8月18日午後21時30分。
事件の舞台となった坂木家の前では、白神凪と桐石登也の二人が野次馬を家の中に入らないようにと食い止めていた。
そこに、メールを出した時には既に葵のネットカフェからリニアでこちらに向かっていた向坂維胡琉が合流する。
「危ないんですって本当に!!」
今だけ、一人で野次馬を食い止めている登也を横目に、維胡琉へと凪はこれまでの状況の説明をした。
「そっか。なら回復手がいるよね」
「ああ、向坂先輩が行くなら問題ねぇな」
実際に、この中で簡単に回復行動を行えるのは維胡琉のみ。
ここに来るまでに応急キットを手に入れた登也、盾等の補助行動は得意だが、治療には最適ではない凪。
確かに鬼ヶ原空の怪我は軽くはない。応急キットなどでの手当ては必要だろうが、だからと言ってモタモタしている暇もない。
空だけでなく、要救助者がまだこの中にいるからだ。
「この人だかりは、俺が何とかする。向坂先輩は登也のヤツと一緒に中へ先行してくれ」
「わかったわ。…本当に一人で大丈夫?」
維胡琉は頷き、一度人だかりを見る。
先ほどより多くなっている気がする。
「ま、何とかするさ」
できないではなく、やるしかない。
そしておそらく、この野次馬の群れはわざと増やされているはずだ。
凪は登也に声をかけ、野次馬の対応を交代すると、登也と維胡琉は家の中へと入って行くのを見届けた。
「さて」
首の骨を鳴らし、野次馬共を睨みつける。
サーチアイを発動。特に異常は無し。
だが、彼は野次馬の中にいた人物を見逃さなかった。
その男が、拳銃を取り出したからだ。
目にもとまらぬ速さでその男との間合いを詰め、地面へと右手で叩き伏せる。
「ぐはっ!!」
即座に拳銃を取り上げ、男の腕を取り絞めた。
その瞬間、野次馬の動きが止まった。
「ま、参った!悪かった!も、もう扇動はしないよ…」
「…あまり面倒かけんなよ」
凪はその男の顔を確認すると、呆れるようにため息をついた。
そして、男の手を掴んだまま立ち上がらせる。
男は拳銃を取り出そうとしたものの、殺気がまるで感じられなかった。
それもそのはず、確か男は、空と共に先に現地に来ていた灰原という男だったからだ。
「お前らも、中は今本当に危険なんだ。それでも無理やり入ろうとするなら…こいつみたいになりたくなきゃそこで大人しく見てるか、ここから立ち去れよ」
その言葉に、野次馬もおとなしくなった。
さすがに拳銃を持つ男が自分達の中にいたとなると、疑心暗鬼で周りを窺う者、恐怖におびえて逃げる者と、家の中に入ろうとする者はいなくなった。
「とにかく助かったが…その拳銃は没収しておく。いいな?」
「マジかよ…。まあ、後は空達に任せるか…」
どこから手に入れたのか、護身用の拳銃を取られた事に嘆く灰原だったが、凪達の姿を見て任せていられると思ったのかそこで大人しく凪と待機することにしたようだ。
☆☆☆
8月18日午後21時45分。
「ん…」
「よかった、空ちゃん目が覚めた?」
空が目を醒ますと、目の前には維胡琉の姿が。
登也が持っていたはずの応急キットで、空の手当をしてくれたようだ。
「向坂さん…。鍵は?」
「あ、うん。空ちゃんが完全に気絶してたみたいだったから、登也君が外から扉壊したんだ」
確かに、気づけば書斎の扉が壊れて空いている。
いざとなったら維胡琉が守ってくれるつもりだったのだろうが、ちょっとやりすぎじゃないか、と空は思った。
体は重いが、動くことを確認すると空は立ち上がる。
「あ、まだ動いちゃダメだよ」
「だいじょうぶ。向坂さんのおかげかな」
おそらく、リバイバルハートもかけてくれたはず。
思った以上に体が動くため、ほぼ体力は戻っている。
「で、登也は?」
「先に三階に行くって」
りょーかい。と表情を変えないまま小さく呟く。
少し不安そうな顔だが、腐っても
ハンターのため、今は人命救助を優先という事でそれ以上は維胡琉は何も言わなかった。
「じゃあ私は塩水を作っておくね。ひとりかくれんぼの終了儀式をしなくちゃ」
「ん、そっちは任せる。わたしは念の為、先に2階を見回ってから3階に向かう」
「わかった。早く行ってあげてね、登也君も一人じゃ厳しいだろうし」
「分かってるよ」
二人は書斎から出ると、空は2階、維胡琉は1階のキッチンと移動を開始した。
☆☆☆
8月18日午後22時。
「こんなもんかな」
特に誰もおらず、ゾンビやくまと遭遇しなかったため、数分で全ての部屋を見回る事ができた。
しかし、何もなかったという事はおそらくは、どちらかにいる可能性が高い。
それも、悲鳴が聞こえた3階。
マズったかな、と思いながら3階へと上がると、そこには登也が一人でぬいぐるみのくまと交戦中だった。
「空!…起きてるんなら、もう少し早く来てくれなかったかな」
「ちょっと2階も見回ってたから遅くなった」
くまは包丁を持っており、俊敏な動きで登也に襲い掛かっているが、五体満足の登也に対しくまだけでは傷一つつける前に、登也のシヴァフロイラインで凍り漬けにされる。
そして効果が切れて動くとまた同じ行動。これの繰り返しで何とか膠着状態を続けているようだ。
ちなみにスレイプニルを試してみたが、燃えても焦げる程度で完全消滅するまで燃やせなかったため、凍結の方で試していた。
「この後ろに、娘さんがいる。怪我をしてるから、救助したら凪がいる外まで連れてくか、向坂さんに回復してもらってくれ」
「わかった。登也はも少し頑張れ」
再び動き出したくまにシヴァフロイライン。
さすがにここから出した時にくまの凍結が直ったら、登也一人では娘まで守りきる自信がないため、彼は空か維胡琉を待っていたようだ。
空が子供部屋をノックするが開かないため、書斎の登也よろしく蹴り破る。
ベッドの所で、首から血を流している少女を見つけた。
「よし、生きてるな」
このまま放置していると危なかったが、まだ何とかなりそうだ。
自分の服の袖を破り、少女の首に巻き付ける。
あまりきつく締めることができないので、応急処置にもならないだろうが…まあやらないよりはマシだろう。
少女をおんぶして、すぐに部屋から出た。
「俺はもう少し魔力が持つから、ここで足止めする。…今度はできるだけ早く来てね」
「できるだけな」
軽く冗談を言い合い、凍っているくまを横切り、一気に1階まで階段を駆け下る。
1階でこちらに向かってきた維胡琉を見つけると、彼女から塩水の入ったコップを受け取り、登也が3階でくまと交戦中と簡潔に言いそちらは任せた。
「もう少しだぞ」
「うう…」
血を流し過ぎたか、とさすがの空の顔も僅かに険しくなった。
少女の顔は蒼白になってきており、首の血が滲んで止まっていない。
だが、これでもう安心だ。
空は玄関を開け、外に出た。
「このバカ…なんで今来るんだよ」
「灰原と凪…?と」
野次馬はすっかり物陰に隠れてビビっている。
そして魔人化している凪の前には、あのゾンビ。
灰原は足手纏いになるせいか、半分物陰に隠れて凪とゾンビを見ているようだった。
『…』
「…後で弁償か。鬼ヶ原、離れろ!おおおおっ!」
既にハイチャリオットを放った後のようで、無数の打撃跡がゾンビにはあった。
手もおかしな方向に曲がっているが、それでも動きを止めないゾンビに、凪は一気にスターダストを放つ。
ゾンビの腕は吹き飛び、いつの間にか獲物を変えたようで鉄バットごと消滅する。
ゾンビがぶつかった入口の扉も大破し、もう使い物にならないだろう。
「うお」
「…悪いがこれ以上被害を出すわけにいかないんでな」
腕が無くなったゾンビだが、元は人間。
それを意識した凪だったが、彼はすぐに後悔をする。
ゾンビはまだ立ち上がり、口で今度は近くにあったゴルフクラブを咥えたのだ。
「しぶとすぎるだろ…」
「わたしがやる」
だからこの少女は頼む、と言わんばかりに灰原へ少女を押し付けると、塩水を口に含み、コップの水をゾンビの体にかける。
続けてゾンビに口の塩水を吹きかけた。
「わたしの勝ち、わたしの勝ち、わたしの勝ち」
終了手順は、仲間から聞いた通りにやった。
もしこれでも動くとすれば――。
『…ググ…』
「鬼ヶ原!」
「まじかよ…最初が間違ってたとか…?それとも2時間経ったせいか…?」
ゴルフクラブが折れるくらいの強打を頭に受けた空は、世界が揺れるような感覚に陥った。
凪か灰原の叫びが聞こえた気がするが、空の瞼は徐々に閉じられていく。
『グオオオオ!』
「なんだ…?この気配は…くそ坊主か?」
凪がゾンビを訝しそうに見て、すぐに3階を眺めた。
そして意識を失う空が最後に見たのは、ゾンビが消滅していく場面だった。
☆☆☆
その後、意識を取り戻した空は病院だった。
隣には助けた坂木の娘がいて、自らも頭に包帯が巻かれていたが、空の方はそこまで酷い怪我ではなく、ただの脳震とうらしい。
結局どうしてゾンビが消えたのかはわからなかったが、空が気を失うのと入れ違いで維胡琉と登也が3階から来たらしい。
それによれば、くまは維胡琉が塩水をかけて空と同じ手順でやれば、元のぬいぐるみに戻ったそうだ。
じゃあゾンビにも効いたのだろうか。
そうは思えなかった。時間差で効いた可能性も無いとは言えないが、やはりどこか腑に落ちない。
「お父さん…」
「…ま、いっか」
あれから坂木家では変な事は起こらないという。
本当の解決ではないだろうが、事件は無事に済んだのだ。
隣の少女の安らかな寝顔を見ていると、そう思えた空だった。
―END―
最終更新:2015年12月09日 21:49