12月中旬(1日目)
すっかりクリスマスモードの葵の街。
向坂維胡琉はクリスマスプレゼントを選びにショッピングモールへ来た帰り道で、まるで誘い込まれるように、小さな美術館の前にいた。
「……佐倉倉治展…」
入り口に張られていたポスターに書かれた、聞いたことのある有名な画家の名前に、教科書で見たことの”ある絵”のことを思い出す。
なんとなく、懐かしい気持ちになった維胡琉は美術館の扉を開いた。
吊るされた男の絵や小麦を刈る人…どこかで見たことのある有名な絵をはじめ、多くの美しい絵画が並ぶ中、維胡琉はある絵の前に立ち止まる。
「………これが……」
『美代子』と書かれた少女の肖像画の前に維胡琉が立つと、なんだか奇妙な気持ちになる。
まるで呼吸をし、鼓動さえ感じるような……そう、「生きた人間」を目の前にしているような…。
どのくらいの時間そうしていただろうか…維胡琉は呼吸すら忘れてしまったかのように、その絵から目が離せなくなり、ただその場に佇んでいた。
―リンッ
ふと耳に入ってきた小さな鈴の音にハッとした維胡琉はようやく我に返り、あたりを見回した。
「ニャーォ」
「え…猫…?」
維胡琉の背後には、首に鈴をつけた黒猫が座ってこちらを見ていた。
思わず維胡琉は周囲を確認するが飼い主らしき人は見つからない。
館内に猫が入ってきていいものなのか…警備はどうしているんだろうなど現実的なことが頭を巡るが、それよりも愛らしい声と艶やかで美しいその黒い毛並みに手を伸ばさずにはいられなかった。
「猫ちゃん、どうしたの…?迷子、かしら…?」
―リンッ
猫に触れるや否や、先ほどよりも大きな鈴の音が響き…維胡琉の世界は突如暗転した。
…
……
………
…………。
暗く深い穴に落ちるような感覚。
一瞬なのか、数時間なのか…どのくらいたったのかわからないが、ドスンと維胡琉はしりもちをつき瞼を開いた。
「…っ…痛い…。」
腰をさすりながらゆっくりと目を開くと、そこは先ほどの美術館…のようで、どこかが違う。
絵画がどれも先ほどの美代子のように躍動感があふれ…否、溢れるどころか生きている。
裸の女の絵は恥ずかしそうに額縁の陰に隠れているし、小麦を収穫する絵は今まさに鎌で小麦を刈っているではないか……
「…何…、どういう…」
『おい、女。俺様が助けてやろうとしてたのに、無駄にしてんじゃねーよ。』
わけもわからず、座ったまま周囲の絵を呆然と眺めていた維胡琉の膝に柔らかな感触がのる。
視線を落とすと、先ほどの黒猫が不機嫌そうにこちらを眺め、そして喋っている。
『聞いてんのか、オイ。俺様も暇じゃねえんだ。さっさと”ここ”から出るぞ。』
「…え!?…あ、うん、聞いてる。ごめんね。…ちょっと状況が把握できなくて、混乱しているみたい…。」
喋る猫には瞠目するも、急かされれば思わず普通に会話してしまうあたりは維胡琉らしさなのだろう。
「…”ここ”から出るって、ここは何処なのかな?それにどうやって出るのか、貴方は知っているの?
貴方は…なんて呼んだらいいのかな?…あ、私は、維胡琉…だよ。」
『質問攻めかよ…。めんどくせぇな。
ココは”絵画の世界”、現実世界に繋がる”扉”を探してそこから出る。
…俺の名は……クロとでも呼べ。』
―シャリンッ
再び鈴の音が聞こえた。先ほどとは違う、多くの鈴が重なったような音…。
聞こえた方を振り返ると、剣を構えた剣士が維胡琉を狙って剣を振り下ろさんとしている!
『ボサッとしてんじゃねーっ!ここでは絵画全てが敵だと思え!ヤツらは”鈴”を狙ってる!その首の鈴を取られたら死ぬぞ!』
「鈴…?」
クロがそう叫びながら剣士に体当たりし、何とかその場を免れる維胡琉は、そっと自身の首に触れた。
小さな鈴がクロの首輪と同じように首につけられており、よくみれば剣士の腰にも同じように様々な色の鈴が付けられている。
周りの絵画は興味なさげに見物をしているが、この全てが同じように姿を変え襲い掛かってくるというのだろうか…。
そもそもなぜ絵画が鈴を狙っているのか、鈴とはなんなのか…、維胡琉の頭には疑問ばかりがのしかかってくるが、今はぼんやりと考えている暇はない。
倒れた剣士が再び起き上がり、今まさに剣を構えんとしている。
…この隙に逃げるべきか、このまま剣士に立ち向かうか…まずはその選択が重要だ。
最終更新:2015年11月29日 15:52