切羽詰った様子の六義の電話に呼ばれ、シテが待ち合わせ場所に戻ると、セリオツが彼の手に噛み付いていた。
決して友好的……というか、仲睦まじい様子と言うわけではない。
「ぐるるるるるぅ……」
「あー、ごめん、ごめん。セリオツちゃん。知らなかったんだ、知らなかったんだ。知らなかったとはいえほんとごめん! いたたたたた……」
唸りつつ食らいつくセリオツ。涙目の六義は謝りながら、長身を低くしながら痛みに耐えている。
シテは毒気を抜かれた思いだった。
一時は彼にただならぬ気配を感じて警戒していたが、今の様子を見ると普通の男子高校生に見える。
少しは張り詰めた気分を落ち着けた方がいいかもしれない。シテはライヴの楽しみもあるし、無理に六義を警戒することを止めることにした。
「六義どの。我ら鬼族に取って角は一種の感覚器官。そなたとて不意に口や鼻を触られたら嫌であろう?」
実際のところはもっと敏感なものなのだが、表現を弱めにして注意する。聞いているのか聞いていないのか、六義はそれよりも早くセリオツをなんとかしてくれと身振り手振りでシテに懇願していた。
電話からの説明で、六義がセリオツの頭を撫でたら急に噛まれたと聞かされている。
おおかた気軽な気持ちでセリオツの頭を撫でて拍子に、髪に隠れている頭頂部の角へ触れたのだろう。妹が怒るのも無理もない。
シテはなんとかセリオツを宥め、六義の手から引き離した。
開放された六義は軽くその場でくるりと回り、背を向けて暴虐の難にあった手を摩る。
「うわー、穴空いてるよ。まじかー」
いつもの飄々とした六義の姿はない。本当に痛かったのだろう。セリオツは鬼族でも特に犬歯が発達している。噛み付かれたらただではすまない。
シテは少々申し訳なく思い、六義の手を取って治療を施した。と、いっても傷口を消毒し、手拭いで縛っただけだが。
落ち着きを取り戻した六義は、軽く咳払いをして提案した。
「セリオツちゃん。ほんとごめん。京都についたら、ライブ会場の隣にドゴールコーヒーがあるし、お詫びにそこで何か奢るよ」
「アイス」
「わらわはキャラメルマキアートを所望じゃ」
この鬼っ娘たち、即答である。
「いいか、蜂公。このニホンてぇところには恐ろしい罠がある。俺様と同じくらいの大きさでふんわりとした中華まんみたいな形をしていてだな、やたらと手触りのいい布で出来てる奴には気ぃつけろよ?」
京都へ向かう電車内。
電車の手すり捕まりながら、熊人のウーススがドミヌラとマヌなんとかに語る。
「あれは小
ゲートの調査をしてた時でい。たまたまニホンの何処かの山に繋がっていたので、ちょいとそこらを調べに行ったわけよ。しばらく歩くとちょいと開けた場所に出て、そこでそのふんわりとしたもんを見つけたわけでい。いくつもあって、そのうち一つを触ってみると弾力があって面白い。手触りもいーとくりゃちょっと遊びたくなるもんよ。しばらく弾むのが楽しくて押したりしてたらだ……」
マヌなんとかは、膝に所長の植木鉢を乗せて居眠りの最中だ。いつも眠そうな彼女は、電車に乗るとどうやらすぐに寝るタイプらしい。
ドミヌラはマヌなんとかの分も、黙ってウーススの話に耳を傾ける。
「今でも思いだすだけで恐ろしい。突然、中から甲高い音がして一点からどんと突き返された。あれはきっと内側から突き破って、何か飛び出そうとしてきやがったに違いねぇ。情けねぇ話だが、調査も忘れてゲートからトンボ返りさ。笑ってくれても構わねぇ。だがな、あれには気を付けろ。ニホンでは一般的な罠に違いねぇ」
黙って聞いていたドミヌラだが、堪らず問いただす。
≪それはテントというもので、中に人がいたのでは無いのか?≫
「そんなわきゃぁねぇ! じゃあ何かい? 中にいた地球人が俺様に向かって蹴りを入れたとでも? どこの世界にこの熊の姿を見て蹴り返す馬鹿がいるんでい」
≪テントの中からではお前の姿を確認する術はあるまい≫
「何いってやがる。俺様は月を背にしてた。中は暗い。つぅことはだ、俺様のでけぇ影が写ってたはずでい。それで蹴り返すような奴がいたら、俺様はこの爪を切るぜ」
≪まあそれにしても、あまり恐れられてるようには見えんがな≫
ドミヌラの視線の先……いや、複眼の視線など分からないのだが、彼女が注意を向けている対象は分かる。
小さなおさげの少女がウーススの足にハグして離さないでいた。
この5歳ほどの女の子は電車内でウーススの姿を見つけると、目を輝かせて飛びついてきたのだ。ウーススも小さい子供相手では分が悪いのか、文句を飲み込み大人しくなすがままにされていた。
「ままー。フ゜ーさん」
抱きついたまま少女は振り返り、母親にそういいながら微笑みかける。
保護者も保護者で「よかったわねー」と返す。それだけで母とのコミュニケーションに満足するのか、ふたたび少女はウーススの足に全身でしがみつく。
さきほどからこれを何度も何度も繰り返している。
ウーススはもう数えていないが、ドミヌラは数えている。17回目だ。
そこで車内アナウンスが放送された。次が目的の京都である。ウーススは寝ているマヌなんとかを揺り起こす。
京都につくとドミヌラは、何の気兼ねもなく一人でさっさと降りていく。マヌなんとかも植木鉢を車椅子に乗せると、続いて降りていく。
ウーススに張り付いた女の子は、事情を察したのかぱっと手を放し、一目散に親元へと駆け出していく。あれほど懐いてくれていたのに、こうなると薄情なものである。しかし、母親が一番なのは当然な理りである。
ウーススは悟られぬように苦笑し、マヌなんとかの後を追って電車を降りた。
「フ゜ーさん、ばいばーい」
遅れて降りた女の子も、母親に引かれながらホームの反対側へと向かいながらウーススへ手を振った。
振り返ったウーススだが、マヌなんとかも振り返っている。眠そうな目がニヤついているように見える。ドミヌラは複眼なのでこっちを見てるかどうか分からないが多分見えている。
「フ゜ーさーん! ばーいばーい!」
しつこく少女は手を振る。その体制は母親にぶら下がるかのような姿だ。
根負けしたウーススは、マヌなんとかたちの視線を背に浴びながら少女へと手を振り返した。
なまじすぐに手を振ってもらえなかったせいか、少女は達成感を込めた満面の笑みで母親の足にしがみつきながら小さく手を振り続けた。
仕方なく見えなくなるまでウーススも手を小さく小さく振り返し続けた。
ニヤニヤニヤニヤニヤニヤ……。
実際、ニヤニヤ出来るのはマヌなんとかだけだが、ドミヌラどころか植木鉢まで妙な視線を向けているような気がしてウーススはむず痒い思いをした。
少し暴れたいくらいだったが、騒動になるわけにはいけない。
たった今、去っていた少女がそんな光景など見たらなんと思うか。そう考えて、ウーススは自重したのだ。
なんとも優しい熊さんである。
一方、時は違えどやはり京都に到着したシテたちは、ウーススたちほど目立ってはいなかった。
セリオツがほとんど人間と見分けがつかないから彼女は当然として、目立つはずのシテがフードで角を隠しているからである。
このためのフード・トレーナーである。パンツルックと相まって、ちょっと胸元がボリューム感満点の女子プロレスラーか? といった程度の視線しか向けられていない。
「古都と聞き及んでいたが、駅はずいぶんと……なんという申したかな? こういうのを」
「近代的? いや未来的? かな?」
「そうそう、それぞな。それぞ……。ほう、はぁあ……」
シテとセリオツは延々と伸びる大階段から、高さ60メートルのガラス屋根を見上げて絶句していた。
新幹線にも驚いていた二人だが、古都京都の二面性には些か心の準備がなかったらしい。
コンコースから出て、温室のような吹き抜けの外には京都タワーの姿も見える。
しばし呆気取られていたセリオツたちに、何者かが声をかける。
「あれ? もしかしてセリちゃん? わー、偶然だねー」
果たしてそれは美しい人間の男の子だった。いや、女の子だろうか?
六義は見覚えないが、どうやら十津那学園中等部の学生らしい。
跳ねるように軽やかなショートカットの髪。自信に溢れた立ち振る舞いは少年的だ。しかし、体のライン……とくに腰、はっきりいえばヒップのラインはこの上なく女性的で、シュートパンツから僅かな丸みの膨らみが覗き、柔らかい腿がやんわりと伸びている。
反対に胸は起伏が乏しい。そこだけ見れば少年にしか見えない。
彼女は、セリオツのクラスメイトでも特に親しい友人らしい。
二人は偶然の出会いを喜び、正面から互いに手の平を絡めて飛び跳ね合い。一段落すると薄い胸をくっつけ合うように抱き合った。
一瞬、シテの表情が強ばったが、やはり少女? の腰つきに目線を向けて「ならばよいか」と微妙な表情で視線を周囲に泳がせた。
少女の名は武井 リリ。日本人とフランス人のクォーターらしい。どこか人離れした美貌はそこからくるのだろうか?
なんともビビットな雰囲気が漂う少女である。
やや線は細いとはいえ星の王子様と呼ばれる六義。2メートルの巨体ながらフードから覗く素顔は文句のいいようがない美形。常人とは違う美しさを持つ二人の少女。
これは周囲の衆目を集める。
ウーススたちなどとは違った視線だ。
「そろそろ会場に向かわないかい? ドゴールコーヒーに寄る時間もあるし」
いたたまれなくなった六義は、とにかく移動することを提案した。
「六義おにーちゃんがおごってくれるから一緒に行こー」
「うん、イクイク」
きゃーきゃーと抱き合いながら、二人の少女は六義にご相伴預かる確約を拡大させた。
「ダス メイズン オーネ ゲジヒト……」
「げ、不協和音卿じゃない!」
また時が違えど、同じ場所である京都駅にて、奇妙な縁が擦り寄った。
大きく遅れてきたアニーとその付き添いである彪は、時代錯誤の二重巻き姿のドイツ人と邂逅した。
スラヴィアでも悪名高い戦線不協和音、ディリゲント・ディスコールダンツ男爵である。
「ゲルマニーなんて分かんないのよ! 日本語で話しなさい! 日本語で」
「ほう、奇妙だな。我々は加護により大抵の言語を理解出来るはずだが? ああ、そうかキミにはどうやら限界があるらしいな。脳に。胸に。幸運と幸せに」
「なな! 余計なモンなつなげるなこの雑音! だいたいなによその格好? ホームズ? ワトソン? モリアーティ?」
「こちらの文学から引用とはなかなかと思ったが、全て同作品からか。やはり、限界があるようだな、キミの脳に。胸に。幸運と幸せと未来に」
「増やすなバカー」
出会うなり噛み付き合う二人に、置いてけぼりの彪は取り敢えず主導権を得ようとモーションに出た。
「え、なになに。このイケメン? とりあえずボディチェック行って見ようか! 性的に!」
ゴッ!
大きく腕を飛びかかろうした彪の肘が、近くの通行人の旅行カバンに当たった。
「電気きた……、きたきた電気きたとびきりなまらすげー電気きた」
肘が痺れ、彪は周囲にピンクのパンツが見える事も構わずもんどりうつ。
「あー、アヤさぁ。この不協和音卿にちょっかいだそうとすると、ろくでもないことなるから気を付けてねぇ」
終始やられっぱなしだったアニーは、ここぞとばかりにアヤを見下ろしふふんと無闇に胸を張った。
「相変わらず、あまり性格が良くないなぁ、ダス メイズン オーネ ゲジヒト。まあ、わたしも人のこといえたタチではないがね」
「ところで不協和音卿? もしかしてあんたもこれにきたわけぇ?」
ライヴのチケットをヒラヒラさせながら、ディリゲントに問いかける。
ディリゲントは当然と頷きながら、襟を正した。
「貴卿とこの私か。何かろくなことになりそうにないな」
男爵の予感は想定以上に当たっていた。
このとき、三人の背後を突き進む集団がいた。
懐に武器を抱えて……。
- 嵐の前の賑わいというか先と次は分かりますが三番目のグループに不協和音卿が混ざったのには驚きました。それにしても六義の行動には全て裏がある胡散臭さが常につきまといますね -- (名無しさん) 2013-08-01 21:04:31
最終更新:2013年08月01日 21:00