目的地がひとつであっても、行く道は何通りもある。
今回わたしは、
エリスタリアへ赴くにあたって、ミズハ経由の船旅を選択した。
安く速い英国経由を選択しなかった理由を問われても、
まあ、口をもごもごとさせることしか出来ないだろう。
強いていえば、何となく。わたしは旅に合理性は求めていないのだ。
わたしがエリス行きの船に乗り込むとき、
神経質そうな蛸人の大男の船員がわたしの足を止めさせた。
その蛸人は海の深いところから染み出るような声色で、こんなことを言ってきたのだ。
「覚悟せよ。覚悟せよ。エリューシャンは黒い荒海に阻まれている。
狂騒の春の都を無闇に求めることなかれ。龍の吐息の波頭がその身を砕くことを恐れるなら」
細かいところは怪しいが、概ねこんなところで合っているだろう。
ホモサピエンスには把握しにくいはずの表情からも明らかな焦燥がみてとれて、
植え付けられた不安の種はその晩見事に花開き、わたしは得体の知れない胸騒ぎに悩まされたのだった。
だがこの瞬間は景気づけの酒に生来の楽天さが補強され、
わたしはすべてを一笑にふして洋々と船に乗り込んだのだった。
もし、シラフだったならそんな選択肢は選ばなかっただろうに。
さて、わかりやすく死亡フラグを立ててみたのだが、結局のところ、この航海は晴天に恵まれ無難に終わるのである。
いやあ酒を呑んでいてよかったよかった。バッカスに、いや、名も知らぬ異世界の酒神に乾杯だ!
あの時は予想もしなかったが、妙な蛸人の船員と幾度か言葉を交わす機会を得た。
その内に、親しいと言っても良い関係を得た。
「怨嗟の声が聞こえるか。彼らは初めて光を浴び、まもなく死んだのだ。急げ、悲鳴成り止まぬうちに」
「採れたてかー。うん、美味そうだ」
「目を背けるべき真実は、遊戯にこそほのめかされる。我らもまた、昼と夜との升目を進む駒の一つにすぎないのだ」
「あ、異海チェスじゃん。一度やって見たかったんだよね」
「見よ。見よ。これこそ腐敗と病の沼より生まれし一滴」
「ひゃっはー!酒だ!酒だ!
はやくそれをよこせ!わたしが、どうにかなっても、しらんぞ!」
以上のように、船旅はつつがなく進行した。
妙な言葉は、単なる蛸人の趣味だということが知れた。
適度なスルー力を発揮すれば、退屈なはずの船旅を彩ることさえした。
前述したように、大事なくエリューシャンに船は近付きつつあるようだった。
しかし確信を込めた発言は出来なかった。
その理由は、エリューシャンの威容そのものだ。
天を衝くの、まさしく体言。
二日も前から煉瓦造りの摩天楼はその姿を誇り、見事にわたしの遠近感を狂わせた。
「おおぅ、いつ見ても、すっげーなぁ」
「見よ。見よ。アレこそ狂騒せし春、エリューシャン。」
「へえ……、でも石塔ばかりって春っぽくないよな。なんというか、桜舞散る桃色世界想像してたわー」
「ひとつ問う。春とはいかなるものか?」
「んー、……芽生えの季節?」
「然り。ものみな目覚め、にわかに騒ぐ。いまそこに萌芽せしは石塔よ。
並び立ち絡み合う石塔は、でたらめな産声の象徴。
見える。見えるぞ。あの背後を支えるのは恐怖。成し遂げられるものは恐怖しかあるまいに!」
「ま、春の感じ方は色々か。岩間に芽が覗くのも、また春らしいような」
「もはや残された猶予はわずか。心せよ、春は目覚めの季節。いままさに、恐るべき獣が這い出そうとしている」
「ああ、荷物まとめとかなきゃな。じゃ、船室に戻るよ」
去る私を、蛸人は触手をビクつかせることで見送った。
感動的な蛸人との別離のシーンを省略しつつ、わたしはエリューシャンに上陸する。
石の森林の目前にわたしは立った。
見上げると、遥か彼方にある木漏れ日がわたしに目眩を与えてくれた。
煉瓦造りの摩天楼はその足元に一層の奇怪さを見せる。
継ぎ目はぐちゃぐちゃ、めちゃくちゃな増築のあと、摩天楼同士が絡み合う。
まるで、摩天楼そのものが爆発的に成長したような、そんな有機的な雰囲気が漂っている。
よくもまあ崩れないものだ、そう思いながら港を歩く。
港には色々な種族がせわしなく動き回り叫び、色鮮やかだった。
どこかで鳥が鳴いた。
ふと、耳を澄ましたその瞬間のことだった。
にわかに喧噪を突き破る、ズズ、と響く音。背筋に怖気を走らせる。
確信と共に振り仰げば、摩天楼の一つが軋みをあげながら崩れかかろうとしていた。
悲鳴をあげて海に走り飛び込もうとしたが、周囲が慌てた様子を見せないので、冷静さを装った。
この窮地で世間体を気にしたわたしの性質は、いつか必ず自分の首を絞めるだろうと確信出来る。
しかし、それはこの時ではなかったようだ。
軋みの音は激しさを増し、しかし整然さを持ち合わせ、まるで音楽のように聞こえて。
倒れる摩天楼を支えるように、四方八方の摩天楼から石腕がのびる。澄んだ笛の音がすると、摩天楼の表面がやわらかく波打ち自ら姿勢を立て直した。
唖然としたわたしを余所に港は営業を続けている。
何人かの新米が荷物を落とし、怒鳴られていた。
わたしたちが不安定な二足歩行を行うように、摩天楼は自立していた。
あの摩天楼達は自らバランスを取り、時には手を差し伸べ合うのだ。
さて、わたしは摩天楼の一つを昇っていた。展望レストランがあると聞いたからだ。
階段は幅広い。天井、壁に色鮮やかに絵が飾られている。
わたしはどれだけの時間を昇ったのだろう。
絵画のおかげで単調ではないが、流石に飽きてきた。
足元のやわらかさに足裏が吸い付けられるかんじがした。屋内だが、土が敷き詰められている。
立ち止まってしまった。
時折吹く風が汗に心地よく、各所に吊られた鈴を鳴らしていった。
わたしは、しゃがみこみ口を潤した。通路の両脇に水が流れているのだ。
片方は下へ、もう片方は上へ。どちらも水の精に制御されている。
手が伸びた一瞬、妙な感触があり、掬った分だけ普通の水になった。
「どこまで歩いたんだろうな」
呟くと、土の精が気を利かせて壁の窓を空けた。
窓の外は林立する摩天楼であり、ターザンのように摩天楼から摩天楼へと移動する
エルフの姿が見えた。
だらだらと疲れていると、上の方から足音が聞こえてきた。
エルフだ。寝台に足をいくつか生やしたようなものに乗っていた。
エルフが姿勢を変えこちらを向いた。豊満な胸が寝台に歪んだ。
「足で昇るなんて元気だよねぇ。ね、だいじょうぶ?」
「みてのとーり、元気溌剌さ」
「あはは、見えないから声かけたのよぅ。何か、こだわりがあったりなかったり?」
「ないない」
「ならならぁ、いいものがあるよぅ」
エルフは、乗っていた樹獣の尻尾を折り採って、地面へ投げ刺した。
尻尾は養分を集め、数分もしないうちに同じものが出来た。
「うふふ、それに乗っていきなよぅ。お代は、えっちぃコトでいいよぅ?」
「あ、いや、今は疲れてるというか」
「そーう?
だったら貸し一つだよねぇ。それでいいよぅ。
ではではぁ、縁があったらまた会いましょー?じゃねー」
エルフは寝転がりながら手を振り、下へと降りていった。行ってしまった。
「………あ、ぁぁ………つ、つい、断ってしまった」
わたしの胸は後悔で満たされていた。
この後悔は全身に染み蝕み、いずれわたしを殺すと確信した。
対処方は夢と希望に満たされた胸を口に含むことしかありえないだろう。
それはともかくとして、この樹獣は本当に便利なものであった。
一眠りのうちに、展望レストランへと運ばれていた。
起き上がり窓へと目を向けた瞬間、
世界樹の雄大さが目に飛び込んだ。
立ちくらみ、世界樹しか視界にないような感覚をもった。
摩天楼の向こう側に秘されていた世界樹は、この摩天楼の高みよりなお高く。
雲突き抜け天穿ち、広がる枝葉は地平を覆うようだった。
- 翻訳加護の妙が面白い。夫婦岩のような双摩天楼と生物的な内装と樹獣で利便性を加えているのもらしいですね -- (名無しさん) 2014-03-02 17:12:53
- 実は観光向きとそうじゃない土地の差が激しい国? -- (名無しさん) 2014-10-15 22:56:07
最終更新:2012年03月30日 22:46