本日の講義は、我らが祖国
ラ・ムールを治める王について学ぼう。
ラ・ムールという国の元首たる王、カー・ラ・ムール。 その地位は神により保障されている。 それも文字どおりの意味で、であることは知っていよう。
王として生を受けた者の左の眼には、その証である、光芒放つ綺羅の瞳が宿る。 その瞳こそが天に輝く太陽の神ラーにより選ばれた者の証左であり、故に王は神により選ばれると言えるのだ。
では、これまでのこの砂漠に命を馳せた、カー・ラ・ムールとはいかな人物であったのであろうか。 それは、王に与えられる字名と共に語るのが良いだろう。
字名を持たぬ王も多いが、それは平穏あるいは大きな苦局のない時代の王であるか、特筆すべき程の勲功のない治世であったということだが、それら歴史に埋もれた王が居たからこそ、いまこの地にラ・ムールという国があり続けているということを忘れてはならない。
では、偉大なる王達を、歴史と共に見ていこう。
いつかとも知れぬほどの遥かなる昔。 一人の少年が生を受けた。
少年は成長と共に類稀なる武才を発揮し、広大な大地の片隅にある小国を束ねるに至る。
その王が今際にて臣下に遺した「我が瞳には神が宿る。 真偽の別は貴公らに委ねるが、我と同じく神の瞳を持つ者を探し出せ」という言葉。
それは現代にまで続く、王を探す国家事業の礎となっている。
その王は最期に眩いばかりの光と共に、日没と共にその身を滅したとされる。 それ故に、史上初めて神の瞳持つ者として刻まれた王は「太陽王」と称され、彼の名を取り王はカーと呼ばれるようになる。
それより幾何か後。
砂漠に建つ小国は競り合いを続け、砂漠の地は血の赤で染まりつくさんばかりの時代が訪れる。
その時代に、どの国にも属せず、砂漠の戦場を駆ける熱風の如き漢がひとり、現れた。
その力はまさに「破軍」と呼ぶに相応しく、碑に刻まれた語りが偽りでなければ、小国ではあるが国同士の総力戦すら、彼と彼の同志合わせて数名にて双方の全戦力を打倒したと言う。
やがて彼は一代にして砂漠全土の戦を練り歩き、絶大なる武により戦を収めて回ったという。
武による闘争の不毛さに気づき、小国同士が手を取り合い、砂漠にひと時の平穏がもたらされると共に、彼はやがて同志と共に、「覇砂王」ヴァルトスの名だけを残し、歴史より姿を消した。
一説には砂漠のさらに西へと繰り出したとも、戦神との戦に赴いたとも言われるが、最期は定かではない。
砂漠に戦乱からの平穏が訪れて後、次に訪れたのは神威の夷敵であった。
西南の地に居城を構えていたと言われる邪龍の王マルドラーク。 ヴェストヴァストゥーパ全土にオーマ或いはゴーマと呼ばれる強大な力を持つ化生を放ち、恐怖と絶望による支配を目論んでいた邪龍に立ち向かったのは、一人の少年。
男子諸君なら、もう言わずとも解っていよう。 そう、ラ・ムール史上最高級の武勲「邪龍の打倒」「砂漠全土の完全平定」を為し、後に偉大なる誉の字名「武王」を冠するハグレッキである。
彼はその身一つで全土を練り歩き邪龍の使徒を討ち果たし、およそ当時のヒトとして習熟し得る武芸百般を極め、同志と共に邪龍を撃滅せしめる。
絶大なる神威の証たる邪龍の首を持ち凱旋したときには、当時砂漠でなお覇を競いあっていた豪氏が、後に王都マカダキ・ラ・ムールとなるこの地に軒並み馳せ参じ、彼の帰還を平身低頭にて出迎えたという。
その時の様子は王城の城壁画として遺されているので、皆も見たことがあるでしょう。
武王の治により初めて砂漠は完全なる平定を為し、「ラ・ムール」という国の土地としての姿が確定することとなるわけだ。
外患が取り払われた後に訪れるのは、当然ながら内憂である。
武王の治の後、数多くの王が内憂に対し臣下と共に策を弄したが、その悉くが利権や構造的欠陥の前に崩れていくこととなる。
そんな中、当時世に存在するすべての学書を読破せしめたと豪語する少女が王として名乗りを上げる。
・・・なぜ女性だということに驚嘆するものが居るのかは理解できるが、彼の王は確かに女性であったのだ。
世に残される姿があまりに男勝りに伝えられ、そして政敵や間者を時に政治的に、時に物理的に打倒したという逸話も、男と誤解されるのに拍車をかけたと言えよう。
そのお方こそ「賢王」の誉を冠するサリエ。 当時の国内外の行政、数多の学書より得られたさまざまな実証検分を基に、今なお続く国政制度を制定したという、まさに智の才覚を発揮するために玉座に就いたという王であった。
ラ・ムールが国として動くための基礎のすべてを制定し終えた後、まるで燃え尽きたかのように玉座で静かに没したという逸話も、智と国政に殉じた生き様の現れと言えよう。
と、ここまでは偉大なる王者たちの列伝として皆も聞いたことが多かろうが、この先は彼らに匹敵するほどの業績で後世に至るまで字名を残す王は多くはない。
内憂外患ともに万全たる対処が練られたこと、カー・サリエが築いた内政制度とそれを支える隷民制・税制・教育制度により強大な王権を必要としなくなったことが、その理由として挙げられる。
また、その出自は基本的に市井の中にあり、不意に王となり玉座に就く、という我が国特有の王政もあり、王が王としての業績を輝かしいものとすることなく没することも多いのも、字名を冠する王が現代に至るにつれ少なくなる理由とも言えよう。
激動の時代の中だからこそ、その業績は誉れ高く叫ばれ、字名が残されるほどのものとなった、とする見方ももちろんある。
近世の王達の中でも強いて挙げるとするならば、「星見」と呼ばれる力による占星術で国を動かしたもう一人の高名な女王「占星王」ヴァルチェ、神斬る刃を手に日の落つる地へ向かったとされる「神殺王」カテナセーガ、今なお神威が煌煌と照る「地上の太陽」と成り
スラヴィアとの国交の礎を築いた「金獅子王」レブオーロが、現代まで字名が知られる王であろうか。
また、15年ほど前に崩御された先王ブラークマは、神々による異界への門への開放に伴う諸事の対応を専らとしたことで「門開王」と呼ばれているのは、皆も知っていることであろう。
そして今代の王となる方はいまだ見つかってはいないのだが・・・おっと、時間のようだ。 それでは本日の講義はここまでとしようか。
- ラムールの王は伝承や御伽噺に出てくるような華のあるスターのようです。しかし当の王達はカーという半ば神に認められた義務と責任の中にいるようでそれでもカーとして国の頂に座していたのは心の強さを感じました -- (名無しさん) 2013-12-01 17:36:59
最終更新:2013年12月01日 17:33