天中に太陽が登った頃、伊達石は海都に繰り出していた。
同じ外映の脚本家、元原正美を訪ねるためであった。
外映は意外に大所帯である。故に近隣のいくつかの旧家に分かれて逗留していた。
伊達石たちのいる海の村より海入りを経てしばし陸を歩くと、城を取り巻く町家が見えてきた。
この中にある町火消しの家に元原と大下という伊達石の同期の役者が逗留している。
次第に賑やかになる街道は鱗人が行き交い、活気に溢れてきた。
腕に巻きついて道中に付いて来た風精霊も心なしか嬉しそうにはしゃいでいるように見えた。
女中によれば、精霊とは気分屋で楽しいものや面白いものに惹かれて集まってくるのだという。
昨夜秋山たちと酒盛りをした時も様々な精霊が寄ってきた。
だとすれば演者の必死のやり取りで観客を沸かせる、魅せる殺陣も受けいれられるのでないか。
だが伊達石には些かの不安があった。
未だに武家社会の残るミズハに殺陣が受け入れられるかということだ。
如何に武道の面が強かろうと、殺陣とは突き詰めていけば剣舞なのだ。
演者が真に斬り結び、どちらかの命がなくなるわけではない。
型として殺陣師が順序立て、それを芝居として魅せるのだ。
侍らしい侍は少なくなったとは言っていたが居なくなったわけではあるまい。
それはつまり「演技」ではなく「本質」の斬り合いが今もこの世界には存在するということだ。
彼らに日本のチャンバラが通用するのか。 自分たちの剣術とミズハの剣術は相容れる物なのか。
考えれば考えるほど伊達石の太い眉が寄り、眉間に皺が拠り、いかめしい顔が更にいかめしくなる。
その時である。
「やいやいどこに目ぇつけて歩いてやがる!」
人通りの向こうから響いた突然のどなり声に我に返った。
何事かと目をやれば人垣の隙間から相対する二人の鱗人の姿がある。
片や着流しの鮫、興奮し相手を恫喝している。
片や裃の身なりの良さそうな鯰、静かにしてはいるが相手の言葉一つ一つに髭が苛立たしげに揺れ動いている。
両者ともに髷を結い、腰には意匠や差し方は異なれど刀がある。
この状況は誰の…それこそ
ミズハミシマの外なる世界から来た伊達石の目にも明らかであった。
「……余所見をしていたのは其の方だろう。大方賤女の尻にでも見とれておったのではないか?」
耐えかねた鯰がついに反撃に転じる。
「なんだとぉ!」
月並みな台詞とともに鮫が腰の刀を抜き放ち、鯰も応える。
野次馬たちが遠巻きに見守る中、鮫と鯰が打ちあい、斬り結ぶ。
好機だった。鴨が葱背負ってやってきたもとい、鱗人が刀差してやってきた状態に伊達石は自然と昂揚していた。
昭和に生まれ平成を生きる自分が拝む事叶わない果たし合い、一騎打ち、人と人との命がけのやりとり。
人波を掻き分け最前に陣取ると食い入るように観察を始めた。
その姿はある種異様でそれが見慣れない人間がやっているとなれば、周りの視線も果たし合いから伊達石に移ってきった。
だが当の本人はそんな事などお構いなしに、次第に今にも駆け出さんとするほど前屈みになっていく。
普段は冷静ではあっても男の子なのだ。そして遂に…
「俺も混ぜてくれ!」
伊達石は思わず鮫と鯰との間に乱入していた。
「…それでその怪我?」
「おう」
一刻ほどして伊達石は元原正美と面会していた
あの後、伊達石の乱入により斬り合いが止まることはなかったが鮫と鯰は些か混乱したようで勢いを削がれ駆けつけた同心に番屋へと引き立てられていった。
当の伊達石は簡単に事情を聴かれただけですぐに解放された。
そして近くの茶屋で怪我の手当をすませ、今に至るわけである。
「こう、鼻先のこの間近で突きが通ってな、それで間合いを取ったら今度は鞘で横合いから打ち据えられて、ありゃ重かったな。そんで……」
頬に湿布、腕には包帯、乱れた着衣に土汚れがあるにも関わらず面白そうに事を報告する伊達石に対し、彼女は二度ほど見ただけで何やら書物を読み漁るのに夢中なようであった。
「呆れた。斬り捨て御免でもされたらどうする気だったのよ」
「はは、そりゃいいな。身を持って鱗人の剣術を感じれる」
「感じられる。らを抜くな。らを」
「はいはい、感じられる。これでいいだろ?」
「はいは一回」
「はいよ」
「…血かしら」
「多分そうだろう」
「繊細な癖してヤンチャがってるのも?」
「なんだそりゃ」
「…あの子の将来が心配だわ」
「俺の子だ。心配しなくても立派な役者になってくれるだろう」
「そういう意味じゃないわよ…」
溜め息をついて、元原はようやく向き直る。
「で、どうだったの?ミズハミシマの剣術は」
「上々。構え、刀、居振る舞い、俺たちの剣術と相違なし。強いて挙げうるなら刺突の比重多し。おそらくは水中に適用するものと思われる。そんなところだ」
「刺突ねぇ、フェンシングに近いの?」
「否。あくまで斬撃との連携が基本だ。鱗人の剣術の根が海中にあるなら、陸上の剣はもっと俺たちに近いはずだ」
「そういうところはよく見てるのね、そういうところは」
「含みのある言い方だな」
「別にぃ。受け取り方の問題でしょ」
言って彼女は眼鏡を外して向き直る。
この元原正美という女は伊達石にとって、扱いにくいが気を許せる異性の一人だった。
そもそもの出会いは別れた妻の紹介だ。
「作家になるために昔を全て田舎に置いてきた!」
開口一番発せられたその言葉に凄まれて、伊達石は思わず「座付き作家なら紹介する」と返してしまった。
まだ養成所を出たばかりで闇雲な時代ではあったが幸いに良い伝手があった。
そして彼女は台本を書くうちに好評を博すようになり、とんとん拍子に劇作家の階段を駆け上がり、回り道をしたが文壇の綺羅星となった。
普段本を読まない層でも名前だけは知っている某文学賞の授賞式でのしたり顔は未だに脳裏に焼き付いて離れない。
そんな元原も今では外映の同志であり、なんだかんだで離婚後も自身に付いてきた息子の世話を焼いてくれているあたり、腐れ縁に近いのだろう。
「私の方からも面白い発見があるわよ」
「何だよ」
「一昨日、万城目さんとオトヒメさまに謁見してきたんだけど」
「そういや行くって言ってたなあ。で、それがどうした」
「…彼女はこの世界のヒトじゃないのかもしれないわね」
「はぁ?」
突然のことで伊達石は面食らった。
オトヒメと言えばこのミズハミシマの祀族長であり国主だ。
日本で例えるなら天皇にあたるだろうか。ありえるはずがない。
「なんでまたそう思う?」
つとめて平静に返すと元原は淡々と続ける。
「強いて言うなら小さい仕草と……あとは発声法と、訛りかしら」
「訛り?」
「僅かに伊予の傾向があったわ。彼女の御厚意で二人きりにさせてもらった時に確認したんだけど、時々知らないうちに出るって」
「たまたまそういう言葉がこっちにもあったんじゃないのか」
「可能性は否定できないわね。そのためにありったけの言語書・躍辞書を漁ってるの」
先ほどまで机にかじりついていたのはそういうことだったらしい。
「まだお前が見つけられてないとかそんなオチかもな」
「白秋コンビの秋山と同じ宿だったわよね」
その言葉を聞いた途端、伊達石の中に昨夜の光景が浮かんだ。
酔っぱらった秋山が女中の一人に言い寄ったのだ。
秋山は大阪の生まれで西の訛りが強く、いくら周囲が指導しても直ることはなく、開き直ってコテコテの関西弁を使い続けていた。
加えて酔った勢いなのか以前芝居で覚えたという庄内弁と薩摩言葉が混じり、付き合いの長い伊達石と白波でさえ何を言っているのかわからない始末であった。
だが当の女中は困った表情を浮かべつつ、『標準的な日本語会話』でやんわりと断っていたのだった。
最終的に肩に強引に回した手を抓られて撃沈した秋山を笑い飛ばしていたが、まさかそんな重要な場面だったとは露にもおもわなかった。
秋山と女中、元原とオトヒメ様。
人対亜人で翻訳加護が付与されている現状で、それぞれの会話はどれも例外では無いはずだ。
だが後者は変換されることなく、お互いに近い言語で意志疎通が可能で、かつ訛りまでも伝わったとなれば、事は一つである。
絶句せざるを得なかった。
「心当たりがあるみたいね……あのオトヒメ様は地球の言語、しかも日本語を本能的に話せる」
沈黙を破り、元原がだめ押しを投げかける。
「でもちょっと待てよ。
ゲートの開門はほんの十数年前で、往来が出来るようになってからなんて片手でお釣りがくるぞ。それなのにオトヒメ様は何百年も前から自分を生んではの繰り返しで転生してるって話だ。これはどう説明する?」
「昔から神隠しや逢魔が時の逸話が無かったわけじゃない。むしろ腐るほどあるわ。大号令の元で大門が開くことはなくても、何かの拍子に人知れず通用門が開いた」
「じゃあオトヒメ様はそれを通ってこっちに来たって言うのか」
「私たちが潜ってきた門を大ゲートと言うのならば、さしずめ小ゲートってところかしら」
「まさか題材にするとか言わないだろうな」
「言わないわよ。あくまで推察に過ぎないものを公表する気なんてさらさらないし」
「ならいいんだが、あんまり迂闊なことはするなよ」
「果たし合いに首を突っ込んだあんたが言う?」
「た、たまにはいいだろうが」
「またそれ。たまにはが過ぎてたまにはどころじゃなくなってるわ」
「…すんませんでした」
「『殺陣師たるもの周囲はよく見とけ』、いつも自分で言ってるくせに。だから奥さんにも逃げられるのよ」
「…最後の一言は余計だ。というか、人の家の事情に土足で上がりこむな」
「上がりこまなかったらあの子があんたみたいになっちゃうでしょ」
「その前に自分をなんとかしやがれ行き遅れ独身喪女!」
「言ったわねバツイチ穀潰しチャンバラ馬鹿!」
不穏な空気に火花が散る。
「またやってんの?」
その空気をガラリと変える声とともに釣り竿を担いだ男が障子を開ける。
大下だ。
先述の通り、彼は伊達石と同期で外映計画にいち早く馳せ散じた男でもあった。
「いつも飽きないなぁお前ら」
「いつもじゃないわ」
「そうだそうだ。たまに、だ」
「あっそう。で、そのチャンバラ馬鹿に客だぞ」
「お前だってチャンバラ馬鹿だろう」
「訂正する。『士族の喧嘩に乱入して町で噂の門の向こうから来たチャンバラ馬鹿』な」
「おお、もう噂になってるのか」
「そりゃそうだろう。玄関前に人だかりが出来てる。んで瓦版が取材させてくれってよ」
「よし。早速…」
「待ちなさい」
意気揚々と立とうとした伊達石を元原が制する。
「なんだよ」
「余計なことしない?」
「…多分。だってよ、あっちじゃ日陰者だった俺たちが取材されるんだぜ?興奮がぶり返してるくらいだ」
「自覚があるなら…」
「なら三人で行こう」
更に強く止めようとした元原に今度は大下が口を挟む。
「それなら問題ないはずだ。伊達石もそれでいいな?」
「おう」
三者三様の思いを持って立ち上がり、部屋を後にする。
これがミズハミシマ史における外映の最初のデビューとなった。