新天地と呼ばれる地域の先に、俗に未踏破地帯と呼ばれる場所が存在する。未踏破とは呼ばれているが、そこでは当然ながら人も暮らすし歴史もある。その未踏破地帯のハロハロマと名付けられた大荒野を巨大な建造物が移動していた。間違いではない。それは地球風に言っても異世界風に言っても建造物と言うべき外観であり、地球風に言って時速10kmで元あった場所から別の場所へ動くことは、移動という表現以外ありえない。異論があるとするならば、建造物としてはあまりに巨大すぎることであろうか。巨大なダム、摩天楼、多様な建築物がつぎはぎされた塊、そんなものが動くのだ。事実その建造物、あるいは街、あるいは国のディアブロクは移動していた。ディアブロクの歴史は長い。ただしそれを理解する住民はディアブロクには居ない。何故なら彼らが歴史を紐解くための書庫には、戦闘の記録は多数残されていても、歴史の本は数えるほどしか無いからだ。戦闘の記録は最古のもので397年前のものが残されている。相手は今もなお彼らの敵であるリエゴ移動要塞都市。そう。ディアブロク移動要塞都市は、実に400年もの長きにわたり、リエゴ移動要塞都市と闘い続けているのである。
猫人のペンテントラはディアブロクの上層部に設置された天候調査棟第2層で働く気象予測者である。彼の父も気象予測者だったから跡を継いだが、曽祖父は難関試験を突破して戦場予報士に合格して第8戦術室に配属された。ペンテントラは自分にはそこまでの能は無いと考えている。むしろ母のような行商人の方がよほど自分には合っているのではないかとすら思っている。彼が母方の祖母から聞いた話では、元々猫人は遥か遠くの異国からディアブロクに行商をしに来たのだという。ならば先祖にならって商売をした方が良いのではないか。ペンテントラは近頃そんな事ばかり考えてしまうのだ。
「むかえ目盛り3。右回り目盛り7。カゼ速4。クモ濃1。オワリ」天候調査棟第1層にいる観測係の猫人ニホヘから伝声管で定時連絡が届く。第1層には精霊・機械式の展望鏡が設置されており、周囲の気象状況などを観測できるようになっている。ペンテントラは手早く記録紙に書き写すと、部屋の中央に陣取る天候板に置かれた気象情報のコマを数字に合わせて少しずらした。「少し風が出て来たな」同僚の猫人フリエンテがそう呟きながら、情報にあわせて気象線を引き直す。「一応中央に伝えておこうか。不要だろうけれども」ペンテントラはこの程度ならば引き継ぐ必要はないと考えているが、新しく情報作戦室配属になった
ノームのイシシッカリがやたらと報告・連絡・相談について口やかましいので、どんなくだらない情報でも流し続けてやろうとしているのだ。その時、ニホヘから次の伝声が来た。定時ではない。「むかえ目盛り0。右回り目盛り2。流沙船が7隻しか戻ってきていない。オクレ」流沙船はどんな砂漠や荒野でも風を受けて進む陸上船で、風精霊の力を受けるルーンが船底に掘られており、ほんの少し地表から浮かんでいるのが特徴だ。先週10隻の流沙船がディアブロクから旅立ち、新天地マトーミロの街で食料を買い込んで戻ってくる予定だったはずだ。「観測つづけ。オクレ」フリエンテが伝声管に向けて言った。ところがそれに返答せずに。ニホヘからまったく別の報告が届いた。「むかえ目盛り8。右回り目盛り2。距離20。グリフォンを確認。オクレ」ニホヘの声は上ずっている。「どうにも状況がわからないね。私はニホヘの補佐で上に上がるとするよ。フリエンテくんはこの場に留まってくれ給え。先程の観測結果も情報作戦室に送ってくれ給えよ」ペンテントラはそう告げると、しなるような動きで梯子に手をつけ第一層へと向かった。
ペンテントラが第一層に着くとグリフォンは目視できるほどに近寄ってきていた。「あれはグライフリッターです」報告するニホヘの声には緊張が隠せていなかった。グライフリッターとは
クルスベルグが組織するグリフォン騎士団のことだが、広義でグリフォンを駆る騎士全般を指す。「ということは、リエゴからの客人ということになるね」ペンテントラは手近にあった機械式の望遠鏡を覗き込んで言った。言うまでもなくノーム謹製の品だ。緑色の旗を掲げてグリフォンに騎乗する人影が見えた。緑旗は争う意思の無い中立を表す色だ。「リエゴのグライフリッターだね。儀典用装備をしている。緑旗を掲げている以上乱暴には出来ないが・・・それにしても広域監視の連中は何をしているのか。普通、天候調査の方が先に見つけるなんてありえないぞ。なあニホヘくん」「そうでもありませんよ。広域監視の連中はもう空獣着地の準備を始めてます。極秘で伝達でも入っていたのではありませんか」「それではイシシッカリ殿がいかに報告をせよと吠えたところで何も意味はないね。軍機であれば報告できないのだから。さてグライフリッターも7隻しか戻ってきていない流沙船もどちらも気にかかるし、どちらも私の職務ではないけれども」「優柔不断なことをおっしゃいますね。ペンテントラさんがそう言って一度でも持ち場を離れなかったことがありましたかね。どうせ僕とフリエンテに任せて野次猫に行くんですから、さっさと行けばいいでしょうに」「それもそうだね。それではグライフリッターの方から行ってくるよ。流沙船のことは継続確認すること。いいね」ペンテントラはそう言うと屋根伝いに広域監視棟に用意された空獣着地甲板めがけて走って行った。
空獣着地甲板には白、赤、金糸の儀典用装飾で彩られたグリフォンが優雅に佇んでいた。鞍から降りてきたのは屈強な
ドワーフだった。右手に緑旗、左手には血まみれのハルバードを持っている。ペンテントラや広域監視班の猫人たちがギョッとしたのを察したのか、ドワーフはゴーグルとマスクを撥ね上げて言った。「慌てるな。砂顎が流沙船を襲っていたから叩き潰しただけのことだ。7隻戻った流沙船の船乗りに聞いてみればいいよ。それにしてもあんなデカブツはこれまで見たこともないな。それも含めてディアブロクのお偉方にお会いしたいが、いかがだろうか」ペンテントラはその報告内容もさることながら、ドワーフそのものに驚かされた。この屈強な騎士は、姫騎士だ。撥ね上げたマスクの下にはドワーフの鬱蒼とした髭は無く、自分達猫人のようなヒゲが生えるのみだ。「おい。そこのヒョロ長いネコ。私はディアボロクに初めて来たのだから案内せよ」姫騎士はペンテントラを見つけるとそう言った。「おおせのままに」呆気にとられたペンテントラはそれしか返す言葉が無かった。
「ほう。それでは貴殿は先祖代々ディアブロクの気象予測者なのか。私もそうだ。代々グライフリッターを輩出している。祖父は『第233次空中騎戦』において10騎撃退した英雄なのだ。私は・・・初陣はまだだが、次の戦には出られそうだ。同期の中では最もハルバードさばきが上手いと評判なのだぞ。本当だぞ。それにしても貴殿はヒョロ長いな。何か武芸のたしなみはあるのか?」ドワーフの姫騎士は一度言葉を放つと延々と話し続けた。あまりに話が続くので、リエゴでうるさくなって外勤務に回されたのではないかとペンテントラは邪推した。「武芸のたしなみなどありはしません。猫人はディアブロクでは内勤か商売をすると決まっているようなものです。それよりも姫君。私が案内できるのは第12層までです。それより先は別の者に引き継ぎますのであしからず。それと肝心なことを聞きそびれておりました。姫君のお名前をうかがっておりませんが」「姫君は厭味に過ぎるだろう。騎士の出ではあるが王侯貴族ではないぞ。それより名前であったな。ウィーネリエ・ハウ・イラーだ。ウィネと呼んでくれ。貴殿のことはペンタと呼ぼう。それでかまわないな」そう言うと姫騎士はニコリと笑った。
「ところでウィネ様は何ゆえにディアブロクへいらしたので」ペンテントラはそう尋ねてから、軍機に触れることだろうから意味の無い問いをしてしまったと己のうかつさに気付いた。「ああ、次の戦争の日取りを打診しに来たのだ。ディアブロクはどうかわからないが、リエゴでは最近どうも不都合が生じて半年後に例年行われる戦争が難しくなっているんだ。不都合というのは、さっきも話した通りの砂顎さ。リエゴから交易に出ている流沙船が次々と砂顎に襲われているんだ。グライフリッターが総出で撃退しているが、どうにもキリが無い。それで今リエゴは少しでも交易街の近くにいようと北上しているんだけど、それだと」「なるほど。それでは半年後には会戦域に間に合わないというわけですね。これは随分と深刻な話です。いや」ペンテントラは何かを思い出したようで少し口をつぐんでから話し出した。「砂顎を撃退しつつディアブロクも北上すれば、半年後には戦えるのではないでしょうかね」「しかしそれでは精霊砲の射程からは外れてしまうだろう。グライフリッターとワイバーネアもそれだけ離れてしまうと、万が一の事があれば荒野に墜落してから死傷者が出てしまう」「長距離精霊砲です。もう100回戦ほどは使用されていませんが、あれならばどんなに離れていても届きます。私の曽祖父が戦場予報士をしていた時にも長距離精霊砲を用いたと聞いています」「そうか!それでは私はこれから次の戦争の日取りと共に、今の話を伝えてくるよ。ありがとうペンタ。また会えるといいな」姫騎士はそう言うと、12階層より下にあるディアブロクの中央評議会に向かった。
夕刻、ペンテントラが持ち場を離れて天候調査棟第1層にいると、係留されていたグリフォンが少しづつ羽ばたいているのが見えた。「おや、ドワーフのお姫さんがお帰りのようですよ。最後に挨拶に行かなくてもいいんですか?ペンテントラさん」ニホヘが軽口を叩くが、ペンテントラは意に介さなかった。「半年あれば戦場予報士に間に合うだろうかね」「突飛なことをおっしゃいますね。採用試験は来月ですよ。もちろん合格すれば、次の戦争にも間に合うでしょうけれども・・・あ!」赤、白、金糸に彩られたグライフリッターが天候調査棟ギリギリをかすめて飛んでいった。小さく手を振っていたようにも思う。「そうだね。合格さえすれば次の戦争には間に合う。受けてみようかな」「無謀なことをおっしゃいますね。それに合格したら天候調査棟はどうなるんです」「それはもう、ニホヘくんとフリエンテくんが頑張って盛り上げていってくれ給えよ。さて、私は流砂船の方にも行ってみることにするよ。持ち場は堅守してくれ給え」「好奇心は猫でも殺しますよ。お気を付けを」ペンテントラは笑ってその言葉を受け止め、階下へスルリと下りて行った。
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最終更新:2017年07月31日 05:38