、桶を持って男に近づいた。
「あなた様はここに来て三日も目を覚まさなかったのですよ?」
逆光が無くなり見る事が出来るようになった女の姿は、桔梗色の和服を来た細身の女性だった。下ろされた前髪は顔を半分ほど隠しており、長い後ろ髪は腰辺りで束ねられている。
だが、それより何より注目すべきは女性の顔……黒目勝ちの瞳は大きく、頭からは触覚のようなものが生えている。肌は小麦色で、よく見たら腕が4本ある。
(亜人だ。じゃあここは異世界?
ミズハミシマ?)
四本腕の女性が桶に張った水に手拭を浸しそれを絞る。「包帯を替えて良いですか?」と尋ねながら俺の頭に手を回して器用に包帯を取り始める。
「ありがとうございます」と答えている間にも、俺はしきりに考えを巡らせていた。
何故山で怪我した筈がいつの間にか瀬戸内海の
ゲートを越えてミズハミシマに?でもこの娘は見た所蟲人のようだが何故喋れてミズハミシマにいるのか。
だがいくら考えた所で分かる筈が無い。男は包帯を外し終わり濡れ手拭いを差し出してきた蟲人の娘に尋ねる事にした。
「ここはどこですか? あなたが俺を助けてくれたんですか?」
「助けたのは私じゃありません。門番をしている緑子(みどりこ)さんと縁子(ゆかりこ)さんです。そしてここは羅生村、地球であって地球でない場所です」
地球であって地球でない場所、と言う言葉に男は疑問符を浮かべた。それは一体どう言う意味なのか?地球なのか異世界なのか、その言葉だけでは分からなかった。
「申し遅れました。私、この旅宿の女将をしております蛍と申します。あなた様のお察しの通り蟲人です」
「あ、こちらこそ名前も名乗らずにすいません。俺は双葉敏明。助けて頂いてありがとうございま――」
グゥ~~~
その時、男の腹が盛大な音を鳴らせ会話を途切れさせた。男は少し赤面し「ハハハッ……」と照れくさそうに笑う。
そう言えば男は三日も食べていないのだ。腹の虫で空腹を思い出すと、思わず動く右手で腹を押さえてしまう程激しい空腹が襲ってきた。
「すぐに朝餉の用意を致しますね。少し待っていて下さい」
女――蛍はそう言うとニコやかに部屋を出て行ってしまった。男は空腹による軽い眩暈を覚えながら、再び布団の上に寝転がった。
体勢が変わったせいか動いたせいか、またもや腹の虫が鳴く。
(ご主人様は死にたいってのに、腹の虫はそんなに死にたくないのかね)
空腹から来る食欲に敏明は、ままならない運命を再び感じ、結局分からないままの「ここは何処なのか」と言う問いは、また後で聞けば良いさと今はただ目を瞑るのだった。
「金羅さま金羅さまぁ」
「なんじゃ細、朝から騒々しい」
長い長い廊下を元気よく走ってきた、仙人見習いである銀狐の亜人「細(ささめ)」は、勢い良くその障子を開けて中に転げ込んだ。
そこに居たのは朝餉を終え瞑想に入ろうとしていた黄金色の毛と九本の尾を持つ狐の神「金羅」。ここ羅生村を作り結界を守る異世界の神の分神だ。
「今そこで鉄(くろがね)さんから聞いたんですぅ。例の男の人が目を覚ましたそうですよぉ」
「ほう、死ななんだか。あの地球人」
そう言って閉じていた目を開けニコリと微笑んだ金羅。
男子禁制の聖地「羅生村」。傷付き苦しむ亜人の女達の駆け込み寺。そこは結界で守られ決して外に存在を知られてはならない場所。
金羅の結界で守られたこの地への立ち入りを許したのは、他でもない金羅自身だった。
「私男の人って見た事ないですぅ。見に行って良いですかぁ?」
「ならぬ。おぬしはまだ修行が足りぬ身。そのような状態で男と会えばどうなるか……」
「もぉ~、また金羅さま私の事子ども扱いしてぇ」
細は歳若い仙人見習いである。好奇心旺盛で男を見た事がないままここで育った。その細が男と会ったらどうなるか……。
金羅は細を心配していたのだ。やがては細に結界を張る手伝いをしてもらいたい。だからその為に修行の妨げになる男に逢わせたくなかった。
いや、細だけではない。この村には男に酷い目に遭わされた女達が大勢居た。その女達にも男を見せるのは危険だった。だが……。
「男の人見たいですぅ。見たいぃ。見たい見たい見たい見たい見たいぃ!」
このままずっと、永遠に男と会わぬまま暮らしてゆけるものだろうか?心の傷が癒えるまで待って、ずっとここで死ぬまで守り続けてゆけば良いのだろうか?
金羅は過去を思い出す。男との出逢いが必ずしも幸せをもたらすとは限らない。悲しみをもたらす事も少なくない。
それでも逃げ続けていては何も良くはならないと解っていた。神は自然の摂理には逆らえても摂理までは変えられない。
昔はずっと守り続ければ良いと思っていた。だが時代は変わりゲートが開き、いつまでもそうして居られないと思い始めた。
男と女、その自然の摂理にいつまでも逆らい続けられるのだろうか……。そして金羅は答えを見つける為、あの男を結界の中に入れた。
「あー分かった分かった」
「やったぁー」
「ただしっ」
喜ぶ細に金羅は厳しく約束をした。
「まずはここに連れてくるのじゃ。おぬしは男を連れ速やかにここに帰ってまいれ。そうしたら色々と話を聞いても良いぞ」
「本当ですか金羅さまぁ。やったぁ」
そう、まずはあの地球人の男に危険がないか、金羅自身の目で見極める必要があった。
傷を手当して助けてやった。その恩に報いる殊勝な心を持っているか。女を傷つけるような男ではないか。テストケースとしてこの里に置いて良い者かどうか。
「やれやれ……」
男子禁制のこの土地に男が居られる時間は短い。それまでの間に里の女達の心に良い変化が起これば良いが……。金羅は遠い目をして瞑想に入った。
あの男の運命は、そして里の傷付いた女達の心はどうなるのか。それは神である金羅にも分からない。
ただ一つ言えるのは、里を守る為なら金羅は非情な決断もすると言う事だけであった……。
次回に続く
- 尼寺の様な駆け込み村! >地球であって地球でない という言葉が気になりつつも目覚めてすぐにポイされなかった敏明の次なる出会いに期待 -- (名無しさん) 2014-04-29 21:31:26
- こういう異空間って知らず求めずだから入り込めるみたいなとこあるよね。双葉の本当の動機とかあるんだろうかね -- (名無しさん) 2014-05-05 23:48:09
- ひょっこり開いた道が日常から異世界に誘う見本のような。異なる世界に来てしまったらやはり同郷を求めるのは誰でも自然な行動か -- (名無しさん) 2014-09-25 23:47:33
最終更新:2014年04月29日 18:42