「祈り方なぞ忘れたわい」と《声》は言う。
「ただまあ、旅の安全は保障しよう。少なくともわしの中におる間は」
「そう願いたいもんだ」とグレッグが言う。ルミナス号の泡に潜り込まされて失われていた威厳が回復し、頼れるガイドらしさを取り戻している。一方、シーヴのほうは見る影もなくやつれ、視線を彷徨わせ始めた。あいにく、この空間には隠れられるようなスペースはない。シーヴにもそのことが分かったのか、観念したように体を縮こまらせた。シーヴの頭に乗っかったルミナス号が、まるで頭を抱えるように鋏を重ねた。
「そんなにおびえんでもよかろうが」と《声》。「ワシがなんかしたか?」
「しました! ついさっきしました! 覚えがないとは言わせませんからね!」
「生憎じゃがわしゃ自分に都合の悪いことは覚えてられん主義でな。ほかに記憶すべきことがわんさかあるとくればなおさらじゃ。とにかくそこのお嬢さんは落ち着いたらどうなんじゃ。水でも飲んで」
「いらないです」
「そうじゃったな。確かワシの水は価値ゼロじゃから飲む価値もないとか言うとったのう」
「そんなこと言ってないです」
「そうじゃったかな。まあ思い出せんがそれはよい。おまえさん方、確か《パイプライン》に行きたいとか言うとったのう。最近できたばっかりの」
「そうだ」とグレッグ。「《ミリオンズネスト》が創設した。何か問題か?」
「ん、まあ、事前にワシに一言の断りもなかったということが問題と言えば問題じゃが、そんなことは些細なことじゃ。それより大事な話があってな」
「なんだ」
「ふたつじゃ」と《声》がざわめく。震える響きが、ゆっくりと左右に分かれた。
「戦争と」「料金じゃ」
「戦争か」グレッグが顔をしかめた。「《パイプライン》でか? 《ネスト》に喧嘩売るとはどこの間抜け――ああ」
「バースターだな」と後を引き取ったのはボビーだ。
「バースター氏族は先だって同等の機能を持つサイトを手中に収めている。目的は不明だが、少なくとも降下市場の独占や寡占を目指していることは容易に想像できる。もともとバースターは《ネスト》に対する影響力を欲していた。今回の行動もそれに関連するものであると見たほうがいい」
「なるほどな。まったく、腹の立つ寄生虫共だ」
バースター。その名前には聞き覚えがあった。確か、私の最初の目的地を占拠してしまった氏族の名前だ。私は息を殺しているシーヴにひそかにメッセージを送った。見ると、シーヴは単にぼんやりしているわけではなくて、周囲の水精霊たちに働きかけて《声》をクラックしようと試みていた。漏れ出る感情タグの色から察するに、あまりうまくいっていないらしい。私はシーヴに、バースター氏族とはどういう連中なのかと聞いてみた。
「ええとですね」答えるシーヴの歯切れは悪い。「寄生氏族なんです。泥棒みたいな感じの」
バースターはもともと、寄生を修正とする蜂の一種から人工的に作り出されたのだという。かつてこの
マセ・バズークが侵略を受けたとき、対抗する兵器の一つとしてデザインされたそうだ。敵を倒し、その死体に大量の卵を産み付ける。爆発的に生まれる幼生はさらに多くの敵を倒し、卵を産み付け、それが再帰的に繰り返される。バースターのたちの悪いところは、徐々に相手を殺さない方向へ進化していったことだという。
「
オルニトって国が攻めて来たらしいんですけど、鳥人の偉い人をのっとって、偽情報を流したり破壊工作をやったりしたみたいです。いっぱい被害を出したんですって。怖っ」
戦争が終わると、バースターはその寄生能力をほかの氏族に向け始めた。いくつもの都市やサイトがバースターの支配下にはいり、バースターはそれらの資産をしかるべき相手に売り渡すことで多くの利益を得た。バースターは寄生者であり、転売者であり、他者の所有物から利益を吸い上げるスペシャリストだ。
「そういうひとたちが、今回はたまたま僕たちの行く場所を獲物に選んじゃったということみたいなんです。ほんと、迷惑ですよね」
「偶然ではあるまい」
ボビーが割り込んできた。
「バースター氏族は利にさとい。今回我々がアーマイトの庇護を受けて旅をしていること、異世界人がかかわっていることは公開されている。加えて旅の目的そのものも。深層部分とのコミュニケーションはほとんどの場合向こうからの一方通行だった。そこに我々の側から働きかけられるチャンスが転がり込んできたのだから、関心を示すのは当然だ。バースターは事業拡大の機会を見逃さないし、そのために手段を選んだりもしない」
「まあ、そういうこった。ちょっとした災難だな」
グレッグが肩をすくめながら言う。
「だがまあ、心配はない。バースターは俺たちに直接攻撃を仕掛けることはできないんだ。《規約》ってもんがあってな。俺たちの身分はアーマイト氏族に保護を受け、その一員に準ずるものとみなされている。一定以上の規模をもつ氏族の間では、特別の場合を除いて互いの資産に対する攻撃は大きく制限されている。だからまあ、その分細かい嫌がらせが流行るんだがな。今回のもそれだろ。とにかく、俺たちは安全だし、先に進める。保障するよ」
確かに、直前で行き先を変更したのだった。旅を妨害したり、危険をもたらしたりする何かが現れようだなんて、この旅を始める前には想像さえしていなかった。これがもし地球上の旅なら、外務省から渡航禁止命令なんか出たりもするのだろう。現地のゲリラやテロリストに誘拐されたり殺されたりするリスクがあるようなものだ。私はグレッグの仕事ぶりに感謝した。シーヴにはアーマイトの庇護に対するお礼を言うことにした。彼女たちのせいで厄介ごとに巻き込まれたと思っているわけではないことを示すためだ。気を回しすぎてかえって嫌味かとも思い、案の定シーヴは少しまごついていた。
「あのあの、僕が何かしたわけじゃないですから別にいいですよ、お礼なんて」
「そうだな。言うなら女王にだ。どうせ聞いてるだろうからな」
アーマイトの女王、シーヴの母親アムは、この瞬間にも私が配信している旅の実況中継を見ているはずだ。それに、彼女から預かったルートワームも。私たちの旅で何か問題でも起これば、乗り出してきてくれたりもするのだろうか。
ふと、気にかかった。バースター氏族が危険なゲリラのようなものであるとするなら、私たちの配信を直接受け取っている可能性もあるのではないだろうか。私たちに何かしら嫌がらせをしようとする者にとって、願ってもない情報源になってはいないだろうか。面白いと思って何気なく始めたことが、実はとんでもない危険を呼び寄せているのではないだろうか。
「ないな」というのがグレッグの答えだった。
「そりゃ見てるだろうが、そんなのは織り込み済みだ。それより、大過なく移動できていることの証拠を残し続けるほうが安全なんだ。もし奴らが何か仕掛けてくるとして、そりゃ衆人環視の中で大統領を刺すようなもんだ。一発で取り押さえられるし、逃げられない。大勢の目が俺たちを守ってくれているわけさ。それに、万が一の場合も」
グレッグが不意に言葉を濁した。「まあ、縁起の悪いことは言いっこなしだ」とあいまいに言う。
「そういや、あんたのほうはどうだ、配信のほうはもう慣れたのか?」
慣れた。というより、ほとんど意識しなくなってきた。私の自我殻はこの仕事にひどくなじみ、感覚や記憶を都合のいいように切り貼りして外へと送り出していた。視聴者サービスすら私の代わりにやってのけている。まるでもう一つの私が私の中に生み出されでもしたようだった。
「まあ、負担になってないなら何も言うことはない。旅費の足しにもなってるしな。おっと、それで思い出した」とグレッグは《声》に呼びかけた。
「料金の話だったな? 通行料か」
「その話に入れるまで永遠の時間がかかるかと思ったわい。そうじゃ。ワシの通行料を払ってもらう」
「いくらだ」
「そうさな、目的地は紛争地域じゃから、人生の歌ひとつもらおうか」
「法外だ」
「まあワシもそう思うが、言うだけ言ってみるのは交渉の鉄則じゃ。異世界人をもらうというのもなかなか乙なもんじゃろうが、わしゃそこのお嬢さんが気に入ったのう。どうじゃお嬢さん、ワシとここで永遠に水を飲んで過ごすというのは」
シーヴはしばらくの間きょとんとしていた。意味するところが頭にしみこみ終わると、シーヴは笑いながら涙を流し始めた。
「た、助けてください! 恐怖に満ちた穴倉へまっしぐらに連れ去られる! 白昼堂々誘拐犯が大手をふってうろついているこの場所に対する強い不信感を表明します!」
「一応指摘しておくが、今の地上では太陽が出ておらん。だから白昼堂々とは言わんわい」
「ディベートにおける詐欺師の七つ道具が臆面もなく繰り出される! 話を逸らさないでください! 今は言語道断の犯罪行為の話をしているんです!」
「まさしく、バスの不正乗車は言語道断の不法行為に相違ないのう」
「誘拐です! ちょっとクソ上司、この成り行きに何か思うところないんですか! これでも一応あなたの雇用下にあるんですよ僕の身柄は! 僕がいなくなったら鳥も鳴かないし食べるご飯は全部灰の味ですよ! いいんですかこの世の輝きに全部おさらばしちゃっても!」
「まあ、うん、そうだな」と気のない様子でグレッグ。「まあ、一人分の代理自我よこせってのはいくらなんでもあんまりだ」
「本体をよこせとはいっとらんのに。これでも大幅ディスカウントじゃ」
「話にならん。大体ボビー、通行権を確保したって言ったな? 料金交渉はしなかったのか」
「した。相場通りのレートで合意したはずだ」
「確かにな。だが都合が悪くなったのでその話は忘れた。わしゃとにかくこの娘がほしい」
「明確な信義則違反であり、《軌道》全体の信頼をも損なうものだ。言うまでもないことだが、貴殿の無体きわまる行為はこの異世界人を通じて全マセ・バズークに配信されている」
「しっとるよ。ちょっとした悪代官みたいじゃの」
「貴殿は有力なバスの一つとして確固たる地位を確立されている。このような事態を引き起こすなら、その地位も危うくなるだろう」
「そりゃなんともロマンチックじゃのう。何もかも失って愛を手に入れるというわけじゃ」
「た、助けてお母さん! 権力をかさにきた悪党が破滅的なこと言ってます!」
シーヴが悲鳴を上げ、私に縋り付いてきた。なおも言いつのろうとしていたボビーを、グレッグが身振りで黙らせた。
「《声》さんよ、いくらなんでも精神一つ丸ごとよこせってのは無茶だ」
「知っとるよ。だがワシはこのバスの代表知精であり、通行料を任意に定めることができる。多少不合理であろうとも、それを覆すには《規約戦争》しかないのじゃ。加えて、精神丸ごとなんて言うとりゃせん。ちょっとコピーをよこせというとるだけじゃないか。それも不完全な代物でよい。出血大サービスじゃ」
「ごり押しを隠す努力ぐらいしたらどうなんだ、爺さん」
「面倒じゃ。一応念のために言うとってやるが、通行料を払わん場合には元の場所に送り返してやろうぞ。海の藻屑にするかわりにな」
「そいつはどうも痛み入る」
「どういたしまして。さあ、どうしたもんかの? おとなしくその娘を置いていくか、通行をあきらめるか。一応《規約戦争》という手もあるのう」
「少し時間くれ」
「よかろう」
《声》が消え失せた。私はすっかり震え上がってしまっているシーヴを慰めようと努力しながら、苦虫を噛み潰したような顔のグレッグを見やった。ボビーは私の胸元に下がった瓶の中でカサカサ動き回り、かと思うと私たちのすぐそばに、《ハッシュ》にいたときの姿で実体化した。
「本件に関する自分の力不足を謝罪したい。このような悶着が起きることは想定していなかった」
「俺はここのバスを通るのは初めてだが、いつもああなのか?」
「そんなことはない。だが合理性や自己連続性にあまり重きを置かない精霊がいることも事実だ。彼らは自分自身が泡のように消え去ることを当然と考えている」
「にしたってありゃ代表知精だろうが。そんなんでどうやって仕事をする? 1サイクルごとに言うことが変わるような手合いじゃ文字通り話にならん」
「遺憾の意を表明する」
「しょうがねえな」
グレッグがシーヴを見やり、気づいたシーヴが目をむいた。
「何考えてるのか知りませんけど絶対に嫌です! たとえ代理自我だろうと何だろうと、こんなところに置き去りにされるなんて願い下げですからね!」
「そうできたら簡単だっただろうが、生憎おまえとの契約ってもんがあってな。それに向こうの汚いやり方に屈するつもりもない。なめた真似しやがって。とりあえず適正価格にまで値切るか、さもなきゃ向こうに一泡吹かせるまでだ」
そうだな――とグレッグはウインクした。妙に生き生きし始めているその姿は、トラブルから活力を得るガイドの鑑だ。
「とりあえずボビー、ここの通行にあたってかわした契約みたいなものが残ってたら見せてくれ。それと通行者の保護規定も」
「わかった」
「それから、シーヴ」
「な、何ですか」
「死ね」
但し書き
文中における誤り等は全て筆者に責任があります。
- シーヴの雰囲気がセイランと少し被った気がした今作。 中盤から今までにない方向へ話が進んでびっくり。グレッグは相変わらず冷静だけど後の面々の空気のせいか緊張感がほとんどないのが楽しい -- (名無しさん) 2014-07-07 23:46:59
- ストーリーが核心に近づいてきた気がする -- (名無しさん) 2014-07-08 01:31:55
- やりたいことが増えたからちょっと迂回しますよというふうに感じたなー。引きから次回が気になる度合いは今シリーズで最高だ -- (名無しさん) 2014-07-08 22:13:50
- 今回でおおっ?と感じたのは人間味が増したシーヴとグレッグ。泡蟹の性格がどんどん面白くなってる -- (名無しさん) 2014-07-11 23:47:43
- 専門用語みたいなものがふんだんに出てきますが電脳の海を泳いでいる雰囲気を崩さない流れと物事の説明がしっかりしているので内容が頭の中で補完されていきます。かつての戦争により生み出された氏族による乗っ取りなどハードな展開なのですがそれを語り合う当人達の空気が朗らかで面白いバランスになっています -- (名無しさん) 2016-12-22 20:42:03
- 異世界史と絡めた種族の性質や話毎に個性際だっていくキャラが楽しいです。こと利益に集約される氏族達の行動は純粋に人間らしいと思いました -- (名無しさん) 2017-11-12 16:26:40
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最終更新:2014年08月20日 23:07