「終わってしまったのだな」
言葉にすると随分と軽々しい響きではあるが、まさに終焉である。
11門全てにおいて行われた
ゲート開放祭の終わり。
ひと時の交流も全て終わるのだ。
右手の中に握り締めたガラス瓶に目線を落とす。
瓶に貼られたラベルには、こう記されている。
『海葡萄酒 宵の乾杯 2012年門祭記念』
残り少なくなった中身をグイと飲み干し、宵闇の海へと投げ捨てる。
これでもう、全て終わってしまったのだな。
6月の初め、私は地球の日本からゲートを通って
ミズハミシマを訪れた。
若い頃は、そうした意図も無くバックパッカーとなり諸国を放浪した身だ。
いつかは行こう。そうずっと夢見ていた地に足を踏み入れる切っ掛けとなったのは、
何とも情けない限りだが、勤め先の倒産と許嫁との離縁である。
これでもバランスよく人生を渡り歩いていたつもりではあったのだが、
所詮は独りよがりな認識でしか無かったという事なのだろう。
そこそこに尽くした会社は不況の影響で有無を言わさず消滅し、
そこそこに尽くした彼女は自分で起業した上に、それを手伝ったという男と結婚するのだという。
自分自身を地球に縛り付けるものは何一つ無くなってしまい、私は門をくぐった。
ゲートをくぐる前から、周囲の人間たちはお祭り騒ぎをしていた。
私と同じくらいの年齢であろう男女、家族連れ、はたまた学生カップルの姿もある。
皆、ゲート前のオープンカフェで食事を楽しんだり、お土産を買い込んでいる。
羨ましい限りだ。私はとてもじゃあないが、そんな気分にはなれない。
人間と亜人はゲートの開放によって種族の壁を越えて歩み寄ったのだという。
現にこの場には、人と亜人とのカップルの姿も何組みか見える。
にも関わらず、私は人同士ですら長くは関係を保てなかったというのか。
ははは。ならば私は人以下の存在なのか。
集団でゲートから異世界に転送されると、係員からいくつか物品を手渡された。
ひとつは翻訳の加護とかいうパスポートのようなもの。
ひとつはブルーリボンと呼ばれるゲート転送用のリボンなのだとか。
期間内であれば無尽蔵に転送を行えるし、行く先でのコミュニケーションも問題ないのだとか。
やれやれ。これがあるだけで、地球でのやっかいごとなど大半が片付くのではあるまいか。
しかしどうせそう便利な物でもなかろう。どうせあの『神々』とやらが噛んでいるに違いない。
実態は便利さ以上に困った代物なのだろう。
ミズハミシマでの数日間は酷く退屈なものであった。
風景は美しい。食事も申し分ない。宿だって悪くはない。古い日本のような街路も味わい深い。
観光名所とて良いものであった。海中にある街並みなど地球では一生お目にかかるまい。
でも、それだけだった。心が荒んでいる時に、真っ当な旅など楽しめる筈も無いのだ。
いつしか私は、身の回りにあるものをかき集め、街で買ったズダ袋にそれを詰め込んで歩き始めた。
まずはこの国を果てから果てまで歩いてみよう。ただそれだけであった。
まずは北へ幾日ほどか歩き続けた。地球から持ち込んだ靴はすぐに駄目になり、
立ち寄った雑貨屋で旅足袋を買った。路銀の大半はここで使い尽くした。
再び北を目指し歩き始め、ズダ袋に入れた食料も底を付き、空腹のまま2日歩いた。
そうしてあっさりと限界を超えてしまい、行き倒れも同然で居酒屋か飯屋かわからぬ店に転がり込み、
恥も外聞も無く働くから飯を恵んでくれと懇願した。
幸いにしてその居酒屋の店主が助け舟を出してくれたおかげで、私は餓死せずに済んだ。
1日中、皿洗いやら野菜の皮むきやらを続け、ようやく飯1膳と汁物1杯にありつける毎日。
ただ、次第に私の話が周囲に広まったのか、地球人目当ての物珍しさで客が来るようになったようで、
そうした者たちはしきりに私に地球の話をさせたがったものだ。
蜥蜴人やら蛇人やらにミズハミシマには無かろう話を一席ぶった後で、つたない地球の歌を歌い、
どうにもそれが酒の席に受けるものだから、私も調子に乗って何度も何度も歌ったものだ。
そのたびに客は地球で言うおひねりを渡してきて、それが路銀の足しになった。
店主に別れを告げて再び北を目指したのは、転がり込んでから2週間後の事であった。
その時手渡されたのが、1本の酒瓶。宵の乾杯という酒であった。
歩き続けて4~5日ほどであったろうか。
目の前が大きく開けて、眼下には砂浜と岬が広がっていた。
ミズハミシマの最北端かどうかまではわからなかったが、幸いにして漁村らしきものもある。
そこで尋ねてみればいいだろうと道を下っていくと、砂浜でなにやら言い争う声が聞こえてきた。
見ると亜人同士で諍いごとがあったようだ。言ってしまえば私には何の関わりも無いことだ。
だが、今の私に何か守るべきものはあるのだろうか。そう思うと無性にその諍いにムカムカときて
気づいた時には間に立っていた。
亜人たちは口々に、お前は一体何者か、関係ないものは去れと荒っぽく言ってきたが、
話をよく聞くと、不漁ゆえに取り分で揉めて、働きの少ない亀人の娘の分を皆で分けようという話となり、
亀人の娘は療養中の父の介護をしながらの漁であり、慈悲を乞うていたところであったようだった。
私が事情があるなら亀人の娘の言い分も聞いてやれと言うと、他の鱗人漁師たちはその埋め合わせをしろと言う。
至極真っ当な言い分であるため、私はズダ袋を引っくり返して地球から持ち込んだ私物を彼らに見せた。
ブランド物の時計や筆記具が彼らの興味をひいたようで、それら全て彼らに譲るかわりに、
亀人の娘の願いを聞き遂げるように約束をかわした。
娘からはせめてお礼を、と言われたので、遠慮なくその日の雨風を凌げるよう寝場所を確保させていただいた。
その夜、亀人の娘から色々と話を聞いた。
不漁は既に慢性的なものとなり、娘が生まれた頃からずっと続いているのだという。
古くから漁に携わった者は口を揃えて、毒水がどこからか流れ着いているが故だと言う。
このまま不漁が続けば、この村で漁をして暮らすことは続けられない。出ていかなければならない。
そんな悲痛な話にも関わらず、亀人の娘は気丈に振舞っている。
察しはつく。ゲート開放の影響を受けて、地球の汚染された海水が流れ込んでいるのだろう。
良い事ばかりあるわけじゃあない。わかってはいたが居た堪れなくなり、私は貰った酒を浴びるように呑んだ。
付き合ってみると、鱗人の漁師たちは荒っぽいが悪い連中ではなさそうだった。
浜辺で言い争っていたのも、生活を成り立たせるためにやむなくといった所なのだろう。
首領格の男が「俺の所に嫁に来いと誘ったが、父を放っておけないと断られた」とつまらなそうに言った。
あとは先だっての居酒屋と同じであった。地球の話を聞きたい、地球の歌を聞きたい、そんな者たちで
亀人の娘の家は人だかりとなっていた。酒を持ち込む者、食べ物を持ち込む者、楽器を持ち込む者、
自分も歌いだし、踊りだす者たち。実に賑やかで、華々しく、どこか物寂しい時間が流れていた。
私は時が経つのも忘れて漁村で過ごしてきたが、ある日手元に残った最後のふた品のうちの一つが輝き始めた。
ブルーリボンが夢の時間の終わりを告げたのだ。
呆然とリボンを見つめる私の傍に、亀人の娘が歩み寄ってきた。
「別れの時が来たのですね。
いつかまたこの地を訪れる日を心待ちにしております。これをどうかお持ちになって」
そう言うと、小さな装飾された箱を手渡してきた。
「この中には、この地で暮らす精霊を一人封じてあります。
いつか再びあなたがミズハミシマを訪れた時、箱を開けてください。
精霊の導きで、迷うことなくまた会えますから。
ミズハミシマ以外の地で開けてはなりません。
精霊は混乱して、導く事が出来ないでしょうから」
私はその箱を手にとった。まるで螺鈿のように虹色の美しい彩りの装飾であった。
受け取った瞬間に時間がきたのだろう。
私の体を光が包み込み、気がついた時には淡路のゲート前であった。
ミズハミシマでの日々は、あっけなく終わりを告げたのだ。
「終わってしまったのだな」
全ては泡沫の夢であったのか。
私にとっての地球とは、否定され、縁を切られた地でしか無いのに。
鱗人たちの、亀人の娘の悲しくも明るい笑顔が忘れられない。
私は思わず箱を手に取り、その蓋を開けた。
注意された事を忘れていたわけではない。むしろ鮮明に覚えていた。
ただ、ただ、あの地の匂いを、あの地の思い出を味わいたかっただけなのだ。
中に封じられたという精霊は、きっと散り散りになってしまったろう。
私は一歩足を踏み出し、眼下の海を臨んだ。
そして、そのまま身を翻して、飛び込んだ。
私の記憶は、ここまでだ。
- やさぐれっぷりが切実だった。 希望が見えても万人が万人それを受け入れるとは限らないと考えさせられた作品。 後、海に物は捨てたらダメですよー -- (名無しさん) 2012-08-05 19:20:35
- すごくしみじみしました。負の面でも悪いことと言い切るには難しい今の状況に考えさせられました。心情吐露が丁寧で染み入るせいか悲しい終わりにも少し爽やかなものを感じました -- (名無しさん) 2014-09-21 18:23:17
最終更新:2014年08月31日 01:46