鼻折れ天狗のウォーキング・スロウリィ:√0

刻んだ時にしてみれば、実に『116日と6時間と33分……12秒』、だったか。
世界の帝王なにやらが決まったあの瞬間、けたたましく響いた人間の歓声を心に想起してみれば、確かに彼と歩んだ軌跡は、終わってみれば実にその程度の時間だったのだなと記憶している。
その程度……とは言ったが、我々にしてみれば4ヶ月という歳月は決して短くない。
短いようで長かった、我が人生の中で最も充実足りえた4ヶ月だと、今にして思えばそう断言してもいい。
ああ、まさかこの齢にしてこんな女々しい気持ちが芽生えてくるとは。我が事ながら新鮮な体験であり、心底驚いている。
だがそれでも、老いさらばえた背を跨ぐ主亡き今、改めて浮かび上がったこの感情を心に掲げよう。




───そうだ。年甲斐もない告白だが、私はあのジョニィ・ジョースターのことが好きだったのだ。






『スロー・ダンサー』
【1890年9月25日:朝07時06分】 サンディエゴ西海岸


思い返してみるに……私があの青年──ジョニィ・ジョースターを自らの鞍の上に乗せた理由は何だったかな。


『歳取った暴れ馬』との烙印を押され、『性格のイジけた駄馬』と罵られ、人間の馬売りとの間を転々と渡ってきた。
いや、違うか。渡らされてきたのだ。血気盛んだった若き頃ならともかく、歳も取りいよいよ誰にも見放された私は、己の脚で走るという意義をいつしか忘却していた。
私は、走ることをやめていたのだ。諦念の思いも大きかった。
まこと人間とは自分勝手な生き物だ。己の都合で生み出し、勝手な価値観で結果を見限ると、己の都合で手早く切り捨てる。
愚劣で愚鈍なるヒトの小童たちへと、いい加減辟易もしてきた。私はとうとうレースに出ることすら完全にやらなくなった。

もはや天命を迎えるくらいしか、老後の楽しみも無くなってきた頃だったか。
ヒトの噂で、世界最大のレースの祭典が行われると私の耳まで届いた。
別段、レースへの興味など失っている。湧き立つ界隈に心躍らせる歳でもない。
そんな時、私の前に現れたのだ。かつて見たこともないほどの大馬鹿が。


「ちくしょ、お…………ちくしょお……っ! オレは、諦め…ぇ……絶対に、いつ、か……っ」


夢を見るような妄言を絶え絶えに吐き散らしながら、青年は私の鞍にしがみついてきたのだ。
聞こえてきた話だったが、彼はとある不幸な事故で半身を不随とした『ジョニィ・ジョースター』という元天才騎手の人間らしい。
過去の栄光に縋り付いてばかりの男が、今では老馬の背中一つ満足に乗りこなせない。痛覚でも失っているのか、その脚に木片が貫通してなお、暴れる私に必死にしがみつこうとしてきた。
知ったことかと今度は全身を踏み付けてやったが、彼は一向に諦める素振りを見せようともしなかった。

私の気持ちに苛立ちが募る理由は、青年が鬱陶しく思えたからではなかった筈だ。
そうだ。あのとき私は、柄になく激情していたのだ。拒絶していたのだ。
この青年の燻る瞳を覗くことに対し、とてつもなく虫唾が走ったのだ。

とうに衰えた私の精神だ、レースへの栄光など昔日の夢に等しい。まして件の催しは大陸横断レースと聞く。
完走など不可能に決まっていた。私も、そしてこのジョニィなる人間も。
だというに、あろうことかこの出来損ないの人間は、同じく出来損ないへと枯れていくだけだった私を選んだらしい。
不可解と同時に、羨望もあった。似たような境遇でいて、彼には私が失ったかつての気持ちを今も燃やしていたのだから。
人種が違う、どころか生物としての種すらも異なっているこの男の哀れなる姿を、私は自身へと重ねてしまった。
たまらず断絶してしまうというものだろう。なぜ今更になって、こんな男がよりによって私の前に現れたのか。

「回転、の……謎…………絶対に、つきとめて、やる……っ」

まだ諦めない。人間の脆弱な身体なら、死しても不思議でない負傷だ。
……私とて、老馬には老馬なりの矜持がある。長く培ってきた『経験』と『知識』は、レース完走への大きな力にはなるだろう。
だが私には蓄えた力を解放するだけの意志は既に無い。お前がその意志を乗りこなしてくれるとでも?

「……ち、くしょ…………ぜったぃ、に…………諦めねぇ……オレは、もう一度……ッ!」

そうまでしてか、人間の男よ。
………………そうか。そうまでして、再び大地を走りたいかね。

思えば私に足りないモノは、この『希望に突き進んでゆく意志』なのかもしれない。
ならば彼に足りないモノは、私の『意志を成し遂げる為の手段』なのかもしれない。

『意志』と『手段』。
この世に生まれ落ちた生物たちは程度の差はあれ、これら二つのモノを掲げて生長しなければならない。
む……少し違うか。生長するのに不可欠となるモノがこれら二つに値する、ということだけだ。
老輩の戯言だ、一笑に付せればいい。笑われて生きてきたのは、お互い様なのだろう。
馬の私が発するのも滑稽な台詞だが、どこの馬の骨とも分からぬこの底辺人間が、私が乗せる最後の『人間』となるのかもしれない。

少し、気に入ったよ。
お前が意志を達する為の脚を持たぬなら、私がお前の『脚』になってもいい。
その代わりと言っては何だが、お前が私に見せて欲しい。
枯れ果てた私の心に沈んだ───『希望』という、かつての栄華に輝いた光の道を。



そうだな……老体の身で些か気恥ずかしい物言いだが……

───この『物語』はきっと……彼が歩き出す物語となるのだろう。



   『スティール・ボール・ラン・レース』
      ――スタート3時間前――


射命丸文
【真昼】E-4 草原


カポ、カポ、と蹄の鳴らす音だけが耳に入ってくる。軽快とはとても言えないが、小気味の良い響きだった。
それ以外の一切の不協和音は、天の幕より落ちる数多の雫も含めて文の鼓膜には響かない。心にも、響くものはない。
何よりも、雨音など問題にならないほどに不協和音たらしめる声。これを今もっとも拒絶したいというのが彼女の本音であった。


「なあ文よォ。カネ、持ってるかい?」


前方に顔を上げる気力すら残っていない。大統領から何もかも奪われ意気消沈の文は、深く項垂れながら雨の中を往く。
目的らしい目的はあるが、肝心の地点が見定まっていない。いまや彼女らの行路は、跨る老馬の気まぐれに委ねているといった次第だ。
道を後戻りとはなっているが、大統領の向かった北西方面には向かいたくない。かといって、近くに点在する人間の里にも近寄りたくはない。
ホル・ホース曰く、文たちが『隣の世界』に居る間、あの辺りで『雷』が落ちたという。今近づくのは危険かもしれないとの判断だ。
しかしそれでも、あまりに行き当たりばったり。見通しの目処がまるで立っていない、聡明な彼女らしからぬ大雑把なプランだ。
事実、今の文は何も思考していなかった。今にも死にそうな面で、ただただ馬に跨っているのみ。

「あ~……カネっつってもアンタらの土地だと通貨が違うか。“ドル”って分かるかい? まっ、持ってるわけねぇーよなァ」

悲しみに打ちひしがれる女の気持ちを知ってか知らずか。
いや、馬の隣を並行して歩く陽気なこの男が、彼女に起きた惨劇を察していないわけがない。
元気付けようとでもしているのか。さっきからこの男は、こうして馬鹿馬鹿しい世間話を全く途切れさせようとしないのだ。
不快だ、ハッキリ言って。これで女の扱いは心得ていると自負しているらしいのだから、外の世界の人間の女とはどれ程チョロイかが窺える。

「…………さっきから、ちょっとうるさいですよアナタ。持ってたら貸してくれ、とでも言うんですか」

「お! ようやく反応してくれたかい、嬉しいねぇ。で、持ってる?」

「持ってるわけ、ないでしょう」

精一杯の苛立たしい声色を作りながらそう返すと、この男──ホル・ホースの表情は「予想通りだ」といったニヤケ面を形作り、一人勝手に納得した。
その意味不明な反応に文は、流石に視線を彼に移した。バカにしているのか、この人間は。

「まあ念のために訊いといた、ってだけの話さァ。もしお前さんが“コレ”持ってたら、オレ達の関係もちょっとばかし変わる、っつーこった」

人差し指と親指で円を作り、下品な笑みでキラリと歯を見せられた。本当に状況を理解しているのかこの男は?
こんな世界で金など何の意味もありはしない。この期に及んで俗物に走る人間の末路など、碌なものにならないことを文はよく知っている。

「意味ならあるとも」

「……何ですって?」

「理解しちゃいねーのはあんさんの方さ。カネっつーのはな、命と同じくらい……いや! 時にはそれ以上に大事な代物だぜ。
 一押し二金三男ってことわざがある。男が女の愛を得るにはまず何より押しの強さ。次にカネで、最後に男前であること。
 三つの必要不可欠な要素で愛は完成するのさァ。当然オレは三つともコンプリートしてるがね」

「……呆れた。こんな時までナンパですか」

「おうおう勘違いはよくねぇ。雨にしっとり塗れたお前さんは確かに魅力的だが、オレぁ別に男女の仲を説きたくてこんなことわざを引き合いに出したわけじゃねえぜ。
 あくまでオレ達の『信頼関係』を確かめたくて、ちょっと嬢ちゃんの懐事情を訊いただけでさぁ。信頼には色々な形があるワケだ」

「……お金があれば、私はアナタの信頼を勝ち取れるとでも言いたいのですか」

「まあ聞けって。まず別方向からの確認だ。単刀直入に言うぜ」

そう前置きしてホル・ホースは足を止め、同時に馬の手綱を許可無く握った。
停止の意味を理解したスロー・ダンサーは文を乗せたままその場にピタリと止まり、蹄の生み出す軽快な音楽は中断された。

瞬間、今まで陽気に振る舞っていた男の気配が一変する。
何か、文にとっては触れられたくない話題を始めるつもりだ。この冷ややかな空気を、文は直感的にそう受け取って思わず身構える。



「───チルノを殺したのはお前さんだろ」



彼の口から解き放たれた、およそ確信に近い問い掛けの意味を理解するより早く、文はその右腕を豪速とも称せるスピードでホル・ホースへと向けた。
ギャルギャルギャルと、ジョニィの回す爪には程遠くとも、人間ひとり殺傷するに余りある速度だと悟らせる回転音だ。

『牙(タスク)』。ジョニィから文へ受け継がれたとも言えるスタンドだ。
その伝染現象に如何なる意味が、因果が関わっているかは誰にも分からない。分からないが、少なくともこれは現在の文にとって貴重な『殺害・防衛』の手段だ。
裏を返せば諸刃にもなり得るその言い逃れしようのない殺意を、大した考えも中継せずいきなり隣の相手へ発動させる。
平時の文では考えられない迂闊ではあったが、こと今の彼女の精神状態を考えればそれほど不審でもなかろうか。

「……私を、始末でもする気ですか」

「返答は“イエス”と受け取ったぜ」

ホル・ホースの手の中には既に『皇帝』が握られている。銃口の矛先は当然、文だ。
流麗とすら讃えられる彼の鮮やかな手際を以てしても、鴉天狗の先を行くスピードでの速攻とは考えにくい。
同発での早撃ちでは不利。となれば単純に、文がタスクを構える遥か以前から、ホル・ホースは銃を抜き出していただけに過ぎなかった。

男と女が銃を構え、睨みながら対峙する。
画にして説明すれば、それは西部劇のワンシーンを切り抜いただけの、よく見る光景に過ぎない。

「オレがあの寺でお燐と共にお前さんから聞いた話ではこうだ。
 “私たちを襲撃したチルノはジョニィと相打ちになって死んだ” ……そう言ったよな」

「言い訳するつもりは最早ありませんが、どうしようもなかった事態でした。嘘を吐いていたことは謝ります」

どうしようもなかった、と。
文は自分の口から衝いて出たその言葉に、それこそどうしようもない違和感を感じ取る。
本当に、どうしようもなかった事態であろうか。あの時あの瞬間、チルノを灰にせしめんとした自分には、本当に正当防衛に縋った焦りしか存在しなかったのか。
そんなことは自問自答するまでもなく、否定できる。
間違いなくあの時の自分には、他者を焦がすようなドス黒い殺意の炎が渦巻いていたと自覚できる。
ましてやそのチルノを救おうとして飛び出した戦いだけに、否定などしようもない。

確かにあの戦い……チルノの命を摘み取る悲惨な結果は、避けようと思えば避けられた戦いであった筈だ。
過剰防衛、ですらなかった。奪われた仲間の命への弔い、などと綺麗事へ逃げるつもりもない。

言いようのない冷たい感情に心を任せ、負かされ、蒔かれてしまった漆黒の芽。
その芽吹きの犠牲となったのが、かつては何よりも純粋素直な氷精であったチルノだった。

今では心の奥底に鍵を掛けて隠したつもりの『真意』。
それをホル・ホースに見破られた衝動が、更にこんな事態を招いている。
向けた『牙』を、さあ何処に落とし込むか。最悪、この場でまたしても死体が増えるだろう。
勿論ここでの『最悪』とは、文自身が死体になることであるのは言うまでもない。

「勘違いしねーでくれよ。オレは別に『謝れ』だなんて一言も言っちゃいないぜ」

膠着状態もたかが数秒続いたところで、緊張の糸を切るかのようにホル・ホースは軽々しく言った。

「オレがこうして銃を向けてンのは、マトモじゃねえ思考状態のあんさんからうっかり撃ち殺されねえように、だぜ。
 頼むからオレに女を撃たせねえでくれ。これでも一応ポリシーはあんだからよォ」

この軽薄な男にも『女に暴力は振るわない』という、いっぱしの誇りはあるらしい。
その考え自体は文も素直に好感が抱ける類のものだが、今の状況を見ると暴力どころか命すら奪われかねない場面だ。

つまりホル・ホースは、ポリシーに反してでも『撃たねばならない場面』を弁えている、というのが文の悟った彼の本性だ。
少し、見くびっていた。愚かで逃げ癖のある女好き、という彼への評価を改める必要がある。


コイツはいざとなれば、迷わず『撃つ』。
女であろうが何であろうが、撃つべき場所は決して見誤らない。
ある意味ではジョニィ・ジョースターと同種とも言える。何と皮肉な星の巡りか。


「そう、ですね……。私も少し、動転しました。……銃を下ろして頂けますか?」

「…………下ろすのはそっちからだ」


イニシアチブを握るのはあくまでオレだ。そう言わんばかりの、静かで強い口調が滲み出ていた。
やはりコイツは用心深い。一旦敵意を見せてしまえば、決して隙は作らない男だ。実に食えない人間だった。
ほんの少しの逡巡を見せ、文は警戒しながらも渋々と構えたタスクを取り下げる。


ホル・ホースの『皇帝』は、それでも構えられたままだった。


「いや、早くそれ下げてくださいよ。さっきはついタスクを向けてしまいましたが、私は別にあなたを害するつもりはない……」
「お前さんがオレに対して本当に敵意が無いのか。それを判断するのはオレだ」


その眼光はいやに鋭い。まるで獣だ。
文がホル・ホースにタスクを向けたのは謂わば突発的。動揺からの行為だった。
対して彼が銃を構える理由とは、文の殺意を嗅ぎ取ったから、というだけの理由ではないのか?
コイツ、決して『受身』で銃を構えたわけではない……!と、文は自分が今、想像以上に崖際に立たされていることを思い知る。

文が大統領に完全敗北した直後のホル・ホースの態度はといえば、それはそれは心優しい紳士であった。
必要以上に踏み込まず、傷心の文を気遣う素振りも見せてくれた。彼がことあるごとに抜かしていた“オレはモテる宣言”もあながち嘘八百ではないのかもしれない。
その時とはまるで別人の男が、今こうして自分に銃を構えている。その理由に文は思い至る節あれど、疑問を抑えられずにいられない。

何か、重大な失言でもしてしまったのか。
女は見捨てない、女の嘘は許すとまで掛けてくれた男が、何故?
それとも心変わりか。所詮は欲深い人間の男だ。保身に走るあまり、弱体化した惨めな妖怪は使えないと判断してしまったのか。


(なるほど……賢い、わね。……賢いわよ、あなた。会ったばかりの私のことをよく理解してるわ。……私よりも)


だとしたらホル・ホースの行いは限りなく正解である。
チルノを殺害し、こいしやお燐をも狙い、数多もの嘘まで吐いた情緒不安定な危険人物が今こうして、見るも無残な弱々しい姿を大っぴらにしている。
どう見たって彼にとっては足手まとい、だけならまだマシ。どころかいつ背中を撃たれるかも分からないような危険な存在と化している。

こんな女を、それでも助けようだなんて。
そんな男が、参加者の中にいる訳がない。

(ジョニィさんなら……『撃って』いたのかな)

またもや頭を過ぎる影は、故人となってしまった男の背中。
未練がましいのは重々承知の上で、けれども執拗に靄をかけてくるその影を払拭できないのは私の未熟さゆえだろう。
すかさず想像してしまう。私の脳内に浮かぶ『ジョニィ・ジョースター』なら、今の私を果たして『撃つ』か『撃たない』か。
現状のホル・ホースの立場があのジョニィだったなら、果たして今の私はどう映っている?


───『君の言うとおり彼女は操られているだけだとしたら、自分の意思なんてなくて、誰かに道具のように使われているだけだとしたら。
   僕は助けたい。再び彼女に自分の意思で歩かせてやりたい』


正気を失ったチルノに対してこんな聖人のような台詞を掛けることが出来た、あのジョニィだったなら。
今の私は、どう映っている?
空を羽ばたくことも出来なくなった今の私は、自分の意思で歩けているの?
ズタボロに切り裂かれた精神が独りでに浮遊し、何処とも向かない方向へ勝手に暴走しかけているだけではないの?

『意思』……違う。
『意志』だけが、確かに私の心には存在していて。
けれどもその意志を成し遂げるだけの『手段』を見失っている。
手段がなければ、裸にひん剥かれた意志のみが、到達すべき地点を見据えること叶わずに暴走に果てる。
かつてのジョニィにとっての『手段』が、話に出てきた『ジャイロ・ツェペリ』だったとしたなら。

(ジョニィさんなら……きっと『ジャイロ』さんのように在りたいと願うでしょう)

そして己の意志で立ち上がることの出来たジョニィなら……『ゼロ』から『プラス』へと前進し始めたジョニィなら……
きっと彼は、『マイナス』で立ち止まってしまった今の射命丸文にもこう語るだろう。


『君はすでに答を掴んでいる。大空へ羽ばたこうとする意志を持つなら何故それを使わない?』


あっけらかんとした笑みで、歯を白く光らせながらそんな台詞を吐いてくれるのだ。


「……ホル・ホースさん。私は、ジャイロさんにお会いしたいだけです。確かに貴方には色々なことを隠していました。
 ご迷惑をお掛けしたのは事実でしょうし、これからも掛けるかもしれません。貴方が銃を構える理由とは、私の不逞が原因ですか?」

「お前さんの心に『敵意』があるかどうかを判断するのはオレだが、お前さんを『撃つ』かどうかを判断するのはオレじゃあねぇー」

「……仰ってる意味を図りかねますが」

「まあ聞けや。オレのスタンド『皇帝』は銃型のスタンドだ。ここに弾丸を『6発』込める部位があるだろ? 『シリンダー』ってんだけどよォ」


文の警戒を解すように、突然に自分のスタンド説明を始めだしたホル・ホース。
幻想郷在住の文にとってみれば外界の武器など全てが新鮮。これが常の幻想郷であれば早速とカメラをカシャカシャしていたことだろう。
無論、現在の幻想郷は緊急事態の渦中にある。興味がなくもないが、この話が一体何処に着地するのかが文にはサッパリ分からない。

「さて、この部分に『1発』だけ弾丸を込めてェ~……シリンダーを回転させる。こんな具合にな」

実に手際よく、ホル・ホースの手に収まった拳銃のシリンダーがカラカラと音を立てながら回転する。
いずれ止まったシリンダーを外から見ても、果たして6つある弾倉の内、どの弾倉に銃弾が込められているか。これでは分からない。

何か、何となく……この男が何をやろうとしているのかが分かってきた。

「この状態でトリガーを引けば6分の1の確率で弾が発射されるって寸法よ。こいつをオレらの世界で『ロシアン・ルーレット』という」

「何を……言っているのです」

「オレはな、文よォ。何度も言うが、別にお前さんが隠してる事実を必要以上に詮索する気はこれっぽっちもねェー。
 チルノを殺したァ? それがどうしたぃ、オレも金の為に何十人も殺している。
 遺体を隠してたァ? オレなら隠さず、とっとと売っ払って金に変えちまうね。
 オレを騙してたァ? 悲しい事実だが、オレも世界中の女達に嘘を吐いている。」

一つ一つの例を出す度に、ホル・ホースは銃を握っていない方の手の指を順に折っていく。
この男も随分と沢山の嘘を振り撒いてきた人生らしいが、どうやら自分の欲望にだけは正直な男なのは確かだった。
彼は己に対してだけは嘘を吐かない。それは確固たる『信念』があるからなのだろう。
自分に嘘を吐くということは、心の芯に建てた矜持を自ら否定することと同義。それでは最早、信念とは言えない。

ホル・ホースに対し、自分はどうか。
信念などどこ吹く風という具合で、吹かすのは威風ばかり。風を操る天狗様がこれでは、いずれ吹くのは風でなく一泡だ。
嘘で誤魔化し、誇張で体裁を立てる。『文々。新聞』が纏う悪名の源流とは、まさに自分のこの信念の無さが一因なのではないか。
そうだ。保身のあまり己の心にまで嘘を纏い、グラつく白と黒の狭間で未だ信念など見出せず、ついには全ての殻を剥がされた。
唯一にして全であった、千年の歴史を誇る鴉天狗という『象徴』と『プライド』すらも完膚なきまで奪われた今、


(───こんな私に、どこまで生きてる価値があるっていうの)


口に出すのだけは何とか押し留めたその言葉の重みを、じっくりと噛み締めていく。
ジョニィから受け継いだナニカを背負うだけ背負って、圧し潰されるは我が心の芯の無さゆえ。
大黒柱が、足りなかった。一本の強い、力強い柱を失ったがゆえの、自虐めいた負荷。
精神が資本の妖怪達にとって、非常に危機的な状況。己の価値観を奪われた妖怪は、遠からず消滅する。
決して大袈裟な言い方ではなく……今、射命丸文という妖怪は、滅亡の瀬戸際に直面している。
これが大統領の狙いなのかも、とすら思えてくる。直接的な手段を取らず、遠回しに、しかし極大かつ致命的な方法で、そのうえ博麗の巫女との契約には反せず、邪魔者でしかなかった射命丸文を結果的に排除寸前まで追い詰めているのだから。


「───ぃ、おいったらよォ。聞いてんのか文?」


急速に渦が巻く頭の中に、男の声が侵入を果たす。
自嘲気味へと変貌しつつあるこの暗い気持ちは──かなり言い掛かりに近しいが──ホル・ホースが一因でもある。
大した力を持っているわけでもない、ともすれば俗的とも言えるこの男と今の自分をどうしても比較してしまうのだ。
卑小で矮小だの、陰鬱で悪辣だのと、後ろ向きな感情に支配された自分から見れば、彼という楽天的な性は眩しく見えてしまうというもの。

「……聞いてますよ。で、そのロシアン何やらがどうしたと言うのです」

そう言う文だが、この先ホル・ホースが何をやらせようとするのか。腐っても利口である彼女には見当が付く。

「こういう事はあまり自分で言うべきじゃねえっつーのは分かってるが、オレは女の嘘に対しては寛容なつもりだ。
 だが……だがな、よく聞きなよ。オレは女を利用したりもする、が……女がオレを利用するのは我慢ならねえ性質なのさ」

一層に鋭く変化する男の双眸。その内には『男のプライド』という奴があるのだろう。
女である文に男の世界など理解しようもない。だが彼に嘘を吐き、利用しようとしていた事実はホル・ホースにとって軽く流せる些事でもない。
吐かれた嘘を『許す』ことと『受け止める』ことは、一見軽い性格のこの男にとってはまた重大かつ別問題であるらしかった。
なにせチルノを殺害したことが感付かれている今、文の嘘の全てを優しく受け入れるなんて聖人行為は逆に自分の首を絞めかねない。
一線を弁えている男だ。意外と小賢しいというか、卓越した判断力は評するべき点だった。

「そこでオレはアンタと『禊』を交わすことにした。オレなりの、というよりかはアンタなりの儀式とも言える」

「……禊?」

「そうとも。アンタは自分の身を守るためとはいえ、オレにあらゆる嘘を吐いている筈だ。
 この嘘を『全て許す』と軽々しく受け止め、半端に優しい気持ちでこの先行動を共にするのもお互いモヤモヤしちまう。
 だったら自分の吐いた嘘は、自分で責任取るしかねえじゃねえか。文、この『皇帝』を握ってみな」

そう言いながら手渡される『皇帝(エンペラー)』をじっと見つめる。
スタンドはスタンド使い以外には触れないのでは、と言おうとした所で、そういえば今は自分もスタンド使いだったことを思い出す。

震える腕で、文はホル・ホースから『皇帝』を受け取った。自分には似つかわしくない大仰な名だな、と……ネガティブ思考が文の判断力を邪魔する。


「そいつをテメェのドタマ向けて一度だけ、トリガーを引きな。6分の5の確率でアンタは生存できる。
 ただし! 運の女神サマに見放されてりゃあ……」


その先の台詞をホル・ホースは紡がない。言葉は、必要としないのだ。
ドロドロに黒く濁ったコールタールのような、只々不快感を募らせているだけの思考の重量が、皇帝の重みと共に一層増してくる。
この気持ちの悪い感情を一秒でも早く消し去りたい、スッキリさせたいと、そんな文を見かねたホル・ホースなりの儀式。

そいつがこの、禊。

「……トリガーを引いて、私が生き残ったらアナタは何をしてくれるのですか」

「別に? なんも」

馬鹿げてる。
必ずしも必要な工程ではない。寧ろ、何のメリットがあってわざわざ6分の1での死を受諾するのか。
その意味する所を理解できぬ文ではなく、察して然るべき男の行為だろう。彼なりの優しさ、といった所だろうか。
余計なお世話だ、これ以上私を惨めな気持ちにする気か、と思う反面、次は二度と無いだろうチャンスであることも理解できている。

この引き金を引いた時、男からの『信頼』は確固たる鎖となる。
弾倉に込められた一発の弾丸は、自業自得とも言える粛清するべき『嘘』の弾丸。たった一発の嘘が鉛毒と化し、この身体に深く、永く残って文を苦しめるだろう。
罪悪感などではない。巡り巡って自身に牙を剥く、一種の呪いに似た嘘。その呪いを解呪してやろうとホル・ホースは回りくどい手段で持ち掛けているのだろう。

払う対価は己の勇気。賭けるモノは己の命。
呪いのルーレットに勝利した時、身体にこびり付いた錆びは幾分か剥がれ、また男の信頼も勝ち取れるのだろう。
精神的な話になる。理屈では決して納得できない、文自身の白黒を傾ける己との勝負だ。

チラリと、目前のカウボーイを覗くように窺う。
何も言ってはくれないその口だったが、目は口ほどにモノを言うとは今の状況を指す言葉だろう。
如実に語るその双眸は、文の虚ろなる瞳を外れない。真っ直ぐに見据えながら、文の決断を待つのみ。
決断というのは、この禊を『受ける』か『受けない』かというもの。
強制ではない。拒否権があるのだ、此度の儀式は。命を惜しみ、例え受けずともホル・ホースは何も言わず、女である自分の為に手を貸してくれるだろう。
その関係は大きく変わることはない。やはり理屈のみで考えれば、こんな禊とやらはどこまでも馬鹿げた行為に他ならない。

是非もない。拒否して当然。
だが……恩賞や損失の取捨選択、打算などでは計れない価値が、この禊の先に齎される気がしてならない。
此処に立つのは『マイナス』の上の射命丸文だ。此処から先、更なるマイナスへの転落は、もはや己の『死』しか在り得ない。
少しでも『ゼロ』へと近づくため……公算の大きいこの可能性に賭けるメリットはどれほどの価値となるのか。
危惧すべきはその『マイナス』というのが、死でしかない点についてのみ。

……そうだ。この禊は『一歩』を賭けて行う儀式なのだ。
勝てばほんの一歩だけ、『ゼロ』へと近づける。
負ければ、また一歩……後退する。更なる『マイナス』───『死』へと、転落する。

死───片翼をもがれ、妖怪の威厳を剥がされた自分はもう……死んでいるようなものではないのか?
いっそ楽になりたいという気持ちはゼロではない。ここまでボロボロの精神体へ堕とされたのだ、死して彼岸へ渡ることが『楽』への一番の近道なのではないのか?

カチャリと、トリガーに指を掛ける。

もう…………『近道』を進むのも苦ですらない。わざわざ『遠回り』を選ぶ必要なんて……無いのかもしれない。

『生きる』とか『死ぬ』とか……誰が『正義』で、誰が『悪』だなんて、どうだっていいじゃないか。


そう、思ってしまえば……この引き金も随分と軽く感じる。



たかが『6分の1』……大丈夫、成功すれば儲けモノ。外せば……いや、“当たって”しまえば、それはそれで楽になれる。




在って無いようなリスクかもしれない。だとすれば……もう決断する必要も…………ない。





心臓を鷲掴みにされるような心苦しさは、いつの間にか消えていた。かいていた汗も、ピタリと止まっている。






ゆっくりと、ナニカに促されるように、手の中の皇帝をこめかみに当てる。







雨音も、心臓の鼓動音も、風の薙ぐ音も、世界から抜け去っていく。








冷たいトリガーの側面が、銃口の矛先が、皮膚を伝わって骨の髄まで透き通る。









指先に力を込めつつ、それと同時にまたしても一人の男の姿が脳裏に現れ、囁いた。










──────『心が迷っているなら、射命丸文…………撃つのはやめるんだ。それじゃあ新しい道は開かれない』











私が“撃つべき”場所…………私が歩むべき道とは。












灰色で空白だった私の世界に、甲高い音が響いて…………私の膝はくたりと崩れ折れた。













▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

『スロー・ダンサー』
【1890年12月28日:夕方16時30分】 フィラデルフィア市街


「なあ…ジャイロ……! さっきぼくの脚が動いたんだ……」


私からしてみれば、青臭い少年であった。
青春から大人へと。少年はいつしか『男』へと生長したように、私には見えた。
彼───ジョニィ・ジョースターを乗せて長らく続けてきた旅も、もうすぐ終幕を迎えるのだと思うと……どうにも込み上げるモノがある。
年のせいだろうか。たかだか数ヶ月の旅であったが、どれもこれもの過去がその当時に立ち返って懐かしく思い出されるのだ。
それら全てに私なりの想いがあり、感慨を断ち切ることは出来ない。


「脚が動いて……み……見てくれ……移動できたんだ……み……見てくれよ、動いたんだ!」


ここは8th Stage。全ての始まりとなったあのビーチから随分と遠くまで走ってきたものだ。
自分で自分を褒めてやりたい。老体でありながら、まだここまでの無茶が出来たとは我ながら驚いている。
それもむべなるかな。私とて、一人の『友』がいなければ恐らくここまでは来れまい。
友というのも如何せん、年齢が開きすぎている気はするが、とにかく今も私の隣でふてぶてしく立っている男だった。

彼の名を『ヴァルキリー』という。
無骨で荒々しい、一匹狼のような男だった。馬だが。
主人にジャイロ・ツェペリという頼れる友が居たように、私にも友が出来たようだ。
お世辞にも友好関係の幅広いとは言えない私だったが、この大陸横断レースの中で友情を育んだのはどうやら主人だけではなかったらしい。

まったく……生きてみるものだ。


「み……見てくれ…………見てくれよォォォ~~~~ッ!!」


主人の動かなかったはずの脚が、次第に次第に立ち上がろうとする光景が私たちの目前で広がった。
さながら産まれたての仔馬のようである、と言ったら水を差すことになるだろう。
もちろん彼がこのまま己の脚のみで歩けるようになることは、何より喜ぶべき事柄だ。
しかし正直な所、私はこの光景を見て感動すら覚える傍ら……ほんの少し、良くない感情も生まれていた。

───このまま主人が歩くこともなければ、私はもう少しの間……彼を乗せて大地を走れるのではないか、と。

馬鹿な、と首をブンブン振って霧散させる。
それは『光』を一直線に見据えて歩んできた主人への──ジョニィへの冒涜。彼の人生への否定に過ぎない。


「くそッ! もう少しだッ! くそッ! あとほんの少しなんだッ! どうしても遺体を手に入れたいッ!
 『生きる』とか『死ぬ』とか、誰が『正義』で誰が『悪』だなんてどうでもいいッ!!
 『遺体』が聖人だなんて事も、ぼくにはどうだっていいんだッ!!」


魂の叫びであった。
とうとう主人の膝はくたりと崩れ折れ、大地に屈した。
男が心底から上げ放つ究極の本音は、私の感情を大きく揺らす。先ほどの馬鹿げた感情を生んだ自分が、とてつもなく恥ずかしく感じた。


「ぼくはまだ『マイナス』なんだッ! 『ゼロ』に向かって行きたいッ!
 『遺体』を手に入れて自分の『マイナス』を『ゼロ』に戻したいだけだッ!!
 くそッくそォーーッ! こんな事なら遺体なんて最初から知らなければ良かったッ! あとほんの! ほんの少しなのにッ!!」


地面に幾度とも拳を打ちつける主人の姿を、私はいよいよ見ていられずに目を背けてしまう。
希望を、確かに見える希望の光を、ずっと見据えて此処まで走ってきた筈だ。
全てを剥がされた男が、最後の光として腕を伸ばした、希望という名の『遺体』。目前にまで近づけたその光を、寸での所で取り零す。

これを絶望と言わずして何と称する。
これが敗北者と言わずして何なのだ。
6,400kmもの距離を走ってきた路(ロード)の末が、この仕打ちか。
レースの主催者はこのSBRについて、こんな事を宣っていた。

『真の『失敗』とはッ! 開拓の心を忘れ! 困難に挑戦する事に“無縁のところにいる者たちの事をいうのだッ”!
 このレースに失敗なんか存在しないッ! 存在するのは冒険者だけだッ!』

馬である私の心にすら響くものがあった。しかし彼の言を借りるならば、今まさに敗北しようとしているジョニィの存在とは何なのだ?
無謀ともいえるこのレースに希望を見出して此処まで来れたジョニィは、『成功者』か『失敗者』か。

私に言わせれば……このままだとジョニィは『敗北者』で終わるだろう。
マイナスに立つこの人間の苦しむ姿を見て、どこが成功者だと言えるのか。
SBRレースが彼に齎したのは奇跡なのではない。誰しもが直面するような冷たい『現実』。

ジョニィの旅は、ジョニィは、こうしてただの凡夫として結末を迎える。
何もかも、中途半端な旅だった。



「───馬の鞍の『鐙』が発明されたのは…………11世紀だ」



今まで黙して語らなかったジャイロが、途端に口を開いた。
絶望していた主人も私も、思わずその声に導かれ顔を上げる。

「知ってるか?“なんと”11世紀! ……それまではこの体重を支える『鐙』なんてなく、人類は鞍だけで馬に乗っていたんだ。ケツだけで足をブラブラさせてな」

“導く者”ジャイロ。彼が語る内容は実に興味深く、それでいて俄かには信じ難い伝承だった。
曰く、『中世の騎士』が活用したと言われる『鐙』こそが、馬から人間の下半身へと伝わる螺旋の回転技術こそが、無敵のパワーを得ると。

「ツェペリ一族の伝承によると、それに馬のパワーを『鐙』から加える技術がある!
 お前さんがもし『鐙』に両脚を踏ん張っていられるなら……ジョニィ。もし馬から得たその『回転』エネルギーを生み出せたなら…………
 大統領の未知のスタンド能力に立ち向かえるチャンスはあるかもしれない」

「『馬』からパワーを得る…どんな回転だ? そ…その回転エネルギーでどんな事が起こるんだ?」

「オレは“チャンスがある”と言っただけだ。今の話、どこにも何ひとつ確実な事はない。
 オレは今まで一度も馬のパワーを利用して鉄球を使った事はないし、父上がやってるところを見た事もない……
 本当にそんな『回転』があるかどうか“さえ”もだ…。何ひとつわからない。ツェペリ一族の遠い先祖からの伝承に過ぎないんだ。
 ツェペリ一族は処刑執行官であって『騎兵』じゃあないんだからな」

馬からパワーを得る……伝説の『回転』……?
長く生きた私だって聞いたことさえない伝承だ。果たしてそんなパワーとやらが本当に実在するのか……?

やってみるしかあるまい。もしもそんなモノがあったとして、ジョニィが再び立ち上がれるというのなら……
私自身のパワーを『力』としてジョニィに授け、あのヴァレンタインに打ち勝てるというのなら……

最後の最後まで、助力を惜しまん。
私は、ジョニィの……『脚』なのだからな。



「ジョースター家は馬乗りの家系だ」

「だから説明したッ! おそらく回せるのは『馬乗り』だけだッ!」



戦おう。私も君と共に、『ゼロ』へと目指そう。───ジョニィ・ジョースター。
私自身が『良い』と思うように走らせてくれ。
私自身が草の上を自然体で走って喜ぶように……
私自身が……この大地と空の下に生まれてきた事を……ジョニィと出逢えた事を感謝するように……


そしてこのレースを終え……歩き終えた彼がどこに到達するかを───見届けよう。


「…………ありがとう。すぐに傷の手当てをして欲しい……ジャイロ。すぐに! 傷は完治しなくても……馬に乗りたい……」


本当に驚き入る。舌を巻く思いだ、この御主人のどこまでも一貫した強固な意志と行動力は。
大ダメージを負った彼は、それでも止まらない。死ぬまで歩みを止めないのではないかとすら思えてくる。


「ぼくのスロー・ダンサー。よくぞ…ここまで走って来た、初老の馬よ……
 もう少し……あとほんの少しの間だけ、このぼくの我が侭に付き合ってくれ。ぼくに君の力を貸してくれ」


当然だ……気高き人間の男(オス)よ。
君の目指す『ゼロ』へのルート……その最後の地点へと、私が必ず導くと約束する。



   『スティール・ボール・ラン・レース』
    ――8th Stage 決戦前の出来事――


『射命丸文』
【真昼】E-4 草原




「ヒヒン! ブルッ ブルッ!」

「………………ッ!」




灰色で空白だった世界に、スロー・ダンサーの甲高い鳴き声と、蹄を蹴り上げる音だけが響き渡った。
突然なる暴れ馬の様相に、引き金を引く直前であった文は驚き、膝をくたりと崩れ折ってしまった。
まるで文の凶行を塞き止めるかのようなスロー・ダンサーの猛りに、傍で見ていたホル・ホースはギョッと目を丸くする。



「──────撃てま、せん……っ!」



両肩を抱き、膝を折って小刻みに震える文は、まるで生まれたての雛鳥が如き、か弱い存在感。
ドサリと、その小さな手の中から皇帝が音を立てて零れ落ちる。


「むり……無理です……っ! だって私は『弱い』から! 臆病だから!
 自分の吐いた『嘘』に、対価は払えないから! 決断するのが、怖いんです!
 一人で歩いて行くのが怖い! 一歩を踏み出すのが怖い! 自分の歩く道が何処に繋がっているか、それを思うとたまらなく怖い!
 自分勝手で、卑怯者だって、自分では理解してても……! それ、でも…………っ!」



「───死にたく、ない、の……っ!」



そこに居るのは、一人の少女であった。
打算に逃げず、蓑に隠れず、『死』を目前にしてしまった少女の正真正銘、偽りなき魂の叫び。

ここで初めてホル・ホースは、射命丸文という少女の本質を垣間見た気がした。
幻想郷という隔離された世界で生きてきた鴉天狗なる妖怪。社会を形成し、融通の利かない周囲に溶け込み、彼女もまた社会を形成する歯車の一部となった。
新聞記者という職もまた、彼女の自由を束縛させる大きな一因であったのかもしれない。
いつしか彼女は自分を隠して生きることが常となった。己の力を見せびらかさない種の特性も、彼女の生き方を形成する起因の一つだ。
傍目には高圧的にも見える態度の裏側に、彼女本来が持つ心の弱さが隠れていることを知る者は誰も居ない。

誰も、居なかった。
今の、今までは。


「……そうかい。死にたくねえかい」

「……ぅ……ぅあ……!」


泥に落ちた皇帝をゆっくりと拾い上げ、ホル・ホースは自分の意思で皇帝を消した。
これはもう必要ねえ。そんな小さな独り言が、彼の唇から零れ落ちた。



「……“死にたくねえ”。その言葉を、聞きたかったのよ」

「………………え?」

「ネタばらしすっとな、もしお前さんが引き金を引いていたなら……オレはほんの少し、軽蔑してただろう。“当たり”を引こうと引くまいと。
 さっきまでのお前さんの瞳は、死を覚悟した者の強い眼じゃねえ。死を受け入れてもいいとかいう、最低最悪な弱者の眼をしてたからな」


言われて思い返せば、震えは一層留まらない。
確かにあの時、文は「いっそ死んでもいい」などという恐ろしい諦観思念に屈していた。

「無論、見捨てようとまでは思っちゃいなかったが……そんな気持ちで生を獲得した所で、近い内にまた必ず同じような場面に遭遇するだろう。
 そんな時……死を受け入れたままのお前さんを、オレは再び見捨てねえとも限らねえ。結局の所、一番大事なのはてめえの命だからな」

男は今、言った。“再び”、と確かに。
一度目に女を見捨てた場面が彼の脳に否応なく蘇る。
男として、そんな恥ずべき告白をさせているのだろうかと文は思う。彼の最も触れられたくない過去を喋らせているのだから。

「だからこその『禊』だったのよ。たかだか6分の1での死を、それでもお前さんは受け入れられなかった。結局はな。
 “死にたくない” ……結構なことじゃねえか。誰だって死にたかねえんだ。勝てば大金が貰えるギャンブルでもねえ」

「ホル・ホースさん…………でも、私は……チルノさんを殺して……貴方も騙したりして……」

「あーあー言わなくていいってばよォ。それはもういいんだ。いや、チルノちゃんとやらには気の毒だが。
 とにかく! お前さんの中にまだ『生きたい』って気持ちが残っていることが知りたかっただけさ。
 それさえありゃあ、前には進める。一人で歩いて行くのが怖い、ってさっき言ったよな?
 だからオレが居るんじゃあねーの! もう少しよォ、男を信用しやがれってんだ」

「…………」

「遠回りしていこうじゃねえか。辿り着けるかわからねえ、何処に在るかもわからねえ『光』の道でもよォ……
 一歩ずつ歩いてきゃあ……いつかはテメエで『納得』できるゴールってのが、見えてくるっつーもんよ。……だろ?」

「…………そう、でしょうか」

ニヒルな笑みでニカッと笑い、ホル・ホースは立ち上がる。
話はこれで終いだとでも言わんばかりの姿勢で、崩れたままの文の手を取りそのまま引き上げた。


ふと、事の起こるキッカケの話題を文は思い出し、その疑問を投げつけてみることにした。


「そういえば、ホル・ホースさん。私がお金持ってたらどうするつもりだったんです?」

「ん~? そりゃおめえ、護衛料よ。カネさえありゃあ、ボディーガードくらいはやってあげてもいいっつー確認さ」

「……なるほど。貴方を雇えば、私たちは『仕事の関係』ってやつになると」

「それが一番手っ取り早いオレなりの『信頼確認』の方法だったんだがね。カネが無いってんなら別の手段とるしかねーようだからなあ」


文は納得がいったと同時に、彼の人間性もよく理解できた。
金で作り上げた信頼と、本音を吐き出して出来上がった今の自分らの信頼は、同じではない筈だ。
成る程、『禊』とはよくぞ言ったものだ。少しだが、文の中で悪い憑き物が洗浄されたような気がした。
未だ自分の中で『信念』は生まれてこない。白黒(モノクロ)の境界線に立つ、灰色の心のままだ。
それは恐らく、大別してしまえばこのホル・ホースも同じような地点にいるのではないかと思う。
彼は黒でも白でもない。挫折したりもするが、どちらにも染まらず飄々と気ままに歩く風来坊だ。

羨ましいと思う。心から。

何もかも奪われた自分は、この後どこへ歩けばいいのか。
形骸化され尽くした、外殻だけは立派なハリボテのプライドだった。一見、マイペースな流浪民のホル・ホースとはまるで逆。

天狗の鼻折れ、我らの名折れ。そこへ直れと座ることも拒絶し、だからといって立ち直れもしない。それでも右に倣うは種の性質か。
所詮、天狗社会など誰かの真似事しか出来ない倣い倣いの歴史。強者に頭を下げ、弱者の足元を見てばかり。首も疲れる一方だ。
そこを言うと、このホル・ホースなる人間は何から何まで文とは真逆だった。いや、“似て非なる”という言葉の方が適切かもしれない。
短時間の付き合いで分かったこともあるが、彼は何というか……他人を見下したりしないのだ。
自分を下げ、相手を持ち上げる。そのうえで己の力量には一定の自信を保ち、かつ相手の能力を120%引き立てる。
この「相手を尊重する」「見下さない」というのが中々どうして難しい。何しろこの幻想郷で考えれば、彼のようなタイプは人妖問わず珍しいとも言えた。
スタンド使いから見ても同じだった。およそ多くのスタンド使いは己の能力に増長し、他者を見下す傾向にある。
しかしホル・ホースはそれをしない。一番よりNo.2が彼の人生哲学なのだった。
身近な者で例えるなら……博麗の巫女、くらいではなかろうか。彼女も誰に対して平等に接し、妖怪であろうと見下したりはしなかった。
他はどいつもこいつも自分がナンバーワンだと疑っていない自信家ばかり。


「ほらとっとと行くぞ文。早く馬に乗りな」


急かすように先を進むホル・ホース。私はその時、何となく思いました。
女には優しいと宣言する彼が、6分の1とはいえそんな危ない橋を、私だけに一方的に渡らせるでしょうか?……って。


「ホル・ホースさん。……さっきの『皇帝』って───本当に弾倉の中に、『弾』はあったんですか?」


弾丸とはいえ、スタンドはスタンド。弾倉の中で消すも現すも、使い手である彼の自由。
特に確証なんてありはしないけど……彼ならきっと、万に一つも私が死ぬような弾丸なんて、残さなかったんじゃないかなって。


「あ~~? ンなもん、当たりめえだろーが。……さ、早く行こうぜジャイロを捜しによォ~」


私はふと、そんな気がしたのです。



「…………ホル・ホースさんの、嘘つき」



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

【E-4 草原/真昼】

【射命丸文@東方風神録】
[状態]:漆黒の意思、疲労(大)、胸に銃痕(浅い)、服と前進に浅い切り傷、片翼、濡れている、牙(タスク)Act.1に覚醒?
[装備]:スローダンサー@ジョジョ第7部
[道具]:なし
[思考・状況]
基本行動方針:ゼロに向かって“生きたい”。マイナスを帳消しにしたい。
1:ジャイロを探す。会って、話を聞きたい。
2:遺体を奪い返して揃え、失った『誇り』を取り戻したい。
3:ホル・ホースをもっと観察して『人間』を見極める。
4:幽々子に会ったら、参加者の魂の状態について訊いてみたい。
5:DIO、柱の男は要警戒。ヴァレンタインは殺す。
6:露伴にはもう会いたくない。
[備考]
※参戦時期は東方神霊廟以降です。
※文、ジョニィから呼び出された場所と時代、および参加者の情報を得ています。
※参加者は幻想郷の者とジョースター家に縁のある者で構成されていると考えています。
火焔猫燐と情報を交換しました。
※ジョニィから大統領の能力の概要、SBRレースでやってきた行いについて断片的に聞いています。
※右の翼を失いました。現在は左の翼だけなので、思うように飛行も出来ません。しかし、腐っても鴉天狗。慣れればそれなりに使い物にはなるかもしれません。


【ホル・ホース@第3部 スターダストクルセイダース】
[状態]:鼻骨折、顔面骨折、疲労(小)、濡れている
[装備]:なし
[道具]:不明支給品(確認済み)、基本支給品×2(一つは響子のもの)、スレッジハンマー(エニグマの紙に戻してある)
[思考・状況]
基本行動方針:とにかく生き残る。
1:本音を引き出せた文のために、ジャイロを探さなくっちゃあな。
2:響子を死なせたことを後悔。 最期の望みを叶えることでケリをつける。
3:響子の望み通り白蓮を探して謝る。協力して寅丸星を正気に戻す。
4:あのイカレたターミネーターみてーな軍人(シュトロハイム)とは二度と会いたくねー。
5:誰かを殺すとしても直接戦闘は極力避ける。漁父の利か暗殺を狙う。
6:使えるものは何でも利用するが、女を傷つけるのは主義に反する。とはいえ、場合によってはやむを得ない…か?
7:DIOとの接触は出来れば避けたいが、確実な勝機があれば隙を突いて殺したい。
8:あのガキ(ドッピオ)は使えそうだったが……ま、縁がなかったな。
9:大統領は敵らしい。遺体のことも気になる。教えてもらいたい。
[備考]
※参戦時期はDIOの暗殺を目論み背後から引き金を引いた直後です。
※白蓮の容姿に関して、響子から聞いた程度の知識しかありません。
空条承太郎とは正直あまり会いたくないが、何とかして取り入ろうと考えています。




ついぞ先ほど、放送とやらで我が主の名前が呼ばれた。
私の居ない所でジョニィは、死んだのだという。正直、未だに実感が湧かない。
志半ばで、といった最期だったのだろうか。およそ彼らしくもない。

ここ(幻想郷)は……嫌な匂いが漂う土地だ。野生とは無縁の環境で生きてきた騎馬である私をして、否応にも五感に漂ってくる刺激臭。
“死”の匂いだ。
私はこの場所で、何を行えばいい? 誰を走らせればいい?
ロクな説明も無く、突然とこんな場所にまで連れて来られた。年齢が年齢なのだから、もう少し丁重に扱えないのか人間は。
もしや我が友ヴァルキリーもこの場所に居るのか? あのヴァレンタインなる輩に(なぜ生きている?)頭を垂れる気もしなかった。

そんな最中に出会ったこの小娘──人間ではないらしい──に、どこかあのジョニィの瞳と同じモノを感じた。
体が勝手に動いた、というのはもはや言い訳だ。『マイナス』にまで突き落とされた小娘の涙を見て、またも心が突き動かされたのだから。
隣にはあのジャイロにもよく似た身形のカウボーイ。陳腐な表現だが……『運命』、という力が働いているのかもしれない。

やれやれ…………射命丸文と言ったか、この女(メス)は。
元主人ほどの強靭な意志を持ち合わせているワケではなさそうだ。それが余計な老婆心を引き出してしまった。
女を乗せるのは人生で二度目だ(一度目は確かルーシー、とか言ったか)。つくづく厄介事に巻き込まれやすい性質だと、我ながら呆れ返る。
ジョニィと同じ瞳だとは言ったが、やはりこの小娘はジョニィとは違う。絶対的に、違う。

もしジョニィが彼女の立場だったなら、先の瞬間……自らの額へと引き金を引くなんてことはなかったに違いない。
あの男が自らを撃つ時は───決まって勝利への道を見出した時だけだからだ。
絶望の瞳で死を受け入れようとした、先ほどのこの女のような表情で撃ったりはしないだろう。……絶対にね。

…………知った風なことを言ってしまったかな。
だからここでもまた、お節介を出させてもらった。衝動的に、彼女の自傷行為を止めてしまった。
その責任の代償は、お前の行動で払ってもらいたいものだ。



「───もう一度だけ、戦おう。私が君を、『ゼロ』へと導こう。……射命丸文」



雨の降る丘で、今度こそ最後の戦いとなるであろう時を予感しながら。
私は背の上の『御主人』に、宣言した。


「え? ……ホル・ホースさん、何か言いました?」

「あん? オレは別に何も言っちゃいねーが」

「…………ブルル」




158:恋霧中 投下順 160:F.F.F.F
158:恋霧中 時系列順 160:F.F.F.F
149:ALIVE 射命丸文 164:路男
149:ALIVE ホル・ホース 164:路男

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2017年06月14日 22:08