清く、正しく

 --B1エリア双頭竜の間

 その血塗られた一室は、深夜という時間も相まって深い闇に包まれていた。

 その闇の中に、光源が二つほど浮いている。

 1つは部屋の天井から吊り下げられたチェーン、そしてその先に括り付けられた首輪を、そしてもう一方は
暗闇の中に持ち上げられたA4用紙と、その上で踊り狂う鉛筆をすぐ側から照らしていた。

 A4用紙の上には、見る間にもう一つの照らされた存在であるチェーンと首輪が写し取られていく。
 支給品の何の変哲もない鉛筆と、罫線入りのメモ用紙。
 その悪条件化で、凄まじい速度で筆を走らせているにもかかわらず、写し取られていく絵には
描き殴られた、などという印象は一切見られず、むしろ緻密な描き込みこそが見て取れた。
 ほどなくして、鉛筆の動きが止まる。絵は完成していた。

「よし、こいつのスケッチはこんなものでいいかな。
 作り物の舞台かと思ったが、なかなかリアリティがある」
 今しがた双頭竜の間を紙上に再現し終えた青年--岸辺露伴がエニグマの紙の中に鉛筆と描き終えたA4用紙を仕舞いながら言った。

「やっとですか……って言いたいところですが、あっという間に終わらせちゃいましたね」
 その言葉に食いつくようにして、両手に支給品の照明器具を持った少女--射命丸文が言った。
 そして、左に持った照明を露伴に返しながら続ける。
「とにかく、やっと漫画のネタ集めとやらが終わったんですから、さっさと外に行きましょうよ」

「おいおい、そんなに急ぐもんじゃあないぜ。そうだ、あの首輪が実際に使われてるところもスケッチしておきたいな。
 射命丸、悪いが君、あの首輪に嵌ってきてくれないか」
 急かす文に対して、露伴が真面目ぶった顔で返した。
 普通に考えればただの冗談だが、こと漫画が絡めば本気でこんなことも言い出しかねないのが、岸辺露伴という人物の特徴だ。

「露、伴、先、生~!」
 文が、一字ごとにアクセント入れながら、ローキックで露伴の太ももを蹴りつける。
「お、おい! やめろマジに痛い! 妖怪の脚力でケリを入れるな!」
 蹴られた露伴は降参するように両手を上げた。

「まったくもう、漫画の取材も結構ですが、脱出のための取材も進めてくださいよ」
「そうは言うがな、君だってカメラがあれば、似たような感じでカシャカシャやってるんじゃあないのかい?」
「ぐ、むむむ」
 蹴るのを止めて代わりに苦言を呈するする文だが、露伴の反論に思い当るところでもあったのか、一瞬言葉に詰まる。

「ま、まあ何にせよ、調べてみてもここには何もなかったんです。
 余所へ生存者の捜索に向かった方がいいんじゃないですかね。
 少なくとも夜間はこんな暗いところ、だれも来ないでしょうし」
 誤魔化すように文は一息に言い切って、出口に顎を向けた。


「ま、確かに、ここで得られるものはもうないか。じゃあ、次はエア・サプレーナ島なんてどうだい」
 露伴も実際のところは、ここにはもう用はないと思っていたので、地図を広げながら次の目的地を提案する。
「……どうみても絶海の孤島なんですが」
「だから、いいんじゃないか。今から行けば、ちょうど朝焼けの頃かな。きっと絵になるぜ」
 文が無言で拳を振り上げにじり寄る。

「冗談、冗談だよ! ったく意外と融通がきかないんだな、君は。
 じゃあ、GDS刑務所にしよう。こっちは陸続きだし問題はないだろう」
 焦ったように露伴は目的地の変更を告げた。

「あれ、ポンペイはスルーなさるんですか?」
 拳をおろし地図を目で追う文だが、ここ双頭竜の間からGDS刑務所へ向かう途中
若干コースを外れるとはいえ、ほど近い位置にあるポンペイに目をつけて疑問を口にした。

「ポンペイはイタリア旅行に行った時に何度か見たからな」
 事も無げに露伴が答える。
「こ、この男は……!」
 こめかみを抑えながら、文が呻いた。
「もう、出発するならどこでもいいですよ!」
 そう言いながら、露伴を置いて、さっさと出口をくぐってしまうのだった。




 文が出口より姿を消した後、一人残された露伴は、先ほどまでとは打って変わった冷たい目をして呟いた。
「ヘブンズ・ドアーによる洗脳は完璧だ。今や射命丸文はこの岸辺露伴の手駒、か……」


 --さて、この2人がどうやって出会い、なぜ行動を共にすることになったのか。
 それを知るためには少しばかり時間を戻さなければならない。


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 時間は、およそ一時間ほど前へと遡る。
 場所は同じくB-1エリア、双頭竜の間からは若干北に離れている草地だ。


 それはどちらが先に気づいていたのだろうか。
 岸辺露伴は、正面から歩いてくる山伏帽子を被った少女を視界に入れていた。
 射命丸文は、正面から歩いてくるヘッドバンドを付けた青年を視界に入れていた。

 突発的な遭遇でも、一方的な奇襲でもなく、お互いがお互いを遠目に認識しながら
じっくりと距離を詰める、この殺し合いでは、ある種珍しいとも言える出会い方だった。

 どちらも、見ず知らずの相手に襲いかかるような凶暴性を持たなかったため、ゆっくりと歩みを進め
未知の相手から逃げ隠れするような性格をしていなかったため、歩みを止めることもなかった。

 やがて、深夜の月明かりの中でもお互いの姿がはっきりと見える距離まで近づいて、ようやく二人は同時に足を止めた。

「やあ、こんばんは。お互いとんでもないことに巻き込まれたものですね」
 先に声をかけたのは射命丸文だった。
 岸辺露伴は返答せずに、値踏みするように相手を見定めている。

「ああ、申し遅れましたが、私は射命丸 文。見ての通りの新聞記者です。
 ……カメラが無いので格好はつきませんがね」
 文は露伴の反応を気にも留めないようにそう続けた。

「……プッ、新聞記者ね。まあいい、僕は岸辺 露伴 漫画家だ」
 軽い笑いとともに、露伴も自分の紹介と共に声を返した。

「あやや、漫画家の先生でしたか。 なら、露伴先生と呼ばせていただきますね」
 文は露伴の反応には何ら苛立った様子は見せず、若干の愛想が見え隠れする笑顔を浮かべる。

「それで不躾ではありますが、露伴先生はこの殺し合いについて、どうお考えで?」
 文はペラペラとまくし立てる。
「もちろん、この清く正しい射命丸、こんな馬鹿げた殺し合いになんて乗ってませんよ」
 露伴の返事も待たずに、文の口上は続いた。

「そうかい。お互い運が良かったな。 こんな深夜に出くわしたのが殺人鬼じゃあなくって」
「……と仰りますと」
「乗っていない」
 短いやりとりの中で、お互いが殺し合いに否定的だと自称しあった。
 文はパチっと手を軽く叩いて、喜びの表情を見せた。



「いやあ、よかった。遠目に見えたのに自信満々に近づいてくるもんだから
 危険人物かとも思って、冷や冷やしてたんですよ」
「じゃあ、早速ですけど、情報交換と行きませんか?
 まず、私の支給品はこの鉄砲でした」
 手を腰の後ろに回し、服の間に入れたと思うと、そこから拳銃を取り出して見せる文。
 鋏を相手に向けるような感じに、銃把ではなく銃口を掴んで見せびらかす。
 あいも変わらず、露伴の返答を待たずに話を進めていた。

 ボールを渡された格好になった露伴が、仕方ないといった感じでエニグマの紙を半開きにし、その中から青みがかった液体の入った一本の瓶を取り出した。
「おや、そいつは……」
「マジックポーションとかいうらしい。説明書によれば魔法の森のキノコから作ったとあるな。
 飲めばたちどころに疲労が回復するらしいが、僕はちょっとばっかり怪しいと思ってる」
 口を開き始めた文を遮るようにして、露伴が取り出した支給品の説明を行う。

「それで、支給品の見せ合いときたら、次は知り合いの情報交換でもするのかい」
 露伴が、間をおかず次の話題を振った。
「頭のいい方が相手だと、話が早くて助かります」
 文がそう言いつつ、拳銃を再び背中の後ろに収納する。
 お互いがそれ以降口を開く事無く、初めて二人の会話が途切れた。


 しばらくの間の後、露伴が軽く鼻を鳴らす。
「まあいい、僕の知り合いは、広瀬康一に、ジョセフ=ジョースター、それから……」
 そうして、露伴が知己の名前と、外見とを上げていく。
「彼らも僕と同じく、まず確実に殺し合いには乗ってないと保証できる」
 全員の名前を上げ終わると、自信を持った様子で露伴はそう断言した。

「……そして、もう一人。吉良吉影という男がいる。
 こいつは今回の件に関係なく、すでに何十人も殺している殺人鬼だ」
「……殺人鬼ですって?」
 今まで質問もなく相槌を打ち続けていた文が、初めて疑問の声を上げた。
「で、その、外見や何かは」
「身長175cm前後、年齢は30歳前後の成人男性だ。顔は済まないがわからない」
「……うーん、他の方と比べて随分と曖昧ですね。その、どうとでも取れる特徴というか」
 返ってきた煮え切らない答えに、文も言葉を濁す。

「まあ、詳しいことは省くが、コイツは一度顔も名前も変えて、僕らの追跡から姿をくらましている。
 なぜここに本名で集められているのかは分からないが、警戒するに越したことはないぜ」
「……なるほど。とにかく吉良吉影は要注意……と」
 文も深くは追求せずに、吉良への言及はそこで終わった。


「で、僕からは以上だ。次は君の番だぜ射命丸」
 ようやくしゃべり終えた、と露伴が結ぶ。


「んー、まいったなあ、うん」
 それに対して、文は何かハッキリしないことをモゴモゴと言い始める。

「おいおい、まさか、僕にここまで喋らせといて、自分は何も言わないつもりじゃあないだろうな」
 それが長引くにつれ、ついには露伴が文を相手に凄みはじめる。

「いやいや、もちろん情報は交換したいですよ。
 ただね、実は名簿に載ってた私の知り合いって40人近くになるんです。
 ……露伴先生の6,7人とはちょっと釣り合いが取れないかな、ってね」
 露伴が押してくるのを待っていたかのように文がそう返す。

「そっちから持ちかけてきた交渉だろう? ケチ臭いこというなよ」
「この射命丸、情報の価値は誰よりもわかっているつもりです。新聞記者ですからね。
 だからこそ安売りは出来ないのですよ」
 抗議の声を上げる露伴を文が軽く突っぱね、二人の間に緊張が高まり始める。

「そこで、ですね。
 先ほど見せてもらったポーションですけど、あれを私に譲ってはくれませんか?」
 その緊張が危険水域に入る2,3歩手前で、文が場違いに明るい声を出した。
「私ってば、実はああいうゲテモノに目がなくてですね。是非とも譲ってほしいなあって」
 そうして、おどけるように続けた。

「……この岸部露伴から支給品を巻き上げる気か」
「いえいえ、巻き上げるだなんて。
 ただ、こんなところで貸し借りなんて作ると、面倒だとは思いませんか」
 思い切り不機嫌そうに睨めつける露伴に対して、文は飄々と返す。

「僕だって同行者がへばってたら、薬の一本や二本ぐらい何も言わずに奢ってやる。
 もちろん、貸し借りなんて言わずにな」
 なおも抗弁するように露伴は言った。

「同行……ですか?」
「お互い乗ってないなら、それもアリだろう」
 不審そうに聞き返してきた文に露伴が返す。

「いえ、どうも私は露伴先生に信用してもらえなかったように思っていたので。
 同行していただけるとは」
「はあ?」
 今までの笑顔とは打って変わって、若干の傷ついた表情を覗かせながら文が言う。
 それに対して、露伴もまた不機嫌そうな表情から一転して、意味がわからないといった顔を見せた。

「殺人犯、追ってるって言いましたよね。
 学生に、学者さんに、ご隠居に、漫画家の先生で」
 確認するように文は言う。

「ちょっと、取り合わせがおかしくないですか?
 どうみても捕物をする組み合わせじゃないです」
 腑に落ちないといった感じで言葉を続け。


「……私や、その知人みたいに特殊な能力を持っていれば別ですが」
 一瞬の溜めの後にそう言うのだった。



 露伴は音が聞こえそうなほど、奥歯を噛み締め、何も返さない。

「先生の仲間の方々の能力を教えてもらえなかった私は、きっと信頼されてないのでしょう。
 お互いの信頼が無い以上、一緒に行動するのは逆効果。少なくとも私はそう思います」
 そう続けた文が、ついには失望の混じった悲しそうな表情を見せる。

「……なるほど、言いたいことは分かった。しかし、僕に丸腰でこんな危険な会場をうろつけってのか?」
「私、結構目はいいんですけども、実はさっき露伴先生が紙からソイツを取り出してくれた時に
同じ色の瓶がチラリと何本か見えたのです。
 いやいや、もちろん私の見間違いなら、交換なんてやめにしましょう。
 その場合は、先ほど教えていただいたのと同じだけの人数を、適当に名簿から上げてもらえれば
私も同じくお教えします」
「……本当に、そっちの持ってる情報を寄越すんだろうな」
「もちろんですとも。きっかり全員分、能力だってお伝えしますよ」

「わかったよ。だが、これ以上余計な条件を付けるんじゃないぞ」
「ええ、商談成立ですね」
 少し考え込んだ露伴がそう言うと、コロリと打って変わって笑顔に戻った文が、右手を開いて差し出した。
 こうして、露伴の手からマジックポーションの青い瓶が文の手の中に渡った。

 その瞬間。

「ヘブンズ・ドアー!」
 露伴の叫び声とともに、シルクハットを被った少年のような『像』が、露伴から少し距離をとった斜め前
文から見れば視界の隅に入るぐらいの位置に突如として現れる。

 ほんの一瞬、虚を付かれた表情をした文だが、すぐさま手にした瓶から手を離し、空けた右手による貫手を正面の露伴に繰り出す。
 その動作は目にも留まらぬ言った風情で、人間の胴体程度ならあるいは貫手の文字の通りに貫けるのかもしれない速さだった。

 しかし、露伴に触れたその手は指先から肘辺りまでが、巻物か何かのように解け、露伴に大した衝撃を与えることもなく力なく垂れ下がる。
 同時に草の上にガラス瓶が転がる音が微かにした。

「な、なんなのこれは………? 手が、紙、に……!?」
 文が自身の右手を見ながら困惑する。

「なかなかに素早い奴だ。 先手を取られていたらヘブンズ・ドアーでも厳しかったかもな」
 一方で余裕綽々といった様子で露伴が言った。
 もっとも、内容とは裏腹に同時の勝負ならば絶対に負けるつもりはない、そう言外に滲ませてはいたが。

「く!」
 焦燥を見せる文の背中から、黒い翼が飛び出し、それと同時に地を蹴り飛び退る。
 しかし、文は宙を舞うことはなく、そのままの勢いで地面に転がり小さな悲鳴を上げた。
 よく見れば、翼の一枚一枚の羽根が短冊のように姿を変えていて、空を飛ぶという本来の目的を達することが出来なかったのだ。
 倒れ伏した文だが、ページの切れ目の見える左腕を崩さぬように慎重に、背から先ほど見せた拳銃を取り出す。

「くそっ、乗ってないんじゃなかったの!?」
 そう毒づきながら、震える腕で拳銃を露伴に向ける。

 しかし、その指が引き金を引く前に、指先を向けてきた『像』--ヘブンズ・ドアーが目に入り、射命丸文の意識は断線するようにブツリと切れた。


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「悪いが『30分ほど意識を失う』と、書き込ませてもらったぜ。
 『岸辺露伴を攻撃できない』でも良かったんだが、それでも厄介なことになりうるのは康一くんの時で体験済みだからな」
 ヘブンズ・ドアーの書き込みによって意識を失った文に語りかけるように露伴は呟く。

「ま、殺し合いに乗っていないのであれば、何も余計なことはしないと約束するよ。 情報は全部頂くがね」
 ニヤリと笑ってそう続けた。
 そう、岸辺露伴は殺し合いには乗っていない。
 彼の「自分が強いと思っている奴にNOと言ってやる」性格は、目下のところ主催者の二人に向けられている。

「しかし、この殺し合いとやらは思ったより厄介だな。
 余計な風評被害を避けるために、ヘブンズドアーを控えることにしたのはいいが
 いきなり、こんな敵だか味方だかハッキリしないやつに出くわすとは……」
 辺りを見回しながら、露伴が独り言を続ける。
 彼としても、ちょうどこのような場面を第三者に見られて、殺し合いに乗っていると誤解されるのは避けたいところだった。
 それ故に、出会い頭にヘブンズドアーで相手を本にするのはやめにしていたのだったが、結果は初遭遇からこのザマである。

 露伴としては、射命丸文という人物について、最初は中学生か、高校に入りたてぐらい小娘が新聞記者を名乗ってきて
ちょっと頭のおかしい奴なのかと思って、特に警戒もせずに笑ってしまう程度の認識だった。

 しかし、出会ってすぐに殺し合いへのスタンス確認から、支給品の見せ合いに移り
特に文が拳銃をこともなげに取り出しはじめた辺りで、早くも相当な違和感を感じ始めていた。
 そう思い警戒し始めていても、気がつけば支給品も、知り合いの情報も出さざるをえない流れにされていた。

 腹いせと、ついでにカマかけとして、仲間の情報からスタンド能力をすっぱり削ってやったと思ったら
今度は情報の価値だとか言い出して、支給品を強請られる羽目になった。
 このまま言い負かされるのも癪に障るので、同行を仄めかせて食い下がってみれば、露伴が自分を信用してないから無理だと言われる始末だった。
 更には、杜王町の仲間のスタンド能力を説明しなかったことを逆手に取られて、露伴が悪いような流れにされてしまったのだ。
 初対面の相手に仲間の能力を告げ口するような真似をするほうがおかしい、そう主張しようにも、女性が傷ついた風にしているだけで
無条件に男のほうが悪いといった空気になっているのを覆せそうもなかった。

「が、最後の最後でちょっとしたミスをしたな。
 ……いくら、支給品と交換とはいえ、40人分の能力を『同行もしない相手』に話しちまうのはちょっとやり過ぎだぜ」
 話すというのが嘘なのかもしれないし、話される内容が嘘なのかもしれない。
 あるいは知人を何とも思ってない危険人物なのかもしれない。
 もちろん、露伴を信用して真実を話す可能性もあるのだろうが、それ以外の可能性が露伴にヘブンズドアーを使わせるには十分な理由になった。
 通常ならば、特に『乗って』いないならば、その可能性だけで攻撃するにはリスクがあまりに大きく、逆に根拠が乏しい状況ではあるが
岸辺露伴のヘブンズドアーならば話は別だ。

 露伴のスタンドであるヘブンズ・ドアーの能力は、相手を『本』に変え、そのページを読むことで相手の情報を得て、逆に書き込む事でその行動を制限できる。

「『今起きた事を忘れる』、と」
 故に、わずか一文を書き込んで、問題は全て解決する。



「あとは、コイツがどこまでの悪意を持ったペテン師だったのか、あるいは、僕の疑心暗鬼だったのかを確かめるだけだな」
 そう言って露伴は文の近くに屈み込んだ。

「なになに、名前は『射命丸 文』……偽名は使っていなかったか」
 文の顔の部分からめくれたページに手を伸ばし、露伴はそのプロフィールを読み始める。

「種族……? 何ッ『鴉天狗』だとッ!?
 年齢は、せ、千……! こ、コイツが荒木と太田の言っていた『妖怪』か……!
 確かに背中の翼はスタンドではないようだが……」
 興奮を隠せずと言った様子で、露伴が小さく叫んだ。
 スタンドのような超能力があることだし、杜王町でジョセフ=ジョースターには吸血鬼なる存在がいることもチラリと聞いていた。
 そのため、主催者二人が神だの妖怪だの言い出した時も、まあそんなのもいるのか程度には考えいてた。
 それでも、新たに目にした超常的な概念に露伴の好奇心は激しく疼いた。

(よ、読んでみたい……が、クソッ!)
 口には出さずに露伴が毒づいた。
 いや、息が上がり始めていたため口には出来なかったといったほうが正確か。
 岸辺露伴は驚きや興奮といった原因でなく、スタンドの使用で急速に疲労して、息を上げ始めていた。

(コイツを本にした時は気のせいかとも思ったが、やはりスタンドの使用に凄まじい疲労感があるぞ)
 ヘブンズ・ドアーは本来それほど持続性の悪いスタンドではない。
 しかし、文を本にしている時間が長引くにつれ、そして特に『意識を失う』『今起きた事を忘れる』と書き込んだ際に
普段の使用とは一味違った疲労が襲いかかってきたのだった。
(奴らとしても、僕がヘブンズ・ドアーでわらしべ長者のようにして味方を増やしていく、って展開はお望みじゃないってことか)
 となると主催者により何らかの制限をかけられたと見るのが妥当、露伴はそう結論した。

(しかし、この岸辺露伴がこれほどの『ネタ』を前にして諦めるなど、なんて屈辱だ)
 露伴は、この分量1000年以上におよぶ絶好の新ネタを断腸の思いで諦め、射命丸文のスタンスの確認と、情報の引き出しだけに留めるように決心した。
 そして、苛立ちをぶつけるように乱暴にページを捲り始める。

『この異変を取材する』『文々。新聞もランキングアップ間違いなし!』
『購読者もきっと増える!!』
(こ、この女、正気か? とはいえ、まだ辛うじて『中立』だ……)
 いきなりエキセントリックな出だしで始まったページの内容に露伴は軽く引く。
 もっともその露伴本人も、本にして読んでみれば同じような内容が書かれている可能性が大きいのだが。

『でも殺人事件は記事にしたくない』
(……意外に『シロ』か、射命丸文)
 先の交渉と、直前に読んだ内容から予想外に思いながらも、露伴はほっと息をついた。


『荒木と太田の攻撃の正体が判らない』『勝ち目がない』
(くそっ。期待はしていなかったが、コイツもダメか)
 次ページの冒頭、主催者に対する記述を読んで、露伴が心中で吐き捨てる。
 露伴自身も主催者の二人に対しては、ほとんど同じ印象を抱いていただけに
それを打開するアイデアの取っ掛かりすら得られないことに苛立ちを隠しきれない。

 露伴は首を振って、射命丸を『読む』のを再開する。

 そして、主催に対する所感のすぐ下に
『最後の一人になるしかない』『気に喰わないし、気も進まないが、やるしかない』
 と、あるのを露伴の目が拾った。

「いや、『乗って』いたか」
 若干の失望とともに露伴が声に出して呟いた。

 主催者の得体のしれなさも手伝って、今この状況が絶望的なのは明らかだ。
 しかし、その上で殺し合いの打開を目指すのか、そのまま殺し合いに乗ってしまうのか。
 露伴は前者を選んだし、文は後者を選んだという事だった。
 少なくとも根っからの悪人でも、殺人者でもなさそうな内容を垣間見た直後なだけに、露伴には無念さが際立って感じられた。

 振り切るように露伴は次のページを捲る。
 そのページにはつい先程までの出来事が、散文的にまとめられている。

『人間に出会う』『身のこなしを見る限り只の人間か? 油断はするべきではない』
『岸辺露伴、漫画家。利用価値は低そうだ。』『翼は見せていないが、天狗だと気づいていない?』『適当に情報を引き出して放置するか?』
『マジックポーションは是非欲しい。魔理沙から一本くすねて飲んだ事があるが、徹夜明けの体に魔法のように効いた』
『何としてでも手に入れたい。最悪の場合……殺してでも奪いとる』
『殺人鬼に漫画家? どうもきな臭い』『何かの能力を持っている? しかも、警戒されているようだ』『排除しておくべきか』
『吹っ掛けてみたがどうなるか。渡せばよし。これ以上、難航するようなら……』
『モノはせしめたが、まだ何本かあるようだ。別れた後で仕掛けるか』

(クソ、確定的に『クロ』じゃあないか)
 現在に通じる先ほどの交渉の部分を読み終わって、露伴は顔をしかめた。
 少し前にしんみりした気分が台無しだった。
 交渉で上手を取られてヘブンズ・ドアーと言うのは、内心ちょっとばかり大人げない対応かとも思っていたが
蓋を開けてみれば、ヌルい事をやっていたら頭か腹かに風穴を開けられていたかもしれない展開だったとは、さすがの露伴も予想外だ。

(見た目はガキだし、緊急避難ってことで軽めに済ませてやろうとも思ったが、容赦する必要もなくなったな)

 露伴の意により、ヘブンズ・ドアーが接近し、射命丸文に情報を吐かせた後に再起不能とする命令を書き込むべく腕を振り上げる。

 ……が、そこでヘブンズ・ドアーの動きが止まり、露伴本人がチラリと横を見る。
 そこには、二人の争いの発端となった瓶詰めのマジックポーションが転がっていた。
 文も自分が手に入れることを意識に入れていたので、瓶は投げ捨てられるのではなく、そのまま草地に落とされていた。
 それが幸いして割れてはいないようだった。

(思ったより体力には余裕があるし、どうもあのポーションは本物らしい。
 しかも、さっきは射命丸を警戒して1本しか出さなかったが、紙の中には他に3本も残っている。
 ……す、少しくらいなら、読んでも大丈夫なはずだ)
 非常にわかりやすい自分への言い訳をして、露伴は文を読み進めることを続行した。


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(新聞だ。『新聞記者』、『文々。新聞』、『新聞のランキング』、コイツの行動の基準はどうも『新聞』にあるらしい。
 そもそも、なんで天狗が新聞なんかを作るんだ? クソ、好奇心が湧いてきたぞ)
 そうして、露伴は文のページから新聞に関する部分を探し始める。

『天狗の新聞大会の結果発表の日だ! 文々。新聞はまたも選外。次こそは』
 文々。新聞は相当な昔から発行されている天狗の新聞のようだった。
 そして、仲間内で出来を競うランキングでは、あまり評価されていないことが少し読んだだけで露伴にも分かった。
(なるほど、売れない新聞屋か。新聞はどっちかというと生活よりは趣味の類のようだな)

『白狼天狗に取材の手伝いをさせる。忙しそうだが、より重要度の高い私の新聞のためなのだから仕方がない』
『取材対象に追い払われそうになる。しかし、幻想郷最速を活かして付きまとってやる』
『最初は迷惑そうだったが、私の熱意が通じ、ついには快く取材に応じてくれることになった』
 そこからしばらくは文の普段の取材についての記述が並んでいた。
 各方面を通り越して全方面から邪険にされるも、気づいているのか、いないのか。
 ともかく自分本位な行動と、その一方で組織から除外されないように立ち回る狡猾さが目に付いた。

(何だコイツは。酷い取材スタイルだな。
 だんだんムカッ腹が立ってきたぞ。
 僕はこういう自分さえ良ければ他人の迷惑を考えない奴が一番嫌いなんだ)

『原稿が完成! 今回は自信作だ!』
『天狗の集会所で、ゴミ箱に突っ込まれている文々。新聞を見つけた』
(ふん、「ザマミロ&スカッとサワヤカ」の笑いってやつだな)
 若干引きつった笑顔を浮かべながら、露伴は直前の溜飲を下げた。

『実は誰一人読んでいないんじゃないかと不安になる。……馬鹿馬鹿しい』
『また、選外。何を書けば、皆認めてくれるのだろう?』
 そして、内容は反省とも愚痴とも付かない内容にシフトする。
 露伴は知らず空いた方の手で喉元を軽く抑える。

 射命丸文の新聞についての記述は、個別の内容こそ多岐にわたるが、その流れは何十年も単調で
強引な取材と記事へ満足、そして結果に裏切られる、そのサイクルが延々と綴られていた。



(……読むんじゃあなかった)
 ヘブンズ・ドアーで、他人の人生を覗き見てから、殆ど初めてに近く露伴は思った。
 本来、岸辺露伴は他人の不幸にそれほど心を動かすタイプの人間ではない。
 しかし、そんな彼がページに書かれた内容に耐えかねたように、小さく呻いた。

 露伴のデビュー作にして、現在まで続く連載作品『ピンクダークの少年』は、その作風から常に賛否両論に晒されてきた。
 とはいえ、賛の部分では概ねが絶賛であったし、読者の絶対数も常に確保してきた。
 それでもなお、16歳からスタンドを手に入れる20歳までの間、露伴は1話を描き終える度に、言い様のない不安を感じ続けてきた。
 来週はだれも読んでくれなくなるんじゃあないか、何を書いていいか分からなくなってやる気が無くなってしまうんじゃないか。
 奇しくも、文のページに書き込まれている内容に非常に相似した不安だった。
 いや、露伴の不安は言ってしまえば、根拠のない被害妄想のようなものだったが、文のそれは露伴の最悪の妄想が現実化したような実体験だ。

 これが文本人の口から出た弱音であれば、露伴も笑い飛ばすなりなんなり出来たのだろう。
 しかし、露伴本人がいつか語ったように、ヘブンズ・ドアーの能力は、インタビューなどでは得られない岸辺露伴が体験したのと同じ100%のリアルさで
彼女の体験を伝えてくる。

 岸辺露伴のヘブンズ・ドアーのその本質は、決して他人を打ち倒す戦闘のためのものでも、他人を意のままに操る洗脳のためものでもなく
おそらくは、自身のその不安から逃れるための『ネタ集め』のための能力なのだろう。
 だとすれば、不安から逃れるための能力で、その不安を追体験してしまうというのは、何という皮肉だろうか。

 せめてもの救いは、文本人が文々。新聞の不振をそれほど深刻には捉えておらず、読むことによる負の感情の伝播がそれほど存在しない事だった。

 ページをめくることは、いつしか自身のトラウマを抉る苦行へと変わっていたが、露伴は半ば意地になって最後を目指す。
 やがて、書かれている内容に若干の違いが見え始めた。
『人間を相手にしてみたら意外に好評だ』『弾幕を特集してみたところこれも好評』
『人里のカフェに置いてもらえることになった』
 露伴には詳細はわからなかったが、『命名決闘が制定された』らしい辺りから
文々。新聞にも明るい内容が増えてきたのが見て取れた。
 やがて、ページに書かれる内容が、この殺し合いに追いついた。読み終えたのだ。

 正直、最後の方にだいぶ救われた心境で、露伴は文を読むこと自体をやめる。

 そうして、露伴は中空に浮かぶピンクダークの少年--ヘブンズ・ドアーを仰ぎ見た。
 ふと、このまま再起不能にするのなら、射命丸文は二度と新聞が作れないのだろうな、と当たり前の結果が露伴の頭をよぎった。
 そして、どれだけ長いのか知らない妖怪の余生を、廃人のようにして過ごすのだろうかと思った。

 そう想像しただけで、少し前には考えても見なかったような罪悪感が露伴を襲った。

「じ、自業自得だ……!」
 そう、言い訳でもするように、誰にともなく宣言するが、どうしても射命丸文を再起不能にしようする気力が湧いてこない。

 そのまましばらくの時間が過ぎ、露伴は息を整えるためか、別の目的かで、何度か深呼吸をする。

 そして、射命丸文を見据えて、自らのスタンドの名前を叫んだ。


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 時間は戻り、双頭竜の間。

 この物語の冒頭からも明らかなように、結局のところ、岸辺露伴は射命丸文を再起不能にしてはいなかった。
 『自分だけは生き残る』という記述を『皆で生き残る』に、そして『この異変の取材をする』を
『この異変を岸辺露伴とともに取材する』に書き換えるのが、あの場で行った全てだった。

 あの後、露伴はマジックポーションを半信半疑で飲み干してみて、本当に疲労が回復したことに驚いた。
 そうしてすぐに、ヘブンズ・ドアーに攻撃された記憶を持たない文が意識を取り戻し、共に最も近い施設である
ここ双頭竜の間の探索に乗り出した。
 施設自体には有用な情報や、利用可能な物品も、他の参加者も存在せず、探索はほぼ完全な空振りに終わったが
その分、今度はしっかりと腹を割ってお互いの情報を交換することに集中できた。
 そうして、ついでとばかりにこの施設をスケッチし始めた部分につながるというわけである。

(らしくない同情でもしたのか、岸辺露伴?)
 文が先に出て行き、完全に近い暗闇となった空間で声に出さず露伴は自問した。
 後の事を考えれば、それほど積極的ではないとはいえ明確に殺し合いに乗っている射命丸文は
やはりあの場で再起不能にするべきだったのではないか、というのが時間が経ち冷静になった後の露伴の考えだ。

 岸辺露伴は、かつての杜王町で虹村億泰に『焼身自殺をする』という命令を書き込んだことがある。
 しかし、その時は、東方仗助のクレイジーダイヤモンドに殴られたダメージで命令が解除される結果に終わっている。
 それに従うならば、自分が死ぬなり大ダメージを負うなりした場合には、殺人者が一人解き放たれることになるのだ。
 この場で射命丸文の命か人生かを救ったのだと、単純には考えられない状況だ。

(いや違う。僕のヘブンズ・ドアーに足りないのは直接的な防御能力だ。
 妖怪としての身体能力と、風を操る程度の能力を持つ射命丸文を、護衛にしたのは決して無駄でも間違いでもないはずだ)

 露伴はそう、自分に言い聞かせながら、先に進んだ文を追って、双頭竜の間を後にする。

 露伴はふと、文への処遇は彼が重視するリアリティを台無しにする行為であるにもかかわらず、そのことをあまり重要視していない自分に気づいた。
 殺人事件は記事にしたくない、そう考えていた文は、何かの取り合わせ次第で主催者に反抗する側になっていた可能性もあるのではないか。
 だからこれはそれほどの改変ではないのではないか、今の露伴はそう思っているのだった。

 それが、正しい直感なのか、あるいは自らの弱さから目を逸らすための言い訳なのか。
 露伴本人にすらわからないことだった。


【B-1 双頭竜の間/黎明】

【岸部露伴@第4部 ダイヤモンドは砕けない】
[状態]:疲労(小)
[装備]:マジックポーション×3
[道具]:基本支給品
[思考・状況]
基本行動方針:情報を集めての主催者の打倒
1:施設を巡って情報集め、人集め。
2:ついでにマンガの取材。
3:GDS刑務所へ向かう
4:射命丸に奇妙な共感

[備考]
※参戦時期は吉良吉影を一度取り逃がした後です。
※ヘブンズ・ドアーは相手を本にしている時の持続力が低下し
※命令の書き込みにより多くのスタンドパワーを使用するようになっています。
※射命丸文より幻想郷および住人の情報得ています。
※支給品(現実)の有無は後にお任せします

【射命丸文@東方風神録】
[状態]:健康、ヘブンズ・ドアーによる洗脳
[装備]:拳銃
[道具]:基本支給品
[思考・状況]
基本行動方針:今回の異変を取材しつつも、自分は生き残る
→基本行動方針(改竄):今回の異変を岸辺露伴と取材しつつも、皆で生き残る
1:カメラが欲しい。
2:私も取材がしたい。
3:GDS刑務所に向かう。

[備考]
※参戦時期は東方神霊廟以降です。
※ヘブンズ・ドアーの洗脳下にあります。
※岸辺露伴より杜王町のスタンド使いの情報を得ています。
※支給品(現実)の有無は後にお任せします



[支給品]
<マジックポーション@東方非想天則>
岸辺露伴に支給。
元ゲームでは霊力回復と一定時間の無制限使用が効果だが
本作では霊力・疲労などの1段階回復になっている。
4つセットで支給されていた。

[支給品]
<大統領の拳銃@第7部 スティール・ボール・ラン>
射命丸文に支給。
スティール・ボール・ラン終盤にて、ヴァレンタイン大統領が使用した拳銃。
リボルバー式で、装弾数は6発。支給時点ではフル装填状態。
同時支給された予備弾は12発である。

射命丸文は、説明書に『隠し持てる』との記述があるため、律儀に隠し持って使っている。

034:未来からの遺産 投下順 036:輝夜物語
027:蟲毒の華 時系列順 038:途方も無い夜に集う
遊戯開始 岸部露伴 058:Stand up~『立ち上がる者』~
遊戯開始 射命丸文 058:Stand up~『立ち上がる者』~
最終更新:2013年12月17日 00:30