世界各地に開いた
ゲートにより始まった違う世界との交流。
それぞれのゲートに違いはあれど空間としての大きさによって車輛等による輸送が不可能であるために物品搬送は個人または少数規模なものに留まっている。
それ故か2000年代前後は、稀少品如何による異世界品バブルのような現象が起こっていたのも自然な成り行きであろうか。
各分野での積極的な情報交換や調査から多くの異世界物産の価値や用途が正常に推移していったのは至上の健全化に大きく貢献しただろう。
だがしかし、物の行き交いが小規模であるために未だ両世界の人々は向こうの世界のまだ見ぬ品々に魅力を感じ欲するのであった。
“外国よりも隣の異世界”というキャッチコピーで様々な旅行社が
ミズハミシマへのツアーやプランを提供する中で、たまたま仕事休みに合った小旅行を選びミズハミシマに行った時の話である。
何かの手違いで案内役が全員出ていたということで、現地支店の魚人の事務員が案内役を買って出たのである。
ゲート渡界フェリーの発着場になっている港町から“海之入”を通過して海中の街並みを楽しむ流れの中でそれまでずっと気になっていた事を確かめようと思い訪ねた ──
「海中を泳いでいる人達の着物はどのようにして作られていますか?」
ひと思案した後に魚人は朗らかな笑顔でポンと手鰭を叩いてすぐに胸ポケットからメモ用紙を取り出しサラサラと一筆書き流す。
「これを通りの先にある運び屋さんに渡して下さい。 午後一番の便と一緒にお望みの場所へと連れていってもらえると思います。お礼を渡すのと夕刻までに便を取って街まで戻ってくるのをお忘れなく」
水に濡れれば布はそれを含み重しとなる。水難事故の原因の一つでもある。
地球では水に対応した素材で水着が作られるが、それは水着であって服ではない。
それは異世界でも同じであり、海中を地上と同じ様に私達が歩いて呼吸にも不便がないのは水精霊の加護のおかげである。
しかし目前で荷運びの大魚を轡引き操る魚人はどうだろか?彼には私達が受けているような加護はなく、普通平然と行動している。
そして彼の渋色の着物はまるで風に揺らめくようになびいているのである。
紡績メーカーに勤め商品開発に携わることも多い身であるためか、ミズハミシマ旅行の土産話を聞いてからずっと興味津々だったのである。
花樹岩から切り出した海中ならではの家屋並ぶ端街を出てから小一時間ほど大魚は泳ぎ進み小さな村に到着する。
村の運び屋に荷を受け渡すのに合わせて私も降りる。
「その荷と一緒にこの人も連れてってくれ。アユさんからの頼み事で織部爺に会いたいんだとさ」
「アユさんの頼みとあっちゃぁ無下にもできねぇなぁ。娘の仲人の礼にもそのうち行かねぇと」
大きなフナムシの様な甲虫の荷台への荷積みを手伝い終えるとウツボな人と一緒に乗る。
もそもそと進むのだろうと思っていたところにお掃除ロボットよろしく海底を滑るように走る以上の速さで道を行く。
道が整備された街とは違ってほぼ海の自然そのままの風景。 住民の家を岩の中だったり大きな貝の中だったり。その中に声をかけて荷を置いていく。
「お客さん、到着したぜぇ。俺ぁ休憩してるから、終わったら声かけてくんな」
そう言うと運び屋とフナムシは近くの藻群に腰を下ろした。
珊瑚の土台基礎の上に建てられた花咲模様の板張り掘っ立て小屋。中から規則正しい物音が響いてくる。
階段を登った直上に据え付けられた扉を三度叩くと「頼んでいた荷かね?どうぞ」と返し。小包と共に中へ。
構造上から小屋の中は空気で満ちており海水は入ってこない。
部屋で作業をしていたのはヒレやトゲを持つもそれらは力なくしおれているカサゴの人。所々鱗が欠けており年季を感じさせる。
実際、先に聞いた話では齢八十は越えているという。
「おや?見ない顔だが、何か用かね?」
老カサゴは複雑な機構の機織り器の様なものを動かしながら振り返る。
とりあえず小包を渡した後に水中の着物の作り方を見学させてほしい旨を伝える。
老カサゴは垂れた目尻をさすり、爪先から頭の上まで私を見やると小さく頷く。
「見ていくだけなら好きにしなされ。丁度仕上げにこの荷が必要だったところでね」
紐を解くと昆布の様な厚い海藻の包みがはらりと開く。中には更に袋が入っている。
織り終えた白無地の着物は灯籠の光を薄っすら通す透過性を持ち、重量を感じさせない質感で竿にかけられる。
「では仕上げといこうかね」
手ヒレが袋の中に入ると青い粉を掴みあげる。
粉を着物の肩から肩へと流し振るときらきらと粒子めいたものが上から下へ広がっていく。
「ふぅ」
全身の緊張を解いてその場にどっと腰を下ろした老カサゴ。だがしかし、着物に変化は見受けられない。
触れるのは流石にと思いまじまじと見つめるも、時折灯籠の光を受けて微かにきらめく程度で白無地のままである。
耐水か水捌けなどのコーティングを施したのだろうか?しかし着物に色が付いていないのはどういうことなのだろうか?着物の下に着るためのものなのだろうか?
仕事場をゆるゆると片付ける老カサゴの後ろで思案する私の背の扉がとんとんと叩かれる。
「どうぞ」
音に翁が答えると下半身が魚の魚人の少女が勢いよく踊り入る。
「丁度今しがた出来たところだよ。今の時なら井戸端に良い光が降りてくるだろう」
白無地の竿から外し受領した魚人の少女は、着物を宝物を親からもらった様な喜び、はしゃぎっぷりで抱きしめて大きく深く一礼をし外へ出た。
「あんたも一緒に行くといい」
促すままに外、海中に出ると井戸が中央にあるちょっとした広場へ。
海中に井戸が?と初見では首を傾げたが、案内人曰く「海水よりも重たい冷水が引き揚げれるんですよ。他には熱水が引き揚げられる井戸もありますよ」とのこと。
「お、用事は済んだかねお客さん」
広場の端で小岩に胡坐で水煙管を吹かしていた運送屋。彼の後ろ、広場中央で着物を海面に向かって掲げる少女。
「ありゃあ祇族じゃないか。こんなところで見かけるなんて一体どういうこった?」
運送屋のヒレが指した少女の頭には煌めく珊瑚と石で装飾された華美な冠が。
彼曰く、ミズハミシマの要職を担う三族、士族・司族・祇族はそれぞれ身分を示す装具を身に着けているのだという。
「まだ娘っ子なのに証を持ってるってこたぁ拝命ほやほやなのかもなぁ」
「その通り。あの着物は今日に合わせて祇家から頼まれた彼女のための着物なのだ」
水面を仰ぐままに目を閉じる
ゆっくりと紡がれ流れる言葉は歌というよりも祝詞
奏でるままに翻訳加護の向こう側
尾や腕を大きく振り舞えばいよいよ昂ぶり海藻着を脱ぎ解く
白無地を回し羽織ればみるみるうちに二重三重にはだけあれよ舞う
くるくる回れば回る程に少女の周辺の景色が揺らめいていく
海は少女に集まり寄り添い共鳴する如く震え踊る
詩はいよいよ終わりであると空気が伝える
「そして、虹を」
自分自身が特に精霊に通じているとは思っておらず、見えてもぼんやりとしたもやくらいにしか視認したことがないのだが、眼前の今は正に幻想であった。
海面を飛び出した水精霊は多くが手をつなぎ、渦の回廊を海の底まで通す。
水精霊が恭しく拝礼すると陽が傾いた晴天より光精霊が手を手を肩に列を成しどんどん海底に降りてくる。
海中に溢れた光精霊は次に水精霊と手を繋ぎ、無数のそれぞれが接触せずに乱粒子然と少女の周辺を飛び回る。
「ぱんっ」と少女の柏手、光が全て着物に収束すると直視できないくらい激しく眩く輝いた。
そしてゆっくりと瞼を開く。 そこには「虹」があった。
白無地であった着物は重なるそれぞれが何重にも折り重なる虹が色付いて揺らめく度に海中が空であるかのように錯覚するほど。
「お爺さんありがとうございます!明後日はちょっとした潮嵐になるみたいですよ、では!」
私の隣に座っていた老カサゴがゆっくりと手を振る。少女は満面の笑み喜びをぎゅっと抱きしめるようにはにかみ海の向こうへ水精霊を引き連れて泳ぎ消えた。
「祇族ってのは天気予報から海獣の襲来や乙姫様の身の回りの世話まで行う人らでなぁ、特に精霊に通じた一族や家系やらが担ってきたんだとさ」
「あの着物はあの娘が求める色が着くように織り映えるように作ってある。希望を確認し性格を知るのに一週間ほど話やらしたが、良い出来で良かった」
すっかり見入っていた私に老カサゴがゆっくりと語り出す。
同じ生業なのは雰囲気で何となく分かったよ
着ている服を見ると素晴らしい技術を持っているのも分かる
きっとそれは素晴らしいものなのだろう
しかしその服は万人のために作られたものなのだろうなと感じる
私はそんな器用なことができない
唯の一人のために唯の一着づつしか織ることができない
結局老カサゴとの話は夜半まで続き、運び屋さんには案内人に「一人で戻ります」という託を伝えて欲しいと先に戻ってもらった。
素材や製法は世界が違えば変わるのは当然だろう。しかしそれらを扱う人の気持ちの変化こそが最も大きく作用するのではないか、と。
異世界ならではの多種多様な素材に触れ、特殊環境に合わせた服にも触れたが、全ての根っこはそれを扱い織る人の気持ちなのであると初心を思い起こすに至る。
これからの仕事と人生に大きな色をもたらしたミズハミシマ旅行は、海の青の中で踊る虹色と共に私の思い出にずっと残るだろう。
海の中の着物というスレの話題から思い浮かんだミズハミシマの話
- 最後に行きつく最初のきっかけは素材や世界の違いよりも人の気持ちというのが何とも奥深い -- (名無しさん) 2018-04-15 19:11:27
- 偏見じゃなくて相手を理解するのに前向き?というのがいいね -- (名無しさん) 2018-04-15 22:17:43
- 水の中と陸の上とでは服を着る意味や目的も変わってるとことかあるんかなぁ -- (名無しさん) 2018-04-20 09:34:27
最終更新:2018年04月14日 23:17