神の息吹を宿し翼乙女を背に神官が語る。
「これより
オルニトは我ら飛翔せし鳥人の力により作られる!
神は告げた! オルニトをオルニトたらしめよと!」
山に突き刺さる鎖に支えられし浮遊神殿島に鼓舞の雄叫びが響き渡る。
高々と突き上げられる戦槍に込められた覇気は今まで以上のものであった。
一人、最前線より還りてすぐに集会に参加した鳥人は眼下を眺める。
次々と飛び立ち、戦地へ赴く者達、家に帰る者達の中でその漆黒の翼は佇んでいた。
鎧は様々な種族の血に塗れ、槍の刃先は歪に欠けており、具足も端々が千切れている。
しかしその翼と眼光は一点の曇りも無く雄々しく在った。
「ど、どうなされましたらっ分隊長殿っ!」
「ちょっ、緊張し過ぎだろおい」
後ろより声を出したのは、如何にも新兵卒な青羽とその指導役であろう灰羽の二人。
代わりの武具と拭き布を手にしている。
「また今回は一段と酷い有様ですね」
脱いだ途端に鋼鱗がぼろぼろと剥がれ落ちた鎧を受け取り苦笑。
「つ、つつつ翼を拭かせれいらたきますっ!」
緊張の絶頂なのかぐるぐると回る目のまま、固い動作で漆黒の翼を彩る血を拭き取る。
何処を見ても傷だらけの身体。
羽毛も所々が抉り取られた表皮と共に抜け落ちている。
思わず固唾を呑む新兵の肩を大きな掌が叩く。
「もう好い、好いぞ」
「はっ!ははっ!」
低いが耳通りの良い声に驚きながら半歩素早く飛び退き敬礼。
少し緩んだ目端と微かな笑影に一瞬心を鷲掴みにされた。
「我らの護るべき国の、何と美しき美しきことよ」
その一言を残し、大きく羽ばたいた黒は夕陽の向こう、地上の森へと飛び去った。
「あれが“黒の鋼翼”…凄い…」
「なぁにが凄いんだよ。 分かって言ってんのか?」
「何もかもですよっ! ちょっと触れただけでも何ていうかその戦士のオーラとかがですね…」
「お笑いだな全く。
あの人の凄い所ってのは俺達が凄いと思う事一切全て何とも思わず普通にやってしまう所だよ」
血肉を絞り骨を削る修練も 他国の防人たる精兵との戦いも 同胞の蜂起を制圧する事も
「でもね、隊長。俺は時々分からなくなっちまうんですよ。
俺達の戦いは一体誰のため、何のためなのかってのが」
オルニトが誇る空裂く三本の槍の中、
マセ・バズークとの戦いで生き残った一本。
黒翼隊が一角にして最大の突破力を体現した分隊長。
先陣先頭で戦い、黒翼のひと薙ぎで隊を動かし空の激戦を駆り抜けた。
全軍撤退開始直後に現れた“蒼金の蜂女王”が強襲した大浮遊劇場島を護る熾烈な戦いは引き分けに終わったが、
その間に多くの同胞が生還した。
巨人消失後の苛烈を極める戦況を支える鴉の戦士。
民も兵もが彼を英雄と称え、“黒の鋼翼”と呼んだ。
神殿の柱の陰より飛び去る黒翼を見つめる者あり。
極彩色に染め上げられた布に宝石を織り込んだローブをゆったりと羽織った
後方に靡く鶏冠にも派手な装飾がなされている。
煌びやかだが過度とも思える数の指輪を嵌め込んだ鳥人の枝の様な指がぎりぎりと握り締められる。
「穏やかではありませんね、いかがなされましたか?」
また深い陰より、恭しく頭を垂れた男。
神官とは対照的な薄茶色のみ質素な布で全身を覆ってはいるが、少し覗く顔は鳥人ではない。
毛の無い肌、赤い唇、白い歯。
声に反応した神官が茶と白の織り交ざった翼を震わせ踵を返す。
「分かっております」
男、顔をやや下に向けたまま掌を神官へと向ける。
「あの者は、オルニトのために宜しくない、とお思いなのでしょう?」
何ともはや…聖者狂いの者共よりも分かり易いものよな。
「何度も何度も前線へ差し向けた!還って来る!勝利と共に!
神と国に逆らいし同胞(はらから)の討伐に幾度となく向かわせた!鎮めて来る!誰一人屠らずに!
一体どうすればあ奴を消せるというのだ!?」
ふん…、叫ばずとも十分に分かっている。
強いと言うのであれば戦果のために酷使し続ければ良いではないかと思っていたが、
余程の戦巧者か強靭なる戦士か… 実際、空を飛ぶ者同士で無ければ拮抗する事も ──
空を飛ぶ者同士…ふむ、やってみる価値はあるな。
男の頑強な顎がひくりと震え、口の端が微かに吊上がる。
「神官様、一計浮かびましたる故、少しばかりお耳を…」
毎度そう言えば頭を寄せて来るが、耳など見えんぞ鳥めが。
男の耳打ちはそう長くなかったが、神官の強張った表情をあっという間に緩ませる。
「つきましては人選のために進軍への参加をお許しいただければと」
「お前が戦へ? …人選のためならば仕方が無いが…
いくら言葉の通らぬ身からすぐに我らの言葉を覚え話せるようになり、作られた翼で空を飛べると言っても
お前は空の者でも地摺りでもないのだぞ。
他の者にその姿を見られれば、我とてその命庇いきれぬぞ?」
「御心配、痛み入ります。 神官様の思う所は私めも十二分に理解しております。
この一計を成功させるには何よりも人選にかかっておりますので、直接見ておきたいのです。
私めはこの命を賭けてでも神官様のお役に立ちたいのでありますれば…」
深く頭を下げる男の言に余程気を良くしたのか、神官は目を潤ませ即座に了承する。
すぐさま参軍の手筈を整えるために神殿の奥へと進んで行った。
すぐに言葉を覚えただと? そんな事ができる訳がないだろう。
いきなり街道で馬車ごと光の渦に巻き込まれたかと思えば森に吐き出され、
馬は怪鳥の群れに食われるわ、草むらの中で様子を伺えば二本足で歩く鳥共が集まってきて
理解出来ない言葉で会話している。 気が狂うかと思ったわ。
どれだけ気配を消して鳥共の村で奴らを観察し観察し観察して言葉を理解したと思っているのだ。
翼を模倣している内に風が寄って来たのは偶然。奇跡と言えよう。
出来上がった革翼を広げてすぐに舞い上がった時は神すら信じ感謝したものだ。
降り立った先が演説終了すぐの神殿で、すんなり中に入れた時は、もう私の運命はこの国にあるとすら思った。
鳥の目をかわす為に夜を選んで飛んだのが功を奏しただけかも知れぬが。
「しかし、この国にはそれだけの事をやる価値がある」
空を自由に飛ぶ軍隊! 何だそれは、無敵ではないか!
…浮島を牽く程の巨人というのも見てみたかったが、いないというのであればどうしようもない。
今出来うる戦争を、未知なる空の戦いを堪能するとしよう。
神官共を動かすのは…議員の一票を得るより容易く、皇帝もいないのであれば軍を操るなど造作もない。
ふ、ふははははっ!気が狂いそうだ全く!
「さぁ風よ付いて来い。 見せてやるぞ、魂の迸る血の演劇を!」
ローブが踊るように舞うと、顔が露になる。
茶色がかった金髪に薄い青色の瞳。 骨身の分かる厳つめな顔の輪郭には短い茂みが連なっている。
激しく見開いた目の先には、黒翼が飛び向かった森が広がっていた。
茎葉で編まれた垂れ幕を押し上げ、黒い戦士が帰り入る。
「帰った、帰ってきたぞ」
オルニトの地上、鬱葱と茂る森の中、うねる様に伸びる太い太い樹の幹の腰に建てられた木組の家。
中は特に仕切りなどなく広い空間、中心には揺らめく炎を内包する石窯。
「お帰りなさい、主(ぬし)ー。 って、何抱えているんですか?ソレ」
窯の傍で刃を叩き鍛えていた翼人の女は、思わず足爪で握っていた金槌を落っことす。
髪をまとめる巻き布をしたまま、今しがた入ってきた戦士に駆け寄る。
「えっと…これ、子供ですよね…」
戦士が御丁寧に両腕で抱え込んでいるものを覗き込んだ翼人が困惑の表情で見上げ促す。
申し訳なさ程度に布で包まれたそれは確かに子供、寝ている子供。
しかし鳥人でも翼人でもまして獣人でも無い無毛の肌と確かな四肢は、
今までに見たことの無い姿だった。
「獣人に見えなくもないですけど、こんなに丸っこくてつるつるしているのって見た事ないですし」
翼骨の間接部、指の様に伸びた短い三本爪で頬を突く。
「つるつるの上にぷにぷにですかー」
一頻り、戦士の腕、羽毛にすっぽり収まっている子供を見やった後、眉を寄せる。
「…主、この子は一体何ですか?」
「うむ、拾ったのだ」
どう切り替えして良いか分からずに身を震わせる翼人。
「何処で拾ったのですか?」
「忘れた」
鳥の翼と脚、尾を持ちながら器用に大仰にすっ転んで見せる。
「もー! 戦いと神様以外の事はすぐ忘れるんだからー主ー!」
床でじたばたする翼人と腕の中の子供を交互に見やる。
子供はまだ寝たままだ。
戦士の、黒羽を微かに揺らす子供の寝息は、擽る様な心地良さを与えていた。
巨人が去りしオルニトの、ある戦士の物語
戦い続ける彼の行く末は如何に
次回へ続く
- ものすごく英雄かっこいいです。でもおつむは鳥頭でズコー -- (tosy) 2012-10-15 13:41:44
- 鳥人と翼人の間に特別な感情は無かったといっても間に子供が入ってくると?次回で関係がどう変化するのか期待 -- (としあき) 2012-10-21 16:04:43
- 鳥人と翼人と子供と和む雰囲気だけどその他がきな臭すぎる… -- (としあき) 2012-10-30 22:56:21
- オルニトの英雄とローマ(?)から飛んできたような人間の先が気になる。2に期待 -- (名無しさん) 2013-02-16 18:26:02
- 外から入ってきた小さな存在が大きく国を変えていく切っ掛けになるというのは一つの交流の姿なのでしょうか。体制然とした戦士が何の力も持たない幼子によって変化が起こるというのは先が楽しみです -- (名無しさん) 2015-03-08 18:17:06
最終更新:2013年04月24日 21:16