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【月光の魔女】

"真月"の夜が訪れようとしていた。
スラヴィアの中天に禍々しく輝く三つの満月。
狂気の三姉妹が時を同じくして満ちる災厄の夜であった。

領民は家の堅く扉を閉ざし、貴族は恐怖を紛らわせるように酒宴に興じる。
家畜は月光を直視しないように目隠しされ、野の獣も巣穴に篭ってひたすら夜明けを待つ。

しかし、本来なら生き物一つ居ないはずの真月の荒野に、一人の女の人影があった。
腰まで届く金髪は千々に乱れ、血と泥に汚れた身体に衣服も着けず、睨むように暗い天を見つめている。
かつて"慈悲のエリザ"と呼ばれ、その美貌と慈悲深さを讃えられた大貴族、エリザヴェート・チェイテ女侯爵であった。

◇◇◇

全ての始まりは十年前だった。

エリザヴェートが参戦した『饗宴』の舞台である野戦場に、かの屍姫サミュラが伴も連れずに降臨した。
異例の事態にエリザヴェートは全軍を停止させ、その真意を確かめるべく自ら屍姫の元に赴いた。

近寄ってみると想像以上に異様な光景が繰り広げられていた。
屍姫が一人の村娘を抱かかえ、背後からその首筋に接吻している。
村娘の頬は紅潮し口元から涎が垂れている。小刻みに腰を揺すり、両手で己が乳房を揉みしだいている。

「サミュラ様…であらせられましょうか?」

エリザヴェートの問いに対する応えは無く、ただ村娘の荒い息遣いが聞こえるだけだった。
やがて屍姫の接吻から解放された村娘は、陶然とした表情で集落の方角へふらふらと歩いていった。
エリザヴェートは深まる疑念を押し殺し、屍姫の前に恭しく跪いた。

「拝謁を賜り光栄でございます。私はこの地を治めるチェイテ侯エリザヴェートと申す者。
 サミュラ様ともあろう御方が、このような『饗宴』の場においでになるとは如何なる事でございましょう。」
「…君が"慈悲のエリザ"か。噂は以前から耳に入っている。慈悲深い領主として領民から大変慕われているそうだね。
 しかも学問に優れ、領地経営と軍の指揮に卓越した手腕を持っているとか。結構、大変結構。」
「…お褒めに預かり恐悦至極でございます。」

賞賛の中に不可解な興奮と残忍さが垣間見える。屍姫とはこのような物言いをする人だっただろうか?
相手の真意が見えず訝しげな表情のエリザヴェートに、屍姫はにっこりと無邪気な笑みを返した。  

「だからこそ、試す価値があるというものだ。」

突然変わった屍姫の声音に、エリザヴェートは思わず面を上げた。
その瞬間、目の前に信じられない光景が飛び込んできた。
先ほどの村娘を先頭に、大勢の村人達が幽鬼の様な表情で歩み寄ってくる。
村人たちの様子がおかしい。生者の気配がしない。村人全員が屍人と化しているようだ。

「さあゲームの始まりだ、"慈悲のエリザ"よ。
 君の気高く慈悲深い魂が軋む音を聞かせてくれ…」
「サミュラ様!これは一体…!?」

屍姫は笑いながら手を振ると、次の瞬間忽然と姿を消した。
エリザヴェートは思わず後を追って走り出しそうになったが、それどころではなかった。
我が子の如く慈しみ、愛おしんできた領民たちが、屍人と化して襲い掛かってきたのだ。

あまりの異常事態に対応が遅れた。鎮圧の指示も防御撤退の指示も出来ないまま同胞相討つ乱戦が始まった。
如何に屍人と化したとはいえ武術の嗜みの無い唯の村人たちである。侯爵家の正規軍にみるみる殲滅されていく。
しかし村人たちは屍人としても異常だった。首を落としても手足を落としても構わずに素手で掴み掛かって来る。
傷口と傷口を接合させ、組体操のように肉体を編み上げて異形の人肉巨人となって襲い掛かる。
村人たちの顔は一様に幸福そうな笑みを浮かべ、歌うような笑い声を口々に上げている。

地平線の向こうが白み始め、村人の返り血に塗れたエリザヴェートが我に返ったときには、村人も自軍の兵も悉く物言わぬ骸と化していた。

「何故…?何故なのですかサミュラ様!!」

荒涼たる夜明けの原野に、エリザヴェートの叫びがこだました。

◇◇◇

この一件は後に『チェイテ侯事件』として記録に残された。
『饗宴』の予定戦場周辺の十ヶ村の領民とチェイテ侯爵家の兵は全滅。
"主犯"と目された前チェイテ侯爵エリザヴェートは逃亡。
チェイテ侯爵領はキエム・デュエト侯爵家預りとなった。
これが公式記録の全てであった。

◇◇◇

エリザヴェートは失踪した。
数ヶ月の間、海岸沿いの洞窟に身を隠し鼠と蝙蝠の生血を啜って永らえていた。
何故……呆然とした心の中で唯それだけを繰り返していた。
(さあゲームの始まりだ)(だからこそ試す価値がある)(君の魂が軋む音を聞かせてくれ)
サミュラの口から出た言葉と悪夢のような情景が繋がりやがて一つの理解に到達する。

エリザヴェートの相貌が一変していた。
かつて"慈悲のエリザ"と呼ばれた気高く慈悲深い女領主はそこには居なかった。
そこに居たのは憤怒と憎悪に心を塗りつぶされた一人の復習鬼であった。

皮肉なことに、配下に分与していた『力』が全て還ったことでエリザヴェートの力は一段と増していた。
だがそれでもまだ遥かに届かない。仇は怪物の中の怪物。天に突き立つ峰のように遥かな高み。
死神の花嫁。スラヴィアの国母。全てのスラヴィアンの『力』の源泉。屍姫サミュラ。
屍族としての『力』では、どう足掻いても追いつけない。

死神の『力』で足りないのであれば、別の『力』を身に付けるしかない。
運命の巡り会わせか、そのチャンスがすぐそこに迫っていた。
エリザヴェートは洞窟の中で十年間その時を待った。

◇◇◇

そして遂に、数百年に一度の『合』が始まった。

真円を描く三姉妹の輪郭がゆっくりと統合されていく。
赤月と青月と黄月が重なり禍々しい"真月"を成す。
無色透明な狂気が地上に降り注ぐ。

轟轟轟轟轟轟轟轟

エリザヴェートは決意に満ちた瞳で真っ直ぐに"真月"を睨み続けている。
真月に焦点を合わせたエリザヴェートの瞳孔に、物質化寸前の濃密な狂気が注ぎ込まれる。
狂うのは構わない。自分が無くなってしまっても構わない。屍姫を斃す、その一念さえ失わなければ。
凄まじい狂気の濁流に呑み込まれ、エリザヴェートの記憶が、感情が、人格が削り取られていく。
そして最後に小さな結晶のように残ったのは、屍姫への憎悪、それだけであった。

みちっ、ぎしっ、ごりっ…

狂気が凶暴な形状で具現化する。変質した魂が肉体を造り変えていく。
全身の皮膚を突き破って角が、棘が、牙が、触手が生え、暗い天に向かって伸びていく。
垂直に天に向けられた喉から、月神に捧げるように歓喜の絶叫が立ち昇っていく。

◇◇◇

ふいに、エリザヴェートの絶叫が止んだ。
一瞬、間を置いてエリザヴェートの首がごとり、と地面に落ちる。
訝しげな表情のエリザヴェートの眼前で、彼女の肉体が次々と細切れにされていく。

「……!?」

最後に通り抜ける一陣の風。
エリザヴェートの生首が縦に真っ二つに断ち割られた。
彼女の残骸から死神の『力』が燐光を放ちながら抜け落ちていく。
残されたのは細切れの肉片を湛えた半径数メートルの血溜りだけであった。

「間に合ったようだな。」
(目的を遂げる為に破滅を選ぶなんて…愚かな女…)

数メートル先の空間から、整った容貌に地球産の『サングラス』をかけた高位屍族と、長い髪の風精霊が姿を現す。
貴族の正体はスラヴィアの柱石たる最高実力者の一人、「審議候」キエム・デュエトその人であった。
傍に侍る風精霊は、空気の密度を変化させ光を自在に屈折させる能力を操り、エリザヴェートの転生を望遠するとともにキエム・デュエトの身体を隠蔽していたのだ。

(ちょ、ちょっと細かく刻み過ぎちゃったかしらー?)

小型の竜巻に小さな身体をすっぽり収めた風精霊が、おろおろと地面の血溜りと縦に割られたエリザヴェートの生首を見比べる。
真空の刃を操りあらゆる物体を切り刻む"かまいたちの風精霊"である。

(サミュラ様とつながりました。交信どうぞ、マスター。)

盗聴不可能な遠距離音声通信を得意とする"超音波の風精霊"が、冷静な口調で周波数を調整する。
微かなノイズを含んだ屍姫の音声がキエム・デュエトの耳元に届く。

『御苦労でした、キエム・デュエト。』
「完全に変貌する前に仕留めることができたのは僥倖でした。危うく"首なし騎士"クラスの災厄が生まれるところだった…」
『姿を消してから十年…あの気高く優しいエリザヴェートが月神の狂気に魂を捧げようとしていたなんて…』
「如何に生き、如何に死ぬかは各人の自由。しかし何人たりとも己が行為の責を免れることはできません。」
『わかっています。さあ、貴方も早くお戻りなさい。月神の狂気が貴方の心まで冒してしまわないうちに。』
「御意。」

屍姫との交信が終わり、審議候キエム・デュエトは周囲の風精霊たちに呼びかけた。

「仕事は終わった。さあ城に帰ろう、私の愛しい恋人たち。」
(了解、ご主人!さあさあ、みんなもこっちに集まってー!)

審議候の"恋人たち"の中で最も速い風を操る"ジェット気流の風精霊"がキエム・デュエトの身体をふわりと包み込む。
他の風精霊たちがキエム・デュエトの元にわらわらと集まり、溶け込むように一体化する。
キエム・デュエトの身体が宙に浮かび、次の瞬間、ふっと空中に掻き消えた。

◇◇◇

「ちっ、出遅れたか。」

審議候キエム・デュエトが風と共に去って数分後、一人の少女と一羽の鴉が虚空から姿を現した。
少女は不機嫌と嘲弄が入り混じった表情で、足元の血溜まりを、エリザヴェートの残骸を見下ろしている。

「ふん、相変わらず仕事が早いなキエム・デュエト。
 どうせサミュラの差し金だろうが、ボクの先回りをするとは生意気なヤツだ。」

少女は右の人差し指を犬歯で噛み切り、溢れる血液を足元の血溜りに滴らせた。

「だが少々詰めが甘い。折角の仕込みだ、無駄にはしないさ。」

死神の血液を注ぎ込まれ、細切れとなった肉片が時計を逆回しするように統合されていく。
数十秒後には、かつての輝くように美しく慈悲深そうなエリザヴェートがそこにいた。

しかし、その瞳は濃密な月神の狂気に濁り、口元は微かに歪んだ笑みを湛えている。
第二の転生。死神の神力で駆動する肉体と、月神の狂気で駆動する魂。
周囲の空間を狂気で汚染し、視線の先の草花を枯らす。
新たな"怪物"の誕生であった。

「一介の屍族の身で『合』の狂気によく耐えた。君は見込みがある。
 この『力』は君の執念に対する褒美だ。さあ、君は自分の為すべきことを為すがいい。」

死神はにっこり笑って手を振ると、現れた時と同じように忽然と虚空に消えた。

後に残されたエリザヴェートは、暫くの間、自分の両の掌をまじまじと見つめていた。
自分の名前も思い出せない。ここがどこかも分からない。
憶えているのは唯一つだけ。

エリザヴェートは唯一記憶しているその名前を口の中で繰り返した。
誰のものかも解らない。しかしその人こそが、自分が今ここに在る意味そのものに違いない。
自分の歩むべき道を見出さなければ。この名前の主に会えばきっと解る。

"慈悲のエリザ"は暗い天に架かる真月を一瞥して、ゆっくりと屍姫の居城の方角へ歩いていった。


end















●あとがき
 読んで下さった方、ありがとうございました。月神三姉妹の「合」ネタです。
 エリザヴェートの精神は月神の狂気にどっぷり浸かっておりモルテ本人も完全には制御できません。
 モルテの暇つぶしゲームに挿入された『イレギュラー』としてゲームを盛り上げる要素になるのでしょう。
 キエム・デュエトの"恋人たち"は、真名を貰って個性が定着している強力な風精霊という設定です。
 それぞれ得意分野があり、登場した四体以外にもたくさんの"恋人たち"が存在すると思われます。
 独自設定てんこ盛りですが、楽しんでいただけたら幸いです。


  • 月神とスラヴィアの組み合わせは考えもしなかったものでどんな災悪が起こるかと思いましたがなるほどこうして防がれていたのかと納得しました。善悪の観念なく自身の興を楽しむモルテのぶれなさも神らしい怖さでした -- (名無しさん) 2013-12-22 19:32:21
  • 夜空に月が消える真月=月神が降臨した証?生命体というよりも想いを原動力に事象を起こす思念体みたいな印象受けた月神 -- (名無しさん) 2018-09-06 22:43:48
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最終更新:2013年12月22日 19:28