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【デジマの風景】

デジマ、という名の場所がある。それはドニー・ドニーの海上にそびえる多層構造の人工物だ。かつては地球の海にあって、海上プラントとして機能していたものだが、ゲート開放に巻き込まれてドニーの海に来たのだという。ドニー・ドニーの主神に引き抜かれて投げ飛ばされたあげくがこれだという噂すら存在する。デジマの中には異世界ドニー・ドニーと地球の東シベリア海を繋ぐゲートがある。よって、このような『海の上のちっぽけな櫓』が、ドニー・ドニーにおける流通、海運の一大拠点となってしまったのだ。とは言え今では海上プラントを核として、幾多もの船が括られ肥大化し、この国の混沌とした様を体現する建造物と成り果てた。その成り果ての地に、ロシア人史学者のヴィクトルはやって来たのだ。

「そうなのですね」
酒場へ向かう道のりで実に30分はかけた話を、オークの中年男性はあっさりと聞き流した。このオークの名はアサホコという。ヴィクトルの聞くところによれば代々の船乗りで、漁にも出れば人も運ぶのだという。ドニー・ドニーではそうした兼業は珍しくはないのだそうだ。人の良さそうな顔つきをしているのに随分なオークだとヴィクトルは憤慨したが、それを察したのか随分とばつの悪そうな様子でアサホコは言葉を返してきた。
「ああどうも失礼。しかし主どのも人が悪い。わたしもそうですが、多くのオークは愚かなのです。せいぜい、今日はどうする明日はどうする。その程度のことしか考えていませんよ。酒好きな者であれば今宵飲む酒の事を案じますし、女好きな者であれば今夜抱く酒場女の事を思うやもしれませんが、歴史などというものは鬼の手には余ります。まして異国の歴史ときてはわたしのちっぽけなオツムに入る話題ではありません。小鬼(ゴブリン)たちは歴史を知っているやもしれませんが。おっと主どの、次の角を面舵へどうぞ。まさに今宵飲む酒の事を叶う店です」
アサホコは申し訳なさそうにそう言うと、デジマで酒の飲める店へとヴィクトルを誘った。入口にはフタバ亭と書かれた看板が打ちつけてある。酒場兼宿屋といったところか。店はさほど広くも無くけして高級では無かったが、旅人がひと時を過ごすには十分だとヴィクトルには見えた。手近な空いている席を見つけて二人が座ると、アサホコはすいとメニューを手に取って吟味し始めた。慣れた手つきだ。馴染みの店なのだろう。
「水竜肉の芥子瓜和えでも注文しましょうか。チキューの方の舌にもあうかと思いますよ。以前船に乗せたことのあるチキューの方は、水竜肉をウシだと言っておりました」
ウシが何かはわかりませんが、とアサホコは言いつつも次の候補を探しているのだろう。メニューを次々と捲る手は止まっていない。
「水竜肉は食べた事が無いが、牛肉と似通った味ならば大丈夫そうだ。お願いしていいかね」
ヴィクトルがそう言うとアサホコは滑稽に見えるほど大きく腕をふりあげ給仕を呼んだ。
「すみません」
「はーい!ただいま!」
店のカウンターの方から、幼い女の子の声がした。地球ではあまり考えられないが、ドニー・ドニーならば有りうるだろう。
「お待たせしました」
そう言いつつ注文を取りにきたのは、どう見ても子供という背格好の少女だった。しかし騙されてはいけない。彼女は間違いなくノームという種族だ。成人しても地球人の子供ほどにしか成長しない小人族なのだ。ヴィクトルがジロジロと見ていた事を気にしたのか、ノームの娘はチラチラと視線を向けてきた。
「水竜肉の芥子瓜和えを二人分ください。お酒はマートンがあれば2杯。黒水炭酸割りを。それとこの、ソリャンカ?聞いたこともない料理です。これは一体どんな料理で?」
「マートン置いてますよ。2杯ですね。ソリャンカというのは地球のお料理でしてですね、燻製のお魚と酢漬けしたドニエ瓜にその漬け汁、層根菜に香草をたくさん煮込んだスープでして~」娘はハキハキした口調で質問に答えている。
アサホコは結局ソリャンカも注文したようだ。あんなの郷里に帰ったら飽きるほど食えるんだが。そうヴィクトルは思ったが「美味しそうですね。ソリャンカ」と、ただでさえブサイクなオーク顔が期待感でぐんにゃりと歪んでいるのを見て苦言を呈するのはやめた。
とりあえず、最初に出された貴重な真水をグイと飲み干す。想像以上に冷えていて、美味い。ヴィクトルがロシアから異世界に渡って2日目。初日から嵐で船が出ず、二日目以後の船便も大物(ロシア政府のお偉方だそうだ。クソッ!)の依頼でてんてこまいで、下っ端研究者のヴィクトルなどは、個人で経営しているような業者しか雇用できなかった。そこで『冒険者ギルド』などというフザケた名前の組織に打診してみてようやく見つかったのが、この中年オークの船という訳だ。結局は今日も引き続き海が荒れており、いまだ出航出来ずという訳で、こうして中年男二人で晩飯を探して歩き回っていたのだ。ヴィクトルは自らの知性や体力に微塵の疑問を感じたことはない。時に勇気に乏しいと言われることがあろうとも慎重な性分を悪いと感じたこともない。だが、ツキには大きく見放されているとも感じる。こんな時は特に。
「ところで同士アサホコ。マートンとはどんな酒だね」
喉が潤って一息ついたヴィクトルが尋ねた。酒に興味のないロシア男など居ない。極論であり偏見だが真実である。
「古いお酒ですよ。ここでは『憩い水』なんて呼ばれてます。ここから随分と離れた海に甘味の島という島がありまして、そこで採れる甘菜のカスから作る酒なのです。だから『蜜酒』とも『こがね海の酒』とも呼ばれています。クセは強いですが、ドニーの船乗りならみんなが飲みます。そこらの船を見ればわかりますが、樽で買って飲むような酒ですよ」
そこへ無口なオーガが料理を運んできた。色こそ香辛料で真っ赤に燃えるようだったが、水竜肉は想像していたよりも無難な料理のようでヴィクトルは安心した。むしろ問題はソリャンカの方だ。彼の郷里にはこんな料理は無い。異世界に渡った同士が口伝で教えた調理法が曲解されて形を変えてしまったのだろう。亜人を見ても動じなかったものだが、見た事もない食材と色合いに溢れかえったそのソリャンカを見て、ヴィクトルはようやく自分が異世界に来たのだと自覚した。「とりあえず乾杯だ。同士アサホコ」「旅の無事を祈って」「未だ出航してすらいないがな」ヴィクトルとアサホコがカツンとグラスをぶつけあう。異世界でも乾杯は通じるのだなと、奇妙な部分でヴィクトルは感心した。
「マートンってそんな逸話があったんですね」
いつのまにか給仕のノーム少女が隣のイスに座っていた。話し好きというやつなのだろうか。アサホコは鼻をふいいと鳴らして言った。
「わたしの知る世界など随分と狭いものです。あなたの好奇心を埋める話ならば、そちらの紳士に尋ねた方がよろしいでしょう」
そう言いつつアサホコはヴィクトルに視線を向けた。それはヴィクトルには先ほど歴史の話を聞き流した贖罪のようにも思えた。
「仕方がないな。本国ならば金銭を得て聞けるものだぞ」
酒に酔った勢いもあり、彼は彼の祖国の歴史と雄大さを延々と語った。気がついたときには、ベッドの中で異世界3度目の朝を迎えていた。


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最終更新:2017年07月24日 00:03