失敗をした。それも最悪の部類に入る大失敗だ。
今日は少しばかり遠出してみるか、等と呑気で間抜けな考えを起こしたのが間違いだったのだ。
「おぼ、お、おき、おきゃくさ、どうします、た?」
目の前で蠢く、赤黒いぶよぶよしたモノから、低い声が上がる。
私は、何も返せない。
「お客様は戸惑っておられルのダ。キサマの奇天烈なすガたに、ナ」
所々に奇妙なイントネーションを持つ言葉を発したのは、腕だった。腕、腕、腕。最早何処から生えているのか分からない大量の腕が集まり、絡まって団子のようになっている。先程の言葉は、その腕のうち一本にある、口らしき裂け目から出たものだ。
(来るんじゃなかった、こんなところ)
ここは、変質卿と呼ばれる
スラヴィア貴族の領地。人呼んで、死の玩具箱。
はじめにこのスラヴィアを訪れることを決めた時は、好奇心と不安が入り混じった複雑な気分だった。しかし、いざ来てみると以外にも出会う者たちはみな友好的かつ紳士的であり、私はすっかり安心しきっていたのだ。
だから、こんな失敗をしてしまった。絶対に立ち入ってはならないと言われていた、別の領地に足を踏み入れてしまったのだ。
元々私はアンデットと言う存在に心惹かれるものを感じていた。だからある種グロテスクと呼べるような外見の彼らとも友好的な付き合いが出来ていたのだ。見た目や種族が違っても、人はわかり合う事が出来るのだ。そう思っていた。ここに来るまでは。
変質卿は屍体造形家である。それも、とびきりに趣味の悪い。
屍体改造家と言えば、真っ先に思い浮かぶのは「髑髏王」である。この地の知識に乏しい私でさえ聞き及んだことのある有名な名前であり、彼の作品は完成された、ある意味では美しさすら感じさせるものであると聞く。
対して変質卿の作品は、スラヴィアンにすら吐き気を催すと言わしめる程のものである。屍体改造の腕において変質卿が髑髏王に及ばないであろうことは確かだが、それ以前の問題として作品の方向性が違い過ぎるのだ。
ばさりばさりと音を鳴らしながら、何かが羽ばたいて来た。
それは鳥、と言えるようなシルエットをしている。けれどその身体は骨が剥き出しで、そして何より異質なのは頭である。
その身体とはまるで似つかわしくない、端正な
エルフの顔。怖気がするような造形だ。
エルフの顔をした鳥が言う。
「我が主がお呼びです。城までお越し下さい」
意外にも城は綺麗だった。外装からおかしな所は見られないし、中に入ってみても想像していたような地獄絵図は広がっていない。
両腕の無い甲冑に案内されて暫く歩くと、大きな扉の前で立ち止まった。
甲冑は何も喋らないが、どうやらここに入れと言うことらしい。
恐る恐る扉に手をかけ、開く。思ったより軽い。
扉を開けた瞬間、むわっと何かが顔にかかった気がした。
カビていて、錆びていて、饐えていて、腐っているにおいがする。
嫌だ、入りたくない。
とん、と背中を押された。そんな。あの甲冑には人の背中を押す腕なんて無かったはずだ。
扉が閉まる。
「ようこそ。客人よ」
透き通った美声が響く。声の主の姿は見えない。そこら中に転がっている、訳の分からない「カタマリ」に隠れているのだ。
「私の名は、クリストルファー・ヴィンドット・ルー・ペイン。会えて嬉しいよ。人間のお客様」
「あ、え……始めまして」
なんとか言葉を返す。小さく笑ったような息遣いが聞こえた。
「そう畏まらないでくれ。親愛なる友よ」
声の主、変質卿は想像していたよりもずっと穏やかな様子だ。
「わ、私はどうなるんでしょうか。こ……殺されるんでしょうか」
心臓がバクバク鳴っている。私は、屍体として彼の研究材料になるのだろうか。
今度は息遣いでなく、確かな笑い声が聞こえた。
「まさか、とんでもない。殺すなどと」
とても穏やかな声だ。助かるのか、私は。噂やこの場所の雰囲気に惑わされていて、彼を恐れすぎていたのかもしれない。きっとそうだ。
ズルリ、と何かが這う音が聞こえた。
「私はただ、欲しいものがあるだけなんだよ。君は私の欲しいものを持っている。それをくれればそれ以上は何もいらない」
「欲しい、ものとは……」
一際大きなカタマリの影からそれは現れた。
うねうねとしていて、脚と腕がいっぱい生えていて、頭もたくさんあって、口はもっとたくさんで、目はもっともっとたくさんで―――
「右腕と、左足の指を三本。それから右脳と右耳と左目をおくれ。そうしたら私は君になんの危害もくわえない」
ああ、うねうねが私の頭を
- 国が違うだけで価値観も変わるのに住む世界が違えば言うまでもなく。相手も同じ価値観や常識を持っていると思っていると大変なことになりかねない異世界 -- (としあき) 2012-12-02 21:02:15
- よく考えたら変質って名前がひどいんだけどスラヴィアでは褒め言葉なんだろうか -- (とっしー) 2012-12-03 22:43:27
- 材料獲られた残りはどうなちゃうの!?このままスラヴィアンになってこの地で"生きて"いくしかないのか・・・ -- (名無しさん) 2012-12-05 20:57:17
- 人のよしあしは見た目じゃ分からないなって思ったけどやっぱりスラヴィアンはネジが何本も抜けとんでるわな -- (名無しさん) 2014-06-24 22:25:16
- 倫理観も痛みも持っておらずスラヴィアンになる前の記憶も失った貴族が力のままに欲求を満たすというのは外の者からすれば恐ろしい限り。与えた肉体の対価はあるのでしょうか -- (名無しさん) 2015-05-17 18:22:45
最終更新:2012年12月02日 21:00