延々と続く荒野に砂塵が舞う。
ここは世界の果てとも言える場所である。
少しでも地理を知るものならば、大延国の南西の先、さらに大地が広がっているのを知っている。
だが、そこには行く手を阻む巨大な防壁が造られている。
大延国に住む人々を思えば、その貪欲な食への探求で領土を広げたとしても可笑しくはないだろう。
しかし彼らはそれをしなかった。
何故か。
何故ならば、そこには凶悪極まりない民族、『南蛮族』がいるからだ。
彼らの正体は今でも判然としない。
曰く、今まで見たことも無い獣人種族であった、と。
曰く、獣の毛皮をまとった凶暴な戦士であった、と。
曰く、
ミズハミシマにいるような、ウロコに覆われた者どもであった、と。
曰く、ドロドロとした粘液に包まれた化け物であった、と。
曰く、カビの塊のような、もぞもぞとした物であった、と。
実際に戦った兵士が言うのだから、まったく見当違いという事もなかろう。
だが、最前線の兵士ですらこの有様なのだ。
大延の庶民が南蛮のことを知らないのも無理はない。
無知は恐怖である。
そして恐怖こそが南西部への進出を鈍らせた。
ましてやその先にいる相手は、休みなく北上を続ける南蛮族である。
恐怖心をなだめ、民に安寧を与えるために巨大防壁はあるのだ。
そう断言する学者もいる。
真実は朱王クウリ、あるいは金羅神しか預かり知らぬところであろう。
近年では、11諸国こそ旅人が気軽に歩けるようになったとは言え、防壁より先へは行かせる訳にはいかない。
その先にあるのは、この世界で無くなりつつある筈の、<闘いと死の世界>に他ならないからだ。
国境沿いの狸人や狐人、あるいは幾多の獣人種族は、精神面において内国の者とは大きく異なる。
彼らはその気になれば、その爪で、その牙で、そしてその仙術で、いかなる敵とてねじ伏せる事だろう。
そして、そうしなければ南蛮族には到底勝ち目は無い。
生きることすら過酷な地、なのである。
狐人のファフォドゥンは、防壁の警備について2年目の新人である。
歳の頃は20を少し過ぎた程度。
白面長身、都にいれば女どもが放ってはおかないだろう。
同僚や先輩からは『芋芽』と呼ばれている。
新人で可愛いらしいという意味ではない。
下手に食ったら毒芽で命に関わる、という意味だ。
無手の武術である四足に精通し、白虎円月輪を用いた二足の名手でもある。
南蛮との闘いでは、既にいくつもの手柄を上げている。
3年後の内国凱旋時には、出世間違いなしとも言われている。
2年目にして、その手腕で信頼を勝ち取ったのだ。
彼の所属する第四十二番壁には、総勢で100名ほどの兵員がいる。
狐人を中心にして、各国からの傭兵も多数参戦している。
その中に、異彩を放つ傭兵がいる。
狗人だ。名は誰も知らない。大延の生まれでは無いという。
青黒い自毛に、痩せ細りつつも精悍な躰つきをしている。
極めて無口で人付き合いも悪い。人相も醜悪で、年齢すらよくわからない。
衣服も異様である。モンメンの木皮をはいで作った糸から作られた布を用い、
それを何かドス黒い染料で真っ黒に染め上げた服を着用している。全身黒づくめだ。
腰には得物の魔銀刀を2本差している。大延国の剣や刀とは全く異なる武器だ。
チニ・ウェーテルという名だと言う。
月の初めに部隊に来たため共に戦った事は2度しか無いが、ファフォドゥンは彼を嫌っていた。
生き延びるために躍起になったかのような卑劣な戦い方を好むからだ。
兵員に求められているのは、南蛮族の進出を防ぐのと、彼らを殲滅する事だ。
ならばこそ、自らの命を犠牲にしてでも敵を屠るべきではないのか。
そう考えるファフォドゥンには、彼らの生き恥を晒すような生き方が理解できなかった。
早朝、防壁の上をファフォドゥンは歩いていた。
見回りを兼ねて、目を覚ますのに体を動かしているのだ。
防壁の向こう側に敵の姿は見えない。今日も戦いは無いだろう。
一度戦いが始まれば、人死には免れない。
3回前の戦など、20人以上が南蛮の化け物に食われたのだ。
そう考えていると、十数歩先の物陰に黒い塊を見かけた。
名無しの狗人だ。身を屈め息を殺し、まるで石のような有様だ。
挨拶する気にもならない。
ファフォドゥンはあえて無視をして通り過ぎようとした。
黒い塊からくぐもった唸り声が聞こえたようにも思うが、それにも反応はしない。
「狗め」
ファフォドゥンはボソリと呟いた。
聞いた話だが、彼の部族は元々は
イストモスという国で暮らしていたのだという。
彼らは主である
ケンタウロスを見捨て、祖国であるイストモスも捨て、逃れ逃れて自らの国を作ったのだという。
それは国に対して、あるいは神に対しての裏切りではないのか。
あげくに名無しの彼のような傭兵を他国に派遣せねば国が立ち行かぬと言うのだ。
大延国を構成する主民族の狐人からすれば、その狗人の生き方は理解できない。理解するつもりも無い。
唾棄すべき種族なのだ。
南蛮との戦が無ければ、彼の国、名も知らぬがその国を討ち果たしたいと思うほどだ。
「ぐうぅ・・・」
黒い石が唸り声をあげた。
ファフォドゥンは身構えた。呟きが聞かれたのだろうか。来るなら来い。そう思った。
黒狗は耳をぐるりと動かし、鼻をひくつかせた。
「来るぞ。奴らが来る。戦が来る。
五十・・・いや、百を超えている」
黒狗はそう言うと、防壁の縁に立ち、懐から見たことも無い器具を取り出した。
それは地球産の双眼鏡だったが、ファフォドゥンは見たことすら無いものであった。
「何を言っている。何も見えんではないか。何も聞こえんではないか。
そういったいい加減な報告は、奴らに好機を与え味方を窮地に追い込むのだぞ」
ファフォドゥンが黒狗に怒鳴りつけたが、彼は平然と言った。
「吠えるな若造。陽下十二神の微の方角、土煙が巻き上がるのが見えるか。
季節風でもなければ旋風でも無い。あれは軍が起こすものだ。
見回りをしているつもりがあるならば、防牙長殿にこれを伝えよ」
「フン。もしこれが誤りならば、貴様には咎をおってもらう事になるな。
貴様にそれだけの覚悟があるのか」
だが黒狗は牙をむき出しにして逆に吼えたてた。
「我れが刃を二つ持つ意味を教えてやろう。
一手は敵の首を掻き切るため。
もう一手は、責があれば自らの手で自らを始末する為よ。
刃は既に我が主である皆伝様に賜っておる。
さあグズグズするな若造。戦だと言っておる」
守備隊長である防牙長(ボウガチョウ)が大慌てで防壁の上に来た時には、既に南蛮兵が陣形を整えつつあった。
見たこともない姿の獣人兵が集うのが見える。その数およそ80。後衛を含めれば100は下るまい。
「ボウガチョウ殿、いかがいたしましょう」
副官の白亥喃(シロイナン)が防牙長に尋ねた。
いかがも何も無いのだ。彼らの選択肢は『戦う』しか無いのだから。
「先日の粘液の塊に比べれば、まだしも人であるだけマシではないか。
火炎連弩を全て壁上に引き上げて並べさせろ。
それと決死隊を編成して階下の正門前にて待機。頃合を見て突入させる。
編成はシロイナン、お前に任せる」
あっさりとしたものだが、それは死を覚悟して敵を殲滅しろとの命令に他ならないのだ。
シロイナンは胸の前で両腕を合わせ、それに応える。
ボウガチョウも無言でうなづいて応えた。
防壁上より火炎連弩が放たれる。
火精霊を矢に宿したものと、地球よりの技術にて作られた火矢を混ぜ合わせたものだ。
だが中らない。既に千本は放ったが、それでも中らない。
「何故だ。目と鼻の先の相手に何故中らない」
ファフォドゥンは焦りの色を隠せなかったが、これは当然なのだ。
ゲート管理の目を掻い潜って地球から持ち込まれた銃器や兵装の大半が役に立たなかったのには訳がある。
11門世界の飛び道具は、精霊によって制限されるのだ。
南蛮兵の陣営の中心に鎮座する神輿に乗っている者。
精霊との交渉以外に必要のない手足や尾や目などは生まれ落ちた時に全て潰され、
いわば生体兵器としての人生を歩む者。それが<精霊姫>である。
精霊姫によって誘導された風精霊の生み出した壁によって、火炎連弩の矢は全て跳ね除けられたのだ。
「芋芽!このままではラチがあかない!
第四十二番壁兵員は全兵力をあげて直接切り込みに行くぞ」
班長の狐人から指示が飛ぶ。
ファフォドゥンは慌てて獲物の白虎円月輪を持ち、階下へと急ぐ。
その先には黒狗の姿が見えた。
「よりによってこいつとまた一緒に戦うのか」
彼はわざと聞こえるように舌打ちをした。黒狗がどう思ったのかはわからない。
「とつげーーーーーーき!」
第三門が開かれて、およそ100名の第四十二番壁兵員が敵前に飛び出した。
初手はイストモス傭兵によるチャージ(槍突撃)によって敵陣を崩し、
二手目、三手目の傭兵集団による遊撃で敵陣形を完全に混乱させて、
最後に大延正規軍によって止めをさそうという考えだ。
そしてファフォドゥンの目の前でまさに今、イストモス傭兵4人の首が宙を舞った。
南蛮兵は陣形を何一つ崩すことなく進撃を続けている。
「ひるむなー!第2軍、第3軍とつげーーーーーき!」
シロイナンの激が飛ぶ。2軍、3軍の傭兵集団が命によって出撃した。
不思議と静かだ。戦場に何かわからないモヤのようなものが覆いかぶさっているかのようだ。
ここに至り、ファフォドゥンにも敵兵の姿がよく観察できた。
獣人だ。それも大延国には居ない獣人だ。
中には第三十四番壁を2層まで貫いたという象人や犀人、河馬人の姿すらある。
相手が悪すぎる。これでは三十四番壁のように防門閉鎖の可能性もあるのではないか。
自分達は南蛮側の地に足を踏み入れた。これでは本当にここで死んでしまう。
「嫌だぁぁ!」
正規軍の後方で、悲痛な叫び声があがった。
ファフォドゥンと同じように、自分の境遇を理解した狐人が恐慌状態になったのだろう。
彼はすぐに周囲の兵によって鉄拳を叩き込まれ、黙らされた。
恐怖は伝播する。芽を摘むなら早いほうがいい。
傭兵達も極めて苦戦をしているようだ。
幾多の傭兵が象人や犀人に真っ二つに斬り殺される姿が見える。
これは3回前の粘液質の化け物を相手にした戦死者数を既に超えただろう。
全滅、いや、壊滅もありえるな。
ファフォドゥンはまるで自分のことでは無いかのように、気持ちが現実から遊離する感覚をおぼえた。
「正規軍、とつげーーーーーき!」
シロイナンの号令が、彼を現実世界へと引き戻した。
イストモス傭兵によるチャージでも、傭兵集団による遊撃でも陣形は崩れていない。
作戦は失敗したのだ。あとは少しでも敵兵を削減した上で、防門閉鎖して兵は全て犠牲とする。
そんなところだろう。
前線は乱戦となっていた。
足元には両陣営の死体が転がり、目の前には巨大な敵兵。左右はかろうじて味方。
ファフォドゥンは白虎円月輪を敵に投げつけて首を切り落とし、山刀で胸をえぐり、
四足の型の喉爪や頚破にて敵を屠った。それでもまだ戦いは終わらない。
気づけば左右の味方も随分と少なくなった。どこかで「シロイナン殿戦死ー!」といった声があがる。
では一体、誰がこの軍の指揮をとるというのか。
目線の先には奇怪で醜悪な生き物の乗った神輿が見える。敵軍の司令官か何かだろうか。
そこに真っ黒な塊がのしかかるのが見えた。黒狗だ。
全身に返り血を浴びて赤黒く染まった黒狗が、左右の手に魔銀刀を握り締めて、神輿によじ登っていた。
象人が彼に襲いかかるも、魔銀刀の一閃で鼻を削ぎ落とされ、返す刀で首を掻き切られた。
そして次の渾身の一撃で、神輿の上の醜悪な生き物も両断された。
同時に、戦場全体を覆っていた奇妙な静けさが無くなり、喧騒と怒号が一気に溢れかえった。
黒狗が叫ぶのがファフォドゥンの耳に届いた。
「若造!死ぬ気か!貴様の信条など知ったことか!惚けている場合か!脱出するぞ!」
黒狗が吼えたてる。ファフォドゥンは躊躇した。
これだけの敵軍を相手に逃げおおせる訳もなく、まして門はもう時期閉じてしまうだろう。
しかし黒狗が彼の襟首に掴みかかり言った。
「我が主、皆伝様がかつておっしゃられた。
始祖は国を憂いて挙兵し、敗北の果てにイストモスへと流れ着いたのだと。
そこで騎馬人同士の乱世で行き場を失った狗人らを集め、流浪の果てに建国なされたのだと。
生きながらえる事は恥ではない。我らの一番の武器こそが生きながらえる事なのだ。
このチニ・ウェーテルでも無く、その白虎円月輪でもなく、だ」
黒狗は魔銀刀を振りかざした。普段の凶相は消え、どこか優しい目をしていた。
「若造!俺に続け!この戦場を離れるぞ!次の戦いのためになぁ」
黒狗が魔銀刀で切りかかり、ファフォドゥンが白虎円月輪でそれを補助する。
いつの間にか二人の間で息の合った攻防がなされ、次第に血路が開けてきた。
そして門とは反対側、南蛮軍が来た方向についに抜けた。軍を縦に抜いたのだ。
次の瞬間、天の全てを炎が埋め尽くした。
四十一番壁と四十三番壁の火炎連弩が全て放たれたのだ。
それは精霊姫の加護を失った南蛮軍と、まだ戦っていた大延守備兵の全ての体を貫いた。
「ば・・・馬鹿な事を・・・
味方もろとも殺す必要など無いでは無いか」
その光景を目の当たりにしたファフォドゥンは、そう言ったきり絶句した。
ゴトリと何かが崩れる音がした。はっとして隣を見ると、黒狗の胸元に火矢が突き刺さっていた。
「おい!しっかりしろ!もう戦は終わった!今すぐ助けを呼ぶ」
ファフォドゥンは黒狗に向かって叫んだ。
「無駄だよ。火矢の恐ろしさは俺だって理解できているさ。
若造。一つ頼まれてはくれまいか。
俺のこの刀を、イェゾの家族と皆伝様の元へと届けてはくれまいか。
ああ、目の前が暗くなる。これまでか。
質問です、皆伝様。武士道とは・・・これで・・・」
そう言い残し、黒狗は事切れた。
次の瞬間、遺体は火矢によって全て燃やし尽くされ、あとには消し炭になった骨だけが残った。
ファフォドゥンはその時初めて気がついた。
自分はこの狗人の名すら知らない。どう生きたかも知らない。
ただ、どう死んだのか、それだけを知っているのだ。
死屍累々の戦場にて、ファフォドゥンは泣き崩れた。
その後、ファフォドゥンがどうなったのかを知る者は居ない。
イェゾに行ったとも、大都に帰ったとも言われている。
黒狗の名を知る者も、居ない。
- 何とか和平とかならないものかと思ったけどお互い戦い続けるのが自然な形みたいになっていそうな大延国と南蛮 -- (としあき) 2012-10-21 16:24:50
- ファフォドゥンのその後が気になる。黒狗の生き様と死に様は彼に大きな影響を与えただろう。「戦う」とはどういうことかについても -- (名無しさん) 2012-10-30 20:23:53
- 大延国は南蛮をどうしたいのか 南蛮は大延国をどうしたいのか 明らかになるのは最後かな -- (名無しさん) 2013-02-16 06:49:35
最終更新:2014年08月31日 01:52