まさしく無念とはこの事を言うのだろう。
残念ながら、全ての計画は破綻した。
『躍字』について、『蛇神の巫女』について、もっと知りたいという僕の知識欲も。
<
ゲート>を越えて父母に会おうというその思いも。
全てが台無しになってしまったのだ。
こんな悲劇的な事はそうはあるまい。
思えば、異世界渡航の準備のために学校へ行った犬塚に餞別を渡すため、
部室前で待機していた時から運命の歯車は狂い始めたのだ。
確かにあの日は寒かった。だが、今の僕の状況ほどは寒くは無かっただろう。
今、僕こと川津天は・・・試される大地、北海道に居る。
ほんの少しだけ時間を巻き戻そう。
学校にて犬塚に餞別の木刀と、土産用にいくばくかのお金を渡したのち、
犬塚に指摘されたヤマカの首筋のキスマークが本当についているかどうかで、
彼女と言い争いながら帰宅した時の事だった。
(結論としてはついていない。普通のキスしかしてないのに首筋につくわけないだろうに)
普段なら真っ暗な我が家に、明かりが灯っているのが見えた。
まったく連絡がきていないが、母が帰って来ているのだろう。
玄関ドアも施錠されておらず、僕は普通にドアを開けた。
「んもー!2人とも遅かったわね。
さあ、空港に急ぐわよ!もう時間が無いんだから」
母である。
腕時計を見ながら、なにやらセカセカした様子だ。
「帰って早々、何を訳わからん事を言ってんだ」
さすがの僕も呆れる。
母は生粋の学者バカといった人種だが、それにしても酷い。
「空港に行く理由もわからないの?
常識で考えたら、航空機に搭乗するためでしょう。
まったく我が子ながら、どうしようも無いアホね。
本当に私の血をひいているのかしら。
ダーリンからも何か言ってあげてよ」
うわ久々に酷い。
っと、ダーリン?まさかオヤジも帰ってんのか。
凄いレアキャラが居るな、今日の我が家。
母のアホ発言を聞き、居間の奥からノッソリと冴えない風貌の中年男が出てきた。
つまり彼が、我が父であり、アホ母の旦那である、川津舵輪その人である。
「俺も本当はもう少し我が家ですごしたかったぞ。俺。
でもまあハニーが北海道に行きたいって言うなら仕方ないぞ。
チケットとか宿代とかは研究費で落としちゃったから気にしなくていいぞ」
ボサボサに伸びた白髪とヒゲをクシャクシャと撫で付けながら父が言う。
「はぁ!?北海道?」
そのリアクションが見たかったとばかりに母がニンマリと笑った。
畜生。わざとまわりくどい話の進め方をしやがったな。
「ヤマカちゃんも行くでしょ?
ダーリンも言ってたけど、今回もウチのおごりだから気にしないでね。
テンは小遣いから天引きにするけど」
「テンちゃんだけに天引き・・・ププ」
「あ、わかる~?今のダジャレ最高でしょ?
はいはい。そうと決まれば早めに支度済ませちゃってね。
出発時刻まであまり時間が無いのは本当なんだから」
「あ、それなら着替えとかひと揃い持ってきます!」
「足りなくなったらオバサン買ってあげるから」
「いつも有難うございます~お義母さま~」
女ふたりで勝手に盛り上がり始めたのを無視して、僕は居間に向かった。
父は、いつもの事だと言わんばかりに、缶ビール片手に野球観戦していた。
まあ、どっちも<向こう側>には無いものだから、気持ちはわかる。
わかるが、この食卓の上に2人前だけあがってるオケだけは許し難い。
「なあ、もしかして晩飯、寿司だった?」
「そうだぞ。特上寿司だったぞ。なかなか<向こう>じゃ食べられないからな。
海産物は豊富に揃ってるけど、あれは寿司職人も派遣する必要があるぞ。
それと、コメも必要だぞ。似たような植物はあったけど、ちょっとパサパサだったぞ。
ミズハミシマじゃ昆米って呼んでたぞ。黒米なんてのもあったな。
それに、海苔も無いから代替品を探さなければならないぞ。
寿司にまで到達するには、まだまだ時間が・・・何だお前、食いたかったのか?」
「当たり前じゃないか。何で僕の分だけ頼んで無いんだよ。
それより『躍字』の研究してたんじゃなかったのかよ。
何で<向こう>の食糧事情にそんな詳しいのさ」
「そりゃあ、『躍字』の研究をしてるのはハニーだけだからな。
俺は社会資源調査とか、そんな感じだぞ。お役所仕事だからな。
それより、ちゃんと避妊してるか。デキ婚とか嫌だぞ、俺。
そんなリア充な事に対応できないぞ」
「生々しいこと聞くなよ・・・大丈夫だから、そういうのは」
若干気まずい雰囲気になった居間に、母が手を叩きながら乱入してきた。
「はいはいはい!いつまで男ふたりでしゃべってんの!
ヤマカちゃんとカガネが来たら出発するんだからね」
「オバチャンも同行すんのかよ!?」
「テン・・・あんたいっつもお世話になってんのに、何その言い草。
晩ご飯抜きにするよまったく」
「最初から抜きだろこれ!」
「あら・・・バレてたのね。そりゃそうか。
お稲荷さんでいいかしら?コンビニで買ってらっしゃいな」
「鬼め・・・」
それから15分ほど経って、地球人と
オーガのハーフが疑われる筋肉主婦の
隣のオバチャンこと鬼笠子かがねさんとヤマカが揃って合流し、
オバチャンの運転でハマーに乗って関西国際空港へと向かった。
とりあえず車内で稲荷寿司をヤマカと取り合いながら食べ、
夕方過ぎの出発で間に合うのかよって思っているうちに、21時には到着し、
そのまま最終便に乗り、そしてとうとう新千歳空港へと到着してしまったのだ。
3月の北海道は、普通に冬だった。
そしてあらためて確認してしまう。
今、僕こと川津天は・・・試される大地、北海道に居る。
さて、細かい話をすると、実は<11門側>からの渡航者は列島内の移動が制限されている。
これを是正しようという政治的な動きはあるが、まだまだ時間がかかるだろう。
ミズハミシマに繋がる<ゲート>のある淡路~瀬戸内~神戸の一角は比較的ゆるやかな
亜人の生活圏域となっているが、そこから外は一部地域を除いて政府の許可が必要になるのだ。
今回随分と適当に北海道入りしているが、言うまでもなくヤマカもこの規制の対象である。
なのにあっさりとパスしてしまうのは、まあ、研究者である父母の職権である。
それと詳しくは知らないが、北海道の一部は、亜人生活圏として解放されているようだ。
こうした亜人の人権に関しては、欧州で盛んに議論されているという話を授業で習った。
本来は北米がこうした事に関してはうるさい筈なのだが、こと<11門世界>に関しては、
ファーストコンタクトが致命的に悪かったせいか、亜人に対しての偏見が根強い地域に
なってしまっているようだ。
深夜ではあるが、さすがに空腹な事もあって、まだ営業していた居酒屋チェーンへと入り
各人あまりに自分勝手な注文をしつつ、北の大地の恵みを味わっていた。
いや、多分そんないい物は使ってないんだろうけど。
でもメニュー見たらそう書いてあったんだ。
「ところでさ・・・何で急に北海道なのさ」
僕は目の前の理不尽女王に向かって、根本的な疑問を投げかける。
あ、この鹿肉のルイベって美味い。なんだかわかんない料理だけど。
「毛ガニを食べたくなったの。
特上寿司に入ってたの、ズワイガニだったし」
まさに毛ガニに食らいつきながら、母は言った。
あ・・・
「アホか!そんな理由で飛行機に乗るな!
この金だって元をたどれば税金からだろう!
血税ムダにするんじゃねーよ!」
「何よ。毛ガニが食べたいから北海道に来ちゃいけないって言うの。
私は定期的に美味しいカニを食べないと学術的探究心が無くなるのよ。
そっちの方が、よほど税金のムダってものよ。
具体的に言うとカニウムが不足するの」
「カリウムみたいに言うなよ。
おい、オヤジも何か言ってやれよ。アンタの嫁だろう」
「お前の母さんだろう。
それに俺もヤキトリを食いたかったんだぞ。それとザンギと」
「それどう見てもブタバラ肉の串焼きだろ。そっちは鳥の唐揚げだし。
つーか、食い物の話しか無いのか。
ミズハミシマってのは、どんだけ食に恵まれてないんだ」
「故郷に帰れば、その土地の料理を食べたくなるってもんさ。
テンも遠慮しないでどんどん食べな!」
オバチャンもオバチャンで食べ過ぎ飲みすぎだろう。
呆れる僕を尻目に、ヤマカはヤマカで次々と注文しては遠慮一切なく食べ続けている。
店内は暖房が入っているが、ヤマカ的には冷えるのか、僕にくっついて離れようとしない。
どう見ても日本酒を呑んでいるようにも見えるが、それでいいのだろうか。
「ネズミ肉は無いのかぁ・・・カエルも無い・・・」
「あるわけ無いだろ。
つーか少しは遠慮して食べろ。あとソレ禁止!」
「テンちゃんは北海道に来て、文句ばっかりだね。
あ、お義父様、お尺しますよ~」
「おとうさまじゃねぇよ。まったく」
「ちょっとテン!
さっきから聞いていれば、あんたヤマカちゃんに向かって何て言い草なの。
命の恩人に向かってそんな事を言うなんて、絶対に許さないわよ」
「命の・・・恩人?」
一体どういうことなんだ。
僕がヤマカに命を救われた事がある?
「あ、あの・・・」
妙にヤマカが動揺しているが、それどころじゃない。
僕の記憶の中に、命を救われたなんて事は無いのだ。
「ちょっとそこの所、詳しく」
「あんたねぇ・・・
まさか本気で忘れてるんじゃないでしょうね。
ホント誰に似たのかしら。呆れちゃうわ。ねぇ、ダーリン」
「お前の息子だろう。それより俺も初耳だぞ」
「あら?教えてなかったかしら?ちょーっと長くなるわよ。
ずっと昔に、あんた街の不良相手に木刀振り回してケンカした事あったじゃない?
で、多分その時に何らかの理由で、小ゲートがその場で開いたのよ。
門自の仮設時空位相観測レーダーで捕捉しているから間違いないわね。
あ、ちなみに小ゲートの発生条件は、まったく解明されてないから聞いても無駄よ。
それで研究員総出で現地に向かってみたら、あんたがケンカの真っ最中。
というか全員ぶっ倒して終わりって所だったかしらね。
それだけだったら、まあ普通に中坊のケンカで処理できたんだけど、
小ゲートは開いてるわ、『躍字』は乱舞してるわ、あんたはそれに取り込まれてるわで
なんていうかもう、散々な状況だったのよ。
でもまあ研究者の立場からすると、あんな美味しい場面はそうそう無いわね。
『躍字』も『ルーン』も、<地球側>じゃ一切機能しないの。
なのに目の前で『躍字』が暴走している。これって凄い事じゃない。
小ゲート開放時に時空が繋がり、『躍字』が<地球側>でも機能する何らかの条件が
揃っていたというのが、まあ順当な仮説よね。
もう一度再現できればいいんだけど、小ゲート解放の方法がわからない以上は、
地道に小ゲートが偶然開くタイミングを狙うしか無いわね。
えぇと、何を話してたんだったかしら。ああそうそう。
それで理由はわからないんだけど、あんたが『躍字』の暴走の中心点だったのよ。
テンだけに。
録画した画像を後で解析してみたら、けっこう物騒な言葉が溢れてたみたいね。
黒く染まるもの、怒れるもの、後悔、天意、剣を振るう者・・・だったかしらね。
見てるだけで、ああ私の息子はここで死ぬのねって思ったわ。冗談抜きで。
そしたら、ヤマカちゃんがあんたの首筋にガブリと噛み付いたのよ。
最初は何がおこってるか理解出来なかったけど、すぐにわかったわ。
ヤマカちゃんが『躍字』を吸い尽くそうとしてるってね。
噛み付いて1分もしないうちに、暴走していた『躍字』は一切無くなったのよね。
それからね。私が本腰を入れて『躍字』の研究に打ち込み始めたのは。
今も<向こう>で、蛇神の一族と
ルガナンの遺跡を調査中なのよ。
ヤマカちゃんにも色々と協力してもらって助かるわ。
あー、くちが疲れた。喉も乾いた。すいませーん、生ひとつー」
母は一気に話し終えると、中ジョッキを一息で空けた。
普通に教えろよ。こういう大事な話は。
深夜1時をまわり、予約を入れておいたというホテルへと向かう。
父母は「ラブラブするから」といって一緒に部屋に入り、
オバチャンも「どうせ一緒に寝るんだろう?ドゥフフフ」と言って
ヤマカをこっちに押し付けてきた。
抗議しても無駄だろうと思って普通に部屋に入り、先にシャワーを浴びさせてもらって、
今はベッドにゴロ寝している。ヤマカはバスルームだ。
結局『躍字』についてはわからない事だらけのままだ。
あの事件が母の言う通りなら、『躍字』どころか『厄字』だろう。
自分の記憶とも随分詳細が違っているし、実際あの時何が起こっていたのだろう。
わからない事だらけだな。そう言えば、あの木刀は犬塚に貸したんだっけ・・・
眠い・・・
「とあぁー!」
ドスンと鈍い音を立てて、何かが僕の上にのしかかってきた。
何かというか、ヤマカだ。
「シングルベッドなんだから。狭いから。自分のベッドで寝ろよ・・・」
「寒いんだから仕方ないじゃん。
それに、命の恩人の言う事は聞くものだよ」
「ヤマカも、何でそれをもっと早く教えてくれないんだよ。
今まで会話してておかしいなって思った事、なかったのか?」
「わかってはいたんだよ。テンちゃんきっと忘れてるんだろうなって。
でもさ。命の恩人なんて、押し付けがましいじゃない。
恩とか感謝とか、そういう感情じゃないんだよ。一緒に居たいってのは、さ。
でも、もし責任を感じてるんなら、ぜひヤマカちゃんを今すぐお嫁に貰ってください」
「バーカ。高校生で結婚とか無いから」
「それが、あるんだなぁ
勇馬っちも今頃ビックリしてるんだろうなぁ。フーちゃんも案外黒いよね」
「何のことだ?」
「テンちゃんはその微妙にニブいままでいてね。
鋭くなってほかの女の子に目移りするようになったら咬み殺すから」
「はいはいわかったわかった。
もう寝るよ。眠くて仕方ないよ」
明かりを消すとヤマカがグルリと巻きついてきた。
ウロコのヒンヤリ感が心地よいと言えば心地よい。
「おやすみ、ダーリン・・・ごめんね・・・テンちゃん」
そのごめんの意味を理解するのは、もう少し先の話だ。
- 異世界を股にかける仕事とかあこがれますね。騒がしくも楽しい家族交えた風景もテンポがよく性格もはじけてました。ヤマカ絡みからの異世界の謎へ一歩進んだ感のある今話でした -- (名無しさん) 2014-07-20 18:56:28
最終更新:2014年08月31日 01:45