【外典-ハイエルフは人間の少年の夢を見るか?- 前篇】

 エリスタリアにはハイエルフと言う半精霊のような種族が存在する。
 1000年とも言われるその長大な寿命は、他の生物から見ればまさに不死の存在のように見える事だろう。
 肉体を持ちながら精霊に近い存在なので、精霊を介さずに精霊魔法を行使する事が可能であり、限定的ながら神の奇跡をも行使する異世界においても非常に高等な種族と言える。
 そんな高等な存在だが完璧な存在と言うわけではない。高すぎる力の代償なのかハイエルフには生殖能力が持ないのだ。
 その上他のエルフ種と比べて数も圧倒的に少ない為、種として他の種に与える影響はどこぞの霊長類ヒト科の生物より少なくて済んでいる。
 もう一つ彼らに欠けたものがある。それは通常、生殖能力を持たない彼らには恋愛や恋愛感情が無いと言う事だ。
 生殖活動をしないハイエルフにとって恋愛行為は必要なかったからだろう。そしてその方が効率的に世界樹の為に働く事が出来る。世界樹の為の存在。世界樹の名代。それがハイエルフと言う存在だった。
 ハイエルフにとってはそれが当たり前の事であって、その事に疑問を持つ者は今までほとんど居なかった。ハイエルフは正しく機能していた。



「お師匠様! お師匠様ー!」
 エリスタリアは春の国、新都エリューシンで、今日も一人の少年の声が元気に響き渡った。
「お師匠様、水の精霊魔法にも成功しましたよ! これで俺もまた一歩、大魔法使いに近づき――いてっ」
 お師匠様と言われた人物は少年の頭を小突いて読んでいた書物から視線を移した。
「あまり調子に乗るな光太郎。お前などまだまだだ」
「えぇ~!? 成功したのにぃ?」
 少年の名は光太郎――人間の少年だ。幼い頃エリスタリアに来ていたらしい両親を事故で失い、不憫に思ったこの女性――ハイエルフのエスペランサ=ホーネットが育てているのだ。
 ハイエルフの都エリューシンでは子供はめったに産まれない。
 初め戸惑ったエスペランサだったが、もともと世界樹の実から生み落ちる子を一族皆で育てる社会の為、周りの手厚い協力の甲斐あってスクスクと育ってくれたのだ。
 その過程でエスペランサが驚いた事がある。光太郎が精霊魔法を習いたいと言い出し、本当に習得してしまった事だ。
 エスペランサを含め他の種族の者達も「人間は精霊魔法は使えない」と言うのが常識であった。現に異世界から来た人間で精霊魔法を使えると言う話は聞いた事が無い。
 勿論、気紛れな精霊が人間のお願いに耳を傾け力を貸すと言った事例は報告されている。
 しかしきちんと体系だった精霊魔法とは精霊を感じ、理解し、理解され、精霊と心通わせなくては使う事は出来ないのである。それが人間には無理と言われていた。
 だが光太郎は精霊魔法を習得した。赤子の頃から精霊や精霊魔法に慣れ親しんできた為か――人間でも精霊と心通わせる事は可能だったのである。
「水鉄砲程度の水魔法ではしゃがれては困る。大魔法使いになりたいなら――な」
「へ~い」
 光太郎がまず覚えたのは風の精霊魔法だった。それだけでも学会に発表できる奇跡的事なのに、今や水の精霊魔法も習得しようとしているのだ。
 その意欲たるや凄まじく、誰よりも努力している事は親代わりであるエスペランサが一番良く分かっていた。
 そしてそれが誰の影響なのかも、エスペランサが一番良く分かっていたのである。
「けどその内、絶対俺、お師匠様を超える大魔法使いになって見せますから! そんで……」
 そう、エスペランサは大魔法使いと呼ばれていた。
 大魔法使いの称号は地水火風光闇、六大属性の魔法を全て使える事が条件である。
 四属性や五属性使える者はハイエルフの中にはいくらでも居たが、六属性全て、しかも同時に四属性まで使う事が出来る熟達者は魔法の都エリューシンにおいても十指の指に入る程しか存在していない希少な人材だったからだ。
 何もそこまで全属性使えずとも大抵の事は出来てしまう。故にそこまで精霊魔法を極める者は極めて少なく、そんな彼らを人々は畏敬の念を込めて『大魔法使い』と呼んだのだ。
 そんな大魔法使いの一人であるエスペランサに育てられた光太郎が、自分も大魔法使いに憧れる様になったのは当然の成り行きと言えよう。
「夢を持つ事は良い事だ。来い、褒めてやる」
 エスペランサは腕を広げて光太郎にこいこいとジェスチャーで促す。しかし光太郎はその態度に恥ずかしそうに頬を膨らませ怒り出した。
「い、いいよ! もう、いつまでも子供扱いして」
「む」
 反抗する弟子・子供に対してエスペランサは眉根を寄せパチンと指を鳴らした。
 その途端窓から突風が吹き込み、机にあった本と可愛い弟子をエスペランサの元まで運んでくる。
「う~~~卑怯ですよお師匠様~」
「ハハハッ、私にとっては、いつまでもお前は可愛い子供だよ」
 そうして捕まえた弟子の頭をワシワシと撫でつけ、エスペランサは(これが本にあった「反抗期」と言うものか)などと考えていた。



「洗い流せ――水の精霊ウンディーーーネ!!」
 数年後、光太郎は何と水の精霊魔法をも習得していた。
 今日は世界樹の森に出現するモンスターを撃退する迎撃隊に同行し、初任務で見事その撃退に成功して見せた所だったのだ。
 光太郎には期待と好奇の視線が向けられていた。
 今回がデビュー戦と言う事もあり、大魔法使いの弟子である人間がどれ程の精霊魔法の使い手なのか、皆に注目されていたのである。
 その期待と注目に、光太郎は見事応えて見せたのである。
「よくやった光太郎。師匠として鼻が高いぞ」
「へへ……このくらい楽勝ですって」
 そうは良いながらも緊張の汗でびっしょりとなった光太郎の頭を、エスペランサはいつものように良い子良い子した。
 エスペランサは立派に成長した弟子の成長に満足していた。
 今や光太郎は一人で生きていけるだけの力を身につけたのだ。それは最近エスペランサが考えていた事が可能である事を示していた。
「お前もやっと一人前の精霊魔法使いになって来た事だし、そろそろ一人立ちしてみるか?」
「え?」
 エスペランサは光太郎を拾って育てる内、だんだんと母性と言うものを理解し、この人間の子供を一人で生きていける立派な大人にしてあげたいと願うようになっていた。
 そして今日、それが可能である事を光太郎自身がエスペランサに示して見せてくれたのだ。
 こんなに嬉しい事は無かった。しかし……
「いえ、俺はまだ二大属性の魔法を使えるだけです。まだまだ師匠の下で学ぶ事が沢山あります。師匠のように六大精霊の力全て使えるようになるまで――いてっ」
「バカ」
 光太郎は二属性だけでは満足できないと言ったのだ。子供の頃の夢――大魔法使いになりたいと言う夢を、未だ追い続けていると言ったのだ。
 その事にエスペランサは、自分を目指している事に嬉しいやら、まだ親離れできていない事に悲しいやら、複雑な心境になって光太郎を小突いたのだ。
「その為にはあと100年は修行が必要だよ。やっぱりまだまだだな光太郎は」
「へへ……はいっ! 光太郎はまだまだです! 師匠!」
 少年は無邪気な笑顔で元気良く返事をした。
(しかし、私が30年かかった事を僅か15年で出来てしまうとは……人間とは不思議な生き物だな)
 巣立ちの時が延びた事に嬉しいような悲しいような、エスペランサは自分もまだまだだなと頭をかいた。



「師匠? 師匠どこですか~?」
 ある日、光太郎がエスペランサを探して森の中を歩いていた。
 ちょっと出てくると言って家を出た後、王宮からの使いが用事があると言って訪ねてきたからだ。
 まだ遠くには行っていない筈だと思った光太郎が森の中を探し、ある泉の所まで来ると――
「し――」
「っ!」
 少年の目に入ってきた光景は、美しい木々と水に映える真っ白で美しい肢体だった。
 エスペランサは水浴びをしに外出していたのだ。
「ご、ごめんなさい! 俺、水浴びしてるって知らなくてー!」
「……ま、まぁいい」
 光太郎に見られ反射的に体を隠したエスペランサだったが、小さい頃は一緒に風呂に入れてあげていた相手だ。
 すぐに考えを改め服を着る為水辺へと向かってゆく。
「光太郎は私の子供のようなものだ。気にするな」
「……」
 光太郎はエスペランサに背を向けたまま直立不動で動かない。恥ずかしがっているのだ。
 そんな光太郎の気持ちを知ってか知らずか、エスペランサは光太郎のすぐ後ろで体を拭き、服を着始める。
 衣擦れの音に光太郎は耳をそばだてた。
「で、何の用だ?」
「あの――」
 その日、王宮に呼び出されたエスペランサの帰りは深夜になった。



「ただいまー」
 エスペランサは真っ暗な玄関に入ると小声でそう言って靴を脱いだ。
 この時間なら光太郎はもう寝ているだろう。明日また見回りがあるのだ、自覚の出てきた光太郎なら明日に備えて寝ているものとエスペランサは勝手に思っていた。
 だが……
「――しょう……師匠……っ」
(なんだ? まだ起きてるのか……それに私の事など呼んで)
 昔、書庫を改造して作った光太郎の部屋から声が聞こえてくる。
 また魔道書を読み始めて止まらなくなったのだろうかとエスペランサは思った。明日は大事な日なのに叱って寝かさなければ、とも思った。
 だがこれは大きな間違いだったのである。
 エスペランサは忘れていた。光太郎ももう立派な男の一人だと言う事を。
「エスペランサ……エス……ペ……ランサァ……」
(む、師匠の名前を呼び捨てとは……これは注意しなければ)
 そう思って光精霊の力で明かりを作り、エスペランサは一気に扉を開け放った。
「こらっ! 光太郎、ちょっと強くなったからと言って――っ!?」
「し、師匠!?」
 しかしそこで見た光景は、エスペランサが今まで500年の生涯で見た事が無い生々しい光景だった。
 昔と違って大きく成長した光太郎のソレを見てしまい、今度は免疫の無いエスペランサは固まってしまう。
「あ、あぅ……あぅ……」
「こ、これはその……あの……っ!!」
 自分の恥ずかしい姿を見られ慌ててズボンを掃き直す光太郎に、思考停止して口をパクパクするだけのエスペランサ。
 それは健康な青少年男子ならトラウマものの恐怖体験だ。光精霊も心配そうに二人をキョロキョロと見回している。
 エスペランサの思考が再起動したのは、光太郎が慌ててズボンを掃いた為バランスを崩してベッドから転げ落ちた時だった。
(――はっ)
 頭から板の間の床に落ち痛そうにモゾモゾする光太郎を見て、エスペランサは何と言って良いか分からないがとにかく誤る事にした。
「す、すまなかった! その……知らなくて」
 とは言ったものの、思考が戻ってくるとエスペランサにも恥ずかしさが急激に沸き起こり、それをちょっと怒ると言う方法で誤魔化す。
「と、とにかく今日はもう早く寝なさい! 明日も早いのだからな」
 体良くその場を逃げ出したエスペランサだったが、後でお互いベッドの中で恥ずかしさに転げ回る事になるのは目に見えていた。
 ベッドで一頻り枕をボスボス叩いた後、500年処女の女はようやっとある事を思い出した。
(私の名前を呼んでいた……?)
 光太郎がエスペランサの名前を呼んでいた意味を、この時まだ本人は理解していなかった。



「……」
「……」
 次の日、食卓では気不味い雰囲気が漂っていた。
 お互い何と声をかけて良いか分からないまま食事は進み、とうとうおはよう、いただきます、ごちそうさまでした以外、一言も会話が無いまま後片付けが始まる。
 無言のままカチャカチャと響く食器洗いの音。依然として気不味い雰囲気をどうにかしようと、エスペランサは勇気を振り絞って光太郎に話しかけた。
「その……昨夜はすまなかったな」
 エスペランサは自分も恥ずかしかったが、見られた光太郎の方が自分よりもずっと恥ずかしい思いをしただろう事は分かっていた。
 それに光太郎くらいの歳になれば、男子なら仕方の無い生理現象だという事も理解していた。
「年頃の人間の男子は一年中発情期なのだそうだな。いつまでも子供だと思っていた私が間違っていたよ」
「……」
 呼びかけるエスペランサに対して光太郎はまだ返事を返してこない。
 それは仕方の無い事だった。何故なら昨夜の事で、ずっと隠していた気持ちがばれてしまったかも知れないのだから。
 だからその事がハッキリするまで、光太郎は恐くて何も返事出来ないのだ。
「私達にはそう言うものが無いから分からなかったんだ……不調法だった。許してくれ」
「……」
 エスペランサの言葉には光太郎の聴きたい言葉はなかった。
 光太郎の背徳的な気持ちにエスペランサが気づいたのか?その疑問はだが次に、エスペランサの口から語られた言葉でハッキリする事となる。
「し、しかしいくら発情期だからと言って手近な者で済ませると言うのは感心しないぞ。本来そう言うものは――」
「手近だからじゃありません」
「え?」
 手近な者――その言葉につい光太郎は感情を爆発させてしまう。
 光太郎の気持ちは決してそんな安っぽいものではなかったからだ。尊敬が憧れに、憧れが思慕に、そして思慕が……
「俺はあなただからっ……!」
「~っ!?」
 突然光太郎に両肩を掴まれドキリとするエスペランサ。
 今まで見た事も無いような切なそうな光太郎の表情に、母親代わりに育ててきたエスペランサは胸が高まるのを感じた。
 それは今まで感じた事の無い感覚。
 胸がドキドキして苦しいのに嫌じゃないような、とても愛しい感覚のような、不思議な感覚だったのだ。
「母親代わりなのにそんなに若くて綺麗なんて……ずるいですよ」
「あ……その……」
 エスペランサは再び言葉を失った。
 何と答えれば良いのか分からなかった、と言うより、頭の中を真っ白にされた、と言った方が正しいだろう。
 真剣な光太郎の眼差しに耐えられなくなったエスペランサはグイと引き離し見回りの支度を始めた。
「時間だ、出よう光太郎」
「……はい」
 その様子に光太郎は肩を落として自分も支度を始めたが、エスペランサは気付いていただろうか。
 光太郎を引き離した時、自分の顔が人間の少女のように赤くなっていた事に。



「光太郎すごいなお前」
「人間なのに大したもんだ」
 光太郎はその日もモンスターを撃退して、仲間のエルフ達から賞賛の声を浴びていた。
 3年前のデビュー戦から今まで、仲間達の助けもあり何とか負け無しで世界樹と街を守り続けられている。
 この3年でハッキリした事がある。
 どうやら光太郎は”引き”が強い人間らしく、モンスターは基本的に人が集まっている所には他種のテリトリーとして寄り付かないものなのだが、光太郎の時にはよく侵入してくるのだ。
 結果として、光太郎は他のエルフ達より圧倒的に若くありながら、戦歴は他のエルフ達並に積んでいると言う事になってしまっていた。
「へへ、俺なんてまだまだですって」
 普通ならそんな「運が悪い」のは嫌なものなのだが、光太郎の場合そうではなかった。
 光太郎は強くなりたかったのだ。
 数年前、自分の気持ちに気付いてからの懊悩の果て、吹っ切れたように修行に勤しみ、そして着々とその力を増してきたのだった。
 全ては自分の許されない想いを遂げる為……
「さすが大魔法使いの弟子ってだけあるな」
「本当だぜ。もう立派に世界樹の守人じゃないか」
「でも俺の目標にはまだまだなんです。俺はいつか――」
「光太郎」
 光太郎が照れながら仲間のエルフ達に自分の目標を言おうとした時、涼やかで凛とした声が光太郎を呼んだ。
「あ、師匠」
「ちょっといいか」
 今日の見回り前、昨夜の出来事からずっと気不味い空気を引きずっていたエスペランサと光太郎。
 見回りの最中も事務的な会話だけで殆ど会話と言う会話が無かった二人だったが、見回りが終わりようやくエスペランサの方から声をかける事が出来たのだ。
 一仕事終わり切りが良い時を待って話しかけたエスペランサは、見回りの最中もずっと考えていた。
 光太郎が自分だからと言った理由。そして母親代わりの自分を若くて綺麗でずるいと言った理由。年頃の人間の男子がどう思っているのかを考え続けた。
 しかしハイエルフであるエスペランサにはその理由が解らなかった。
「お、何かお小言かねぇ」
「大魔法使いの弟子ってのも大変だな」
 光太郎を引き連れて集団から離れていくエスペランサの長い耳に後ろの方から二人の笑い声が聞こえた。
 だが今のエスペランサにそれをどうこう思う余裕は無い。
 何故なら人気の無い場所に連れて行こうと光太郎の手を引いた時から、自分でも理由の解らない胸の高鳴りに困惑していたからだ。
 子供の頃引いていた小さくて軟らかかった可愛い手は、今は大きくてゴツゴツとした大人の男の手に変わっている。
 自分より大きく成長した手、それだけの意味しかない筈なのに、何故自分の心臓はドキドキしているのか、エスペランサには本当に解らなかった。
「その……きょ、今日はよく働いてくれた。師匠としても鼻が高かったよ」
「ありがとうございます」
 まず当たり障りの無い言葉から会話を始めるエスペランサ。
 エスペランサは今朝からの疑問の答えを聞きたかった。母親を慕う子供と言うには少し違う。でも自分を赤子の頃から育てた相手に向ける感情とも考えられない。
 考えても考えても分からなかったわが子のような存在の気持ち。その答えを知りたかったのだ。
「……でもその、無理はするなよ? 近頃のお前は少々頑張りすぎだ」
「はい。でも俺、もっと頑張らなきゃいけないんです」
 一瞬の逡巡の後、エスペランサは光太郎に答えを聞けなかった。
 その答えを知る事は、何となく、漠然とではあるが引き返せない所に向かう事になってしまうのではないかと言う予感があったからだ。
 結果、エスペランサは答えを聞く勇気を、そして自分の気持ちを知る勇気を出す事が出来なかった。
「どうしてだ? もう十分精霊魔法使いとしては一人前になった。これ以上は――」
「まだあなたに心配されてる」
「え?」
 光太郎のその言葉にエスペランサはしまった、と思った。
 自分がお茶を濁すように発した逃げの言葉。
 それに光太郎が感じたような意味など無かったのに、光太郎はその言葉をエスペランサがまだ自分を、子供を心配する母親のような言葉と受け取ってしまったのだ。
 だがこれで分かった事もある。大切な人に心配をかけたくない、そんな想いをエスペランサは感じとったのだ。
 つまり成長した光太郎は、エスペランサと同じくらいの歳格好になった事で、エスペランサを自分より上の母親と言う存在から同等の家族と言う存在にしようと思っていたのだ。
 昨夜のあの行為もきっと、いつまでも母親の庇護下に居る自分から精神的に脱却するための儀式のような意味があったのだとエスペランサは思った。
 疑問が解けた。エスペランサがそう自分の中で結論付けた時、彼女を突然の衝撃が襲った。
「キャッ!?」
 その衝撃は光太郎がエスペランサを抱きしめたものだった。
 抱きしめられて初めて感じる光太郎の大きさ。
 光太郎を抱っこやおんぶしていた時の記憶が残っているエスペランサの頭の中では、光太郎は大きくなっても自分と同じくらいのイメージが出来上がっていたのだ。
 しかし今密着してみてハッキリと分かった。光太郎は今や育ての親であるエスペランサよりも頭一つ分近く大きくなっていたのだ。
 大きな胸板と太く力強い腕、戦った後である為か汗の臭いがする男の胸の中で、エスペランサの鼓動は早鐘の如く高鳴っていった。
「あなたに心配されない、あなたより強い男になりたいんです!」
「光太郎……?」
 光太郎のドキドキがエスペランサの耳にも聞こえた。
 自分と同じように胸が高鳴っているのを感じ、不思議な幸福感に満たされていくのを不思議に思った。
 何故自分は今こんな気持ちになっているのか?光太郎の本当の気持ちは自分の推理とは違うのか?その答えを考える余裕はもうエスペランサには無い。
 自分の胸の高鳴りで頭が沸騰しそうなほど恥ずかしかったからだ。
 思考は散漫になり頭の中は殆ど真っ白。エスペランサは抵抗も何もせず、ただ光太郎の胸に抱かれ相手の言葉を待つばかりだ。
 そして光太郎はエスペランサの本当に聞きたかった答えを告げた。
「俺、あなたの事が好きなんです。認めてもらいたいんです」
 好きと言う言葉を聞いた時、エスペランサの胸の鼓動がドクンと一段大きくなった。
 ”好き”その言葉の意味は知っている。だが光太郎の言った”好き”はエスペランサの知る”好き”とは違う事が理解できたからだ。
 それは以前読んで理解出来ないと途中で投げた人間界の書物にあった”好き”と同じもの。
 つまり男女間の”恋愛感情”と言う気持ち。
「~~~~~っ」
 エスペランサは今度はハッキリと自分の顔が赤くなるのを感じた。
 顔が熱い程赤面した事もまた、今まで生きてきて一度も経験した事の無いものだった。
「オシメ変えてもらってた人にこんなのおかしいって悩みましたけど……この気持ちは本物だから」
 光太郎の本当の気持ちを知って、ハイエルフの女は初めて”好き”と言う気持ちを知る事が出来た。



(子供だと思っていたのに……)
 その夜、エスペランサはベッドの上で光太郎の事を考えていた。
「いつの間にか、私より大きくなっていたんだな」
 見回りの後、抱きしめられた時の事を思い返して膝に顔をうずめる。
 大きくなった光太郎に抱きしめられドキドキしたエスペランサ。
 それは彼女も光太郎に好意を抱きつつある事を示していたが、この時まだ彼女は自分にも光太郎と同じ感情があると認められないで居た。
(光太郎の気持ちは恋愛感情と言うものなのだろう。私には……理解できない感情だ)
 エスペランサははっきりと光太郎が自分を母親ではなく女として見ていると言う事を知った。
 それはつまり彼女と番(つがい)になりたいと思っていると言う事を意味する。
「私には生殖能力は無いのに……何故私に欲情するのだろう?」
 愛が子孫を残すためだけに必要な感情なら、エスペランサは適当な相手ではない。それも親子のような関係の相手ならそれは尚更だ。
(若くて綺麗な女なら誰でも良いのだろうか? いや――)
 そこまで考えてエスペランサの脳裏に光太郎の言葉が過ぎる。
『俺はあなただからっ……!』
 エスペランサは思う。光太郎は生殖の為や欲望の捌け口としてではなく、自分と言う女を愛しているのか?と。
「私……だから……」
 人は時に愛の為、理屈に合わない行動をとると言う。
 それは愛と言う精神活動がただの本能に由来するものではなく、もっと高尚で清純な精神活動だからとエスペランサは思っていた。
 だがそれは違う。
 愛は理屈ではない。本能でも理性でもない。もっと根源の、心の奥底からあふれ出る感情なのだと、エスペランサは思った。



「師匠。俺、一人でやって行こうと思います」
「え?」
 ある日の朝の事、光太郎に突然そう切り出されたエスペランサは目が点になった。
 エスペランサが光太郎に抱きしめられた日から数ヶ月、その後二人の関係に進展は無かった。
 その間も着々と光太郎は力をつけ、今や土の初級精霊魔法を使えるまでに成長していたが、あの日以来エスペランサには手を出していない。
 光太郎の気持ちを知って以来、エスペランサは地球の書物を読み漁った。特に恋愛小説と言うジャンルの本を読み、今は人間の恋愛感情や行動について理解を深めていた。
 それは彼女なりに光太郎の気持ちに答えようとしての事だった。
 光太郎の事は勿論好きだ。しかしそれは今まで母性愛としての好きだった。
 けれど成長した光太郎に抱きしめられ、今のエスペランサの好きは昔とは変わってきている。光太郎が望むなら、受け入れてあげたいと言う気持ちが生まれたのだ。
 子供としてではなく男として、光太郎を見始めている自分に気が付いたのだ。
 だが自分から何か進み出る事は恐かった。故に、恋愛に耐性の無いハイエルフの彼女は待ち続けていたと言うのに……
「突然ですみません……でも俺、考えたんです。このままじゃ変われないって」
「変わる?」
 光太郎の言葉に耳を傾けるエスペランサ。
 夕食の片付けを中断して光太郎の座るテーブルへと戻る。
 エスペランサは思った。思えば料理を覚えたのもこの子の為だったなぁ、と。沢山の思い出が懐かしくて、巣立って行こうとする光太郎を聞くのが恐かった。
「その……いつまでも師匠に守られたままじゃ、師匠に追いつけないって」
「私の為……なのか?」
「はい。……いえ、俺自身のためかも」
 光太郎はやはり気にしていたのだ。十分一人でやっていける力を手にした今でも、母であり師匠であり想い人であるエスペランサの足元にも及んでいない事を。
 男だから強さにこだわるのは分かる。しかしそんな事エスペランサは気にしていなかった。
「お前がそこまで気負う必要などないのに……私はもう十分お前を認めているよ」
 認めている。
 その言葉の中には気持ちを受け止める用意が出来ていると言う意味もあったのだが、エスペランサにはそれを素直にそのまま口にする事が出来なかった。
 そのせいでまた光太郎に誤解されてしまう事になる。
「やっぱり、俺まだまだですね」
 光太郎はテーブルから立ち上がるとテーブルの上に置かれたエスペランサの手を握った。
「いつか必ず、あなたを惚れさせるような男になってみせます。必ず」
「光太郎……」
 ハイエルフにとって時間はゆっくりと流れるものであり、待つ事は苦痛にはならなかった。
 しかし人間である光太郎の時は短く見る間に成長してゆく。そして見る間に年老いていってしまう。
 このままではお互い何も進まないまま終わってしまうかもしれない。そう思った瞬間、心の底の何かがエスペランサの体を突き動かした。
「え……?」
 突然のキス。
 エスペランサは光太郎の手を引いて大胆にもキスをしたのだ。おでこやほっぺにではなく、口付けと呼ばれる本当のキスをである。
 彼女自身、自分の取った行動に驚いていた。
 口付け、それは恋人同士が行う愛情表現の方法。それを今自分から行ったのだ。つまりそれは告白したも同然の行動。
 エスペランサはまた自分の顔が熱くなるのを感じたが、この時は勇気を出して本当の気持ちを伝える事にした。
 これはきっと素直になれない自分達に運命が与えてくれたチャンスだと思ったからだ。
 エスペランサは光太郎に心を伝えた。
「今はここまで。お前がもっと立派な男になったら――その時は、私の全てをあげるよ」
「ほ、本当ですか!? それ本当ですね!! よっしゃーーーー!!」
 500年処女だった想い人から行われた思いもよらないキス。
 相手の性格からして考えられなかった突然の大胆な行動に面食らっていた光太郎だったが「私の全てをあげる」と言う言葉の意味を理解した時、心の底から熱い感情がこみ上げてきたのだ。
 今までのシリアスな表情が嘘のようにはしゃぎだす光太郎を見て、エスペランサは呆れ半分嬉しさ半分でその様子を眺めていた。
(本当、バカなんだから……)
 その時、ほとんど笑う事が無いエスペランサの表情は幸せそうな笑顔に包まれていた。




  • >生殖能力が持ないのだ。  これは誤字?読み方がある? バトルものとばかり思っていただけにこの内容は床を転げ回った。 【精霊魔法】に関しては目録などで解説とかあればもっと分かり易くなりそう -- (名無しさん) 2012-08-01 00:25:58
  • いつの年代の話なのかと光太郎の年齢が気になる。「思っていたよりも可愛いものだな」と言われなくて良かったね光太郎!でもあと一歩展開が進んでいたら間違いなくもげろ言われていたに違いない -- (としあき) 2012-08-01 13:47:09
  • この設定だとハイエルフの精霊魔法は通常の精霊との交渉とは違う概念みたい。亜神・魔人クラスであるハイエルフはデフォルトで【霊身装具】みたいな状態になってるのだろうか。バトルものとしても設定解釈のし甲斐がある -- (名無しさん) 2012-08-04 20:52:56
  • 特別なエルフであるということとそれに従って生きている民の中に入った一つの特異点の光太郎。変わる変わらないという意識もなかったエルフの世界が垣間見えた反面でハイエルフでも変わることはあるのだという今回の話はとても興味深いものがありました -- (名無しさん) 2013-06-28 18:45:02
  • すれ違い確定でお別れフラグ立ちまくっているのになぜか応援したくなる二人 -- (名無しさん) 2014-04-09 23:51:13
  • どきどきした。今まで経験したことない感覚とかって寿命長いと長いぶんだけショックも大きいんだろうなぁ -- (名無しさん) 2014-07-08 23:21:26
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最終更新:2012年07月26日 20:04