【鯨都 -7品目・マナナカカの刺し身-】

「ミレイ、あれなに!?」
海底の屋台を巡っていたわたしが文字通り泡を吹いたのは決して無理からぬことだろう。
鯨都に相応しく天気は快晴。遥か空の上から降り注ぐ陽光が光妖精の手によって海底まで届き、ゆらゆらと揺れる波の陰影のコントラストが美しい。
その紺碧の中を何やら巨大な物体が曳航されていた。遠く離れた遠方から徐々にこちらへ向かってきている。
もちろん、わたしたちのすぐ頭上に浮いている鎧鯨に比べればそれの大きさはつま先くらいのものだ。しかしそれはあくまで規格外の話であり、常識的に考えればそれは十分に大きい。大きすぎる。
海上、海底、海中に屯している雑踏の一部がその近づいてくる“それ”へ好奇の視線を向ける中、わたしにもようやくはっきりと視認できる距離へ“それ”は到達した。
「マナナカカだ。こいつはすごい。ずいぶん大きいぞ」
わたしの隣で岩礁に腰掛けて海野菜の串を齧っていたミレイもそちらへ目を向け、感嘆の声をあげる。
縄をかけられた多くのカジキたちに引っ張られ、ゆっくりとこちらへやってきているのは何やら白くて大きなものだ。
体表はすべすべとしていて鱗はない。真っ白というよりは薄い桃色に全身が染まっていてとても美しい。桜の花びらの色彩をもっと薄めたような淡く儚げな色なのだ。
それがどういうわけなのか、角度によってちかちかと金色に光ったりもする。“それ”はきらびやかな宝石に引けを取らない輝きを持っていた。
身体は筒状であり先端に薄くて透明感のあるひれがついている。その反対側にはちょっとした丸太のように太い触腕が何本も生えていて、そのうちの2本は全体の体長と同じくらいに長い。
意匠の統一された服を着た魚人たちの付き添いのもと、懸命にカジキたちが引っ張る“それ”はわたしたちの現在位置から少し行ったところにある鮮魚の取扱所へ搬入されようとしていた。
その全体の造形から判断するに、地球に住まう者ならばその生物の名前を違えることはおそらくないだろう。
「おっきなイカだね……」
「マナナカカ。今は使われていない遠い昔の言葉で『大いなる戦士』という名前を持つイカだ。
 今のマナナカカを曳航していた魚人たちを見たか?あの服はこのミズハミシマにおける特別な民族、『潮の民』だ。
 マナナカカは彼らが仕留める獲物の中でもっとも位が高いとされる。……いや、ここでこんな話をしている場合じゃないな。
 続きは後だ。急ぐぞ」
言うや否や岩礁を蹴ってミレイが鮮魚取扱所へ進路を向ける。
待ってという間も無く、私の胴体に何やら細いロープが巻きついた。否、ミレイの下半身から伸びているそれは竜人たるミレイの尻尾だ。
扱いがぞんざいになってやしないかというわたしの非難も馬耳東風、急加速によって人混みをかき分けかき分け、あっという間に鮮魚取扱所へ到達する。
引っ張られている最中周りを観察していたが、あの巨大イカが搬入されたのを見てわたしたちと目的地を同じくする人々が散見された。
何らかの特別なイベントがあるらしい。わたしはそこまで類推し、急に止まったミレイの背中に顔から勢い良く激突しそうになった。
巻きついていたミレイの尻尾がうまい具合にわたしの勢いを制御しその場へゆっくりと浮かせる。ミレイが指示しているのかわたしが頼み込むこともなく浮力を水精霊が抑えて海底の砂地にわたしの足裏がつく。
ほっと安堵したわたしにミレイが振り返り、顎でしゃくって鮮魚取扱所の様子を観察することを促した。
「始まった。マナナカカの切り配りだ。
 あんたは運がいい。この国の人間でもなかなか口にできない絶品がタダで味わえるぜ」
腕組みをしたミレイが見つめているのは鮮魚取扱所の奥の人だかりだ。
海底の岩盤の上に作られた即席の鮮魚取扱所は、地上と違って高さの限りがない。簡易的に組み立てられた屋根がせいぜいの制限だ。
よって目のつくところあちらでもこちらでも芋煮状態で漁師たちと客と品物が浮いている。だが、先程までならば火花散る取引を行っていたはずの彼らも今は奥のやり取りに注視しているようだった。
奥のスペースに鎮座しているのは勿論この場の主役、仕留められて力なく海中に浮くマナナカカである。
先程までかの巨大イカを牽引するために縛っていた縄は外され、大きな包丁を片手に握った職人たちに群がられている。マナナカカを牽いていた魚人と同じような服を着た者たちだ。あるいは同一人物か。
マナナカカは彼らによってその身に刃を入れられていた。薄く切り取られては忙しく周囲を駆け回る魚人にその切り身が渡され集められていく。
雰囲気は我が祖国におけるマグロの解体ショー…とは少し趣を異としていた。なんというか、だ。
「なんだかちょっぴり厳かな感じだね」
「実際、儀式としての意味合いもあるからな。
 『潮の民』にとってマナナカカは重要な獲物だ。『大いなる戦士』なんて名前がついているのは伊達じゃなくてな。
 やつを仕留めるというのはとんでもない難業だ。やつも鎧鯨と同じく海溝から来ているらしく、遭遇すら年に一度出来るかどうか。
 いざ仕留めようとすれば化け物じみた体力を持ったあいつとほとんど丸一日格闘することになるらしい。さすがの私もその狩りに同行したことはないが、生死を賭けた戦いなのだそうだ。
 『潮の民』にとっては鎧鯨の到来はマナナカカを獲物にすることのできる数少ないチャンスなんだ。
 マナナカカを仕留めたという実績は『潮の民』の中では最上位の敬意を持って扱われることのひとつだ」
「敬意、ね」
ここからよくよく目を凝らせば作業中の職人たちの顔は真剣そのものだ。
一挙一投足を無駄にするものかとばかりに全神経を張り巡らせているのがここからでもよく分かった。それだけ鬼気迫った空気だったのだ。
小さなざわめきと職人たちの掛け声以外に伝わる音の無い鮮魚取扱所の中、いつの間にか押し寄せた人々によってわたしたちは人混みの一部となっていた。
静寂の中、わたしは腕組みをして一部始終を眺めているミレイの耳元に自分の口元を近づけてささやき声を伝える。自然と目の前にふわりとミレイの銀糸の髪が舞った。
「それがどうしてこういうことに?」
「『潮の民』においてマナナカカは勇者の食物のひとつとされる。
 幸運をもたらしてくれる獲物だというんだな。福を呼ぶものはより多くの者へ分配すべし。欲心を抱けば福が穢れる。
 そうして広がった福が我らに更なる福を呼んできてくれる。これが『潮の民』の考え方だ。
 『潮の民』の狩人たちが鎧鯨の到来に合わせてマナナカカを狩った場合、彼らはこの鯨祭へ獲物を運んできてマナナカカの刺し身を来客へ配っていく。
 マナナカカはこれが一番美味い食べ方だ。狩ったばかりのを刺し身にして食う。
 ま、海中だけで糧を得ていた『潮の民』がそれ以外の料理法を知らなかったというのもあるんだが、実際これが美味い」
「そもそも『潮の民』ってなんなの?」
「……そうだな、そこから説明するべきだよな」
ちらり、ちらりと横目で周囲の人々がこちらの会話を邪魔に思っている素振りを示していないのを確認したミレイはいつもの長話モードへと入る。
顔の前で人差し指を立てた右腕の肘を左手で支えるポーズだ。たびたび解説を行う際にミレイが取る格好である。指摘したことはないが、おそらく彼女の無意識。
「『潮の民』とはミズハミシマにおける、ある特権を持った遊牧民族だ。
 この国が出来上がる前からずっと彼らは同じ生き方を続けている。魚追いと言い、家畜にしている食肉用、食卵用の魚を季節によって移動させ肥えさせて生活している。
 あとは今解体しているマナナカカみたいに、狩猟だな。糧を陸地に求めない原始的な水棲民族だ。
 いや、だったと言うべきだな。最近はそうでもない。連中も楽できるところは楽するつもりらしい。とにかく、そういう連中なんだよ」
この連中の扱いは幕府も慎重でな、とミレイは続ける。
解体作業は続いているがミレイの言うとおり刺し身の無償分配は始まったようで、人々の列は少しずつ動き始めていた。まだわたしたちのところには届かない。
「ミズハミシマが成立した当初は軋轢があったらしいが、今は『潮の民』に特権を認めることでうまいことやっている。
 それが『領跨ぎ不問の法』だ。やつらは海守や幕府の許可なくミズハミシマ国内とドニー・ドニーの海域の一部を自由に移動できる。
 これに関してはミズハミシマならずドニー・ドニーの海賊連中も了承済みで、たとえならず者であろうと『潮の民』を虐めてはならぬということになっているそうだ。
 一応彼らは登録上ではだが幕府のある竜宮城下街の住民ということになっている。特例措置の連中なんで納税の形態も特殊だがな」
「パスポート無しに国を跨げる、みたいなものかな。
 でもそれだったら、『潮の民』を詐称して逃げる犯罪者とかいそうだよね」
それだ、と言わんばかりに私の鼻先にミレイの右の人差し指が突きつけられた。
「あんた本当に鋭いね。そこがミソなんだよ。
 幕府が『潮の民』へ特権の代わりに課している代償のひとつがそれなんだ。細々と話すと長くなるんで要点だけ話すが、ひとつが海域を移動し続ける『潮の民』特有の納税品。
 もうひとつが許可の無い『潮の民』以外の人間のキャラバン同行の不許可だ。これを破るとその『潮の民』のキャラバンは解散を命じられてしまう。
 過去に申し立てによる情状酌量の余地が認められて復活した例はあるが、たいていはかなり厳しく行われている。過去にこれを緩く取り締まっていたせいで痛い目を幕府は見たからな。
 ただ『潮の民』のキャラバンは旅人の渡航に使われていた歴史もあって、近年じゃ幕府の許可を前提にした『潮の民』に同行するツアーも組まれてるくらいなんだ。
 要するに、あんたら地球人向けの話ではあるんだが。なかなかこれが問題頻出で役人としては頭が痛い」
「はは………ご迷惑をおかけします」
「あんたが謝ることじゃないが、本当にな」
ふん、とミレイが鼻息を漏らす。海中なのでごぼりとあぶくが生まれる。
少しずつ動き出した列に沿って歩きつつ、ミレイがどこか真面目な印象を受ける声音で言った。
若干の精神的な疲弊が見受けられる、とでも言うべきか。韜晦無しに語るがとミレイは周りの人間に伝わらないよう小さな声音で呟く。
「私個人の意見だが、急速に進むあんたら地球との親和化は歓迎できないね。
 もともと出自の違う存在がそう簡単に相容れるものか。どこかで必ず何かしらの破綻をきたすに決まってる。
 それがこのミズハミシマという国だからな。それがなきゃ、あの鬼たちとの争乱は起きやしなかったんだ。
 深入りするには早すぎると言ったほうが正解かな。まだお互いの世界が通じ合って20年とそこそこだ。急ぎすぎる関係が招くものは幸福以上の災厄だぜ。
 観光や物流くらいなら結構なことだが、文化の根っこで混じり合おうとするのは性急だよ。遠いがそこそこ近い国、ぐらいがお互いにとって最善の立ち位置だと私は思うがね……」
私感、と言うには実感のこもった言葉を泡と共にミレイは吐き出した。
他人事のようになるほどと頷きつつ、わたしは別のことに合点も行く。
ただの役人とミレイは己を語るが、どうやらそうでもないらしい。たびたび飛び出す俯瞰的な発言はそれなりの立場にいる人間の空気を感じさせる。
また、ミレイはそれをさほど隠す気もないらしい。彼女のような人間が何故わたし程度の地位の者に付き添っているのか。
あえてわたしが気づくよう振る舞っている?あるいは、わたしは試されている?……そこまでの判別はつかない。
わたしの疑念を感じ取ったのか、ミレイが目の前の客が行列を進むのに合わせて歩きながら務めて少し明るい口調で言った。
「すまない、脱線したな。どうにも暗い話はここまでにしよう。せっかくのマナナカカの刺し身だ。
 こいつが抜群に美味いのはおよそミズハミシマの人間の知るところだ。『潮の民』でなくともだ。
 結婚の儀の披露宴で配られたならその夫婦は一生幸せに過ごせると言うくらいでな、『潮の民』同様に民間の間でも縁起物なんだ」
「そんなに美味しいんですか」
水の中にありながらがばっと擬音が立つほどの勢いでミレイはわたしに振り返った。
瞳が本気だった。この行列に嫌気が差したならばお前ひとりで帰れと言わんばかりの顔であった。
「溶ける」
「溶ける…」
列の先頭でわたしに配られたマナナカカの刺し身は確かに口の中で溶けた。
美味しかった。それしか言えなかった。
この美味を如何様な言葉で示そうとも我が語彙の陳腐の証明をしてしまいそうな、そういう味だった。
本当はわたし、イカは好きじゃないのだけれど。好きになってしまいそう。



  • 海の中の描写面白いなぁ。泳ぐんじゃなくて歩くってのが想像してて楽しい。ミレイさんはけっこうな食いしん坊さん? -- (名無しさん) 2016-11-01 21:47:15
  • 美味しそうな解体ショーと海に住む人々の文化の合わせ技いいね -- (名無しさん) 2016-11-03 07:11:12
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最終更新:2016年10月31日 12:16