トウカの発気は熱い湯気の噴出を伴う。たちまちのうちに部屋に充満した湯気を貫いて、三者の武器がうなりを上げる。スイメイは剣、シキョウは掌、そしてトウカは自らの体を変形させて生み出した武具だ。右手から絞り出された大槍を突き出し、トウカはシキョウに狙いを定めた。
「まずはお前から!」
「うっせえよ」
激流の如く力強い一撃に、しかしシキョウは取り合わない。大槍が床板を粉砕するその一瞬前には、シキョウの体は空中にあり、天井をけって礫のようにスイメイへ飛来している。迎撃する剣をもかいくぐり、しかし続く回し蹴りにはたまらず弾き落とされる。吹っ飛ばされたシキョウが壁を突き破って建物の奥へ消え去り、それを見たトウカが歓声を上げた。
「すごいすごい! やっぱりあいつ弱いね。さすがは求敗――」
三閃。
人であればいずれも急所を刺し貫いたであろう攻撃がトウカに襲い掛かった。水妖であるトウカは急所を持たず、ゆえに驚かせる以上の意味はない。だがそれこそスイメイの狙い、防御のために引き戻されたトウカの右の大槍を、スイメイの刃は音もなく切断している。流水を斬る神業の冴え、トウカの体から切り落とされた槍はたちまちただの濁り湯にもどり、スイメイの体にばしゃりとはねかかった。
だがその雫が、スイメイを濡らすことはない。車輪の如く旋回した刃は、瞬時にすべてを吹き散らしてしぶきへと変えている。剣を構えて微笑むスイメイの瞳は、見るものを釘付けにする凄みをたたえていた。
「ぼんやりするな。次はお前だ」
トウカののどからほとばしったのは気合か、はたまた歓声か。瞬きひとつのうちに手から二刀を作り出し、竜巻のように迫るトウカを、しかしスイメイは一歩も引かずに迎え撃つ。トウカの得物を次々と切り払い、破壊し、少しづつその質量をそいでいく。多くの水があたりを湿し、立ち込める湯気がその濃度を増しても、スイメイの剣は乱されない。苦し紛れに振り下ろされた大斧をこともなげに切り飛ばされて、ついにトウカは息を荒げ、弱弱しく微笑んでみせた。
「すごいね、やっぱりスイメイ、昔のままだ」
スイメイもまた笑みを返し、剣を下ろす。トウカにすでに戦意は薄く、それはスイメイも同じである。優しげに眉を開き、何事か口を開きかけたその時――
トウカの背後から飛来した何かが、スイメイの顔面にぶち当たった。
端正な顔に深々とめり込んだつま先は、スイメイを一たまりもなくうち倒した。床にたまった水が跳ね、一方で足の主はトンボを切ってらくらくと降り立っている。ぼろ屑と埃にまみれたシキョウが、手のひらを突き上げて怪気炎を発した。
「よし! まずは一人だ! どうだ今のは、効いただろう」
スイメイはすでに立ち上がっている。床の湯に全身を浸し、濡れそぼるその立ち姿は仙女のように可憐だが、しかし滴る鬼気は隠しきれない。わざとらしく頬をちらりとなで、湿った服に顔をしかめる。得意げなシキョウを見やるその目つきには、今まさにその存在に気が付いたと言わんばかりのわざとらしさが凝っていた。
「すまない、どうもハエがいたようだ。顔に止まられたものでびっくりして転んでしまった。まったくけしからんハエだ。それで? 何が『まずは一人』だと?」
「お前がそんなハエぐらいで驚く玉かよ。まあいいさ、なんならもう二、三手ばかり披露してや――」
「スイメイに何すんだ!」
ほんの一瞬前までシキョウの頭があった場所で、五星錘が風を切った。槍、剣、刀、流水片に鉤に鞭、あらゆる武器がトウカの体から取り出され、シキョウめがけて振るわれる。そのすべてがシキョウの急所に狙いを定め、そしてことごとく届かない。足払いを仕掛ける大刀をひょいと飛び越えてかわしながら、シキョウは初めてトウカに目を向けた。
「確かに、ここいらはずいぶんハエが多いな」
「誰がハエだ!」
「お前だ。この間抜けが」
「むうううううう!」
トウカが地団太を踏むと、床にたまった水がばしゃばしゃと跳ねる。目の端は吊り上がり、口をわななかせて鼻息も荒い。文字通り頭から湯気を発するその相貌はあくまでスイメイのものと瓜二つながら、雰囲気は熱湯と氷水ほどにもかけ離れている。
「もう怒った! 手加減やめる!」
「ほー面白え。手加減してもらってたとはこりゃ面目の限りもないぜ。そら、見せてみろよその本気とや――」
ばちゃり、と言う水音に、シキョウのあざけりは吸い込まれて消えた。スイメイもまた、成り行きに言葉を失った。一人得意げなトウカが、再びばちゃりと音を立てて体から水を切り離した。衣を構成していた温水がただの水に戻り、隠していたものがあらわになっていく。大量のお湯が投じられ、あたりは池のごとき有様である。
そうして最後の一枚を脱ぎ捨てたトウカは一回転すると、いとも軽やかに飛び跳ねてみせた。床に波紋が走り、トウカは再び構えを取った。
「さあ、これで余計な重りは無しだよ。どこからでもかかってきなよ」
顔をひきつらせて、声にならない悲鳴を上げたのはシキョウである。一方でまた、スイメイも一瞬たりとも後れを取らない。二人はほぼ同時にトウカめがけて打ちかかった。スイメイの剣とシキョウの掌は過たずトウカの頭を狙い、それが両者ともわずかに迷いを生んだ。破たんした包囲の隙をかいくぐるように素早く後退したトウカが体から双剣を生み出し、二人を指して屈託のない笑顔を浮かべた。
「へへん、どう? ずいぶん素早くなったでしょ? もうハエなんて言わせないもんね」
胸を張るトウカからシキョウは目をそらし、するとそこにはスイメイがいる。どんよりと曇った眼で互いを見交わし、ついに口を開いたのはシキョウである。
「文句あるならあいつに言え」
「私に任せてくれとあらかじめ言ったはずだな?」
「こんな飛び道具なんざ予想できるか」
「とにかく、この場は私に任せてもらうということでいいか」
「生憎だが、それじゃこっちの気が済まないんでな。俺にもげんこつをくれてやる権利くらいある」
「私をさしおいてか?」
「お前の邪魔はしねえよ」
シキョウが素早く間を詰めた。間合いに劣る掌を用いながらも、シキョウは着実に踏み込み、トウカの攻撃をものともせず追い詰めていく。はた目にも動きの軽いトウカをして、なお逃れることのできぬ攻め手である。トウカが目を瞠った。
もともと、トウカの動きは、さまざまな流派や武器がでたらめに入り混じったものである。接合も考えず破たんに満ちた技法の混合も、そのでたらめさが意表を突く作用をもたらすことがある。これに力ある水霊として水脈からくみ上げる剛力が合わさることで、数多の武人が下されてきたのだった。
だが、それもシキョウには通用しない。天下の武を余すところなく学び、融和させて己がものとしたシキョウにかかれば、でたらめな技の寄せ集めなど駄々っ子が暴れているに過ぎないのだ。
トウカの突きを見もせずかいくぐり、シキョウは再びトウカの肩口を打った。水で形作られた体を掌で撃ち、それはただ波紋を走らせるばかりである。スイメイのように体を切り落として質量を殺ぐでもなく、だがシキョウは攻撃を止めない。防御をことごとく見切り、次々と掌を打ち当てては引き下がる。初めのうちこそ訝っていたトウカの顔色はみるみる失われ、ついに十合ほども――武器を打ち合わせることのない不思議な戦いをあえて合という単位で数えるならば――手を交わした末、トウカが色を成して飛びずさった。
「ちょっと! なんか変なことするのやめてよ!」
「変なことじゃねよ。お前こそ少しは防げよ。張り合いのない」
ぶすりとシキョウが首筋をぬぐう。顎を突き出すトウカとは対照的に、その顔色はどこか硬く、まるで何かを見定めているかのようである。
「あのな、別に降参してもいいぞ。格が違うってわかっただろ。お前のは全部はずれ、俺のは全部あたり。さっさと降参しろ。あと服を着ろ」
「いやだ。なんで降参なんか。お前の攻撃なんか全然効いてないもん。触ってるだけじゃん」
「変な言い方するな。スイメイに誤解されるだろうが」
「だって触ってるだけだもん! ねえスイメイ、こいつ変だよね?」
スイメイはシキョウに目を合わせない。これ以上はないほど目をすがめ、もの言いたげなシキョウの口を封じている。今やその声は氷結していた。
「確かに、私にはお前の狙いがわからん」
「ほう、スイメイさんにもわからんことがあるってか」
「私には、意味もなく勝負を引き延ばしているようにしか見えないな」
「おい」
「そうでしょ! 勝てないからそういう小賢しいことしてるだけだと思う。ボクの勝ちでいいよね」
「お前は黙ってろ」
「私に言えるのはな、シキョウ、もし何か策があるとでもいうなら、そろそろ引き伸ばすのは止めたらどうだということだ。見飽きた」
スイメイの顔は今や傍目にもはっきりと引きつり、それはシキョウにも伝染した。どうにかといった様子で鼻を鳴らし、あくまで何気なく態勢を整える。シキョウの体に、何かが宿った。
「これの準備だ」シキョウが動いた。「水霊に試すのは初めてなんでな」
地を這うように身を沈め、トウカの不意を衝く。破れかぶれに繰り出された攻撃はすべてかすりもせず、シキョウはトウカに肉薄した。突き出す掌はあくまでゆったりとした運びながら、トウカが身をよじるその先へ先へと動いて逸らさない。ついに掌がトウカに触れると、シキョウは全力を解き放った。震頸。トウカの体を構成する熱水は送り込まれた掌力を余すところなく受け取り、一たまりもなく吹き飛ばされた。トウカは壁にあいた穴からそのまま外へ飛び出し、どうと重い音を立てた。人々のどよめきが続き、外に詰めかけた野次馬の中心に落ちたと知れた。
水しぶきを振り払い、シキョウは顎を上げてスイメイを見やった。スイメイもまた、小さく頷いて剣を収める。三人がかりで暴れ回り、トウカが散々水をまき散らしたとあって、部屋は惨状を呈していた。いつの間にか姿を消していたガインを目で探しながら、スイメイはぽつりと言った。
「初めからアレを出せ」
「無茶言うな。それなりに難しいんだ」
「簡単そうにみえたが」
「なんでもお前基準で考えるな」
「私はてっきり、お前に遠慮があるのかとばかり思ってな」
「なんでまた」
「何しろあの見た目だったからな」
「多少服着てないぐらいで手加減するとでも?」
「もしそうなら、今後は私も検討しようか」
「――お前にゃ手加減なしだ。何やろうとな」
沈黙が下りた。二人は視線を彷徨わせ、しかし決して交わらせない。床をけり、何とはなしに壁の穴から外を覗いたシキョウが目を細め、泡を食った。寄ってきたスイメイもまた遮るシキョウを容易くくぐり、ひょいと顔を出す。一目でスイメイは化石した。
男たちに取り囲まれたトウカが、悶えていた。
シキョウによって吹き飛ばされたトウカは宿の前の道に墜落し、そのまま伸びていた。その体は細かく震え、小さい波が現れては消えていく。まるで小さい池に岩を投げ込んだかのように、シキョウの流し込んだ掌力はトウカの中で荒れ狂っていた。まるで全身をくすぐられでもしているかのように身もだえし、体を反らし、時々こらえかねたように吐息を漏らす。
これらがすべて、スイメイの姿を保ったまま行われていた。
取り巻く男たちは突然落ちてきた美女の有様を瞬きさえ惜しんで見つめている。あたりには奇妙な圧力が高まりを見せていた。スイメイとシキョウは顔を見合わせた。両者ともに感情はすっかり抜け落ちている。無言の攻防の末、先に口を開いたのはスイメイである。
「シキョウ」
「俺のせいじゃねえだろ」
「私もそう思う」
「不可抗力だ」
「そうだろうとも」
「八つ当たりなんてお前らしくないぞ」
「そうか」
シキョウは実に三手をしのいだが、神業のように冴えわたった四手目は防げなかった。
どう、と倒れ伏すシキョウをしばし眺めた末、床に転がっていた寝台から毛布をはがすと、スイメイはトウカのもとへ降り立った。なおも湯気を吹きだしながら身もだえするトウカを片手で引っ張り上げ、毛布で包む。あくまでもにこやかに周囲を睥睨し、トウカの頭を小さくはたく。頭頂部から撃ち込まれた震動はトウカの中を荒れ狂う波を打消し、鎮めた。
「スイメイ……」
「お前の負けだ、トウカ」
周囲の男たちに向けてはなっている殺気の嵐の中で、トウカだけはその目となっていた。いまだにはっきりしない様子のトウカがスイメイに身を摺り寄せた。
「すごかったなあ」
「そうか」
「あんなの初めて」
「そうか」
「すんごくねえ――気持ちよかった!」
トウカが急に背を伸ばし、毛布が落ちた。完全に光を取り戻した瞳はきらきらと輝き、いかにもうれしげに動き回ってスイメイを見つめる。スイメイはぐっしょりと濡れそぼった毛布をちらりと眺め、そうしてトウカから目を反らそうとして失敗した。
「何あれ! すごいよ! なんかずがってなってどーんってなって体がふわあってしたよ! すごく気持ちよかったなあ! 気持ちよかったよ、スイメイ! もっぺんやってもらいたいなあ。あいつにもいいところあるよね。許してあげようと思う。スイメイもやってもらったらいいよ、きっと気持ちいい――」
トウカに対しては、スイメイは事前に警告などしなかった。頭頂部に震頸を撃ち込まれてあっけなく昏倒したトウカを、スイメイは容易く担ぎ上げた。そのままひょいと飛び上がり、シキョウの横にトウカを転がす。
そうしてスイメイは眉間をもみほぐし、深い深いため息をつくことを己に許した。
但し書き
文中における誤りは全て筆者に責任があります。
独自設定については
こちらからご覧ください。
また、以下のSSの記述を参考としました。
【続・その風斯く語りけり】
- 脱げば脱ぐほど早くなる!まったく眼のやり場に困りますな!(ゲス顔 -- (名無しさん) 2014-11-08 23:24:06
- 考えてみたら精霊を物理的に倒すのって不可能なんじゃ… -- (名無しさん) 2014-11-09 20:05:21
- シキョウの考えうる中での最上の策!ということなんだろうけど相性が悪かろーもん -- (名無しさん) 2014-11-09 22:01:46
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最終更新:2014年11月08日 22:58