【住めば都の十津那荘】
「来年も、また会えるよね?」
「うん! 来年も絶対来るよ! 約束する」
俺は浜辺でその娘と約束したんだ。絶対にまた来るって。
旅先の綺麗な浜辺で出会った、俺の初めての恋の相手と。
「絶対絶対、絶対に来てくれる?」
「絶対だよ!」
そう、固く誓ったのだ。誓った筈だったのに、俺は次の夏、彼女に会いに行けなかった。
「絶対の絶対の絶対の絶対?」
「絶対の絶対の絶対の絶対!」
行きたかった。会いたかった。
でもガキの俺にはそれは途方も無く遠い道のりで、約束を果たす事が出来なかったんだ。
「うん、私、待ってる。ユーくんが来てくれるの絶対待ってるから」
「じゃあね・・・ちゃん。また来年会おうね」
きっとあの娘怒っただろうな。いや、悲しんだかな。その両方だったかもしれない。
俺は悲しかった。じゃああの娘は?
「あ、ユーくんちょっと待って」
「えっ……わわっ……」
あの時のキスの感覚――頬っぺたに感じた温かく柔らかい感触だけは良く覚えてる。
それが今までの人生で唯一のキスだから。
「絶対また会えるように。おまじない」
あの娘はとても可愛くて、魅力的で、一緒に居ると面白くて、ドキドキして。
どんな気持ちよりも輝く宝石のような思い出。俺の初恋の記憶。
「じゃあね~~~私待ってるから~~~絶対絶対、待ってるからね~~~」
「……夢か」
もう顔も思い出せない。名前も忘れてしまった。そしてあの時の気持ちさえも。
「名前……何て言ったっけ」
年月と共に残酷に薄れ行く記憶。それは子供時代の淡い恋心と共に……。
~第三話 ナイアがんばる!~
「あ、大下くん」
「ナイア」
夕方6時頃、俺がバイトから帰ると102号室のドアの前にナイアが座り込んでいた。
ナイアは学校に行っておらずバイトを掛け持ちして生計を立てている苦労人だ。きっと俺より一足先に帰ってきたのだろう。
しかしそれが何故部屋に入らずこんな所に座り込んでいるのか?俺は疑問に思い聞いてみる事にした。
「どうしたんだ? そんな所に座り込んで」
「エヘヘ、実は家の鍵無くしちゃって。私ってドジだね」
そう言う事か、ナイアはドジだなぁ。
ってそんなのん気な事言ってる場合じゃない。家の鍵無くしたなんてマジに大変な事じゃないか。
何かナイアが笑顔で言うもんだから軽い事のように感じてしまった。
「大変じゃないか! どうやって家に入るつもりなの? スペアキーとか持ってないの?」
「予備の鍵は家の中なんだ~。だからこうしてウキツさんの帰りを待ってたんだよ」
「あぁ、なるほど」
俺はこの間試練の精霊に試練空間に飛ばされそうになった時の事を思い出した。
あの時俺は確かに変な空間に飛ばされそうになったんだけど、それを寸での所でウキツさんに助けられたのだった。
仙人であるウキツさんは宝貝≪パオペイ≫と言う異世界の魔道具≪マジックアイテム≫を持っていて、それで助けてくれたのだそうな。
だからきっとウキツさんなら何とかしてくれそうと思うのも納得がいった。
「どのくらい待ってるの?」
「ん~、一時間くらい、かな?」
「そんなに!?」
おいおい、そんなに待ってたのかよ。
俺は少しずっこけながらナイアは本当に何があってもめげない娘なんだなぁと感心してしまった。なかなかの大物なのかもしれない。
とは言えウキツさんと言えば確か……。
「ウキツさん十津那学園の大学部に通ってるから、もしかしたら帰るの相当遅くなるかもよ?」
「え、そうなんだ。どうしよう困ったな……これも試練なのですか? ラー様」
俺にそう言われて初めて困った顔をするナイア。大物と言うか呑気なだけなのかも知れない。
ずばり言うのも気が引けるが、貧乏なナイアが鍵屋を呼ぶ事は痛い出費だろうし、さりとてこのままここに放っておくのも気が引ける。
ここは男の俺が一肌脱ぐべきかと思い俺はこう言った。
「良かったら家で待ってる? テレビと漫画くらいしかないけど」
「え? あの……それは……」
何故か赤くなり突然言葉が歯切れ悪い感じになったナイア。
俺がそんなナイアの態度に遠慮してるのかな?と思い「大丈夫だって。今部屋に誰も居ないから遠慮するなよ」と言うと、どこからとも無く聞き覚えありまくりな声が飛んできた。
「このスケコマシ野郎!!」
「痛っ!?」
飛んできたのは声だけではなかった。
何か硬く大きな物がものの見事に俺の頭にヒット。俺はその場に倒れこむ羽目と相成った。倒れた先で投げつけられた物を見てみると。
「なっ……ジャガイモ!? 誰だ!」
「私だドスケベ大魔神! その娘を放せ! さもないとこのヨウトウムラマサが火を吹くぜ!?」
「長ネギじゃねーか! お前は初音○クか!」
ウツホだった。
門の外側に仁王立ちでネギ持って構えるその雄姿、忘れまい。
「ナイアさん騙されちゃダメ。こう見えてこいつは初日に人の風呂を覗くような狼だから気をつけなさい」
「あれは事故だ! ナイア違うんだ、別に変な意味で言ったんじゃなくて俺は――」
さっき自分が言った事が聞き様によってはまるで女の子を部屋に連れ込もうとしている狼の口実に聞こえる事に気付いた俺。
今度は俺が真っ赤になってナイアに言い訳しようとすると、ウツホがネギ≪ヨウトウムラマサ≫を俺の首に当てて凄んでくる。
「言い訳するな御法度野郎!」
「変な語彙だけは広いよねお前!」
これ以上こいつを野放しにしておいては俺の名誉が危うい。
本当に目の上のたんこぶと言うか、最初の日からこいつには振り回されっぱなしだ。俺は何とかナイアに説明しようとしたが、こいつはそれを許してはくれなかった。
「私の目の黒い内はあんたを犯罪者にはさせないから安心しなさい」
「お前の中で俺どんな奴なの!?」
そんな俺とウツホのやり取りを見ているナイアは慌ててオドオドするばかり。
この争いの発端が自分と思っているらしく、何とかケンカを止めさせようと言葉を探しているようだ。
「あ、あの私大丈夫だから。私こう言う試練的な事慣れてるから心配しないで。このくらい全然イージーモードだよ、ね?」
「そうは言っても……」
健気なナイアに落ち着きを取り戻したウツホ。
ナイアは良いと言うけれど、俺はこんな薄幸の少女を外に残していくのは反対だ。何か良い手は無いものか。
そう考えていると急にウツホが手の平をポンと叩いて笑顔でこう言った。
「あ、私良い事思いついた」
「え? どんな事?」
「それは……」
この時のウツホの提案が全ての始まりだった……。
「ほらほら、これも試練だと思って気前よく行きなさい! 気前良く」
「あの~本当に大丈夫? 大下くん」
「は、ハハッ……全然大丈夫だよ……このくらい」
日が落ち始め夕焼けの中賑わう人の海。
提灯が並び普段目にする事のない、しかし日本人なら誰もが見慣れた小さな店が軒を連ねる石造りの道を俺は人ゴミを掻き分ける様に歩いていた。
そう、俺は昨夜に引き続き再び
ゲート前の縁日に来ていた。しかも今度は女の子を二人も連れてだ。
普通なら喜ぶべきこの状況だが、俺は今悲しいような悔しいような怒りたいような気持ちで一杯だった。
何故ならさっきからこの二人が楽しむ為セメタリーに奉げられている生贄は、俺の財布から召喚された野口英世HP1000ばかりだからである。
(おいてめーどう言うつもりだよ! 昨日も大ゲート祭来たばかりだろーが!)
(昨日楽しんだのはレイチェルさんでしょ! 今日は私の番なの! 付き合いなさい!)
小声でウツホに抗議するも梨の礫。
そりゃ昨日レイチェルさんが成仏するのに体を貸した功績は大きいが、俺の財布は「もう止めて!とっくに財布のHPはゼロよ!」状態なのである。
この上今朝コンビニで下ろしてきた残りの財産も使われた日には俺が墓地≪セメタリー≫に送られる事になってしまう!まさにプレイヤーにダイレクトアタックと言うやつだ。
「試練だと思って我慢しなさい」
「え? 試練したいの?」
『やらないやらない!』
ウツホとハモって若干恥ずかしい思いをしつつ、俺は何とかこの場をやり過ごす方法を考えていた。
「あっ、あれ可愛~!」
考えている傍からこれである。
ウツホは敢えて希望を直接言わず、お目当ての夜店と俺を交互に見やりながら目で訴えかけてくる。
くそっ、卑怯なりウツホ。これじゃこいつの願いを聞かなかった時、俺がまるでケチな男みたいじゃないか!俺は奴の策略にはまり泣く泣く聞いてあげた。
「射的やりたいのか? じゃあやって来て良いよ。ここで待ってるから」
「こう言うのは男のあんたがやるもんでしょーが!」
「え~~~」
俺……だと……?
もう一円たりとも無駄遣いしたくない俺に対して、俺の金でお前の為に俺がプレイしろと言うのかこの可愛い悪魔は。
苦虫を噛み潰したような顔をナイアに見られないように射的の店に行くと、俺を待ち構えていたウツホが棚に鎮座まします一番大きなテディ○ア人形を指差してキャッキャと笑っている。
「……あの~、ウツホさん?」
「何?」
「物理学的見地から言って、あのヌイグルミをコルク鉄砲で落とす事は不可能なのではないでしょうか?」
「そこを何とかするのが男の仕事じゃない。取るまで続けるのよ」
「お前はかぐや姫か! 無理難題なんてレベルじゃねーぞこれ!?」
「試練より難しいね……」
見るとナイアも半分呆れ顔で俺達を見ている。
あああ、違う。違うんだナイア。バカなのはこいつ一人であって俺ではないんだ。
「ったく。お、あれで良いや」
俺はこれ以上スマートな俺のイメージを壊さないように、即座に機転を働かせて目標をテディ○アから小さな小箱に納まったリングに変えた。
「ちょっと! 狙いはそれじゃないでしょ!? 別ので誤魔化さないでよ」
「だから物理的に無理だっつーの! これで我慢してくれよ」
「これって何よ? 変な物だったら承知しな――え?」
俺はおっちゃんが取ってくれた商品を受け取り、なるべく澄まし顔でウツホに手渡した。
怒るウツホの手に置かれた物。それは玩具の指輪だった。
「どどど、どう言う意味よこれは!!」
「痛っ!? いや、女が好きそうな物と思ってそれで」
「私がそんな安い女だって言うの~!!」
「何をそんなに怒ってるんだよ! そら向こうで綿アメ買ってやるからそれで許せ! な?」
「許さ~~~ん!」
「アハハハハッ」
自分では気の利いたプレゼントだと思ったのに殴られるとは心外だ。心外だったがナイアがやっと明るさを取り戻して笑っていたので、俺は一安心した。
「ナイアは次何したい?」
「え? わ、私はいーよ。こうして二人と一緒なだけで楽しいから」
「日本の出店は珍しいんだろ? 遠慮しないでーーてててて! 痛い痛い痛い何すんだよー!」
その時、ウツホが俺の耳を引っ張っりやがった。
こいつの行動一切分からん!一体何が言いたいのかとウツホの顔を見ると何故か怒った顔をしている。
何を怒っているんだ?俺が理解できないで居ると、こいつはまた勝手に俺を財布扱いする発言をし始めた。
「ナイアちゃん向こうで綿アメ食べよっ! 勿論こいつのおごりで」
「なっ!? お前何の権利があって――」
と、ここまで言って俺はやっとウツホが言いたい事を理解した。
ナイアは笑顔だった。だがその笑顔は無理をしている笑顔だったのだ。
俺はバカだ。こんな時になってやっと思い出すなんて。ナイアは生活が苦しくて学校に行けない娘だ。そんな娘が祭りとは言えパーッと散在など出来る筈がない。
「あ、アハハハッ。や、やっぱり私はいいよ……私よりウツホちゃん次何したい?」
それなのにナイアは俺達に誘われたからと言って祭りについてきて、更に自分の事を気使わせないように無理して笑っていたなんて。
鍵を落として大変なナイアを励ましたくて祭りに連れ出したと言うのに、これでは本末転倒だ。
「しょーがねーなー。ほら、向こうで綿アメ奢ってやっから二人とも来いって」
「よっ。それでこそ男の子! ほらほら、ナイアちゃんユージが奢ってくれるってさ。一緒に行こっ」
「で、でも……」
それでもなお遠慮するナイアを俺は多少強引かとも思ったが手を引いて綿アメの屋台の方に引っ張って行った。
ナイアに遠慮させないよう、このくらいした方が良いだろうと思ったからだ。
「あ、ありがとう大下くん。ウツホちゃん」
そしてやっとナイアにいつもの屈託の無い笑顔が戻った。
俺の手を握り返してきたナイアの手は、女の子らしく小さくて柔らかくて、そして肉球がプニプニと気持ち良かった。
「さっ、楽しもうぜ!」
「今夜は食い倒れだー! 金羅様に負けるなー!」
「試練だねっ! 大食いの試練っ」
『それは勘弁して』
俺とウツホはまたしてもハモった。
「ナイアちゃん輪投げうっまいねぇ~」
「エヘヘ、昔試練で似たような事した事あるんだ」
「ぐっ……女の子に負けるとは……」
「ユージかっこわるーい」
「一個しか入らなかったお前に言われとーないわ!」
あれから色々とで店を回って気付いた事がある。それはナイアの運動神経の良さである。
いや、運動神経と言うか器用と言うか、兎に角何をやらせても俺より上手かった。射的も、金魚すくいも、スーパーボールすくいも、型抜きまでも。
全て初めてと言っていたのに一度でコツを掴んで二度目には俺より上手くなっているのだ。全く俺が何度夜店の遊びをやってきたと思っているのか。
これもかの有名な
ラ・ムール名物「試練」の賜物なのだろうか?ま、ナイアが楽しそうだったから良かったと俺は思っている。
「にしてもまた指輪……う~ん、ナイアいる?」
「え? えぇ!? 私!?」
兎にも角にも、今輪投げで俺は三つ、いかにもしょぼい指輪が商品だった。ナイアは五個全部入れたからジュース。
指輪なんか貰ってもいらないし、第一小指しか入らないサイズじゃどうしようもない。
俺は捨ててしまおうかとも思ったが、勿体無いのでさっきはウツホにあげたし今度はナイアが要ると言えば上げようと思い聞いてみたのだ。
「いや、男の俺が持っててもしょうがないから」
「でも悪いよ、私なんかがそんな」
ナイアの返事はどうも歯切れが悪い。顔を背けてるし、やっぱりこんな玩具の指輪貰っても迷惑か。そう思い俺がゴミ箱の方に行くとこう言うのだ。
「あっ、捨てちゃうの!? それは勿体無いんじゃ……でも私が貰うのも悪いし……でもでも捨てるのはもっと悪いし、う~~~ん、う~~~ん」
どうしたのだろう?要るのだろうか、要らないのだろうか。良く分からない。
そんな悩めるナイアにウツホが近づいて行って話しかけた。
「貰っちゃいなよ。私だってさっき貰ったし」
「え? あの……ホントに良いの?」
「もー、遠慮しないで。ほら」
そう言うとウツホは俺の手から指輪を奪い去ってナイアの薬指にはめた。
俺は小指にしか入らなかったのに、あの小さな手で何でも上手くこなすんだなぁと変に感心してしまった。
それにしてもウツホは……。
「さっきからお前は何の権利があって……でも今回は許す」
まぁ、良いだろう。ウツホはこんなだがナイアへの優しさから出る行動だ。これは我侭ではない。図々しくはあるがな。
「あ、ありがとう……」
その時ナイアの見せたはにかんだ微笑みは、今日彼女が見せた笑顔の中で一番可愛かった。
「ウヒャヒャヒャヒャ! リア充爆発しろ~~~! ウハハハハッ!」
ひとしきり遊び十津那荘に帰ってきた私達。
やっとウキツさんに会えたナイアちゃんは仙術とかで何とか部屋に帰る事が出来た。そして私とユージは203号室に帰ってきたのだけど、202号室から変な声が響いている。
「レイチェルさん成仏したんじゃなかったっけ」
「聞かないであげて。忘れてあげて」
ユッコさんのそんな姿を見て見ぬ振りをする優しさが、私とユージにもあるんです。
そんなこんなで今日も一日が終わり部屋のドアノブにユージが手を伸ばし鍵を開け、扉を開ける。その手を見て私は思うのだ。
こいつは鈍感だしデリカシーのない男だけど、優しい心を持っているんだな、と。
(生まれて初めて男の人にプレゼント貰っちゃった。何だか恥ずかしいね)
(良かったじゃない。楽しかった?)
(うん、とっても!)
帰る前、私とナイアちゃんでお手洗いに言った時の事、突然ナイアちゃんがそんな事を言い出したのを思い出す。
今日祭りの間、ナイアちゃんは本当に楽しそうだった。いつもどこか暗い影のようなものを感じるけど、今日の笑顔は影のない笑顔だったような気がする。
私一人じゃきっとそんな笑顔させてあげる事なんて出来なかったと思う。やっぱりユージもいたから出来たんだ。
そう考えるとユージの事も、少しは男として認めてあげても良いかなと言う気になってくる。
(私……)
でも私はその時分かって居なかったのだ。私の嬉しいとナイアちゃんの嬉しいが、必ずしも同じとは限らないと言う事に。
(今日大下くんに貰った指輪大切にする。大下くんは何とも思ってないんだろうけど、私、嬉しかったから)
(……)
その時のナイアちゃんの笑顔は本当に可愛かった。同性の私から見てもそう思うのだ。きっと異性が見たらもっと可愛いと思う事だろう。
ナイアちゃんみたいな女の子は、きっと男の子に好かれるんだろうな、と思う。
だって笑顔にしてあげたくなる女の子だから。また笑顔を見たくなる女の子だから。
こんな笑顔、きっと私には一生真似できない。
「この天然ジゴロ」
「え? 何だって?」
「何でもないよー!」
私はわざとユージにぎりぎり聞こえないくらいの声でそう言った。
本人は自覚無いのかもしれないけど、誰にでも優しくする博愛主義的な所のあるユージは、女の子にとってはきっと敵なのだ。
私は扉を開けたユージの脇を通り抜けて先に部屋に入ってお風呂場へと飛び込んでいく。今日はユージが先に風呂に入る日だ。
「あっ! お前、今日は俺が先に入る番――っておい! 聞いてるのか!?」
「べー! 今日は先に入る権利、私にプレゼントしなさい!」
「お前、今日どれだけ俺に奢らせたと思ってんだ? おい! ったく」
こうしてユージは結局私のワガママを許してしまう。もっと本気になって怒っても良いのに。
「お前ってホント我侭なのな。そんなんじゃみんなに嫌われんぞ」
「大きなお世話よ。大体、みんなにはこんな事しないもん」
「じゃあ何で俺には我侭言うんだよ。内弁慶の外地蔵って奴か?」
「……知らない!」
ユージにだけ?私が?そんな事考えた事もなかった。そっか、考えてみたら私なんでユージには素直にワガママ言えるんだろう。
家族にはワガママ言えた。でもユージは家族でも何でもない、ついこの間知り合ったばかりの他人なのに。
出会った時あんな大喧嘩したから、自分の中でユージに対する遠慮が無くなっているのだろうか?許してくれるって信じてるから?
「そんなの……私にだって解んないわよ」
私はお風呂場の戸を閉めてユージの視線をシャットアウトした。
これ以上ユージの顔を見ていたら何故か赤くなりそうだったから。
「その指輪、どうしたアルカ?」
「大下くんから貰ったんだぁ。フフッ」
狐人の娘と猫人の少女が部屋の窓際に座って夜空を見上げていた。
場所は102号室。十津那学園大学部から帰ってきたウキツに部屋に入れてもらったナイアは、そのお礼にとラ・ムール特産の甘いお茶を振舞っていたのだ。
ウキツも修行中の仙人とは言え食の大国延の国民だ。他国の珍しい食べ物を断る理由は無い。
かくして102号室でちょっとした女子会が開かれる事となったのだ。
「ナイア、とても嬉しそうネ。良かたネ仲良くなれて」
「うん」
そこでウキツが目ざとく見つけたのは、ナイアの右手の薬指に嵌められた可愛らしい指輪だった。
普段貧乏なナイアは極端に化粧っ気が無い。元が良い為それでも十分可愛いのだが、そんな彼女が珍しく指輪をして、陰りの無い笑顔で居るのだ。何かあったと思う方が自然である。
そしてウキツが訊ねると、何と203号室のユージから貰ったと言う。ウキツはその前に聞いていた大ゲート祭の話から、そこで貰ったのだと推察した。
ウキツは思う。多分ユージは深い意味があって指輪をあげたのではないだろうと。しかし貰ったナイアはあげた本人の意図しない気持ちを感じてしまったのだと。
ただそれはまだほんの芽が出たか出ないかの小さな感情。青春時代には良くある事。
ウキツはナイアの嬉しそうな顔を見て微笑ましいと思うのだった。
「……ねぇウキツさん。学校ってどんな所?」
「学校のこと聞きたいか? どうしたね急に、珍しいヨ」
「うん、どんな所なのかなぁ、って」
「学校は――」
唐突に学校の事を聞くナイア。
学校に通った事が無いナイアはこの世界に来て、誰もが学校に通う事が出来るこの社会に驚いていた。
そして生きる事、働く事に追われず自由に青春を謳歌している、自分とそう年齢の変わらぬ少年少女達の暮らしに、少なからぬ憧憬の念を抱いていたのだ。
だがそれはこちらの世界でも、極一部の裕福な層の人々が享受する贅沢にすぎなかった。それを考えるとナイアは、素直に憧れを口にする事がはばかられていたのだ。
しかしそれも今日たった一時のイベントで、堤防が決壊するように解き放たれてしまった。
それだけナイアにとってユージとウツホ二人と過ごした時間は輝いていたのだ。
「すごく楽しそう。私も行ってみたかったなぁ学校」
たった一時でも憧れの世界の住人になれた経験は、ナイアにとって幸となるか不幸となるか、それはウキツにも分からない。
それでも、進みだしてしまった時は決して戻す事は出来ないのだ。例え異世界の神の力でも……。
「それでウツホちゃんと大下くんと一緒に色々な事するの。新しい友達も作りたいし、あ、ユッコさんも居るんだよね。きっと毎日がすごく楽しいんだろうなぁ」
「ナイア、学校行きたいか?」
「私は……無理だよ。お金無いもん」
ナイアの笑顔が再び曇ってしまったのを見て、ウキツはしまったと思った。
ウキツの一言で現実を思い出したナイアは再び夜空を見上げ遠い祖国を思う。
自分の兄弟達は過酷な砂漠の国で頑張っているのだ。自分だけ楽になってはいけないと、ナイアは思っているのかもしれない。
セレニアコスも
テミランもいない異世界の夜空。星が少ないけど雲が見える明るい夜空は彼女にとって未だに不思議だった。
遥か地平線の彼方まで宝石箱のような星空が広がる祖国の夜は、異世界の伝記の明かりや人の声で明るい夜よりも綺麗だと思いながら。
「いつか行ける日が来るかもしれないヨ。それまで私が勉強教えるヨ?」
「ありがとう、ウツホさん」
ウキツは延で仙人として勉強をしてきた。それはこの世界の学問に引けを取らない立派な物だ。
そんな彼女も恵まれてる者の一人なのかもしれない。
ウキツは考える。ならばせめてナイアに自分が今までもらって来た物を、少しでも分けて上げられたら。いや、ナイアだけじゃなく他の子供達にも……。
その時、窓から見える祭りの方角に夜空を照らす大輪の花が咲いた。
「あ、花火だ」
「昨日もやてたネ。あの綺麗な火の花」
地球の、取り分け日本の花火は美しい。
こんな美しい物を見ると、二人は不安が一杯ある遠く離れた異国の地でも、本当に来て良かったと思えるのだ。
「この国裕福。ナイアも暮らし楽になる日、いつかきと来るネ」
「うんっ。私それまで頑張る」
ナイアは再び笑顔を取り戻してウキツにガッツポーズをして見せた。
猫人ナイア。試練の国ラ・ムール出身。どんな逆境にも立ち向かう芯の強さを持つ女の子。
「でもちょっと、誰かが貰ってくれれば良いのになぁ……なんて」
そんな彼女も地球に来て、少し変われたのかも知れない。
仲間が居る。友達が居る。そんな幸せな彼女なら、少しは人を頼っても良いのではないだろうか。
たまには試練を忘れて、楽しく幸せな一時を……。
―終わり―
- 一話ごとに各キャラが丁寧に掘り下げられていってて面白かった。キービジュアル的なものを期待して待ってます。 -- (名無しのとしあき) 2012-06-21 11:00:41
- これでもかというくらい分かりやすい人間関係とそれぞれの心の内をにおわせた後の祭りの様子はとてもらしいものでした。しかし日本にいるとユージは身の振り方に困るのは確定のようですね -- (名無しさん) 2014-08-24 19:04:09
最終更新:2012年06月20日 23:24