それは唐突に襲いかかってきた。立ちくらみのような、めまいのような。脈絡もない突然のフラッシュバック。

鉄が錆びた様なこもった臭い。重苦しく淀んだ空気。地面に散らかる赤の斑点。
断片のようないくつもの記憶が思い浮ぶ。細部まで見たわけでもないし、急いで目を逸らしたから、全部がどうだとわかっているはずもない。
だというのに記憶の中のその光景は嫌に鮮明で、生臭くて。
手を伸ばせば掴めそうだと思えるほどのくっきりとした記憶が、川尻しのぶの脳を揺さぶった。

しのぶはごくりと唾を飲み込む。込み上げた吐き気も一緒に飲み干せたらいいのにと思ったが、吐き気は収まらなかった。それどころかますますひどくなった。
掌にじんわりと広がる汗を感じる。顔から血の気が引いて行くのが見ずともわかる。
彼女はゆっくりと眼を瞑って、息をとめてみた。あまり効果はないことはわかっていた。けれどもそうするほかにすることもなかったので、とりあえずそうしてみるしかなかった。
瞼の裏に映る暗闇を見据え、しのぶは隣に座る男に気づかれなければいいけど、と思った。
空条承太郎に気を使われるようなことはしたくない。それだけが心配だった。


アナスイとの一件を終えた後、二人は杜王駅内を捜索した。
駅には誰もいなかった。残酷な殺人鬼も、恐怖におびえる幼子も、影一人、人一人見つけることができなかった。
かわりに二人が見つけたのは、奇妙な形に歪められた死体。捩じれて、融け合わされ、崩れかけている幾つもの残骸。
人間としての表情が読みとれる余地が残されているだけ、余計にたちが悪い。
だがそれを見ても承太郎は眉一つ動かさなかった。彼は一切動じる素振りを見せなかった。

立ちすくむしのぶを尻目に彼は被害者の顔を覗きこみ、知り合いでないことを確かめ、そして支給品を一つ残さず全て回収した。
おまけに荷物になるであろう余分なデイパックや食料、懐中電灯を残してくるほどの徹底ぶり。
墓を造るようなことはもちろん、死者のために黙とうをささげるための僅かな時間すら、彼は惜しんだ。
吐き気を堪え俯く中、しのぶはそんな男を見て、まるで感情を剥ぎ落した機械のようだと思った。
場慣れた刑事や勘の鋭い戦士でなく、一体のアンドロイドが動いているかのような……そんな印象を彼女は抱かずにいられなかった。


しのぶはそっと眼を見開く。吐き気は少しだけ収まっていた。だがフロントガラスに映る自分の顔色は、一向に良くなる気配を見せない。
車内に会話はなく、壊れかけた空調が時折軋む音が、静寂を破っていた。隣の運転席でハンドルを握る男は、長い事口を閉ざしたままだった。

今二人は駅で拾った支給品のうちの一つ、車にのって移動している。
速度はそれほど出ていない。ちょうど朝の通勤ラッシュで急ぐサラリーマンぐらいの速さだ。
承太郎に言わせれば、誰かが見つけても追いつけられる程度で、誰かを見つければ追いつくぐらいのスピードだそうだ。
しのぶは自分の体調がよくなるよう、大人しく座席に収まっていた。


「少し休憩する」


数分後、男は速度を緩めると路肩に車を駐車した。
シガーライターでタバコに火をつけ、何回か煙を吐いた後、彼は思いついたかのようにそう言った。
やはり彼に気を使わせてしまったのだろうか。そう、と返事をするとしのぶはため息を堪え、居心地悪そうに視線を車外に向けた。
恥ずかしさと失望感で、とてもじゃないが話す気にはなれなかった。

しのぶにもわかっていたことだった。
お節介を焼いているのは自分のほうのはずだというのに、気がつけばいつも自分は彼に気を使わせている。
最初からそう。彼が無理を言ったことと言えば、ここにきて最初に会った時だけ。
『すまないが、一本吸わせてもらってからでいいか』 そう言った時だけなのだ。

彼との関係は、自分が一方的に追いまわしているだけの関係のはずなのに。
承太郎からすれば自分と一緒に行動してなんら得になるようなこともなかったし、きっとこれからもないように思える。
空条承太郎は自分がつけまわすことを“許してくれている”のだ。わざわざ自分に合わせ、足並みをそろえてくれているのだ。
その気になればしのぶをほっぽり出し、自分一人でより効率よく、より迅速にこの場を駆けまわれるというのにだ。
彼は自分が危険にならないよう、疲れないよう、さり気なく、いつも手を差し伸べてくれている。

しのぶは顔をしかめた。情けなさと怒りが半分ずつ同居するような、中途半端な表情だった。


長いこと、承太郎は動かなかった。
彼は何も言わず、地図と名簿をジャケットのポケットから取り出すと、じっとそれを眺めていた。
それほど熱心に眺めているわけでもない。なんとなくすることがないのでそうしている。何とも言えない、ポッカリとした空洞感があった。

そうして彼は不意に筆記用具を取り出すと、一つの名前の隣にメモを取る。
しのぶがすっかり回復したのを見計らったようなタイミングで、承太郎は動いた。
無言のまま、彼はしのぶにそれを突きつける。しのぶはそれを覗きこみ、そして次の瞬間、息をのんだ。

それは名簿に載っていた名前を見たからではない。承太郎の筆跡がそこにこう記していたからだ。

『俺たちは誰かに見はられている』






突如脇腹に鈍い痛みが走り、私は呻き声を漏らしかける。
慌てて口を覆い、喉奥で痛みの叫びを噛み砕く。もしや聞かれてしまっただろうか。空条承太郎は今の声を聞き落としてくれただろうか。

ラバーズに意識を集中させ、様子を伺う。
車からのっそりとその巨体を捻りだしたのは紛れもなく、あの空条承太郎だ。辺りをゆっくり見渡し、鋭い視線で何一つ見逃すまいと神経を張り巡らしている。
しばらく観察を続けたものの、どうやら声を聞かれてはいないようだ。ほっとしたのも一瞬、私は気合を入れ直し、再びラバーズに集中する。

助手席に座る女には見覚えはない。念のため手元にある名簿に目を通すが、これといってピンとくる名前もなかった。
承太郎の母親にしては若すぎる。顔も似ていなければ、態度も肉親にしてはよそよそしすぎる。
きっとどこかで拾ったただの女だろうと、だいたいの見当をつける。あの脅えかたからしてもスタンド使いとは思えない。
こうなると、やはり注意すべきは承太郎だ。

あの強力無比なスタンド、スター・プラチナの恐ろしさを忘れてはいない。眼前まで迫った拳の嵐。ラバーズすら知覚し、捕える桁外れの基礎能力。
油断は禁物だ。ドジを踏めば今度こそ、あの拳で再起不能なまでに叩きのめされるだろう。
私は自らを叱咤激励するように、つい先、つけられた傷口を撫でた。鋭い刃物で貫かれたその脇腹は、決して油断してはならないという戒めの証。


今私は単独で行動している。放送を終えた後、結局私は独りで行動することを決意したのだ。
情報交換の後に身の振り方を考えようと思っていたが、呆れることにヤツらはまともに情報交換する気すら見せなかった。
怪物でありながら戦闘狂であるワムウ。血と殺戮を愛する狂人、J・ガイル。きっと頭の中は闘いのことでいっぱいだったのだろう。
認めよう、私の認識が甘かった。こんなやつらとともに行動していたら戦いに巻き込まれ惨めな死を迎えるか、策略をめぐらしてる最中に背中から貫かれるに違いない。
最初からこんな二人を手駒にしようというアイディアそのものが無謀だったのだ。

実際この傷はJ・ガイルによってつけられたものだ。
私が別行動をしようと提案したのがよっぽど気に入らなかったのだろう。
脇腹の肉をえぐり飛ばし、ゲスじみた笑いをヤツはあげていた。今でも動けばずきずきと痛むほどの傷だ。

怒りで体が硬直しかけ、再び私は傷に手をやった。冷静になるんだ、スティーリー・ダン。落ち着くんだ、落ち着くんだ……。
J・ガイルやワムウでのミスを繰り返してはならない。まして相手はあの空条承太郎、その上見たところ私が知っているヤツより年をとり、熟練の雰囲気すら纏わしている。
隙もなければ、その眼光の鋭さも並はずれている。思わず私の体が震えるほどだ。恐ろしい……、あの男、ヤバすぎる。

「―――……だが」

これは真っ向勝負の戦いでなく……決闘でもなければ、ルールの存在するゲームでもない。
正攻法で敵わないならばそれなりの戦い方というものがあるのだ。そしてその闘い方において、このラバーズに弱点は……ないッ
ここに連れてこられる前にジョースター一行と戦えたのは幸運だった。J・ガイルによって慢心の愚かさを知れたのは幸いとしかいいようがない。
慎重に、慎重にスタンドを進めていく。そうだ……慎重に、そして大胆に。
策さえうまくはめてしまえば例え承太郎だろうと上回る自信はある。あの場所へ、“あそこ”まで辿りついてさえしまえば……!

「……良し」

だが、まさにそんな時だった。まさに私が策を完遂させ、これでヤツとも対等に渡り合えそうだ……と思いかけた、その瞬間。
思わず小声で自身を勇気づけるような言葉を吐いた瞬間。


「――――――…………」


承太郎が息を吐く。深く、長いため息のような呼吸音。気を静めるのでもなく、呆れるのでもなく、ただ機能的にそうしたような音が聞こえた。
そして唐突にヤツは私のほうをまっすぐに見据え、呟くようにこう言った。

声が届く範囲に私はいない。そんな距離まで近づいていない。だから私はヤツの口元を読み取っただけだ。
もしかしたら間違いでは。そう望みたくなった。何故こちらの居場所がばれたのだろう。微塵の当てすら浮かばなかった。
ただのブラフだ。山カン張った、ただの虚勢に違いない。私は咄嗟にそう思う。
だが無意味だったのだ。空条承太郎は、私が隠れている場所を真っすぐに見据え、こういったのだ。


「そこにいるんだろう、スティーリー・ダン」、と。


刹那、ぞわり と、背中が震える。

その声は私が知っている空条承太郎のものではなかったから。いや、空条承太郎どころか……この声は本当に人間のものなのだろうか。
私の体は震え始めていた。私の腕が、身体が、足が、そして……傷口が警報をがなりたてるように疼いた。
私は見た。こちらを向いた空条承太郎の目を、見た。
そこに込められたのは狂気……。そしてどこまで続くかもわからないほどの、底無しの殺意……。






川尻しのぶが不安げな様子で外に出てきた。今にでも爆発する何かを刺激しないように、彼女はそっとドアを開け、そして閉める。
空条承太郎は動かない。男は道路の先に視線を向けたまま、微動だにしない。
その様子から彼が何かを待っているのだろう、としのぶは思う。だが一体何かを待っているのか、それが何なのかはさっぱりわからなかった。
沈黙のまま、刻々と時だけがすすんでいく。十秒、三十秒、一分…………。

状況が動くのにそれほど時間はかからなかった。スティーリー・ダンがその姿を現したのだ。
二人が面する道路、その先の坂を登って、たっぷり50メートルほどの位置で、その男は立ち止っていた。
しのぶは神経質そうに、ちらちらと承太郎へ視線を向けた。彼はその視線を無視した。承太郎は今、目の前に現れた男に全神経を注いでいる。

しのぶには何が起きているのか、まるでわからない。承太郎が車の外に出て、辺りを見渡して、一言二言、ブツブツと呟き……。
そして今、新たに姿を現した男は、はるか向こうで立ち止まり此方の様子を伺っているのみ。
此方に声をかけるでもなく、知り合いかどうかを確かめるために近寄るでもない。ただそこにひたすら立っているのだ。

そもそもここまで離れていると顔すらはっきり見えない。話をしようと思ってもこの距離となれば大声でしなければいけないのだが、そうする様子も見えない。
承太郎と男は会話もせず、互いに顔も見合わせる必要もなく、何かしら二人の間だけで通じ合っているようだった。
自分が蚊帳の外に置かれている事で、不安は大きくなるばかり。しのぶはやきもきしながらも、だが、ただ二人を見守るほかなかった。

「スティーリー・ダンか?」

承太郎が、確かめるようにそう言った。しのぶが辛うじて聞こえるぐらいの、小さな声。
これじゃ相手に聞こえるわけがない。無論、承太郎もそんなことは承知だろう。
だが彼はそのままの声で話を続けていく。独り言としてはいささか奇妙で、淀みなく。そして誰か別の、しのぶ以外の近くにいる“何か”に問いかける様な口調で、彼は言った。

「タロットカード、恋人。スタンドはその名の通りラバーズ。能力は極小のそのスタンドを敵の脳内に埋め込み、内部から攻撃する。
 特徴は自分が傷つけば、相手にもダメージが及ぶというのを前提とした人質作戦。性格は紳士風を装っているが、そこらのチンピラと変わらない、虚栄心の強い男。
 DIOから命を受け、パキスタンを少し過ぎたあたりで俺たち一行に襲いかかったことがある……」

ふぅ、と一息入れる。そして続ける。
次に出てきた言葉は問いかけのようでありながらも、ほとんど確信を込めているのがしのぶにもわかった。

「あのスティーリー・ダンで間違いないな」

砂粒一つが落ちても聞こえるのではないか。そう思えるほどの沈黙が辺りを包み、二人と男の間を風が駆け抜けていく。
承太郎はきっかり十秒だけ待った。刑の執行直前に自白を待つかのような重苦しい十秒だ。
そして時が過ぎ、遠くの男がそれでも動かないのを見定めると……彼は男に向かって足を進めた。
その歩みに一切迷いは感じられなかった。空条承太郎は綺麗に、一直線に、男めがけて向かっていく。

慌てたのは遠くの男のほうだった。


「止まれ、承太郎ッ」


承太郎は止まらない。変わらず一定のペースで黙々と足を運んでいく。


「そこまでわかってるなら、私が考えそうな策も、当然わかってるんじゃないか……ッ!?」


少しだけ、ほんの少しだけ、彼のペースが落ちた。早歩きのスピードが、普通の歩くぐらいまでのペースに落とされる。
それでも……それでも、彼は止まってはいない。着実に、二人の男の距離は詰まっていく。


「我がラバーズは! 既にッ! その女の脳内に潜んでいるッ!
 つまりこれがどういことかわかるか? 貴様には理解できているのか、エエ!?」


スティーリー・ダンと呼ばれた男の額に汗が浮かぶ。
顔は余裕を現すために笑おうとしているのだろう。だが承太郎の接近に驚きと狼狽を隠せていないのは一目瞭然だった。
奇妙にねじれた笑い顔は素直な焦り顔より、よっぽど惨めで、余裕がないことを顕著に示していた。


「おいッ、止まれと言ったはずだぞ、このクソガキがッ!」


男は声を荒げ、脅そうとしたのだろう。しかし緊張でか、途中で声が裏返ってしまい、脅すどころか笑いすらこみ上げてきそうだった。
本人もその裏返った声にあからさまに動揺している。見ていると、段々気の毒になって来るほどに。
同情すらしたくなるほどまでに、その男の表情と挙動は奇妙で余裕がなく、明らかに承太郎を前に冷静さを失っていた。

スティーリー・ダンは慌てふためきながら、ズボンのポケットをまさぐる。
尻ポケットから目的のものを見つけた彼は、これ見ようがしにそれを振り回し、承太郎の進行を食い止めようとした。


「動くんじゃねェ―――ッ! それ以上動くようだと、この銃で……、ぶっ殺すぞ!」


黒光りする武器、武骨で荒々しい暴力の象徴。今までどこか余裕のあったしのぶも、さすがに銃の登場にハッと息をのんだ。
承太郎が見せたスター・プラチナという能力。とても強力で、並大抵のことじゃかすり傷すら負わないだろうとはわかっている。
だが、それでも銃はやはり怖い。どれほど説得力を持たせ説明されても、現実世界最強の武器、銃は、しのぶにとって死そのものを連想させるのだ。

承太郎が、ようやく止まる。スティーリー・ダンが荒れる呼吸を整える。気がついてみれば彼と男の距離はもはや十メートルほどしかない。
いつの間にこれほど詰められてしまったのか。だが驚いている暇すら、今のダンには惜しい。
とにかく止めることはできたのだ。ようやく・・・・・・、ようやく! 承太郎が止まったのだ。
畳みかけるならここしかない。ラバーズが潜んでいる事実をもう一度印象付け、最悪ここは一時的に逃走してもいい……―――

ダンがそう考えている時だった。
無意識のうちに、彼は銃身を下げていた。承太郎の心臓目掛けて向けられていた暗闇が、足元へ向く。
最強のスタンド使いの眼が怪しく光る。そして男は絶妙のタイミングで彼は話しかけた。まるで日常の会話の一コマかのように、極めて自然に、そして如何にも気軽な感じで。
承太郎が言った。

「覚えてるか、スティーリー・ダン。てめェにはじめ会った時の事、ジジイを人質に取った時のことだ」
「…………?」

そうして一寸、立て続けにいくつかの事が起こった。承太郎の体から飛び出る大男の影。最強のスタンド、スター・プラチナが構えを取る。
スティーリー・ダン、反射的に及び腰になる。頭は冷静に射程距離外だと喚き立てるが、本能的な恐怖が理性を上回った。
男の膝が砕ける様に曲がり、彼は何もかもを捨ててその場から逃げようとした。脅しが効かない相手だと、そのとき初めて理解し、命惜しさにその場を逃れようとした。

逃がれようとした。

「『スター・プラチナ・ザ・ワールド』」
「え」

それが最期の言葉となる。スティーリー・ダンの記憶の中で最後に口にした言葉。



幸か不幸かと問われれば、きっと幸運だったのだろう。
スティーリー・ダンは自分が気づかぬうちに逝った。時が静止した世界で知覚すら不可能のまま、男はスター・プラチナに首をはねられ、一瞬で、死んだ。
一閃、目で追えぬほどの速さで振るわれた二本の指先。ザクッ、と小気味よい肉裂き音をとどろかせ、彼の首はピンポン玉のように綺麗に飛び、そして跳ねた。

坂を転がり、重力に従い、ころころころころ……。
驚愕を張り付けたままの首はしのぶの足元で、狙ったように止まった。
しのぶは見下ろす。見たくなくても、その生首から目が逸らせなかった。
自分の身に何が起きたかわからないまま、何が何だかわからない表情を張り付けた男の生首。
焦りと恐怖を焼き付けた瞳が、しのぶを見つめていた。しのぶは、視線をそらすことができなかった。

足が震え、呼吸が乱れる。足に力を込め、その場に崩れ落ちないよう、なんとかふんばる。
だがそんな彼女をつき落とすように……―――それは唐突に襲いかかってきた。立ちくらみのような、めまいのような。脈絡もない突然のフラッシュバック。

駅の死体、濁った臭い。そうでないはずなのに夫の、そして息子の死にざまがそれに重なる。
足元に転がる首。誰のものだろうか。スティーリー・ダンのものだったはずなのに。いつの間にか、息子の面影がそれを覆い隠す。
首なしの死体が、夫の一張羅をはおる。息子が首をサッカボールのようにドリブルする。
あらぬ妄想が、現実と重なり合い、氾濫し、混乱を生む。

しのぶは、その場で倒れないように、しゃがみ込むことで精いっぱいだった。
様々な感情がこみ上げる。同時に吐き気と、そしてなぜだか涙がせり上がった。

しのぶはその場にしゃがみ込む。長い間、彼女は動かなかった。
空条承太郎がスティーリー・ダンのデイパックをあさっている間も。点検を済ませ、首輪を拾い上げる音が聞こえても。
気遣っているのか、ただ単に待っているのか……彼女の様子を確かめる様に傍に男が立ちつくしていても。


川尻しのぶは、動かなかった。






いつかはその時が来るとはわかっていた。
それに近しいことは先のナルシソ・アナスイの時にも行ったことだったし、なにより自分は彼の凄みを理解していたつもりだった。
けれども、それでもしのぶはそうなって欲しくないとどこかで願っていた。彼の決心がどれだけ固かろうと、まだここでとどまっているうちは、彼は帰ってこれると信じていた。

踏切台から飛び降りる様に、もうその一線を越えてしまっては二度と戻れない。


空条承太郎は、たった今、殺人者になった。
スティーリー・ダンを殺したのは、空条承太郎。


誰かを守るためでもなく、誰かを救うためでもない。しのぶを傷つけないと確信していたから彼は拳を振るったわけではない。
彼は迷わなかった。きっとしのぶがもっと直接的に人質に取られていたとしても、彼は同じように殺しただろう。
もしかしたらその拳で、しのぶごと貫いていたかもしれない。足元に転がる生首、その男の何も写さない瞳を見ると、しのぶの胃がざわついた。


覚悟が、足りなかったのだ。

立てるか。そう承太郎に尋ねられ、しのぶはそっと頷いた。泣いてはいなかった。
差し出された腕を掴み、男の隣に並び立つ。彼女は承太郎の顔を見るのが怖くて、前を向けなかった。
覆いかぶさっていた影が動き、男が去っていくのがわかる。見れば車へ向かう男の後ろ姿があった。
彼の鉄仮面に負けず劣らず、その背中は何も教えてはくれない。大きくて、けれども淋しい背中だ。

このまま私はついていっていいのだろうか。彼と共に歩むのは間違った行為ではなかろうか。
ふとそんな疑問がわき上がり、しのぶの足が自然に止まる。男は変わらず車へ向かっていく。

でも……今さらどこに行くの? この人を、一人、放っておくつもりなの? こんなに優しくて……さびしい人なのに。

何秒かの後、しのぶの足が動き出す。しっかりと大地を踏みしめ、力強く前進していく。もう迷ってはいなかった。
彼女の顔色を伺うように視線を向けていた空条承太郎。しのぶは車を出すように彼を促し、助手席へと滑りこむ。
男は無表情のまま、しばらく彼女を見つめていた。そして……ゆっくりと頷き、車のキーをポケットから取り出す。


車のエンジン音が轟き、やがて消えていく一台の車。排気ガスが立ち込める街。後には誰も残っていない。
捨て残されたスティーリー・ダンの死体は、何も言わず、俯いたままだった。





【スティーリー・ダン 死亡】

【残り 71人】







【C-7 南部/ 1日目 午前】
【空条承太郎】
[時間軸]:六部。面会室にて徐倫と対面する直前。
[スタンド]:『星の白金(スタープラチナ)』
[状態]:???
[装備]:煙草、ライター、家出少女のジャックナイフ、ドノヴァンのナイフ、カイロ警察の拳銃(6/6 予備弾薬残り6発)
[道具]:基本支給品、上院議員の車、スティーリー・ダンの首輪、ランダム支給品4~8(承太郎+犬好きの子供織笠花恵ドルチ/確認済)
[思考・状況]
基本行動方針:バトルロワイアルの破壊。危険人物の一掃排除。
0.???
1.始末すべき者を探す。

【川尻しのぶ】
[時間軸]:The Book開始前、四部ラストから半年程度。
[スタンド]:なし
[状態]:精神疲労(中) すっぴん
[装備]:なし
[道具]:基本支給品、ランダム支給品1~2(確認済)
[思考・状況]
基本行動方針:空条承太郎についていく。
1.それでも、空条承太郎についていく。

【備考】
※しのぶもなんとなく時間軸の違いに気がつきました。ですがまだ確信はありません。
※承太郎は駅で以下のものを回収しました。それ以外はそのまま放置されています。
 カイロ警察の拳銃とその予備弾薬(ブルート/もう一つの支給品は予備弾薬でした)、ドノヴァンのナイフ(東方良平)、犬好きの子供の不明支給品 1or2
 虫食いでないの支給品だった上院議員の車(虫食いでないの支給品はこれだけでした)、織笠花恵の不明支給品 1or2、ドルチの不明支給品 1or2
 またスティーリー・ダンの家出少女のジャックナイフも回収しました。
※川尻しのぶが支給品を確認しました。承太郎も何なのか、把握しています。





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前話 登場キャラクター 次話
095:Panic! At The Disco! (前編) スティーリー・ダン GAME OVER
110:石作りの海を越えて行け 川尻しのぶ 143:本当の気持ちと向き合えますか?
110:石作りの海を越えて行け 空条承太郎 143:本当の気持ちと向き合えますか?

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最終更新:2013年06月03日 11:51