新学期も始まって早いもので一週間。気温は下がり雪は積もり、クリスマスも正月も過ぎた。
今、目ぼしいイベントといえばバレンタインデーのみを残した、そんな季節。
「おはよー、かなたちゃん」
「おはよう、はるちゃん」
始まりの月曜日はいつも憂鬱で、日曜日を挟んだ友人との再会を喜ぶ声よりも──挟んですらいない者は特に──、
一時間目の理科を嫌がる声の方が多かった。しかも、それは実験だった。
「ところで、泉君は? まだ来てないみたいだけど」
「それが分からないの。待ち合わせの場所にいつまでも来ないから、先に来ちゃったんだけど。遅刻かなぁ?」
「でもあれで泉君って無遅刻無欠席よね? 今日も多分……あ、ほら!」
言いかけてはるかは歓声を上げ、窓際に駆け寄って遠くを指差した。その先には息せき切って全力疾走する、そうじろうの姿が小さく見えた。
「ありゃどう見ても寝坊だわね。かなたちゃん、起こしに行かないの?」
おどけて聞くはるかに、かなたはもじもじとした声で答える。
「そう君、『女に起こされるのは恥ずかしいし、学校までずっと一緒に行くのはもっと恥ずかしいから止めてくれ!』って言って、
起こさせてくれないの。いつも遅刻寸前なのにね?」
聞き様によってはノロケにも聞こえる答えを、かなたは溜息を吐きながら言った。するとはるかのおどけた笑顔に僅かな陰が差した。
「そっか。なら、私が起こしにいってあげよっかな。あたしなら『女』には思われないだろうし、いいわよね?」
今度は少しだけ、ほんの少しだけ引きつった笑顔で冗談を飛ばすと、かなたの頬は赤く染まった。
「それはダメだよ……」
「ん~? 何がダメなのかしら? いいじゃない、かなたちゃんが行かないなら私が行くわよ?」
「もう、はるちゃんのイジワル……」
尚もはるかがかなたをおちょくって遊んでいると、そうじろうが息も絶え絶えの姿で教室に駆け込んできた。
「はぁ、はぁ……ぜぇ、ぜぇ……お、おはよう、かなた、はるか」
挨拶もそこそこに、そうじろうは苦しそうに自分の席へと倒れ込んだ。
「こ、これで皆勤賞は死守したぞ」
朝も早よから疲れ切った顔で最後の呟きを唱えると、そうじろうは机に突っ伏して動かなくなった。
一時間目はおろかホームルームすら始まってもいないうちから夢の世界に行ってしまったそうじろうを、
かなたはたしなめたのだが、それは本人に聞こえることはなかった。
否、そうじろうはとてもではないが人の話を聞くだけの余裕が無かったのだ。
今、目ぼしいイベントといえばバレンタインデーのみを残した、そんな季節。
「おはよー、かなたちゃん」
「おはよう、はるちゃん」
始まりの月曜日はいつも憂鬱で、日曜日を挟んだ友人との再会を喜ぶ声よりも──挟んですらいない者は特に──、
一時間目の理科を嫌がる声の方が多かった。しかも、それは実験だった。
「ところで、泉君は? まだ来てないみたいだけど」
「それが分からないの。待ち合わせの場所にいつまでも来ないから、先に来ちゃったんだけど。遅刻かなぁ?」
「でもあれで泉君って無遅刻無欠席よね? 今日も多分……あ、ほら!」
言いかけてはるかは歓声を上げ、窓際に駆け寄って遠くを指差した。その先には息せき切って全力疾走する、そうじろうの姿が小さく見えた。
「ありゃどう見ても寝坊だわね。かなたちゃん、起こしに行かないの?」
おどけて聞くはるかに、かなたはもじもじとした声で答える。
「そう君、『女に起こされるのは恥ずかしいし、学校までずっと一緒に行くのはもっと恥ずかしいから止めてくれ!』って言って、
起こさせてくれないの。いつも遅刻寸前なのにね?」
聞き様によってはノロケにも聞こえる答えを、かなたは溜息を吐きながら言った。するとはるかのおどけた笑顔に僅かな陰が差した。
「そっか。なら、私が起こしにいってあげよっかな。あたしなら『女』には思われないだろうし、いいわよね?」
今度は少しだけ、ほんの少しだけ引きつった笑顔で冗談を飛ばすと、かなたの頬は赤く染まった。
「それはダメだよ……」
「ん~? 何がダメなのかしら? いいじゃない、かなたちゃんが行かないなら私が行くわよ?」
「もう、はるちゃんのイジワル……」
尚もはるかがかなたをおちょくって遊んでいると、そうじろうが息も絶え絶えの姿で教室に駆け込んできた。
「はぁ、はぁ……ぜぇ、ぜぇ……お、おはよう、かなた、はるか」
挨拶もそこそこに、そうじろうは苦しそうに自分の席へと倒れ込んだ。
「こ、これで皆勤賞は死守したぞ」
朝も早よから疲れ切った顔で最後の呟きを唱えると、そうじろうは机に突っ伏して動かなくなった。
一時間目はおろかホームルームすら始まってもいないうちから夢の世界に行ってしまったそうじろうを、
かなたはたしなめたのだが、それは本人に聞こえることはなかった。
否、そうじろうはとてもではないが人の話を聞くだけの余裕が無かったのだ。
ホームルームが程なくして始まり、日直が『起立、礼』と言おうが、理科実験の為に皆が白衣片手に出て行こうが、
そうじろうは目を覚まさなかった。かなたが肩を揺する程度ではダメで、はるかが渾身の力で頭を引っ叩いた時、
やっと身体をノロノロと動かして、目をショボつかせながら、こうべを持ち上げた。
「ん? あ、ああ、はるかか。痛いじゃねーか」
腕を押し付けていたからなのか、顔を赤くしたそうじろうは不平がましい目をはるかに向けた。
「『ああ、はるかか』じゃないわよ、ねぼすけ。今何時だと思ってるの? 一時間目は実験よ、さっさと準備しなさい」
「じ、実験? そうか、実験、実験な」
いつものそうじろうより、大分覇気がない。手を上げるはるかに反駁しないそうじろうではないのだ。
のそのそと動き、ロッカーから白衣を取り出すと、不可解なことに『その後』自分の席に戻って鞄の中から筆入れと教科書を抜き取った。
更にロッカーへと戻ろうとした辺りで、はるかはそうじろうの授業用具一式をひったくり、二人分をまとめて持って教室を出た。
「寝不足? 髪もボサボサだし、目もトロンとしてるし。チンタラしてないで、さっさと行くわよ!」
もう教室には三人しか残っておらず、時計を見れば授業が始まるまで幾許もない。
全力ダッシュで実験室を目指すはるかを尻目に、そうじろうはかなたに気遣われながら、一歩一歩歩いて教室を出た。
そうじろうは目を覚まさなかった。かなたが肩を揺する程度ではダメで、はるかが渾身の力で頭を引っ叩いた時、
やっと身体をノロノロと動かして、目をショボつかせながら、こうべを持ち上げた。
「ん? あ、ああ、はるかか。痛いじゃねーか」
腕を押し付けていたからなのか、顔を赤くしたそうじろうは不平がましい目をはるかに向けた。
「『ああ、はるかか』じゃないわよ、ねぼすけ。今何時だと思ってるの? 一時間目は実験よ、さっさと準備しなさい」
「じ、実験? そうか、実験、実験な」
いつものそうじろうより、大分覇気がない。手を上げるはるかに反駁しないそうじろうではないのだ。
のそのそと動き、ロッカーから白衣を取り出すと、不可解なことに『その後』自分の席に戻って鞄の中から筆入れと教科書を抜き取った。
更にロッカーへと戻ろうとした辺りで、はるかはそうじろうの授業用具一式をひったくり、二人分をまとめて持って教室を出た。
「寝不足? 髪もボサボサだし、目もトロンとしてるし。チンタラしてないで、さっさと行くわよ!」
もう教室には三人しか残っておらず、時計を見れば授業が始まるまで幾許もない。
全力ダッシュで実験室を目指すはるかを尻目に、そうじろうはかなたに気遣われながら、一歩一歩歩いて教室を出た。
「今日は先週伝えた通り、『酸とアルカリ』の実験をします。前回の授業でも言いましたが、
酸とアルカリは混合すると塩になって……」
結局のところ教科書を見れば次のページに答えも何もかも書かれている、
そのような実験に目を輝かせながら集中する者などいない。理解できる者にはさも当たり前のように聞き流し、
理解できない者にはまさにお手上げの状態なのでこれまた聞き流している。
そんな中でそうじろうはぐったりと机に伏して、これまた先生の話を聞き流していた。
「……という訳で、試薬の取り扱いには十分注意するように。では、実験を始めて下さい」
各々のグループは立ち上がり、試験管を取りに行く者、試薬を取りに行く者、それらを静観する者と分かれて、
或いは座ったまま、『酸とアルカリ』実験の準備に取り掛かり始めた。だが、
「泉、お前向こうで塩酸と水酸化ナトリウム取ってきてくれ」
「ん……」
そうじそうは現実と、現実ではないどこかとの間で船を漕いでいて、クラスメイトの話は教師のもの同様さっぱり耳に入ってきていなかった。
「おい、泉? 持ってきてくれって言ってるだろ?」
「あ、ああ」
真赤な顔でよろめきながら立ち上がると、試薬の置いてある教卓へと歩いていこうとし、そしてそのままそうじろうの身体はゆっくりと傾いだ。
「泉? おい、泉!? 大丈夫か!?」
そうじろうは苦しそうな浅い息で返事をするだけで、何か言いたそうだったが一言も発さない。
顔はもう燃え上がる程に真赤で、しかもそれは端から見ても健康的な赤とは言い難い、危険を示す赤だった。
腕は動かすこともできないのか身体の下で圧迫され、足も辛いのか膝を折って丸くなる。
極めつけは額に浮かんだ汗で、教師が手を当てた時に「湿る」ではなく「濡れる」といった形容が正しいくらいだった。
はるかは教師が何も言う前に、一人颯爽と実験室を出て、保健室にいるであろう校医の下へ疾走した。
「凄い熱だ……誰か、保健室へ連れて行ってあげなさい。保健委員の人は?」
駆け寄るクラスメイト。悲鳴を上げそうになるかなた。
群集の真ん中に置かれたそうじろうはもう形振りなど構っていられず、身体をすっかり丸め横になり、
只ただ楽になるように身を捩り続けた。おぞ気に震え、熱に震えながら、何度も何度も虚空を掻き毟り、蹴り上げながら。
いつの間にやらはるかが連れてきた校医によって、保健委員の『誰か』が動き出す必要もなく、そうじろうは運ばれていった。
一瞬の慌しさの後、理科教師は実験の再開を命じたが、どうにも集中した空気は最後まで降りることはなかった。
「まさか泉君、具合が悪かったなんてね。想像もつかなかったわよ。……ちょっと具合悪すぎる気もするけど」
かなたも同意する。
「ホントに。そう君、風邪でも引いたのかな? ……でも、それにしては苦しそうだったけど、大丈夫かな?」
「朝はアレだけ全力で走ってきたもん、大丈夫よ」
はるかは軽く付け加え、かなたも一瞬それで安心した。
「それにしても、珍しいわね、泉君が倒れるなんて」
丈夫なそうじろうが風邪を引いた記憶など、かなたには無かった。だから、何かがおかしいと心の底が警鐘を鳴らしていても、
『まぁたまにはこんなこともあるだろう』、それくらいに考えていた。
実験こそ一人が欠けても問題などなく進行していったが、突然倒れたそうじろうのことが気がかりで、
二人は実験結果についての長い解説を他の生徒に同じく完全に聞き流していた。
酸とアルカリは混合すると塩になって……」
結局のところ教科書を見れば次のページに答えも何もかも書かれている、
そのような実験に目を輝かせながら集中する者などいない。理解できる者にはさも当たり前のように聞き流し、
理解できない者にはまさにお手上げの状態なのでこれまた聞き流している。
そんな中でそうじろうはぐったりと机に伏して、これまた先生の話を聞き流していた。
「……という訳で、試薬の取り扱いには十分注意するように。では、実験を始めて下さい」
各々のグループは立ち上がり、試験管を取りに行く者、試薬を取りに行く者、それらを静観する者と分かれて、
或いは座ったまま、『酸とアルカリ』実験の準備に取り掛かり始めた。だが、
「泉、お前向こうで塩酸と水酸化ナトリウム取ってきてくれ」
「ん……」
そうじそうは現実と、現実ではないどこかとの間で船を漕いでいて、クラスメイトの話は教師のもの同様さっぱり耳に入ってきていなかった。
「おい、泉? 持ってきてくれって言ってるだろ?」
「あ、ああ」
真赤な顔でよろめきながら立ち上がると、試薬の置いてある教卓へと歩いていこうとし、そしてそのままそうじろうの身体はゆっくりと傾いだ。
「泉? おい、泉!? 大丈夫か!?」
そうじろうは苦しそうな浅い息で返事をするだけで、何か言いたそうだったが一言も発さない。
顔はもう燃え上がる程に真赤で、しかもそれは端から見ても健康的な赤とは言い難い、危険を示す赤だった。
腕は動かすこともできないのか身体の下で圧迫され、足も辛いのか膝を折って丸くなる。
極めつけは額に浮かんだ汗で、教師が手を当てた時に「湿る」ではなく「濡れる」といった形容が正しいくらいだった。
はるかは教師が何も言う前に、一人颯爽と実験室を出て、保健室にいるであろう校医の下へ疾走した。
「凄い熱だ……誰か、保健室へ連れて行ってあげなさい。保健委員の人は?」
駆け寄るクラスメイト。悲鳴を上げそうになるかなた。
群集の真ん中に置かれたそうじろうはもう形振りなど構っていられず、身体をすっかり丸め横になり、
只ただ楽になるように身を捩り続けた。おぞ気に震え、熱に震えながら、何度も何度も虚空を掻き毟り、蹴り上げながら。
いつの間にやらはるかが連れてきた校医によって、保健委員の『誰か』が動き出す必要もなく、そうじろうは運ばれていった。
一瞬の慌しさの後、理科教師は実験の再開を命じたが、どうにも集中した空気は最後まで降りることはなかった。
「まさか泉君、具合が悪かったなんてね。想像もつかなかったわよ。……ちょっと具合悪すぎる気もするけど」
かなたも同意する。
「ホントに。そう君、風邪でも引いたのかな? ……でも、それにしては苦しそうだったけど、大丈夫かな?」
「朝はアレだけ全力で走ってきたもん、大丈夫よ」
はるかは軽く付け加え、かなたも一瞬それで安心した。
「それにしても、珍しいわね、泉君が倒れるなんて」
丈夫なそうじろうが風邪を引いた記憶など、かなたには無かった。だから、何かがおかしいと心の底が警鐘を鳴らしていても、
『まぁたまにはこんなこともあるだろう』、それくらいに考えていた。
実験こそ一人が欠けても問題などなく進行していったが、突然倒れたそうじろうのことが気がかりで、
二人は実験結果についての長い解説を他の生徒に同じく完全に聞き流していた。
休み時間、実験の片付けが終ると直ぐに、はるかはかなたの手を引いて、連れ立って保健室へと向かった。
「失礼します、泉君のお見舞いに来ました」
いるはずの校医は返事をしなかった。もう一度ノックをしても音沙汰がないものだから、はるかは勝手にドアを開けて中に入っていった。
すると、代りにストーブで暖を取っているちゃっかり者が一人、突然の来客に対してばつが悪そうに縮こまっていた。
「泉君、どこー?」
はるかがカーテンの向こうに声を掛けると、一番奥のベッドから幽かな呻き声が帰ってきた。
ずかずかとはるかが遠慮なくカーテンを開け放つと、赤色一変、青白い顔で寝込んでいるそうじろうがいた。
目線だけをはるかに向けて、弱々しく微笑む。
「ちょっ、泉君どうしたのよ!?」
「い、いや……ははは、どうも、インフルエンザ、らしくてさ。熱いのに寒いんだ……頭は火照っててだるいのに、寒気がして、目まいがする……」
それだけをどうにか搾り出したそうじろうは、声を出すのも辛そうに布団を深く被り、もぞもぞ寝返りを打ったかと思うと
そのまま動かなくなった。あとはもう何を言っても答えはなく、トイレから戻ってきたらしい校医に『感染するから』と無理矢理引き剥がされていったはるかであった。
今まではるかの後ろにくっついてそうじろうを見守っていたかなたが、まず校医に聞いたのは容態についてだった。
だが校医の見たところ病状は軽いとは言えず、昼休みにでも手の開いた教師が来るまで病院に搬送するとのことだった。
「少なくとも自力で帰れるほどじゃないし、御家庭に連絡しても外出中なのか、電話に出ないのよ」
妙齢の校医が言うには、命に別状がある程重い病状を呈しているわけではないが、まともな施設で医師による診察と治療は必要らしい。
それを聞くと、今度はかなたの顔が青くなった。
「ど、どうしようはるちゃん、私、私!」
休み時間、即ち面会時間も終り、三階という高みにある教室へと帰る途中、かなたは動揺を隠せなかった。
「かなたちゃん、かなたちゃんのせいじゃないんだから。お医者さんに見てもらって、注射の一本でも打って薬飲んどけば大丈夫よ」
「ううん、私のせいなの……!」
かなたが言うところには、『俺は男だからな、今年一年風邪なんて引かないぞ!』と意気込んで今年の抱負を語り出したのが一昨日で、
「『ホントにできるの?』って聞いたら、短パンとランニングシャツだけで町内一周してきたの……」
はるかはそれを聞いて絶句した。バカだとは思っていたがまさかそこまで意地っ張りだったとは。
「もう、自業自得っていうか、もうバカね」
他に適切な表現が思い浮かばなかったはるかは、一番ストレートな言葉で代弁した。一方バカといわれてかなたも黙ってはいない。
「そう君はバカなんかじゃないよ、私のために頑張ってくれて、それで……」
瞳を潤ませるかなたに、はるかはしまった、と苦い顔で問いかける。この調子だと幼馴染の長所を嫌というほど語らされるに違いない。
なのではるかは責任ごとそうじろうに押し付けることにした。
「あのね、こうやってかなたちゃんを泣かせるような、自称『男』が悪いのよ。そんな奴、バカじゃなくて何なのよ?」
かなたは上りかけた階段の真中で立ち止まり、はるかを真っ直ぐ向いた。そして数秒間はるかの時間を止め、
絶望の淵へと追いやる答えを発した。もちろん、かなたにそんな気はなく。
「そう君は、そう君は私の大事な幼馴染だもん」
「あ……」
「失礼します、泉君のお見舞いに来ました」
いるはずの校医は返事をしなかった。もう一度ノックをしても音沙汰がないものだから、はるかは勝手にドアを開けて中に入っていった。
すると、代りにストーブで暖を取っているちゃっかり者が一人、突然の来客に対してばつが悪そうに縮こまっていた。
「泉君、どこー?」
はるかがカーテンの向こうに声を掛けると、一番奥のベッドから幽かな呻き声が帰ってきた。
ずかずかとはるかが遠慮なくカーテンを開け放つと、赤色一変、青白い顔で寝込んでいるそうじろうがいた。
目線だけをはるかに向けて、弱々しく微笑む。
「ちょっ、泉君どうしたのよ!?」
「い、いや……ははは、どうも、インフルエンザ、らしくてさ。熱いのに寒いんだ……頭は火照っててだるいのに、寒気がして、目まいがする……」
それだけをどうにか搾り出したそうじろうは、声を出すのも辛そうに布団を深く被り、もぞもぞ寝返りを打ったかと思うと
そのまま動かなくなった。あとはもう何を言っても答えはなく、トイレから戻ってきたらしい校医に『感染するから』と無理矢理引き剥がされていったはるかであった。
今まではるかの後ろにくっついてそうじろうを見守っていたかなたが、まず校医に聞いたのは容態についてだった。
だが校医の見たところ病状は軽いとは言えず、昼休みにでも手の開いた教師が来るまで病院に搬送するとのことだった。
「少なくとも自力で帰れるほどじゃないし、御家庭に連絡しても外出中なのか、電話に出ないのよ」
妙齢の校医が言うには、命に別状がある程重い病状を呈しているわけではないが、まともな施設で医師による診察と治療は必要らしい。
それを聞くと、今度はかなたの顔が青くなった。
「ど、どうしようはるちゃん、私、私!」
休み時間、即ち面会時間も終り、三階という高みにある教室へと帰る途中、かなたは動揺を隠せなかった。
「かなたちゃん、かなたちゃんのせいじゃないんだから。お医者さんに見てもらって、注射の一本でも打って薬飲んどけば大丈夫よ」
「ううん、私のせいなの……!」
かなたが言うところには、『俺は男だからな、今年一年風邪なんて引かないぞ!』と意気込んで今年の抱負を語り出したのが一昨日で、
「『ホントにできるの?』って聞いたら、短パンとランニングシャツだけで町内一周してきたの……」
はるかはそれを聞いて絶句した。バカだとは思っていたがまさかそこまで意地っ張りだったとは。
「もう、自業自得っていうか、もうバカね」
他に適切な表現が思い浮かばなかったはるかは、一番ストレートな言葉で代弁した。一方バカといわれてかなたも黙ってはいない。
「そう君はバカなんかじゃないよ、私のために頑張ってくれて、それで……」
瞳を潤ませるかなたに、はるかはしまった、と苦い顔で問いかける。この調子だと幼馴染の長所を嫌というほど語らされるに違いない。
なのではるかは責任ごとそうじろうに押し付けることにした。
「あのね、こうやってかなたちゃんを泣かせるような、自称『男』が悪いのよ。そんな奴、バカじゃなくて何なのよ?」
かなたは上りかけた階段の真中で立ち止まり、はるかを真っ直ぐ向いた。そして数秒間はるかの時間を止め、
絶望の淵へと追いやる答えを発した。もちろん、かなたにそんな気はなく。
「そう君は、そう君は私の大事な幼馴染だもん」
「あ……」
はるかは、自身の敗北を悟った。小学校四年のときにクラス替えで初めて一緒になったそうじろうはしかし、
自分の知らないもう六年を、幼稚園にいた頃からずっとクラスも変らずにかなたと遊び、学んで、育ってきたのだ。
そこで育んできた気持ちもまた、時の流れを抜きにしようと、はるかは到底かなたに勝つことなど叶わないと、思い知ったのだった。
一途な想い、真っ直ぐな瞳。そして何より、かなたの身体から発せられる気概、オーラは、
はるかのそれが太刀打ちできる代物ではないと、彼女の心にしっかりと刻み付けられた。
それ程までに、自身と目の前にいる小柄な少女との間に絶対的な格付けがなされるまでに、かなたの眼光は力強さを帯びていた。
「そ、そうね。泉君はかなたちゃんの幼馴染だもんね。そうだったわね……」
惚けた顔で繰り返し、トボトボと階段を昇っていくはるかだったが、昇りきった瞬間、その身体に稲妻が走るのを感じた。
今付けられたばかりの格付けを、何とか挽回する手段、その妙なる虚を掴み取った。
はるかにだけできること。かなたにはできないこと。近すぎる故に遠く、遠い故に近しいそうじろうとの間柄を、はるかはしっかりと感じ取った。
見る間にはるかの脳に血が巡り始め、第二の悟りは振り返り様、かなたの鼻頭をビシッと指して、声高に口から溢れ出した。
「でも、まだ『完全に』負けた訳じゃないんだからね! 私は、泉君のことが好きだから! 大好きだから!
かなたちゃんが泉君と幼馴染を続けるなら、私は泉君と恋人になるわよ!」
自分の知らないもう六年を、幼稚園にいた頃からずっとクラスも変らずにかなたと遊び、学んで、育ってきたのだ。
そこで育んできた気持ちもまた、時の流れを抜きにしようと、はるかは到底かなたに勝つことなど叶わないと、思い知ったのだった。
一途な想い、真っ直ぐな瞳。そして何より、かなたの身体から発せられる気概、オーラは、
はるかのそれが太刀打ちできる代物ではないと、彼女の心にしっかりと刻み付けられた。
それ程までに、自身と目の前にいる小柄な少女との間に絶対的な格付けがなされるまでに、かなたの眼光は力強さを帯びていた。
「そ、そうね。泉君はかなたちゃんの幼馴染だもんね。そうだったわね……」
惚けた顔で繰り返し、トボトボと階段を昇っていくはるかだったが、昇りきった瞬間、その身体に稲妻が走るのを感じた。
今付けられたばかりの格付けを、何とか挽回する手段、その妙なる虚を掴み取った。
はるかにだけできること。かなたにはできないこと。近すぎる故に遠く、遠い故に近しいそうじろうとの間柄を、はるかはしっかりと感じ取った。
見る間にはるかの脳に血が巡り始め、第二の悟りは振り返り様、かなたの鼻頭をビシッと指して、声高に口から溢れ出した。
「でも、まだ『完全に』負けた訳じゃないんだからね! 私は、泉君のことが好きだから! 大好きだから!
かなたちゃんが泉君と幼馴染を続けるなら、私は泉君と恋人になるわよ!」
高らかな宣言は瞬く間にクラス中の噂になり──あの声が届かない場所といったらプールの中だけだっただろう──、
『知らぬは本人ばかりなり』となったのは、翌日以降のお話。
尤も、知らないのは保健室のベッドで病床に伏していた事態の張本人も勘定に入っているが。
『知らぬは本人ばかりなり』となったのは、翌日以降のお話。
尤も、知らないのは保健室のベッドで病床に伏していた事態の張本人も勘定に入っているが。
「えっ……?」
かなたの顔に表れた、初めての動揺。未来への不安と、大切な何かが消えていきそうな恐怖。
「だっ、ダメだよ!」
「何がダメなの?」
かなたが一歩後退した感情論を出してきたので、はるかも攻勢に出る。
元々引っ込み思案のかなたを勝気で快活なはるかが喝破していくのは、ある意味当然の成り行きとも言えた。
「私は泉君が好き。私は──
はるかが言いかけた時、二時間目の開始を告げる鐘が鳴った。それに呼応して、階下から複数の足音。紛れもなく教師のもの。
「かなたちゃん、屋上行くよ」
「え、屋上? だって、授業が始まっちゃ……」
「行くよ」
その日、二人は生まれて初めて授業をサボった。そのことを後悔する気持ちは、後々になっても不思議と沸いてこなかった。
かなたの顔に表れた、初めての動揺。未来への不安と、大切な何かが消えていきそうな恐怖。
「だっ、ダメだよ!」
「何がダメなの?」
かなたが一歩後退した感情論を出してきたので、はるかも攻勢に出る。
元々引っ込み思案のかなたを勝気で快活なはるかが喝破していくのは、ある意味当然の成り行きとも言えた。
「私は泉君が好き。私は──
はるかが言いかけた時、二時間目の開始を告げる鐘が鳴った。それに呼応して、階下から複数の足音。紛れもなく教師のもの。
「かなたちゃん、屋上行くよ」
「え、屋上? だって、授業が始まっちゃ……」
「行くよ」
その日、二人は生まれて初めて授業をサボった。そのことを後悔する気持ちは、後々になっても不思議と沸いてこなかった。
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- 続きがみたいです。 -- 桜花 さくら (2008-04-04 19:38:16)