愛宕

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愛宕 - (2013/10/08 (火) 23:45:02) の最新版との変更点

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#image(No060.jpg) #contents() &autolink(id=wikibody) ---- *CV ---- 東山奈央 ---- *史実情報 ---- #image(Atago.jpg) 愛宕は高雄型2番艦として、呉海軍工廠で建造された。 本艦が[[高雄]]より先に竣工したことから、高雄型を愛宕型とする資料も、一部に存在する。 戦前にはその堂々たる大型艦橋から[[長門]]、[[陸奥]]ほどでは無いにしろ、国民から特に人気の高かった艦。 戦前・戦中世代の少年少女たちは誰でも彼女のことを知っていたとも。 竣工した愛宕は、第2艦隊第4戦隊に編入された。 開戦前、友鶴事件と第4艦隊事件を受けて改装工事を実施。[[高雄]]と同様、艦橋が縮小されている。 1941年には第2艦隊旗艦となり、南方へと進出。開戦に備えた。 以後、愛宕は南方での作戦に従事。1942年にはソロモン海の戦いにも参戦した。 第三次ソロモン海戦第二夜戦では旗艦の重責を担い、敵艦隊発見と同時に探照灯を照射。 これによって後続の戦艦[[霧島]]に急を知らせて導き、自身も戦艦サウスダコタへ多数の主砲弾を叩き込んだ。 さらに[[高雄]]とともにサウスダコタ、ワシントン両艦へ魚雷を発射。 ところが必ず爆発するよう信管を鋭敏に設定したため、命中前に爆発して一本も当たらなかった。 同様の例は他の海戦でも度々発生していたものだった。 酸素魚雷開発者はこの信管感度調整機能を付けてしまったことだけは失敗だったと、戦後ずっと悔やみ続けたという。 1943年のラバウル空襲では、至近弾を左舷中央部の魚雷発射管付近に受け中破。艦長を含む42名が死傷した。 愛宕は日本に戻り修理を受けたのち、再び南方へと出撃。マリアナ沖海戦では、前衛部隊旗艦として活動している。 1944年10月22日、愛宕は第2艦隊(第1遊撃部隊)旗艦となり、栗田健男中将を迎えてブルネイを出撃した。 翌23日午前6時半、愛宕は米潜水艦ダーターの魚雷4本を右舷を受けた。魚雷が右舷全体に万遍なく命中したためか、愛宕は急速に傾斜。左舷への注水も効果なく、20分後に沈没した。 指揮官・仕官の多くは早々に退去したもののまさか20分程度で沈むとは思っておらず、総員退艦の指示が遅れ(軍艦旗が降ろされなかったため指示自体なかったとも言われる)360名もの犠牲者が出た。 なお、愛宕撃沈後のダーターは高雄を襲撃魚雷2発を命中させ、あわやまで追い込むも深追いしすぎて座礁。 曳航不能と判断し僚艦の潜水艦デイズ(同戦闘で[[摩耶]]を金剛型と勘違いし撃沈した)に乗員は移乗し自沈している。 その際に艦長デヴィッド少佐は、日本軍がこの座礁艦の艦内調査を行うことを見越し、 腹いせに『これがあれだったのかい?』と艦型識別訓練用の愛宕の模型にメモを残した。 戦後、愛宕の名は、海上自衛隊のイージス艦、あたご型護衛艦のネームシップに受け継がれた。 (余談ではあるが、愛宕を含む高雄型の艦橋の形状は非常に特徴的でイージス艦の艦橋と似ている。 ジェーン海軍年鑑が、命名前の最初の国産イージス艦こんごうの建造中に艦橋を見て「日本が高雄型を建造中」と報じた程である。) 余談だが、他の艦娘とは一線を画す「バランスのとれた重武装ボディ」で人気者の彼女ら高雄型だが、実はこれも史実再現なのである。 実物の愛宕を写真で見てもらえば彼女の「バランスのとれた重武装ボディ」の理由と真意が自ずと理解できるだろう。 ---- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|私は愛宕、提督、覚えてくださいね。|戦前はみんな知ってる人気艦だったとか| |秘書クリック会話①|うふ、どうしました?|| |秘書クリック会話②|私が力になってあげるわ|| |秘書クリック会話③|んもぅ、意外と甘えん坊なのですね|| |戦績表示時|提督、お手紙ですよ|| |編成選択時|愛宕、抜錨しまーすぅ|| |装備時①|私、強くなってる!うふふ|| |装備時②|改造終了しました・・・えっ?そこは改造して無いわ、自前よぉ|| |装備時③|ぱんぱかぱーん!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|ちょっとお休みを頂きますね|| |ドック入り(重傷)|タンクが大きいと、肩も凝るのよねー|| |建造時|あらあら、仲間が増えたようよ|| |艦隊帰投時|作戦完了よ、良かったわね|| |出撃時|ヨーソロー!うふふ|ヨーソロー(ようそろ)とは直進という意味。「宜しく候(よろしくそうろう)」から変化した掛声である。| |戦闘開始時|敵艦多数発見!攻撃開始ね|| |航空戦開始時||| |攻撃時|主砲撃てぇー!|| |夜戦開始時|夜の戦い・・・私、得意なの|寧ろ彼女は第三次ソロモン海戦にて攻撃を全て外しているため、お世辞にも夜戦が得意とは言えないはずなのだが・・・。夜の戦いとは一体なんなのか| |夜戦攻撃時|喰らいなさい|| |MVP時|私の実力、分かってもらえましたか?うふ|| |被弾小破①|やーん|| |被弾小破②|あんっ!やめてったら!|| |被弾カットイン|ちょっとぉ・・・やり過ぎじゃないかしら|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):あらあら、仕方無いわ・・・高雄はちゃんとやってるかしら・・・|| ---- *コメント ---- - 史実情報の「中波」は「中破」かな? -- 名無しさん (2013-07-11 14:28:52) - 因みに名称は現在の海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」に受け継がれている。 -- 名無しさん (2013-07-23 22:21:48) - 特徴的なルックスとトークで一部の提督とpixivで大人気 -- 名無しさん (2013-09-04 11:41:01) - 250/30/200/30 で、でも出た -- 名無しさん (2013-09-04 19:00:12) - ↑何かの間違いだろ -- 名無しさん (2013-09-05 14:09:32) - 「あなご」だったらヤバかった -- 名無しさん (2013-09-05 14:56:01) - 「ぅふぐたぁくぅ~ん」CV:若本規夫 -- 名無しさん (2013-09-05 17:48:09) - 俺も250/30/200/30 で、出た -- 匿名希望 (2013-09-05 23:19:14) - 250/30/200/30/1h25m 出ます -- 名無しさん (2013-09-09 10:30:51) - リアルでいたら、絶対に彼女にしたい。400/30/600/30でゲット -- 名無しさん (2013-09-13 01:00:16) - 艦橋が海自のイージス艦あたご型によく似てるな~ -- 名無しA (2013-09-16 19:10:47) - なんで愛宕だけ上にも広告あんの? -- 名無しさん (2013-09-22 06:29:07) - 「改造終了しました・・・えっ?そこは改造して無いわ、自前よぉ」←これ叶姉妹への皮肉かな? -- 名無しさん (2013-09-23 20:28:24) - 戦績表示時:「提督、あて紙ですよ」に聞こえる・・・ -- 名無しさん (2013-10-01 23:14:31) - 大破時の迫力がすさまじい -- 名無しさん (2013-10-07 02:51:58) - 日本産でなぜ金髪にしたんかな。金剛は茶髪なのに。 -- 名無しさん (2013-10-07 14:31:20) - 日本城郭の石垣に例えた人もいたな艦橋のシルエット -- 名無しさん (2013-10-08 23:45:02) #comment ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告
#image(No060.jpg) #contents() //&autolink(id=wikibody) ---- *CV ---- 東山奈央 ---- *Illustrator ---- ??? ---- *史実情報 ---- #image(Atago.jpg) 愛宕は高雄型2番艦として、呉海軍工廠で建造された。 本艦が[[高雄]]より先に竣工したことから、高雄型を愛宕型とする資料も、一部に存在する。 戦前にはその堂々たる大型艦橋から[[長門]]、[[陸奥]]ほどでは無いにしろ、国民から特に人気の高かった艦。 戦前・戦中世代の少年少女たちは誰でも彼女のことを知っていたとも。 竣工した愛宕は、第2艦隊第4戦隊に編入された。 開戦前、友鶴事件と第4艦隊事件を受けて改装工事を実施。[[高雄]]と同様、艦橋が縮小されている。 1941年には第2艦隊旗艦となり、南方へと進出。開戦に備えた。 以後、愛宕は南方での作戦に従事。1942年にはソロモン海の戦いにも参戦した。 第三次ソロモン海戦第二夜戦では旗艦の重責を担い、敵艦隊発見と同時に探照灯を照射。 これによって後続の戦艦[[霧島]]に急を知らせて導き、自身も戦艦サウスダコタへ多数の主砲弾を叩き込んだ。 さらに[[高雄]]とともにサウスダコタ、ワシントン両艦へ魚雷を発射。 ところが必ず爆発するよう信管を鋭敏に設定したため、命中前に爆発して一本も当たらなかった。 同様の例は他の海戦でも度々発生していたものだった。 酸素魚雷開発者はこの信管感度調整機能を付けてしまったことだけは失敗だったと、戦後ずっと悔やみ続けたという。 1943年のラバウル空襲では、至近弾を左舷中央部の魚雷発射管付近に受け中破。艦長を含む42名が死傷した。 愛宕は日本に戻り修理を受けたのち、再び南方へと出撃。マリアナ沖海戦では、前衛部隊旗艦として活動している。 1944年10月22日、愛宕は第2艦隊(第1遊撃部隊)旗艦となり、栗田健男中将を迎えてブルネイを出撃した。 翌23日午前6時半、愛宕は米潜水艦ダーターの魚雷4本を右舷を受けた。魚雷が右舷全体に万遍なく命中したためか、愛宕は急速に傾斜。左舷への注水も効果なく、20分後に沈没した。 指揮官・仕官の多くは早々に退去したもののまさか20分程度で沈むとは思っておらず、総員退艦の指示が遅れ(軍艦旗が降ろされなかったため指示自体なかったとも言われる)360名もの犠牲者が出た。 なお、愛宕撃沈後のダーターは高雄を襲撃魚雷2発を命中させ、あわやまで追い込むも深追いしすぎて座礁。 曳航不能と判断し僚艦の潜水艦デイズ(同戦闘で[[摩耶]]を金剛型と勘違いし撃沈した)に乗員は移乗し自沈している。 その際に艦長デヴィッド少佐は、日本軍がこの座礁艦の艦内調査を行うことを見越し、 腹いせに『これがあれだったのかい?』と艦型識別訓練用の愛宕の模型にメモを残した。 戦後愛宕の名は海上自衛隊のイージス艦、あたご型護衛艦のネームシップに受け継がれた。 面白い事に、愛宕を含む高雄型の艦橋の形状は非常に特徴的で、現代のイージス艦の艦橋とよく似ている。 ジェーン海軍年鑑が、命名前の最初の国産イージス艦こんごうの建造中に艦橋を見て「日本が高雄型を建造中」と報じた程である。 余談だが、他の艦娘とは一線を画す「バランスのとれた重武装ボディ」で人気者の彼女ら高雄型だが、実はこれも史実再現なのである。 実物の愛宕を写真で見てもらえば彼女の「バランスのとれた重武装ボディ」の理由と真意が自ずと理解できるだろう。 ---- *台詞一覧 ---- &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|私は愛宕、提督、覚えてくださいね。|戦前はみんな知ってる人気艦だったとか| |秘書クリック会話①|うふ、どうしました?|| |秘書クリック会話②|私が力になってあげるわ|| |秘書クリック会話③|んもぅ、意外と甘えん坊なのですね|| |戦績表示時|提督、お手紙ですよ|| |編成選択時|愛宕、抜錨しまーすぅ|| |装備時①|私、強くなってる!うふふ|| |装備時②|改造終了しました・・・えっ?そこは改造して無いわ、自前よぉ|| |装備時③|ぱんぱかぱーん!|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|ちょっとお休みを頂きますね|| |ドック入り(重傷)|タンクが大きいと、肩も凝るのよねー|| |建造時|あらあら、仲間が増えたようよ|| |艦隊帰投時|作戦完了よ、良かったわね|| |出撃時|ヨーソロー!うふふ|ヨーソロー(ようそろ)とは直進という意味。「宜しく候(よろしくそうろう)」から変化した掛声である。| |戦闘開始時|敵艦多数発見!攻撃開始ね|| |航空戦開始時||| |攻撃時|主砲撃てぇー!|| |夜戦開始時|夜の戦い…私、得意なの|寧ろ彼女は第三次ソロモン海戦にて雷撃を全て外しているため、お世辞にも夜戦が得意とは言えないはずなのだが…。では夜の戦いとは一体なんなのか、意味深である。&br()だが砲弾は相当数を戦艦サウスダコタに叩き込んだため、あながち間違ってはいない。| |夜戦攻撃時|喰らいなさい|| |MVP時|私の実力、分かってもらえましたか?うふ|| |被弾小破①|やーん|| |被弾小破②|あんっ!やめてったら!|| |被弾カットイン|ちょっとぉ・・・やり過ぎじゃないかしら|| |撃沈時(反転)|COLOR(white):あらあら、仕方無いわ・・・高雄はちゃんとやってるかしら・・・|| ---- *同型艦 [[高雄]] ― &bold(){愛宕} ― [[鳥海]]([[鳥海改二]]) ― [[摩耶]]([[摩耶改二]]) ---- *コメント ---- 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=愛宕/コメント) ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告

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