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4/5アニメ評

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匿名ユーザー

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1、四月二十八日 Ⅰ

 

 

どこか、そう遠くはない場所で誰かが泣いているのが聞こえる。数時間前まで空を覆っていた雲はいつの間にかまばらになり、遮るもののなくなった太陽が夕方の街をオレンジ色に染めている。帰宅中の学生や買い物帰りの主婦たちが、まだ冷たさの残る三月の空気の中を、何食わぬ顔で歩いている。車が一台――運転席には疲れきった表情の中年男性が座っていた――、車道の上を滑るように走っていく。歩道を歩いていた一人の青年の視線が、その車とすれ違う際に、偶然男性の視線とかみ合った。しかし、彼らはお互いにこれといった感想を抱かなかった。恐らく、二人が出会うことはもうないだろう。

黒のズボンを履き、同じく黒のタートルネックの上にウィンドブレーカーを羽織ったその青年は、街の西の方にある教会へと向かっていた。これといった名所のない九頭山町において、唯一訪れる価値のある建造物だといえるそこは、多くの町民にとって待ち合わせの場所として定着していた。しかし、最近は休憩所として開放されているのをいいことに、ホームレスたちが集まってくるため、利用する人間は減りつつあった。

風が吹いた。青年――河合雄太――は流れ出ようとする鼻水を啜り、もう一度体内へと引き戻した。一昨日から続く咽喉の痛みと合わせて考えるに、ここ数日間の夜更かしが、風邪のウィルスへと抗う体力を体から奪ったらしかった。教会の前へとたどり着き、彼は扉を開けた。日の光が中に差し込み、埃の舞う様子が目の前に広がった。中は静かで、扉を閉める音が場違いなほど響き、雄太は周囲の注目を集めたのではないかと辺りを見回した。長椅子が、部屋の中央と両端に同じ幅の道を作るように二列に並び、祭壇の左右に設けられた窓から差し込む光が、椅子たちや床の一部を照らしていた。電灯は全て消されており、内部の明かりはその陽光のみだった。正面中央には巨大な十字架があったが、キリスト像やマリア像、イコンといったものは教会内のどこにも存在しなかった。人気は殆どなく、唯一、右側の一番手前の椅子に、髪の長い少女と思しき人影が座っているだけだった。雄太はあまり音を立てないようにして、その人影へと近づいていった。

お互いに顔を見合わせた瞬間、二人の目に驚きの色が浮かんだ。多数の記憶の断片が連結し、美しい思い出となるはずだったあの過去の物語が、彼らの頭の中に再構成された。数秒の沈黙の後、先に動揺から抜け出た少女の方が、雄太に声を掛けた。

「久しぶり」

「…久しぶり」少し遅れて、雄太が反応する。

「もしかして、rabbit-footってあなたのこと?」

「そうだけど」

「ふーん・・・そう。私は硝子の猫」

「何か、中二っぽい名前だなとは思っていたけど。まさかお前だったとはな」

「うるさいな、いいじゃん別に」

再び沈黙が場を包む。雄太は気まずさを紛らわすかのように右手で自分の首の後ろを撫で、少女は大きな欠伸を一つして、目に浮かんだ涙をこすった。

「座ったら?」と、少女が言った。

「ああ、うん」

雄太は彼女の左隣に、少し距離を置いて座った。

「もしや、もう一人の方もあの中の誰かだったりしてね」

「だとしたら、きっと何かの陰謀だろうな」

二人は地元の学生たちが運営しているネットの掲示板の住人で、元々はそこのオフ会に参加するために集まったのだった。当初はもっと数が来る予定だったのだが、多くの人間が急用を理由に次々とキャンセルしていき、最終的に残ったのは三人だけ。それでも、まあ適当にカラオケにでもなだれ込めばいいか、という話になり、オフ会は敢行されることとなった。その三人のうちの二人が彼らであり、もう一人はまだ来ていない様子だった。

「最近どう?」我ながら下手な話題振りだ、と思いつつも、雄太は訊いた。

「んー、別に普通かな。そっちは?」

「あんまり順調じゃないね。っていうか――」急に雄太の声がくぐもる。

「ん?」

「・・・いや、何でもない」

「何?もう一回言ってよ。聞こえなかった」

「何でもないって」

「一度は言ったんだから、もう一回言ったっていいじゃん」

「・・・っていうか、俺の人生はあの日以来、何一つ上手く行ってないから」

「あー・・・そう」

「何その、地雷踏んじまった、みたいな反応」

「別に、そんなんじゃないって」

「・・・・・・」

「いや、その、何ていうか・・・ごめん」

「・・・・・・」

最悪の展開だ。とはいえ、再会してしまった以上、その話題を避け続けることは不可能だった。話の対象はいずれ、彼らの――雄太と彼女と残り五人を合わせた七人の――関係が決定的に崩壊したあの日へと向かうだろう。それならば寧ろ、と雄太は考えた。それならば寧ろ、自分からそこへ飛び込んでいくべきではないか。

「沢谷」

急に雰囲気の変わった彼の声に、少女はいささか動揺した。

「何?」

「お前はさ、何で栗原が自殺したんだと思う?」

「・・・さあ?そんなこと私にわかるわけないじゃん」

少女――沢谷遙の方はまだその話題に触れる気はないようだった。反応からそれを察した雄太はそれでも押し切ることにした。

「真面目に答えろよ。あいつが死ぬ前、俺たちの中で最後に栗原と話したのはお前だろ?何か変わったこととかなかったのか?」出来るだけ抑えた心算なのに、何故か声が大きくなってしまう。

「何キレてんの?」

「キレちゃいないさ。いいから、答えてくれ」

考えてみれば、栗原優子が何故自殺したのかについて、真面目に話し合ったことはこれまで一度もなかった。それもその筈、あの日以来、彼ら七人はお互いに関わり合うことを避けていたのだ。実際、雄太と遙が会話を交わしたのも三年ぶりのことだった。

「・・・あんまり、参考にはならないと思うけど」遙が口を開いた。

「ああ」

「別れ際にね、優子が言ったの。私、逃げ切れなかった、って」

「逃げ切れなかったって、何が?」

「わかんない。私も彼女に、何から?って訊いたけど。ううん何でもない、じゃあね、っていわれて。それでそのまま別れておしまい」表情を変えないまま、遙は淡々と答えた。

「逃げ切れなかった、か」と、雄太が呟く。

空は暗くなり始めていた。野良猫が一匹、夜に向けて瞳を大きくした目で辺りを窺いながら、歩道の上を、町のはずれの方へと向かって歩いていく。多くの店や電灯の明かりが、歩行者の少なくなった道を淡く照らす。数時間後には、職場から家へと帰る人々や、飲み会終りの学生たちで今よりも幾らか賑わうことになるだろう。そんな中、教会は町から隔絶されているかのように暗いままだった。いずれ、シスターかあるいは牧師が気づけば、照明の電源が入れられる筈だ。

いつの間にか、泣き声は聞こえなくなっていた。

 

 

駅から徒歩十分の場所にある喫茶店「中継地点」は、メニューの安さと量と節操の無さから学生たちのたまり場になっていた。時刻は十七時十七分。店内は食器同士のこすれあう音や、喋り声、咀嚼音、コーヒーや紅茶を啜る音、笑い声、口笛などで満ちており、外から入ってきたばかりの人間なら、ほぼ確実に当惑するであろう雰囲気を醸し出している。窓際の四人掛けの席には、古本屋帰りの女子高生たちが陣取っていた。彼女ら四人は地元の高校の文芸部員で、実のところ今日は服を買いに行く予定だったのだが、途中で古書店を見つけたのが運の尽き、後には靴下一足分の金も残らなかった。

「すいませーん」と四人の中の一人が店員に声をかける。

メガネをかけた、にきび面の男性ウェイターが彼らの席の前に立つ。

「チョコパフェ追加でお願いします」

「かしこまりました」

「ここって無料券だけで物食べていいの?」店員が何処かへ消えた後、杉内涼子は隣に座っている久米田優希に訊いた。

「駄目だった気がする。まあ、でも先に頼んだコーヒーの方の代金払えばいいでしょ。どうせ、一杯八十円なんだし」

「あんたさっき、胃の調子悪いから今日は何も食べたくない、って言ってなかったっけ?」今日の戦利品の一つをぱらぱら捲りながら、川田怜奈が追加注文を行った村田香澄をからかう。彼らの中では――いや、一般的な基準に照らし合わせたとしても――怜奈が最も整った容姿の持ち主であった。

「だって、無料券の有効期限今日までなんだもん」

その瞬間、店内のBGMが新しい曲目へと変化した。

「お、ボブ・ディランじゃん」すかさず優希が反応する。

「これ何て曲?ウォッチメンのOPで流れてた」と、涼子。

「"The Times They Are Changin'"」優希が答える。「ウォッチメン見に行ったんだ。私、今、原作読んでるよ」

「原書?邦訳?」

「原書。日本語版は高すぎ」

「いいなあ、英語出来る人は」

「そういえば、怜奈?」まだ中身の入っているシュガースティックの袋を折り曲げて遊びながら、香澄が言った。

「あんまりそれやってると破れるよ・・・で、何?」

「あ、破れた」穴の開いた箇所から、砂糖の粒がテーブルの上へと零れ落ちる。「いや、あんたのクラスでさ、ハブられてる子がいるって言ってたじゃん?あの子、今どうしてるかなー、と思って」

「ああ、楠木奈々?そういや、最近学校来てないね」

「うわっ・・・マジ、登校拒否?」涼子が話に加わる。

「なのかな。まだわかんない。病気ってこともありえるから

「でも、登校拒否だったからやばくない?あんたのクラス全員、何か言われるでしょ」

「だろうねー。うーん、どうしよ」

「そんな他人事みたいに・・・」

「そんなこと言われてもなあ。私元々あの子とあんまり仲良くなかったし。でも、確かに、人付き合いが苦手な感じではあったかな。他人との距離感がつかめてなかったっていうか」

「空気読めてなかったってこと?」

「それもまあそうなんだけど。うーん・・・上手く言い表せないや。でも、何ていうか、雰囲気的に、ああこの子は多分うちのクラスでは受容されないだろうな、ってのはわかるんだよね」

 「あー、ちょっとわかる気がする。際立って、こいつ頭おかしいんじゃないの?ってタイプの子ではなかったんだ?」

「そうだね。うちの学校ってあんまりそういう人はいない気がする」

「下の学年にいるらしいよ。マジでメンヘラって奴が」

「へー、どんなの?」

「ねえ、優希?」成り行きで会話から締め出されてしまった香澄が、助けを求めるかのように優希に話しかける。

「何?」優希の方はといえば、いつの間にやら鞄から取り出した文庫本を読み始めていた。お手製のブックカバーがかけられているため、題名はわからない。

「何読んでるの?」

「伊坂幸太郎の『ラッシュライフ』」

「ふーん・・・面白い?」

「まあまあかな。っていうか、再読だし」

「再読?何で、二回も読んでんの?」

「時系列を色々といじくるタイプの作品だから、一回じゃ伏線とか全部把握できないの。ちょっとタランティーノ映画思い出す」

「でも、タランティーノにしたってキューブリックの「現金に体を張れ」から影響受けて、ああいうやり方始めたわけだしね」涼子がいきなり入ってくる。

「それをいったら、今から七十年も前に、既にフォークナーが小説の世界で、時間軸の操作ってのをやってるけど。まあ、でも読んだ印象から考えると、伊坂の場合は映画からの影響の方が大きそう」優希が言う。

「最近、やたら持ち上げられてるよね、その作家」怜奈も話に加わる。

「出版業界も低迷気味だからね。本出せば必ず売れるって作家を何人か作っとかないと不安なんでしょ」

「でも、この前、直木賞のノミネート辞退してなかったっけ?ったく、ピンチョン気取りっかっつーの」

「賞、辞退しただけでピンチョン気取りとか・・・信者ってこえー・・・」

「やめて・・・私の前でそのピンチョンとかいう作家の話はしないで・・・」と呟いたのは香澄。彼女は中学生の頃、好きだった男子にお勧めの本を聞いて、渡されたのがそのピンチョンの「競売ナンバー49の叫び」だった。結果は撃沈。「ごめん、あんまり面白くなかった」と正直にその男子に話したら、冷たい目で「そう」といわれ、以来向こうから香澄に話しかけてくることはなかったという。以来、彼女はピンチョンという作家に対してトラウマを持っている(実際にはそこまででもないのだが、トラウマということにしていた方がネタになるので、そういうことにしている)。

「辞退っていえばさ、舞城王太郎も三島賞の授賞式すっぽかしたらしいね」涼子が言った。

「・・・寧ろ、彼が三島賞をとってたってことに驚いた」

「あれ?知らなかった?」

「ついにメフィスト賞出身者が純文学の賞をとる時代が来たか・・・」

「それこそ"時代は変わる"ってところね」

「でも、舞城王太郎って現代文学的には王道っていっても差し支えはないっしょ。手法的に考えて」

「まあね。でも、三島賞って審査員にテル坊いなかったっけ?」

「テル坊って、宮本輝のこと?いたよ。今はもう変わってるけど。それが何?」

「いやー、彼がよく受賞を許したもんだな、と」

「確か、宮本輝以外が全会一致で受賞、だった気がする」

「やっぱりそうなんだ」

「それにしても、これからの日本の純文学ってどうなってくんだろうね」

「さあね。今時純文学なんて誰も好き好んで読まないから。芥川賞受賞しても、最年少受賞とか、何かの付加価値つけてやらないと売れないし。その癖、村上春樹の新作が発表されたりすると、ベストセラーランキングの上位に食い込んできたりするんだよなあ。全く、世間の人々の考えてることはよくわからん」

「何様だよお前は」

「ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」

不意に怜奈がそう言い、席を立った。彼女が姿が見えなくなった瞬間、涼子が喋り出した。

「友達から聞いたんだけどさ、怜奈、彼氏できたらしいよ」

「マジでいってんの、それ?どうやって知り合ったのよ」と優希。

優希たちが通う高校は女子高であり、普段の学校生活で男子と関わることは殆ど皆無だった。例外として文化祭のときなどがあるが、ナンパされるのは彼女らよりももっと派手な女子の仕事である。

「何か、毎朝犬の散歩してたら、たまたま同じルートをいつもジョギングしてる大学生に声かけられたんだって。で、それから話すようになって、色々と流れがあって、付き合い始めたと」

「・・・ナンパ?」

「って、友達も訊いたらしいんだけどね。「違うって!本当たまたま同じルートだから話すようになっただけ。彼、そんなナンパするようなタイプの人じゃないから」って」

「・・・可愛いけどうざいな、その反応」

「世の中、結局は見た目なのだよ諸君」香澄がおどけていう。

「「世の中所詮は見た目」っていう奴って、もしかして自分がもてないのは顔のせいだけだと思ってんの?自分の性格に欠陥があるんじゃないかってことは考えないの?」

「・・・ごめんなさい」

「すいません、お待たせいたしました。チョコレートパフェご注文のお客様は・・・」

「はーい、私です」

「ああ、はい、ではこれ。ごゆっくりどうぞー」

「でもさー、じゃあ何で私たちに彼氏できたこと言わないのかな?」

「何か言われると思ったんじゃないの?」

「何かって?」

「自分だけ彼氏いることいじられるのが嫌だったとか」

「そんなの、いじらないわけないじゃん」

「いや、だから言わなかったんでしょ」

「っていうか、大学生って何?何で同年代と付き合わないのよ」

「別によくない?結構うちの学年で年上と付き合ってる子多いよ」

「いや逆。男の方が何で年下と付き合うのかって話。本当、世の中ロリコンばっかなのかよ」

「現代じゃ、女子高生とか女子中学生ってある意味ブランドみたいになってるからね。制服着てれば何でもいいみたいな扱い」

「世の中、結局は若さなのだよ諸君」

「あ、怜奈、携帯忘れてってる」

「ちょっと見てやろうよー。彼氏とのメールとか」そう言って、香澄は怜奈の携帯に手を伸ばした。

「でも、ロックかけられてるでしょ」優希がもっともな指摘をする。

「ふ、伊達に十数年幼馴染やってませんよ」慣れた手つきで暗証番号を入力し、香澄はメールボックスの中へと侵入した。

「何でパスワード知ってんの?」

「何、初歩的なことだよ、ワトソン君。彼女の名前をローマ字にして、それを上手い具合に組み替え・・・」

「あー、やっぱいいや。ややこしそうだから」

「どう、見つかった?」

「うーん、やっぱり一般フォルダには入ってないや。ってことは、多分こっちに・・・」

「こっちって?」

「あの子、見られたくないメールは一番下のフォルダに入れる癖があるんだよ。あ、ほらあったあった」

「どんだけ把握してんだ・・・で、何か面白いのあった?」

「・・・・・・」

「どったの?先生」

「いや、あったにはあったんだけど・・・」

「何?見せ・・・」

「何やってんだお前ら?」

三人が横を向くと、怜奈が帰ってきていた。

「おう、お帰りー」

「お帰りじゃねえよ。何勝手に人の携帯見てんだ」

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