……ぽつり。
エンポリオ・アルニーニョは、サンタ・ルチア駅の窓の奥から、小さな音を聞いた。
そして瞬く間に、その音の大きさと、音源の範囲は広がって行き――駅全体の『屋根』を満たした。
ほぼ同時に、隣の椅子に腰かけていた
川尻早人も、降り始めた『それ』を認知する。
だが、最初に『それ』について言及したのは、二人の少年のどちらでもない。
『『雨』……ですね』
エンポリオの傍らに屹立する、異形の召使スタンド――『ヨーヨーマッ』だった。
――話は少しだけ、過去へと遡る。
二人の少年がこの駅に到着したのは、今より一時間半ほど前の事だった。
照明の光に満たされた広大な駅の構内で、エンポリオたちは探索を開始した。
この死と隣り合わせの『ゲーム』において有用に成り得る道具や、機材を入手する為であった。
また、周囲から目立つこの駅に、自分たちと同じスタンスの人間――
殺し合いに反抗する『味方』がいる可能性も、彼らは微かに期待していた。
だが、その小冒険は単なる徒労に終わる事となる。
静寂が支配するこの巨大建造物からは、他の『参加者』はおろか、
本来なら保管してあるはずの各種の道具や、食料の一片すら見つからなかったのだ。
この世界の支配者たるあの魔人、荒木飛呂彦が『不要物』を事前に消し去った――
そうエンポリオたちは判断した。
結局、二人は駅の出入口近くの待合室に戻り、
他愛の無い会話を交わしながら、椅子の上で待機していたのである。
『旦那様方……申し訳御座いませんッ』
――時は、現在に戻る。
怪スタンド『ヨーヨーマッ』は、目まぐるしく周囲を見渡しながら、
慇懃無礼な言葉を少年たちに浴びせ続けていた。
『その機会さえあれば、外に出る際の為に、雨水避けの傘を作って差し上げるのですが……。
残念ながら、この駅内に使えそうな素材はありませんね』
「…………ッ!」
そんな『ヨーヨーマッ』を、『主人』であるエンポリオは完全に無視していた。
数十秒前から構内全体に鳴り響いている、その淡い雨音を認知した瞬間から、
彼の思惑は遥か遠い場所に飛んでいた。
眼を見開き、窓先で照明光に輝く雨粒の存在を改めて確認する。
「……『雨』……『雨』だ……ッ!
きっと、そうだ――この『雨』はッ!」
エンポリオは、この異常なる世界――
謎の能力者、荒木飛呂彦が造り出した戦闘空間――において、
この有り触れた気候現象……『雨』が降り始めたという事実が示す、
ある一つの可能性を早々に導きだしていた。
「……どういうことだい――エンポリオ?」
川尻早人が、エンポリオに疑念の視線を向けてくる。
――過剰な反応と思われても仕方が無い、とエンポリオは思う。
早人はこの『雨』の意味を、まだ知らないのだから。
「この『雨』……『ウェザー』――『
ウェザー・リポート』だよッ!
きっと、彼のスタンドが降らせているんだッ!」
「それは……確か、さっき君から聞いた名前だ。
確か、"死んだはず"の、君の仲間の一人――」
「ウェザーのスタンドは、"天候を操る"能力!
彼を知っている人間を集める為に、周囲一帯に雨を降らせているんだッ!」
エンポリオは椅子から勢い良く立ち上がり、早人に力説する。
「きっと、この駅の近くにいるッ! ……いや、必ずいるに違いないんだッ!
早人、外に出よう! ウェザーを探すんだッ!」
「で……でも、仗助さんに、『鳩』を送って――」
早人は、駅の外部に出る事に気後れしているらしい。
相手の同意を求めようと、さらに言葉を重ねるエンポリオ。
「ウェザーはすぐに見つかる!
僕は雨音を聞いていたんだ――雨が降り始めたのは、駅の『南』側からだったッ!
『南』の方角から、ウェザーは北上しているんだ!」
『それは、私も聞いていました……確かに、雨雲は『南』から訪れました。
ですが、それが必ずしも旦那様の、結局のところ、単なる推測を――』
「君は黙っていてくれッ!」
『――は……ハイッ』
『召使』を忌わしげに睨み付け、エンポリオは早人への説得を続ける。
「雨の強い場所……より多量の雨粒が降る場所へと向かっていけば――
きっと見つかる! ウェザーがいれば百人力だッ!
行こう! 付いて来てくれ、早人ッ!」
「で、でも……」
早人の返答を待たずして、エンポリオは駅の表口に向けて駆け出す。
自分が動けば、相手も付いて来ざるを得まい、と彼は考えたのだ。
「本当に行くよ! 早く来てくれッ!」
――エンポリオ・アルニーニョは、内心焦っていた。
『雨』の発生が、ウェザー・リポートの接近を完全に保障するものではない事は、彼も理解してはいた。
だが、少年は抑える事ができなかった――自らに巣食う、死への恐怖を。
荒木飛呂彦が作り出した、奇怪で残虐なる『ゲーム』――
この奇妙な世界には、目的の為なら手段を選ばぬ、あの『
エンリコ・プッチ神父』や、
川尻早人の知る殺人鬼――『
吉良吉影』を始めとして、危険人物が多数存在する。
列車内に現れた、あの『怪人』もその一人なのだろう。
あの男の時は偶然も重なって撃退に成功したが、いつまでもあのように都合良く行くはずがない。
そして、この周囲から目立つサンタ・ルチア駅に、
彼のような――悪意と殺意に満ちた『参加者』が来ない保障は皆無だった。
このまま早人と、あまり有意義とは言えない会話をしながら待ち人を続けるだけで、
戦力も疎かな自分たちが、これから予想され得る異常事態を突破できるだろうか?
……それは難しい、と考えざるを得ない。
エンポリオ少年は、理解しつつあった――
自分たちが"生き残る"為には、こちらからも積極的に行動を起こすべきなのだ、と。
川尻早人はまだ理解していないのだ。
『天国』への階段を登り切り、無敵の存在と化したプッチ神父さえ打ち倒した、
天候制御スタンド『ウェザー・リポート』の凄まじさと、
その本体である、あの寡黙な青年を味方に付ける事の心強さを――。
『ま、待って下さい、旦那様……!
本当に行かれるのですかッ……!?』
駅の内部から、出入口に向けて疾走を始めたエンポリオ。
地面に置いていた『アヌビス神』を取り上げ、椅子から立ち上がるも、
性急な移動を懸念しその場を動かぬ早人。
『雨中の移動は、体力を消耗し――』
二人の少年の間の地点で、『ヨーヨーマッ』が、
『主人』であるエンポリオを追う速度を上げようとした、その時――。
ガ オ ン ッ ! !
突如轟き渡った、奇妙な音。
その聞き慣れぬ音色は、広大なサンタ・ルチア駅構内に、二重にも三重にも響き渡る。
「…………!」
「…………ッ!?」
不意に鳴り響いた、異常音の正体を見極める為に――
エンポリオ少年と川尻早人は、その発生源と思われる地点に視線を向けた。
そして……二人の少年の頭上に、『理解不能』の四字が躍り出す。
「…………な……ッ!?」
彼らの視線の先には――何か、得体の知れない形状の『物体』が存在していた。
「…………これ、は……ッ!」
数秒間の凝視の末に、少年たちは理解する。
――それは、『足』なのであった。
奇怪な轟音が駅構内に鳴り響いたその瞬間まで、
雄弁に語り続けていたあの怪スタンド『ヨーヨーマッ』の、
『両足』だけが、地面にへばり付いているのである。
まるで、鋭利な刃物に切断されて、残りが全て持ち去られたかのように。
切断面は肌と同じ色の肉が覗くだけで、それが二人の判断を遅らせていた。
あの異形の存在の内部には、血液や骨、臓器などの生体は存在しないらしい。
「……『ヨーヨーマッ』……ッ!?」
「……い、いったい、なにが……!?」
異状の正体を、少しでも把握する為に――
既に表口の扉を大きく開き、外部へと出ようとしていたエンポリオ少年は、
咄嗟の判断で、奇妙なる『足』に近づこうとした。
その時、彼は気付いていなかった。
彼の頭上――サンタ・ルチア駅表口上部の壁面が、奇妙な形状に"抉り取られ"、
自身の野球帽に、落ちるはずの無い雨粒が付着していた、その事実に。
ガ オ ン ッ ! !
二度目の破砕音が、空に染み行くのを、エンポリオは聞いた。
――自分の、左腕から。
★ ★ ★
「――――うぅぅああああああああああああああああアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアァァァああああぁぁぁッッ!!」
突如襲い来る衝撃的事態に、更なる衝撃が続く。
『雨』の到来と、それによる仲間の気配に歓喜し、
駅の表口に向けて移動を始めていたエンポリオ・アルニーニョ少年が、
突如、苦悶に満ちた絶叫を始めたのである。
「な、なに――――!?」
前方の『ヨーヨーマッ』が、『足』のみを残して消滅した時点から、
既に川尻早人の思考は緊急停止状態に陥っていた。
その少年の心中に、更なる『問題』が投げ込まれたのである。
しかし――次の瞬間、視界に刻まれる光景に、彼はその『回答』を理解する。
いや……理解せざるを得なかった。
絶叫を続ける、エンポリオ少年の『左腕』は、
袖から覗く、僅かな『余り』を残し――
――完全に、消失していた。
「――――――ッ!?」
声を上げる事すら、できなかった。
――五秒間? それとも、十秒間?
悲痛な叫びを止めぬまま、無惨に転倒したエンポリオを、早人は呆然と見つめていた――!
★ ★ ★
……サンタ・ルチア駅の屋根から、緩急の無い雨音が鳴り響き続けている。
その下方――駅構内の床上に、二つの影があった。
衝撃と苦痛に崩れ落ち、なお叫喚を続ける少年と、
唖然として、その様子を眺めているもう一人の少年。
混沌の境地に飲まれていた彼らの十メートル程上方、屋根近くの空中。
その照明の当たらぬ陰の地点に――突如、一つの男の顔が出現した。
悪鬼のような顔面――『そいつ』は、たった今襲撃を開始した『敵』――
エンポリオ・アルニーニョと川尻早人の姿を凝視する。
幼き被害者たちは、『そいつ』の存在に気付けなかった。
陰の闇と絶え無き雨音は、些細な理由に過ぎない。
彼らが『そいつ』の所在を認識できぬ、何よりの原因は、『そいつ』自身にあった。
そう――『そいつ』からは、『気配』なるものが、一切発たれていなかったのである。
まるで、前人未到の存在、魔妖の住人であるかの如く。
「――まずは……あの訳の分からない人型のスタンドから――」
ぼそぼそと、『そいつ』は独りごち始めた。
どこまでも低く、重く、暗い声は、陰の闇に実に良く馴染んでいた。
「次に――何故あそこにいるのかは分らんが――『アヌビス』の刀。
あれは――確実に消し去らねばならん」
囁きは、『そいつ』自身の耳にさえ、届いていないのかも知れなかった。
「そして、最後に――残った小僧共」
その両の瞳に穿たれているのは、底の無い、虚空の漆黒。
「ひとりひとり……順番に順番に。
『クリーム』の暗黒空間に放り込み、この世から消し去ってやる――。
この場において、DIO様以外のあらゆる存在は死すべき『敵』。
例えそれが子供であろうと、容赦などせん――」
『標的』の位置を確認し終えた"そいつ"は、再度ダイヴする。
純粋なる亜空の瘴気が支配する、
ヴァニラ・アイスの世界へと。
★ ★ ★
「――絶対に、戻ってくるからッ!」
それだけを言い捨てて――少年は、疾走する!
『足』だけを残し、この世から消滅した『ヨーヨーマッ』。
地に身を転がし、鮮血を撒き散らしながら悶絶するエンポリオ少年。
そのあまりに壮絶かつ異質な状況に、ふと我を忘れ、立ち竦んでしまっていたが、
やはり川尻早人はただの小学生ではなかった。
杜王町に潜んでいた悪魔――『吉良吉影』との絶望の対峙を経験したこの少年の直感は、
たった今、起こり始めた事態の本質を導き出していた。
……これは『スタンド攻撃』ッ!
荒木の思惑に乗った『参加者』に、襲撃されているッ!
彼が走るのは、サンタ・ルチア駅前の広場。
濡れた路上を駆けながら、攻撃された瞬間の情報を、趣味のビデオのように脳内で再生する。
――奇妙な轟音と同時に、消し飛んだ『ヨーヨーマッ』。
数秒後に、同様に消滅したエンポリオの左腕。
『抉り取る』、いや、『削り取る』と表現すべきか。
空間を指定し、その内部の何もかもを消失させる能力。
早人は、この攻撃に近い性質を持つ『スタンド』を知っていた。
東方仗助の友人であり、共に吉良と決戦した
虹村億泰。
彼のスタンド――『ザ・ハンド』の能力に、今の攻撃は類似している。
「――ァァァァアアアあああああああああぁぁぁぁッ――!」
背後より、苦悶の声が聞こえ続けている。
エンポリオを取り残したのは、薄情さからの行動ではない。
あの少年は既に戦闘不能だ。敵から見れば、もう何時でも"始末できる"存在なのである。
だから次に狙われるのは、未だにダメージを与えられていない自分だ。
――行動不能の二人が集まり、同時に『消される』のが最も回避すべき状況。
そう判断した早人はあの場所から距離を取る事で、打開策を練る時間を得ると同時に、
行動不能のエンポリオ少年を"逃がしている"のだ。
『な、ナニが起こっているんだァッ!? あのガキの――!』
頭の中に鳴り響く、驚嘆の色を隠さぬ高声。
右手に握られた『アヌビス神』は、全く状況を把握できていないらしい。
ちらりと見やるが、今は相手をしている場合ではない。
背後に、視線を投げかける。
――『停止』の意の道路標識。美麗なデザインの街灯。石造の椅子。ライオンを模して作られた像。そして路面。
早人の背後のあらゆる物体が、あの奇怪な破砕音と同時に消滅して行く。
破壊されたものは、全てが円状――いや、球状に削り取られていた。
『ヨーヨーマッ』とエンポリオも、この手段で攻撃されたのだろう。
『アヌビス神』は頼もしい武器だが、何もかもを『削り取る』この敵に、
果たして単なる刀――斬撃が通用するのだろうか?
削り取られた建造物の破片と粉末が、彼の長髪に降りかかる。
左手の一閃で振り払うと同時に、一つの推測が、早人の心中に浮上した。
――もしかして、この敵……僕の姿が見えていない――?
敵は『透明の丸い膜』を被り、出鱈目に遮蔽物を破壊しつつ自分を追跡している。
その驚異の破壊力に慄きながらも、早人は疑問に感じていた。
――何故、この敵は自分に向けて一直線に攻撃を行わず、
滅茶苦茶に周囲の壁や地面を削り取っているのだろうか?――と。
その行動パターンから、少年の明晰な頭脳は一つの結論を導き出した。
こちらから"敵の姿が見えない"のと同様に、恐らく、敵からも"こちらが見えない"のだ。
『早人、一体どうして走っているんだッ!? 攻撃されたのかぁッ――!?
振るなぁ、振るなあァッ――!』
右手の内の『アヌビス神』が延々と喚いている。
効力こそ不安だが、それでも自分の唯一の武器なのだ。
早人は決意する――例えこの先、自分に最期の瞬間が訪れるとしても、
この刀だけは持ち続けてやる、と。
雨が、一層強くなっていくのを感じる。
『ウェザー・リポート』と近づいている証拠なのだ――少年は、そう祈らずにはいられなかった。
★ ★ ★
「――ふん……小僧如きが、どこまで逃げられる――?」
か細い脚を絶えず動かし続け、時たま後方を窺いながら雨中の街を逃げ惑う少年。
その哀れな姿を、一人の男の顔が、空中から覗いていた。
男の表情は、獲物を付け狙う獣のそれであった。
この世の全ての存在を亡きものとする『暗黒空間』を自在に操る、
恐るべきスタンド使い――『ヴァニラ・アイス』は、
厚い唇を歪め、幼き敵を嘲笑う。
左腕を失った仲間の少年を置いたまま、その標的は駅から逃げ去った。
サンタ・ルチア駅の上部から、ヴァニラは少年の行動の全てを見ていた。
「――あの『橋』の方に行くつもりか……? フンッ、面白い――」
……ヴァニラ・アイスの目的は、極めて簡潔かつ単純だった。
"DIO様に尽くす"――それだけが、この男の行動原理。
その主人の館にて、忌わしきジョースターの仲間共――
モハメド・アヴドゥルを殺害し、
イギーを瀕死の状況に追い込み、
あと少しでポルナレフに引導を渡せると確信した、あの追跡の中途。
ヴァニラ・アイスは、謎の男、荒木飛呂彦の手によって――
未知なるこの世界へと連れ去られていた。
この異質な空間に飛ばされた直後こそ、多少の動揺はあったが、
即座に彼の精神は、『元の世界』と一切変わりない強靭な冷徹さに回帰する。
……彼はひたすらに、主の為に尽力するだけの存在なのである。
――まず、自分とDIO様の二人が、他の八十六人を殺害。
その後に自身は死に、最終的にあのお方が荒木飛呂彦を始末する――。
この殺戮『ゲーム』における彼の具体的な行動計画は、そのようなものだった。
ヴァニラ・アイスは、それが最も彼の主にとって効率的かつ安全なプランと確信する。
何の躊躇いも不安も、この狂徒は一切感じていなかった。
"DIO様を生かす"。
その最終目的を、極力素早く完結させる為に――
ヴァニラ・アイスは、開始時より延々と"適当に移動していた"。
この戦闘世界の地図を確認した時から、ヴァニラは確信する――
元々、自分が存在していた場所――『館』に、主人も必ず向かうと。
そう、彼の目指す場所は、【C-4】の『DIOの館』だった。
しかし、主人との合流は急がなくとも良い。
彼の主――DIOは、他の誰かに警護される必要がある程度の、
貧弱な存在などでは断じてないからである。
今、自分が館から離れた場所にいる事実を逆に利用する。
つまり、自主的にある程度『参加者』の数を減らし、
その後に『館』へと赴いた方が、DIO様の為になる――と、ヴァニラは考えた。
そして彼は『館』を目指すと同時に、この戦闘空間を迂回し『参加者』の『削除』を行っていた。
その手順は、以下の通りである。
――『クリーム』を使い、適当な方向へと直進する。
数十メートルの移動を終えたら一度スタンドを解除、周囲を確認し、
特に何も見つからなければ、再び『クリーム』に入り、移動を続ける。
もし『参加者』を発見した場合は、隙を見て接近し『始末』する――。
このルーチンワークは、『クリーム』の持つ隠密性、高速性も相まって、
非常に効率的に『参加者』を消し去る事ができた。
因みに、ヴァニラが最初に『始末』した、
あの老人――
ケンゾー――も、その犠牲者の一人である。
それは非常に大雑把な『掃討』だった。
『クリーム』の鎧に守られている間、ヴァニラは周囲の様子を見る事ができない。
その為に、彼が移動中に発見を逃した『参加者』がいる可能性も十分に存在した。
しかしこの男に取って、そんな事象は瑣末なものであった。
何故か? 答えは簡単である。
――結局のところ、DIOという存在の前に、全ての人間は絶命するしかないからだ。
彼は、自身のスタンド能力――『クリーム』の無敵さを確信していたが、
それと同時に主人たるDIOを、自らよりも遥か高き場所に君臨する存在と見なしていた。
どのような相手と戦っても、あのお方は絶対確実に勝利する。
自分が行っているのは、DIO様が直接に手を下す『手間』と『時間』の軽減。
この忠実なる部下は、主の手間を少しでも省く為に、
『館』に辿り着くまでの時間を利用した、簡単な『掃除』を行っているだけなのであった。
そのヴァニラが、二人の『参加者』を発見したのが二十分ほど前。
周囲の街並みに明かりを照らす巨大な『サンタ・ルチア駅』に、
潜む『参加者』の可能性を感じた彼は、駅の裏口から『クリーム』で侵入した。
思惑通り、『参加者』の少年たちの存在を確認し……ヴァニラは彼らを襲撃したのである。
まず、少年たちに対して異常に恭しい態度を取る謎のスタンドを『削った』。
『そいつ』がどのような特殊能力を持つか、彼には計り知れなかったからだ。
もし、逃走などに利用できるスタンドならば、『掃除』が少々厄介となってしまう。
同時にヴァニラは、『ダメージのフィードバック』を期待していた。
一つのスタンドを『削る』事は、その本体を『削る』事と同義なのである。
ヴァニラは、『そいつ』をどちらかの少年のスタンド能力だと認識していた。
つまり、『そいつ』を殺せば、二人の内の一人を同時に殺せるはずだったのである。
だが、結果としてその戦法は失敗に終わる――『そいつ』を消し去った際に、
どちらの少年にも『フィードバック』が発生しなかったのだ。
思わぬ状況に、少々の奇妙さを感じはしたが、
『本体に影響を与えるタイプではない、特殊なスタンド』なのだとヴァニラは解釈した。
そして、その代わりに――ヴァニラ自身も意図していなかった事だが、
『クリーム』は少年の一人――エンポリオ・アルニーニョ――の腕を奪い取っていた。
突然の襲撃に怯え、逃走を始めたもう一人の少年を追跡し始めた時点で、
既に『片腕の少年』の存在は、ヴァニラの思考の対象外となる。
――ショックと出血多量で、あと半時間と持つまいと彼は考えていた。
そして今、少年は自分の攻撃から逃れ続けている。
恐らく『スタンド使い』なのだろうが、今の所その片鱗を見せてはいない。
ヴァニラは思考する。何にせよ――
あの少年が『スタンド使い』である事に、どれ程の意味があるだろうか?
この世の全ての存在を消し飛ばす『クリーム』に勝てるスタンドなど――
勿論、主DIOのそれを除いて――存在しないのである。
「それにしても――」
少年が右手に持つ一本の刀に視線を合わせ、そのヴァニラの眉が、微かに歪められる。
「腑に落ちんな……。
『アヌビス』の刀は、それを握る者の精神を例外無く支配すると聞く。
小僧のあの様子を見る限り、正気のままであるように思えるが――」
いや――ヴァニラは首を振り、思考を整理する。
結局のところ、それも些細な問題に過ぎない。
大いなる目的――DIOという究極存在に対しては、圧倒的に『無意』。
「……いずれにしろ、確実に消し去るべき相手なのに変わりは無い――」
ヴァニラ・アイスは、思索と独り言を終えると、
雨に満ちた夜空に……再び消えた。
★ ★ ★
深夜の闇の中で、複数のライトが照らし出すその場所は、一種の異世界に見えた。
「……ぜぇ……ぜぇっ……!」
息を切らし、『南』に向けて疾走を続けていた、
川尻早人が到着したのは――河に跨る巨大な橋。
――『『南』の方角から、ウェザーは北上しているんだ!』
――『それは、私も聞いていました……確かに、雨雲は『南』から訪れました』
『サンタ・ルチア駅』でエンポリオと『ヨーヨーマッ』は、確かに言っていた。
そう、早人が向かっている方角は――サンタ・ルチア駅の『南』だった。
仲間たちの言葉を信じ、エンポリオの仲間――
天候を操るという、『ウェザー・リポート』と出会う可能性を上げる為に、
早人は『南』に向けて逃走を続け――この、『橋』に辿り着いたのである。
「ぜぇ……はぁっ……はあ……ッ!」
堅牢かつ荘重な雰囲気を醸し出すその橋梁は、欧風建築の香りを図らずとも漂わせていた。
早人は記憶していた――この場所は地図の【H-3】と【I-3】の境界付近。
このおぞましき『ゲーム』――その早人にとってのスタート地点である列車と同様に、
イタリア共和国の海上都市、ヴェネツィアの一部を模して造り出された場所なのだ。
エンポリオを含めた、他の参加者――異邦人たちは、
もしかしたらこの『違和感』に気付かないかも知れないな、と彼は思う。
だが、杜王町の住人であり、何度もこの場所の本来の姿を目にしていた少年には、
その『橋』は明らかに不自然で、異常な景観なのであった。
――馴染みのある街の姿を、勝手に変えるなんて――。
荒木飛呂彦の歪な趣に、どす黒い嫌悪感を覚える。
不気味な場所ではあったが、今の彼に取っては好都合だった。
早人の推測通りならば、『敵』は自分の大まかな位置しか分からない。
この橋の上は広大で、さらに見通しが良い。
殺意に満ちた猛敵に追われている事実に変わりはないが、
逃げ回るチャンスが生まれたのは確かだった。
巨大橋の隅に転がり込み、座り込む。
両脚に走る強い痺れと疲労感。知らぬ間に、全身が雨水と汗でぐっしょりと濡れていた。
『やっと……止まったかッ……!』
右手の刀――『アヌビス神』が忌々しげに呟く。
早人は、彼がこれまでに走ってきた経路――
謎の攻撃から逃走を続けた道――を覗き、『敵』の動向を確認する。
『敵』は、周囲の建造物を適当に『削り取り』ながら、この橋に近付いていた。
その様子を見て、早人は先の推測を確信する。
敵は『標的』の大体な位置を予測し、その周囲一帯を大雑把に攻撃しており、
自分の姿が完全には"見えていない"のだ。
手負いのエンポリオから離れ、逃走したのは正解だった。
破壊力こそは何よりも凄まじい『スタンド』だが、能力の精密動作性は決して高くない。
「はぁ……はぁっ……!」
敵の特徴を知ったにしても、自分が危機的状況に置かれている事には変わりはない。
相手の次なる手を見極めるために、息を潜ませている早人に向けて、
驚きの情を含んだ声が放たれた。
少年の右手に握られ続けていた――『アヌビス神』から。
『……やっぱり、そうだッ!
あれは、『ヴァニラ・アイス』の能力じゃねぇかッ!』
思いがけぬ『支給品』からの情報に、早人も驚嘆する。
「……まさか、『アヌビス神』ッ!
君は奴について、何か知ってるのかい!?」
『知ってるも何も、俺の仲間――DIO様の配下の一人だッ!
俺たち――『九栄神』連中の誰よりも、あのお方を慕っていた側近で――』
『アヌビス神』が解説する間にも、
身を屈め潜む早人の右手、一本の街灯の側面が『削られた』。
ガラス造りの電灯が地表に落下し、耳障りな音を上げ砕け散る。
その不快音と同時に、早人の表情がぱっと明るくなった。
何か、素晴らしい案が閃いたような様子で。
「待てよ、あいつと君が仲間なら、説得できるんじゃ――」
ふと湧き上がった、少年の希望に満ちた提案を、
『アヌビス神』は哀れみを込めた言葉で早々に断ち切る。
『……いや、それは無理だろう。
あいつ――ヴァニラ――は、DIO様を『優勝』させる為なら、
他の参加者全員を抹殺してから、最後に自害するような野郎さ――それも平然とな。
……ハナから俺も『標的』なんだよ』
淡々と刀が語る間にも、コンクリート造りの底面が抉れ、
橋の基部を支える鉄骨が削れ、側面の歩道が消滅していく。
襲撃者は、この巨大橋を"根こそぎ"破壊するつもりなのかも知れなかった。
「……じゃあ、どうすればいいのさッ!?」
頼りの刀による、あっさりとした否定に、焦る早人はつい声を荒げてしまう。
「敵に僕たちの場所が見えていないからいいものを――
きっと、もうすぐ奴は僕らの場所を特定するッ!
このままじゃ、どうしようも――!」
『落ち着け、早人……一度だけ、チャンスがある』
「――ッ!?」
透明状態で敵を追跡し、更にあらゆる攻撃が一切効かない。
この無敵の『スタンド』に、一体どのような対抗手段があるというのか?
『お前の推測通り――奴は、能力発動中に周囲が"見えない"。
今、橋の上から下まで暴れまわってるが、これは『当てずっぽう』さ。
恐怖したお前を、目立つ場所まで"炙り出す"為のな。
いいか……下手に動かず、ここで待ち続けるんだ』
『アヌビス神』が説明する間にも、新たなる轟音が早人の耳へと響き行く。
橋の上から下までを縫う大穴が次々と開き、それを見る度に彼は傷心した。
『奴はお前の姿を確認する為に、必ず亜空間から這い出てくる。
その瞬間だけならば……奴は生身と同じだ。
俺様の剣速を使えば――ダメージを与えられる』
早人は納得しそうになるが、理性が即座にそれを否定した。
「で、でも――あいつは『透明』!
この広い橋の上の、どの場所で姿を現すかなんて、分かりっこないッ!」
早人の年齢などよりも、遥かに永き歴史を刻むその剣――
『アヌビス神』は、やはり冷静に回答した。
『だから、落ち着けって言ってるだろうが……。
いいか、ヴァニラの能力は――その軌道上の『何もかも』を消し去るんだ。
奴が進む先の、建物も、人体も、液体さえも……何もかもだ。
分かったら――良く周囲を観察してみろ』
「……!?」
――いや、待てよ――!?
稲妻に近い速度で、早人の頭脳にある推察が駆け巡る。
それは、一つの閃き、一つの可能性……!
「……そうかッ、『雨』ッ!」
眼を凝らすと、自分でも驚く程に簡単に見つかった。
車道を照らし出す街灯の光が反射し、煌めく雨の中で――
確かに、雨粒すらも飲み込み行く『軌跡』が、存在している!
なぜ、今まで気づかなかったのだろう――とさえ感じた。
それ程までに、直径一メートル程度の『軌跡』は、夜の闇の中で目立つ存在だった。
削られた『痕跡』だけに、早人の注意は向けられてしまっていたのだ。
『見つかったな、『雨の中の軌跡』が……!
ヴァニラ・アイスは、これから必ず橋の上に姿を現す。
『軌跡』の移動経路から出現場所を予測して、この俺を使って叩き斬れッ!』
「…………ッ!」
早人は、『アヌビス神』が提する『作戦』に慄く。
経路の全ての存在を飲み込み、消滅させる『球体』。
それにギリギリまで接近し、一瞬だけ出現する『本体』に一撃を与える――
何と危うい『作戦』なのだろうか!
『いいか早人――最初で、最後のチャンスだと思え。
お前から積極的に奴を狙うのは、
奴にお前の場所を教えるのと同じ事なんだからなッ――!』
――しかし、この現状を突破する為には――やるしかないのだ。
早人は、溢れる恐怖心を隅に追いやろうとする。
その時……『軌跡』の動きが、変化の兆しを見せた。
徐々に、速度を落とし――橋の上のある地点に、止まろうとしているのだ。
『――来たぞッ! 奴が現れるッ!
行けッ、行くんだ、早人ッ!』
「……あ、あぁ……ッ……!」
少年は、刀を両手に握り締め、おもむろに立ち上がる。
それは、とても頼りない、ほんの僅かな勝機。
だが――確かに、見え始めた『光』でもあった。
彼は、剣の達人でも何でもない。
ただ、刀を上段に持ち上げた適当な構えで――
『停止地点』と思われる場所に、歩み寄る。
「……はぁ……はぁ……ッ……!」
早人が見ている間に、『軌跡』――
ヴァニラ・アイスという名のスタンド使い――は、路上の空間に……停止した。
『軌跡』の停止地点……その傍らで、早人は。
空中から出現する――『何か』を見た。
「――うおおおおおおおぉぉぉぉおおおあああぁぁぁァァァァッ!」
『何か』に向けて、全力で振り下ろされる『アヌビス神』。
刃先が、食い込もうとした瞬間――『何か』の姿は立ち消えた。
「…………!」
『アヌビス神』が橋の路上に食い込み、辺りに金属音を発散させる。
……一秒。二秒。三秒。
遅々と時が過ぎていくも、敵からの攻撃は無い。
「…………ッ!?」
早人は、咄嗟に周囲を見回す――橋のどの場所にも、
敵の移動による、新たな『削除』は見当たらない。
「……やった……のか……ッ!?」
結局のところ、今の剣撃は当たったのか、当たらなかったのか?
攻撃を繰り出した早人自身にさえ、その最も重要な点が分からないでいた。
しかし――持ち主が知らずとも、『刀』それ自体が、
攻撃の成否を自らの感覚で認知していた。
『――やったッ! 斬ったぞッ!
間違いないッ! 叩き斬った感触が残ってやがるッ!』
『アヌビス神』が発する、歓喜の声。
それを聞いても、まだ早人の心中には疑念が渦巻いていた。
「……本当、に……?」
『ああ、大マジだぜッ!
現に、奴は出てこないッ! 致命傷を負ったのさッ!』
――ここでようやく、彼は大きく息を付く。
まだ完全に終わっていないとはいえ、
この絶体絶命の状況で、無敵と思われた『スタンド使い』への決死の一撃が成功したのだ。
早人の摩耗し切っていた精神に、大いなる自信が満ちる。
『きっと奴は逃げたッ――俺様の威力に恐れをなしてなッ!
早人、お前も『駅』に戻るなり、隠れるなりして――』
しかし――刀の語る通り、本当に奴は……逃げたのか?
どこまでもしつこく自分に追撃を続けていた、あの『スタンド使い』は……?
再び、周囲を確認する。
……やはり、橋の上には一切の気配が無く、雨中の『軌跡』も存在しない。
少年の全身に漲っていた緊張が、解けようとした――その瞬間。
ガ オ ン ッ ! !
――右足。その先。苦痛。
早人は、恐る恐る、自らの感覚上に発生した、
異状の発生箇所――自分の右足先――を見た。
五本の指を完全に巻き込み、足の前半分が"やられ"ていた。
「――――う、うぅぅ――――」
――自分は、攻撃されてしまったのだ。
その認識と同時に――肉体の全感覚が、右足先の切断部に奪われる。
「――うぅぅぁぁああああアアアアアアアァァァッ!!」
身体の均衡は崩れ、『アヌビス神』を取り落とし、
涙腺からは、意識せずとも涙が溢れ出す。
痛みのあまり絶叫を上げた早人の眼前に現れる、一つの男の影。
異次元スタンド『クリーム』で、早人を狙い続けてきた追跡者――『ヴァニラ・アイス』。
「……まず、足を奪った……」
涙に潤む早人の瞳からでも、その顔面の左半分に跨る、巨大な裂傷――
それは、彼の左眼を完全に破壊していた――が、はっきりと認識できた。
絶えぬ血流が、その首から下へと伝っていく。
「これ以上、ちょこまかと動いたり逃げたりできなくする為にな……!」
片眼の男――ヴァニラ・アイスが、つかつかと早人に向けて歩み寄る。
その顔面からは、隠しきれぬ激甚なる憤怒が容易に見て取れた。
「……ぐ……うぅ、ぁ……ッ!」
早人は――動けなかった。
彼の身体を路面の上に縛り付けたのは、苦痛ではない。
それは、圧倒的な恐怖心だった。
余りの衝撃と畏怖に、身体に全く力が入らない。
自分でも信じられない位に、足腰が動かないのだ。
「ぐ……う、うぅ……う……ッ!」
早人が、路上でもたついている間に――。
「……この、糞餓鬼がああぁぁあアアァァァァァ――――ッ!!」
怒れる男、ヴァニラ・アイスから出現したスタンド像――
『クリーム』の拳が、早人の顎を下から強打した。
「――――っ!」
全く容赦の無い一撃は、小学生のちっぽけな身体を、面白い位に軽々と吹き飛ばす。
肩からしたたかに路面へと突っ込んだ少年が、
『クリーム』が作り出した孔に落ちなかったのは、幸運か不幸か。
尖ったコンクリートの破片が、薄い背中に食い込み傷を刻む。
「――よくも……よくも、よくも、私の眼を……ッ!
許さん……許さんぞ、小僧オォォ……ッ!」
怒りの形相を剥き出しにした鬼人から、
憎悪と呪詛の言葉が、早人に向けて吐き出される。
「……はぁ、はぁっ……うぅぅ……ッ!」
腕の力を使い後ずさろうとするが、やはり力が入らない。
緊張と恐怖のあまり、呼吸すら困難となっていた。
「だが――」
怒涛に満ちていた男の表情が、突如平静なそれに変貌する。
「まず消すべきは……貴様からだ……!
私から左眼の光を奪った、もう一つの存在――『アヌビス』」
ヴァニラ・アイスの狂気の視線が注がれたのは、
彼の足元に落ちる一本の刀、『アヌビス神』。
『アヌビス神』の声は、それを手に取る者のみに聞こえる。
早人が足を抉られ、手放した瞬間から、
もう奇妙で頼れるスタンド剣は、単なる一本の刀に過ぎなかった。
――早人の眼前で、その終わりは実にあっけなく訪れた。
「フンッ!」
ガ オ ン ッ ! !
一瞬だけ、男の足元からその姿を表した異次元スタンド――『クリーム』。
この牛型の怪物に、『アヌビス神』は、橋梁の表面を大いに巻き込んで――"喰い千切られた"。
『処刑』は一瞬で、あまりにも機械的だった。
「……さてと、小僧」
早人の側に向き直る、恐るべき怪人ヴァニラ・アイス。
――その表情こそ平静を装ってはいたが、
残る右眼は、やはりどす黒い悪意と殺意に充満していた。
「元々、私が狙っていたのは『アヌビス』だった。
無力な小僧など、我が『クリーム』の暗黒空間に飲み込む価値すら無いが――今は、別だ。
極めて異常なる、この世界において――全ての人間は、DIO様の『敵』」
……一歩。さらにもう一歩。
優雅とさえいえる足取りで、隻眼の男は早人に接近する。
「DIO様以外の存在は、全員このヴァニラ・アイスが抹殺し……。
最終的に、あの荒木とやらも、我が主たるDIO様が始末するだろう――!」
ヴァニラ・アイスの背後より、再び現出する『クリーム』のヴィジョン。
「……う、うぅ……ぁあッ……!」
一対の角を生やすその頭部が、動けぬ早人の目前に肉薄し……。
人間大だった口の穴が、大きく、大きく、開けられていく。
「小僧――私の出現地点を見破り、攻撃を与えた事は褒めてやる。
貴様の、その無謀な勇気に敬意を表し……一撃で、苦痛無く消し去ってやろう」
大きく、更に大きく――。
『クリーム』の口は際限の無い拡大を続け、
その『内部』を早人の視覚へと露にした。
「…………」
早人は、確かに見た。
そこには、"なにもない"のだ。
夜の空の漆黒も、海の底の静寂も、"なにもない"。
それは、存在という概念を否定する存在。
無限の証明であり、同時に有限の代弁者。
この『スタンド』によって『削られた』無数の建造物の、その痕跡を想起する。
なるほど――"ああ"なってしまう訳だ――早人は完全に理解した。
――何もかもは、この場所で終わるのだ。この場所で。
「……死ねええええええええぇぇぇぇぇぃぃぃいッ!」
ヴァニラ・アイスが上げる、渾身の叫び。
『クリーム』の口腔が、早人の頭に喰らいかかろうとした、その時――!
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最終更新:2008年08月17日 17:15