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【私はなぜここにいるのか】

クルスベルグからグーテンターク

ドイツ新聞Berliner Morgenpost クルスベルグ駐在記者 ヨハン・ゲーレン発

第10回 『私はなぜここにいるのか』

皆さんこんにちは、早いものでこのコラムも今回で10回目となります。
それを記念してというわけではありませんが、以前から寄せられていた私の現在に至るまでのことについて書いてほしいとの投書がありましたので、それについて書こうかと思います。
私がこのクルスベルグに最初にやってきたのは1995年6月のドイツ首相とクルスベルグ大統領との平和外交条約調印式取材のことでした。
ドイツ国内だけでなく、世界中からこの異世界側国家との条約締結という出来事を取材するために多くの記者が押し寄せ、大規模な記者団が編成され、英語と日本語をしゃべることができた(日本語は少々おかしな部分があると日本人記者に指摘されることがありましたが)私は幸運なことにその記者団に参加することができました。
幸運なと思えるようになったのは後になってからで、当時の私は上司からの突然の命令に渋々従ったようなもので、本心としては何が起きるかわからない異世界なんてまっぴらごめんという気持ちでした。
そんな私がなぜこうして現在クルスベルグに腰を据えてこの国についての記事を書いているかは、自分自身でも時々奇妙に思いますが、その大きな理由のひとつが妻との出会いだったと思います。
妻は当時地球側からの使節団や記者団の世話をするために働いており、偶然私の担当になりました。
ノームの女性であった彼女を初めて見た私は、彼女を未成年、もっと言えば十台前半じゃないかと思っていました。それくらい彼女の容姿は当時幼かったのです(今でも十分幼いが)
親しくなってから年齢を尋ねるとなんと私よりも年上(当時私は27歳で彼女は29歳)であることが判明したわけですが、見た目はどう見てもそうは思えず困惑したのを覚えています。
彼女はクルスベルグという土地に不慣れで右も左もわからない私によく世話を焼いてくれました。
その結果、私が一方的に彼女に好意を寄せることとなり、プロポーズまで突っ走ってしまったのです(同僚からは散々変態扱いをされたがノームの29歳はれっきとした結婚適齢期だ!)
突っ走ったと言っても、妻とのはじめての出会いからプロポーズまではたっぷり2年ありました。私はその間ドイツとクルスベルグの政府間交渉の取材など、様々な理由を作っては上司に働きかけてクルスベルグへと足を運び、その取材の合間に彼女と会う時間を作っては愛を育んでいました(この原稿を見たらきっとまた編集長に小言を言われるだろうな……)
そして、地球人とノームという人種どころか種族すら超えたその無謀とも思える行為の彼女の答えはなんとOKだったわけで、これに私は今でも思い出すと恥ずかしくなるくらい舞い上がり、大喜びしたのを今でも昨日のことのように覚えています。

ここで賢明な読者ならお気づきになっていると思いますが、現在に至るも異世界の種族と地球人の婚姻を認める法律は存在しません(これはこの原稿を書いている段階でドイツ国内法だけでなく地球側国家全てだと思いますが)
よって私と妻との関係は地球では正式な夫婦ではないことになりますが、クルスベルグでは男性が女性に求婚を申し込みそれが肯定されれば、その時点で婚約関係と見なし同じ家で暮らすことが許されるのです(両親がいる場合はまず相手側の父親に気に入られる必要があるが妻の場合は母娘だったので彼女自身にその選択権があったらしい)
しかし、プロポーズが実ったとは言え、当時の私の生活の拠点はドイツであり、新聞社の取材で数週間クルスベルグにとどまり取材をしては、またドイツに戻るということを繰り返していました。
これで彼女と夫婦になるにしても色々と問題があました。いっそ新聞社を辞めてこちら側で暮らそうかとも考えましたが、当時はまだ政府関係者か許可を得た取材記者など、限られた人間にしかゲートの通過や異世界側での在留は許されておらず、仮に記者を辞めてクルスベルグに不法に留まれば、最終的には強制送還され二度とクルスベルグの地を踏むことができないかもしれなかったのです。
そんな悩みを抱え日々悶々としている私に、まるで必然のように上司から『クルスベルグに新しく国内外のメディアと合同で支局を立ち上げる、よってその立ち上げと現地駐在記者として赴任しろ。任期は無期』との編集長命令が下ったのです。
今から思えば彼は私の事情を知っていたのかもしれません。しかし後になってそのことについて尋ねてみたことがあったのですが『社で暇そうにしている人間で、もし何かあっても惜しくない人材がお前くらいしか思いつかなかった』という言葉が返ってきただけでした。
なんにしても、これによって私は生活の拠点をクルスベルグに移すこととなり、ドイツの家を開け払い最低限の荷物をもってクルスベルグに移り住むこととなったわけです。
クルスベルグではホーンベルグに新しく立ち上げられた地球側メディアの合同支局の立ち上げ作業を行いつつ、妻の実家で彼女と彼女の母親と三人で暮らすという生活を送るようになり、支局立ち上げ後は現地駐在記者として日々クルスベルグと周辺国家の情勢や、このような軽めなコラムを書いたりしているわけです。
私がはじめてクルスベルグの地を踏んでからの16年間で地球とこちら側では様々な変化があり、10年ほど前からは民間の旅行者などの行き来も正式に許可されるようになり、ホーンベルグの街でも地球からの旅行者の姿を見かけることが増えてきました。
そして、私個人の変化としては妻との間に二人の娘が生まれ、10歳と12歳になる二人は元気に育っています。
日々変わらないようで変わっていく世界について私はこれからも記者として良い事も悪い事もこうして皆さんに記事にして届けていくつもりです。
それでは皆さんまた次回。

Berliner Morgenpost ネット配信版 20011年8月27日号より


  • 奥さんの方が年上でもノームなので地球では例え法が許しても世間の目が厳しそうですね。社の計らいや世間の流れが暖かくていいですね -- (名無しさん) 2013-09-03 17:34:20
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最終更新:2014年07月25日 22:25