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【2001年ゲートテロ概要】

2001年 9月11日世界同時多発ゲートテロ概要
一般に2001年9月11日世界同時多発ゲートテロとはアメリカでのデヴィルズレイク・ゲート基地へのテロ攻撃を発端として起きた世界各地のゲートならびにゲート関連施設等への攻撃の総称である
911テロまたはゲートテロなどと呼ばれ場合が多い

1)アメリカゲートへの攻撃
2001年9月11日アメリカ現地時間午前8時46分ノースダコタ州デヴィルズレイク・ゲート基地にセスナ機が突入爆発炎上、これにより警備任務中だった兵士25名とゲート通過審査待ちをしていた民間人13名が死亡
その1時間42分後の午前10時28分に2機目のセスナが救命活動と消火活動で混乱する基地に突入、基地司令施設の半分が爆発炎上、基地司令ダグラス・ウェイン大佐を含む42名が死亡
この日の攻撃により軍属62名 民間人13名が死亡し、重軽傷者は250人に上った
後の調査で突入した2機のセスナは大量の高性能爆薬が積まれ、ほぼ満載状態の航空機燃料との相乗効果での破壊を意図されていたとの結論に
二機のセスナはノースダコタ州内とミネソタ州境の民間空港から飛び立ったことが確認されている
操縦者はインド系イギリス人のウィリアム・ラハニとトルコ系アメリカ人のアリ・アカイとなっているが、調査の結果この2名の容疑者が提出した書類はすべて精巧な偽造であることがわかるがその正体を掴むまでには至れなかった。
調査を行ったFBIを中心とした調査チームはこのテロを中東系テログループの犯行と結論付けるが、現在に到るまでこの事件に関する犯行声明は出されていない。

2)南極ゲートへの攻撃
2001年9月11日現地時間午後4時過ぎ
国連管理下の南極マリーバードランド・ゲート基地に総勢15名の完全武装の武装集団が侵入、警備任務スタッフ4名が応戦するも殺害され、基地運営スタッフ16名が拘束される。
外部との交信施設などは襲撃者によって破壊され救援を呼ぶ手段を失う。
折悪く基地周辺の天候が急変し猛烈なブリザードで物理的にも救援は絶望的に
基地が占拠され1時間絶望的と思われた状況が突如好転する。
スラヴィアからの救援の到着によって基地を占拠した武装集団は次々と無力化される
後の調査で南極基地を襲撃したのはイタリアに本拠を置くカルト宗教団体「救済教会」の犯行と判明しイタリア当局が強制捜査に入ろうとするが、その直前に教祖を含む信者150人が集団自殺をするという悲劇的な結末を迎える。

3)日本ゲートへの攻撃
2001年9月11日現地時間午後11時過ぎ
淡路島日米共同警備施設付近で立て続けに爆発が発生
警備施設の一部が破壊され、付近で警戒活動を行っていた自衛隊員数名が軽い怪我をするも全体としての損害は軽微
爆弾を仕掛けたと思われる容疑者はすぐさま確保され、1995年に日本国内でのテロを引き起こしたロゴス真理教会から分裂した神理の輪の構成員であることが判明する。
この事件を受けて日本政府は1995年のロゴス真理教会のテロでの適用を見送った破壊活動防止法を「将来的に再び反社会的な行動にでる危険性が極めて高い」と判断し適用、また捜査の過程で神理の輪とロゴス真理教会は分裂後も密接な関係にあり、淡路島における爆弾事件もこの両団体によってなされたと結論付けられ、1996年5月13日にロゴス真理教会 神理の輪の両団体は強制的に解散することとなる。
また、この爆破事件は米国デヴィルズレイクゲート基地へのテロ攻撃とほぼ同時刻に起きたことから何らかの関連性が疑われたが二つの事件を結び付けるものは見つからなかった。

4)ペルーゲートへの攻撃
2001年9月11日現地時間午前4時過ぎ、ナスカ・ゲート基地に12発の迫撃砲とロケット弾7発が撃ち込まれ、続いて2両のトラックが基地内へと突入、30名の武装した集団が基地警備のペルー陸軍所属の兵士と戦闘に突入
2時間余りの戦闘で基地警備の兵士26名が死亡46名が重軽傷を負う
襲撃した武装集団は当初こそ優勢だったものの体制を立て直した基地側兵士の反撃によって次第に追い詰められ最後は自爆、襲撃者全員の死亡が確認される。
事件後の調査の結果武装集団の構成員の多くは10代の少年少女であり、いづれも過去にペルー南部で誘拐や拉致された被害者で武装勢力支配下で少年兵として訓練されていたと判断された。
襲撃したのは現地共産系武装勢力を母体とするLluvia roja(ジュビア・ロハ)であることが襲撃後の犯行声明によって判明、ペルー政府は南部で活動する反体制武装勢力の掃討を宣言するも2012年現在もそれは実現していない。

5)イギリスゲートへの攻撃
2001年9月11日現地時間午前11時過ぎ
ロンドンからストーンヘンジゲートへと向かうバス3台が次々に爆破され、乗員75名が死亡145名以上が重軽傷を負う事件が発生する。
乗客に紛れてストーンヘンジゲートへと向かう3台のバスに乗り込んだ実行犯が自爆したことが事件後の捜査で判明している。
事件後にイギリス政府は鉄道空港などを迅速に封鎖し犯人の逃亡を阻止しようとしたが、これによって第二の事件が発生する。
現地時間午後3時、ヒースロー空港でエジプト行きの便に乗ろうとしていた男を特別警戒中の捜査員が職務質問したところ捜査官を振り切って空港内に逃走
逃走が不可能と悟った男は空港内で自爆
空港関係者と男を追っていた捜査員そしてその場に居合わせた民間人合わせて7名が死亡し23名が重軽傷を負う
後の調査で空港で自爆したのはエジプト国籍のアサン・アフメド・バシールと判明し、彼はその後の調査で事件の主犯と断定される。
アサン・アフメド・バシール容疑者はイギリス国内で1995年から2001年までの6年間、ロンドンなどを中心に低所得者層の中東系移民に対しての慈善活動などを行っていた。
また97年頃からは中東系の若者を集めての勉強会などを頻繁に開くようになり、この勉強会に参加していた若者の中に2001年のテロの実行犯が含まれ、彼はこの勉強会を通じてテロ実行犯を養成していたと結論付けられた。

6)オーストラリアゲートへの攻撃
2001年9月11日から翌12日にかけて
「ゲートは地球の自然環境に深刻な影響をもたらす危険性があり、我々はこれを看過することはできず、再三に渡りオーストラリア政府ならびにゲートを管理する各国政府に抗議要請してきたが、これらが受け入れられないことに我々は実力をもって抗議する」
というメッセージと共にオーストラリア政府環境局やゲート基地に炭疽菌入りの封筒や小包が複数送りつけられる
環境局やゲート基地が一時全面閉鎖されるなどの混乱は起きたが環境局の3名の事務担当者が一時的な入院治療を余儀なくされた程度で済んだ。
後の捜査でオーストラリアに拠点を置く過激な言動で知られる環境保護団体グリーン・シェパードのメンバーが逮捕され、首謀者とされる団体代表は国外に逃亡、現在は国際指名手配されている。

7)コンゴゲートへの攻撃
2001年9月11日現地時間午前5時から正午前にかけて
国連治安維持部隊が管理するコンゴ・ゲート基地をイスラム系武装組織が襲撃
一時は基地が完全に包囲され攻撃を受ける事態に
武装勢力の攻撃は半日以上に渡って行われ、コンゴ・ゲート基地は壊滅的な被害を受ける。
しかし、施設が壊滅的な被害を受けたにも関わらず人的被害はごく少数の負傷者が出た程度にとどまった。
これは武装勢力の襲撃が起きる直前、イストモスよりゲート基地へ危機を報せる使者が現れ、ゲート基地の人員がイストモス側へ避難したことが大きい。

8)イラクゲートへの攻撃
イスラム原理主義武装組織

9)ロシアゲートへの攻撃
2001年9月11日現地時間13時40分
一部の反大統領派の将校を中核とした部隊が軍事クーデターを企てる事態が発生
一時は議会が占拠され、折しもゲートと外交に関する法案決議中であったためユーリア・ラス・プーチナ大統領をはじめとした多くの政府首脳閣僚が人質となる。
しかし、結果的にこの軍事クーデターは失敗に終わり、占拠された議会は4時間後に強行突入したロシア軍特殊部隊によって鎮圧され、13名の議員が鎮圧時の銃撃戦の流れ弾を受けて死亡したものの、政府首脳閣僚は全員ほぼ無傷で解放された。
後にこの事件はクーデターの首謀者にゲート政策に反対の姿勢を取っていた前首相の名前が浮かぶなどの広がりを見せるが、2002年に疑惑の渦中にあった前首相が心臓麻痺で亡くなると急速にロシア国内では話題とされなくなった。
現在も調査委員会は存続しているが、実質的な活動は行われていない

10)中国ゲートへの攻撃
2001年9月11日現地時間深夜
所属不明の武装した一団がチベットゲート周辺の村々を次々と襲撃される出来事が発生
武装集団に追い立てられるようにゲートへと避難してくる住民に対して、ゲート周辺に駐留する中国人民解放軍がゲートと中国国内の治安維持を名目にこの受け入れを拒否
こうなった背景には崑崙ゲートを巡る複雑な事情があり、1991年のゲート出現の直後、中国人民解放軍と異世界側との衝突の結果、崑崙ゲートは中国側の受け入れを拒否していた。
このため武装集団の攻撃から逃れるためにやってくる避難民は人民解放軍によってゲート周辺に避難することができず、ゲートの目前で武装勢力の攻撃を受ける事態となる
ゲート周辺に避難民を受け入れるのであれば治安維持のために人民解放軍を受け入れという要求が出され、崑崙ゲート側はこれを苦渋の末に了承
その直後から避難民の受け入れが始まり、またそれと呼応するかのように執拗に避難民を攻撃していた武装集団が避難民への攻撃を中止して逃走
これによって崑崙ゲートは2001年以降中国人民解放軍がゲートに治安維持の名目で部隊を配置する状況となる。

11)ドイツゲートへの攻撃
2001年9月11日の正午から夕刻にかけてベルリン各所に仕掛けられた爆発物が爆発、ブレンデンベルグゲートでは付近に駐車されていた自動車2台が爆発
ブレンデンベルグゲート近くの自動車爆弾の爆発はその直前に警邏中の警官が車に仕掛けられた爆弾を発見し周囲の一般人を避難させた直後に爆発したため民間人の犠牲者は出なかったものの、避難誘導にあたっていた警官2名が死亡、4名が重症を負うことに
この日のベルリン全体での被害は警官12名 民間人34人が犠牲となった。
後にドイツ連邦刑事局はこの爆弾テロはネオナチ系過激派組織「憂国親衛隊」の犯行と断定、ドイツ国内の関連個所を捜索し延べ300人以上の関係者を逮捕したが、2005年に「新生憂国親衛隊」と名乗る組織がヴィースバーデンにある連邦刑事局本庁に爆弾を送りつける事件が起きている。


  • 当時の各国首脳の集合写真とかめっちゃ面白そう -- (名無しさん) 2012-08-31 22:03:42
  • 治安軍事力経済力が対応の根っこつくっちゃいそうだね -- (としあき) 2012-09-01 01:57:18
  • 現実味で考えると全世界同時規模でない限りは注目されている場所である以上すぐに対応されてしまうのでしょうね。今のイレヴンズゲートに合わせて考えると規模の変化はあるかも知れませんが起こったテロはそれがゴールではなくそのテロを起こしたことで次の段階へ何か意識が進むというスタートの役割だったのではと思ったりもしました -- (名無しさん) 2014-12-21 17:38:29
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最終更新:2012年08月31日 22:03