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みずたまりのほとり(みなみ視点・3日目)

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だれでも歓迎! 編集
次の日。
私は普段通りに家を出た。
ただ、一つだけいつもと違った。
今日はトレードマーク(?)のタイツ無しで、素脚だった。
濡れるのが嫌だったからじゃなく、脚が冷えておしっこが近くなるように。

たぶん、今日もゆたかは来ない。
そう思ったけど、かすかな希望を抱いて昨日と同じようにバス停で待った。
すると…。
いつもゆたかが乗ってくるバスの中から、ゆたかが降りてきた。

「ゆたか…」

「……!」

ゆたかは私に気付いて何か言いかけたけど、
そのままおびえるように顔を背けて学校の方に走り去った…。

学校に来たのは、少なくとも昨日よりは立ち直ったということ。
私がゆたかに嫌われてるとか、そんなのは些細なこと。
なのに…胸が痛くなるのをどうにもできなかった。

教室に行くと、ゆたかの席には鞄だけあって、ゆたかの姿はなかった。

「ゆたかは…?」

教室にいたひよりに聞いてみた。

「来たけど…鞄だけ置いてすぐに出て行っちゃった。
 あっという間で、おはようも言えなかったよ…」

ひよりは寂しそうに言った。

ゆたかは、HRで先生が来るのと同時に戻ってきた。
席についてもずっと下を向いて、周りを見ようとしなかった。
まるで、石ころにでもなりきろうとしているみたいだった。

ゆたかはずっとそんな調子だった。

授業中は板書するのにちらちら前を見る以外、ずっと下を向いていた。
休み時間になるとすぐ出て行って、次の授業で先生が来るのと同時に戻ってきた。
どこか人気のない所で時間を潰しているようだった。

ゆたかは立ち直ってなんかいない。
きっと、家の人に心配をかけないように無理して来ただけ。
私がこれからすることで、少しでも気持ちを楽にしてくれることを祈るしかない…。

………

昼休み。
ゆたかは今までと同じように、昼休みが始まるなりお弁当を持って教室を出て行った。
食欲までは無くしてないと知って、少しだけ安心した。
食べることさえできれば、落ち込んでても体調はある程度維持できるはずだから。

今の時点でもう『おしっこしたい』ってはっきり感じる状態だった。
昨日感じたのは5時間目の途中だったから、それよりずっと早い。
タイツがなくて脚が冷えてる効果が、確実に出てる。
でも、これだけじゃ足りない。

お弁当を適当に済ませた後、
私は、用意してきたペットボトルのお茶を一気に飲んだ。

「んっ……んっ……」

好きでよく飲むお茶なのに、今日はおいしくない。
体にたまってる水分が、新しい水分を拒否していた。
普通の500mlのボトルなのに、その時は何リットルにも感じた…。

「……はぁ」

…何とか飲み干した。
計算では、6時間目の授業中にお茶の効果が出るはず。
効果が出れば、私のしぶとい膀胱だってさすがに耐えられないはず。

そこまでこだわる必要があるのかって、思われるかもしれない。
適当な量だけおしっこをためて、適当な時間にわざとしてしまったって、
他の人から見たら同じことだろう。

でも、それじゃ意味がない。
ゆたかと同じようにいっぱい苦しんで、
本当に我慢できなくなってもらすのじゃないと、
私への報いにならない。

ぞくっ。

「うぅ……」

おしっこのせいか冷たいお茶のせいか分からない、とても嫌な寒気がした。
そんな私を、ひよりが昨日よりも複雑な表情で見ていた…。

………

5時間目の授業が始まった。

じっとしているのが辛い。
寒気が断続的に襲ってくるのに、その一方で汗がにじんでくる。

「んっ…!」

おなかに痛みがきて、思わず声が出てしまい、慌てて周りを確認する。
…よかった。誰も気付いていない。
ひよりは驚いてシャープペンの芯を折ってしまったようだけど…。

急に不安になってきた。

この時間のうちに、もらしちゃうかもしれない。
我慢できなくなってするのでも、
ゆたかがしたのと同じ6時間目じゃないと意味がない。

もらさなくても、今みたいに声を出したりして他の誰かに気付かれたら、
きっと先生に伝えられてトイレに行かされてしまう。

それに、ひより。
ひよりは『最後まで放っておいて』という頼みを聞いてくれた。
でも、それは誓いでも約束でもない。私が勢いでうんと言わせただけ。
土壇場で心変わりして、私をトイレに行かせようとするかもしれない。
私の頼み自体が異常なのだから、ひよりがそうしたとしても非難はできない。
友達に『授業中におもらしするのを黙って見過ごして』なんて頼まれて、
おしっこを我慢してるのを延々見せられたら、
私だって、最後まで心変わりしないでいられる自信はない…。

お願い…今はこれ以上何も起きないで。
トイレに行かされるわけにはいかないの。
おもらしするのも、まだ少しだけ早いの。
この授業と次の休み時間だけでいい。このままでいさせて…。

…願いは、通じた。
心配した事態はどれも起きず、5時間目も無事に終わった。

休み時間。
ゆたかはまた出て行って、私は自分の席に座っていた。

おしっこの製造が加速してるのをはっきり感じる。
昼休みに飲んだお茶がもうおしっこになり始めている。
計算よりも少し早かった。

早く6時間目、始まって…。
早く始まってくれないと、この休み時間のうちに…。
…そうだ、休み時間はもったとしても、授業の最初に起立と礼がある。
立ち上がれるかな。
立ち上がれても、礼をしたらおなかに力が入っちゃう。
もし起立か礼の時にしちゃったら、授業中とは言えない。
起立と礼は何とか耐えなきゃ…。
ううん、それだけじゃだめ。
ゆたかがしたのは、授業が始まってだいぶ経ってからだった。
正確な時間は覚えてないけど、私もできるだけ経ってからじゃないと…。

一人であれこれ考え込んでいる所に、ひよりが来た。
複雑な表情だったけど、言いたいことは分かった。

「岩崎さん…あの…やっぱりさ…」

「…いいの。このままで」

私は、苦しみの中で何とか笑顔を作って言った。

「…ごめんね、ひより。こんなの、見てるだけでも嫌だよね…。
 でも私、他にもうどうしたらいいか分からない。こうするしかないの。
 ゆたかが立ち直るきっかけになれるなら、私はどうなってもいい。
 あと少しだから。このまま最後まで…ね。もう一度…お願い」

「………うん」

ひよりは戻っていった。
ありがとう、ひより。

やっと、6時間目の始まりのチャイムが鳴った。
黒井先生が来て、ゆたかも戻ってきた。
始まりの起立と礼は何とか耐えることができた。

黒井先生…ごめんなさい。迷惑をかけてしまいます…。
それに、クラスのみんなも…。

私がおもらしした後、きっとまたパニックになる。
授業は台無しか、少なくとも中断を余儀なくされるだろう。
私は心の中で謝って、授業に臨んだ…。

………

おしっこ…。

寒気が止まらない。
体が小刻みに震え続ける。
握り締めた手の中が、汗でびっしょり。

………

おしっこ…したい…。

おなかに、破裂しそうな痛みが数秒おきに襲ってくる。
痛みはどんどん鋭くなってくる。
これが感じられる限界だと思っても、次に来る痛みはそれ以上に鋭くなる。

………

おしっこ…もれちゃう…。

呼吸が苦しい。
もう、周りに気付かれてないか気にすることもできない。
頭の中までおしっこが回ってきたみたいに、ぼーっとしてくる…。

やがて…もういいかなと思った。
一昨日のゆたかと同じぐらい…あるいはそれ以上我慢したと思う。
私の頭はもう、おしっこを我慢しようと考えていなかった。
なのに、まだ私はおしっこをしないでいた。
それは、この期に及んで躊躇してるからじゃなくて…、
一つの願望が生まれていたから。

…ゆたかに、復讐してほしい。
…このまま自然にするんじゃなくて、ゆたかにおもらしさせてほしい。

ゆたか…今日はずっと下を向いてるけど、こっちを見てくれないかな。
おもらしさせてって、伝えたい…。

ゆたかの方を見ると、ちょうどゆたかも私を見てくれていた。
朝と違って、今は目をそらさないで見続けてくれる。

(ゆたか…一昨日のこと、復讐していいよ。おもらしさせていいよ。
 どんな方法でも、ゆたかの好きなようにして…)

私は視線でそう訴えた。

ゆたかは困っているようだった。

(復讐の方法、思いつかないの?
 ごめんね、急だもんね…。
 でも…何でもいいんだよ?何かあるでしょ?)

ゆたかはもっと困っているようだった。

(ゆたか…早く考えて…。
 もうあんまり待てないよ…。
 ゆたか…おもらしさせて…早く…)

ゆたかは私の周りを見て、急に焦るような様子を見せた後、
不意に立ち上がった。

「先生…みなみちゃ…岩崎さん、具合が悪そうなので、保健室に連れて行きます」

え…?

「あー、ウチもちょうど今気付いた。
 めっちゃ顔色悪いし、震えとるし…岩崎、無理せんと早く行っとき。
 言いだしっぺやし、小早川、頼めるか?」

黒井先生の言葉で、ゆたかが急いで私の所に来た。

「行こう、みなみちゃん」

ゆたかの言葉に、私は首を振った。

「だめ、行けない…」

私はここでおもらししなきゃいけないの。
だから今までずっと我慢してたんだよ…。

「無理しちゃだめ、行こう!
 抱っこはできないけど、支えるから…!」

ゆたかは私にそっと手を伸ばしてきた…。

予感がした。
触られたら、もらしちゃう。

…そう。これはあの時と同じ状況。
私とゆたかが入れ替わっただけ。

ゆたかの意図が分かった気がした。
ゆたかは私に触っておもらしさせてくれる。
私がゆたかにしたように。

ゆたか、嬉しい…。
私が一番望んでた形でおもらしさせてくれるんだね…。

夢見心地のうちに、ゆたかの手が、私の腕を取った。

「あ……」

吐息混じりの声と共に、私はおなかの緊張が解けるのを感じた…。

「だめえええっ!」

ゆたかが教室中に響く程の声で叫んだ。

「!!」

目の前でその声を聞いた私は、一瞬気が遠くなるほどびっくりした。

ほんの少し前までそうだった『おしっこを我慢している状態』だったら、
それは体の緊張を解いておしっこを解放する効果をもたらしただろう。
でも、『体の緊張を解いておしっこを解放する瞬間』だった今は、
それが逆の効果をもたらした。
全身が一瞬麻痺して、おしっこを出そうとした体の動きが中断された。
びっくりしておしっこが引っ込むって、こういうことなのかな…?

(だめ…ここでしちゃだめだよ!トイレ行こう…みなみちゃん!)

ゆたかが、今度は私以外の誰にも聞こえないように囁いた。

囁きが魔法の呪文だったかのように、頭が再びおしっこを我慢する方向に働き始めた。
もらしちゃうという予感が、消えた。
今なら立ち上がれそう。

「立たせて、いい?」

「…うん」

私は無事に立たせられた。

「歩ける…?」

ゆたかに支えてもらいながら、恐る恐る一歩を踏み出す。
おなかから全身にまで衝撃が伝わってきたけど、少しの間なら耐えられそうだった。

「歩けそう…少しの間なら」

「じゃあ行くよ。ゆっくり、急いで」

ゆたかに支えてもらいながら、私は教室の外に出た。

背後の教室からざわめきが聞こえた。
歩くので精一杯の私に、それをまともに聞き取ることはできなかった。
ただ、ところどころ拾えた単語から、
私がおしっこを我慢していたのがみんなに知られたことは分かった。

………

私はそのままゆたかにトイレまで支えてもらって…無事におしっこを済ませた。
下着もチェックしてみたけど、一滴ももらしてなかった。
物理的にも精神的にも、相当に危ない所まで行ったのに。
私は膀胱だけじゃなく、そこから先の部分も相当にしぶといらしい。

「……っ…!」

おしっこを済ませたのに、おなかに破れるような感じの痛みが残っていた。
もしかしたら、膀胱を傷めてしまったのかもしれない。
でも、そんなこと今はどうでもよくて…。

おもらし、できなかった。
ゆたかと同じになれなかった。
ゆたかが立ち直るきっかけになるかもしれなかった事が、未遂で終わってしまった。
その事を自覚した途端、頭の中にまた真っ白な部分が、前より大きくなって現れた…。

手を洗った後、洗面台に手をついたまま動けなくなった。
頭の中の半分近くが真っ白で、ふわふわした虚脱感に襲われていた。
これ以上真っ白が大きくなったら自分を制御できなくなりそうで、
できれば、その場でしばらく休んで頭を整理したかった。
でも、ゆたかが外で待っていた。
私はふわふわな状態のままトイレから出た…。

私が出てくると、ゆたかはちらっと私のスカートから下を見た。

「みなみちゃん…タイツ、もしかして…」

「今日は、はいてきてない」

「そ、そうだっけ…。じゃあ…大丈夫だった?」

「…うん」

「少しも?」

「うん。確認した…」

私が言うと、ゆたかはため息をついた。

「…みなみちゃん。教室から出た時、みんなが話してたの聞こえたんだけど…。
 5時間目から…もしかしたらもっと前からずっと我慢してたみたいだって。
 本当なの?」

「…うん」

「…どうして?」

…答えられなかった。

ゆたかは、少し考え込んで…悲しそうに言った。

「みなみちゃん…みんなの前でおもらしするつもりだったんだね。
 私がしちゃったから…同じようにって…」

ゆたかな口調は問いじゃなく、分かっている事の確認だった。
その口調に抗えず、私はそっと肯いた…。

「…ばかあっ!」

その叫びは、さっきの『だめえええっ!』よりも小さかったけど、
あの時の『おしっこがぁ!』よりも悲痛で、
頬を思いっきり平手打ちされたみたいに頭に響いた…。

「みなみちゃんまでおもらししたって、私がしちゃったことは消えないよ!
 私と同じように傷付く人が、もう一人増えちゃうだけじゃない!」

「でも…でも…」

ゆたかの言う事が正しいに決まっていた。
それなのに私は、叱られて言い訳をする子供のように口走っていた。

私は…ゆたかを…傷付けた…だから…。
 私も…同じように傷付けば…ゆたかが…少しは……」

その先が、続けられなかった。

「みなみちゃん…」

ゆたかの表情が、もっと悲しそうになった。

「みなみちゃんがおもらしして傷付くのを見たら…
 私…仲間ができて嬉しいとか、いい気味だよとか、喜ぶと思ったの?
 私のこと…そんなわがままで意地悪な人だって思ってたの?」

そんなわけないって、言えればよかった。
私はゆたかのこと、わがままで意地悪な人なんて絶対に思ってない。
でも…仲間ができたら楽になって立ち直れるかも、とか、
ゆたかに復讐してほしい、とか、そんなことを想像したのは、
心のどこかでゆたかにそういう要素を求めたからに違いなくて…。

「………」

私は何も言えず、黙っている事しかできなかった。
それは…肯定と同じ事。

ゆたかの目に涙が浮かんだ。

「みなみちゃん…私のこと…そんな風に思ってたんだ…。
 そんなの…おもらししちゃったことよりずっと悲しいよ…。
 ひどい…ひどいよ…みなみちゃん…」

ゆたかは下を向いて、肩を震わせた…。

私…またゆたかを泣かせちゃうんだ…。
ゆたかにしたこと、償おうとしたのに…。
何一つ償えないで…。
償わなきゃいけないことが、また増えちゃった…。

私の頭の中の真っ白が一気に広がって…。
頭の中で何かが弾け飛んだ気がして…。
目の前の景色が急にぼやけて、何も見えなくなった。
意識はあるから、気を失ったわけじゃなかった。
ゆたかが泣くのを見ないですむように、頭が視覚をシャットダウンしたらしい。

……ぽたっ。

ゆたかの涙がこぼれ落ちて、私の足元で弾けた。
見えなくたって、音で感じる…。

……ぽたっ。

また、ゆたかの涙が落ちた。

「…みなみちゃん!?」

ゆたかの驚いた声。
視覚がシャットダウンされてるから、何に驚いたか分からない。

「………」

『どうしたの?』って言おうとしたのに、なぜか声が出なくて…、
代わりに、私の頬に何かが伝って落ちるのを感じた。

……ぽたっ。

さっきと同じ音。
ということは…私の頬に伝ったのは、ゆたかの涙らしい。

…待って。

ゆたかの涙が、どうして私の頬を伝うの?

思わず、目の辺りをぎゅっとこすった。
景色が元に戻って、目の前のゆたかがはっきり見えた。

ゆたかは泣いてなかった。

『え?』と思う間もなく、また景色がぼやけて、頬にまた何か伝い落ちた。

……ぽたっ。

まさか…。

流れ落ちてる涙は、ゆたかのじゃなくて…。

泣いてるのは、ゆたかじゃなくて…。

……私?

「……っ!」

慌てて、目をぎゅっと閉じた。
…でも、閉じた目から、涙がどんどんあふれてきた。

顔を手で押さえた。
…でも、押さえた手からも、涙がどんどんこぼれ落ちた…。

待って…待ってよ…。
どうして?どうして涙が出てくるの?
私…泣こうとなんかしてないよ…!

「みなみちゃん…あ…あの…」

ゆたかがびっくりしてる。

「ご…ごめん…私…言い過ぎた…」

違う。違うの。
泣いたのはゆたかのせいじゃない。
どうして泣いたのか私にも分からなくって…。

「みなみちゃん…そんなつもりじゃなかったんだよぉ…」

だめだ…泣いてるだけじゃ伝わらない。

喋れるように、何とか落ち着いて涙を止めようとしたけど、どうしても止まらない…。

ゆたかの動揺がどんどん大きくなっていく。
見えなくたって感じる…。

(ゆたかが…私の前からいなくなっちゃう)

不意にそう感じて…。

「違う…違うの…」

私は、無理に声を出した。
自分で分かるぐらい声が震えてる。
ゆたかが聞き取れたのかどうかも分からない。
だけど…今は、とにかく何か言わなきゃ。
喋ってるうちに頭の中の整理が付いて、涙も止まるかもしれない…。

顔を押さえた手を離して…、涙が頬を伝い続けるのも構わず、私は続けた。

「どうして…泣いてるのか…自分でも…分からないの…。
 全部…私がまいた種…なのに…泣く資格なんか…ないのに…。
 涙…いきなり…出てきて…止まって…くれないの…。
 訳…分からない…よね…」

整理が付くどころか、頭の中はどんどん真っ白に侵食されていく。

「ゆたかの…言う通りだよ…おもらしさせたこと…もう…消せない…
 でも…償いたかった…私の…したこと…。
 せめて…立ち直るきっかけ…作りたかった…。
 なのに私…ばかで…ゆたかの気持ち…考えないで…また悲しませただけだった…」

涙がもっといっぱい出てきて、声が詰まって、喋るのさえ辛くなっていく。
眠くて気が遠くなっていくときのように、何も考えられなくなっていく。
言いたいことが言葉にまとめられない。
それどころか、ゆたかに何を伝えたくて喋ってるのかさえ分からない…。

「私……本当に……ばかだ……。
 どんどん……頭……真っ白になって……何も……考えられない……。
 もう……どうしたらいいのか……分からない……分からないよぉ……!」

それでもう何も喋れなくなって…。

(ゆたか…いなくなっちゃやだ…)

最後に浮かんだ言葉は、もう声にならなかった。
頭の中を、真っ白が完全に覆い尽くした。
何も考えないで、泣き続けることしかできなくなった…。

……………

…どのぐらい泣いていたんだろう。
頭の中の真っ白が少しずつ小さくなって、少しずつ思考力が戻っていった。

自分が口走っていた言葉を思い出すうちに、涙が出た理由が、分かった。

『もうどうしたらいいのか分からない…分からないよぉ…!』

簡単に言ってしまえば、
私はあのときからずっとどうしたらいいのか分からなくて、パニックで泣きたかった。
それだけのこと。

あの時から頭の中にあった真っ白の正体は、
どうしたらいいのか分からなくて泣きたい衝動だった。

自分では制御していたつもりだった。
だけど、真っ白の正体が何かも分かってないのに制御できるわけなんかなくて、
ただ奥底に押し込めて表に出ないようにしてただけだった。

そんなことを続けたって、それこそおしっこを無理に我慢し続けるのと同じで
いつかは抑えられなくなるに決まってたんだ…。

どうしたらいいか分からないのは、今だって同じ。
でも、真っ白の正体は分かったから、今は本当に制御できる。
真っ白は頭の中でどんどん小さくなって、完全に消えた。
涙が、止まった。

一つ息をついて、手で涙を拭おうとすると…。
私の顔にそっと柔らかいものが触れて、私の涙を優しく拭い去った。
柔らかいものが離れて…私の涙を拭いてくれた人の姿が一瞬だけ映った。

ゆたか。
まだ、そばにいてくれた。

でも、恥ずかしくてゆたかの顔を見られなくて、視線を足元にそらした。
そうしたら、足元で私の涙が小さな水たまりになっていて、
もっといたたまれなくなった…。

「みなみちゃん…」

ゆたかが口を開いた。

「…ごめんね。ずっと誤解させたままでいて…」

え…?

予想外の言葉に顔を上げると…。
ハンカチを手にしたゆたかの表情は、悲しそうだったけど、優しかった。

「おもらししたの、みなみちゃんが触ったからじゃないよ。
 あの時『おしっこが』って叫んじゃったのは…その…、
 もう、少しもれてて…スカートから椅子の上まで濡れちゃってて、
 動いたらもらしたおしっこが見られちゃうよ、って意味だった…。
 みなみちゃんが来なくたって、椅子から動けないままもらしてた…。
 みなみちゃんが責任を感じる必要なんて、全然なかったんだよ…」

私を慰めるための嘘じゃない…ゆたかの瞳がそう告げていた。
…でも、私は首を横に振った。

「私は保健委員なのに、ゆたかの事、注意してなかった。
 『ゆたか、ちゃんと休み時間にトイレ行ったかな、おしっこしたくないかな』って、
 いつも注意してなきゃいけなかった。
 そうしていたら、動けるうちに教室から連れ出してあげられた。
 だから、私のせいなのは変わら…」

「う~……」

ゆたかが真っ赤な顔で唸り出したので、私は途中で言葉を失ってしまった。
ただ、目は><で、怒ってるというよりふくれてる感じだった。

「あのね~、みなみちゃん…。
 私、おしっこ一人でできない赤ちゃんじゃないんだよ…?
 そこまでいつも注意されてたら、すごく恥ずかしいんだけど…」

「そ、そうかな…?」

ふくれた顔が可愛くて、微笑みがこぼれそうになってしまう…。
声も、本気で怒ってる感じじゃなく、からかわれて照れているような感じで…。

「そうだよっ!
 今回のことだって、もらしちゃうまで黙ってた私が悪いに決まってるよ!
 みなみちゃん、私のこと、子ども扱いしすぎだよぉ!もうっ!」

「ご、ごめん…」

もちろん、私は真剣に謝ったのだけど…。
張り詰めていた雰囲気が一気に和んでしまった。
否定しようがないと思っていた私の責任も、
冗談のようにあっさり否定されてしまった。
いいのかな、こんなので…。
私が一人で難しく考え過ぎてただけなのかな。
そういえば、泉先輩も言ってたっけ。
私もゆたかも、一人で深みにはまっていってるって…。

「昨日の夜、お姉ちゃんから聞いてたんだ…。
 みなみちゃんが自分のせいだって誤解して思い詰めてたってこと」

ゆたかが話を戻した。

「違うんだよ、って伝えなきゃって思って、今日、学校に来たのに…
 みなみちゃんを見たとたんに、夢のことを思い出して…逃げちゃった」

「夢?」

「一昨日の夜、見たの…。
 おもらしした子だってみんなにいじめられて…
 みなみちゃんにも嫌われて…一人ぼっちになっちゃう夢。
 すごくリアルで…きっとほんとになるんだって…怖くて…」

「………」

「朝、みなみちゃんから逃げた後も…
 夢と同じようにいじめられるのが怖くて、休み時間は誰もいない所に逃げて…
 先生がいればいじめられないと思って、授業の時だけ戻って…
 そんなこと、繰り返してた…」

ゆたかも、私と同じだった。
夢が見せた未来におびえて、苦しんでいた。

「夢は…夢だよ。
 本当になる場合もあるけど…間違っている場合だってある。
 その夢で、絶対に間違ってる所、一つ、すぐに言える」

それは…今のゆたかに一番伝えたいことでもある。
今なら目と目で分かると思うけど、言葉でもはっきり伝えたいこと。

「私は、ゆたかの事、嫌いになったりなんかしない。
 ゆたかの事、ずっと好きなままだよ。今も、これからも」

「あ……」

ゆたかの表情に、また悲しみが浮かんだ。
きっと、私がゆたかを嫌いになったと勝手に思い込んでいたことへの罪悪感で。
でも、私の『これ以上、何も悲しまなくていいんだよ』っていう微笑みを見て、
その悲しみも消えた。

ゆたかの瞳がまた潤んだ。
さっきとは違う涙で。

「みなみちゃん…ありがとう…。
 私…きっと、おもらしした子っていじめられるけど…
 負けないで頑張っていける…みなみちゃんがいてくれるから…」

ゆたかは笑顔になった。
でも、その笑顔の中には悲壮な覚悟があった。
今の笑顔も綺麗だけど、何かが違ってて…、
もう一つ、言葉で伝えたいことが増えた。

「…ゆたか。
 私だけじゃない。ひよりはもちろん、他の人だってゆたかの事を心配してる。
 ゆたかをいじめるのは…ゆたかだけだよ」

「え…」

「『おもらしした子だ』とか、『いじめられる』とか…
 自分に何回も言って、辛くなって…自分で自分のこと、いじめてる。
 もし他の誰かがおもらししたって、ゆたかはそんな風にいじめたりしないよね。
 それと同じように…ゆたか自身のこともいじめないであげて。
 私や他の人に優しいのと同じように…自分にも優しくしてあげたらいい…。
 それで、もう、ゆたかをいじめる人はいない…」

「………」

ゆたかは黙り込んだ。
私はそれ以上何も言わなかった。
私の言葉は下手だから、少し時間はかかると思うけど、
伝えたいこと、今はきっと通じてくれる。

「……うん、分かった」

ゆたかの笑顔から、悲壮な覚悟が消えた。
私がいつも見てきた、明るい笑顔がそこにあった。
私の伝えたいこと、通じてくれた。

ゆたかが、私の手を取った。

「ありがとう…みなみちゃん。本当に…」

ゆたかの手から、私の全身に幸せが染み込んできて…
ずっと我慢していた、おなかの破れるような痛みが収まった。

元に戻れたんだって、実感した。
ゆたかだけじゃなく、私も…。














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