こういう言い方が許されるなら、僕と彼女が出会ったのは今から四年前のことだった。
僕はその時中学二年生で、よく自分の人生の限界について考えていた。中産階級の家に生まれ、模範的な両親がいたお陰で、家庭内には何の問題もなかった。受験でそこそこ偏差値の高い学校に入学できたので、何か大きな問題にぶち当たらない限り、将来何とか職につけるだろうとも踏んでいた。けれども、対外的な人間関係についてはぼろぼろだった。性格、容姿、運動神経、クラスメイトの構成要員、その他挙げていったらキリがない幾多の要素の複雑な絡み合いによって、僕は生徒内ヒエラルキーの最底辺に配置された。最悪の展開だ。思春期に於けるネガティブな人間関係が、将来の人格にどのような影響を及ぼすか、解らないほど僕は馬鹿じゃなかった。何か対策を考えなければならない。そう思っていた矢先に、僕は彼女と出会った。
彼女は優しくて、それに可愛い。年齢は僕と同じぐらいだけど、正確にはわからない。抱きしめるとやわらかくて、おまけにいい匂いがする。
彼女がいてくれなかったら、僕は自殺とまではいかなくとも、登校拒否ぐらいにはなっていただろう。でも、辛いときにはいつも彼女が励ましてくれて、僕はどうにか頑張ることができた。
あれから四年が過ぎた今も、彼女は僕と一緒にいてくれる。僕はそれで幸せだ。他には何もいらない。
◇
空は鉛色の雲に覆われている。一日の授業を居眠りと落書きの二大戦術を駆使して切り抜けた私は、待ち合わせ場所である図書室に向かっていた。
こう見えても私はとある雑誌の記者である。雑誌といっても学生が有志で出しているちゃっちいやつだが。記事に関するルールだとか、そういった知識を殆ど持っていない人間が発行しているので、プロの編集者から見たら噴飯モノの出来だろう。それでも刷った分は大抵全部無くなる。学生社会というのは、どういうネタが受けるのかが、読みやすい業界だからだ。試験や課題に関する学年別の情報だとか、現在付き合っているカップルのリストだとか、その手の下らない内容を盛り込んでおけば、幾らでも部数が捌ける。とはいえ、フリーマガジンなので、それほど数は刷れない。なので、今はあまり多くはない人間の手にしか渡っていないのが現状である。もっと手広くやりたいとは思っているのだけれど。
大衆迎合記事の他には、何本かのエッセイやら小説やらが掲載されている。これらは文芸部誌には投稿できないような内容のものが殆どで、向こうではじかれたものがこちらに持ち込まれるというのがお決まりになっていた。官能小説と呼ぶにはいささか物足りない屑ポルノや、何を言いたいのかさっぱりわからない哲学書モドキの文章の中に、時たま興味深いものが紛れ込んでいる。恐らく、読者の大半が読み飛ばしているだろうが、書いている側としては寧ろそっちの方を読んでもらいたいと思っている。
さて、待ち合わせというのが一体何なのかというと、最近学校内で発足したとある団体のリーダーに取材をすることになっているのだ。