【眇眇公主 二】

 騒ぎの中心はすぐさま目に入った。見当を付けたとおり、両替通りをふさぐようにして人だかりが出来ている。屋根の上を走りながら、足を止めた人々の視線を追ったところ、セイランはことのあらましを半分方理解していた。自分にも身に覚えのある状況である。
 何しろ金を扱う職業というだけあって、両替商は羽振りがよい。そんな商人たちが特に異人向けに構える店はどれも豪華絢爛、城と見まがわんばかりの豪勢なつくりである。騒ぎの中心となっている金蛇軒もまた、周囲に恥じぬつくりである。屋根の曲線は力強く伸び上がって周囲から頭一つ抜け出ており、同店の看板代わりとなっている。
 そんな屋根の上に、異人が一人張り付いている。
 何しろ当たり前の屋根ではない。どちらかといえば壁に近いような、むやみに急な斜面である。異人は懸命に手足を突っ張って瓦に取り付き、そこから滑り落ちぬようにするだけで手一杯とみえる。
 その足元では、衛兵たちが槍を突き上げている。
 異人を救おうとしているようには見えず、むしろ追い詰めているような格好である。雰囲気も剣呑で、まるで捕り物だとでも言わんばかり。その割には、屋根にはしごをかけて上ることもせず、悠長に取り囲んでいるだけでもある。なにやら不思議な雰囲気である。 屋上の異人は地上の様子には注意を払う様子がない。時折虚空に目を向けては、なにやら声を張り上げている。下で兵士が応ずるでもなく、異人もまた答えを得る様子がない。
 一体誰に話しかけようとしているのか、なぜ兵士に囲まれているのか、どうして屋根の上なのか。いくつも浮かんだ疑問を差し置いて、セイランの心に浮かんだのは不思議な感情だった。強いて言えば、親近感である。
 ――事情はよく分かりませんけど、降りられない時だってありますよね。
 下で槍を構えられていればなおさらですと、セイランは一人頷いた。
「テンコウ、お願い」
 頷く精霊の首に手をかけると、セイランはもろともに高く飛び上がった。一息にいくつもの屋根を飛び越え、異人が張り付いている屋根の棟に降り立つ。突如飛来した少女に目下の群集はどよめくが、セイランは気にしない。しゃがみこんで棟に腰掛け、上手く均衡を取りながら、セイランは眼下の異人に手を振った。
「あのー、こんにちわ」
「こんにちわ」
 妙に野太い返事が、奇妙な向きから来た。
 セイランが顔を上げると、そこには途方もなく渋い顔をした顔が浮かんでいた。髭もじゃの顎とそれとは対照的に禿げ上がった頭部、異人のように毛もなくつるりとしていながら暑苦しいことこの上ない顔立ちだが、全体が薄く透けて見えるせいでいくらか救われている。まるで煙で描いたがみがみ親父の似顔絵にも見える。風精であると、セイランは見当をつけた。
「こんにちわ」
「こ、こんにちわ。風精さま」
「こんにちわ」
 風精はテンコウにも頭を下げる。それでセイランにも確信が持てた。
「あの、風精さま、でいいですか。あの、ご挨拶申し上げます。私はセイランです」
「ご挨拶申し上げます」
「あのー、ごめんなさい。実はですね、さっきのはあなたに挨拶したんじゃないんです。ほら、そこにいる異人さんに声かけようかなって思ってですね――」
「おい、ちょっとそこの、お嬢さん!」
 下のほうで、異人が悲痛な声を上げていた。なにやら必死の形相でセイランに目を瞠っている。
「あぶないよちょっと! ここがどこなのか分かってるのか! 屋根だよ屋根! 超高いよ! スリル求めるにしたって限度があるだろ! 大体いまだ子どもじゃねぇか! おい! そこの! 俺が屋根に乗るのはいいよ! そうしてくれって確かに頼みましたよ! もうちょっとやり方あるだろとおもったけどそれはこのさいいいよもう! でも無関係な子どもまで上げるこたないだろ! それは頼んでないだろうが! おいちょっとお嬢さん? なんだか知らないけどパニックを起こすのだけはおよしなさいよ、すぐ降りられますからね。おい! 何とかしろってば!」
 ばたばたと慌てふためいては屋根にしがみつき、時折セイランの脇のほうに向かって怒鳴る。セイランが風精に目をやると、風精はまじめ腐った顔で見つめ返す。溜まらず、セイランは噴出した。
「あなたがあの人を屋根に載せてあげたんですか?」
 風精がうなずく。宙から溶け出すように力瘤の盛り上がった腕が現れ、風精がそれを一振りするとびゅうと突風が吹いた。揺さぶられた異人が悲鳴を上げ、その下では衛視の一人が頭を押さえて上に目をやる。風にさらわれた兜は異人の頭にすとんと納まり、それを見た風精は満足げにうなずいた。セイランは笑った。
「なるほど、あんなふうにして載せてあげたんですね。そうしろって頼まれたから」
 風精はうなずき、テンコウにも頭を下げる。テンコウがあくびをしたのを見ると、風精はようやく口を開いた。
「逃げたいといっておりましたので手伝いましたが、礼も言わないし『そこの』だの『お前』だの呼ばわり。すこし懲らしめるつもりでおりました」
「そうですか、それはしょうがないですね……あの、風精さま、ご芳名はなんと」
「ありません」
「へ?」
「まだないのです。私は生まれたばかりだ」
「あー……」
「だからまあ、あの異人が呼び名に困るのもしょうがないかという気がしてきました」
「そう、なんですか」
「もう許すか」
「じゃああの、もう懲らしめなくてもいいですか?」
「いいんじゃないですか」
「それじゃあ、私が降ろしてあげてもいいですか?」
「いいんじゃないですか。では私はこれで」
 重々しく一礼したかと思うと、風精の輪郭は見る見る薄れていく。そのまま風精は宙に解けて消えうせ、セイランは一人気の抜けた思いで取り残された。
 横のテンコウに目をやると、テンコウは一心不乱に屋根瓦を引っかいている。セイランは鼻をかいた。移り気な風精の相手なら慣れたものである。


 気を取り直して立ち上がると、セイランはテンコウを支えにして異人のもとまで屋根を滑り降りた。異人は理解が追いつかないといった様子でセイランとテンコウを交互に眺めている。セイランは努めて朗らかな表情を作った。
「こんにちは、異人のおじさん」
「あ、はい。こりゃどうもご丁寧に」
 異人は毒気を抜かれたように気の抜けた声を発した。
 『卵相』という呼ばれるとおり、異人の顔はつるりとしている。このような顔立ちは北部のほうでは見られないが、南方では珍しくない造作である。かつて大師がそう言っていたのをセイランは思い出した。異人の判別はまだ難しいセイランだが、失踪人でないことはすぐさま見分けた。
 ――まあ、そんなに上手く行くわけないですよね。
 わずかに残念に思いながら、セイランは異人の顔を観察した。あっけに取られ、セイランの足元にしきりに目をやり、セイランに手を伸ばそうとしては体勢を崩し、それでもセイランからは目を離さない。自分が落ちそうだったことは半分忘れているようにすら見え、そのことがセイランにはとてもおかしかった。
 ――追われたとか言ってましたけど、悪い人じゃなさそうですね。
 手を取り、眼下の群集に向かって手を振った。
「すみませーん、場所を空けてくださーい。そうですー」
 応じて人の輪が開いたのを確認すると、セイランは異人に微笑んだ。
「それじゃ行きますよ」
「え、あ、あのちょっと待って――へっ?」
 異人の返事を待たず、セイランはともども屋根から身を投げた。
「わああ、あ」
 地に着く直前にテンコウが風を起こし、二人をやさしく受け止める。ようやく悲鳴を上げ始めたばかりでもう地に着いた異人は目を白黒させた。なるほど金蛇軒の屋根は高いが、落ちるとなれば一瞬である。巻き上がった砂埃を浴びて野次馬たちがどよめき、自然と起こった拍手がそれに続く。セイランがことさらに仰々しくお辞儀をしてみせると、拍手は更に大きくなった。
 異人は自分の足や腰をしばらく改めた末、セイランに気遣わしげな視線を向けた。
「あの、お嬢さん」
「セイランといいます」
「ああこりゃどうも。僕は明利秋といいます。でその、セイラン……ちゃん?」
「セイランです」
「じゃあ俺もシュウでいいよ。ところでセイラン、その、怪我はない?」
「もっと高いところから飛び降りたことだってありますよ。ね、テンコウ」
「にゃー」
「そうなんだ……ありがとう」
「どう致しまして。ほら、テンコウも挨拶しなさい」
「ふぐー」
 突然テンコウが泡を吹き、シュウがあとずさる。そんなテンコウの頭を押さえつけながら、セイランは笑顔を作った。
「この子も風精です。風精って大体こんな感じです。だから、あんまりまじめに取り合わないほうがいいですよ」
「そうなんですか。そうと知ってたら助けなんか頼まなかったのになぁ」
「聞きました。なんか追われてるんだって。何やったんですか」
「不幸な行き違いがね」
 シュウは首をめぐらしてゲンナリした顔になった。
 その頃には、野次馬たちは衛兵たちによってすっかり追い散らされている。包囲をつめてくる衛視たちの顔つきはいずれも固い。
「何やったんですか」
「うーん、ちょっとね」
「ちょっとですむかぁ!」
 犬人の衛視が輪を飛び出し、つかつかと詰め寄ってきてシュウの首を締め上げた。
「異界の人間だかなんだか知らんが、お前のやらかしたことは万死に値するのだ! そこんとこわかってるのか!」
 そうだそうだ! と周囲が和する。異様な熱気である。一方のシュウはただ困ったように頬をかくばかりだ。
「そんなに悪いことはしてないでしょう? そりゃちょっと不適切な、彼女をびっくりさせてしまったかもしれませんが、僕としてはただ聞かれたことをそのままですね――」
「だからってあんなあからさまな言い方する奴があるかこの馬鹿者がぁ!」
 言うなり、衛視は拳を振り上げるとシュウを殴りつけようとした。だがシュウがひょいと顔をそらすと、拳はシュウの被っていた兜の面頬に直撃し、衛視は拳を押さえて転がりまわった。駆け寄ってきた同僚たちに助け起こされながら、衛視は親の仇を見るような目でシュウをにらみつけた。
「いくら聞かれたからってあそこまで細かく言わなくたっていいんだよ! 大体な、隊長と差し向かいで話すってだけでもお前みたいなぽっと出のひょろひょろには過ぎた扱いなんだよ!」
「そうだそうだ!」「俺たちなんかな、あれぐらい近づけるのはせいぜい鍛錬のときだけなんだぞ!」
「熱心でしたねー隊長さん。よっぽどこの件に入れ込んでいらっしゃるんだなって思いました」
「そうだよ! だからお前みたいな怪しい異人にだってちゃんと自ら聴取を買って出ておられるんだ!」「クソみたいな仕事だって手をぬかねぇんだ!」「ご立派です隊長……」
「真剣な隊長さん、とてもお美しかったです」
「そうとも!」「いつだってお美しいけどな!」
「正直言って、『あっ、こういうプレイあるな』と少し興奮したことは認めますよ」
「認めんな!」「ぷれいってなんだ?」「不埒なアレだぜきっと!」「しょっぴけ!」「袋叩きだ!」……
 てんでにわめく衛視たちにため息をついたシュウが、セイランに向かって肩をすくめた。
「こんな感じで、とにかく話にならないんだ」
「あの、事情わかるようなわからないようなですけど」
「そうだね、セイランちゃんにはちょっと教えたくない事情かな」
「そうなんですか。あの、ひょっとしてその隊長さんって綺麗な狐人ですか?」
「そうそう。美人だよね。何事にも動じない気高さっていうのかなぁ。本当に何言っても顔色一つ変えないんだよ。いろいろ試したくなっちゃうよね」
「――怒られるのも自業自得かもしれないって気がしてきました。何言ったんですか」
「セイランちゃんにはすこし早いようなことをね」
「お前にだって十年早いんだよこの変態野郎――」
 再びわめきだそうとした衛視が、はっとなって言葉を止めた。衛視の輪がさっと開き、そこから姿をあらわしたのは一人の狐人である。装飾の施された皮鎧に身を包み、超然とした雰囲気をまとった麗人である。衛視たちの最敬礼にゆるく礼を返すと、狐人はシュウの前まで来て止まった。そのまましばらくシュウを打ち眺める狐人と、狐人から目を離せない様子のシュウとをしばらく観察した末、セイランはことの次第を大体理解していた。
「明利秋どの……でしたか」
 狐人がゆっくりと言葉を発した。男のような言葉遣いながら、耳に快い美声である。
「休憩をとられるとのことでしたが」
「はい」
「探すのに手間取りました」
「ははは、ちょっと色々ありまして」
「色々」
「色々です」
 狐人は無言でシュウをしばらく眺めてわずかに首をかしげる。シュウが何事か言おうとしたその機先を制するように、狐人がさっと体を引いた。
「聴取がまだ途中です。お付き合い願います」
「はい! こちらこそ末永くよろしくお願いします」
「お付き合いはそういう意味じゃねぇだろ!」「こんちくしょう!」「図に乗るなこの!」
 上がった罵声は、狐人が視線を走らせるとすぐに尻すぼみになった。
「部下が失礼を。では、参りましょう」
 きびすを返した狐人の目が、セイランを認めると止まった。セイランがぺこりと頭を下げると、狐人もまたセイランに向き直って敬礼を返した。セイランにしてみれば、直接口を利くのはこの街を訪れたときに挨拶して以来の相手である。
「こんなところでお会いするとは。ご機嫌いかがですか、吉風公主様、それにテンコウ様」
「ふぁー」
「こんにちわ、『金黙星』さん」
「――おやめください。過ぎた名です」
 『金黙星』ヒョウセイ――市城衛視の隊長を務める麗人は、そう言ってわずかに眉をしかめた。


 大延国で『金』と名がつけば、それが何であるにせよ『最高級』であることは間違いない。地球と同様に等級や格をあらわす言葉としても用いられるほか、主神たる金羅ゆかりの品であるという意味合いも持ちうる。優れた料理人に授けられる神の火『金炎』や、金羅が人と儲けた子を指す『金炎児』などがその代表例である。『金黙星』という異名を奉られたヒョウセイ衛視隊長も、その例外ではない。
 目を引く美貌と優れた知性を併せ持ち、武芸の腕も立つ。まだ隊長職について間もないが、地元為政者や住民の信頼ともに厚く、隊員たちからはもはや尊敬を通り越して崇拝されてさえいる。あるいはまさしく金炎児ではないかという推測も囁かれるが、私事ではほとんど口を開くことがないため真相は不明である。その寡黙さな人となりは、異名の一端にも現れている。


「あの、聴取って何ですか、金黙星さん」
「ヒョウセイです」
「はい、ヒョウセイさん」
 つい先ほどシュウと交わしたやり取りと似ている。そのことに気付いて、セイランは小さく笑った。つかつかと歩みを進めるヒョウセイとシュウ、それを衛視一行が遠巻きにして道をあけさせていく。向かっているのは界門そばにある衛視の詰め所だろうかと、セイランは見当をつけた。
「ヒョウセイさん、この人は何か悪いことをしたんですか? だから聴取するんですか?」
「はっはっは、全然そんなことないよ」
「してただろ」「わいせつ物陳列罪だ」「止めろよ、子どもがいるだろ」
 大げさに肩をすくめるシュウやぼそぼそといい募る衛視たちには構うことなく、ヒョウセイはセイランを見返した。その目には特にとがめるようなものは宿っておらず、だからセイランは続けることにした。
「あの、悪いことをしたんだったら、あのままほっといたほうがよかったかなって思ったんです。助けちゃいましたけど」
「そんな殺生なー」
「衛視のお仕事の邪魔してたらいやだなって思ったんですけど、どうですか?」
「別に邪魔ではありません。それから、この人は悪事を犯したわけでもありません」
 淡々と言う、その間もヒョウセイの脚は止まらない。背の高いヒョウセイの歩みは優雅だが早く、だからセイランが追いつくには少しがんばらなくてはならなかった。
「そうなんですか。じゃあなんで聴取してるんですか?」
「聞きたいことがありました」
「どういう?」
「お答えできません」
「俺は隊長さんになら何でもお答えできますよ」
「じゃあわたしにならどうですか」
「それは――」
 ヒョウセイに視線を向けられて、シュウは沈黙してしまった。食い下がるセイランにもヒョウセイは動じず、からめ手までふさがれてしまう。
 ――なかなか守りが堅いですね。
 セイランは内心舌を巻いた。ちょっとした世間話のついでに好奇心を満たそうと軽く考えていた目算が狂う。ヒョウセイの怜悧な横顔を見上げているうちに、セイランの負けん気に小さな火がついた。
「あの、ご存知かもしれませんけど、わたし一応偉いんですよ、隊長さん」
「存じております、公主様」
「あのいや、そっちじゃなくて、ほら、通関司です。異世界の人の面倒見る役所です」
「へー、そうだったの、セイランちゃん偉いねぇ」
「そうですよ。偉いんです。それで、シュウさんは異世界の人だから、わたしには面倒を見る義務があると思いま、す、よ?」
 だんだんと尻すぼみになってしまったのは、ヒョウセイが足を止めて、セイランをじっと見たためである。先ほどとは明らかに異なる何かが宿る目に見すくめられ、セイランは己の軽率さを早くも後悔し始めていた。思い返してみれば、衛視相手に権威を振りかざしてみるのはこれが初めてでもあり、初めてとしていい機会であったかといえばこれはなかなか疑わしい。それでも何とか最後までいい終えようと、セイランは必死にあがいた。
「あの、それで、もし、何かに巻き込まれたりしてたら助けて上げられるかなって思うんです。だから、その人の事情を教えてください」
 ヒョウセイは答えず、セイランをただじっと見つめる。瞬きを一つ、二つ、三つと繰り返す間、セイランはヒョウセイの顔とずっと相対していた。美しい顔立ちが硬い重石のようにじっとのしかかり、セイランは目をそらすことも出来ないまま立ち尽くした。
 だが、最終的に視線を外したのはヒョウセイのほうだった。
「おっしゃるとおりです。営舎にお越しください」
 そのままつかつかと歩み去り、その後をシュウが追っていく。セイランは内心胸をなでおろした。



「簡単にまとめると、この男は禁制品に手を出していたのです」
「もちろんそうとは知らなかったよ」
「そうなんですか……」
 セイランたちは営舎の一室に落ち着いていた。尋問などに用いられるという部屋には窓がなく、テンコウはいささか以後地悪そうにしている。血走った目で壁の一点を見つめるテンコウの背中を撫でて落ち着かせると、セイランは出された茶をすすった。
「それで、禁制品ってなんなんですか? まさか人買いとかですか?」
「そこまで大それたものではありません」
「そうだよセイランちゃん、俺そんな人でなしに見えるかな?」
「見えないですけど」
 ――でも、見かけはあんまり当てにならないかもって大師見てたら思います。
 そう思っても口には出さず、セイランは先を促した。
「禁制品というのは躍書です。公主様は、潜書はご存知ですか?」
「知らないです」
「まあ簡単に言うと、ヴァーチャルリアリティだよね」
「ばー? なんですか?」
「バーチャルリアリティだよ。仮想現実だ。ここの世界のものでしょ? セイランちゃん知らないの?」
 セイランが助けを求めてヒョウセイを見やると、ヒョウセイは小さくうなずいた。
「無理もありません。資格のない者は触れてはならないことですから。ただ、具体的にどういうことをするのかは聞いたことがおありだと思います。要するに『六書行』です」
「ああ!」
「セイランちゃん、それは何なんだい?」
 要領を得ない様子のシュウに、セイランは得意になって説明した。
「本の中に入るお話なんです。六冊の組になった本があって、それぞれ全然違うお話につながってるんです。主人公は一冊目に取り込まれちゃうんですけど何とか抜け出して、その時に他の本を探すように登場人物に頼まれるんです。それで旅に出てですね――」
「ああ、大体分かったよ」
「まだ説明終わってません……」
「潜書についてはお分かりいただけたようですね」
 ヒョウセイが話を引き取った。
「はい、分かります」
「なら、危険性もお分かりでしょう。慣れぬ者が補助もなしに潜書を行えばどうなるかも」
「えっと、読むのを止められなくなったり、気絶したり、ひどいときは取り込まれたりします――え、ちょっと待ってください。このシュウさんも、そういうことしてたんですか?」
「そんなに危ないんだ?」
「死んでたかもしれないですよ……」
「うーん、そんなに危ないようには思えなかったけどなあ。帰ってこれなかったかも知れないのはわかるけど」
 当のシュウはあっけらかんとしたものである。
「この通り、異世界人は危険性を理解していません。だから簡単に乗せられて潜書を行ってしまいます」
 それが問題になっているのだと、ヒョウセイは自らも茶をすすった。
「躍書と寝床さえあれば営業を始められるとあって、異世界人向けに潜書を行わせる店がこのところ増えているのです。正しく営業しているならそれでもまだましなのですが、書に取り込まれたり、書を読んでいる隙に金品を奪って放り出すという事例もある。そこで、取締りを強化しているのです。先日もまた、手入れを」
「で、俺はたまたまその手入れで捕まったんだ。客としてね」
「それで、事情を聞いておりました。罪人として挙げるためではありません。報告書を書くために必要なのです」
「そうなんですか。じゃあ悪い人じゃないんですね」
「ただの旅人だよ。最近は旅してなかったけど」
「そうですか」
 衛視が茶のお代わりをもって現れた。シュウの茶だけがどす黒く、異臭も発している。運んできた衛視は穴も開けといわんばかりの目つきでシュウをにらむと、隊長とセイランに敬礼して退出した。シュウが手を付けかねていた茶を、セイランはテンコウに与えた。テンコウはうれしそうにこれを飲み干すとげっぷをした。シュウが笑った。
「でももったいないですね。せっかくこっちにきたんですから、色々見て回ればいいのに」
「実際こっちにくるまではそうするつもりだったよ。でも面倒で」
「そりゃ旅はめんどうですけど、確か、免状っていうのがもらえるんですよ? 異人に便宜を図るから関とか通れるようになるって。あと、護衛とかもお店出してますよ」
「いや、面倒って言うのはそういうことじゃないんだよ」
 シュウが手をパタパタと振った。
「異世界見て回ろうと思ってここに来たけど、ここって車もないからね。全部徒歩でしょ? 無理だよねそんなの。現に隣の町まで行くのも出来なかったよ」
「ひ弱なんですねー。わたしだってそれぐらい独りで出来ますよ」
「地球ならこれぐらい普通だよ。最近は崑崙みたいなド田舎だってアクセスいいし。そりゃ来る前は意気込みもあったよ。でも無理だったよ。六時間歩いたあたりで力尽きた。なんとかこっちまで戻ってきてしおれてたら、お兄さんいいのありますよって声かけられてさ」
「それで躍書ですか」
「色々あったよ。いやーいいものいっぱいだったね。こういっちゃなんだけど、こっちに住んでるセイランちゃんより色々見て回ったと思うね」
 得意げなシュウの言いようにセイランは鼻じろんだ。
「作り事じゃないですか。いや作り事は別にいいですけど、それで何もかも見た気持ちになるなんて間違ってます」
「いやー作り事なのは間違いないけどすごかったよ。まるで現実だった。もっと色々味わいたかったよ」
「味わうって、食べ物の本だったんですか? そんなの、実際に食べたほうがおいしいに決まってます」
「へ? ああいや、そうだね、ちょっとそういうのとは違う本だね」
「じゃあどんな本ですか」
「そ、それはちょっと、ねぇ」
 なぜか顔を赤らめてしどろもどろになってシュウがヒョウセイに目をやる。対照的にヒョウセイのほうは顔色一つ変えることなく、淡々と言葉を発した。
「卑猥な本です。セイラン様のお耳に入れるにはふさわしくないかと」
「ひわい……」
「男女の営みを詳細に書き表したものです」
「ああ、その、分かります」
 セイランは顔を赤らめた。興味のある年頃ではあるが、冷静そのものという風情のヒョウセイの口から卑猥な言葉が出てくると、気恥ずかしさもひとしおである。テンコウがセイランのつま先をバシバシとはたき、それでセイランは己を取り戻した。ヒョウセイは涼しい顔である。
「知らないほうが宜しいかと思いましたが、お尋ねでしたので」
「ご、ごめんなさい――もう、なんて本読んでるんですか! そんなこと嬉々として話すなんてどうかして――は! まさかさっき衛視さんと揉めてたのってこのことですか!?」
「しょうがないだろ、だってどんな内容なのか知る必要があるって言うじゃないか。俺だってちょっとは気がとがめたけど、聞かれるんだから答えるしかないよ。ねぇ隊長さん?」
「ご協力感謝します」
「信じられないです……あのまま屋根の上においとけばよかったです」
「つれないなぁ」
「迷惑ですよ。ねぇ隊長さん」
「お二人とも、ご協力には感謝しています」
 セイランがぷりぷりと怒って見せても、シュウは全く取り合わない。淡々としたヒョウセイの横顔を見ているうちにバカらしくなり、セイランは肩の力を抜いた。ヒョウセイが自分の茶を飲み干し、とん、と音を立てて茶碗を置いた。
「彼については以上です。公主様、事情はご理解いただけたでしょうか」
「はい。よく分かりました――あの、首を突っ込んじゃってごめんなさい」
 珍しくヒョウセイが目を見開いたので、セイランはますますあわてた。すぐに頬を引き締めたヒョウセイが敬礼すると、わずかに和らいだ表情を作った。
「とんでもない。公主のご協力には感謝しています」
「協力って、そんな」
「彼を降ろしていただいたでしょう。この礼はいつか、必ず」
「いいですよ。それじゃシュウさん、あんまり隊長さんをわずらわせちゃダメですよ」
「手厳しいなあ、ハハハ」
「もう、本当です。ヒワイな本にはまるなんて最低ですよ」
「いやー、男はみんなこんなもんだと思うよ」
「またそんな事言って」
「いやいや、異世界に来た男は大体はまってもおかしくないよコレ。相当手軽だしさ」
「――あれ?」
 セイランのこころに、小さな何かが引っかかった。何かはうっすらと形を取り始め、セイランはヒョウセイに向き直った。
「あの、隊長さん、もう少し別の質問が」
「なんでしょう」
「このシュウさんみたいに、潜書にひっかかる異人さんって、潜ってないときはどうしているんですか?」
「ほとんど潜りっぱなしということが多いようですよ。体のほうがどうなっているかといえば、そうですね」とヒョウセイは周りの壁に視線をめぐらし「私が見たところは、ここより多少はマシという広さのところに詰め込まれていましたね」
「潜ってる間ずっとですか?」
「そうそう、ずっと。どうかすると一日がかりってこともあったよ」
 シュウが割り込んだ。
「そういう時って、終わったあとも疲れて動けないんだよね」
「宿を紹介すると称して安宿に投げ込み、法外な宿泊料をとることもあるようです。文句を言えば放り出すというやり方で」
「じゃあ、そういう場所に異人さんがはまって、行方不明みたいになることもあるんですか? ひと月ぐらい」
「――ありえます」
「俺がそんな感じだったかもしれないよ。ケータイの電源切れたし、そろそろ地球じゃ死んでる扱いかもね」
「あのあの、じゃあひょっとして、この人もそういう風になってたりしませんか?」
 思わぬところから情報が飛び込んできた。セイランは懐を探って写真を取り出し、二人に示した。
「ああ、そのひと知ってるよ」
 シュウが写真をためつすがめつして言った。
「ほんとですか?」
「うん。俺が通ってたところの常連みたいな感じだったよ。間違いない」
「その人、今どこにいるか分かりますか」
「手入れの時もきっといたと思うから、俺みたいに捕まってるんじゃないかな」
「わぁ、やった!」
「よかったねセイランちゃん、なんだかしらないけど何、このひと探してたの? 親戚?」
「そういうのじゃないです。お仕事です。ヒョウセイさん、あの、そういうわけでちょっと助けてもらえませんか?」
 意気込んだセイランだが、ヒョウセイの表情は優れなかった。珍しく眉根をひそめたりなどしている。
「どうしたんですか?」
「生憎ですが、協力はしかねます」
 写真を覗きこんだヒョウセイが淡々と言った。
「この者はここにいることはいます。ただ、引き渡すわけにも、地球に返すわけにも行かない状況です」
「どういうことですか――あ、まさか」
「そのまさかです」
 ヒョウセイは深いため息をついた。

(続く)


 但し書き
 文中における誤りは全て筆者に責任があります。
 独自設定についてはこちらからご覧ください。


  • クールビューティーの金黙星さん!最上級の金さえ黙ってしまうくらい美しいってことかな?しかしエロ躍書にドップリってのは危険とわかっていても一度体験すると麻薬みたいに常習化しちゃうんだろうなぁ・・・ -- (名無しさん) 2012-04-15 18:28:37
  • 異人のパニック具合が風精霊とのやりとりや性質に一味付け足していて面白いですね。会話が長いように思えてキャラをどんどん頭の中に作り上げてくれるのとまるでペットなテンコウが読んでいて楽しいです。順調に物事も進んで次回の仕込みも潜書でばっちりでしょうか -- (名無しさん) 2014-05-11 18:37:32
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最終更新:2012年05月02日 14:35