阿賀野

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阿賀野 - (2013/11/11 (月) 18:25:15) の1つ前との変更点

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#image(Agano1.jpg) #contents() &autolink(id=wikibody) //@wiki形式_艦娘新規テンプレ コピー作成すると捗る //1行目の画像、75行目のコメントの書き換えお忘れなく。 ---- *CV ---- 声優さんの名前 ---- *史実情報 ---- 阿賀野型軽巡洋艦の1番艦として1942年10月、佐世保海軍工廠で就役した。 #image(Agano.jpg) 水雷戦隊指揮用の純粋な軽巡としては「[[那珂]]」以来17年ぶりとなる新造艦。 特型の就役以来、日進月歩で飛躍的に進化した駆逐艦の性能に対して、旧来の軽巡は速力・攻撃力・航洋性・航続力など様々な面での性能不足が身に余る事となる。 阿賀野型はこれらの旧型軽巡を置き換える、次世代の水雷戦隊旗艦として計画された艦であった。 当初の計画では阿賀野型は6隻建造され、[[長良]]型を代替する艦として計画されていた。 阿賀野の艦型は水雷戦隊旗艦にふさわしく小回りの効く小柄なもので、6600tクラスと末期の[[川内]]型と比べても排水量的に大差のない程度のものだった。 しかし新型駆逐艦や重巡などで培った技術をふんだんに散りばめたため、旧来の5500t型軽巡を大幅に上回る戦闘能力を有しているのである。 雷撃兵装では中心線に四連装魚雷発射管が2個配置され、片舷8発の魚雷発射能力を持つ。さらにこれに加えて阿賀野型は次発装填装置も標準装備された。 水偵搭載数もそれまでの2倍の2機に増え、また機関にも蒸気圧30hpa/蒸気温度300℃の新開発の高温高圧ボイラーが使用されている。 主砲には、米ブルックリン級などの大型軽巡に対抗するには14cm砲では力不足として、[[金剛]]型の副砲として搭載された15.2cm砲を連装に改造したものを備えた。 だが、この砲は重量軽減のために人力装填や薬嚢式装填の非効率な方式が踏襲されており、発射能力が極めて貧弱。また対空射撃にも向かないなど欠点が多かった。 また新設計の2基の長8cm連装高角砲も性能不足や搭載数の不足が指摘されている。 このように少し砲撃能力に疑問があるものの、優秀な水雷戦隊指揮艦であった「阿賀野」。 しかし、すでに竣工していた時点で時代は航空機による戦争の時代へと突入しており、水雷戦隊は過去の遺物となっていた。 そのため「阿賀野」は生まれながらにして時代錯誤な艦というレッテルを貼られたのである。 実際に「阿賀野」の設計に関わった宇垣纏連合艦隊参謀長すらも、自著の戦記『戦藻録』で1942年12月1日に初めて眼にした「阿賀野」に対し &bold(){「果たして現下の要求に満足を興ふるや否や、爆弾一発如何ともし難きに於ては軽巡と選ぶ所無きを憂ふ。機を見て観察すべきなり」} と苦言を呈している。 1942年12月からは第3艦隊第10戦隊旗艦を務めたが、基本的に内地やトラック諸島方面での訓練や船団護衛と、後方任務に就くことが多かった。 初陣となったのは1943年11月のブーゲンヴィル島沖海戦で、ラバウ航空基地資材の輸送任務でラバウルに赴いていた「阿賀野」は、その足でブーゲンヴィル島近辺へと向かう。 ここで「阿賀野」は敵艦隊へ向け魚雷を発射するも戦果は無く、また至近弾を多数受けたものの大した損傷もなく、戦闘を終えている。 ブーゲンヴィル島沖海戦からしばらくして、ラバウル方面からトラック島へと回航されていた「阿賀野」は、カビエン沖で米潜水艦「SS-277スキャンプ」の襲撃にあう。 この攻撃で「阿賀野」は中部ボイラー室に雷撃を受け、航行不能となる。 翌日、姉妹艦「[[能代]]」と駆逐艦「浦風」、そして「阿賀野」が置き換える予定だった「[[長良]]」に曳航されて、「阿賀野」はトラック島へとなんとか戻ることとなる。 トラックで「阿賀野」は工作艦「明石」による修復工事を施され、翌1944年2月には「阿賀野」は修理を完了。早速トラック泊地を出ることとなった。 それが「阿賀野」の最後の航海であったとも知らず。 修理完了の翌日である1944年2月16日、トラック島北方で「阿賀野」は米潜水艦「SS-305スケート」の攻撃により、右舷のボイラー室と艦橋下に被雷。再び航行不能となった。 受けたダメージが予想以上に大きかったためか持ち直すことも出来ず、同日中に総員退艦が下令され、松田艦長以下乗員は護衛についていた駆逐艦「追風」へと移乗。 翌2月17日の深夜、「阿賀野」はゆっくりと海中に姿を消した。 非常に優れた資質を持ちながら時代に否定され、活躍の場を与えられなかった悲劇の艦である。 なお、「阿賀野」戦没日は所謂トラック大空襲の日でもある。 そのため「阿賀野」救援に向かった「[[那珂]]」や、「阿賀野」乗員を載せた「追風」もまた艦載機部隊の餌食となり、トラック諸島の水底へと消えることとなった。 それともう一つ余談であるが、戦後、海上自衛隊創設に大きく貢献した吉田英三元大佐は、新生日本海軍の艦隊旗艦として阿賀野型を改良した巡洋艦4隻の建造を計画していた。 これは吉田元大佐の新海軍構想却下によって潰えたが、もし実現していたならば面白かったかもしれない。 ---- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|-| | |秘書クリック会話①|提督さん、なあに? 阿賀野に御用?|| |秘書クリック会話②|よろしくお願いしまーす|| |秘書クリック会話③|サボってる訳じゃないってばぁ、提督日誌付けてるんだってばぁ!|| |戦績表示時|提督の情報ね 見せて見せて!|| |編成選択時|-|| |装備時①|ちょっと待って、これ以上阿賀野が性能良くなっちゃったら…|| |装備時②|きらり~ん! 新しい阿賀野! どぉ?|| |装備時③|ああ、いいじゃないの!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|-|| |ドック入り(重傷)|うぅ…やられた…まぁた矢矧に怒られる…やだなぁ…|| |建造時|ん?工廠の人たちが手を振ってるよ|| |艦隊帰投時|艦隊、帰投でーす。 ふう~|| |出撃時|最新鋭軽巡阿賀野 出撃よ!|| |戦闘開始時|-|| |航空戦開始時|-|| |攻撃時|-|| |夜戦開始時|-|| |MVP時|-|| |被弾小破①|-|| |被弾小破②|-|| |被弾カットイン|-|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):---|| |時間|台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |00:00|-|| |01:00|深夜2時には阿賀野いつも熟睡してるんだけど~|| |02:00|-|| |03:00|-|| |04:00|-|| |05:00|-|| |06:00|-|| |07:00|-|| |08:00|-|| |09:00|-|| |10:00|-|| |11:00|-|| |12:00|-|| |13:00|-|| |14:00|-|| |15:00|-|| |16:00|-|| |17:00|-|| |18:00|-|| |19:00|-|| |20:00|-|| |21:00|-|| |22:00|-|| |23:00|-|| |放置時|-|| ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/阿賀野) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告
#image(Agano1.jpg) #contents() &autolink(id=wikibody) //@wiki形式_艦娘新規テンプレ コピー作成すると捗る //1行目の画像、75行目のコメントの書き換えお忘れなく。 ---- *CV ---- 声優さんの名前 ---- *史実情報 ---- 阿賀野型軽巡洋艦の1番艦として1942年10月、佐世保海軍工廠で就役した。 #image(Agano.jpg) 水雷戦隊指揮用の純粋な軽巡としては「[[那珂]]」以来17年ぶりとなる新造艦。 特型の就役以来、日進月歩で飛躍的に進化した駆逐艦の性能に対して、旧来の軽巡は速力・攻撃力・航洋性・航続力など様々な面での性能不足が身に余る事となる。 阿賀野型はこれらの旧型軽巡を置き換える、次世代の水雷戦隊旗艦として計画された艦であった。 当初の計画では阿賀野型は6隻建造され、[[長良]]型を代替する艦として計画されていた。 阿賀野の艦型は水雷戦隊旗艦にふさわしく小回りの効く小柄なもので、6600tクラスと末期の[[川内]]型と比べても排水量的に大差のない程度のものだった。 しかし新型駆逐艦や重巡などで培った技術をふんだんに散りばめたため、旧来の5500t型軽巡を大幅に上回る戦闘能力を有しているのである。 雷撃兵装では中心線に四連装魚雷発射管が2個配置され、片舷8発の魚雷発射能力を持つ。さらにこれに加えて阿賀野型は次発装填装置も標準装備された。 水偵搭載数もそれまでの2倍の2機に増え、また機関にも蒸気圧30hpa/蒸気温度300℃の新開発の高温高圧ボイラーが使用されている。 主砲には、米ブルックリン級などの大型軽巡に対抗するには14cm砲では力不足として、[[金剛]]型の副砲として搭載された15.2cm砲を連装に改造したものを備えた。 だが、この砲は重量軽減のために人力装填や薬嚢式装填の非効率な方式が踏襲されており、発射能力が極めて貧弱。また対空射撃にも向かないなど欠点が多かった。 また新設計の2基の長8cm連装高角砲も性能不足や搭載数の不足が指摘されている。 このように少し砲撃能力に疑問があるものの、優秀な水雷戦隊指揮艦であった「阿賀野」。 しかし、すでに竣工していた時点で時代は航空機による戦争の時代へと突入しており、水雷戦隊は過去の遺物となっていた。 そのため「阿賀野」は生まれながらにして時代錯誤な艦というレッテルを貼られたのである。 実際に「阿賀野」の設計に関わった宇垣纏連合艦隊参謀長すらも、自著の戦記『戦藻録』で1942年12月1日に初めて眼にした「阿賀野」に対し &bold(){「果たして現下の要求に満足を興ふるや否や、爆弾一発如何ともし難きに於ては軽巡と選ぶ所無きを憂ふ。機を見て観察すべきなり」} と苦言を呈している。 1942年12月からは第3艦隊第10戦隊旗艦を務めたが、基本的に内地やトラック諸島方面での訓練や船団護衛と、後方任務に就くことが多かった。 初陣となったのは1943年11月のブーゲンヴィル島沖海戦で、ラバウ航空基地資材の輸送任務でラバウルに赴いていた「阿賀野」は、その足でブーゲンヴィル島近辺へと向かう。 ここで「阿賀野」は敵艦隊へ向け魚雷を発射するも戦果は無く、また至近弾を多数受けたものの大した損傷もなく、戦闘を終えている。 ブーゲンヴィル島沖海戦からしばらくして、ラバウル方面からトラック島へと回航されていた「阿賀野」は、カビエン沖で米潜水艦「SS-277スキャンプ」の襲撃にあう。 この攻撃で「阿賀野」は中部ボイラー室に雷撃を受け、航行不能となる。 翌日、姉妹艦「[[能代]]」と駆逐艦「浦風」、そして「阿賀野」が置き換える予定だった「[[長良]]」に曳航されて、「阿賀野」はトラック島へとなんとか戻ることとなる。 トラックで「阿賀野」は工作艦「明石」による修復工事を施され、翌1944年2月には「阿賀野」は修理を完了。早速トラック泊地を出ることとなった。 それが「阿賀野」の最後の航海であったとも知らず。 修理完了の翌日である1944年2月16日、トラック島北方で「阿賀野」は米潜水艦「SS-305スケート」の攻撃により、右舷のボイラー室と艦橋下に被雷。再び航行不能となった。 受けたダメージが予想以上に大きかったためか持ち直すことも出来ず、同日中に総員退艦が下令され、松田艦長以下乗員は護衛についていた駆逐艦「追風」へと移乗。 翌2月17日の深夜、「阿賀野」はゆっくりと海中に姿を消した。 非常に優れた資質を持ちながら時代に否定され、活躍の場を与えられなかった悲劇の艦である。 なお、「阿賀野」戦没日は所謂トラック大空襲の日でもある。 そのため「阿賀野」救援に向かった「[[那珂]]」や、「阿賀野」乗員を載せた「追風」もまた艦載機部隊の餌食となり、トラック諸島の水底へと消えることとなった。 それともう一つ余談であるが、戦後、海上自衛隊創設に大きく貢献した吉田英三元大佐は、新生日本海軍の艦隊旗艦として阿賀野型を改良した巡洋艦4隻の建造を計画していた。 これは吉田元大佐の新海軍構想却下によって潰えたが、もし実現していたならば面白かったかもしれない。 ---- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|こんにちはーっ!最新鋭軽巡の阿賀野でーすっ。ふふっ。|| |秘書クリック会話①|提督さん、なあに? 阿賀野に御用?|| |秘書クリック会話②|よろしくお願いしまーす|| |秘書クリック会話③|サ、サボってる訳じゃないってばぁ、提督日誌付けてるんだってばぁ!|| |戦績表示時|提督の情報ね、見せて見せて!|| |編成選択時|最新鋭軽巡、阿賀野、出撃よ!|| |装備時①|ちょっと待って、これ以上阿賀野が性能良くなっちゃったら…|| |装備時②|きらり~ん!新しい阿賀野!どぉ?|| |装備時③|ああ、いいじゃないの!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|ちょっと阿賀野…お手洗いに失礼|| |ドック入り(重傷)|うぅ…やられた…まぁた矢矧に怒られる…やだなぁ…|| |建造時|ん?工廠の人たちが手を振ってるよ|| |艦隊帰投時|艦隊、帰投でーす。ふう~|| |出撃時|阿賀野の水雷戦隊出撃よ!|| |戦闘開始時|いよいよ阿賀野の出番ね。えへへ、待ってたんだから|| |航空戦開始時|-|| |攻撃時|阿賀野の本領、発揮するからね!|| |夜戦開始時|やだ、能代や酒匂にも負けないからね|| |MVP時|え?阿賀野、ついに活躍しちゃった?やったぁ!み、見た矢矧。これが阿賀野型の実力なのよ!|| |被弾小破①|-|| |被弾小破②|-|| |被弾カットイン|もぉ、やだやだ…ボロボロじゃない|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):また…阿賀野が一番先なの?まぁいいわ、今度は結構働けたし…バイバイ|| |時間|台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |00:00|0時!の方向より、敵接近!なんちゃって。ごめん、時報なの|| |01:00|夜中の1時…。阿賀野、寝てもいい?|| |02:00|深夜2時には、阿賀野いつも熟睡してるんだけど~|| |03:00|提督さん!深夜3時ですよ!もぉ、頑張り過ぎ!|| |04:00|深夜4時なんですけどぉ…。まぁ、確かにあと一時間でデイリー更新だけどぉ…|| |05:00|午前5時。艦これ的には新しい一日のスタートね!頑張れ!|| |06:00|午前6時。提督さん!阿賀野、目が冴えてきたぁ!|| |07:00|午前7時。今日のおめざは何にしよっか?ね、提督さん?|おめざとはお目覚め後の朝食前に摂る甘味等の軽い食事のことである| |08:00|午前8時です。阿賀野と朝ごはんしよ!|| |09:00|午前9時です。提督さん、今日のデイリー終わってる?あ、そう!|| |10:00|午前10時。今日はどっち方面に行ってみる?|| |11:00|午前11時。お昼前ってなーんか落ち着かないよねぇ。お腹減るし|| |12:00|やったぁ、12時だ!お昼!お昼どうする?|| |13:00|午後1時。じゃあ、チャーハン作るね!もちろん、エビ抜きで!|| |14:00|午後2時です!阿賀野、意見具申!お昼寝しましょ…|| |15:00|午後3時です。スヤスヤスヤァ…|( ˘ω˘)スヤァ…| |16:00|午後4時です。あぁっしまった!阿賀野寝過ぎたかもしれない!|| |17:00|午後5時。ああっ、どうしよう、能代とお茶する約束…忘れてた…|| |18:00|午後6時。能代との約束、ブッチ?うん、いつもの事だからって余裕でスルーされた…|| |19:00|午後7時です。ということで、能代のフォローで一緒に晩御飯してくるね|| |20:00|午後8時です。ごめん!これ言いに来ただけ|| |21:00|午後9時です。ほんっと能代は私がいないとねぇ。…え?逆だって?|| |22:00|午後10時です。提督さん、今日も疲れたねぇ。阿賀野、もう眠いかも…|| |23:00|午後11です。阿賀野、もう完全におねむかもしれない…。提督さん、おやすみなさぁい…|| |放置時|阿賀野型一番艦、阿賀野がここでずーっとお待ちしてますよ。ね、提督さん?|| ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/阿賀野) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告

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