【0】
―――死の臭いがする。
【1】
両肩の中点、脊椎を撫でるように一筋の汗がツゥ―……と流れていくのを感じた。
周りが暗闇でよかった、と
ティッツァーノは思う。表情はこわばり、緊張で全身から汗が噴き出ている。
どんな些細な仕草であろうと、動揺を悟られるようなことは暗殺チームを前に可能な限り避けたい。
いや、殺し合いに巻き込まれというこの状況下、むしろ動揺しているほうが自然なのだろうか。
互いの影が濃くなるまで距離が縮まったころ、金髪の男が口を開いた。
「そこで止まれ」
大きく叫んだわけでもないが、洞窟内に反響したその声はよく通った。
プロシュートの鋭い視線を受け止めながら、ティッツァーノは進めていた歩を止める。
左手に持ったベレッタがやけに重く、まるで鉛を持っているかのように感じた。
この銃を使うような状況は勘弁願いたい。いや、そんな状況に追い込まれないために、自分から声をかけたのだ。
指示に従い、その場に立ちどまる。二人の男の表情は暗がりではっきりとはしないが、それでも交互にその顔を覗き込み、ティッツァーノは言った。
「私は、この殺し合いにのっていません。協力者を探しています。共に戦い、力を合わせてくれる、そんな協力者を」
一呼吸置くと、畳みかけるように言葉を続ける。少し焦りすぎかと思ったが、存外それが素人くさくて良いかもしれない。
話の最中、黒髪の帽子をかぶった男がプロシュートのほうをちらりと横目で見たのが眼に映った。
「貴方達は殺し合いに乗っているのですか。二人で行動しているところをみると、とりあえずはのっていないのではないように思えますが。
話し合いの場をもつことを希望します。ちなみにこの私の右手にあるのはベレッタM92。この武器を使うようなことがないよう、貴方達の慎重な行動を願います」
早口で、最後はまくしたてるように、一息で。
ティッツァーノはあくまでプロシュートとは初対面であるかのように振る舞うことに決めた。
あたかも彼については何も知らないかのように。事実、顔と名前以外は知らないも同然なので、あながち間違ってはいない。
親衛隊はボス直属唯一の機関。ならばその所在も構成員も、固く秘匿されているはずだ。
ティッツァーノはその可能性にかける。ベレッタのグリップを固く握りしめ、彼は二人の返答を待った。
不気味なほどに静まる洞窟内。じっとこちらの瞳を覗きこむプロシュートの視線が辛い。
まるでX線にさらされているかのような気分になる。もしやヤツはこちらの思考が読めるのでは、そんなありもしない馬鹿げた考えが頭をよぎるほど彼の視線は鋭かった。
敢えてプロシュートのほうに眼をやらず、ティッツァーノはもう一人の男をひたすら眺めていた。
黒髪の男はプロシュートとは対照的に、落ち着きがなく、ずっとそわそわしている。
帽子をかぶり直したり、髪の毛をいじってみたり。鼻をかいたと思えば、服のしわを伸ばして満足げな表情を浮かべたり。
その間に、男は何度か隣に立つプロシュートをちらりちらりと盗み見していた。
時間にすればそれほど経ったわけでもない。しかし沈黙に耐えきれなかったのか、その男がおもむろに言い放った。
「なんて言ってるけどよォ~~、どうすんだよ、“プロシュート”?」
思いもよらない情報公開にティッツァーノは反射的に表情を崩してしまう。呆気ないほどの、そしてその軽率な行為に動揺を隠しきれない。
たかが名前と思うかもしれないが、スタンド使いを前にはいかなる情報であろうと隠しうるものは隠すべきだ。
自ら手の内をばらすようなことは自殺行為に近い。顔と名前を必要とするスタンドがある可能性も否定しきれないというのに。
この男、底なしの間抜けなのか。或いはヤツも暗殺チームの一員でティッツァーノのスタンドを知っての大胆な行動なのか。
動揺を誤魔化すため、彼は咄嗟に口を開く。思いついたまま、頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。
「プロシュート……? もしや同郷の人ですか?」
暗闇のため、本人の顔ははっきりと見えない。しかしティッツァーノは確かに見た。
自分が姿を現わしてから一瞬たりとも視線を外さなかった暗殺チームの男が、チラリと相方を眺めた時の、その表情を。
泣く子も黙る、とはよく言ったものだ。いや、この場合、それすら通り越して、泣く子が気絶するのではなかろうか。
青筋が浮かんだ顔でプロシュートは、もう一度ティッツァーノに向き合う。苦虫をかみつぶしたように、憎々しげに彼は言い放った。
「とりあえず、銃を下ろせ。俺たちにも戦う気はない。情報交換といこうじゃねーか」
額に浮かんだ汗を拭いながら、思わず緩みかけた表情を再度引き締める。
まだだ。ターゲットとの接触に成功した、ただそれだけのこと。ここからが、一番の難関。ここまでの苦難など前菜の前菜にすぎないのだ。
如何にヤツに信頼されるように振る舞うか。如何にヤツと一対一の状況を作り、そして百戦錬磨のこの男の隙をつくか。
スタートラインには無事立つことができた。しかし依然状況は変わらない。
銃を持っていようと自分は圧倒的弱者。赤子の腕をひねるよりたやすく、奴は自分を始末できるだろう。
なによりも避けなければいけないのは自分の正体がばれること。
何も変わらない、そう自分に言い聞かせるとティッツァーノは偽りの笑顔を張り付け、ひとまずは情報交換のために腰をおろした。
情報交換は滞りなく行われた。時間も時間で互いに話せるようなことは少なかったが、有益な情報交換となった。
ティッツァーノは地図で言うところの現在位置を、そして病院で起きた事の顛末を。
プロシュートは時間軸の違いと、時空を超えたこの殺し合いに関しての情報を。
そして互いの立場に関して。これについては共に多くは語らず、イタリアのチンピラ同士、という曖昧なままで自己紹介には決着がついた。
互いに負い目があるからだろうか、深く語らず、また聞き出そうともしなかった。
スタンド能力に関しては、悩ましい判断だったがティッツァーノは口を閉ざすことを選んだ。
イタリアのスタンド使いとなれば、まず思いつくのがパッショーネだ。疑いが僅かでもかけられれば、暗殺は難易度を増す。
無論、スタンド使い同士の戦いとなった時、隠し通すことは非常に困難であろう。
そうとわかっていても、ティッツァーノはこの選択を選んだ。冷静な判断のもとで彼はリスクを冒してでも、相手の懐により深く飛び込むことを選んだのだ。
情報交換が一段落したところで、ティッツァーノは大きく息を吐く。
会話の最中から取っていたメモに目を落とすと、その傍らでプロシュートは黙って地図を見つめていた。
横目でそんな彼を観察していると、ふと気づけばマジェンドの姿が見当たらない。飛行機、暗闇、瓦礫と岩が転がる中でいつのまにかいなくなっているではないか。一体どこにいったのだろうか。
スタンド攻撃、とっさにそんな考えが頭をよぎる。緊張が走る中、プロシュートにも知らせなければと、手を伸ばす。
ティッツァーノの細い腕が伸び、プロシュートの肩に触れんとした、まさにその時。
「おーい、プロシュート、ティッツァーノ! 早く行こうぜ―。ちゃっちゃとこの暗闇からおさらばだァー!」
メキッ、という音とともにプロシュートの持つ筆記具が歪んだのがわかった。
今度こそ、見間違いでも何でもなく、確かにプロシュートの額に青筋が走ったのがティッツァーノにも見えた。
思えば情報交換の時も、マジェントは我関せず、知らぬ存ぜずでぼーっとしている態度だった。その注意力のなさは、目に余るほど。
ギロリとプロシュートがこちらを睨みつける。ティッツァーノは隠すことなく半笑いで答える。
暗闇だろうと、明るい光のもとだろうと、もはや表情を隠す必要はないだろう。
「貴方達は、相性が悪いみたいですね」
苦笑いのティッツァーノに盛大な舌打ちで返事するプロシュート。
二人は荷物をまとめると、
マジェント・マジェントの後を追うように、地上に向かうことにした。
【2】
―――腹だ、腹が減ったぞ……。
【3】
「ワシは……ウィル、ソン・フィリッ…………プス上院議員だぞォー………ケヒヒ、ホヒヒー……」
眩しいほどの白も、薄明かりのもとでは寒々しい青に変わる。
数字で言えばついさっきまでいた地下のほうが気温は低いはずだ。けれどもその青さは身体を振るわせるほどの何かを持っている。
不安や恐怖。夜の病院というものはどうしてこうも訪れる者の心をかき乱すのか。
それはきっとここが終着点だから。生と死、そして今の状況ではより死を意識させる場所だからだろう。
ピカピカに磨かれた廊下を鮮やかな赤が飾り立てていた。ぼかされ、歪まされ、あたり一面無造作に、赤の絵の具を巻き散らかしたのようだ。
その赤の中心であり源に、
ウィルソン・フィリップスがいた。
言葉にならない言葉を吐き、時折思い出したかのように呪いの叫びをあげる壊れた人間。
華麗さと醜さ、赤と白。その二つのコントラストがやけに印象的で、醜くも綺麗だなとティッツァーノは思った。
「あらまァ、コイツ、もうダメなんじゃねーのか」
「どうします? 予備弾薬なら何発かありますし、殺すも、黙らせるも可能ですが」
「待て、こう見えてもまだ使い道はあるはずだ」
隣にいたマジェント・マジェントは片膝をつき、男の顔を覗き込む。
怖いもの見たさに似た好奇心。指先でちょいちょい男をつつき、お調子者の彼はうげェーと面白そうに男の反応を楽しんでいる。
プロシュートの興味はむしろ男よりその周りに向いていた。ゆっくりとあたりを歩き回りながら、人の気配を探っている。
些細な物音も逃すまいと、神経を張り詰めているその横顔。飢えた獣のような本能と、氷のように凍てついた理性を併せ持つプロシュートという男。
ティッツァーノはゴクリと生唾を飲み込むと、ほとんど無意識のうちにベレッタを握りしめた。
自分の内からわき上がった恐怖を誤魔化すかのように、急いで会話を続けた。
「というと、プロシュート、貴方に何か考えがあるのですね?」
「いや、具体的にはない。ただ……」
「ただ?」
「殺し合いが始まる直前、ホールでの事、覚えてるか?」
一人の男を見下ろしながら三人は議論を続ける。痛みに呻き、訳の分らぬうわ言を無視しながら。
プロシュートの問いかけに思わず顔を見合わせる二人。マジェントは肩をすくめるだけで何も言わなかった。
「生憎、そんな余裕はなかったもので」
「俺もだ。なんーも覚えてねェーな」
「俺も混乱していて定かではない。だが見間違いでなければだが、何人か顔見知りがいたように思える。名前と顔しかしらねェような連中も何人かいた」
「それがなんか関係あるのかよォ~~?」
「頭を働かせろ、マジェント。あのスティールとかいう野郎はなんて言ってた?
エンターテーメント、ゲーム、イベント。コイツはヤツにとって催しものなんだ。悪趣味全開のクソッタレ、だが超がつくほど大規模のな」
「つまりイベントである以上、赤の他人同士で殺し合わせるだけではつまらない。
因縁深い関係者を集め、知り合い同士を殺し合わせたほうがよりエンターテーメント性は増す……。
あなたはこの男から情報を聞き出そうとしているのですか?」
首を縦に振ると彼は肯定を示す。隣でマジェントが感心したように口笛を吹いた。
直後、何かを見透かすかのように、プロシュートの視線がティッツァーノに注がれた。
何秒か見つめ合ったままの二人。先に視線を逸らしたのはティッツァーノのほうだった。
「なるほど~~、つまりこのオッサンから知り合いについて聞き出せばいいってわけだ」
「そうだ。碌な情報がないようだったら、それはその時でまたこいつの利用価値を考えよう」
「ならばまずはこの男の治療をしなければなりませんね」
マジェントが靴のつま先で床に転がる男をつっつく。豚の喉を絞め殺したような、甲高い声が静まり返った廊下によく響いた。
ティッツァーノはそっと、誰に聞こえることもないように息を吐く。
自分が直面する困難さを前に、ティッツァーノは抑えきれない不安を吐息に混じらせ、何度も何度も大きく息を吐いた。
心のさざ波はおさまるどころか、風速を増し、平穏をかき乱していく。不安と焦りは時間が経つにつれ、大きくなるばかり。
マジェントは相変わらず死にかけの昆虫をいたぶるかのように、男にちょっかいを出してはその反応をじっと見ている。
プロシュートは血の池に踏み入れることがないようゆっくりとあたりを歩き回り、立ち止まっては一人、何か考え込んでいる。
震える唇を抑え込むように、噛みしめる。
自分の成そうとしていることの困難さに今頃になって気づいた。自分のお気楽さに嫌気がさす。
知れば知るほど、このプロシュートという男を暗殺しようとすることは馬鹿げた自殺行為にしか思えない。
やるしかない、そう自分を奮い立たせても明確なビジョンが浮かんでこないのだ。
この男を殺す? この男を暗殺する?
プロシュートのこめかみに銃を突きつける絵を想像してみる。ベレッタから放たれた銃弾で赤く染まる男を想像してみる。
……無理だ。そんなこと、できるわけがない。
もう一度、息を吐いた。弱気になっているのは自分が一人だからだろうか。頭を振って、何を馬鹿な、と一人自分に言い聞かせる。
二人の男に聞こえなかったことに安堵するとともに、もう一度思考の海に沈んでいく。
どうすべきだ。何が正解だ。自分の非力さは誰よりも自分が一番わかっているはずだ。それを補うには頭を働かせるほかない。
数秒の後、彼は口を開く。軽く咳払いをして二人の男の注目を引くと、彼は控えめに、しかしはっきりとした口調でこう言った。
「ここは二手に分かれませんか?」
【4】
―――見つけたぞ、エモノだ……ッ!
【5】
「どうだ?」
「いえ、何も」
廊下に出て短い会話を交わす。向かいの部屋から出てきたプロシュートは、そうか、とだけ返し、延々と続く廊下を先立って歩き始めた。
ティッツァーノも黙ってそのあとに続く。男たちは一通り探索を終えたこのフロアから一つ下の階に移動しようと、突き当りの階段に足を向けた。
一見すると無防備にも見える男の背中を眺めながら、ティッツァーノは先の記憶を呼び戻す。彼はほんの少し前にかわされた会話を思い出していた。
『いいか、マジェント。こいつはお前にしかできねェ仕事だ。俺にもティッツァーノにも不可能な仕事。ましてや、そこらのゴロツキじゃてんで無理な“超高等難易度”の仕事だ』
『そうなのか!?』
『ああ、だからマジェント、いいか、その耳かっぽじてよく聞け。お前がすべきことは二つだ。
一つ、この玄関を見張る事。誰か来たらその時の対応はお前に任せる。ただ、どんな生意気な野郎だろうとてめェから喧嘩を吹っかけることだけはノーだ。
そこは我慢強いおめェだ、グッと堪えろ。てめーならできる、いいな』
『おう、任せとけよ、プロシュートォ!』
『べネ、さすがマジェントだ。
二つ、コイツから目を離すな。錯乱状態の人間なんて少し目を離せばフラフラとどっかいっちまうもんだ。
さっきも話したがコイツは貴重な情報源だ。逃がしたりしたら承知しねェぞ、わかったか』
『もっちろんだッ』
『頼んだぞ、マジェント。お前に俺たちの命がかかってる。
もう一度言うぞ、俺はお前を信頼してる。俺はお前ならやってぬける、成し遂げるッ……そう信じてる。
俺たちの背中、お前に託したぞ、いいな』
『オオ……ッ! わかった、わかったぜ、プロシュートッ! 任せろッ この俺に任してくれッ!』
吹き抜けの階段に響く靴音に耳を傾けながら、ティッツァーノはもう一度目の前の男をまじまじと見つめる。
慎重に、人の気配を探りながら、ゆっくりと歩を進めるプロシュート。同じように注意深く歩いているはずなのに、彼の足からは不思議と物音が立たなかった。
ティッツァーノと同じように靴をはき、同じペースで歩いているというのに。氷上を滑るかのように、滑らかで、淀みなく彼は進み続けていた。
表情一つ変えることなく引き金を引く冷徹さ、人の懐に飛び込み言葉巧みに心揺さぶる情熱さ。
この短時間で見たプロシュートという男を総括すると、恐ろしく有能という評価を下さざるを得ない。
短時間で人のメンタリティを把握するその観察力。そして飴と鞭を使い分け、容易く心開かせる行動力。
対人関係だけではない。本業とも呼べる暗殺に関する技術ではティッツァーノの舌をいくつ巻いても敵わないほど、その手際の良さには目を見張るものがあった。
マジェントに見張り役を任せ、二人は今、施設内に他の参加者が潜んでいないか、あるいは潜んでいた形跡がないかを探っている。
広大といってもいいこの施設を二人で見て回るのは予想以上に骨の折れる作業だ。しかもスタンドという未知の可能性もある以上、その難易度は計り知れないほど。
しかし、このプロシュートという男は違った。格が違う。文字通り、住んでいる世界が違っていた。
プロシュートが手本だ、と言って見せたその捜索の仕方は無駄一つなく、ある種の芸術家の作品かのように美しさすら漂わせていた。
無意識のうちに、息を潜め、目が離せなくなるほどに。なるほど、暗殺者だからこその繊細さと、そして大胆さがその一挙一足には込められていた。
ティッツァーノはもう一度溜息を吐くと、数瞬の間目をつぶってその時のことを思い出した。そして彼は思う。
作戦の放棄。もはやこの男は自分一人じゃ手に余る、私一人でこの男を殺すことなんぞ間違いなく不可能。
情けないと思うし、悔しいとも思う。しかし同時に、はっきりと目に見える形でこの力量差を見ることができてよかったのだ。
むやみやたらに特攻し、無駄死にすることを避けれた。惨めに敗残兵として頭を垂れ、屈辱に塗れた死を眼前でかわすことができた。ならば、これ以上の幸運はないだろう。
階段を下り切り、一階へと戻ってきた二人。延々と続くような廊下に影を落としながら二人はゆっくりと歩いて行く。
病室の前まで来ると左右それぞれ、扉を前に一度立ち止まる。視線を合わせ合図すると、互いに同時に部屋の捜索を始めた。
六つのベット、垂れ下がるカーテン。純白のベッドが目に焼きつき、薬品の臭いが鼻孔をくすぐった。
無論諦めたわけではない。ただ確率の問題だ。
暗殺に次はない、それは強者の理論だ。耐え忍ぶ勇気が弱者には必要なのだ。神経が削ぎ落されるような環境にいようと、決して安易に引き金に頼ってはならない。
確実性のためならば、二人きりであるチャンスを投げ捨ても惜しくはない。我慢我慢と唱え続ける。今はまだその時ではなかったのだ。
(今は、まだ―――……)
病室を調べ終え、廊下で彼を待つ。向かいの部屋から出てきた男に異常がないことを告げると、二人はすぐさま次の部屋に取り掛かる。
それが終われば次の部屋、その次も終わればその次に。その次、その次、その次……。
最後の部屋を無事調べ終えった二人は玄関に向かって歩いて行く。互いに無言、ティッツァーノの革靴だけが遠慮がちに靴音を反響させていた。
プロシュートがゆっくりと口を開く。目線は前に向けたままで彼は言った。
「収穫はあったな」
「……何か見つけたのですか?」
プロシュートが黙って肩にかけたデイパックを突きだしてきた。ティッツァーノが中を覗き込むとそこにあったのは治療器具に応急処置セット。
「さすが抜け目ないですね」
「お前のほうはどうだ、何か収穫はなかったのか」
「これといって特には……」
「そうか……」
珍しく歯切れの悪い物言い。何か引っかかるそんな言い方に、思わずティッツァーノは視線をあげ、プロシュートを見た。
先を行く男は黙り込んだままでその背中からは何も読み取れない。少し足を速めその隣に並ぶと、廊下の先から差し込む月の光が、プロシュートの掘り深い顔に大きく影を落としていた。
その時、プロシュートが止まった。玄関まで後ほんの少しのところだというのにふいに立ち止まり、二人の間には沈黙が流れる。
ティッツァーノは黙って、プロシュートが何か言うのを待った。緑色に光る緊急出口のランプが、怪しく二人の頭上で灯っていた。
「何かあったのですね?」
「まぁな」
またしても沈黙。こうも焦らすような話し方をしてくると、不安や恐怖よりも苛立ちが大きくなってくる。
苛立ちを抑えティッツァーノは話の続きを促す。男は感情の籠らない口調で、いつも以上にゆっくりと、彼に問いかけた。
「スタンド使い、って聞いたことないか」
言葉を言い切る直前に、プロシュートの身体から一つの影が浮き出てくる。陽炎のようにぼやけ、浮かび上がった腕は決して錯覚でも何でもない。
ティッツァーノは何も言わなかった。ゆっくりと瞬きを繰り返す。長いまつげを何度か瞬かせ、表情に皺ひとつよせず、視線を僅かでもぶらすことなく。
その声に波一つ立たせずに彼は返事を返そうと、言葉を探した。
振り返っていたプロシュートが一歩間合いを近づけた。二人の距離は顔と顔を間近で見合わせるような距離まで縮まり、男たちは互いの眼を覗きこむ。
灰色にくすんだ互いの瞳に、自らの姿が反射する。反射して浮かび上がった互いの姿を男たちは、ただ、見つめ続けた。
空気は張りつめたわけでもなく、凍りついたようでもない。ただ静かだった。音が死んだように、二人の間に沈黙が流れ続けていた。
プロシュートが見つめる。その視線は鋭利で冷たく、そのくせ燃え盛るような炎が今、その目には宿る。
ティッツァーノが見つめ返す。その視線には一切の感情がこもっておらず、霧ががったように彼の真意は覆い隠されている。
沈黙、静寂、閑散。そして―――
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
―――早朝の病院に少女の悲鳴が響いた。二人は、同時に動いた。
【6】
――― 一撃で仕留めてやる。
【7】
少女は後悔していた。
何故病院なんかに来てしまったんだろう。早人を追うがままにここまでやって来た。でもこんなことになるんだったら、来るんじゃなかった。
病院にはたくさんの人が集まる。早人はそう言った。人が集まれば情報も多く集まる。情報が多く集まればここで上手く生き残れる。
確かにそうかもしれない。千帆は早人の頑固さ、強引さもあって彼について行くことを選んだ。
危険が増える、そんなことはわかっていての行動だったはずだ。弱者である自分たちだからこそ、ここでは強気でいなければいけない。そんな早人の言葉に頷いたのは自分だ。
だけど……千帆は、少し前の自分を呪う。何故病院なんかに来てしまったのか。
少女は後悔していた。
何故私たちは慎重に行動しなかったのか。どうしてもっと、もっと、もっと! 周りを警戒しなかったのだろうか。
私たちはいったい何を考えていたのだろう。私たちは露伴先生の死から何も学んでいなかったのか。
危険なんていうものはいつだって、どこにだってある。それはこんな舞台でなくても、論外ではない。
街を歩けば車やバスがブンブン脇をとんでもないスピードで駆け抜けていくし、天災や火事、不慮の事故。危険は様々なところで手ぐすねを引いて待っている。
ようするに、自分たちは『なめていた』のだ。根拠のない自信と早人のカバンに入っていた黒光りする武器で不安を誤魔化していたのだ。
二人はタダの少女と少年にすぎないのだ。少年少女の警戒心……なんて馬鹿だったのか!そんなものは紙で編んだ網のように脆く、頼りないものだとどうして気づかなかったのだろうか!
千帆は今になって後悔する。過去の自分を張り飛ばしたくなるぐらい、後悔する。
後悔する、後悔する、後悔する―――――……。
「誰か……いませんか?」
玄関をくぐり病院に入ると、早人が小さな声で問いかける。薄暗い部屋内に反響し、吸い込まれるようにその声は帰ってこなかった。
寒くもないのに千帆は震えていた。早人の額に浮かぶ汗は、ここまでやってきた道のりの険しさだけが原因ではないだろう。
立ちすくむ少女の脇をするりと抜け、早人が足を踏み入れた。少年の手には似つかわしくない、重く大きな銃がぶら下がっている。
「――ぅうあ…………」
同時に振り返る二人。千帆は早人の肩を掴み、早人は銃を声が聞こえたほうへと向ける。
視線の先は玄関の脇、待合室かのように設けられたソファや椅子が置かれている一角。物陰に隠れ、声の主は見えなかった。
ソロリ、ソロリ……とまるで氷の上を歩くかのようにゆっくりと歩を進める。早人が一瞬だけ千帆を見る。その眼は明らかに、後ろに下がっていろ、ひっこんでろ、という意味が込められた目だった。
首をゆっくりと、そしてきっぱりと横に振ると逆に早人の前に先立つように歩いて行く。
深い理由はなかった。ただ早人だけを危険な目に合わせる、そんなことは許せなかった。
声が聞こえた辺りに近づくため、椅子の間を抜け、ソファを回りこむ。
ガラス張りの一面からは月の光が差し込んでいたものの、声が聞こえた辺りはちょうど暗がりで、誰がいるのか、何があるのかわからなかった。
慎重に、慎重に。使命感と恐怖の葛藤で足が竦み、揺れる。一歩、また一歩近づいて行く。
暗がりに、一段と濃い影が写り込んだ。人の形ではなく、何か大きな荷物のように見える。時折思い出したかのように震え、そして僅かにだが蠢いている。
服を後ろから引っ張られた感覚に振り向くと、早人が無言で指さすほうを向くと二つのデイパックが転がっていた。
無造作に転がり、片方にいたっては中身が飛び出ていたほどだった。その脇には古めかしい、黒のシルクハットが置かれていた。
きつく目線で動くな、と合図され、それでも動こうとすると軽く小突かれた。仕方なく千帆はそこで立ち止まり、早人がデイパックに手を伸ばすのをじっと見つめていた。
「……―――ワ、シはァ」
髪の毛が逆立つようなおぞましい声が聞こえた。背中一面に鳥肌がたち、吹雪が通り抜けていったように気温が下がった気がした。
地獄から聞こえてきたかのような声に、ゆっくりと千帆は振り返る。暗がりに見えたはずの影がズルリという音ともに、近づいてきた。
差し込む月光に照らされ、浮かび上がったのは歪な形の人間だったモノ。あらぬ場所から突き出た首、腕、脚。
二人の人間とかろうじてわかったのは、顔と呼べる部分がまだあったからだ。
ミンチ状に刷りあわされ、かき混ぜ合わされた二つの肉体はまるで四つの脚をもつ別生物のようで、千帆は瞬間的に叫び声をあげた。
―――その時だった。
喉もとからせり上がった悲鳴をかき消すほどの衝撃、冷水を浴び掛けられたように冷静さが彼女に戻った。
グロテスクな二人だったモノの後ろで赤く光る一対の何か。小さな影が足元を照らす緊急灯の前を横切り、長い尻尾がその後ろになびいていった。
振り向くより早く、彼女は叫んだ。この数秒の間に見たもの全てが、パズルのように脳裏を駆け巡り、ピタリと当てはまるような直感的な何かが働いた。
「早人君、駄目ッッッ!」
もつれる脚で早人の元へ向かう。二人の間には距離にして、ほんの数メートルしかない。
だが今の千帆にとって、その数メートルはまるで足元に広がる絶望の谷底かのように、暗く、黒く、広がっていた。
「罠よッ!!」
ああ、たしかに罠だった。だが、それは千帆が思っていた罠とは違っていた。
早人を突き飛ばそうと手を伸ばした彼女、それよりも早く、逆に早人が千帆を突き飛ばしていた。
同時に何かが宙を切っていくような音が聞こえ、彼女は大地に強く叩きつけられた。
冷たいフローリングに顔を打ち付け、見ると目線の先にいたのは、たった今後ろをかけぬけていったはずの獣の姿。
一匹の鼠が、十数メートル先からこちらに向かって可愛げな鳴き声をあげた。
「足ばかりひっぱって……、お人好しすぎるんだよ、お姉ちゃんは…………」
狙われていたのは早人でなく、千帆。
ズルリ……、なにかが腐り落ちるような音。続いて聞こえたのは重量を持った何かが地面に落ちた音だった。
早人の影が不自然に歪む。左右対称なはずの身体の右側の腕が、ゆっくりと重力に従い、落ちていった。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
―――早朝の病院に少女の悲鳴が響いた。早人と小さな影が、同時に動いた。
【マジェント・マジェント 死亡】
【ウィルソン・フィリップス 死亡】
【残り 90人】
【G-8 フロリダ州立病院内/1日目 早朝】
【ティッツァーノ】
[スタンド]:『トーキングヘッド』
[時間軸]:
スクアーロを庇ってエアロスミスに撃たれた直後
[状態]:左腕に噛み傷(小)
[装備]:ベレッタM92(15/15、予備弾薬 27/50)@現実
[道具]:
基本支給品一式、救急用医療品(包帯、ガーゼ、消毒用アルコール1瓶)
[思考・状況]
基本行動方針:スクアーロと合流したい
0.???
1.暗殺を確実に行えるよう、信頼できる仲間と武器を手に入れる
2.情報が少しでも多く欲しい
【プロシュート】
[スタンド]:『グレイトフル・デッド』
[時間軸]:ネアポリス駅に張り込んでいた時
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:基本支給品(水なし)、双眼鏡、応急処置セット、簡易治療器具
[思考・状況]
基本行動方針:ターゲットの殺害と元の世界への帰還
0.???
1.暗殺チームを始め、仲間を増やす
2.この世界について、少しでも情報が欲しい
【
虫喰い】
[スタンド]:『ラット』
[時間軸]:単行本35巻、『バックトラック』で岩陰に身を隠した後
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考・状況]
基本行動方針:食う、寝る、生きる
1:食う、寝る、生きる
【
川尻早人】
[スタンド]:なし
[時間軸]:四部終了後
[状態]:漆黒の意志、体力消費(小)、右腕融解
[装備]:スミスアンドウエスンM19・357マグナム(6/6)、予備弾薬24発
[道具]:基本支給品×2
[思考・状況]
基本行動方針:ママを守る。人殺しは殺す。
0:???
1:本物の杜王町への手がかりを探す。
2:仕方がないので千帆と行動。
【
双葉千帆】
[スタンド]:なし
[時間軸]:大神照彦を包丁で刺す直前
[状態]:体力消費(小)、精神消耗(中)、混乱、後悔、
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、万年筆、露伴の手紙、ランダム支給品1~2
[思考・状況]
基本的思考:ノンフィクションではなく、小説を書く。
0:???
1:早人と行動。
2:ゲームに乗る気はない。
3:琢馬兄さんもこの場にいるのだろうか……?
【備考】
ティッツァーノ、プロシュートの情報交換に関してですが、詳しいことは次回以降の書き手さんにお任せします。
ティッツァーノ、プロシュートの思考、行動に関しても続きを書かれる書き手さんにお任せします。プロシュートの質問がブラフなのか、真意のものなのか、そこらへんも任せます。具体的に何を考えてるのか、どう動くのか。全部お任せします。
マジェント・マジェント、ウィルソン・フィリップス上院議員の死体の近くにそれぞれのデイパックが転がっています。
川尻早人の支給品はスミスアンドウエスンM19・357マグナム と その予備弾薬でした。
駅前の遺体は食べきってはいません。かじりかけで放置されています。
【支給品紹介】
【スミスアンドウエスンM19・357マグナム と その予備弾薬@現実】
川尻早人に支給された。全長191mm、重量888g、装弾数6発、高さ132mm。
アメリカ、S&W社のリボルバー。その重量感ある外観から一部のマニアから絶大の人気がある代物だとか。
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最終更新:2012年12月09日 02:26