試供品ということで手渡された小さな安物の陶器。
中に入っていた琥珀色の液体を一気に空にしたところで余所見をしていたミレイがわたしに気づいた。
依頼の盗人探しでもしていたのか、普段は摂氏零度の視線を極低温まで引き下げてあたりに散らしていたミレイの瞳の温度が摂氏零度よりほんの少しだけ高くなる。
「お前さ。なんだ、子宝でも欲しいわけだ」
お前、と来た。あなた、ではなく。ちょっとフレンドリーさが増したようで嬉しくなってしまう。
「ただのお茶ですよね?」
「馬鹿。媚薬だよ」
「え゛っ」
慌てて屋台の店主の顔を見ると、底意地の悪い楽しげな笑顔でサムズアップを繰り出してきた。我が祖国と
ゲートが繋がったことでそういった仕草もこの国の若者の間では広まっているそうな。
突っ立ったまま腕組みをしているミレイに視線を戻すと、こちらの瞳もさして変わらない感情で彩られている。もっとも表情にこそ変化はないが。
「安心しなよ。嘘も言ってないが真実でもない。
ズーズという木の根っこを煎じたものなんだがな。この国じゃ汎く滋養強壮にと飲まれているものだ。薬師じゃないがこういうものに私は鼻が利いてね。
保証するよ。健康には間違いなく良いものだ」
言われてみれば何やら身体が火照ってくる気がする。
媚薬と言われれば淫猥な響きだが、薬用茶と言われれば身体を温めているに過ぎないのかもしれない。新陳代謝がなんとやら、という代物だろう。
漢方薬に似たようなものと思えば確かにそんな味がしたようにも感じる。
鯨都のお祭り。海上の屋台を飛ばし飛ばしながらひとまず巡り、さて次は海中のと進もうとした直前に出くわした屋台の前にわたしたちはいる。
得体の知れない乾物をこれでもかとぶら下げた、怪しげという表現の一言で括るにはあまりに淡白に過ぎる屋台である。
もはやこれは異国情緒という段階を超えているのではあるまいか。干からびた生物や枯れ木の枝で覆われたその屋台は邪悪な呪術師の住まいと勘違いさせるほどだ。
カウンターの奥に腰を落ち着ける、アロハシャツ(比喩ではない。一目見るだけでもはや間違いなく地球の既製品であると確信させる)に身を包んだ陽気そうな鱗人の青年がいなければ、だが。
「私の見立てじゃ、あなたはこんな怪力乱神どもに頼るほどくたびれているようには思えないけどな。
土産物にしても勧めないぞ。だいたいは効き目があるんだか知れない、素性の知れない代物ばかりだ」
商売の邪魔だと憤激する店主の青年を私は案内役だとミレイが睨みつける。
だがこれがどうして盛大にやっているらしい。草の根っこだの、木の皮だのに混じって思わずうっと来るようなグロテスクな品物たちの品揃えが不並びなのは、つまり売れているということなのだろう。
「ええと……これが、何?」
瓶詰めされた液体の中に何やら怪しげな黒い物体が浮かんでいる。薄い褐色に染まった粘性の液体の中で、謎の物体の表面に生えた細かな産毛が気泡を産んでいた。
「ウミサソリの天日干し。の、ハサミと尻尾だけ切りそろえて油に浸したもの。
こっちは誇張抜きに媚薬。と、言うことになっているけど。私の体験談によるところさして効果はなかったと思う。多分ね」
ちらりとミレイを振り返ると明らかに胡乱げな目つきになっていた。とろりと蕩けて、辛うじて鉄面皮だけ保って、楽しんでいるわたしに半分呆れ返っている。
………面白くなってきた。次々とわたしは聞き出すことにした。
「これは?」
なめし革のような平べったい干し肉。メモ帳のように片隅にパンチ穴を開けられ、金輪を通して纏められている。店棚の目立つところに何束か置いてあった。
「そいつの正体を口にしろと言われれば言うがね。私だってこれでも女なもので、みだりにこんなところで言いたかないんだが。
どうしてもというなら教えるぜ。いきり立つやつさ。さすがに私も口にしたことはない、なるべく口にしたくない」
ミレイの瞳の倦怠が更に悪化し、眠たげな半眼となる。さらにやりきれなさそうな態度となった。
ああ、そういう。なんとやらのなんとかとか。なにがしのなにとか。
無理に詳しく聞き出さないことにしよう。同行人の無用の怒りを買う前に。
「こっちは?」
何本か軒先に吊ってある枯れ枝の束。葉も全て抜け落ちたその枝は地面に転がっていればただの朽ちた枝木にしか見えないだろう。
「モー・ウアの枝。薬屋に並んでるものだから雄の枯れ枝だな」
「雄?」
「モー・ウアには雌雄があるんだよ。木だけどな。
ここから少し北に行ったあたりの汽水域に唸るほど生えてるんだ。通称、惑い森」
「そんなに入り組んでいるんですか」
「それだけの林ならこの
ミズハミシマ諸島の山間にはたくさんあるよ。
なら何故そう言われるかというと、こいつら歩くんだ。つがいを求めて樹人ばりに。もっとも、2日とか3日をかけてのんびりとだがな。
印をつけても数日後には別の風景になってしまってるんで、てんで役に立たない。なら地面に印を残そうとすれば、これも汽水域だから押し寄せる海水が全部押し流してしまう。
モー・ウアの林を抜けたけりゃ精霊の力を借りるか、夜空に浮かぶ星でも眺めて真っ直ぐ突っ切らなきゃならない。だから惑い森」
脱線したが、とミレイが語る。
「で、モー・ウアの比較的活発に動く方、つまり雄の方の枝には薬効があるとされている」
「どういう効き目なんですか」
「この店に並んでるものなんてどれも同じようなものばかりだよ」
つまりは媚薬や精力剤の類か。
なんともありがたい話だ。エロスのためならば我らは種族の垣根を超えて硬い結束を誓えると見える。一周回って土産物としては逆に面白いかもしれない。
「一般的には煎じて茶にしたり、酒に浸し成分を抽出したりして飲む。
味は苦味の強い、いかにも薬といったものだ。で、実際に効くのかどうかというと」
「というと?」
「個人的な感想だが、さっぱりだ。男が飲めばまた違った効果があるのかもしれない」
「なんだか適当なものばかりですね」
「違いないね。だがどこだってこの手のものはそういう適当さも含めて売りだろ」
我が祖国でも、マムシだとか、スッポンだとか。
詳しく調べたことも無いので本当に効き目あらかたな代物なのか分かったものじゃない。そもそもお世話になるような状況に陥った例がない。
「なんだか身体に悪そうなものまでずらずら並んでるけれど、この国の医術はなんて言ってるんです。こういうもののこと」
「…………ううん。何から話せばいいかな」
率直に述べたわたしの感想を聞いて、ミレイが腕を組んだ。左手で右肘を支え、握った人差し指と親指を己の顎の先にやって頭を支える。悩む姿勢を取った。
「この国の医療というものはね、ふたつの流派が拮抗してせめぎ合ってるんだ。
ひとつはこの国の礎となった竜人がもともと持っていた伝統的なもの。
ひとつは延の国から流れ込んだ、食事を中心にした療法だ。どっちが定かなものなのかは知れないが、そういうことになっている」
滔々と解説を続けるミレイの表情は、口ぶりに反して浮かないものだ。顔の形こそ歪めたりしないが、瞳がそれとなく語っている。
あまり面白くはない話らしい。視線は薬屋の品物に注がれているが、見ているものは過去の追憶のようだった。
「ここの怪力乱神どもは延の国から来た御業によるものだな。
で、どちらにも権威のある薬師とやらが昔から一定数いるんだが、これがまた双方が双方とも蛇蝎のように嫌っている。商売敵だからな、当然かも知れないが。
毎度懲りずに口汚く罵り合っていらっしゃるよ。一度この騒動に巻き込まれたことがあるが、ひどいものだった。思い出したくもないね。
こんな調子なものだから、毒にも薬にもならないようなものにはまるで目を向けられない。結果、問題が広まってから重い腰を上げると。そういうことさ」
「広まってから、ですか」
「あなたの世界では大昔には水銀が不老不死の薬として飲まれていたらしいな。それと似たようなことが起きかけたことも一度ある」
困ったもんだとミレイは肩をすくめた。
何やら国の生々しい現状を聞かされてしまった。我が祖国でも医療関係で似たような話は耳にする。派閥争いで患者をたらい回しとか、そういうろくでもない話。
嗚呼、土地を違えど廻る負のスパイラル。素晴らしきエロスの力のように、人類みな兄弟ということで一致団結できないものか。
……ようやくそこで店主の鱗人からの射殺すような視線に気がついた。
店先で冷やかしが得体の知れない話を延々続けていればさぞかし営業妨害だったろう。ミレイは素知らぬ顔だがわたしは気が気ではない。
ミレイに言ってそれとなく手頃なものを詫びを兼ねて見繕ってもらう。渋々と言った様子だったが引き受けると、唐辛子と赤いパプリカを折衷したような見た目の真っ赤な小粒の木の実を彼女は選び取った。
露骨に態度を変えた店主に小銭を渡して屋台を後にする。現金なものだ。
「ところで、これは?」
わたしの手元に水を通さない不思議な包み紙を預けるとミレイが先立って歩き出す。
「ベニカンラの実。あの中では私が効き目を保証する数少ない薬。
効能は……さて、いつか男が出来たら使ってみるといい。自分が使っても相手に使っても効能あり」
となると、だいぶ先の話になりそうだ。
そもそもこの品物を地球に持ち帰ることが出来るのかどうか分からない。持ち帰れなかった場合はきっと無駄にしてしまうだろう。
次なる祭りの舞台、海中へ続く桟橋へ歩を進めるべく私の前を行く小さな影に言ってみた。出来心で。
「使う相手が見つからなかったら、ミレイに使ってみましょうか」
人混みの中で立ち止まったミレイが錆びた歯車が回るようにゆっくりと振り返る。
瞳が先程の胡乱げな感情を更に煮詰めた色になっていた。来た道を足早に戻り、わたしの前までやってくる。
たどり着くなりわたしの胸元に細い人差し指をごつんと突き立て、藍色の瞳孔でわたしの顔をじろりと見上げた。
「先に言っておく。いいか、私はその気になったなら男も女も関係なく寝るからな。
お前が胸にぶら下げてる、ばかでかい水風船2つをどうすればいいかなんていくらでも知ってる。あんまり思わせぶりな冗談をぺらぺら喋ってたら、嘘から出た真にしちまうぞ」
話は終わりだとばかりにふんと鼻息を荒くつくと、くるりと踵を返して私の案内を再開する。
「何をしている」と声をかけられて我に返るまで、しばらくわたしはその細い背中を視線で追いかけながら呆けていた。
あー。びっくりした。