【鯨都 -8品目・ユウレイの練り物-】

ミレイは言った。
「これまで何度も伝えたが、より複雑な味わいが口にしたければ海の上の屋台へ行け。鉄則だ」
人差し指で陽の光揺らめく海面を指差す。
「海の中の飯は不味いとは言わない。ただどうしても素材そのものの味わいが主線になる。
 これは仕方ない。海中は火精霊の数が極端に減ることは話したな。連れてこようと思えばそれなりの裏技が必要になる。
 あの手この手で連れ込んだ火精霊で調理したものもそのまま口にするわけにはいかない。今度は水精霊の力を借りなければ作った側から台無しになる。
 幕府じゃ城の中に陸と同じ空間を作るという離れ業で海中でも各種の料理を成立させてるがこいつは例外中の例外だ。
 とまあ、陸の様式を海の中へ持ち込むのは至極面倒で厄介だ。故に料理という文化そのものがミズハミシマは他国と比べれば後進的と言える。
 現にここに並んでいる屋台どもの多くも今言った『素材そのものを食わせるもの』と『無理やり陸の調理法を持ち込んでいるもの』だ。復習できたか?」
首を縦に振る。何度も言われたことだ。
よしと小さく頷いたミレイが海底の岩礁の上に並ぶある屋台を指差した。わたしたちのすぐ後ろの屋台だ。
「だが、こいつに関してはちょいと事情が違う。
 これはミズハミシマでも古くから食べられてきた加工品だ。料理のひとつと呼んでもいいかもしれない。
 そう―――婆さん、ひとつくれ」
おもむろに振り返るとミレイは屋台の主と品物の取引を始める。
人魚の老婆である。老化によるものと思われる白髪をひっつめた、妙に目に力のある老女である。
どうにも印象が強い理由は、茶色の地球の着物に似た服をかっちり着込んだその店主はわたしとミレイが店の前で話をしている間もじっとこちらを睨んでいたからだ。
ミレイが注文した途端やたらと親しげに、というより、叱り飛ばすような口調でミレイと話を始めた。
ミレイの方もなにやらぞんざいな調子で受け答えをしている。しばらく言葉を交わした後ミレイは品物を受け取ってわたしの元へ戻ってきた。
耳が痛くなるとばかりに右耳を揉みながら帰ってきたミレイの背後で、女店主が下手糞なウィンクをわたしに向けていた。
「お知り合いですか?」
「まあ、縁があってね。行商で国から国を回っていてなかなか耳ざとい婆さんなのさ。
 そんなことはどうでもいい。こいつを見てくれ」
彼女の手の中にあったのは海竹で出来た長方形の容器である。
ミズハミシマにおける一般的な素材である海竹はこうした使い捨ての容器から建築物の構造材にまで幅広く扱われている便利なものだが、今は説明を割愛しよう。
細工によりやたらとかっちり留めてある上開きの蓋を開け、ミレイが箱を上下に振って中身を取り出す。
ミレイの手の中に転がり出た代物を一目見るなり、わたしはあるものを連想せざるを得なかった。
「石鹸?」
「うーん、違う。
 れっきとした食べ物だ。食べ方はこのまま齧るだけ。ほら」
そう言うなり、ミレイはむしゃむしゃとその真っ白なブロックを齧りだした。
歯ごたえのあるものを口にしているという様子ではない。噛めば千切れるくらいの固さのようだ。
食え、とミレイが容器に入っていたもうひとつのブロックを私へ向けて漂わせる。手にとって眺めてみた。
乳白色のその物体は傍から見ればどう考えても石鹸にしか見えない。しかし、触ってみるとまた印象が変わってくる。
ほどほどの弾力があり滑らかだ。この柔らかさを知るとこの石鹸がちゃんと食べ物に思えてきた。
口の中に残りの欠片を放り込んでいくミレイに倣い、わたしもおそるおそるその石鹸めいたものを口にしてみた。
「………あ、美味しい」
「不味いものなら先に前置きしているさ。とびきりで思わず舌を唸らせるってほどではないけどな。まあ、悪くないだろう?」
ミレイの言葉に頷く。確かにミレイの言う通り、目を剥くほど美味しいわけではない。
しかし肉厚なものを噛み切るような食感、つるりと奥へ消えていく喉越し、そして独特の甘辛い味付け。
どことなく漂う素朴な風味はついもうひとつと手を伸ばしたくなる印象だ。悪くない。
わたしはこの食品のそうした特徴に連想するものがあった。形状も味わいもその連想先とは全く異なるのだが。
「………干し肉………いや押し寿司かな………もしかしてこれは保存食ですか?」
「当たり。なかなか鋭い、と言いたいところだがこれに関しては口にした多くの地球人が似たような印象を持つようだ。
 料理という文化がなかなか根付かなかったこの国が産んだ数少ない料理めいた代物だよ。
 食材の調達は少し手間だが調理は簡単、日持ちもするということで大昔のミズハミシマでは汎く作られていたそうだ。
 急な海嵐が数日続いたような時は外へ出ずにこれを食べて凌いでいたとかいう話。
 他国から料理文化が流入した今ではわざわざこれを保存食にする意味も薄いが、伝統の品ということでそれなりに生産されている。
 こいつの味を知っておけばミズハミシマの飯に関してはちょっと通ぶれるよ」
いつもみたく人差し指を顔の前で立てて解説したミレイへふんふんと頷く。
多くの地球人がこれを保存食ではないかと気づくという彼女の話は腑に落ちるものがある。
少し尖った方向のシンプルな味は地球において各国が作る保存食と似たような空気感があった。
海嵐なる超海流が吹きすさぶ間、流されぬよう岩へ張り付くように作られた家の奥でこれを口にするミズハミシマの民たちへ思いを馳せてみる。
しかし、そうなると気になることもある。
「面白い話だとは思うのですが、そもそもこれは何から作られたものなんです?」
「ああこれ?ウミウシ」
「ウッ」
驚いて思わず口に入れていた最後の一口を丸呑みしてしまった。喉の奥でつっかえるということもなく、つるんと胃の中へと収納されてしまう。
「ん?そうか、そちらではウミウシの肉はあまり一般的ではないんだったか。この国では結構食べられているんだがな………。
 こいつはユウレイと呼ばれているウミウシの肉だ。その名の通り体表から内蔵に至るまで真っ白なんだ。日光を当てずに育てれば、な。
 ちょっとでも陽の光を浴びるとたちまち真っ黒になってしまう。こうなるととても苦くなって食べられたものじゃない。
 だからいにしえのミズハミシマの民はこいつを蓋をした瓶の中で育てていた。なんというかな………あんたはニホンの生まれなんだろ?」
「は、はい。そうです」
「そちらの文化について私は伝聞でしか知らないが、ミソとかいう調味料があるらしいな。家庭ごとに作るという。
 感覚はたぶんそれに似ている。各家庭ごとの育て方と味があった。同じ味はひとつとしてない、というやつだ。
 十分に育ったユウレイをそのまんま微塵切りにして、容器に押し固めて、水精霊の力を借りて固形化して、数日放ったらかしたら完成。
 甘辛さがちょっと癖になるあの味はユウレイの肝の味なんだそうだ。この肝をどう太らせるかが味の決め手らしい。
 太れば太るほどいいというものでもなく、そのへんは………まあ、複雑なんだそうだ。私は料理をしないから分からないけどな。
 あんたら風に言えば、ユウレイの練り物、ということになるんだろうな」
そう言いながらミレイは空の海竹の筒を勢いつけて屋台の方へ流した。ゴミくらいまともに捨てに来い、という屋台主の老婆の罵声が響いてくる。
日本人の宿痾としてそちらの方へぺこぺこと頭を下げてしまったが、内心は異国情緒に感心していた。
さすがに驚きはしたが、よくよく考えればわたしたちもウニだのナマコだのホヤだの、食用になるとはとても思えないものを珍味として珍重している。
(なおそれらはこちらでも食用になっているそうだ。屋台でも何度か見かけた。海中種族だもの、海の中にあるものは何でも食べてみるということか)
それを鑑みればウミウシが食用として出回っていることくらいなんだというのだ。それよりも驚くべきことがこの異世界には数多あるというのに。
むしろ、ミレイが口にした味噌という例えが非常に分かりやすくて唸ってしまった。
なるほど。これがミズハミシマという国の原初の味のひとつか。現地の特産品を口にしたようなものだ。通ぶれる、というミレイの言葉が分かる気がした。
「………ま。それはいいんだが」
ぼそ、とミレイが呟く。口の端からあぶくを一筋漏らしながら。
ギリギリ聞き取れたが、二の句がない。しかし、ミレイがどこか遠くを見るような目つきになった。
今も“息継ぎ”のために海上に浮かんでいる鎧鯨の巨影を眺めている。その視線の色合いにわたしは思い当たる節があった。
ゲート”を見つめるときの上官の思いつめたような視線。
「本業、ですか?」
「………やはり警戒していいか?あんたのことは。その察しの良さと思ったことを口にしてしまう軽さは“私ら”の間では割と命取りだぞ」
「いえ、ミレイのことは好きなので出来ればそうではないと有り難いです」
「………ああ、そう」
居心地悪そうにミレイがバリバリと後ろ髪を掻く。ふん、と溜め息のような泡を吐き出して言った。
「そうだな。初日に並行で話を進めることに頷いたのは“私ら”だ。なら、あんたは今に限れば仕事仲間のようなものだろう。
 そうさ。“お役人”同士、というわけだ。互いに共感を持てる部分は大だったわけだ」
「………あ。やっぱり分かっていました?」
「最初からな。とはいえそんなことはとりあえずどうでもいい。
 あの屋台の婆さんは先も言った通り、ちょっとした情報通でね。特にこの鯨都では顔役みたいなものだ。
 なんせ今口にしたユウレイの練り物、特産品としてミズハミシマが指定しているものに関して幕府から正式な国外販売認可状を貰っているくらいなのさ」
言われて、思わず振り返って屋台の方を見る。人魚の老婆は客の訪れなさにかまけて早くもカウンターの前で船を漕いでいた。
ミレイは同じように忌々しげに老婆を一瞥した。私に向かってやや真剣な表情を見せる。
「………で、あの婆の話によれば。鎧鯨から鋼鉄を引き剥がす職人共が揃って食中毒に陥ったとかなんとか。
 2日目。大方職人たちが鎧を剥がし終えた、あるいは剥がすための最後のトドメを待つタイミングだ。
 鎧鯨とは時間との勝負なもので、職人集団へ臨時の応援要請を行ったとか。今頃はどうにか体裁を整え到着して準備を整えている頃合いだろう。
 議題の盗賊集団が狙うとしたら、この混乱に付け込む形だ。どう鎧鯨の鎧を盗み出すというのか」
「………鯨都入りした面々がまるきりその盗賊集団にすり替わっていた、という線はどうなんです?」
特に先入観無しにわたしが放った言葉へ、ミレイは鼻で笑うように最初答え、そうして言葉を続けるごとに声音を変えていった。
「そんなはずはない。彼らは堅すぎるくらいに職人的な面々だ。一年にたった一度の鎧鯨の来訪に命をかけているくらいだからな。
 だから………そんな可能性は………無い………はず………。………いや………まさか………?」
口元に手をやって考え込んだミレイが、やがてあの特徴的な声を出す。
「『ほ号・赤・弐』」
咳き込むような、苦しげに息をする病人のような、あの声。
風聴(ヴリエラ)とミレイが呼称した、彼女いわく遠距離通信用のこの世界ならではの通信技術だ。
丸めた背筋をぴんと伸ばし、わたしへ向き直ったミレイがどこか苦笑めいた表情を微かに浮かべる。
「ふん。全部、この夜か明くる日の朝に片付くことだ。あんたが気にすることはもう無いよ。いや、“私ら”としては礼を言わなければならないのかな。
 それで片付いてなきゃ本業の方で“私ら”が叱られるだけさね。今あんたと接している“私”とは関係のない話だ」
「でも」
「いいんだ。あんたにとっての鯨都の案内、というのが私の第一条件だった。万が一空振りだったとしてもそれを違える気はない。
 それにさ。ぼちぼち察しがついているあんたにはそれなりにいいところを見せておきたい、という欲もある。牽制も込みでね」
にや、とミレイが笑った。
竜人という種族が持つあらん限りの粋を集めたような、それはそれは妖艶で美しい微笑みだった。

「心配なんか要らないさ。私、強いから」



  • オバケとサーロが混ざったみたいな食べ物…ウミウシ⁉ -- (名無しさん) 2020-02-24 09:06:01
  • 考察からスレネタまで色々盛りこまれ練られつつボリュームもあるのにするする読んで想像進めれるまとまりの良さは素晴らしいの一言。 -- (名無しさん) 2020-03-07 07:08:05
  • 会話や日常で色々心の状況が動いているのが分かっていいなぁ。冒頭の梅竹石鹸でカマボコを想像した -- (名無しさん) 2020-03-07 19:43:46
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最終更新:2020年02月23日 05:28