【清霞追風録・独狐求敗 二】

 それから後、シキョウとスイメイは辻を巡り、繰り広げられている芝居を見て回った。
 打ち建てられた旗竿には演目の描かれた旗がひるがえり、役者がけれんみたっぷりのセリフで客を呼び込む。どらが打ち鳴らされて幕が上がれば、華美な化粧を施した役者たちが大見得を切り、観客がやんやの声を上げる。風精や光精、水精多数の助力を得た効果が場を盛り上げる一座もあれば、千変万化の一人語りで客をつなぎとめる芸人もある。道をそのまま舞台として至近距離で迫真の剣劇を披露するものあり、人形劇あり、きれいどころの女優がきわどい姿を見せるのが売りの安芝居ありと、どこの辻でも千差万別の演技が繰り広げられていた。
 どこの一座も演目は同じ、「独狐求敗水妖退治」となっていた。大まかな筋立ては以下のとおりである。


 什川郷の歴史を語るという体裁である。
 はるか昔、この地は貧しい不毛の地であった。耐えかねた人々は水使いの一座を雇い、泉を呼び寄せて生活の足しにしようとした。するとこれが大当たり、ただの水でなく温泉が湧いたのである。人々は大いに喜んだが、それも水妖が現れるまでのことだった。温泉の化身であったこの水妖は、実にへそ曲がりであったのである。
 水妖は水を独り占めし、我儘放題を尽くした。人々は困り果てて再び水使いの一座を呼んだが、水妖は説得を聞き入れない。仕方なく退治することとなり、腕に覚えのある武人たちがあまた送り込まれたが歯が立たない。そも流水を断つ武の持ち主など、そうそう現れるものではないのである。
 だが幸運にも、そこに一人の女剣士が現れた。氷のごとき美貌の狐人は名を独狐求敗と言った。その剣技たるやすさまじく、たちまち水妖を打ち倒して従えてしまったという。水妖は観念して温泉を明け渡し、晴れて什川郷は繁栄を享受するようになった。
 さて独狐求敗がその後どうなったかと言えば、それは一座によってさまざまである。中でも特に人気のある筋立ては、独狐求敗が自らの打ち倒した水妖と気を通じ、ついには結ばれるというものである。


「しまらん話だ」
 五つ目の劇を眺めながら、スイメイがうめき声をあげた。
「本当にひどい話だ」
「そういうなよ。ここは頑張ってるほうじゃねえかな」
 今しも山場を迎えつつある舞台を指してシキョウが言う。前半を潔く省略された筋立ては後半になると詳しさをまし、独狐求敗と水妖との睦合いに焦点が当てられている。疲労の色濃いスイメイとは対照的に、シキョウはどこまでも楽しんでいる。スイメイがもう一度うめいた。
「シキョウ、こんなものにいつまで付き合えばいい」
「どこかの一座がネタ元を吐くまでだな。なんだよスイメイ、大岳につま先を踏まれたみたいな顔して」
 シキョウは舞台から視線を逸らさない。男優扮するむくつけき水妖と、少々とうの立った独狐求敗がむやみに近づいては未練がましく離れていく剣舞を余さず目に収めながら、シキョウは首をひねって顎をかいた。
「妙な話も合ったもんだな、スイメイ。この街じゃこの芝居は鉄板だ。それも流行りだしたのはここ最近のことだとよ。なのにどこの一座に聞いても『歴史を語るおとぎ話でございます』の一点張り。カビの生えた昔話が急に流行るか?」
「私にはわかる。カビが生えるような昔話こそ何をしでかすか知れたものではない」
「なんだその声、偏頭痛か? 妙なことはもう一つ、どこもかわいそうなぐらいのビビりようだ。さっきの人形劇なんか俺たちが見てるのに気が付いただけで畳んじまった。悪いことしたもんだ」
「わいせつな見世物だった。今見ているこれがましに見えるほどだ。悔い改めたくなったのだろう」
「お前がすさまじい目つきでにらんだせいでか? お前芝居は嫌いなんだな」
「ものによる」
「んでこれはお気に召さないと」
「ああ」
「ふうん。まあ俺もだ。特にあの求敗って女が見てられんな。なんてったって名前が凄い」
「――ああ、ひどいものだ」
「だろ? なんだよ敗北求むって。勝てるものなら勝っていただいて結構ですよ無理だけどなハハハみたいな驕りたかぶった態度がぷんと匂って目も当てられねえ。劇だから仕方ないけどな。現実にこんな名前のやつがいたら指さされて笑いもんだ。どうしたスイメイ、腹でも痛いのか?」
「いや」
「鼻に串でも刺さったみたいな顔だぞ。まあ仕方ないか。どいつもこいつもお前を見るたびに本物の求敗が出てきたみたいな目で見てくるとくりゃな。女で剣士で見てくれもまあまあだと世渡りに苦労するもんですなあ、スイメイさんや。どうだいいっそ開き直って舞台に上がってみるってのは」
「断る」
「んじゃ求敗って名乗るだけでも」
「シキョウ」
「おこんなよ。虫歯が三本あるのに今更気が付いたみたいな顔だぞ。とにかく、どこの一座でも水妖がでて、それを求敗がぶちのめすって筋立ては共通してる。掛けはじめも同じ。こりゃ同じネタ元があると考えるのが自然だよな。ところがどこもだんまりだ。だんまりと言えば水妖のこともだ。今ここで悪さしてるはずなのに、どいつもこいつも口をそろえて『知らない。聞いたこともない』だとよ。どう見る、スイメイ?」
「私たちは実在しない水妖を退治させられそうになっていて、そのせいでこんな劇まで拝まされて、つまりはここで時間を無駄にしている」
「そんなにこの劇見るのがいやか? まあとにかく、水妖がいないってことはないだろ。それよりゃみんなで寄ってたかって何か隠してると考える方が自然だ」
「隠したいなら劇になどするまい」
「そこは妥協点ってやつだと思う。劇にしたい奴と隠したい奴の利害は別なんだろうよ。とにかく、ここじゃ水妖と独狐求敗ってやつが何かやらかしたってことは間違いなさそうだ。これだけでも収穫だな」
 スイメイがついとシキョウを見やった。考え込むシキョウに目を細め、それとわからぬようため息を漏らす。殊更に甘やかな声が、スイメイののどから滑り出た。
「ではなぜ、独狐求敗や水妖の存在を隠そうとするものがいるのだろうな?」
「それにゃちと考えがあってよ。とりあえず、ここで試してみようかと思ってる」
「というと?」
「独狐求敗がここにいるって線で行く。お、終わったみたいだな」
 ヘボ芝居とあって、客はまばらである。パラパラと上がる拍手にけだるげに答える役者たちに向かって、シキョウがにこやかに近づいていく。おひねりを渡しながら役者に何事か問いかけるシキョウの言葉を、スイメイはあえて耳に入れない。寒々しげに身を抱きすくめ、離れたところに身を置きながら、安っぽい作りの演題旗が風に揺られるのをにらみつけるばかりである。
「独狐求敗」の字が目に入るたびに、スイメイの横顔には霜が降りた。



「どういうことだこの野郎!」
 シキョウが急に張り上げた声に、スイメイは視線を落とした。シキョウは剣に手をかけ、座長と思しき兎人を怒鳴りつけている。そうでなくとも小さい兎人はすっかり縮こまり、嵩にかかって牙をむき出すシキョウにぺこぺこしている。シキョウは時折顎でスイメイの方をしゃくって見せ、そんなときスイメイに対しては小さく目配せをしてみせた。
「すると何か? 本人様に断りも入れずに芝居を掛けやがったってことか!」
「め、めっそうもない」
 耳のくたりと折れた座長が口をパクパクさせた。
「これはあくまで、この地に伝わる伝承をもとにしている芝居でして」
 だん、とシキョウが足を踏み鳴らすと、座長は口を閉ざした。恐る恐るスイメイの方を見やり、きょときょとした目を零れ落ちんばかりに見開く。わなわなと震えだした座長に顔を寄せると、シキョウは座長の耳をつかんで凄んで見せた。
「なあ、あれが本人だ。みりゃわかるわな。独狐求敗さまにおかれては、お前らがどこで水妖の話を聞きつけて来たのかといぶかっておいでだ。大層お怒りだが、お前らが本当のことを話してくれるなら八つ裂きは勘弁してくれるとさ。さあ言え! どこで水妖と求敗の話を聞いた?」
「ひ、ひぃ!」
「やめろ、シキョウ」
 たまらずスイメイは走りより、シキョウの腕を押さえた。解放された兎人は尻もちをつき、這う這うの体で距離を取る。特に追うでもなく、一座の殺気立った視線を向けられても平然としたまま、シキョウはスイメイに向きなおった。
「いったい何の真似だ、シキョウ」
「なに、ちょっとした情報収集だ」
「なにが情報収集だ。こんな騒ぎを起こして。何より私は求敗ではない」
「だが見た目は求敗で通る。狐人で、剣士で、見てくれもまあまあ。そこが大事なところだ」
 シキョウはあたりの男たちに顎をしゃくった。野次馬たちは皆一様にスイメイに目を瞠っている。囁きかわされる言葉に耳をすませば「本物だとよ」「すげえ」などと言ったつぶやきが耳に入る。他方では求敗を演じていた女がスイメイを悔しげににらみつけ、何事か捨てセリフを残して走り去る始末である。スイメイは天を仰いだ。
「それで、私が求敗だということにして、一体何がどうなるというのだ」
「水妖と求敗とのもめ事を良く知ってて、おまけにそのいきさつを隠したいと思ってるやつが血相変えて駆けつけてくるって見通しだな。どうかすると、求敗本人が」
 シキョウはこともなげにスイメイの背後を指した。先ほど走り去った求敗役の女が、虎人の巨漢を先導してやってくる。慌てて去っていく湯治客と入れ替わるようにして、もめ事を間近で見物しようとモノ好きたちが押し寄せてくる。にわかにあわただしくなりはじめた群集のなかにあって、ただシキョウとスイメイの周りだけが凪いでいた。
「思い出せよ、スイメイ。おれたちゃ水妖退治に来たんだろ?」
「お前がそのことに気づいてくれて何よりだ」
「んじゃまず水妖をさがさんことにゃ話にならんってのはいちいち言うまでもないな。ところが、ここいらの連中ときたらどうだ。水妖なぞ聞いたこともありませんときた。そのくせして水妖退治の劇は大流行りなんだぜ? とどめがネタ元明かせません、すべては作り話でございとくる。よく言うぜ。伏せたがってるやつがいるのは明明白白、だったらこっちも強硬手段に出るまでよ」
「それが求敗の仕業だというのか? おかしな話も合ったものだ。劇の筋立て通りなら、水妖は退治されているはずだ」
「それで俺たちが呼ばれることもない、てか。簡単だ。単に退治しそこなったんだろうよ」
 シキョウはせせら笑った。
「そろそろ一敗に改名してる頃合いかもな。伏せときたい理由は簡単だ。失敗をあげつらわれて喜ぶ奴はいないってことさ。カワイイところあるじゃないか、この求敗さんってやつも。まあ正確な事情はこれから分かるだろうさ」
「――サイヒョウ殿は、すべてご存じなのだろうな、きっと」
「退治しろって言ってよこすくらいだからな。なら何でおれたちにこんな手間取らせてまで書き落としたかは謎だけどよ。そら、謎解きはこの辺にしとくか。答え合わせはあいつに頼もう」
 シキョウは剣の柄をたたいて傲然と胸を張り、虎人を見て忍び笑いを漏らした。スイメイもまた、ちらりと虎人に視線を走らせて背を向ける。
「どう見る、スイメイ、あれが求敗だったりしないよな」
「違うとも。何しろ私が求敗だ」
「いいね、その調子で合わせてくれよ、スイメイさん」


「独狐求敗を名乗る不届きものがいるそうだな!」
 虎人が胴間声を張り上げる。身に寸鉄を帯びてもいないが、盛り上がった筋肉はそれを補って余りある。決して小さくはないシキョウより頭一つほども高い立派な体格に怒りを帯びて、虎人は牙をむき出した。虎人の怒りには歯と爪がつきものであるが、この虎人は奇妙なことに爪をひっこめたままである。とはいえ、その迫力はいささかも減じてはいない。
「お前か! 一体何のつもりだ! まっとうに商売している一座にケチをつけ、おまけに名まで騙るとは!」
「そういうあんたは誰だい、求敗かい」
「俺が求敗に見えるとでも言うのか?」
「違うなら結構。俺は別にケチなんかつけてねえよ。ただあんまりおもしろいお話なんで、ネタ元の一つも教えてほしいと思っただけだ。それに、他人の名を騙ってるなんてのもとんだ言いがかり。何しろそこにご本人がおはするんだぜ」
 ひょいとスイメイを指さす。スイメイの背に、虎人が初めて目を向けた。スイメイは顔を背けて見せず、虎人が片眉を跳ね上げる。軽く一礼して問いかけるその声音は、シキョウを怒鳴る時とは打って変わって丁重である。
「もし、お嬢さん」
「なんでしょう」
「わたくしはガインと申します。お嬢さん、ご尊名は?」
「独狐求敗ではありません」
「なるほど、確かですか?」
「もちろん」
「そうですか、失礼いたしました」
「いえ」
 ガインと名乗った虎人がシキョウに向きなおった。
「知らんと言っているが」
「そうだそうだ、私は知らないぞ」
 スイメイも蚊の鳴くような声で和する。シキョウが天を仰いだ。
「あのな、漫才やってるんじゃないんだ。スイメイも調子合わせるって言っただろうが。話が違うぜ」
「調子を合わせろということは、要するに騙そうとしているのではないか。そうなのですか、お嬢さん」
「とんでもありません」
「ほら」
「いい加減にしろよ、スイメイ。おい虎さんよ、試しにこいつの顔を見てみろよ。間違いなく独狐求敗だぞ。何しろ狐人で、女で、剣士で、とどめにとんでもない美形だ」
 スイメイが顔をあげ、そこをシキョウが素早くとらえる。有無を言わさず顎をつかんでガインの方を振り向かせた。シキョウをにらみつけるスイメイの一瞥は氷の矢のように硬く鋭いが、のらくらしているシキョウに刺さることはなく、つるりと滑るばかりである。一方ガインはあまりの蛮行を止めようとしてはたと手を止めた。何事か思い出そうとするようにすがめられたその眼で、スイメイの顔をはっきりと捉える。その顎が音を立てて落ちた。
「――本物だ!」
「そうともそうとも、本物にござい――よかったなスイメイ、思ったより大物が釣れたらしい」
「いいから手を放せ」
 シキョウの手を乱暴に引きはがしてつねり上げ、スイメイはガインに振り返った。スイメイの顔を目にしたガインは興奮を隠そうともしない。力強くうなずき、涙ぐみ、かと思えば顔を赤らめて目を伏せる。一つ所に落ち着かない激烈な反応である。
「間違いない。あの水妖の言ってた通りだ」
 感に堪えかねたように首を振り、ガインはさっと顔を引き締めると恭しくスイメイに抱拳した。
「お探ししておりました、独狐求敗さま。ぜひ俺とともにおいでください。水妖があなたに会いたがっております」



 但し書き
 文中における誤りは全て筆者に責任があります。
 独自設定についてはこちらからご覧ください。
 また、以下のSSの記述を参考としました。
 【続・その風斯く語りけり】


  • 舞台装置の説得力と劇→調査→ひと悶着がスムーズですいすい読めた面白い。 シキョウとスイメイの人となりが分かりやすいので作中風景がどんどん目に浮かんでくる。次回も楽しみ -- (名無しさん) 2014-10-26 10:42:32
  • 毎度古事伝承作りとそれを活かすが上手くて読んでて異世界大延偉人伝。どんな水妖が出てくるのか期待しちゃうけど外してくるかもとかも思っちゃったり -- (名無しさん) 2014-10-26 15:28:17
  • シキョウとスイメイだからサクっと解決と思ったらシキョウの寄り道が面白迂回で引っ張った。どんなのが出てくるんだろう -- (名無しさん) 2014-10-29 02:40:35
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最終更新:2014年11月01日 23:59